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BookReview

レビュアー:[雀部]&[栄村]

『砂漠の惑星』
> スタニスワフ・レム著/飯田規和訳/中原脩カバー
> ISBN 4-15-010273-2
> ハヤカワ文庫SF
> 320円
> 1977.12.15発行
 6年前に消息をたった宇宙巡洋艦コンドル号探索のため〈砂漠の惑星〉に降りたった無敵号が発見したものは、異星の地に傾いでそそりたつその船体だった。生存者の姿は見あたらない。船内が混乱を極めているにもかかわらず、不思議なことに攻撃を受けた形跡はなく、さまざまな防衛手段は手つかずのまま残されていた。果てしなく続く風紋、死と荒廃の風の吹き抜けていく奇怪な〈都市〉、偵察機を襲う〈黒雲〉、そして金属の〈植物〉――探険隊はテクノロジーを駆使して異星を探査したが……。

『エデン』
> スタニスワフ・レム著/小原雅俊訳/野中昇カバー
> ISBN 4-15-010745-9
> ハヤカワ文庫SF
> 540円
> 1987.11.15発行
 惑星エデン――宇宙空間に巨大なオパールのしずくのように煌くその星に、6人の地球人科学者を乗せた宇宙探査船が不時着した。だが、地表で彼らが見たものは、巨大な生体オートメーション工場と、その大量の廃棄物、そしてエデン人の累々たる死骸の堆積だった。一つの個体が労働部分と思考部分に分かれた副体生物であるエデン人に、いったい何が起こっているのか? 地球人科学者はエデン人との知的接触をはかろうと試みるのだが……

『天の声・枯草熱』
> スタニスワフ・レム著/沼野充義・深見弾・古上昭三訳/LE GUIDE DES CITES.SCHUITEN&PEETERS装画
> ISBN 4-336-04503-8
> 国書刊行会
> 2800円
> 2005.10.31発行

スタニスワフ・レム・コレクション第三回配本

 偶然、ある星からメッセージが届く。ニュートリノによって送られたこの信号には、明らかにある規則性が認められた。さっそく、これを解読するため天の声計画が進められることになった。それにしても、はるかなる宇宙からの天の声には、どんな意味があるのか? 発信者は? どこから発せられたのか? その信号のわずかの部分からコロイド状の蛙の卵と蝿の王がつくれる情報は得たものの、宇宙進化論、数学、情報工学、物理学とあらゆる先端科学を駆使しても沓として不明のまま、事実は判明するどころか、憶測と憶測の重った森に迷うばかりであった。


先月号からの続き
雀部 >  あの映画からさらにSF色を払拭したら、少なくともSFファンに受けないのは間違いありません!(笑)
栄村 >  おそらく、それがタルコフスキーが撮ったもう一本の映画「ストーカー(密猟者)」だったんでしょうねえ(笑)。何年も待たされたあげく、期待して見に行ったのですが……難解でした(笑)。
雀部 >  私は恥ずかしながら、TV放映されたのを見たので、カットされていたかも(爆)
栄村 >  「ストーカー」は、もともと「願望機」というタイトルで公開される予定だった作品で、原作はストルガツキィ兄弟の「路傍のピクニック」という小説です。「ソラリス」とこの作品は、同じコンタクト・テーマを扱った小説で、読んでると作品の底にあるモチーフがよく似ている。ソラリスが人間の深層心理を読んで、それを実体化するというアイデアは、「ストーカー」では宇宙からの来訪者が地上に残していった人間の願望を叶えるといわれる「黄金の球」で、どちらも人の心の奥底まで入りこみ、その願望なりトラウマなり、一番深刻な部分を実体化して人間の前に送りだしてくる。これは一種の人間を映し出す「鏡」ですね。「ソラリス」では、「海」は死んだ妻のイメージを実体化し、主人公であるケルビンのもとの送りこみますが、「ストーカー」の場合、登場人物が語るうわさ話に、そのテーマが示されます。ある男が瀕死の家族の回復を願い、生命の危険を冒してこの「黄金の球」に触れるものの、家に帰ってみると家族は死んでおり、部屋の中は札束の山となっていた。無意識に家族の回復よりお金を望んでしまったのですね。この人は。結局、その場で絶望し首を吊って死んでしまいます。
 心に秘めた願望の実現は、実はそれを望んだ者自身を破滅させるかもしれないというおそろしい一面を持っている。「ソラリス」ではケルビンは妻を自殺させたという心の傷を抱えると同時に、彼女がいつか帰ってきてくれることを無意識に望んでいたのかもしれませんーー「海」は偶然その願望を叶えるわけですが、逆にそれが主人公に出口のない苦悩をもたらします。「ストーカー」の原作である「路傍のピクニック」の中にも、この死んだ家族が帰ってくるという、主人公の父親が墓場から甦って家に現れれる場面がありますが、両方の作品のモチーフとなっているのは、人なら誰しもが切実に祈る願望ーー死者、それも肉親の復活ですね。
 ギリシャ神話に、黄金の魅力に取り憑かれたあまり、触れるものすべてが金にかわるという力を神から授かったものの、その力は食物さえ黄金に変えてしまい、力を望んだ者自身が追いつめられてゆくというミダス王の話があります。一定の目的を遂げるために作りだした機械なり苦労して得た能力が、その目的を越える力も同時に持ち、目的自体を裏切り、下手をすれば当事者を破滅に追いこんでしまうかもしれない、ここで語られるのは、まさにその神話です。
 レムはストルガツキィの原作を非常に高く評価していて、ポーランド語に翻訳された時は、わざわざ解説を書いたくらいです。また、自分が書くべきテーマだったとも、何かのインタビューで読んだ記憶があります。もし「ソラリスの海」が、もっと荒ぶる存在で、地球、それも人類全体に本格的に干渉してきたとしたら、「路傍のピクニック」で描かれたような世界を創りだしていたかもしれませんね。
雀部 >  う~ん、似ているかなぁ?? レムとストルガツキィ、雰囲気は似てるかも。
 ところで、ソダーバーグ版『ソラリス』の評判はどうだったんでしょう?
栄村 >  アメリカのign.comのFilmForce というサイトにソダーバーグとキャメロンのインタビュー記事が載っていたので、一部を翻訳してみます。

 「この映画はアクション映画ではありません。観客はそのことを知る必要があります。これはSFがアイデア小説や一般大衆向けのフィクションとして描かれていた50年代から60年代にかけてのサイエンス・フィクションです」とキャメロンは語る。

 今回の映画はスタニスワフ・レムの原作と、アンドレイ・タルコフスキー監督が1972年に最初に映画化した作品に基づいている。ソラリスは強い心理上の潜在要素を持っている恋愛小説である。近未来、ジョージ・クルーニー演じる心理学者のクリス・ケルビン博士が、プロメテウス宇宙ステーションの乗組員の奇怪な行動を調査する所から物語は始まる。

 「ケルビンが宇宙ステーションに入る瞬間から、観客はそこに大きな危険があることを知っています。観客はすぐに危険の性質を理解しません。何が起こりえるか? 怪物がいるのか、殺人鬼がいるのか? やがて危険が自分の正気を保つことだということが分かります」

 明らかに、プロメテウスが惑星ソラリスの大気に入ったとき、クルーの不可解な行動は始まる。そして、科学者たちの冒険の奇妙な皮肉は、彼らが研究しようとする惑星自体が、逆に彼らを研究しているということだった。惑星をとりまいている生体は、乗組員の心の中のイメージを使い、ナターシャ・マケルホーンによって演じられるクリスの死んだ妻レイア(【注】原作のソラリスの英語版では、妻の名はハリーではなくレイアと翻訳されている)のように、本物に近い人間たちを創りだす。
雀部 >  まあ、研究しているというのは、人間側がそう思っているだけというのは置いといて(笑)
栄村 >  「これらの人々は自分たちが本当の人間だと信じています。けれども彼らは自分たちがかつてそうだった人物とは違う者たちだということも知っています。分子段階やさらにDNAの段階を分析しても彼らは実際の人間です。ケルビンの最も強いイメージは数年前に死んだ彼の妻のことです。ソラリスは、ある意味で、彼女の死を越えてこの関係を最後まで演じさせようとさせます。それは美しくも劇的で凝った表現です」

 監督と脚本を担当したスティーブン・ソダーバーグは、レムの小説とタルコフスキーの映画の要素を彼の脚本の中でつないだ。彼は映画をこう説明している。「乗組員が直面しているジレンマは、自分たちが考えている以上にソラリスは乗組員のことを深く知っているということです。それため、考えで打ち負かしたり裏をかくことは非常に難しい。最初、ケルビンはこの問題を解決して、安全に皆を家に連れて帰ろうとします。彼はその時、謎に巻き込まれ、そしてこの事態をどうするかに確信が持てなくなります。運命というテーマは極めて重要です。ケルビンとレイヤの関係は最悪の結末で終わっていました。彼女がプロメテウスの上に現れるとき、ふたりともお互いが過去、同じ道を歩んでいたという幻想にとらわれて苦しみます。思い出や、罪、救済の可能性、そして、もう一度なにかができるチャンス-おそらくそれは過去に行った行動とは違うことでしょうーといった問題が私にアピールしました。映画の中で登場人物のひとりが確かな事を喋ります。『答えなんてない。ただ選択があるだけだ。そしてそれは本当にそのとおりになる』」

 「この映画は観客を最も遠い宇宙につれてゆきます。そして、そこで見つけるものはあなた自身です。ケルビンは自分自身の記憶、彼が過去に経験したことの繰り返し、罪、過失、自らがつくりだした誤ちに直面させられます。そして彼はそうしたものを変えるチャンスを得ることができるのかどうか……」
雀部 >  運命とか愛とか持ち出されると、ハードSFファンとしては困ってしまう。
 確かにそう読めるようなところはあるけど、それは枝葉末節でメインテーマは、違うんじゃないかと(笑) 元々のテーマは、"人間には理解不能な異星生命体"を描くことだと思っていたんだけど。研究しているんじゃなくて、単にコピーしてみただけというのでは、シナリオ上の面白みに欠けるのは確かですけど。
栄村 >  ハードSF作家のグレゴリー・ペンフォードが、二年前、ガーディアン紙のインタビューで、「1972年版のソラリスは、おそらく、限られたわたしたち人間の認識やカテゴリー化、そして人間形態主義に陥る傾向といった点によって、科学の限界に言及した唯一の映画でしょう。人を動かさずにはおれない悲劇的なドラマであり、ただの論説でないところが、よりいっそう重要なんです」
 と、タルコフスキーの映画について語っていましたが、ただテーマを論説したのではなく、人を動かさずにはいられない悲劇的ドラマにまで昇華した点が、よりいっそう重要だという見方をとれば、ソダーバーグの映画もそうですね。……ただ、最後にソラリスとの接触が成功することを暗示させる場面は、原作のテーマから逸れているんじゃないかと言われれば、おっしゃる通りかもしれません。

 ……ところで、お話は意識なしの思考というものは存在しうるか? ソラリスの海の中で起こっている過程を思考と呼ぶことは可能であるか?」という原作の部分の話ですか?。
雀部 >  そうです。ひょっとして意識なんてものも、人間だけが持っているものかも知れないし。最近でこそスティーブン・バクスターの本に出て来るフォティーノ・バードとか、イーガンの<波動関数を集束させない存在>とかありますけど、あの当時は画期的な設定だったですよね。
栄村 >  「海」があれだけ精巧な〝複製〟を作り、ひとつが消滅すれば、別のものを送り込むという規則性を持っているのは、人間が自分の上に存在していることを、はっきりと認識していないとできないし、新しく出たポーランド語からの直訳版には、ロシア語版には無かった「海が心理を持っているということはーー「心理」という言葉で何を意味することができるにせよーーもはや否定できなくなっていた。(中略)海は存在し、思考し、行動していた」(287-288P)という箇所がありますから、この小説を書いていた時、レムは海を「意識」があり「思考力」のある存在として考えていたんじゃないかしら。ただ、それは人間の考える「意識」や「思考力」とは、まったく違ったものだったんでしょう。
 ソラリスに降りたった最初の探検隊の中で、唯一、行方不明になったフェヒネルの脳を「海」は走査し、膠質で再現された地球の公園や、波間に浮かぶ三メートルもある巨大な赤ん坊を造り出すのですが、それから約半世紀の〝沈黙〟を経て、ステーションに出現した「お客たち」の間には、明らかに格段の差というか、〝改良〟された存在のように見えますね。
 レムが書いた「ウェルズの宇宙戦争論」の中で「もし私が宇宙戦争を書いたなら、火星人に人間を研究させただろうが、生体解剖という方法によって研究させる」という箇所を読んで思ったのですが、たとえば古生代カンブリア紀に生息していたアノマロカリスが水の中でどんな泳ぎ方をしていたかを知るには、化石の体の構造から割り出したデーターをコンピューターに入れてモデルをつくり、仮想空間でシミュレーションをさせるでしょう。さらにもっとよく知るためには、同じ動きをする精巧な模型なり、ロボットを作って、水の中で動かして観察したりするかもしれない。仮想空間でなく、実際の環境の中でモデルを動かすことで理解が正しいか調べる。「海」はその部分では、人と似たような思考過程をたどっていたのかもしれない。ステーションの人間は、当初、「お客」を「海」が人間の思念を実体化したものと考えます。しかし、本当は「海」が自分自身の人間に対する理解度を測るための造ったロボットであり、ステーションの研究員が、ソラリスの海を知るために行った実験のように、「海」もまた、人間を知るための〝実験〟と〝観察〟を目的として送り込んできていたものだったのかもしれません。……しかし、人に近い思考の過程をたどっていた可能性があるからといって、「海」と「人間」との接触が最終的に成功するかどうかは、この物語では語られていません。というのも、"人間には理解不能な異星の生命体"を鏡にして、人間の認識の限界やそれ自身を描こうとするのが、この作品の目的だったからです。
雀部 >  まさにそうなんですが、私的な感想としては、ソラリスの海はフェヒネルの脳を走査し研究する過程において、心ならずも人間の思考方法を取り込んでしまった(影響された)ように思えました。
 ソダーバーグの映画に対するレム氏の評価はどうなんですか?
栄村 >  これは、2002年の12月、スタニスワフ・レムが「ソラリス」公開前にポーランドの彼のサイトに載せた文章の全訳です。読んでみると、なかなか興味深かったので、自分なりに日本語に翻訳してみました。

 「ソラリス・ステーション」
 このタルコフスキーの映画のリメイク版が初日に公開された後、アメリカの新聞に現れた多くの批評を読んだが、意見の相違と解釈は非常に大きかった。アメリカ人は、いくぶん学校の子供たちの試験答案みたいに映画に「成績」をつけた。そのため、ソダーバーグのソラリスに「A」を与えた批評家がいたが、大多数は「B」で合意していた。また若干の者が「C」を与えた。

 「ニューヨーク・タイムズ」をはじめ、映画評論家の幾人かは、映画が宇宙を舞台にした「ラブ・ストーリー」だったと主張している。私は映画を観ていないし、脚本もよく知らないので、映画レビューが映し出したーあたかも波紋の立った水面に映し出された、なにかはっきりしない顔の像のようなものー以外は、映画について何も言うことができない。しかし、間違いなく、小説は宇宙での人間たちの恋愛問題を目的として書かれたものではない……。

 ソラリスの創作について筋の通ったことは何も言えないー小説は前もった計画がなかったどころか、結末さえ非常な困難をともなって、どうにかして「自分から流れ出た」のである。しかし、作品を書いてから40年以上が過ぎたので、今日からはもうすこし客観的で、筋の通ったやり方で理解するとしよう。私は世界文学の高い領域に位置している他の作品に、類似性を見つけることができる。メルヴィルの「モービー・ディック」が例として役に立つと思う。あの小説の上層は捕鯨船の歴史とエイハブ船長の破滅的な白鯨の探索が記されている。はじめ、批評家はこの小説を無意味な失敗作であるとして打ち砕いた-つまるところ、たくさんの鯨肉の切り身と動物性脂肪の詰まった樽になる鯨を、なぜそれほど船長が気にするのかということである。結局、たいへんな分析的努力のあとで批評家たちは、「モービー・ディック」の主旨が、鯨の油や銛でさえもなかったことを発見した。もっと深い象徴的な層が見いだされたので、メルヴィルの作品は図書館の「海の冒険」セクションから取り除かれ、別のところに移されたのである。

 もしソラリスが、ひとりの男性から女性への愛を扱ったものならーたとえ地球上であろうと宇宙であろうと-物語は「ソラリス」と題をつけられなかっただろう! アメリカ国籍を取ったハンガリー人で、文学を専門に研究しているイシュトヴァーン・チチェリ・ローナイは、彼の分析の中で「あの本はエイリアンだ」と叫んだ。まったくそのとおり。「ソラリス」で私は人間でもヒューマノイドでもない存在形態と宇宙で遭遇する問題を提示しようとしたのである。

 SFでは、いつも異星人たちが、ある種のゲームを私たちと行っていると想定し、そのルールは遅かれ早かれ人間側に理解される(ほとんどのケースにおいて、「ゲーム」は戦争における戦略だった)しかしながら、私は自分が生み出した創造物、すなわち、ソラリスの海を人間になぞらえようとするすべての糸を切ることを望んだ。そのため、海は奇妙な方法をとったにもかかわらず、コンタクトでは人間や対人関係の様式を理解することはできなかった。私が小説の中で使った方法は、百年以上にわたって惑星ソラリスと、その表面をおおう海に関心を持ち、研究してきた人たちの結末を詳細に説明することだった。

 ソラリスの海は「思考する」のか、あるいは「思考力を持たない」のか、話すべきではないが、海はっきりと活発に動き、若干の自発的な活動も行っていた。なにかをおこなう能力を持っているものの、それは人間の考える領域とは完全にかけ離れていたのである。やがて、表面でもがく小さな蟻たちに注意をむけたとき、非常に過激な方法をとった。表面上確立された習慣、つまり、社会的な慣習や言語のかたちを取ったコミュニケーションといったものを貫き、自身の方法でソラリス・ステーションの人間たちの心に入り込み、彼らがそれぞれ深く隠していたものー非難されるべき罪悪、心の奥に追いやられた過去の悲劇的な出来事、秘密と恥ずべき願望といったものーを露わにしたのである。いくつかのケースでは、読者は、なにが明らかにされたか知らされないままの状況におかれる。だが、我々が知っている事は、それぞれのケースにおいて、ソラリスの海が生み出した存在と隠された秘密がつながっていたということである。海の行為は科学者のひとりを苦悩に追いこんで自殺させ、他の者たちをそれぞれ孤立に追い込む。クリス・ケルビンが初めてステーションに到着したとき、なにが起こっていたかを理解することは不可能だった:すべては隠されていたのである。そして彼はファントム(妖怪)のひとり、リード・スカートの大きな黒人女性(おそらく自殺したギバリヤンと対立していた者なのだろう)と廊下で遭遇する。

 ケルビンの無謀さと過去の軽率な行動は、彼の最愛の女性ハリーの自殺を妨ぐことができなかったことである。彼は彼女を地球の土に埋めた。そして、ある意味で同じように彼女を自分の心の中に埋めたのである。海が彼女を造りソラリス・ステーションにもどすまでは。

 ソラリスの海は自分自身のやり方に固着しているように見える。海が送りこんだ創造物、一種のステーションの科学者たちの自責の化身は、取り除くことができないばかりか、彼らを宇宙空間に送っても戻ってくるのである……。ケルビンは最初、ハリーを殺そうとたが、後に彼女の存在を受け入れ、そして地球上で捨てた役割を演じようとする-すなわち、彼女の最愛の人という役割を。

 惑星ソラリスのビジョンは私にとって非常に重要だった。なぜ重要だったのか? 
ソラリスの惑星は単にゼリー状の物質に覆われた天体ではなく、非人間的なものであるにもかかわらず、活動する存在であった。それはいかなる我々の言葉に翻訳可能なものを、造ったり築いたりしなかったが、まるで"翻訳の方法を説明している"みたいだった。そのため、説明はソラリスの海の自我内部の働きについての分析(明らかに不可能な仕事である)によって置き換えられなければならなかった。これは〈対象物〉、〈非対象物〉や〈擬態〉など、聳え立つ奇怪な半建築物に対して、科学者たちは理解することが不可能であるという事態を引き起こした。彼らができたのは、数学上細心の注意を払ってそれらを記述することだけだった。そして、記録の収集は拡大してゆくソラリス関連の図書館の唯一の目的となった。百年以上にわたる努力の結果がフォリオサイズ本に収録されたが、それは人間ではなく人間の理解を超えたものだった。いいかえれば、人間の言葉ではなく、他のなにかに翻訳できるものなのかもしれなかった。

 映画評論家のひとりは、タルコフスキーのソラリスの方が好きで、もう一度見たいと告白した。他の評論家たちは、プロデューサーが大金を儲けるつもりや、切符売り場に行列ができることをを望んでいないとはいえ、映画自体がいっそう野心的なサイエンス・フィクションのジャンルに属すると考えた-というのも、誰も殺されなかったし、今までに公開されたスター・ウォーズや、スペース・ワーウルフや、シュワルツネッガーのターミネーターといったものでもなかったからである。

 合衆国では、いつも大きな期待でかたまったムードで新作映画の公開がおこなわれる。私は自分の書いた小説がまったく古いー今から見ればほとんど半世紀前を意味する事柄が多いし、またプロットが前述の期待に添ったものではなかったにもかかわらず、誰かがリスクをとることを望んだことに興味を引かれた。(映画化の途中で、彼はちょっと怖がったかもしれないが、これは私の純粋な憶測である)

 小説は悲劇的結末に終わる。少女はみずからを自滅させることを望んだ。彼女が心の底から愛したのは、なにか未知の力がその研究対象としている存在であって、自分がその力を助けるただの道具となるのを望まなかったのだ。彼女の自殺はケルビンに知られずに行われるーー宇宙ステーションの住民のひとりの助けを借りて。ソダーバーグの映画はおそらく異なった、より楽観的なフィナーレを持ってくると思う。この場合、アメリカ人のSFに関するステレオタイプの考え方を認めることを意味するだろう。ハッピーエンドであろうと宇宙的なカタストロフであろうと、そこには避けることのできないコンクリートの深い轍のような、考え方の隔たりがあるように思える。これが幾人かの映画評論家がレビューの中で失望した理由かもしれない。もっとも、彼らはソラリスの海によって創造された少女が、復讐の女神や、魔女、妖術師に変貌して、主人公を打ち滅ぼす間、彼女の腸から蚯蚓のような虫と汚物が這い出すことを期待していたのかもしれないが……。

 ソラリスは来年のベルリン映画祭で上映された後、ポーランドで公開されるだろう。ポーランドの配給者たちは映画のコピーを手に入れたが、それほど私は熱心に見たいと思っているわけではない。

 ソダーバーグが私の小説の映画化を始めたという情報は、いろんな国の出版社の興味を引きはじめた。ドイツの大手メディア企業 Bertelsmann がソラリスの版権を引き継ぎ、他方、デンマーク、ノルウェー、韓国、シリアからアラブの出版社がタイトルに興味を示した。いくつもの出版社が私の他の作品についてたずねてくる。しかしながら、このすべてはただの副産物であって、小説それ自身には何の関係もない。

 要するに「ソラリス」の著者として、繰り返すことを許されるなら、私はただ確実に存在する何かと人間との遭遇のヴィジョンをつくろうと強い態度で臨んだものの、人間の持つ概念、観念、あるいは想像というものの領域にそれらを引き下げることができなかったということである。

 これが小説を「宇宙の愛」ではなく、「ソラリス」と題をつけた理由である。

Stanislaw Lem, December 8th, 2002
スタニスワフ・レム、2002年12月8日

(訳注:イシュトヴァーン・チチェリ・ローナイ:アメリカ、インディアナ州 DePauw 大学の英文学と世界文学の教授。SFにも造詣が深く、フィリップ・K・ディックのアンソロジーを編集し、サイバーパンク、東ヨーロッパのSF、ポスト・モダンSFについて多くの論文を書いている )

原文をご覧になりたい方は、こちらのサイトを参照してください。レムのホームページです。
http://english.lem.pl/arround-lem/adaptations/soderbergh/147-the-solaris-station
雀部 >  やはりレム氏は、満足してないな(笑)
 "引き下げることができなかった"ということを描きたかったんですよね(^o^)/
 実際の映画を見られた感想はいかがでしょうか?
栄村 >  彼なりに作品のテーマのひとつに真剣に取り組んでいるので、この点は評価したいですね。ただ、ソラリスとのコンタクトが成功したり、それを表現するためにミケランジェロの「天地創造」の構図をもってきたのや、あの奇妙なハッピー・エンドには大きな違和感を感じますが……。
 ラストシーンですが、本当のケルビンはすでに死んでおり、コロイドの大洋が最後の彼の思念を実体化し、ソラリス上で彼の複製を造りだしたのか? あるいはプロメテウス・ステーション内で、ケルビンが夢現(ゆめうつつ)の状態で死んだギバリヤンと会話するシーンがありましたが、この場面を伏線として彼自身、不可解な方法でソラリスに取り込まれ、いわば転生みたいなかたちでその一部となったのか?
 どちらにせよ、もしこの後で、タルコフスキー版のように、ソラリスの海にケルビンの住んでいた街の一部だけが再現されている場面があったとすれば、また違った印象の結末になったかもしれませんね。(インターネットで公開された脚本の草稿には、このシーンが描かれていたのですが、削られたみたいです)
 画面をじっくり見ていると部分的に原作を細かく読み込み、ソダーバーグ独自の解釈で絵にしてる部分も結構ありました。
 たとえば、ソラリスの表面で起こるストリング状の発光体は、活動している脳のシナプシスの顕微鏡撮影を見ているようなイメージを持ったのですが、これは原作の「生きている脳」というイメージを映像化したものでしょうか。そうしてみると、最後の方でプロメテウス・ステーションがソラリスに引きずり込まれていくシーンも、巨大な脳神経の中にイメージとして取り込まれていくような印象さえ持ちました。
 この映画、光と影を使って登場人物の微妙な心理を細かく描き出していたし、ソラリスの海によって実体化されたレイヤを通して、人間の行動を奥底から決定づけるもの、そして自分の内部にある他人の印象というものが、過去の曖昧な記憶の集積の上に成り立っているのではないかというソダーバーグのメッセージも鋭かった。
 しかし、そういう人間を生み出したこの宇宙の不可解さ、そして、その中で生きてゆかねばならない者の運命を示す意味で、二重太陽の下、さまざまな擬態や不可思議な構築物を造り続けてゆくソラリスの海の神秘的な映像が観たいと思いました。(ソラリス自身、原作ではこの宇宙の不可解さの象徴みたいな面がありましたから)
 でも、先に述べた人間の脳ー心、そして記憶の問題がソダーバーグの選んだこの映画のテーマであるとしたら、彼はソラリスを海洋惑星として描くより、宇宙に浮かぶひとつの巨大な生命体ー意識体として表現することで、メッセージを視覚的に観客に提示したかったのかもしれません……。
 いずれにせよ、濃い内容なので、原作をじっくり読み込んでいない人には、少し敷居が高いかもしれませんね。
雀部 >  う~ん、ご本人に直接聞きただしてみたいものです(笑)
 NHK(BS-hiとBS2)「名作平積み大作戦 妻への愛」で、大森望さんが『ソラリス』について熱く語っていらっしゃいましたが、やはり普通の読者に読んでもらうにはこういう切り口も必要ではないかと思いました。ソーダー・バーグ版の『ソラリス』に近い紹介の仕方かも。
栄村 >  昔、自殺した奥さんが、男やもめになった主人公のもとに、もし現れたらという紹介の仕方ですか……。 
 ふと、思ったんですが、主人公が再婚していまの奥さんと一緒にソラリスに来たところに、死に別れた奥さんが出てきたら、いや、いまの奥さんを地球に置いたまま来てたとしても……。こりゃ、どちらにせよ、宇宙の修羅場ですな(笑)。もっとも、だんな様の潜在意識を、ソラリスが実体化してたなんて、奥さんにバレれたら、もうこりゃ、致命的だ(笑)。下手をしたら死んだ奥さんと共同戦線を張って、吊るし上げにくるかもしれない(笑)。二人がかりの集中砲火に曝される主人公を、スナウトとサルトリウスがウンザリした顔で見て……喜劇ですな(笑)。
雀部 >  喜劇というと、WAHAHA本舗の「ワハハのスペース珍道中」(ソラリス風呂ってネタがあった)には爆笑しましたけど。『ソラリス』、けっこう有名じゃん(笑)
栄村 >  宇宙船の中で、ソラリスの海の水で風呂を焚き、はねを伸ばしていたら、「想念」「妄念」「邪念」が実体化して現れてくるという、あのお芝居ですか(笑)。お話がどんな結末になったのか知りたい(笑)。
 実はこのモチーフをうまく江戸の人情話に生かした作品があるんですよ。
雀部 >  な、なんと(笑)
栄村 >  「江戸妖かし草子 海野弘」(河出書房新社刊)という短編集の中の「化物宿屋」という一編です。牛蒡金平(ごうぼうのきんぴら)という戯作者が、風呂桶をつくる渡り職人から、上州のある温泉にえたいのしれない化物が出るというはなしを聞きつけます。
 「それが、なにか出るらしいんですが、見た人はなにが出たか一言もいわずに帰っていくんだそうで、なにもわからないそうです」
 「よっぽどこわいのかね」
 「さあ、どうですか。ある人はまっさおになってふるえて帰っていくと思えば、ある人はにこにこ笑って帰っていくというように、人それぞれで、いろんなものが出てくるらしいですね。なにが出たか聞いても、みんなかたく口を閉じているといいます。それでも、こりずにまた来る人も結構いるんだそうで」(本文12p)
 そこで、この牛蒡金平さん、化物見物と暇つぶしをかねて上州へ出かけます。山の奥にあるくだんの宿は、なんのへんてつもない宿で、あたりのいい主人と、白い湯気が立ち上る露天風呂、そして、客用の数件の小屋があるだけ。本人はだまされたかと思い、のんびりと湯に浸かって、その夜を迎えるのですが……。深夜、誰もいないはずの露天風呂から、だれかが上がってくる気配がし、かさかさという足音が彼のいる小屋の方へ近づいてきます。やがて彼が見たものは……。このはなし、怪談じみた場面から人間の心理が浮かび上がってくるし、また、良心に訴える場面もあって、読後感は決して陰惨なものではありません。江戸の人情話としては、なかなかおもしろい作品になっていますよ。
雀部 >  それは一度見てみたいかも。
 さて、レム氏の異星生命体とのコンタクトを扱った作品は、刊行予定の『フィアスコ』を含めて、都合五作あると考えてよろしいですよね。
 私的に、分かりやすい順番に並べると(SFファンにお勧めの順番でもありますが)
『砂漠の惑星』>『ソラリス』>『エデン』>『天の声』(『フィアスコ』は除く)
となるのですが、栄村さんはいかがでしょうか?
栄村 >  コンタクト・テーマを扱った作品は、英語や日本語に翻訳されていない初期の短編や長編を含めると、これ以外にも結構ありそうです。第二次世界大戦が終わった翌年に書かれた彼の処女作「火星から来た人間(46年)」からして、このテーマを扱っています。これは1940年代後半のアメリカを舞台に、私的に資金調達をされた科学者のグループが、火星から飛来し、墜落したロケットの残骸から地球圏外生物を発見する話です。主人公は科学知識のあるフリー・ジャーナリスト。登場する知的生命体も機械と生体の複合体であり、イギリスのSF番組「ドクター・フー」に出てくるダーレック(Dalek)に似た姿をしているそうです。その後、書かれた長編デビュー作である「金星応答なし(51年)」も、異星人は最後まで姿を見せないものの、地球人がはじめて遭遇する地球圏外の文明が描かれていますね。日本で出版されたコンタクト・テーマの長編を発表順にならびかえると
「金星応答なし」(51年)>『エデン』(59年)>『ソラリス』(61年)>『砂漠の惑星』(64年)>『天の声』(68年)>『フィアスコ』(87年)
となりますが、短編にもコンタクトを扱った作品があります。代表的なのは「迷路の鼠」「侵略」「アルデバランからの侵略」「手記」で、どれも69年にポーランドで刊行された「選集」に収録されています。日本では1980年に、講談社文庫から「すばらしきレムの世界(深見弾訳)」として二巻に分けて出版されたのですが、残念なことに今では絶版になっています。
   


[雀部]
ハードSF研所員。レム氏の作品はいっぱいあるので、読み返すだけで他に何も出来ない。あ~ぁ(汗)
[栄村]
「小松左京マガジン同人」ならびにコマケン会員。海外の古代遺跡を観て歩くのが趣味。フィリップ・プルマンや上橋菜穂子などのファンタジー&ホラーに入れ込んでいます。



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