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                    亜美は、一ヶ月ほど前から居候している義弟の俊作をもてあましていた。 
                     やはり夫にはっきり断らせるべきだった。彗星衝突の噂を信じ込んで会社を辞めた上に、退職金も使い果たし行き場に困るなんて、まともな人間とは思えない。 
                   玄関の呼鈴が鳴った。また俊作だ。 
                    「大学院時代の後輩を連れてきたんですが、上げてやっていいですか?」 
                     俊作の連れは、脂肪に膨れた腹と惰弱そうな手足を持つ130キロはあろうかという巨漢だった。手に下げているすり切れたスポーツバッグから微かに異臭が漂ってくる。 
                     亜美はあからさまに嫌な顔をしてみせたが、二人は全然気がつかないらしく勝手にリビングへ上がってしまった。 
                    「則夫、おまえ、でかくなったなあ」 
                    「身長は7センチ、体重は65キロ増加です」 
                    「7センチ?25歳すぎてから?」 
                    「ええ、こいつらのおかげで……あっ、お構いなく。飲み物持参してきましたから」 
                     亜美が出した紅茶を無視して、則夫はラベルの無いペットボトルを取出し、微かに黄みを帯びた液体をひと飲みした。 
                    「ところで」 
                     と、則夫は切り出した。 
                    「先輩のハチ型昆虫ハイブリッドロボットって、ダメっすね」 
                     俊作が戸惑いの表情を浮かべたのを、亜美は出したばかりの紅茶を下げながらも見逃さなかった。 
                    「電磁波に頼りすぎって最初に言ったのは先輩でしょ?俺だってそれ面白いと思ったですよ。昆虫ってのもよかったし。なのに……俺がハチに固執しないでクワガタにしましょうねって提案したときに一蹴しやがって。クワガタってだけでバカにしただろう。暗いところに潜って腐った木を喰らって大きくなったって、さげすんだだろう」 
                    「え、そんなつもりは……」 
                    「オオクワガタや外国産大形種ならまだしも、ミヤマクワガタなんてしょぼいって目もくれなかっただろう」 
                    「それは言ってないけどな」 
                    「だが俺は啓示を受けた。ミヤマクワガタのために鍛練せよ自らの身体の内部を作り上げよと。昆虫ハイブリッドなんて姑息な手段、本気だったのかよ。これだから馬鹿は救いようないね。かわいそうに。練り上げた人間の身一つでどうにでもなったのに」 
                   則夫は、前に出した両腕で、樹木の幹に抱きつくような恰好を作り、膝を少し曲げて立った。 
                    「こうして脱力して、気持ちを合わせてやるんです。そうすれば、ほら、出る、出る」 
                   本当に、則夫のスポーツバッグの中から、大きな黒い甲虫がぞろぞろと這い出してきた。 
                     何百匹もの黒い虫が、ゴキブリよりずっと緩慢な動作で部屋中をはい回るのを見て、亜美はあらんかぎりの声で絶叫した。 
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