『ハリー・ポッターと秘密の部屋』 ジョアン・キャサリン・ローリング著 ISBN4-915512-39-8 レビュー:[みさと]&[雀部]&[増田] |
静山社 | 1900円 | 2000/9/19刊 |
粗筋: ホグワーツ魔法学校の一年生を終えて、夏休みに突入したばかりのハリーは、例によってマグル(魔法の血が一滴も流れてない)のダーズリー一家のもとに下宿していた。相も変わらぬ無理解と意地悪にめげずに頑張るハリーだったが、ある日『屋敷しもべ妖精』のドピーが現れ「ホグワーツに戻ってはいけない」と言われる。 ドピーの使った魔法のせいで、部屋に監禁されることとなったハリーの元に、親友のロンが空飛ぶ車に乗って助け出しにやってくるが、ロンの親父さんは、魔法省の「マグル製品不正使用取締局」勤務だったとはヽ(^o^)丿 | ||
独断と偏見のお薦め度:☆☆☆☆☆ 魔法学校の生徒が次々と襲われたのは、封印されている謎の部屋を解き開いた者の仕業だと言われた事件があり、巻き込まれたハリーは、やむなく真相究明に乗り出すといったところかな。相変わらず、快調な展開ですね。個人的には、口ばっかりで、全然実力の伴わないギルディ・ロックハート先生のキャラが大好きですヽ(^o^;)丿 |
[増田] |
今回は世界中で『ハリー旋風』を巻き起こしているハリー・ポッター・シリーズの第二巻、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』です。 |
[雀部] |
二巻目は、魔法学校の授業の方は、ほとんど進んでませんねぇ^^; キャラでは、ギルデロイ・ロックハートが出色。 あんな先生が学校に一人居たら、楽しめること請け合い(^o^;)/ |
[みさと] |
私も発売日当日に買って翌日からの連休で一気に読んだ口ですが、発売日に買って一気読みしているのに、ちょっとこの本がファンタジーとだけいわれると何か違うかな、って気がしてなりません。 設定はFTなのだけれど読むとどうしても成長・冒険物語として受け止めてしまいます。 でもとても楽しく読めるので次作もきっと発売日購入即読だろうなあ(^^; |
[雀部] |
設定はSFでも、少年の成長譚でもあるというのは、ゴロゴロしてますが。 というか、そういうのに面白い作品が多いですね。 |
[みさと] |
そういえばそうでした。お気に入りのSF作品は確かにそのゴロゴロしたものがいっぱいなのでした。もしかしてハリポタがベストセラー化しすぎてあまのじゃくに、ほかにももっといろいろあるのに、なぜこれだけが・・、と思っているからかもしれません。これを機にSFもFTも読み手が広がるといいのですが。 |
[増田] |
成長物語というのは小説に限らず、映画でもゲームでも定番なんですよね。SFとかファンタジーとか、ジャンルを超えた普遍的な物語のパターンなんだと思います。 「この世に書かれていない物語など無い」とよく言いますが、まったくその通りだと思うのです。亜種、というと聞こえは悪いですが、どうアレンジするかで名作にも駄作にもなる。「ハリー・ポッター」は名作になったパターンなんでしょうね。逆に言えば、普遍的な物語をベースにオリジナリティを以ってうまくアレンジすることが名作の条件なわけで、人の心に残るストーリーパターンというのはもう決まっちゃってるのかもしれません。 最近になってふと気がついたのですが、面白いストーリーというのは必ずあるパターンが存在するんですね。何をもって面白いとするのかは異論もあるかと思うのですが。 |
[雀部] |
野田昌宏さんが、『新版スペース・オペラの書き方』で、映画『インディ・ジョーンズ』を例に詳細な分析をされてますよね。あの、つかみ方は、上手いです。 |
[みさと] |
貴種流離譚、というのもまた、古来よりのストーリーの王道ですねえ。たとえばダビデ王、たとえばアーサー王伝説。竹取物語は少し違うか。 名も無き貧しき家の子がふと巻き込まれ次第に物語(事件)の渦中に飛び込んでいく。実はその子は・・・。というパターン。 ハリポタもそんな面ないかしら。 |
[雀部] |
ありますね。なんせ、あの方を倒した両親の子供なんですから〜ヽ(^o^)丿 |
[みさと] |
FTはあまり読んでないのですが、エディングスの「ベルガリアード物語」なんかも「○○の血を引いている」という形で明らかにされる生い立ちなどなど。 |
[増田] |
ハリーの出生って、敵がハリーを狙う理由にはなっているんだけど、ハリーが主人公である理由にはなってないと思うんです。ハリポタの面白さって、ファンタジックな設定にミステリ&サスペンスなストーリー、その中での主役達(ハリー、ロン、ハーマイオニー)の機転だと思うんですね。名探偵ホームズを生んだ国の物語だから……なのかどうかは知りませんが(^^;)、現代のミステリ&サスペンスが失ってしまったような、正統派ミステリの面白さみたいなものがあると思うんです。思いも寄らぬ機転、という意味で。 |
[雀部] |
ハリーのアイデンティティの拠り所にはなっていると思います。 やはり、敵が狙うのは、主人公か、主人公ゆかりの可愛こちゃんでしょう :-) つまり、敵が狙っているんだから、主人公なんでしょう :-) ミステリ的な要素についてはその通りだと思います。SFでも、ミステリ的な要素を加味すると、面白さが増しますから。 |
[増田] |
ハリー自身の血統についていえば、魔力はたしかに平均以上ではあるものの、ずば抜けて高いという印象はない。むしろ魔法の腕から言ったらハーマイオニーの方が上だという印象もあります。 |
[雀部] |
ハーマイオニーは、勉強はできるけど・・・ ハリーは、野球選手で言うと、長島タイプなのではヽ(^o^;)丿 |
[みさと] |
面白さって何通りかあるうちの一つは確かにパターンを押さえた上でのというのがありますよね。逆にいかにそれをずらして読み手に期待を裏切っていくかという面白さもあるし・・・。 |
[雀部] |
ハリポタの場合は前者でしょう。だから安心して読める。 幅広い支持を得た要因の一つかも。 |
[増田] |
安心して読めるっていうのはありますよね。パターンの中でのツボを押さえた上で、キャラクターの躍動感もちゃんとある。 まったくの新しいストーリーパターンだと、それを読んだ読者が「理解できない」って放り出しちゃう事もあると思うんです。すると、その作品は「つまらない」という烙印を押されてしまう。王道を墨守するのも名作の条件なのでしょう。 |
[雀部] |
悪人は、悪人らしく、またコケにしちゃう奴は徹底的にコケにしちゃう。あ、これギルデロイ・ロックハート先生のことですがヽ(^o^;)丿 最近の普通の小説だと、悪人でもどこかに善良なところが残っていたり、主人公でも完全無欠じゃなくて、欠点とか小ずるいところなんかがあるほうが、人物造形が出来ているとか評されたりしますよね。でも、こういう水戸黄門的な、善玉と悪玉がはっきり書き分けられているほうが、子供に限らず一般には読みやすいとおもうのですが、どうでしょう。 |
[増田] |
難しく考える必要がない分、そうなのかも(^^;)。 悪人に善良なところがあったり、善人に小ずるいところがあったりした方が人物造形ができているというのは単なる教科書であって、必ずしもそうじゃないんですよね。昨今あふれかえっているそういう小説の登場人物より、私はハリポタの登場人物の方に親しみを覚えます。それがたとえ悪人として定義されていても。 要は、作者の登場人物に対する思い入れなんじゃないでしょうか。ローリング女史は思い入れたっぷりですね(^^;)。 |
[雀部] |
その思い入れが読者に伝わってくるのかもヽ(^o^)丿 ファンタジーやSFは、逃避文学であると良く言われますが、私は逃避文学も立派な存在価値があると思います。ジェフ・ライマンが作中(『夢の終わりに・・・』)で言っていますが「耐え難い現実世界から離れて、空想の世界に遊ぶことだけが生きがいだった」。やるせない子供時代を過ごしている少年少女(大人もかも^^;)が、この本を読んで「あ〜、今は誰も知らないけど、きっと僕は出るところへ出れば、その才能を見いだされるに違いない」と考え、日々を耐え抜き大人になるのかも知れませんね。 |
[雀部] 48歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。 ホームページは、http://www.sasabe.com/ [みさと] 文学少女くずれ、化学系パート。どちらかというとSF派。 ホームページは、http://www.ne.jp/asahi/passage/misato/ [増田] 本紙主任編集員。本業はフリーライター。どちらかというとファンタジー派。 |
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