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マーシアン

白田英雄

 

 火星の平原でふたりの魔法使いが出会った。
 予圧服に不釣り合いな、色のついた石や鳥の羽でじゃらじゃらと飾りたてているのは魔法使いぐらいしかいない。
 魔法使いが出会った時、あるのは対決か話し合いしかなかった。
 決闘すれば自らの魔法が相手より勝っているかどうか知ることができる機会があるし、一方で仲良くなれば相手と装備や情報を交換できるかもしれない。
 いずれにしろ、このような火星の平原で魔法合戦をしようとするような魔法使いは例外なしに魔法の研究者であったし、空気も薄く水も簡単に入手できないようなこの場所を軽装で歩くこと自体が、彼らが能力の高い魔法使いであることを物語っていた。
 なにせ彼らは水も空気も、それに場合によっては食料までも、周囲の物質を変換するか、もしくはどこからか取り寄せることで調達しなければならないのだ。物体を浮かべるような初歩的な魔法だけではこの火星の平原をわたっていくことはできない。
 パイは片方の魔法使いが戦闘状態に入ったことを知った。動きを止めて呪文を唱え始めたからだ。
 火星の薄い大気を通じて細くかん高い音となって呪文の詠唱が聞こえてくる。もちろん、火星の薄い大気のなかのノイズのせいで何を言っているのかまではわからない。だが、大気を呪文で震わせることが効果的であると考える魔法使いは、予圧服に取り付けられたスピーカーを通して声を外に出すことを好む。
 先に呪文を唱え始めた方の魔法使いは大地を変成して岩なだれをおこした。地面が隆起し、赤い岩が持ち上がって、もう一方の魔法使いを襲った。
 岩の流れは、しかし相手の魔法使いの一歩手前ではじかれた。
「なるほど。大地を変成する魔法使いと風の魔法使いか。四大精霊の魔法を使うということは、どちらもかなりの使い手だな。」
 岩を受け止めた方の魔法使いが剣を振った。すると大地の魔法使いの周囲にいきなり炎が舞い上がった。
 何も無いところから火をおこしたとはいっても、燃料を無から生じさせたわけではあるまい。相手の周囲の空気を励起して高熱と光を生じさせたのだろう。炎とはいっても所詮は高温のガスにすぎないのだから。
 パイは赤茶けた岩の陰からこれらのことを見て取った。
 さて、次はどうする?
 炎が突然切り裂かれ、大地の魔法使いが中から踊り出た。
「まさか? 大地だけでなく風も使うのか?」
 パイがそう判断したのは大地の魔法使いの手にもまた剣が握られていたからであった。剣は風の要素の象徴なのである。
 風の魔法使いもまたたいしたものだ。炎を生じさせたということは、火の要素についても使いこなしているということにほかならないからである。
 大地の魔法使いが剣を振るうと強い風によって炎が吹き飛ばされてしまった。風は火の要素を受け止める要素だ。ただの炎では風に勝てない。
 パイは興味深く二人の魔法使いの対決を観戦した。これだけ高レベルの魔法対決はそう滅多に見られるものではない。この二人はかなりの修練を積んできたものらしい。
 それにしても、二人が二人とも剣を持ちながら、それを構えるでも無く、ましてや剣を交えることもなく対峙しているというのはおかしなものだとパイは思った。しかし、物理的な直接攻撃をしないというのが魔法使いたちの間での習わしであった。なにしろ物理的な攻撃で対決に勝っても、魔法の修練にはまったく結び付かないからである。
 均衡は突然破られた。
 大地の魔法使いが大地を変成してもう一振りの剣と成したからである。
 パイは目を疑った。大地の魔法使いが二本の剣を構え、風の魔法使いに振り下ろした。
 風の魔法使いは剣撃を受け止めようとしたが、大地の剣によってあっけなく折れ曲がってしまった。魔法使いの剣は武器ではない。ただのかざりだ。見栄えをそれらしくしただけの軽い銀色の棒でしかないのだ。対する大地の魔法使いの持つ大地の剣は重たくするどかった。
 すんでのところで剣をかわした風の魔法使いであったが、大地の剣は彼の飾りのひとつを切り裂いた。それを見た風の魔法使いは腰を抜かしてしまった。
 とっさにパイは呪文を唱えながら飛び出した。
 パイは二人の魔法使いの間に割り込んで、いままさに振り降ろされんとしている剣の前に右手を差し出した。
 激しい雷光とともに大地の剣は砕け散った。
 二人の魔法使いはしばしあっけにとられていたが、はっと気づいたようにして風の魔法使いは立ち上がって逃げてしまった。
 パイは予圧服のコンソールを操作した。通信機が相手の使用しているプロトコルをスキャンしはじめた。すぐにコネクション確立の合図とともに大地の魔法使いの息づかいが聞こえてきた。
「なぜあのようなことを?」
 パイは大地の魔法使いに問いかけた。
「人を殺すところだったのだぞ。魔法の研究のためにはあのようなことをしてしまってはどうしようもないではないか。」
 大地の魔法使いは剣を降ろした。
「魔法の研究に興味は無い。」
「興味無い? しかし魔法使いの目的は自らの魔法を研鑽することではないのか?」
 大地の魔法使いは笑った。
「魔法は適当に身につく。しかし、己が本当に強いかどうかは手合わせをしてみないことにはわからないではないか。」
 魔法使いにしては変わった考えを持っている。パイはその男に興味を持った。
「それにしても先程のお主の術はすごかったな。雷撃とは思いもつかなかった。」
 どうやら研究に興味は無くても情報収集はおこたらないらしい。しかし、この男にあまり教え過ぎるのは危険だ。
「雷は風の要素に属する現象なのを知らないのか?」
「風? そうか、風なのか。」
 現象そのものを教えたとしてもそれを再現する公式がわからなければ無効だ。本人に独力で公式を編み出す力量があれば別だが、そのためには膨大な公式の積み重ねが必要になる。
「私はユンという。お主は?」
「パイと呼んでもらおうか。」
 ユンは抜き身の剣を腰のさやにおさめた。
「パイとやら。お主も変わっているな。魔法使いの手合わせを見物するような物好きがいるとはな。」
「対決を見学することはよい勉強になるのだ。」
 ユンはどうやら決闘としての対決の要素にこだわるつもりらしい。パイはこの男に対して背中を見せてはいけない気がした。

 魔法はメンタルなものである。
 魔法は呪文をトリガーにして作動する。
 魔法は一見物理法則に反するようにみえる。しかしそこには法則性があり、でたらめな現象が起きるわけではない。
 魔法は、この宇宙に平行な宇宙を通して力を起動する。超ひも理論などで予言される宇宙と同等の宇宙なのではと言われている。
 魔法は平行宇宙に対して呪文でアクセスをかけ、向こうでの作用をてこの原理によって増幅させることでなにかをおこす。この世界の物を平行宇宙に投影して、さらにこの宇宙に投影し直すことで、原因とよく似たしかしもっと拡張された結果をえることができるのだ。このことを相似の法則という。
 今ある物体を変成して他の物体に組み替えることも可能である。ただし、変成前後の物体についてどれだけ正確にイメージできるかが成功のカギとなる。呪文によってイメージが平行宇宙に送られるからである。先程ユンが大地を剣に組み替えたりしたのがよい例だ。
 平行宇宙に投影するイメージを確固たるものとするためにさまざまな媒介が用いられる。特に古くてよく知られている物や、宗教的な影響力をもつ物は自分以外の多数のイメージを利用できるのでよく使われる。(ユングの言うところの集合的無意識を利用することになる。) 同様の理由により、呪文も古い言葉が好んでもちいられる。これらの原則のことを、類似の法則という。
 特に魔法の総本山である火星でポピュラーなのは西洋魔術と呼ばれる魔法体系であり、火水風土の四大元素が基調となっている。
 火星に水は少ないので水の魔法はあまりお目にかかることはないが、火や土の魔法はかなりポピュラーであった。
 ユンは少なくともこの四大元素の魔法のうち二種類の魔法を扱うようである。大地と風。陰と陽の両方の力を持つことになる。バランス的にも問題は無い。
 そのような実力のある魔法使いがなぜ人狩りまがいのことをしているのか。
 パイは魔法使いの間で実際に命のやりとりがおこなわれているという話は聞いたことが無かった。しかし、魔法使いが火星の平原で行方不明になるというのはよくある話だ。なにせ人が生きていくにはあまりにも苛酷な環境である。魔法が使えるといってもちょっとした不注意で命を落とす魔法使いも多いだろう。そのなかにこのユンのような魔法使いの犠牲となった者もいるのかもしれない。
 なぜユンは決闘を好むのか。
「あのような戦いをしていたのでは、いずれ不名誉なうわさが立つのではないか?」
 パイはユンと連れだって平原を歩いていた。引くことができない以上いっしょにいるしかない。
「名誉なぞ関係ない。どのようなうわさが立とうが問題はないではないか。」
 意外な答えだ。
 確かに魔法使いの風習というものはまだ確立してから日が浅く、倫理的な規制などどこにもない。よっぽどのことがない限り、魔法を剥奪されることなどない。
 そもそも魔法を剥奪することはそう簡単にできるものではない。
 魔法は誰にでも使えるというわけではない。深層心理に対して魔法が使えるというキーワードを強烈にインプットしないといけないからである。インプットは古来からのならわしで参入(イニシエーション)と呼ばれている。古くからある魔法的な存在と自己を結び付ける儀式のことである。一種の催眠術のような物とも言えるが、魔法そのものを使用して深層心理に『スイッチを入れる』ことに特徴がある。
 当然、魔法的な方法で魔法を使えない状態にすることもできるが、通常、魔術師参入者はある種のキーワードを同時にインプットされることにより、容易に魔法使いとしての能力が解除されないようになっている。そのキーワードを呪文にこめて解除を行わなければならないのだ。
「しかし魔法でなく物理的な力に頼って相手を倒しても、魔法的には何の意味もないのではないか?」
 パイはさらに探りを入れてみた。
「魔法をまったく使わなかったわけではない。だが、そのようなことは問題ではない。」
 ユンはふふふ、と笑った。
「結局、魔法でない力で魔法使いを倒すことができるのだ。魔法使いになる必要なぞあるのか?」
「ふむ。しかし魔法使いとしての才能を持つ者は少ない。」
「なりたくてなるとは限らないものなのだよ。」
 なるほど。ユンはなんらかの理由によって、自らの意志に反して魔法使いに参入させられたらしい。
 どうやらユンは魔法使いを破門されたがっているようだ。そのため卑劣な手段を使ったという評判をたてて、自分が魔法使いとしてふさわしくないということを師に知らせようとしているのではないだろうか。
 だがそのような理由で彼の師が破門をするとは思えない。
 パイとユンは近くのドーム都市にたどりついた。
 エアロックに入ると気圧が上がってきてやがてシュウシュウと音が聞こえてきた。
「どうした? なぜ予圧服を脱がんのだ?」
「そういうおまえもなぜ脱がない?」
 二人は空気の満たされたエアロック内で予圧服のままで対峙していた。エアロックの中はそれほど広くはない。そんな中でいっぱいに膨らんだ予圧服はとてもかさばった。
 ぐずぐずしているユンにむかってパイは言った。
「いいことを教えてあげよう。一気圧の空気の中ではこんなに予圧服は膨らまないものなんだよ。」
 ユンはちっと舌を打つとパイの視界から消えた。幻の中のせまい空間にいる必要がなくなったからだろう。幻のエアロックの中で予圧服を脱げば当然直ちに窒息死してしまう。ユンはパイに幻を見せることで明確にパイに対して殺意を抱いたということになる。
 パイにユンの姿は見えない。このままではパイは無防備のままユンにその姿をさらすことになる。
 パイはとっさに思い浮かんだ呪文を唱え始めた。呪文といっても、数学のピタゴラスの定理の証明をギリシャ語で唱え始めただけなのであるが。しかしギリシャ語は魔法使いの必須科目だ。いかにユンといえども知っているに違いない。果たして、ユンの攻撃が無いところを見るととりあえず相手の度肝をぬいたことは確かなようだ。数学の証明が呪文として成り立つことを知る者は少ない。
 パイは呪文に集中した。
 魔法は原則として無から物を生み出すことはできないが、例外がある。プランク時間のようなごく短い時間のうちに、量子力学的に存在したものを呪文で捕らえることで固着化することである。一旦固着化された物体はどのようにも変成できる。
 勿論難易度は高い。
 パイはピタゴラスの定理を媒介に、現実と架空の世界の中間生成物を作り出そうとしているのだ。
 直交する二辺(現実と幻覚)のそれぞれの大きさの二乗の和は斜辺(中間生成物)の大きさの二乗に等しいのだ。ここでも類似の法則が目一杯使われている。
 呪文が唱え終わった。
 何か固いものどうしがぶつかる音がした。おそらくユンの剣がパイの作り出した『盾』にぶつかったのだろう。パイは中間生成物として盾のようなものを作り出したのだ。
 危ないところだった。
 幻覚が破られるとともに、パイの作り出した『盾』も消失した。
 ユンは折れた大地の剣を捨てて新たな大地の剣を変成しているところであった。
 パイは再び呪文に集中した。
 ユンの周りを鋼鉄の柵が取り囲んだ。
 鉄が大地の要素によることにユンが気づけば柵が破られるのは時間の問題だろう。しかし時間かせぎぐらいにならなる。
 パイは腰の物入れから一組のタロットのデッキを取り出した。簡単な呪文を唱えながらデッキをばらまくと、カードは勝手にぐるぐると混ざり合い、ひとつの山となった。一番上のカードがめくれ上がり、パイにその表の面をさらした。
 十六番目のカードである『塔』のカードだ。これは破滅を意味する。さらに何枚かのカードがめくられ剣の七とカップの五が現れた。そして最後に二十一番目のカードである『宇宙』のカードが現れた。これはひとつのサイクルの終わりを意味する。
 あわせて十枚のカードがめくられ、パイは必要な情報をすべて把握した。
 カードは再び混ざると元の状態になってパイの手の中に戻った。それと同時に、ユンも鋼鉄の檻の呪縛から解かれていた。
 ユンが抱えているのはもはや岩の剣ではなく、鋼鉄のずぶとい剣であった。あのような物で切りつけられれば、あっと言う間にお陀仏となってしまうだろう。
 しかし、パイはあわてずに右手を前に差し出して短い呪文を唱えた。
 たちまち地面から蔦が伸びてきてユンの体をからめ取った。ユンは剣を振りかぶった状態で動きを止めた。
「汝の真の名を呼ぶ。汝の名は『破滅』。果たせぬ願いかなえてやろう。」
 ユンは視界の中心に、崩れ落ちる塔の幻を見た。
 パイは古くから伝わるタロット・カードの象徴を魔法と組み合わせ、『占い』によってユンの魔法使い参入時のキーワードを探り当てたのだった。並の魔法使いにできる技ではなかった。
「お、お主は……」
 わずかに動く口でユンはつぶやいた。
 そういえば聞いたことがある。
 まだ地球で魔法が再発見される前から何百年も生き続ける伝説の魔法使いがいるということを。パイがそうだという証拠はどこにもない。しかし、パイはそんな伝説の魔法使いでもなければできないようなことをやっている。
 パイは参入の呪文を逆から唱え始めた。
 そしてさいごに、参入するときに聞かれる最初の質問を言った。
「汝、誓いを唱う用意は整いたるや。」
 ユンは体から力が抜けたような気がした。
 魔法の力で支えていた鋼鉄の剣が手から滑り落ちた。
 パイがふたたび呪文を唱えると景色が変わった。どこかに瞬間移動したのだ。パイの姿はなかった。
 ユンは魔法使いとしての資格を解除されて火星の平原に取り残されたのだ。
「チャンスをやろう。おまえのタンクに残された空気で行き着けるギリギリのところに有人のドームがある。何者にも邪魔されなければ、生き延びることはできるだろう。」
 パイの声がどこからともなく聞こえてきた。
 しかし、ユンにはどこにドームがあるかの見当もつかなかった。
 それは死刑の宣告であった。

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