太陽系を出てから船内時間にして数年後、「エウリディケ」号はハルピュイア星群のブラックホールの近傍空間に到達していました。 乗組員たちは、今の位置から5光年先にあるゼータ恒星系の惑星クウィンタの観測をはじめますが、赤道付近の軌道に3~4兆トンもの氷の輪とおぼしきものと、不規則な強い電磁波、惑星上に光る細かい閃光を目撃します。この奇妙な現象に船内は騒然となるのですが、探査計画は予定どおり進められ、船からはテムペたち数人が乗りこんだ偵察船「ヘルメス」号がクウィンタ星へと飛びたってゆきます。
「エウリディケ」号は、共振爆弾を搭載したミサイル「オルフェウス」を使用して、「ハデス」の地獄の門を叩き、〝ゆっくりと流れる〟時間の中で偵察船の帰還まで待機するプログラムに入ろうとしますが、クウィンタ星をめぐる謎の現象は収束のきざしを見せません。それどころか異常電波の放出は太陽のそれに匹敵するまでになり、閃光とともに高温のプラズマがクウィンタの月に発生します。さらにクウィンタ星にも惑星の大部分をおおう奇怪な雲の塊があらわれ、地表は急激に冷却化されてゆきます。「エウリディケ」号の乗組員は、「ヘルメス」号に注意をうながすメッセージを送りますが、双方の宇宙船は、もはやあらゆる連絡がとれなくなる段階に達しようとしていました。
一方、総重量18万トンの「ヘルメス」号は、クウィンタ星まで最短の時間で到着するため、すさまじい加速をかけていました。その速度はもはや人間の判断能力をはるかに超えており、GOD(General
Operational Device =
総合演算装置)とよばれる鳩の卵ほどの大きさの中枢を持つ電子脳が1兆分の1秒のスケールで、危険回避の判断を担っていました。船首前方数キロの空間には、放射能遮断装甲として巨大な円形の防護シールドが展開され、秒速30万キロに近い速度で激突してくる宇宙塵や、脳内のニューロンを破壊する宇宙放射能から乗務員を保護しています。
宇宙船の加速は毎秒20Gまで達し、人間を2トンもの重量にしていました。この圧力下では呼吸のために肋骨は動かせないばかりか、胸郭も空気で満たされた肺も押し潰され、心臓は液体鉛よりも重くなった血液を押し出そうとして破裂してしまいます。そのため、乗組員はすべて前もって深海魚が巨大な圧力に耐えられるように「胎芽(エンブリオ)化」という処置を受けていました。 体の血液は凝血度から免疫能力、酸素輸送にいたるまで血液とおなじ役割をはたす白い液体に入れかえられ、肺や内臓からは空気がとりさられました。胎児が母胎にいるとき胎盤と血液を交換するのにもちいられた閉塞器官が手術によってひらかれ、臍をとおして人工管から栄養物質と酸素をともなった人工血液がポンプで体内に送りこまれます。呼吸を停止した乗組員の体は、水のような液体で満たされた魚雷型カプセルに沈められました。体温も零度以上に保たれたまま、甲板中央に設けられた何層もの装甲と放射能防止絶縁材にかこまれた区画で、ひっそりと巨大な蛹のように深い眠りについていました。
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