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BookReview

レビューア:[雀部]&[石川]&[イリヤ]

 

追悼:「矢野 徹」

短篇再録「さまよえる騎士団の伝説」

追悼文:さようなら、矢野さん
浅倉久志/石川喬司/加藤直之/柴野拓美/嶋田洋一/ 菅浩江/高千穂遥/高橋敏也/野田昌宏/眉村卓

略歴と作品「日本SF界の先駆者」星敬

書誌「矢野徹全著作訳書リスト」編集部=編

矢野徹先生との出会い

雀部 >  SF作家・翻訳家の矢野 徹(やの てつ)先生が、平成16年10月13日に、ご自宅にて81歳で逝去されたとの知らせを聞いて、とても驚きました。日本SFの黎明期をご存じというか、日本SFの祖と言っても良い重鎮の方ですので、非常に残念で心残りで……
  SFマガジン'05/01月号で、<追悼:矢野徹>ということで、特集が組まれていますが、「アニマ・ソラリス」では、矢野先生が一般のSFファンの方たちとどういう風に接していらっしゃったかを取り上げてみたいと思います。
  そこで、かつてBBS「角川コンプティークネット」において矢野徹先生をマスターに迎えて開催されていた会議室「狂乱酒場」閉鎖の後を受けて、NIFTY SERVE で開催されたパティオ「矢野徹の狂乱酒場」のお世話をされているイリヤさんと石川さんをお迎えして、追悼ブックレビューを始めたいと思います。。
  イリヤさん、石川さんよろしくお願いします。
石川
>
 売れないライター兼、編集下請けやってます石川です。
雀部
>
 ありゃ、本職の方が。緊張するなぁ(爆)よろしくお願いします。
イリヤ >  ども、イリヤです。狂乱酒場パティオの案内人をやってる以外はごく普通のサラリーマンです。
雀部 >  イリヤさんもよろしくお願いします。
  イリヤさんと石川さんは、矢野先生とどういう風に出会われたのでしょうか?
イリヤ >  角川コンプティークBBSの狂乱酒場です。その頃あまり体調良くなくて退屈してたんですよ。
んで、狂乱酒場の文庫本を読んで「面白いことやってる人がいるなー」と思って、すぐパソコン買って参加しました。で、たいして書き込むネタも無かったんで、お願いして見習いバーテンにしていただいて、投稿にレスつけてました。
  参加してわりとすぐにオフで直接お会いして、しばらくして、お宅にも伺ったと思います。
雀部 >  文庫本というと『怒りのパソコン日記』ですか?
イリヤ >  そのまま「矢野徹の狂乱酒場1988」というタイトルの本です。中身は狂乱酒場のログのみという当時としてはとんでもない本です。
雀部 >  ありゃま(笑)
石川 >  個人的にお話しするようになったのは角川コンプティークネットが最初です。ただ、直接本人のお姿を見たのはSF大会のほうが先だと思います。
雀部 >  なにかSF大会でのエピソードがございましたら……
石川 >  お元気な頃は、毎年「狂乱酒場」という企画を主催してらして、目的はとりあえず飲んで自由に語る。参加者一同が興に乗って缶ビールの空き缶を天井まで積み上げ、「軌道エレベータ」を建設していたのが特に印象に残ってます。
  もうひとつ思い出されるのは、横浜のSF大会でダースベーダーのコスプレをしていた姿です。世間からは老人と呼ばれるお年になっても、そういう遊びには積極的でした。
雀部 >  あ〜、なんか良いですねぇ。私もそういう風に老けてみたいものです(爆)
石川 >  その後、一時期パソコンのサポート担当みたいになってしまい、何度かご自宅にも伺うようになりました。より親しくなったら、深夜でも質問の電話がかかってくるように。(^^;
雀部 >  それは大変というか、重要な役目を仰せつかったんですね。矢野先生がパソコンを続けられた影には、石川さんのご尽力があったんですね。じゃ"grep"なんかを、矢野先生に伝授したのも石川さんなんですか?
石川 >  これは別の人ですね。他にもパソコンに詳しい人はいましたから。というか、そもそもメンバの中にはパソコンメーカーやソフトウェアハウス、電気メーカーなどの社員がたくさんいました。他のSF作家の方のサポートに呼ばれたとき、
念を入れて大勢で行き過ぎて、「船頭多くして船山に登る」を実践してしまったくらいです。
 それ以降、直接のサポートはできるだけひとりかふたりの担当に限定するようになった記憶あります。大勢でアドバイスをすると、初心者は混乱するだけだということがよくわかりました。(^^;
雀部 >  わはは(爆)人によって流儀も好きなソフト(OSもか!)も違いますからねぇ
  「狂乱酒場」だけでなく、実際にお会いになった矢野先生の印象は如何でしたでしょうか?
石川 >  最初にお宅を訪問したとき、途中まで迎えに来てくださったことがあります。そのとき案内していただいた道も半分線路の上を歩くという反則わざの近道でした。陽気で年齢差を感じさせない、気さくな方だったと思います。
イリヤ >  お酒好きの陽気なおじいさんという感じで…(^_^;)
雀部 >  矢野先生が興味を持たれていた(もしくは趣味とされていた)ことで、他にはご存じありませんか?
石川 >  詳しくは知らないのですが、ペットがお好きだったようです。やはくりネット関係の方が訪問する際に愛犬を同伴したという話を聞きましたから。
   

 翻訳家としての矢野徹先生

雀部 >  そうなんですか、ひょっとしたら犬好きであられたのかなぁ。
  ところで、矢野先生の翻訳を初めて読まれたのはいつ頃でしょう?
石川 >  私が子供の頃にボーイズライフという少年向けの雑誌がありまして、そこに掲載されたレンズマンの抄訳が最初の出会いです。その後、レンズマンシリーズで単行本化されたものは全部読むことになるので、私をレンズマンとスペースオペラに近づけてくれた最初の人といえますね。
雀部 >  おお、『ボーイズライフ』懐かしいなぁ。レンズマン、確かに読みました。なんかネズミもどきが出てくるシーンが印象に残ってます。ところで、石川さんは『ボーイズライフ』のショートショート投稿コーナー覚えてらっしゃいませんか?一時、星新一先生も寸評を書かれていました。私、星先生の時、応募したことがあるんです。もちろん没でしたが(汗)
石川 >  すいません。そのコーナーは思い出せない。あまりにも昔過ぎて、遠い記憶のかなた。
雀部 >  私も、それ以外はどういう雑誌だったか忘却の彼方です(爆)
  矢野先生の翻訳で一番印象に残っている作品と言えば何でしょうか?
  私が翻訳家としての矢野先生を初めて意識したのは『宇宙の戦士』でした。あの後書きにふれて、あ〜矢野さんって翻訳者はこういう人なんだとちょっと感激したもんです(当時高一でした^^;)
石川 >   『宇宙の戦士』は私も印象に残っています。他には、『デューン』『月は無慈悲な夜の女王』あたりかな。
   
雀部 >  そこらあたりは定番中の定番でしょうね。
イリヤ >  わたしは、実は「悪徳なんか怖くない」ではないかと。初めて読んだハインラインで、次に「月は無慈悲な夜の女王」を読んだときの衝撃はものすごいものでした。(^_^;)
雀部 >  どのような衝撃だったのでしょう。
イリヤ >  スケベなシーンがまったく無いぞと。(^^;)
  まだ、適当に選んで読んでた無知な頃でしたから。(^^;)
雀部 >  SFにエッチシーンを期待しちゃダメですって(笑)
  SFの翻訳を目指す人のバイブルのような存在に『矢野徹・SFの翻訳』というご著作があるのですが、その中で矢野先生は、できるだけもとの英語の文章と一対一になるよう翻訳していると書かれてまして、ああなるほどなぁと納得したことがあります。まさにSF翻訳のスタンダードを目指しておられたんだと。矢野先生の訳文についてはどういう印象を持たれていらっしゃいますか?
石川 >  まさにスタンダードでした。というより。この文章でSFに入ったおかげで、翻訳SFはこういうもの。と受け止めるように条件付けされてしまったのかも。
   

小説家としての矢野先生

雀部 >  ところで、矢野先生の書かれた小説で一番お好きな作品と言えば何でしょうか?
石川 >  やはりカムイの剣ですね。矢野さんが亡くなってすぐにCATVでカムイの剣の放送がありました。
偶然なのですが、本人が亡くなっても作品は生き続けていくのだなあと、しみじみ。
雀部 >   アニメ化されたのは《カムイの剣》だけですもんね。あと田辺節雄さんが漫画化した『地球0年』も有名ですね。
  でも、本当に好きなのは『昇天する箱船の伝説』なんかの短編集のほうなんですが。
石川 >   あと思い出されるのは、高橋敏也さんと合作した長編に矢野さんご自身がモデルらしい人物が登場するのですが、なぜか将官クラスになっても軍曹を名乗っていたのが印象に残ってます。
  矢野さんの大戦当時の階級は軍曹で戦車に乗っていたとお聞きしているので、軍曹に強い思い入れがあったのかも。
   

ゲーマーとしての矢野徹先生

雀部 >  『宇宙の戦士』の後書きにも軍曹だと書かれてましたよね。
  矢野先生といえば、『ウィザードリィ日記』とか『ウィザードリィ幻想曲』など、ゲーマーとしての顔もお持ちですが……
石川 > 「ゲームで遊んで、それを本にして原稿料を稼いでしまう」という点で画期的でした。遊んでいても、廃人化するようなことはなく客観的に自己観察されていたのでしょう。だから、さめるのも比較的早かったです。今のゲーム廃人から見たらヌルゲーマーですが、社会人としての節度を考えると丁度よいバランス感覚だと思います。
雀部 >  なるほど。日記を読み返してみると、ゲームのことよりパソコンのことの方がたくさん書いてありました。あれれ、そういう本だったか。しかしMS-DOSの時代なんだよな〜当時は。
イリヤ >  なぜか、矢野さんにサインをいただいたのって、この2冊だけだったりします。(^_^;)
雀部 >  おや、イリヤさんもゲーマーなんですか?(笑)
イリヤ >  ボードのシミュレーションゲームをブーム以前からやってた流れで電源系にも手を出すようになって…
  今はネット碁だけですが。(^^;)
雀部    お仕事が暇になればまた復活されますか?(笑)
  私も数年前まで、NIFTYのFSHOGIで、ネット将棋なんぞを。
イリヤ    流行のオンラインRPGとかやってみたいとは思うんですけど…リアルな遊びに走っちゃうかなあ。(^_^;)
雀部    14,5年前というと、私が業務にパソコンを使い始めて、同時にパソコン通信にのめり込んでいった時期なんですが当時、角川がやっていたコンプティーク・ネットで、矢野先生が「矢野徹の狂乱酒場」というボードのシスオペをやっておられると聞いて、申し込みをして何度かのぞきに行ったことがあります。シスオペ役を楽しんでられたんでしょうねぇ。
   

シスオペとしての矢野徹先生

石川
>
 ひとことでいうと「人生を変える出会いの場を提供してくれた人」でした。インターネットと違い、パソコン通信時代は参加者が限定されていたので、仲間内の親密さがとても強かったのです。おかげで、現在の仕事関係の友人達ともたくさん出会えて、私は脱サラしてライター稼業に身を投じることに。他にも小説の創作ボードを主催されていて、そこから小説家デビューする人も出ました。
  多くの若手の人生に大きな影響を与えてくれ、道筋を示してくれた人だったと思います。
イリヤ
>
 矢野マスターは、パティオまで含めると15年以上ほぼ毎日、亡くなられる直前まで、全ての投稿にレスをつけられていました。
  投稿すると必ずレスがつくということに、わたしも含め現実社会に居場所の無かった人間が、どれだけ救われたことでしょう。本当にドラマに出てくる身の上話を親身に聞いてくれる酒場のマスターのようでした。
雀部 >  レス付けるのって、意外に大変なんですよね。その書き込みにあわせたコメント付けなきゃいけないし。全部の投稿にレスをつけられるというのは、誰にでもできるってことじゃないですよね。
  なにか興味深いエピソードでもあったらご披露して頂きたいのですが……
石川 >  私は「狂乱酒場」から「茶房てくにか」が分家する際に管理者のひとりになり、RESをつける側になってしまったのですが、その際のノウハウは矢野さんから学んだものが大きかったです。そのせいか、現在でも友人のメーリングリストなどで、ついレスをつけてしまうクセが。(^^;
  矢野さんの影響は今でも大きいです。
雀部 >  そういう労を惜しまずレスを付けてくれる方を、どこのメーリングリストでも探しています(笑)
  そういえば「茶房てくにか」、ちょっと思い出しました。たしかそこには二三度書き込みをした覚えが。その時レスを付けてくれたのが、石川さんだったかも。その節はお世話になりました(笑)
(たぶんハンドルは、《おきゃーま》で、東野司さんの《ミルキ〜ピア》の話題を書き込んだんだと)
イリヤ >  一時期、てくにかにご本人もいらっしゃいましたねえ。わたし落語好きだったんで電脳セッションネタで盛り上がって続編をリクエストした記憶が…(^_^;)
雀部 >  「狂乱酒場」で、矢野先生の翻訳やご著作が話題になることは無かったのですか?
石川 >  あまりなかったです。というより、作家や漫画家がたくさんいるから、かえって本人達の作品を話題にするのは抵抗があるような気も。
雀部 >  なるほど。
  たしか、カレー・パーティなるものが時々開催されるという告知を見たことがあるのですが、どういう集まりだったのでしょうか。
石川 >  これは「狂乱酒場」ではなく「てくにか」の企画でしたね。最初だけ料理自慢のメンバが自作カレーを持ち寄りましたが。その後は、やたらと辛いカレーを食べさせる店に行く我慢大会みたいなものに変わりました。
イリヤ >  オンの狂乱酒場に対してオフのてくにかでしたね。ノリはウリナリ…今ならナイナイサイズって感じで、いろんな企画オフや部活までありました。(^_^;)
雀部 >  そうか「てくにか」のほうだったんですね。あ〜記憶が(汗)
イリヤ >  当時の話ではないんですが…
  矢野マスターのお通夜とお別れ会には、急だったというのに、日本全国から大勢の酒場のメンバーが集まりました。現在は参加していないメンバーもかなりの人数が来ていました。それだけみんなに慕われていたわけですし、石川さんが言うメンバーの親密さが今もいろいろな形で続いているわけです。
  コンプ時代に中学生で参加していた少年もりっぱな大人になって参列していました。28才の友達がお通夜に来てくれる80才はなかなかいないんじゃないかと思います。
雀部 >  矢野先生のお人柄でしょうねぇ。
  亡くなられてからも、先生の新たな書き込みがあったと聞きましたが、皆さんの反応とか詳しくお聞かせ頂けませんか?
イリヤ >  そうなんですよ。驚きました。
  実は、メンバー数名がお宅に伺った時に、ご家族に狂乱酒場の説明をする為に矢野さんのパソコンを立ち上げてオートパイロットも動かしたら、セットされてた書き込みがアップされたんだそうで…彼らもその場では気がつかなかくて帰宅してから驚いたそうです。本当に亡くなる直前までレス書かれたんですよねえ。
雀部 >  本当に矢野先生らしいエピソードですね〜。
  それはそうと、「狂乱酒場」がお引っ越しをされるそうなのですが?
イリヤ >  ええ。実はパティオは矢野マスターのIDで作られていまして、マスターのニフティ退会にともない11月25日をもって消滅してしまいました。案内ホームページもです。
  現在、インターネット上のBBSを石川さん運営スタッフが準備しています。わたしは案内人引退かなあ。(^_^;)
雀部 >  では、本決まりになったら、改めて告知することといたしますね。
  柴野拓美先生の『塵も積もれば 宇宙塵40年史』によると、創刊当時の名簿のトップに矢野先生のお名前が載っているそうなんですね。柴野先生が、創刊に当たって誰か名前の売れている人を看板に据えたい、当時SFの専門家として当時の日本で名の通った人と言うと、矢野先生しか思いつかなかったそうですから、もう日本SFの発祥の時点で重鎮なわけで、そういう方がこうして若いファンの方々と交流を深められていたというのは、まさに矢野先生のお人柄故でしょうし、SFファンの特質も現していると思います。
  それでは、最後に一言いただけますか。
石川 > 「マスター(矢野さん)ありがとうございました。お疲れ様です。 残ったスタッフ一同で店(狂乱酒場)を守っていこうと思いますので、どうか見守っていてください。」

イリヤ

>  狂乱酒場は永遠に不滅です。(^_^;)
雀部 >  石川さん、イリヤさん、今回はどうもありがとうございました。

[雀部]
『怒りのパソコン日記』を読むと、パソコンに関してもSF界では先駆者であられたことがよく分かります。
某先生も、某社のオアシスを使われていたのは、矢野先生の影響なんでしょうねえ。
[石川]
 テクニカルライター。編集プロダクションPIRICA代表。
  CGネットワーカーズ、電撃CGクリエイターズなどのCG
  画集の監修や、各種入門マンガの原作などを請け負う。
URL:http://pirica.m78.com/
[イリヤ]
 本当に、ごく普通のサラリーマンなんです。(^_^;)

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