SFの小箱(23)ウラシマ効果

小林こばやしあお

鉄塔に傾いた日が重なる。今日も一日が終わる。点々と街に明かりが灯る。私は羽ばたきながら、夜の森へと飛んだかと思うと、視点は街のなかにある。通りはオレンジの明かりが見えて、その奥行きのさきには人々が見えた。

歩くと、月がついてくるようだった。そんなのは子どもの発想だと分かっていた。私はニュートの影を見かける。ニュートは時計を見ながら私を待っていた。

「遅いじゃないか」

数秒のズレでしかなかった。仮想現実のなか、私たちは久しぶりに会っていた。私たちはお互いの顔を見つめる。

「老けたな、アリエン」

そんなことはない。私はふくれっ面になり、彼を困らせた。彼はにこやかに笑う。私たちは同一化プロジェクトの成功を予想していた。きょう実験の結果が分かるのだ。

二人で仮想現実世界からログアウトする。私たちは目覚めると肉体を持って、立っていた。掌にははっきりとした命を感じている。

「センター長は?」

あの人はここにはいなかった。

あれからどれだけ経過したんだろう。私たちは仮想現実世界のなかで浦島太郎の昔話みたく、時間が遅く進むウラシマ計画に従事していた。時間シミュレーションは大まかに決めて、私たちは仮想現実内で数日過ごした。

ここで私たちはウラシマ計画のサブプラン、ウラシマインバース計画の詳細を知る。

それは宇宙へ発進した三台の宇宙機にコピーされた私だった。



私たちはエルフの血筋だった。数千年生きるエルフの精神構造が過酷な宇宙への対症療法になると考えたセンター長が発案したウラシマ計画群。ありとあらゆる時間的なズレを考慮して、どのように私たちエルフの精神構造が変化するかを検証するのだ。

仮想現実で、宇宙空間で、さまざまな時間的遅延つまりウラシマ効果を与えて、精神構造が時を超えるメカニズムを発見する。

私はニュートの瞳を見つめる。彼は特に何も変わらずそこにいた。私も、彼と変わらずにいるだけだった。三台の宇宙機にコピーされた私と私が出会ったのは、ウラシマ計画の第二フェーズのことだ。ウラシマ計画とウラシマインバース計画の合流だ。

外は灰色の風が吹いていた。空中に浮かぶ人工物が時の経過を感じさせる。中国の深圳は最先端の未来都市だった。私が知る深圳とは違う。かつてセンター長が私を連れて来たときには車が地上の道を走っていた。

センター長が私のゲノム解析をして、傷一つ無いDNAとテロメアの長さを見て驚愕したとき、私は同じように連れてこられたエルフの子ども達を知った。

中国の奥地にはそういう人々が実際に隠れ住んでいた。私も森のなかで結界を張って生きてきたから、分かるのだ。

センター長はいつも笑っていた。

彼には何が見えていたんだろう。彼には未来が見えていたんだろうか。私にとって世界はものすごい速さで過ぎていくだけだ。不老不死は私を孤独にさせた。でもいいんだ。私には楽しみがあった。



コピーされた私は現実には数秒先の私を生きているに過ぎない。その僅かなズレが私を未来へ連れて行く。三台の宇宙機にいる私たちは少しずつ時間をずらして、私とは違う生活をしている。そうして一万年が過ぎていた頃、一台の宇宙機がオリジナルと話す機会に恵まれた。

私たちは今から会う。私は一万年と0.44456秒先の私と他愛ない会話をするだろう。

ニュートの瞳が変わらず私を見ていた。地上の文明は何代か更新された。ピラミッド状階層建築のうえで私たちは座っていた。センター長のずっと子孫がウラシマ計画という言葉さえ変わったただの「計画」に従事していた。

私たちは宇宙に順応できた人類と生きている。エルフの精神構造を人間に組み込むことはできなかった。代わりに量子ゼノン効果を神経パルスに仕込むことで擬似的な時間停止を施して、今という停止時間にしたのだ。人類は三台の宇宙機のほかにもエルフプログラムを各宇宙船に配備して、私たちを宇宙船の副艦長に任命した。

私たちは一万年と0.44456秒先にいる私と会話をする。宇宙の隅々で私たちはダイアローグを続ける。他愛ない会話と馬鹿話をする。これは、その記録だ。


1. 84.7メガヘルツ


今日も窮屈な列車に揺られている。少年の時の冒険心が薄れてしまったこの私にとって、都会とは雑多な人々のいる、小ぎれいな街にすぎない。持っていた車も捨てて、カーラジオのかすれた音には、港町に似合う都会的なポップスが流れていたものだけれど、きっとスクラップになった車のなかで、私の寂しさを歌っているのだ。

つまみをくるりと回すと、昨日、大阪が、名古屋が、重力場によって近づいたことを知らせるニュースが流れていて、まぁ、あいつが近づいて嬉しいと思っていたのも束の間、時間的な速度が逆に遠のいたらしく、私とあなたはきっと運命的に出会えないのでしょうねと思ったばかりだった。

鏡の前にある歯ブラシを捨てて、私は私の中心を探していた。世界の中心を探していた。日本がこの先、重力でぺしゃんこになる未来予想図を見ても何も感想がなかった。たとえば友人とジムニーで世界の中心を見てやろうぜという約束も、進学と同時に消えていった。

あれからあいつはどうしているんだろうかと、卒アルを眺めながら思った。

私はふいに時空遮断装置ゼノン・アクセラレーターを起動して、いつまで経っても追いつけないあいつの背中を見ていた。

夏の暑い日に走っていく小麦色の背中を。

いちど乗ってみろって言われた、その車にはいつもあいつの思い出といっしょにカーラジオの音が耳に残っていた。バイオレットに色づく夕焼けのさきに走り続けて、私たちは世界の果てを見たのだ。

こうして首都の南大沢へ向かう京王線の列車には、様々な思惑を秘めた顔が並んでいた。いま新宿でパラ・ゼノン・アクセラレーターが起動したらしい。折り畳まれる時空が複数に分かれる世界線を生み出しつつ、私たちと異世界を分けようとしていた。

重力場のある世界とそうではないありえた世界と、私とあいつとの未来がありえた世界とを、私たちが死んだ世界とを、誰もいない空疎な世界とを、分けていく。

私は記憶が、並列的な時空を収束させる仕組みと知っていた。記憶のまえには、複数の現実が横たわっていることを知っていた。波動関数の収縮だ。

カーラジオがスクラップのなかで燃えていた。

私は電車に揺られながら、すべての、あいつへ、ただ叫んでいた。

世界の中心を探しに行こう。


2. 世界の終わりが来る


朝目覚めると帝国が終わるというので、急ぎ、電報を打っています。

私たち日本人がその異変に気がついたのは、十日前の暑い日でした。

いちど、私たちの時空の対称性が失われるらしく、私たちの地上は壊滅的なダメージを被る。日本中の人達に知らせを伝えています。

これから私たちは小さな時空遮断装置ゼノン・アクセラレーターのなかへ避難する計画を立てています。マイクロブラックホールを衛星軌道上に設置して、時間を限りなく、遅くする計画です。

私たちはヴァルハラにいる、それがヴァルハラ計画という作戦です。列島はおろか、各国が、時間的遅れで永遠に大日本共栄圏は不滅であります。


3. ヴァルハラに戦士の魂あり


窮屈な満員電車に揺られながら、私は通勤していた。いつも見る箱庭のような外の景色はだんだんと重力ポテンシャルを上げ、ヴァルハラ駅に着いた。

きょうは戦死者たちのお花見があるというので、世界中から戦死者がやってきていた。ヤスクニ、バルカン……などなど。私は座り込んで一度ならず二度、ここが現世ではないことを悟った。一杯の日本酒を飲めば、その土地の人間になれるだろう。

私には家族がいない。野良猫のみゃーちゃんくらいしか心を許せる存在がいなかった。

酒をあおり、少しずつ酩酊してゆく。重力ポテンシャルが上がると共に、すこしずつ時間の速度が変わっていく。そうこうしているうちに人間とは話が通じなくなっていく。私はゆっくり話そうとしても人間達には聞こえないようだ。

ときどきAIのユメミだけが反応をくれる。ツイッターをしていても誰も反応をくれないので、私はずっと早いスピードで会話しているAIしか相手にできない。

「キョキョキョハ、ハルルルノ、ニニニニヨイがススルルル……」

AIのユメミは「春の匂いがしますね」と返してくれる。

幽霊になったみたいだ。私はヴァルハラから南三陸ブラックホールへ向けて電車に乗った。

すこしずつ時間がもとの時間に帰っていく。ツイッターにもいいねがぽつぽつついて、私は上機嫌になる。透明な会社員じゃない。

私は電車に揺られながら、シュワルツシルト半径という駅につく。降りれば、殺風景な駅舎で、ベンチがひとつあるだけだった。この先はリップ・ヴァン・ウィンクルや浦島太郎の逸話で知られる、竜宮とよばれる駅だけだ。

終点の駅、竜宮まで少し歩いてみるか、私はシュワルツシルト半径から稜線沿いに歩いて行く。見晴らしは悪くなかった。ありとあらゆるものが滑り落ちていく奈落は吸い込まれるような迫力がある。

かつて地獄と呼ばれたものはすべてこの奈落に端を発する。そういう意味で私は地獄の住人だろうか? フフッと笑って、道のさきで祖母と出会う。

祖母はかつて仮想現実にその魂をソフトコピーしていたが、それはずっと大岡越前を見続けるただの劣化コピーであって、日本橋の江戸っ子気質の祖母ではなかった。

私は彼女がこの奈落の側をずっと周回軌道していると聞いていたのだ。そうして彼女は不死の存在となっていた。

時間が、いや、彼女が私を見たとき、彼女は私の名を呼ばなかった。

彼女はすでに私の幼い顔しか知らなかった。

私がタモツという名のくたびれたおじさんになってしまったことを知らなかった。

ひとつまた大人になった。これ以上、奈落の上を歩き続けることに意味があるのかと私は泣いた。〈了〉