日本SFを阻止せよ!
小林 蒼
この作品は日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト2024の共通文章から創作したものです。
https://www.pixiv.net/novel/contest/sanacon2024
見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。
例会へ行く途中のことを記してやがる。同じ電車、同じ道のりでやってきたはずなのにどいつとも出会わなかったからよ。柴野拓美さんが言うには「きっとどっちかが別の空間を通ってきたんだろう」
そんなことってありえるかい?
ありえねぇ。頭を掻いて、考え直す。
おれはコーヒーを一口啜って、あの日を回想した。
あの日は科学創作クラブの例会へ、光瀬龍さんのお宅へ行った。爽やかな春だったぜ。風が心地良く、券売機で切符を買うと十円玉が余分に一枚出てきた。おかしいな、とふと思って料金を確認したが変わりなかった。光瀬さんの家へは電車で一時間ほどだぜ。
東京タワーの完成がこの年のことだ。時代は前へ前へ、ときどき前のめりになるほどの勢いを増していた。科学創作クラブは日本空飛ぶ円盤研究会の柴野拓美さんを中心に星新一さんらつう、日本でも少々変わり者の集まりだったぜ。集まれば空飛ぶ円盤の実現性や飛行速度の計算やなんかを喧々諤々と議論していやがる。アスタウンディング誌でアメリカのサイエンス・フィクションを読んで慣らしたおれとは気風がいささか違うヤツラだったぜ。ただおれも日本のサイエンス・フィクションがどうなって行くのか、その流れの行く末を見てみてぇ、そういう気分に満ち溢れていたのも確かだったぜ。
電車に揺られながら、陽光が車内に柔らかく降り注ぐ。昨日、遅くまでパルプ誌を読んでいたせいで眠てぇ。うとうととして目を閉じてもういっぺん開くと、目の前の座席に黒いトレンチコートの男が座った。おれは目を奪われた。
その黒は、宇宙空間を思わせるほど深い黒だったぜ。その黒いトレンチコートをじっと見てやがるといつの間にか視界がぐるぐるして目的の駅に着いていた。
みょうな点はなかった。いっぺんベランダへ出て夜空を眺めるぜ。星が瞬くこんな夜に馬鹿馬鹿しい空想を立ててやがる。それは量子化された空間のことだぜ。
時間と空間はアインシュタインの相対性理論によれば同一のものとして考えられた。時間と空間、合わせて時空だぜ。その時間と空間は混じり合わされたもので曲がったり、伸びたりするぜ。けどよおれはアインシュタインの理論を遠ざけるぜ。もしも時空が空間それ自体を構成する空間で構成されていたなら……。極小世界における量子が空間を満たすのではなく、それ自体が空間ならば、と。おれは空間量子の梯子を一個踏み外してしまったに違いねぇ。それならば、柴野さんの発言も納得が行く。そんなふうに考えて、部屋へと戻るぜ。ペーパーバックを読もうとデスクへ座る。すぐに集中の波がやってくるぜ。
トコロが、よ。
どいつもいなかったはずの部屋にどいつかがいるぜ。物音つうよりも雰囲気で、はっきりとした実像のねぇ、どいつかがそこにいるつう確信。
「どいつだ……?」
扉がすっと開いた。入ってきたのはまさしく電車で見た黒いトレンチコートの男だったぜ。
「怪しいものではない、と言っても無駄だろうな。私はDARKER THAN BLACK。長いならブラックと呼んでも構わない」
驚きではっと息を飲む。
「何者かは知らねぇが、警察を呼ぶぞ」
「警察は呼んでも来ない。時空封鎖をしているからな」
「なに?」
「時空封鎖。この部屋から半径五メートルの空間は誰も手出しできない」
「サイエンス・フィクションか、そいつぁ?」
「サイエンス・フィクションではない。ほんとうのことさ」
ブラックはニヤリと微笑んで自身の素性を明らかにした。
彼は簡単に言えば21世紀からやってきた、未来人だったぜ。そんなことを聞くとますますサイエンス・フィクションじみてくるが、おれは頭を整理した。仮に目の前の男がそうしたおれの妄想や蓄積した疲労が見せた幻でも、こうして空気を振動させて音を放ってやがる一人の人間なのは間違いなかった。ただ外を時空封鎖されていようと、巨視的空間の非実在性なんて科学的には厳密に測れねぇ。科学的にもっともきちんとした実験施設をもちいなければならねぇだろうってんだ。ただ未来人が来やがったことはおれの胸を高鳴らせていた。
「ノダ。私が来た未来では東京タワーを超える高さの電波塔が押上に建っている」
「マジかい……」
「そうだ。五反田の星製薬の工場はいまやTOCという商業施設となっている。それも私がタイムトラベルを行う年に解体された。そして新TOCビルが建つ予定だ」
ブラックの話す未来は大層面白かった。未来の東京の姿や、イベントやなんかを事細かに語るブラックの横顔をずっと見てみてぇ。
立ち食いそば屋にふたりで入る。
「思えば、大阪万博も東京五輪もこの時空から見れば近い未来の出来事。ズズッ……」
「東京でオリンピックが? 大阪で万博が? ズズッ……」
目を丸くし続けるおれは、ブラックの語る未来に耳を傾け続けた。関東の濃い醤油味のそばの味よりも濃密な未来の話だ。おれはブラックがどうしてここにいるのか、確かめたくて聞く。
「ブラック、どうしてお前はここにいるんだい?」
「それは……」
セリフを詰まらせるブラックは黙り込んだぜ。彼の顔を覗き込むと、その目は深淵を見つめるような暗い光を放ってやがる。
「ノダ。これから話すのは、未来のサイエンス・フィクションの話だ」
彼のいた21世紀は混迷の時代だった。気候変動と国際戦争、止まらぬ競争社会、そうした格差の時代だった。サイエンス・フィクションは、未来の自由を勝ち取る武器になりやがった。SF作家はペンつう武器を手に社会の問題や地球の問題を解決する、いわば戦士だった。その中心となるのが日本SF作家クラブだぜ。日本SF作家クラブは革命家たちの根城だったのだ。ただ、それを快く思やしねぇ勢力もいた。組織と呼ばれる勢力だぜ。
「組織は日本SFを根底から覆そうとしている。それもすべての日本SF第一世代を闇に葬るために動き出した。時空封鎖を各作家に施し、別の空間へ転移させる」
「するってえと、それでどうなるんだ?」
「日本SF第一世代はすべて空中分解するのだ」
はっと息を飲む。ブラックは声高に言った。
「サイエンス・フィクションは武器だ。21世紀ではそうなっている」
「馬鹿言え! サイエンス・フィクションどころでどうにかなるわけないだろう? なぁ」
「いいや、ペンは剣よりも強しって言うだろう?」
「そうかもしれんが。その事実をおれに明かしたつうことは、その時空封鎖とやらは、もう?」
「確実に成功している。それはノダ。君も知っているだろう」
思い当たるフシがあった。あの例会の日、おれは別の空間を通って例会に着いたと考えればぜぇんぶ説明がつく。
「第一世代の消滅、空中分解か……」
あまりに世界が広がりすぎるような話だぜ。舌で唇を舐める。
「いまも他のエージェントが星新一や矢野徹、柴野拓美に張り付いている。計画は順調に進んでいる」
「どうしておれにそのことを話したんだい」
「ノダ、君は将来早川書房に入らないかと誘われるが、断っている」
「おれが? 早川書房に、か……」
ありえねぇ話でもない。
「君は日本SF界の中心にいながらも、独特の地位を確立した人物だ。特にマスメディアへの影響力は素晴らしい。歴史を改変するならば、君しか考えられなかった。ターゲットとして申し分ない」
「ゴチャゴチャゆうねぇ、要は?」
「私が時空封鎖をノダ、君に施すことで未来への影響力は絶大なものになる……」
静かすぎる夜だったぜ。ブラックに手渡されたスマートフォンなる板状の液晶を見てやがる。こんなに精細な画面がコンパクトに手元にあるのは魔法以外、なにものでもねぇぜ。そんなことを言えば、皆から笑われるだろうが、サイエンス・フィクションの世界だ。スマートフォンには、未来の東京が映し出されてやがる。アサヒビールの社屋だつうモニュメントのような建物越しに銀色に輝く電波塔が見えた。それが日が暮れて夜になってもそこに存在し、怪しく光ってやがる様を観察すれば、まさしくそれがマジの現実なのだと思い知らされるぜ。未来つう確実に来る時の川のむこう、そいつぁはおれがいねぇ現実なのかもしれねぇ。おれの生きた証のむこうにある世界はなんとも奇妙で、新鮮で……。
自宅の書斎に帰れば、開きかけの日記がそこにあった。日記に目を通していく。ブラックと出会った例会の日の記述はおれにとって衝撃以外のなにものでもねぇぜ。サイエンス・フィクションの奥に何かがあるとすりゃぁ、その奥に確かな未来の光を輝かせてやがるなら、おれはこの世界にのめり込むしかねぇぜ。ブラックには悪いが、おれは書斎のパルプ誌を読み始めるぜ。そうして企画を練り始めた。
とある朝、書斎にブラックがいた。その顔には余裕が感じられねぇ。
ブラックは言った。時空封鎖は完了したが、ひとつの誤差があったと。そいつぁこの時空の未来がさらにサイエンス・フィクションの旺盛を極める事態を引き起こしてやがることを組織本部が知らせてきたつう話だったぜ。この時空はすでに介入されてやがる、と。組織内部のごたごたかと最初、思った。
「ノダ、君の書斎に大量のパルプ誌があるのは、本来ならばあり得ない……」
おれの部屋にあるアメリカの雑誌はいつ買い与えられたのかは、わからねぇ。父親が買ってきたものだろうとばかり思っていたが、そうでもねぇようだぜ。いつおれはサイエンス・フィクションと出会ったのか。科学創作クラブの面々の家で貰ったのか、判然としねぇ。
「君の日記を見せてもらいたい」
ブラックが必死にそう言うので、日記を見せた。
「なんだ、これは……」
彼は驚いたように目を開いた。
「日記をどこへ隠した?」
「隠したって?」
おれには日記が読める。いつ、どこでどいつに会ったかやなんかやなんかが記されてやがるはずだぜ。
ブラックは言った。
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「この、黒塗りの文書のどこに、日記がある?」
「何……」
そんなばかな……。ありえねぇ……。さっきまで文字がぎっしりと綴られていた日記帳は、油性ペンで消された真っ黒なページに書き換わっていた。
「くそっ……、この時空も書き換えられていたのか」
「何を言ってやがるんだい? そうしてやがるのはお前たち、組織だろう? 違うかい?」
「いいや、日本SF作家クラブも、その力を持っている」
ブラックの話に寄れば、このような図式になってやがるらしい。
組織と日本SF作家クラブは時空の覇権を競い合ってやがる。時空の塗りなおしを頻繁にそれぞれが行ってやがるために、その影響下で彼らのいる未来像は頻繁に書き換わってやがるらしい。さきほど面会した組織のボスがいなくなっていたり、敵対する日本SF作家クラブに組織の顔なじみがいたりと、そのゲームはオセロの盤面のようだという。
「ノダ、今から君がパルプ誌を譲り受けた経緯を説明してもらう」
「経緯だと? そんなものは知らねぇって……」
「知らないはずはない。君へ日本SF作家クラブが介入しているのは間違いない」
馬鹿言うな。おれにそんな記憶はねぇ、はずだぜ。マジにそうか……? 幼い日の記憶が書き換わっていくのを感じた――。
夕暮れのブランコに幼いおれは座っていた。金属が擦れる音がして、隣に黒いトレンチコートの男が座ったのだ。その男は語り出した。
「私はアメリカのサイエンス・フィクションが好きでね。ここにいくつか持っている。坊や、君にプレゼントしよう」
その男の面影はまさしくブラックだったのだぜ。
「ブラック、はっきりと言うぜ。おれがパルプ誌を貰ったのはあんたからだね」
「なにを言ってるんだ。おれが嘘を言ってるとでも? サイエンス・フィクションを転覆させるのがおれの使命だ。それをおれが阻止したとでも言いたいのか……」
ブラックは明らかに戸惑ってやがる。おれは書斎を隈なく探す。子どものときの記録がどっかにねぇか、と。
アルバムを開けば何かが分かるはずだぜ。
そうしてゾッとした。おれの過去の写真にはあるはずのねぇ東京タワーが建ち、五輪がテレビジョンに映ってやがる模様が残っていた。過去の出来事と未来の出来事が過去の世界のなかでごちゃまぜになってやがる。
これも、これも、これも……。
どの写真も未来が過去へ溶けだし、混沌としたジュースになってやがる。
「ブラック、組織はマジに上首尾したのかい? 本朝のサイエンス・フィクション界を止められたのか……」
「分からない。日本がタイムパラドックスを引き起こしている……。この渦のなかにおれたちが迷い込んでしまった以上、偽りの歴史を生きていくしかないのかもしれない……」
くそっ……。おれには何が起こってやがるのか、さっぱりわからん。そう思ってパルプ誌をおもむろに開く。今、その動作をなんでおれが選び取ったのかはわからねぇ。サイエンス・フィクションにこそ、何かヒントが隠されていねぇのか。まるで日記を重力にして世界が書き換えられていくようだぜ。
「見ろ、机の日記が消えていくぞ……」
「なに……」
ブラックに促されるまんま、日記へと目を遣ると、日記が透明になっていく。おれの時間、記録した時間が混沌へと溶けだしていく。書斎が揺れ出し、地震かと思しき揺れが来る。どうにでもなれよっ……。そうして目を閉じた。
おれは気づけば、拍手喝采の会場のなかに立っていた。聞けば横浜でワールドコンが開かれているらしい。ヒューゴー賞の授賞式にぽつんと取り残されたおれは、ヒューゴーの金色のトロフィーを目にしていた。アメリカSFの最高峰であるヒューゴー賞はSF作家でなくても知っているだろう。どうしておれがここにいるのか、ブラックはどうなりやがったのか、ぜぇんぶの疑問が氷解することなく、頭のなかに浮かんでいる。歴史が変わったことは外側からの観測でしか答えられねぇ。おれはブラックがどうしておれにパルプ誌を託したのか、気になっていた。ブラックはもう隣にいねぇ。
ちょうど隣に年老いた黒いトレンチコートの男が座った。夏だつうのに場違いな服装だと思った。白髪の男は、言った。
「こんにちは。あなたは野田昌宏さんですね? 子どものときにひらけ!ポンキッキーズを見て育ちましたよ」
「ああ、そいつぁ、おれの担当した番組だね」
「ポンキッキーズを作ったあなたを私は発見しました。それでSFに興味を持ちました。サイエンス・フィクションは最高のエンターテインメントです。こうしてワールドコンが日本で開かれたのは、あなたの力でしょう」
「照れやす」
「私はサイエンス・フィクションが好きです。こうして私がここに来れたのも、あなたのお陰だ。だからあなたに見てもらいたいものがある……」
トレンチコートの男についていくと、エレベーターに一緒に乗った。エレベーターは下へ向かっていく。トコロがよ、突然足元の重力が消えて、ふわっと浮かび上がった。無重力に近い状況だぜ。
「安心してください。施設内は月と繋がっています」
「月って、あのお月様かい?」
「ええ」
信じられねぇことだが、ワールドコンの会場の下は、月の入口らしい。
トレンチコートの男は名乗った。
「私はBRIGHTER THAN LIGHT。ライトと呼んでください。モニターを見て、野田さん。ここには世界に存在するあらゆる記述が観測、記録されています」
モニターには数多の文字列が並ぶ。
「これを記述宇宙と言います。記述宇宙では日記や新聞、そうした文字ベースの記録が宇宙を成しています。それは非ニュートン力学空間であり、非相対性理論空間でもある……」
「つうことは過去や未来へのタイムトラベルでさえ可能つうことだね……」
「ご名答。私たちが記述できることなら何でも叶う、それが記述宇宙による生成なのです」
「ところで組織による介入工作は君たちの仕業なのかい?」
「いいえ、それは違います。組織は日本SF作家クラブと対立するため、我々記述宇宙側と離反した人々です。記述宇宙は中立ですよ」
「どうしておれをここに連れてきたんだ? はっきりさせようじゃねぇか」
ライトはモニターをじっと見つめて言った。
「あれを見てください……」
モニターのなかに記述された文字が渦のように蜷局を巻いてやがる。ぐるぐると歯車を回しながら、心臓のように脈打つ存在だぜ。Sの文字が赤く灯ってやがる。
「あいつぁ、何だ?」
「日本SF作家クラブの記述です。過去、未来、あらゆる時空において日本SF作家クラブの記述は旧い記述を刷新しながら新しい概念を生成しつつ、活動しています。この渦は日本SFのみならず海外へも影響がある。記述宇宙の表層階層のみならず深層階層すら、影響を広げている。いわば意味のモンスターです……」
「意味のモンスター……」
「ええ、組織が躍起になっているのも分かる気がします。記述宇宙全般において日本のサイエンス・フィクションが起こす地殻変動は常に記述宇宙全体の意味内容変更をもたらしている」
「本朝のサイエンス・フィクションがここまでとは、な……」
おれの額を汗がひとすじ流れる。
「私が着目しているのは、今の日本SFの記述ではありません。もっと根源的な記述です。宇宙の原初の記述。それは野田さん、あなたの日記だ」
「おれの?」
「はい。例会への電車の記述です。あの記述がすべてでした。日本のサイエンス・フィクションが始まったときの一つの潮流を生み出した。バタフライ効果と同じですよ。たった一押しの小さな力が全体を動かす力へとカオスを生み出す……」
「きっとどっちかが別の空間を通ってきたんだろう、か……。別の空間へは、ブラックたち組織の仕業だと聞いているけども……」
「あれは彼らの力だけではない。あのとき、関わっていた人間の想像力があの記述を生み出したのです。それは日本のサイエンス・フィクションの影響力となって、いまの記述宇宙全体へと波及している。私たちは日本SF作家クラブという小さな威力に怯えていただけでした。ほんとうはもっと大きな力に気づくべきだった……」
おれは黙ってモニターを眺めるぜ。だんだんと視野がフェードアウトしていって、記述宇宙全体へと広がっていく。記述宇宙には星々がきらめき、輝いてやがる。星々をつなぐと星座が出来るように、なにかの形が見えてくるぜ。
「見てください、あれがツツイ・ヤスタカ座で、むこうのが、ホシ・シンイチ座です。その先には、コマツ・サキョウ座があります」
見てやがるだけで、はっきりと分かるぜ。千本以上のショートショートを書いたと言われるホシ・シンイチ座は幾千もの記述星が集中する星座だし、コマツ・サキョウ座は大きな記述がダイナミックに変転する記述星だぜ。
「そして、野田さん。あなたの星座もあそこにある……」
「ノダ・マサヒロ座か……。自分で言うには変だろうけど、ずいぶんと豪快な星だね」
記述星を眺めながらふしぎな感動が押し寄せてくるぜ。そいつぁ本朝のサイエンス・フィクションに携わってきた者独特の感動だろうってんだ。
「私たちは野田さんをかつての原初の記述宇宙へ帰したいと思っています」
「過去へ帰れつうことか」
「ええ、あなたは英雄だ。私たちを作ったのは、あなたに違いないんだ」
「作った?」
「ブラックと名乗る男は組織に紛れ込んだ。それはあなたに出会うためだ。幼い日に見た子ども向け番組から、その地平に広がるSFの世界を見れば心躍らない者はいない。ブラックはあなたに出会うことが叶った。そうして歴史を組織の手から離れて変えてしまった。私や、記述宇宙を作ったのです……」
記述宇宙がゆらめき、新たな記述がつぎつぎと生まれるぜ。流星群のようにひとすじの光が落ちていく。落ちた場所で新たな記述が生まれてやがるに違いねぇ。記述宇宙の、ある視点から、徐々にホシ・シンイチ座が見えなくなるぜ。コマツ・サキョウ座とツツイ・ヤスタカ座が孤独に輝いてやがる。ノダ・マサヒロ座が遠くへ退く。ひとりモニターの前でおれは立ち尽くしていた。
「私たちはあなたの生きた時代へあなたの記述を帰します。ここにあなたがいるのは本来、正史ではありえないことだからです」
「つうことはおれの肉体はもう……」
ライトはかぶりを振った。
「そっか……。ただ間に合わなかったんだね」
「野田さん、一九五八年のあの日にもう一度、例会へ行ってください」
柔らかな陽光が降り注ぐ車内は、春だぜ。券売機から出てきたふしぎな十円硬貨を握りしめ、おれはひとりの男を待ってやがる。時間からすれば、もうすぐ彼はやってくるぜ。
「……なにを怖い顔してるんだ?」
「DARKER THAN BLACK……」
「私の名を知っているとは意外だな……どうして知っている」
「おれたちは繰り返してやがる。昭和の風の時代を――、ブラック。お前もそうやって時代を繰り返してここに来てやがるんじゃねぇのか?」
ブラックは呆気に取られたような顔でいる。
「私はただお前に生きていて欲しかっただけだよ……」
「そうか」
電車は林のなかを進む。ブラックが静かに語り出した。
「日本のサイエンス・フィクションの第一線で活躍する者はすでに多くが鬼籍に入っている。私は、時代の綾を上手いこと操って、日本SFの時を十年、いや二十年進めたんだ」
「幼い日のおれにあんなものを渡したって、マジにこっちに来るか分からねぇじゃねぇか……」
「あれは賭けだよ。私の願いはこうして叶ったんだ」
ブラックは腕を組んで満足そうに微笑んだぜ。たった数日しか一緒にいなかったのに、おれたちの間には奇妙な信頼関係が芽生えていた。
「別の空間の話をしようか。あれは柴野さんたちが一本違う電車に皆で示し合わせて乗ったんだ」
おれは噴きだした。
「そうか、彼ららしいな……」
電車はやがて目的駅に着くだろう。この奇妙な旅も終わりだ。
「ノダ。外を見てごらんよ……」
ふとブラックがそう言っておれは窓の外を見やるぜ。今まで林のなかだった外は一面、暗黒が広がった。一瞬呆気に取られてやがると、遠くに星々のきらめきが見え、右手には巨大な木星の大赤斑が姿を現した。
「別の空間を通ってやがるのか……」
「そうだ……」
そうして右手にはブラックの解説付きで冥王星が見えてきた。さらに先頭車両のほうを見ていくと氷があたりに浮かんでいた。冷てぇ飛沫が車内へ半開きになりやがった窓から入ってくるぜ。電車は氷と宇宙空間をただ進む。オールトの雲だぜ。
「ブラック、この列車はいってぇ……」
「ノダ、これは私からのプレゼントだよ」
そうして電車のそとには数多の星雲が広がるぜ。まだ名のねぇ、星雲たちだぜ。
まぶしく光る降着円盤が見えた。電車はブラックホールの重力に引かれ、らせん状に渦を巻きながら近づく。いや、中心に向かって落ちてやがるのか。
「ブラック、このまんまじゃ、列車が空中分解しちまうぞ……」
「だいじょうぶだ。シュバルツシルト半径ぎりぎりをスイングバイする!」
そう彼が言って片側が急激に重てぇと思ったトコで、電車は住宅街を走っていた。ガタガタつう走行音がするぜ。日常に帰ってきた。春の日差しが眩しいぜ。
「だ……」おれは呟いた。
「何?」
「浮かんだんだぜ。宇宙を股にかける話を、アメリカのレンズマンから着想を得てやがる、そうだ……」
――SFを書くんだ。
横に並ぶブラックの顔はどっか誇らしげだった。