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2. 古代の宇宙論 Anciant Cosmology

白田英雄

古代においては個人の行動範囲も限られていたし、観測技術も十分なものがありませんでした。そんななかで、人々は想像をたくましくして、宇宙のある姿を考えていました。
近年、小学生の約4割が天動説を信じているという報道があって話題になりましたが、確かに普段普通に生活している限りにおいて、地球が丸くて動いているということを想像させるものにはなかなか出会えません。古代においてよくあったのは、大地は平らでその上に天界があるというものでした。
例えば、古代インドに端を発する仏教の世界観では、世界はいくつかの円柱が重なったもので、その一番上の円柱の上に人の住む場所が貼りついていると考えました。世界の中心には巨大な山がそびえ、太陽や星々はその円柱のまわりを回るものと考え、太陽が円柱の影になったときに夜がやってくると思ったのです。

それでも巡りくる星の規則性は古くから気付かれていました。古代のメソポタミアではすでに星を組み合わせて星座を作ることまでしていました。
地球が丸いということはすでにギリシャで知られていて、紀元前2世紀にエラトステネス Eratosthenes (c276BC - c194BC)によって実際に地球の大きさが計測されていました。彼はアレクサンドリアとシエネという町での太陽の高度を測定することで、かなり正確に地球の直径を計算しました。
大地が球体であるとするなら、そのまわりを星々が回っていると考えるのが普通です。ギリシャのアリストテレス Aristotle (384BC - 322BC)は地球のまわりを、太陽や惑星を含む天体が回転していると考えました。これを天動説といいます。このアリストテレスは物体の運動など色々なことを考察していたのですが、それらの考えは長く中世において影響を与え続けました。
おもしろいことに、ギリシャでは天動説と同時に、地球が太陽または他の天体のまわりをまわるという地動説も発生していました。アリスタルコス Aristarchus (c310BC - c230BC)は宇宙の中心に太陽があり、他の天体は太陽のまわりをまわっていると考えました。けれども、地動説は天動説に対して一般的ではなかったようです。
一年で素直に一周する恒星と違って、惑星は時々逆方向に移動したりします。(逆行)

ヒッパルコス Hipparchus (c190BC - c120BC)は天動説の惑星の軌道がそれぞれ小さな円を描く周転円という考えを導入してこの逆行を説明しようとしました。さらにプトレマイオス Claudius Ptolemy (c85 - c165)になると、観測結果と合わせるために複雑な周転円を導入するようになっていきました。このプトレマイオスの考えはキリスト教会から認められ、宗教的に正しい考えとされました。
時代は下って16世紀になると、プトレマイオスの天動説では観測結果と合わない部分がでてくることが知られてきました。コペルニクス Nicolaus Copernicus (1473 - 1543)は、アリスタルコスの地動説に脚光を当てました。当時の一般的な考えに反して地球はまわっていると考えたのです。当然のごとく教会はこれに反発し、弾圧しました。

イタリアのガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei (1564 - 1642)はアリストテレスの考えた物理法則や天動説に真っ向から反対しました。彼は望遠鏡を自作し、それによって木星のまわりをまわる衛星(ガリレオ衛星)や、土星の輪などを発見しています。木星のまわりをまわる天体が存在するということは、全ての天体は地球のまわりをまわると教えていた教会の考えに反します。観測事実はコペルニクスの地動説の根拠をあたえていたのです。彼はこの考えを本にし、多くの人に影響をあたえました。結局は教会から弾圧され、宗教裁判にかけられ、彼はその考えを手放すことに同意せざるをえなかったのですが、近年、ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世があの宗教裁判は誤りであったと認めています。
ガリレオと同世代のドイツ人、ヨハネス・ケプラー Johannes Kepler (1571 - 1630)は、その師匠のティコ・ブラーヘ Tycho Brahe (1546 - 1601)の観測結果を元にケプラーの三法則を発見しました。第一に惑星は太陽のまわりを楕円軌道を描いている。第二に惑星が太陽から離れているときはゆっくりと動き、近いときは速く動く。第三に惑星が太陽のまわりをまわる周期の二乗は楕円軌道の長半径の三乗に比例する。
ガリレオの発見した物理法則とケプラーの三法則をもとに、イギリスのアイザック・ニュートン Sir Isaac Newton (1643 - 1727)はニュートンの法則や万有引力の法則を考え出しました。
ニュートンの法則はふたつの天体のあいだの運動を完全に規定していました。実際の惑星の運動はみっつ以上の天体の運動があわさっているのですが、摂動法という近似方法を用いると惑星の運動は観測結果とほぼ一致しました。

19世紀までに惑星の運動はほぼ完全に計算できるようになっていたのですが、水星の近日点(楕円の太陽に近い方の位置)がすこしずつずれていく現象を説明することができませんでした。ところが20世紀に入って、アルバート・アインシュタイン Albert Einstein (1879 - 1955)の一般相対性理論によって、ニュートンの運動方程式が修正され、水星の近日点の移動も説明することができるようになったのでした。
さて、地球は宇宙の中心から追い出されましたが、太陽は依然宇宙の中心に置かれ続けました。天体観測技術の進歩によって銀河という星の集まりが観測されるようになり、太陽もその銀河のひとつの中にあると考えられるようになったのですが、太陽はその銀河の中心にあるものと考えられました。しかし、観測技術が進むにつれて、太陽は銀河の中心から約3万光年も離れたところにあるということがわかってきました。
さらに太陽がある銀河ですが、これも他のアンドロメダ銀河などと同じ平凡な銀河のひとつにすぎず、宇宙の中心でもなんでもないことが現在ではわかっています。

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