銀河皇帝になりたくて(2)
小林 蒼
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こんばんは。カヅキ・ミコトです。きょうは、あれからのことをざっと振り返りたいと思ってキーボードを叩いています。
結論から言うと、宇宙アリはみんな駆除しました。
命からがら助かったことよりも僕に目覚めた魔力って一体なんだということを話す必要がありますよね?
宇宙アリに囲まれて襲われたところで僕の拳にはある力が宿ったんだ。恐るべき力でパンチを繰り出し、宇宙アリを吹き飛ばした。これって何の冗談なのだ? はっきりと分かるのは、宇宙アリは僕の力に怯えていることだけだった。
僕は追撃した。
宇宙アリの顎を砕き、首を取った。
こいつらは続々と中から湧いて出てくる。殴って蹴って殺してまわった。幸いギルベルトは気を失っていて僕の姿を見ることはなかった。
アリの巣穴を壊滅させた後、ギルベルトとセシリアを背負ってキャンプへと戻った。僕には傷一つなかった。ギルベルトが気づいたとき、僕は説明に困った。まさか拳ひとつで宇宙アリを壊滅させたなんて言えるはずがなかった。討伐訓練が役に立ったとかなんとか言って誤魔化した。
魔力のことはキャンプに引きこもって調べることにした。
ここに小石がある。
小石を三次元の空間の位置座標内にイメージして重力から解き放つ、そんなイメージをした。
小石はふわふわと空中に浮いた。
僕はこの不思議な力を「魔力」だと思った。超能力や異能力、呼び方はなんでもいいけれど、そういう力が僕に宿っている。その力を保持するのは僕のイメージ力だということにも気がついた。魔力はいわばプログラムのコードみたいなもので順序良く配置することで力を発揮する。ならば機械的なコードで構成されているセシリアも僕の魔力を注いでやることでさらなる力を発揮するだろうと思った。
宇宙船でセシリアを修理して眠っているあいだ、彼女の体に魔力を注ぎ込む。彼女に魔力が充填された。彼女の膂力が格段に上がっただろう。この結果はあとで観察することにしよう。
僕は夜になってまたアリの駆除に向かった。それから二週間後、惑星ジィジィーの宇宙アリは完全に駆除された。ギルベルトは目を丸くしていた。なんて言ったってついこの間まで劣等生だった僕が惑星丸ごとの宇宙アリを駆除してしまったんだ。一大ニュースだ。ギルベルトは僕に行政院で働かないかと誘ってきたけれど、僕は断った。僕は銀河皇帝になる器なんだ。
惑星ジィジィーとその隣の惑星バァバにも宇宙アリの巣穴がある。宇宙アリの掃討作戦を始めよう。僕は死ぬことがないのだから。
そうして僕の宇宙アリの討伐ミッションは新たな局面を迎えた。行政院の院長から賞状をもらえるほどに僕は活躍した。アリハンター、ミコトさんの名前は宇宙のハンター界隈で一躍有名になった。僕は鼻高々といった具合で今日も宇宙アリの討伐へ出かける。惑星マァゴ、惑星ヤシャゴゥなどさまざまな星でハンターとして活躍した。
(ちょっと待て、ちょっと待て。僕は銀河皇帝になるのだ。ハンターとして大成してどうする?)
僕は銀河じゅうの宇宙アリをほとんど滅ぼしてしまった。
仕事がなくなってふたたびランク表を眺める。ランク表には中難易度の項目がいくつか載っていて僕はある項目に目を奪われた。
小都市の壊滅!
そうだ、そういう悪役らしいことをしなくちゃ。僕は銀河皇帝になるのだ。それだ、それにしよう。小都市の壊滅、むかしゾンビが出てくるゲームでやったよなぁと思い出した。まずは橋を落として町を孤立させるのだ。そして住民を扇動して互いに冷静にさせないようにする。そうして生物兵器のゾンビウィルスに感染させて内部からじわじわと壊滅させていくのだ。
面白そう!
僕は町選びを始めた。町はなんらかの閉鎖的な町がいい。交通の便が悪い小都市を狙う。いくつかの候補地を思い浮かべるとリストをもう一度眺めてみる。さいごはダーツを放って運に任せた。
候補地はローリエスに決まった。銀河東南中心星アルヴァンシア、二級都市だ。町は森に囲まれていい感じに孤立していた。産業レベルは地球の中世程度。しかし輸入品で拳銃が出回っている。専らの主要産業は観光で古代遺跡が近くにあったり、中世風のお城があったりする。
僕はとりあえずアルヴァンシアへ降りてセシリアとともに情報を集めた。ローリエスは人口十九万人の都市とはいえ、昼間から出歩いている人間は少ない。僕はセシリアにマップを見せてもらいながら食堂でアクアパッツァを注文した。
食堂の店主を洗脳していろいろと話を聞き出した。傍から見たら和やかな談話に見えただろう。
ローリエスにはマイエヴァラという名領主がいるらしい。彼には一人娘のレオノーラがいて、近々結婚の予定だという。ローリエスの力を盤石にするための政略結婚だった。僕はすこし考えて、マイエヴァラ城へと向かった。
「ミコト、何を考えているのですか?」
セシリアに尋ねられて答える。
「就職先だよ、まずは就職しなくちゃ」
「銀河皇帝が働きに出るのですね」
なにを笑っているんだ。僕は真面目だぞ。
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「どうも~、カヅキ・ミコトです。家庭教師の売り込みに参りました」
城の人間はこちらを怪しげに見ている。というか眉を顰めている。その目を睨む。催眠洗脳だ。
『あ~、そうですね。午後からのご予約が入っていましたね』
予約なんてものはしていないが、入れたから良しとしよう。
ロビーに通されるとお嬢様とメイドが座って談笑していた。
僕たちに気づくと不審げな視線を向ける。
金髪の子がレオノーラか。メイドはあとで名前を聞くとしよう。
「レオノーラお嬢様、初めまして。カヅキ・ミコトです。家庭教師に参りました」
「かていきょうし……?」
ニーナが割って入ろうとしたところで催眠をかける。
『お嬢様、そういえば家庭教師をこの方にお願いしていました』
「そ……、そうなの?」
「お嬢様、すこしよろしいですか?」と僕。
レオノーラを奥の窓際に立たせてレオノーラに催眠をかける。帰ってくるとレオノーラの目がハートになっている。僕にたいして無意識に好意を抱かせる催眠だ。セシリアが僕に、
(ミコト、コンプラ的にどうなんですか?)
(銀河皇帝が法令を遵守して、どうする?)
(まぁ、それもそうですが……)
こうして僕はお城にお勤めすることとなった。お城のなかへ入り込んだのでマイエヴァラ公にも催眠をかけて色々と調べて回った。
アルヴァンシアのマクスニス国王ビヒャレスは暗主であるらしい。隣国キルヘスとの関係は悪く、和やかに国々を治めることを第一とするマイエヴァラ公とはよく衝突していた。そのうえ、軍備の増強を図っているらしく、
「銀河連邦政府から宇宙戦艦一隻を借り受けました。国王は何を考えておられるのか分からない……」
宇宙船一隻で国家レベルの戦争がどうなるわけでもないというのが宇宙の常識だが、このような文明レベルの低い国ではオーバーテクノロジーである宇宙船は最大の戦力だろう。
マイエヴァラ公の憂慮も推して図るべし、だ。
僕は外へ出てみる。日はだいぶ高い。すこし城のまわりを探ってみよう。
森というのはとても広いし、なかは暗いなぁ。奥で誰かが泣いている。レオノーラだ。どうしてここに彼女がいるんだろう?
「み、ミコト……?」
「やぁ、レオノーラ。どうしたんだい?」
「ブローチを森で落としちゃって……」
「それは大変だ。いっしょにさがそう」
僕たちは森のなかで共にブローチを探した。女神をあしらったブローチだというので草むらに落ちていればすぐにわかるだろう。僕は魔力で探索を試みる。魔力も流石にヒントなしで探すのは難しいか……。
頭上にカラスが飛んでいく。鳴き声を聞いているとカラスは枝にとまった。そうだ、カラスに魔力を注ぎ込むのだ。そうして催眠をかけた。
カラスは光るものを気にするから彼に任せれば簡単だろう。
見つけた。
ブローチを拾うとレオノーラに渡す。彼女は喜んだようだ。
レオノーラとふたりで森を出ると日が傾き始めていた。僕は彼女の肩を優しく抱き、城へと歩いて行った。
僕はその夜、計画を立てた。簡単なテロの計画だ。城の地図はセシリアに任せて作ってもらった。城を攻略するのは容易いだろう。イメージを固めようとしたとき、部屋の扉がノックされた。
時刻は十一時。こんな時間に誰だろう?
「レオノーラです……」
意外な人物の登場に驚く。
「……お嬢様でしたか」
「そ、そのブローチを探してくれたお礼にこれを……」
クッキーだった。甘いものは助かるなぁ。
「ありがとう、頂いても?」
「ええ」
「おいしいっ! こんなに美味しいもの初めて食べたよ」
「そんなこと……」
レオノーラは顔を真っ赤にした。彼女は中へ入ろうとしてきたので、すこし片付けると言って計画書を仕舞った。面倒くさいなと思って催眠で会話をしたということにしようと思ったけれど、流石に人間としてどうかと思ったので会話をした。レオノーラの政略結婚の話になった。
「私ね、結婚するの。でも結婚したくない。好きでもない人となんて嫌」
「そうなのですね、ほかに誰かお相手がいらっしゃるということですか。気になっている相手とか」
「そ、そんな人はいないわ。でもあなたみたいに優しいひとがいい」
優しいか。この都市を転覆させようとしている僕を、そう表現するのはすこしだけ心が痛む。
「あのね、私が大人になったときのことを話したいの。ローリエスに産業を栄えさせるの。鉄鋼業や工業を広めて都市を豊かにするの。お父様はそんなこと考えてらっしゃらないから、私の代でそうしたいの。だから勉強する。ミコトも協力してちょうだい。私がローリエスを観光の町から強い町にする」
レオノーラは強い子だった。彼女の成長はローリエスの発展に寄与するだろう。それまでローリエスがあれば、だけれど。十四の子どもの決意を踏みにじるのは気が引ける。ただ、世界を動かすために、踏みにじられる人間側が、その最初の人間が彼女みたいな善良な子どもだったというのは僕みたいなおじさんにとっては悲しい。
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「ミコト、ミコトってば……」
もう、あなたってほんとうにおっとりしているわね。グズなのかしら。そう言いたい気持ちもあったけれど淑女らしく黙っておいた。
ミコト先生は私の家庭教師だ。数学・国語・英語・理科を教わっている。週五日いつでもいっしょだ。私はミコトが好き。彼もとくに何も言ってくれないけれど、私が好きなのだろう。
ここは人口十九万人の都市、ローリエス。お父様が統治している領地だ。都市の周りは深い森に覆われていて、空気は甘い香りを持っている。私たちはほとんどローリエスから出ることはない。それが私たちの人生で生活だ。おとなしく、清く、正しく……、いいえ。
淑女たるもの男子と野球するべからず。お父様はよく言うけれど今日は晴れていて気持ちがいいからバッドを振り回したくなる。ぶんぶんと素振りしてから幼馴染のジャービーがボールを投げた。緩い速度の球を私は森のむこうへと打ち返す。ジャービーが泣き顔になって訴えてくる。男子たるもの、堂々とあれ!でしょう?
メイドのニーナはいつも私に手を焼いて、いや優しくしてくれる。私の髪を梳かしつつ、レディの心得を懇切丁寧に教えてくる。ニーナは真面目で良い人だけれど、こういうところは苦手だ。
「いいですか? お嬢様。私の申し上げました通り、淑女はおしとやかでなければなりませんよ……」
わかってるってば。何度も耳に胼胝ができるくらい聞いたこと。私はおしとやか、おしとやか、そう心に刻んでおくの。
外の明かりが差し込む廊下からグラウンドを見下ろすと、ジャービーが剣術を習っている。いいな、という羨望が胸に残って私は無視して歩き出す。お城のなかは私一人の生活じゃ、退屈なのだ。
自室に戻ると写真が一枚ある。その写真はお父様が決めた許嫁のもので、ハンサムだけれど気障ったらしいその横顔が私は気に食わない。男子たるもの、いいえ、理想はもっと優しい人だ。柔和な笑顔が素敵な人がいい。そう、たとえばミコト先生みたいな人が。
鏡を見る。金色の髪が映っている。そして白い肌と青い瞳。私の歳がもう三つ、あるいは五つ高ければ私はあの人に相応しい人になれたのだろうか? 私はため息をついた。
カーテンを開ける。光が部屋に飛び込むと、憂鬱な気分を消し去るために私は外に出た。
花壇に水を遣るニーナが見えた。
声をかけようとしたらミコトがニーナに話かけた。ふたりの様子は和やかでいい雰囲気で、私はそれが気に食わない。そこへずかずかと入り込んでいくのも違う気がする。見ているしかなかった。
ニーナは私に気づいて視線を送ったけれど、私はそこから去った。
「お嬢様、あれは違うんですっ……」
ニーナは私に言った。ペコペコしながら謝る。その姿がどこか可愛らしくて抱き寄せる。いいえ、あなたは悪くない。私がすこし良くなかった。ニーナは安心したようだ。彼女は私の気持ちを知っている。
勉強部屋へ向かうとミコトが立っていた。手には林檎が握られていて、彼はどうやら林檎を剥いているらしい。ナイフを持つ手がぎこちない。
「痛っ……」
ほら、言わんこっちゃない。救急箱は戸棚のうえだ。彼を手当てしなくっちゃ。不器用な人だ。かわいい。
ふたりで林檎を食べる。その味は甘くて美味しく感じた。
私たちは勉強を始める。夕方になって勉強が終わると、ミコトは教科書を纏めて部屋から出ていく。彼の柔らかな背中を抱きしめる。だいすきだからだ。
「こら、レオノーラ。離してくれよ」
「離さない~」
甘えた声で言ってみた。
「甘えん坊だ。だったら!」
彼は私をくすぐった。
「やめて、やめてったら……アハハ」
ミコトとの時間はいつもあっという間。
私は夕食を済ませるとお城の探検に出かける。長いこと住んでいるとは言え、知らない場所も多い。
私はお城の地下室へと歩いていく。蝋燭の火が揺らめいている。
暗く、静かな地下室には隠し部屋があった。
私は興奮して隠し部屋のなかへ忍び込む。七八平方フィートほどの広さで壁は本棚が立てかけられており、小さな机の上に日記帳があった。
お父様の日記だった。お父様のお仕事はローリエスを治めることだけれど、ときどき国王の城へも行くことがある。この日記はいわばお父様の国王に対する愚痴だった。国王はとにかく気難しいひとだとか、メンヘラだとか、挙げ句の果てには国王に向いてないだとか、そんな言葉が書き並べられていた。私は威厳あるお父様がこんな泣き言を言っていることを知って少し落胆した。
私は日記帳を閉じた。隠し部屋から出て、私が入った痕跡を残さないようにする。そうして私は部屋へ戻った。部屋にはあの許嫁の写真があって私は気にしないようにしながらベッドに座る。そのまま横になった。仰向けで天井を見上げると、天井の模様がぐるぐるとした。私の世界は不安定だったんだ。そんなことを思った。
お父様と国王は仲が悪いんだ。外から見れば良好な関係のように見えていた。彼らは、いいや、大人ってそんなものなんだ。だったらミコトはどうなのだろう? 彼も大人だけれど同じ? いいえ、違う、違う。彼は特別。
あれは少し前の話だ。森で遊んでたいせつなブローチを落としてしまった。一生懸命探したけれどどこにもなかった。そこへミコトがどこからともなく現れていっしょにブローチを探してくれたのだった。彼は私の泣き出しそうな気持ちを宥めて、優しく微笑んだ。「いっしょにさがそう」と。
私たちは森のなかでブローチを見つけた。私の隣にいたひとは私の特別になった。
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ひとつの月が新月で、もうひとつの月が見えた。きょうはひと暴れしよう。僕はセシリアを呼び寄せた。
ローリエスは平穏で静かな町だ。僕にとっての銀河そのものの象徴だ。反体制組織、闇の騎士団を招集した僕は、そのなかでも数人を僕の手足となる奴隷に仕立て上げた。催眠状態に陥った彼らは僕の言うことをなんでも聞く。それが火だるまになって城門に突撃せよとの命であっても。
門を守る騎士たちが慌てふためくなか、僕たちは城へと堂々と入り込んだ。
12
外が騒がしい。きょうは少し暗い夜だった。部屋の扉が開いてニーナがやってきた。
「お嬢様、お逃げください!」
「何事なの?」
「テロリストです。場内に複数の実行犯が侵入しました」
「お父様は?」
「旦那様はもう……」
私は口を覆った。そんなお父様がお亡くなりになるなんて……。
ニーナは私の手を取って裏口へ向かう。廊下で銃の音がした。私の現実が崩れていく。ジャービーもどこかで死んでいるとしたら……。恐ろしくなる。呼吸が荒くなり、心臓が不気味な音を立てている。
目の前に外から侵入してきた男が立ちふさがる。引き返そうとすると後ろにも。ニーナは懐から銃を取り出した。構えると発砲する。弾丸は男に当たらなかった。
パンと銃声がして反対にニーナの頭部が揺らいで彼女が死んだ。
「ニーナ、そんな……」
涙が止まらなくなる。なんてこと……、なんてことだ……。
私は俯きながらも必死で理性を保った。そこへミコトがやってきた。
「ミコト?」
「レオノーラ、いい夜だね」
「わけがわからないよ。ミコト、何を言っているの? あなたはどうしてこちら側ではなくあちら側にいるの? ニーナは死んでしまって、お父様も死んでしまった! 私は死ぬの?」
奥から少女がやってくる。彼女の影が揺らめいたと思ったら、私の頭蓋が揺れる。殴られたのだ。重い力で頬を叩かれ、失神しそうになる。
「おっとセシリア。殺すな」
「はい、ミコト様」
冷たい雨の音のような冷酷な声だ。ミコトは私に言った。
「レオノーラ、君の気持ちは知っていたよ」
「この期に及んで何を言い出すの? 私の気持ちなんてもうないわ! 失望だけが胸にいっぱいに広がっているわ。私の世界を返してほしい。ミコトもほんとうの姿を取り戻して!」
「それは、偽りだよ」
「え? なにを言ってるの? ミコト、お願いだから優しい心を取り戻して!」
「レオノーラ、ここにナイフが一本ある。どちらかを選べ」
ぬらりと煌めくナイフが手渡された。くやしい。その意味もわかる。私はどちらを選ぶか。決まっている。私はミコトからナイフを奪い取り、彼に突き刺した。ところがナイフは硬いなにかにぶつかった。ナイフははじけ飛び、私の頬をさっと切った。だらりと私の頬から血が流れる。
「う……、うぅ……」
熱い。
「そうか、それが君の気持ちか」
外から泣き出したような雨音がし出した。
「さいごにお願い。好きだって言って。あの日々に私を返して……」
「好きだよ……レオノーラ。永遠に眠れ……」
私の意識はそこでついえた。
13
ローリエス壊滅の報せは国王領ポリャコフへ響き渡った。国王が唯一信頼するマイエヴァラとその家族が亡くなり、娘のレオノーラも意識不明の重体とのことで、国王ビヒャレスは悲しみに暮れた。
ビヒャレスはローリエスへ兵隊を送ったが、ローリエスは町ごと壊滅状態にあり、実行犯が皆自害しているという惨状に言葉を失った。
事件を企てた人物を探したが、見つからなかった。
一か月後、ビヒャレスはかねてより緊張状態にあった隣国キルヘスとの書簡で返事に困っていた。こんなときにマイエヴァラがいてくれれば、ビヒャレスの気性を諌めて、和解を持ちかけるだろう。だがビヒャレスは怒りに燃えていた。怒りはすべてを焼き尽くす。七つの大罪のひとつだ。
ビヒャレスはキルヘスとの戦争を決めた。ポリャコフ南西のトルルイベ川で行われた、世に言うトルルイベの戦いである。トルルイベにはビヒャレス側、一万の兵隊とキルヘス側、三万の兵隊がぶつかり合った。戦いは六時間にも及んだ。
そうしてビヒャレス率いるマクスニス軍は敗れようとしていた。ただビヒャレスには奥の手があった。銀河連邦より貸し与えられた宇宙戦艦一隻を空中に配備していたのだ。銀河でも産業が中世レベルの国で宇宙戦艦などオーバーテクノロジーだろう。
宇宙船エールベイウの砲塔が炸裂した。騎馬は荒れ狂い、弓兵が絶叫した。エールベイウの虐殺を見ていた者がいた。彼のカメラは戦場を睨み、その姿を克明に捉えた。虐殺はフィルムに収められていた――。
14
僕はとある人と待ち合わせをするためにセシリアとテラスで待っている。心地良い朝だ。ちょうど深宇宙探査機がひとつ遠い旅路へと旅立ったと知らせている。新聞紙を広げてその記事を書いた記者の名前を追っている。隣では星間紛争のニュースだ。さらに隣は銀河連邦審議会の予算委員会などなど。僕はざっと新聞紙を斜め読みしながらコーヒーを啜る。セシリアは黙って辺りに視線を漂わせている。
そこへ浅黒い肌の男がやってくる。太った体にパツンパツンのワイシャツ、カーキのジャケットに身を包んだ黄色い縁の眼鏡の男だ。口髭を撫でながら、
「あの、連絡していただいた情報提供者の方? でしょうか……?」
そう尋ねられたので首肯して座っているテーブルの真向かいに座らせた。
彼はジャーナリストのトト・ホルベイン。さきほど読んでいた新聞の記者だ。ウィンザー誌は銀河じゅうに特派員を送っている三大新聞社のひとつだ。僕はホルベイン氏に自分のことを話し出す。
「僕はマイエヴァラ公の城で家庭教師をしています。名前は伏せさせていただきます」
「構わないですよ。もし何かあればお名前をご提供していただくかもしれませんが、まずはお話だけ聞かせてください」
「分かりました」
僕はホルベイン氏にマクスニスで不穏な動きがあることを伝えた。
信憑性の確かでない情報だ。ホルベイン氏はまずは様子見といったところで僕の話を聞いていた。
「ビヒャレス国王は暗主だと有名です。国を自分のやりたいようにしている」
「ええ、それは有名な話です。隣国キルヘスとの関係は決してよくないはずです」
ホルベイン氏はうんうんと頷いた。
「その情報はどこから聞き出しましたか?」
鋭い。さすが記者だな。
「情報筋は、ここだけの話です。マイエヴァラ公の話です。もうすぐ戦争があるという話です」とひそひそ声で話した。
「あの、マイエヴァラ公が。慎重派の、あの公爵がそんなことを言ったのですか?」
「ええ。僕がレオノーラお嬢様に慕われているので、お話ししてくださいました」
「そうですか、なるほど」
メモを手帳に書き込むホルベインはさらに質問を続ける。
「国王側にはいつその動きがあると考えていますか?」
「近々あると思います」
「それはどうして?」
「ここでこんなこと言っていいのか分からないですが、国王側には奥の手がある」
ホルベインは口を覆った。何か考えてボイスレコーダーを取り出した。話して、と促された。僕はおそるおそる話し出す。
「ビヒャレス国王はキルヘスと戦争をしたがっている。そのために軍備を増強しているのです」
「軍の動きがあると言うのですね? 数は聞いても?」
「ええ。軍隊を配置しているというのは、マイエヴァラ公の話です。数は二万ほどです」
「マイエヴァラ公は慎重な穏健派と聞いていますが、動きを止められないのですね」
そよ風が吹いた。さらさらと木の葉が音を立てた。やけに風が冷たく感じた。
「マイエヴァラ公は国王をお諫めする立場にあるようですが、ご苦労なさっているようです……」
「察しますよ。ではマクスニスは戦争の準備に入っている。理由はやはり領土問題ですか?」
あ、そこははっきり聞いていなかった。何かテキトーに考えなくちゃ。
「おそらく……」僕はかぶりを振って答える。「産業でしょうか」
「産業ですか」
ホルベイン氏は目を見開いた。驚きというより意外性があった答えだったのだろう。
「ええ。ローリエスは弱い町です。いっぽうでキルヘスは鉄鋼業や工業が盛んです。国同士のパワーバランスは広がるばかりです。キルヘス側の技術力を盗むつもりなのでしょう……」
「意外な盲点でした。だとして戦争を企てたビヒャレス国王、すこし強引しすぎやしませんか? 何か彼を止めておけない力が働いているように見えます」
「……銀河連邦ですよ」と僕は小さい声で言った。
「え? なんですか?」
「……銀河連邦です。銀河連邦」
ホルベイン氏は腕を組んだ。あまり確かな情報ではないと思ったようだ。それでも僕は続ける。彼の疑念を取り払ってみせる。
「銀河連邦とビヒャレス国王のあいだには密約があるのです」
「密約?」
「マイエヴァラ公の話によれば、ビヒャレス国王はとあるものを銀河連邦に譲渡する代わりに、銀河連邦側から莫大な援助金と宇宙戦艦一隻を借り受けたと言います」
「あるものですか? それはなんです?」
「これはマイエヴァラ公もはっきりと言わなかった。ただ銀河を動かすほどの財宝かも知れないし、兵器かも知れない。僕もはっきりとしたことを知らないのです。じつはマイエヴァラ公も実は銀河連邦と繋がりがあります」
「ほう……」
「マイエヴァラ公は娘のレオノーラを銀河連邦の士官と婚約させようと企てています」
「政略結婚ですな?」
「そうです、僕もお嬢様からそのことを聞かされています。不本意な結婚だと彼女は嘆いている」
ホルベイン氏は組んでいた腕を解いた。手のひらを合わせて拝むような格好になる。ポケットから煙草を取り出して、
「一服しても?」と尋ねられたので頷いた。ひとすじの煙がテラスに立ち上り、煙草の匂いが辺りに広がった。
「ではこれからどのように事件が動くか、想像できますか?」
「わかりません、たとえばマイエヴァラ公が謀反を起こすとか、でしょうか……」
考えられないことではない。確証はないけれど、マイエヴァラ公には人脈も力もあった。ビヒャレス国王を投獄して全権を奪うことだって簡単なはずだ。
僕はバランスの壊れた天秤をイメージした。
このまま行けばマクスニスは滅ぶだろう。大きな銀河連邦を巻き込みつつも滅んでもらいたい。
「なるほど……」
「近々、革命が起こります」
ホルベイン氏は煙草を灰皿で揉み消した。
「すこし歩きましょうか……」僕は彼にそう促した。
ローリエスの市街地を抜けて小高い丘を行く。登っていくとローリエス全体を見渡せる、古代遺跡に着いた。僕はホルベイン氏に言った。
「ビヒャレス国王が銀河連邦側に譲渡したもの、僕は聖遺物だと思っています」
「なに?」
「聖遺物です、なかでも聖杯ですよ」
意外な言葉にホルベイン氏は硬直した。彼は少し考えたようだ。
聖杯というと僕が中学生くらいのときに流行ったロスト・ソフトの聖杯戦争が有名だ。タイトル通り聖杯を巡って三つの陣営が競い合うもので、当時ほとんどの中学生が知っていたタイトルだ。
じっさいに現実でも聖人が残した聖遺物はあちこちの古代遺跡に残されていて厳重に保管されている。
聖遺物の力というのはゲームのなかではいわば願望を叶えるものという認識になっている。聖杯がじっさいに誰かの手に渡り、何かを成したという記録は残っていないが、多くの歴史的な場面で聖杯が登場するのは、たしかなのだ。聖杯が勝った陣営側にあったこと、それ自体は取るに足らない事実だ。ただ悉く聖杯が歴史の表舞台に存在した事実はどう考えてもおかしい。聖杯には何かがある。
銀河連邦に聖杯が渡ったとしたら、それは銀河連邦が何かを企んでいることに他ならない。
「ですが、大銀河時代に聖杯なんて欲しがりますか?」
「聖杯は地域によっては魔力を貯めたものとして存在します」
「魔力なんて非科学的な?」
「じっさいに辺境星では三十歳まで童貞だったため、魔法が使えるようになった者もいるそうです」
それ、僕だけれど。
「なるほど……」
なるほど、じゃないよ! ともかく聖杯の魔力は銀河連邦さえ虜にするのだ。
「わかりました。少し話がオカルトに向いてしまいましたね。私としてもマイエヴァラ公の謀反のお話は興味深く聞かせていただきました」
「そうですか、さいごに一つだけ」
ホルベイン氏の視線が真っ直ぐにこちらを睨んだ。
「近頃、ローリエス兵に聞いたところ不穏な動きが町にあるそうです。若者が夜な夜な集まり、何かを計画中とのことです。実際に銃が出回っている……しかも一丁や二丁ではなく、もっと多くの拳銃が押収されている」
「パーティにしては大袈裟ですね」
「ええ。おそらくテロが起こるのではないかと思っています」
「理由は何だと思いますか?」
「分かりません、強いていえば絶望でしょうか?」
「ふむ」
「ローリエスの若者は成人すると、卒業式をしに一旦アルヴァンシアを去ることになっています。卒業式とは隠語で、実は脳に改造手術を受けて穏やかな市民になることを強制しているのです。ローリエスは基本的に静かな町です。しかし、その平穏さは作られたものだという噂です。じっさいに卒業式のためにたくさんの若者がシャトル船でアルヴァンシアから遠い星へと旅立つのです」
「人民統制ですか、それはスクープですね」
「ええ」
ホルベイン氏はごくりと喉を鳴らす。僕は畳みかける。
「ローリエスには不穏な動きが渦巻いています。バランスを崩した瞬間に何か、ドミノ倒しのような事態が起こるはずです。僕はそれをとても恐れています……」
「分かりますよ。社会というものは、いわば幻想ですよ。それが倒壊するというなら尚更でしょう」
「僕はそのときレオノーラ様を守らないといけない立場です。だから口を開いたのです」
「主に反逆してもいいと思ったのですね」
ローリエスには何の感情もなかった。僕の銀河皇帝ロードに踏みつぶされる土地だ。哀れだとか、恐ろしいという感情はあるにはある。僕も人の子だからだ。しかしそれ以上に魔力で絶対的な力を持っていることで現実を変えられる。この動かし難い感情が僕をつよく前へ前へと動かしていた。
「ホルベインさん、きょうはありがとうございました」
僕とホルベイン氏は固く握手を交わした。そして僕は彼の眼差しに催眠をかけた。
「半年ほど、事件が起こるまでポリャコフにいること」
『事ガ起コルマデ、ポリャコフ滞在……』
ホルベイン氏は一時的に呆然としたが、意識を取り戻した。催眠時の記憶は残らないだろう。
僕と彼は古代遺跡を後ろにして夕焼けの街を歩きだした。トルルイベの戦いまで二か月を切っていた。