パソコン通信をしていた頃、淳さんと私は知り合い、長文メールを毎日していました。その中の一文です。 これは私が一時的に物語が書けなくなって、私が泣き言いって、それを励ましている文章です。 こういったものからでも淳さんの心の一面がわかります。
『変態』というよりも欲求が満たされていないということだと思います。 きっとあなたは“日常”に満足してはいないのでしょう。 …もちろん誤解の無いように言っておきますが、わたしは通俗的な意味であなたが(性的に) 『欲求不満』だと言っているわけではないのです(それについては想像することしかできないので…)。
>神話、エロスとタナトス・・・すべての意味あるものから逃げようとしたのに、
>気になるものほど逃げれない・・・。
>どう考えても私自身何を考えているのか一番わからんのです。だから書き続けて
>いるのかなぁ・・・。
性と死の問題について考えることが前のメールであなたを悩ましていたこと…“書 き続ける”かどうかの問題…に直接関係しているのは間違いないところです。それを明 らかするためには逆に“書き続けないこと”が何を意味するのかを想像してみればいい。 あなたが世間一般の若い女性と同じ様に生きる…よい相手(高学歴で安定した収入 のある…できれば同窓会で誇らしげに口にできる厚生関係の充実した一流企業のサラリ ーマン)と結婚し、買い物やコンサートのためにも都会からほどよい距離のベッドタウ ンに新築の(白い壁と緑の芝生、出窓には絵柄つきのポットに植えられたアジアンタム と藤編み篭にかすみ草のドライフラワーが欠かせない)小さなマイホームを建てて週末 になればふたりの子供と一匹のパグ犬を乗せて家族ドライブに出掛ける…。家の建坪や らシステム・キッチンの有無、車がサニーかアコードかあるいはボルボかは多少変化す るとしても基本的な“幸せ”の図式は一定不変。…あなたが『書くこと』をあきらめる ということはつまりはそういった暮らしをそこそこ満足したうえで受け入れることを意 味するのではありませんか?(…もっともぼくはあなたの人生がそうした幸福を得るこ とを一方の極とする二者択一のうちにあると思っているわけではない。ひとつの『元型 』的象徴として語っているだけです。…ひとの親なら自分の娘に是非そうした人生を歩 いて欲しいと望むのは当然だし、それを夢見てもかなえられないというのが世の現実で もあるわけなのですから…。)
しかしこれはまさに近代的市民階級の日常です。この“日常”からは注意深く『エ ロス』と『死』と(そして『暴力』と)が取り除かれていて、それらは“非日常”のな かにひとまとめに押し込まれています。だからわれわれは例えば吉行淳之介の官能的小 説や大学病院の集中治療室、あるいは地域紛争のTVニュースのなかに自分とはある距 離をおいたものとしてそれらを見るほかはないのです。
そのかわりもしもあなたが書くことを続けるつもりなら、あなたは否応なくこうし た“非日常”の領域に踏み込まざるをえない。それが注意深く現代人の生活から切り離 されているからこそ逆に潜在的な需要もまた強いわけですから(人間の“全体性”の回 復という大儀名分のみならず商業チャンスとしても…山田正紀はプロの作家だけあって、 さすがにそこのところはよくわかっている…。)
『書くこと』イコール『人に読んでもらうこと』であるなら、当然これらのテーマ を避けて通ることなどできないし、またどうやらそれはあなた自身の深層からの欲求で もあるらしい。…あなたのなかのどこかに自分のなかの『性』と『死』と『暴力性』と を直視しなければならないという心理的な必然性があるのだと思います。(そして前に 書いたようにぼくのなかにもまたそれはある。以前からぼくはあなたに自分自身の問題 を感じ取っていて、だからこそあなたに心惹かれたのだと思う…。あなたの問題は同時 にぼく自身のものでもあるのです。)
> 『全民衆の歓呼と注視の前で行われる遊女と情夫の公開の性交は(それは今日で
>もインドネシアで行なわれている)祭儀の頂点をなすものであり、放縦無制約の集団
>混合が開始される合図でもあった。(中略)彼と交わった遊女は、性交のあとで雄蜘
>蛛を喰いつくしてしまう雌蜘蛛のように、情容赦なく彼を殺してしまう。』
>
> こういうのを読むと、たった四行しかかかれてないのに、性と死の間に心地いい
>(わたしゃ変態か?)恍惚感を感じてしまうのですよね。何故そんな気持ちになる
>のかが、理論的にわからないの!
恍惚感を感じるのはぼくも一緒です。ただぼくの場合は『心地好さ』というよりも、 もうすこし悲しみに近い満たされぬ欲動が伴っている気がする。これはきっと女であ るあなたと、男であるぼくとの違いなのかも知れない。
(そりゃそうだ…あなたは“殺す”側でぼくは“殺される”側なんだから…。)
あなたに刺激されて今バタイユの『エロチシズム』を読み直しているところです。 この問題について書かれている部分を簡単にまとめてそのうちお送りすることをお約 束しましょう。こういうふうに勉強の動機づけを与えてくれるという意味でも、あなた のメールはぼくにとってはとても喜ばしくまた大切なものです。だからあなたに出会え たことを幸運だと思っているし、あなたの存在に深く感謝してもいます。
doru