高木淳は昨年12月中旬に風邪をこじらせ、 吐き気で飲み物以外は受けつけなくなり、いくつかの医院を受診するも悪いところが見つからず、 その後ベッドから起きられず電話にも出られないほど衰弱。 1月22日に救急車で入院したところ肺がんの疑いが告知される。 その2日後には意識混濁状態となり、2月4日に逝去された。
同氏は2013年より仮想空間Second Life及びOpenSimで私とともに博物館、 美術館の制作に取り組んでいて、病に伏す直前までそれに没頭していた。 私が同人誌上のペンネームを知り、地球・海洋SFデータベースを作成していた私とつながっていたのを知ったのは 入院のわずか1週間前。病院に駆けつけたのは意識混濁に陥った直後であり、とうとう最後まで言葉を交わすことはできなかった。
高木淳の部屋は、美術書、科学雑誌、SF、パソコン関係のマニュアル、哲学書、大百科事典がきちんと整理されていた。 目が不自由なお母さんが片付けたものではなく、几帳面でストイックだったことが感じられた。
高本淳のアニマ・ソラリスへの投稿は2011年5月が最後となっている。 それ以降は仮想空間に大きな意義を感じてそれに没頭したからだと思われ、まずは仮想空間の紹介をしておこう。
2003年にリンデンラボ社が公式公開したSecond Lifeは、 多数のプレーヤーが同時アクセスするオンライン3Dゲームの技術をベースとするソーシャルネットワークサービスである。 ゲームとは異なって決まったゴールはなく、多様なデジタルコンテンツを開発・公開する没入型環境であり、 密度の濃いコミュニケーションプラットフォームであり、 さまざまな活動にチャレンジできる社会シミュレータでもある(ウィキペディア参照)。
2007年前後の一大ブームのあと、今でも改良が続けられていて、 ブーム当時に比べ見違えるほどにクオリティーと快適性が向上している。 公開後12年以上を経過した現在でもピーク時の月間アクティブユーザー100万人を 若干下回るユーザーを維持していることで世界から再評価されている。
一方、その互換オープンソースであるOpenSimはリンデンラボ社が運用するSecond Lifeとは異なり、 個人のPC上でも構築可能で非常に多くのOpenSim Gridが存在し、 しかも、それらGrid間で相互にテレポートできる。 最初は不安定だったが、ずいぶん快適になった。今でも物理エンジンの互換性が悪く、 一般的には通貨がないのでマーケットが貧弱な点はあるものの、 静的な3Dオブジェクトの制作環境としてはSecond Lifeよりも優れている。 国内では東京情報大学が運営するJapan Open Gridが2014年に公開されてからアクティブユーザーの取り込みが進んでいる。
この仮想空間は、しかし日本では不運が付きまとってきた。 「第ニの人生」というネーミングの問題、 まだ技術的に未熟な段階で電通が儲かると過剰宣伝したことへの反動、 同じ地域に同時アクセスできるアバター数の制約が大きい仮想空間の特質を企業が理解していなかったなどの理由で、 今では個人ベースの利用となっているため、 どれだけ目覚ましい活動を行ってもメディアが取り上げなくなったからだ。 それに円安の影響もあって日本人ユーザーの割合は減る一方だが、 Second Life全体でみればリンデン社は利益を上げていて開発投資を継続しているうえに、 次世代プラットフォームSansarの開発も順調のようである。
前置きが長くなったが、高木淳の仮想空間でのアカウント名はmotoko Moonwallといい、最近のアバターはイノセンスの素子の影響で球体関節人形だった。 画像1、画像2
ブームの翌年の2008年にmotokoは誕生しているが、 小説を投稿しなくなった2011年はこの世界に太陽や月による影ができるようになり、 またCOLLADAフォーマットによる3Dデータのインポートも可能となる一方、 OpenSimの方も充実してきて、仮想空間のクオリティーと多様性が大きく向上した年でもある。 その頃から、motokoは屋台、夏祭り、浴衣、初詣のための神社、小樽の街並みなどのモノづくりのほか、 バンドメンバー、コンサートのバックダンサー、花火師、茶道、舞踏、仮想空間構築についての講師、 作曲、映画作成、初心者支援スタッフなど、なんでもやっていた。まさに社会シミュレータならではである。
その頃のmotokoは、Second LifeユーザーのSNSの中で膨大な備忘録を残している。 それは大きく2つのテーマに分かれている。 一つは「Second Lifeという特別な世界の社会経済をどう捉え、 その特殊な世界の中で、人間はどういう形で自分の願望、欲望を実現していくべきなのだろうか?」という問いである。
なぜ特別なのかは「見通しの悪さ」にあるとする。 現実世界ではメディアやインターネットによってさまざまな情報が報道または検索されるのに対し、 Second Lifeでは非テキスト的な空間ゆえに現実世界のような情報伝達が成り立ちにくく、 もっぱら他者との連帯のネットワークで口伝えられる。しかもある程度のPCとネット環境が必要なので、 現実世界と繋がる間口も狭く、Facebookなどと比べて2桁以上少ない90万人規模のニッチな世界である。 しかしながら、テレポートによって世界中のあらゆる場所に到達でき、 世界中の誰とでも交流できるSerendipity(幸運な出会い)のある世界でもある。 Second Life内の商品には生活必需品がなくすべて嗜好品なので、現実世界との間の流通はないと言ってよい。 そういう閉鎖された世界の社会経済は、人類の社会経済の歴史の中のどの時点に該当し、 これからどうなっていくのかというもの。SF作品ではよくでてきそうなシチュエーションである。
motokoはそんな特殊な世界で人間がどう自己実現していくかを さまざまシミュレーションしてみたのではないだろうか? もちろん、そこで多くの親しい友人たちと大いに楽しんでいたし、 また多くの人から愛されていたことが、多くの友人たちから送られてきた追悼のメッセージからも窺える。
もうひとつは大学で心理学を学び、そのあと入学したデザイン専門学校を成績優秀で学費免除された経歴が反映しているのだろう。 人間が知覚する対象物がどのように平面上に描かれ、それは宗教、科学技術、経済社会とどう影響しあっているかというテーマ。
対象物は現実に存在するものから空想上のもの、あるいは心の内面まであるし、 3次元のものを平面上に映し取るのに、まさにカメラで撮った画像のように写実的な描写もあれば、 幾何学を無視したもの、特徴抽出(文字・記号につながる)、デフォルメ、抽象化したもの、静的なものと動的なもの、 メタファー的なもの、メトノミー的なものもある。 視点についても、高所から見下ろしたものから、虫眼鏡を利用しないと描けないものもあり、 しかもそのための道具が発明される前にそのような絵が描かれている例もある。
これらについて、呪詛的社会までさかのぼり、東西の宗教の違い、写真・映画が発明されたことよる影響など、 さまざまな備忘録を残しており、これがあとのアビスでの取り組みにつながる。
このmotokoと私がかかわるようになったのは2013年から。 アビス海文台(Abyss Observatory)はSecond Life及びJapan Open Grid内に構築されたバーチャル博物館である。 JAMSTECのアウトリーチ活動として始まり、シンガポール国立教育研究所、 米インカーネートワード大学、The Sceince Circle(仮想空間を利用したオープンスクール)、 東京情報大学などの支援を受けているが、展示コンテンツはすべてボランティアベースで作られており、 これまでの協力者は5か国、20人を超える。画像3
ここでmotokoが最初に手掛けたのは地球と生命の共進化についての科学展示である。 もともと46億年の主要な地球史イベントを螺旋状のスロープに配置しただけの私の展示をヒントに、 豊富なイラストと模型が追加され、質問と答えがインタラクティブにやりとりできる教育施設となった。 画像4
2つめは気候のカオス展示。 エドワード・ローレンツが発見したバタフライ効果は気象が予測不可能な意味に誤解されているが、 本当に重要なのは、気候のカオスがまったくのランダムではなく、複数の 「奇妙なアトラクタ」の間を不規則に行き来することを発見したところにある。 motokoはカオスのアトラクタを機械的に再現するカオス水車をSecond Life内の物理エンジンを用いて再現した。 なんだと思われるかもしれないが、 ゲーム用物理エンジンHavocのオブジェクト同士の接触面に物理反発が生じることを利用して 回転するメカでこれだけ複雑なものはほかに見たことがない。
この気象のカオスについての展示は、世界で最初の汎用コンピータENIAC、 地球シミュレータの実物大、さまざまな観測データとシミュレーションデータの球体表示とともに展示されている。 画像5
3つめはジュールヴェルヌの原作に忠実に基づいたノーチラス号の復元。 ヴェルヌは「海底二万里」の執筆時にラフな船内配置図を作成したと考えられており、 多くのファンがその復元に挑戦しているが、原作自体にいくつか矛盾点があることもあって、 原作の全編にわたってつじつまの合うものはまだなかった。
今回、私、motoko、そして米Aley(Arcadia Ashylum)が協力し、 これまでのものと比べて最も矛盾の少ないノーチラス号を作成し、 シンガポール国立教育研究所がSecond Life内で運営しているジュール・ヴェルヌ博物館に展示している。 画像6
motokoが大きく貢献したのは、サロンに飾られている22枚の絵画と、 ネモ船長の部屋の5人の英雄の肖像画、さらにネモ船長が演奏したオルガン曲も特定したことである。 そのほか原作のさまざまな記述の解釈について仏語にまで遡って考察している。 ネモ船長の部屋に飾られていた妻子の写真に相応しい画像まで見つけ出したのには驚かされた。 画像7
最後に紹介するのが近代博物館 II。 画像8
元になった近代博物館 I は、アーティストcomet Morigiが1879年~1882年という近い年に生まれたアインシュタイン、 ピカソ、ストラビンスキーが、それぞれ斬新で奇妙な科学理論、絵画、 音楽を発表したというSynchronicityに着目したことに始まる。 私が発表年を縦軸とし、有名な絵画、彫刻、建築、小説、音楽、科学技術の発明・発見、社会イベントのパネルを配置し、 分野を超えた関係を発見する協働プラットフォームとして、米インカーネートワード大学のヴァーチャル博物館内に設置している。
これは発表年で作品を配置しているため、 印象派以降に爆発的に多様性を増やしした現代アートの相互の関係が表現しきれないことなど、 前述したとおりさまざまな仮説を考察していたmotokoにとっては物足りないものであった。 このため、螺旋状の展示スペースで新たに進行方向に向かって横軸を導入し、 左側にはバロック的、マニエリズム的な傾向の強いもの(深奥的、不安定、開かれた形式。「左目のアート」)、 右側にはルネサンス的、古典的な傾向の強いもの(線的、平面的、安定的、秩序的、閉じられた形式。「右目のアート」)を配置した。 画像9
この左目のアートと右目のアートという評価軸をどうやったら訪問者に分かるようにできるかなどの議論と、 画像表示スクリプトの不具合修正の途中でmotokoは病に伏し、帰らぬ人となってしまった。
幸い、ご親族の方々のご理解により表示不良については修正することができ、 “The Motoko Museum of Art History”として2月22日に正式公開することができた。 実はmotoko自身が、さまざまな仮説を発見し検証する場としてこのミュージアムを一番使いたかったに違いない。 画像10
西村 一、JAMSTEC、アビス海文台・近代博物館・教育ポータル (http://jogrid.net/abyss/indexj.htm)、 地球・海洋SF文庫 (http://marine-earth-sf.blogspot.jp/)を運営
(画像)
画像1(motoko画像1)http://jogrid.net/abyss/motoko1.jpg
画像2(motoko画像2)http://jogrid.net/abyss/motoko2.jpg
画像3(アビス海文台)
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画像4(地球と生命の進化)
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画像5(気候のカオス)
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画像6(ノーチラス号全景)
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画像7(ノーチラス号サロン)
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画像8(近代博物館II 全景)
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画像9(ルネサンス)
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画像10(現代アート)
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