第8回

[その17][その18]

(その17)

 モニターに、宇宙船からのメッセージを表示させようとしながら、田畑耕作の胸は高鳴っていた。

(これは、遭難船からのメッセージに違いない)

 田畑耕作は、そう確信していた。

(ただちに宇宙航行管理局に連絡しなくては)

 だが、第八太陽系第四惑星付近を航行中の宇宙船からのメッセージを解読するのには、予想外の手間がかかった。
 届いていた信号は、全宇宙共通の救助信号とはまったく別種のものだったのだ。

(しかも、高度に暗号化されている……)

 救助信号を暗号化して出すだろうかという疑問が一瞬頭の隅をよぎったが、それでも、田畑耕作は、この惑星に赴任してきてから、いや、この数年このかたなかったほどの集中力を発揮して、なんとかメッセージを解読しようと努力を続けた。

 30分ほど、何とか自分の手で解読しようと骨を折ったすえに、田畑耕作は、ようやく、このまま宇宙航行管理局にメッセージを転送すればよいのだと気がついた。

(ちくしょう、なんでもっと早く思いつかなかったんだろう)

 宇宙航行管理局に連絡した後、田畑耕作は、そのままの姿勢で机の前にほとんど身動きもせずに座ったたまま返信を待っていた。
 一度、何気なくポケットの中に手をつっこみ、手に触れたものを引っ張り出してみたが、それが自分が将来購入するかもしれない小惑星の名前の候補を書いたリストであることが分かると、その紙切れを、くしゃくしゃと丸めて床にほうり投げた。

 かすかに古き良き時代の匂いをただよわせる上質紙も、黒鉛を芯にした木製の鉛筆も、もうどうでもよかった。何の役にもたたない天然衛星付きの小惑星のオーナーになり、その星の君主になる夢想をするなど、まともな人間のやることとはとても思えなくなっていた。

 辺境の地でただ一人、静かに出張所を守りながら人々の旅行の安全を願い続ける。
 昔、人類にとっての世界が第一太陽系第三惑星だけだった頃に存在したという、灯台守のように。これこそが、自分に課せられた使命なのではないか。

 田畑耕作は、すでに灯台守になりきっていた。
 そして、今は、目の前に救助信号を発信している船がある……

 30分後、宇宙航行管理局から、返信があった。

「田畑耕作様。これは、救助信号ではありません。当局が解読した内容は、外部に公開しないのが通例ですが、このメッセージは営業用広告2-IX-T類に分類され、指定区域内での公開の許可を受けたものでありかつ一般的な信号解読装置で読み取ることを目的としていますので、解読内容をお知らせいたします。なお、次回からはこのような信号解読の相談につきましては、信号解読センターへお願いいたします」

 宇宙航行管理局からの手紙の後に、メッセージの内容が表示された。

「エンジニア急募。SRP-II型ロケット恒星間全自動航行システムに精通している方。高給待遇します 担当:丸木大太まで」

(その18)

 頭から水差しの水を注がれてびしょぬれになった水玉ヒヨは、水浸しの客をあまり乗せたくなさそうな駅員の視線も構わずに宇宙エレベーターに飛び乗ると、宇宙ステーションに戻ってきた。

 ホテルの部屋につくと、すぐに洋服を床に脱ぎ捨て、バスルームに入った。
 浴槽の中に横たわり、水栓を全開にする。

 最近では、藍性体用の部屋を用意してあるホテルは少なくない。だが、通常の部屋より少なくとも三割は割高になるか、古い大浴場を転用しただけの大部屋になるかのどちらかなので、水玉ヒヨは、いつも普通のバス付きの部屋を利用することにしていた。慣れれば、ほとんど不自由はなかった。

 水玉ヒヨは、水をたたえた浴槽の中に横たわったまま、小声でつぶやいた。

「次のローカル便まであと三日。でも、もう下には降りない」

 一日中、身体を乾燥するにまかせて外を出歩いてきた後に、身体を水に浸していることのなんと気持ちがよいことか。

「あの20世紀カフェにも行かない。もう下には降りない。もう20世紀カフェには行かないから、下には降りない……」

 藍性体光合成専用ランプのスイッチを入れ、光合成色素の集中している部分にランプの光があたるように、うまくランプの位置を調節する。
 いつもなら、光合成を開始すると気分が浮き立ってきて、大声で笑ったりはしゃいだりしたくなるものだが、今日は、どうしてもそのような気分になれなかった。

「もう下には降りない。あと三日」

 笑みを浮かべた穏やかな表情ではあるが、いつものようにはしゃぐことができず、水玉ヒヨは抑揚のない声でつぶやきつづけた。

「あの20世紀カフェには行かない。でも私のナイフを返して下さい」

 最後の言葉をまるでせりふを棒読みするように言った瞬間、水玉ヒヨの目から、涙がこぼれ落ちた。

 藍性体の涙は、通常は身体が乾いてきたことを示す注意信号であるはずなのに、なぜ浴槽いっぱいの水につかっている時に自分の目から涙がこぼれ落ちてくるのか、自分でもわからなかった。

「あの、小惑星のイニシエナイフ……」

 身体を水に浸し、気持ちの良い光をいっぱいに受けて光合成をしながら、水玉ヒヨは泣き続けた。

(第9回に続く)


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