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使用上の注意

藍川菜月

 

 誰かを好きになることは、それ自体がすごいチカラになる。
 たとえば好きな子に会えるというだけで、あんなに面倒くさいと思っていた学校に行きたくなったり、クラブ活動を頑張れたり。
 ぼくは単純だから毎日が楽しくて仕方がなくなってしまうくらいだけど、これほどじゃなくても、きっとこんな気持ちはみんな持っているはずだ。
 ぼくの名前は三上俊作。小学5年生だ。学校ではバドミントン部に入っている。
 「私、強い人が好きなの」
 ぼくの憧れの人は、隣のクラスにいた。
 名前は周防マリ子。派手なタイプでないけれど、はにかんだ笑顔とメガネの奥にある瞳は小さいけれど澄んでいて、笑うと一層細くなった。マリ子ちゃんは図書委員をやっていた。誰もが敬遠しがちで、委員を決定する日に休んだ生徒に押しつけられがちな役割を、彼女は嬉々としてこなしている。聞けば家でも図書室とおなじような環境にいるから、落ち着くらしい。あとで聞いたんだけど、マリ子ちゃんのお父さんはえらい学者さんらしい。
 マリ子ちゃんの家にも古くて分厚い本がたくさんあるのだろう。
 学者、というイメージはムキムキの筋肉と結びつかない。ほとんど陽にあたらない、色白でひよわな、気むずかしそうな印象を誰もが持つと思う。ぼくはマリ子ちゃんのお父さんを見たわけじゃないから断定できないけれど、もしかしたらその通りかもしれない。
 マリ子ちゃんが強い男の人が好き、というのはお父さんと逆の人を求めているからじゃないだろうか。
 そうであってほしいと、ぼくは思っている。だってぼくは頭が良くない。彼女のお父さんと張り合ったって勝てるわけがない。もちろん目指すことすら無理だ。
 「強くなれる薬って売ってないかな?」
 帰る道すがら、ぼくはクラスメートの神崎にたずねた。
 「そんなのあるわけないだろ」
 すげなく言い返されると思っていたのに、神崎は、すこし考えてから、
 「あるよ」
 と答えた。
 「え、ある?」
 ぼくは動揺して、神崎の言葉をおうむ返しにしてしまった。
 神崎が言ってるやつは、オリンピックとかでよく耳にする、キン肉ゾウキョウザイとかいうやつじゃないだろうか?
 「違うよ」
 神崎は二の腕を掻きながら、ランドセルを背負い直した。
 「じゃよく兄ちゃんが言ってるプロテインってやつか?」
 「そんなの飲んだって、いきなり体も大きくならないし、強くなれないだろ」
 「そりゃそうだけど‥‥」
 たしかに兄ちゃんはあのまずそうな粉末を水にとかして、胃に流し込んだあと、腹筋やら背筋やら運動をして鍛えている。
 ぼくは面倒くさがりなので、できればあの過程はパスしたい。
 「なあ、一体どこにあるんだ?」
 「知りたい?」
 ぼくの表情がよほどせっぱつまっていたのか、急に神崎はもったいぶるようなそぶりを見せ始めた。
 「ああ。ほんとうに強くなる薬があるんだったらな」
 「ほんとうだって」
 「じゃ、どこにあるのさ」
 「お店に行かないとないよ」
 ぼくは振り返って、歩いてきた商店街を見つめた。
 この商店街には薬屋はない。コンビニにも薬は売っていない。
 「ここらへんには薬屋なんてないだろ、嘘つくなよ」
 ぼくが言うと、神崎は首を振った。
 「近くにあるなんて誰がいった? そこは毎日やってるわけじゃなさそうだしな。俺は何回か見たことあるけど」
 神崎の口ぶりからすると、その店はあまり有名ではないらしく、見れない人はめったと見れないらしい。
 結局ぼくはチュッパチャプス一個で、神崎にそこへ連れていってもらうことになった。大人でも子供でも、タダでは何もしてもらえない。なかなか厳しい世界だ。
 三日後、月のちょうどまんなかの水曜日、店が開いているのはその日らしく、ぼくらは学校帰りに寄ることになった。
 ぼくの通う小学校の裏庭には、小高い丘があり、そこから見える町はずれには古い寺があった。そこでは檀家さんを中心に市のようなものが開かれているらしい。そこに「強くなる薬」があるという。
 「こんなところに売ってるんだ‥‥」
 ぼくの家はこのお寺の檀家ではなく、交流もなかったから、今まで気づかなかったのかもしれない。
 神崎に続いて寺の境内をくぐると、長椅子をいくつかくっつけて、その上に布を敷いた簡単な売り場が目に入った。
 だが、そこは古い着物や茶碗、神様をかたどった像がちょこちょこと並べられているだけだった。値段もついているのかわからないし、店員どころか客もいない。
 「おい、神崎。ここにはだれもいないのか?」
 「きっとまだ準備中なんだろう」
 「夕方から開店するものなのか?」
 神崎はさあ、と曖昧な返事をした。
 寺の住職はだいたい年寄りだし、きっと朝も早いから、とてもじゃないが夕方からやるとは思えない。だいたい、そこまでして買いに来る人がいるだろうか。
 それに、周りには目指す薬屋がなかった。「いったいどこに売ってるんだよ」
 「こっちこっち」
 神崎は寺の建物の横にある狭い道を進んでいった。ぼくもあとに続く。のびきった植木の枝が、腕にひっかかって痛かった。
 そこをどうにかすり抜けてゆくと、お墓へ向かう道と、それよりは人の踏み荒らした跡がなさそうな細い道に分かれていた。
 真ん中にはご神木らしき立派な樹がどっかりと座っていた。
 「ほら、もう見えるだろ」
 じゃりじゃりと砂を踏み締めて歩いてゆくと、薬、と書かれたちいさなのれんが見えた。建物はすべて木製で、耐久性を考えていないか、長い年月の間に忘れてしまったような古さだった。引き戸には“調合いたしマス”と“丸薬もありマス”と書かれている。
 どうやら通常に売られているのは粉末が主のようだ。
 「ここか‥‥なんだか時代間違えてない?」「寺だからなんでもありだろ」
 神崎はわけのわからない理由を言う。
 「いいから俊作、早くしろよ。用事があるんだろう?」
 神崎の声におされて、ぼくはおずおずと扉を引いた。
 なんだか薄気味悪い雰囲気の店だし、力の強くなる薬が、カエルやイモリを粉末にしたものだったりしたらどうしよう。
 一瞬気持ち悪い想像が頭をよぎったが、マリ子ちゃんのことを思い浮かべて、自分を奮い立たせた。
たてつけの悪い引き戸は、開けるのにもかなり力がいる。これを何回も繰り返したら、すこしは力が強くなるような気がする。
 ガラガラと音をたてて中に入ると、薬の臭いが鼻についた。
 案の定、店員は誰もいない。
 あたりには、薬、と書いた棚がずらりと並んでいた。ゆっくりと奥に進むと、人影が見えた。周り込んで覗き込むと、背の丸まった置物のように小さなおばあさんがちょこんと座っていた。
 「すいません‥‥」
 眠っているらしく、返事はない。よく見るとこっくりこっくり船をこいでいる。
 もし、耳元で叫んで無理矢理起こして、ショックで死んでしまったら、マリ子ちゃんと永遠の別れになってしまう。
 ぼくはどうしたらよいかわからず、後ろに控えたままの神崎を見た。
 「早くしろよ」
 神崎は起こせ、という動作をしている。
 「あの、すいません‥‥」
 おばあさんはふにゃふにゃと何かいったようだったが、目を開ける様子はない。
 「おまたせしましたぁ、いらっしゃいませ」
 ふいに頭上で、小さな声が聞こえた。
 ぼくはおばあさんを見たが、あい変わらず動かぬままだった。どうやら声の主はちがうようだった。
 「ちがう、こっちこっちー」
 僕のまわりをふよふよと小さな光の玉が飛んだ。
 よく見ると、その中に小さな小さな女の子が入っていた。
 「うわっ!」
 ぼくは思わずあとずさった。
 「そんなにびっくりしないでよ!なんだか傷つくなぁ」
 よく見ると、玉の中にいる女の子はふくれっつらをしている。
 「だ、だって‥‥」
 「そうだよ俊介、失礼だぞ」
 「だってありえないじゃん」
 「ありえないのはすでにこの薬屋の存在だろ? それに比べれば珠美ちゃんのことなんて、ささいなもんさ」
 玉の中にいる少女−珠美ちゃんはうんうんとうなずいている。
 神崎はスピリチュアルなものに対して免疫があるから驚かないのか、それともおそろしく寛容なのか、ぼくにはわからなくなってきた。
 「はぁ‥‥」
 ぼくはなんだかわからず、首をかしげるしかなかった。
 「それより、何をお探しで? そのためにわざわざ来たんでしょ?」
 珠美ちゃんはおばあちゃんのまわりをくるくると飛びながら、ぼくに尋ねた。
 「うん、それはそうなんだけど‥‥」
 珠美ちゃんはおばあさんに気づかれないのだろうか、それが気になったが、珠美ちゃんは平気よ、と言った。
 「だって耳も目も悪いしね。これでもおばあちゃんの若いころは、よく遊んだのよ」
 「ふーん」
 見かけは西洋の妖精みたいだが、きっと座敷童子みたいなものなのだろう。
 「あの、強くなれる薬ってありますか?」
 「あるよ」
 ここでも即答だった。そんなに需要がある人気商品なのだろうか?
 珠美ちゃんはおばあちゃんの横をすりぬけ、後ろの大きな薬棚の方へ向かった。
 取っ手がついているから、てっきり引くのかと思えば、なんとワンタッチで開いた。ハイテクなのか古いのか、さっぱりわからない薬屋だ。
 「大・中・小とあるけどどれにする?」
 まいった、ここでも選択しなければいけない。
 だけどここで迷っていてもマリ子ちゃんの心はつかめない。
 「大きさによって差がでるの?」
 「ううん。お徳用かそうでないかだけ」
 珠美ちゃんはぼくの前に空の容器を差し出した。
 「じゃ、大にします」
 「はーい」
 ぼくはあわてて財布をさぐった。もっとはやくお金がないって言えば良かった。
 「おまたせ。300円ね」
 「そ、そんなに安いの?」
 「だって原材料費だけだから」
 原材料がそんなに安いってことは‥‥。
 珠美ちゃんの笑顔にいくらか寒いものを感じながら、ぼくは薬を受け取った。
 「この薬も効き目に多少は個人差があるからね。お買い上げ、ありがとーございました」
 珠美ちゃんの言葉に、おばあちゃんが一瞬目を開けたような気がした。
 「じゃ、帰るぞ」
 待ちくたびれた神崎は、あくびをしながらぼくに言った。
 ぼくらが薬屋を出ると、一陣の風が吹いた。 砂ぼこりが目にはいりそうになって、ぼくは目をつぶった。
 風がおさまって後ろを振り向くと、薬屋には“本日閉店”の札がかかっていた。
 建物があとかたもなくなっていたわけでもなく、薬も手元にあったので、ぼくは小走りで家に帰った。
 薬には原材料名などはまったく書かれておらず、朝晩二回、付属のキャップ一杯飲んでください、と書かれていた。使用上の注意には“効果がでなくても、個人差があるので用法・用量を守って服用ください”と書かれていた。
 これでマリ子ちゃんの憧れる強い男にちかづける。
 ぼくは毎日、ひたすら薬をのみ続けた。
 一週間後、ぼくはたまたま運動会の実行委員会でマリ子ちゃんと会った。
 「なんだかめんどくさいよね。早く終わればいいんだけど」
 「ほんとほんと、クラスに帰っても多数決とらなきゃいけないし」
 幸いぼくの横は空いていたので、そこにマリ子ちゃんが座った。ラッキー。なんでも同じ委員の千石くんは病欠らしい。
 「なんだか三上くんちょっとたくましくなった?」
 なにげなく、マリ子ちゃんはぼくを見てそう言った。
 「そうかな? 自分じゃわからないんだけど」 ぼくはすこし照れながら、ノートにタコ田というあだ名の体育の先生の似顔絵をいたずら書きをした。
 「うん。二の腕とかたくましくなったね。あ、それ竹田先生? 似てるー」
 マリ子ちゃんは口元に手をあててくすくすと笑った。
 「そこ、何か意見があるんですか? なかったら静かにしなさい」
 ぼくらの声がうるさかったのか、タコ田がこっちをにらんでいた。
 ぺろりと舌をだしたマリ子ちゃんも、ぼくの好きな笑顔だった。
 それが見れただけで、タコ田に怒られたことも吹っ飛んでしまった。
 もっと強い男になりたい。
 毎日ぼくは薬を飲み続けた。
 お風呂あがりに鏡を見ても、あまり変化は感じられなかったが、減っていく薬を見るたびになんだか自信がわいてきた。
 こうやって、さらに一週間が過ぎた。
 「なぁ、お前顔小さくなったな」
 神崎は、ぼくの顔をまじまじと見ながら、そう言った。
 「そうかな? すこし筋肉がついてきたからかな?」
 ぼくはさして気にもとめなかった。
 だって服の上からでは、どれぐらい筋肉がついたかはわからなかったし、今の状態では誰一人気づくはずがないからだ。
 実は、あの薬には、さらなる秘密が隠されていた。
 僕の場合は、気づくまでに二週間かかった。 だけどいよいよ、この効果を試すときがやってきた。
 今日の図書当番は、ぼくとマリ子ちゃんだった。
 マリ子ちゃんが重たくて困っている本の山も、すぐに片づけてみせる。
 ぼくはマリ子ちゃんに「すごーい」と誉められることを想像しながら、意気揚々と図書室に向かった。
 「あら、三上くん早いのね」
 マリ子ちゃんも今来たところらしく、まだ鞄を抱えていた。
 「今日は三分間スピーチがなかったから」
 「そうなんだ。それに、三上くんのクラスは先生の話も長いもんね」
 ぼくはマリ子ちゃんに続いて図書室の奥へと入った。
 今日も貸し出し受付の机には、返却された本が山と積まれている。
 昨日の図書委員は優秀だったらしく、すでにジャンル別に分かれていた。これは一旦汚れや破れを確認するために、奥の部屋へと運ばなければならない。マリ子ちゃんの細腕では、何往復しても終わりそうにない。
 「たくさんあるわねー」
 「大丈夫、ぼくが運ぶよ」
 僕は両方の腕をさすった。二の腕は特に念入りに。
 何度か肩を上下させると、血管が浮き出て、筋肉が隆起する。
 ぼくは手に抱えられるだけの本をざっとすくうように持ち上げると、一瞬で何十冊もの本を運び終えた。
 「すごーい。三上くんって力持ち!」
 「こう見えても意外と腕力あるだろ? どんどん運ぶから何でもいってよ」
 ぼくは鼻の下をこすりながら、マリ子ちゃんを見つめた。
 だが、マリ子ちゃんは一瞬のちには、あまり晴れない表情になった。
 「どうしたの?」
 「ううん‥‥なんでもない」
 「何でもないってことないだろ? この力があれば、図書館の整理には役立つだろ?」
 「それはそうなんだけど‥‥」
 マリ子ちゃんはぼくから視線をそらし、言葉を濁した。
 沈黙が空間を支配する。
 しばらくして、マリ子ちゃんは意を決したようにぼくの方を見つめた。
 「実はね、私整理整頓が苦手なの。だから、それができる人がいいなって気づいたのよね」 「え?」
 マリ子ちゃんの背後の棚には、つい最近地元出身の有名作家が寄贈した本が所狭しと並んでいた。
 「で、でも強い人が好きなんだよね?」
 ぼくの額には気持ちの悪い汗がにじんできた。
 「んー、でもマッチョは勘弁かな」
 Tシャツからはちきれんばかりに、見事に盛り上がったぼくの上腕二頭筋を見つめながら、マリ子ちゃんはぽつりと言った。
 その視線に気づき、ぼくは背中を向け、あわてて両腕をさすったが、いつものように筋肉はもとに戻ってくれなかった。
 「うそだろ‥‥」
 それでもぼくは、腕を何度もさすりつづけたが、いっこうに戻る気配はない。
 そういえば、あの薬にはこんなことが書かれていたっけ。
 “この薬は強力なので、用途を十分確認した後使いましょう。万が一の場合、責任はもてません”
 これからあと、いくら訪れてもあの薬屋はあらわれなかった。

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