雀部 |
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石原先生は、一昨年『国際通信の日本史』を出され、昨年末には『卑彌呼と日本書紀』を上梓されました。
『国際通信の日本史』は石原先生のご専門の延長上にあると言えなくもないのですが、『卑彌呼と日本書紀』は先生のご経歴からすると専門外だと思うのですが、どういうところから、この分野に興味をお持ちになったのでしょう? |
石原 |
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『卑彌呼と日本書紀』を書きたいと思うようになったのは、前書きにも記しましたが、二つの理由があります。
1.近年、年輪年代法という手法が確立してから、日本の考古学が科学的になってきて、教科書の記述の間違いが分かってきたこと。
2.戦後の歴史学で古事記や日本書紀が軽視されたり、非科学的だと言われたりする傾向があるので、これに異議を唱えたいと思ったこと。 |
雀部 |
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なるほど、どことなく<とんでも>の分野の香りがする邪馬台国に科学的手法を導入されたんですね。
まあ『魏志倭人伝』の曖昧な記述から、様々な説が百花繚乱というものある面では楽しいですが(笑) |
石原 |
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じつは最近になって、私と同じ意見で日本の古代史を見直そうという人が急増しているようです。
邪馬台国にしても、インターネットを見ますと、九州説が多いようですが、若い学者の間では、大和説がきわめて優勢になっているようです。その理由は、私の本に書いたとおりです。
最近も『日本の建国史』を書いた南原次男さんから同感のお手紙をいただきました。
この人は王朝交替説(万世一系への異論)で有名な教授に弟子入りして、教授の説の間違いを指摘する資料を突きつけたが、何の答えもなく、反論もしなかったそうです。また講義でも交替説は一度も語らず、しかも退官記念の講演で「交替説を思いついたのは夢がきっかけだった」と、暗に間違いを認めたそうです。 |
雀部 |
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また、某所で、お父様の影響で神社とかに興味を持たれたとコメントされていましたが、どういうところに興味を引かれたのでしょうか? |
石原 |
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父の影響で神社に興味を持ったというのは大げさですが、いつも赤坂稲荷神社とか浅草の聖天様とかにつれていかれました。また明治神宮や東郷神社は遊び場でした。
また暮れにはいつも、神棚の掃除をやらされました。
神社には必ず鎮守の森がありますから、心が洗われます。森を神として崇める日本の伝統文化は大切にしなければと思っております。 |