―クォータマスは如何でした? オールドタイプのロック色がかなり濃いですか。なるほど確かに、オルガンやギターの使い方に未だ力で押していく部分があり、ただ叫べば世の中を変えられるとでも言いたげなストレートさも見受けられますね。でも、ただ愛を叫べば連帯感が生まれるなどと思う痛ましい幻想を斬って捨てるのが、創世記のプログレッシブ・ロックのアイデンティティの一つでした。そう思うと、孤高の痛みが素直に伝わるやはり名盤だと思いますよ。
では、次の一枚は如何でしょう。1994年英国のEMIから発売された『ブレイブ』というタイトルの作品です。演奏はマリリオン。ドリームシアターと並ぶ、現代プログレ再興の祖といえます。
何処かの英国の河川町。夜明けか夜更けか定かではありませんが、霧笛の音が響き、雨もしとどに降りしきる、或いは船が波を切り裂いて進む情景から物語は始まります。その静かなオープニングから、抑制のきいた叫び声まで、一人の少女の波乱に飛んだ心の一生を70分以上かけて一気に聞かせます。
日本語版タイトルクレジットには『壮大な叙情詩の世界にようこそ』とあります。初めは、なるほど心の慟哭を、歌う者がストレートに表現した抒情詩だと納得しました。しかし、全曲聴き終えて考えを変えました。
チョット大げさかもしれませんが、ジョイスの『ユリシーズ』に代表される英米文学の伝統を継ぐ、しかも音楽による魂の叙事詩と考えるようになったのです。
スティーブ・ボガースの歌声は、あるときは切々と、またあるときは抑制された思考の狭間から吹き出る情念のように爆発します。丹念に細部まで練られた主旋律をスティーブ・ロザリーのギターやマーク・ケリーのキーボード群がタペストリーのように綴り上げていきますが、しかし何といってもこの叙事詩の根底に流れる隠れた語り手はベースです。
ピート・トレワヴァスのベースはイアン・モズレイのドラムと絡みながらリズムを刻みつつ、一方で音階を先導し、常に曲の場の情景を規定していきます。
後にトレワヴァスがプログレの申し子達(ストルト、モース、ポートレイ)とスーパーバンド『トランスアトランティック』を結成したとき、ライブで『ブレイブ』の一節を演奏したのは当然かも知れません。
ロック界の優れたベーシストとしては、レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズや、ガブリエル・バンド、クリムゾン等で活躍したトニー・レヴィンがいますが、この時のトレワヴァスは何か神がかり的に開花していたように感じます。
優雅でどこか彼方の響きのある名前をバンド名にしたマリリオンは、1983年スティーブ・ロザリーとミック・ポインターを中心にスコットランドで,まずシイルマリリオンとして結成されました。そして、元木こりという噂のの巨漢、通称Fishを初代のボーカルに迎え入れます。ステージではその巨体に似合わないセンシティブなタッチで詩が歌われ、ドラマチックな演劇的展開が繰り広げられます。つまり、マリリオンは典型的なジェネシスフォローワーとして出発したのです。
初めてのアルバムの第1曲目はScript for a Jester's Tear『邦題:一人芝居の道化師』と言います。このタイトル曲は、恋に破れ失意の内に自殺へと誘う焦燥感に溢れた、久しぶりにプログレへ狂気が戻ってきた佳曲です。 え、『狂気』ですか? そういえば、ピンク・フロイドは『ダークサイド・オブ・ザ・ムーン』で正気の裏側を取り上げ、キング・クリムゾンは始めからスケッオイド・マンでしたね。マリリオンが師としたジェネシスのミュージカル・ボックスが収められたジャケットでは、はねられた少年の生首でクリケット遊びをする少女のイメージが出てきます。
しかし、人は狂気や異常が時には美しいと思う生き物だとつくづく思いますね。正常からはみ出た状態を描写することがプログレの始めから大きなモチーフの一つとなっていました。やがて、正常と異常の境が消えていく世界。プログレが芸術の領域に一歩足を踏み入れた瞬間だったと思います。
たいていの者は決して迷い込まない暗く、重く、いつまでも夜明けは訪れず、しかし秀麗な世界。その結晶の一つが、今回ご紹介している『ブレイブ』なのです。
ええここで、やめても結構ですよ。それは、勇気ある正しい行為でしょう。でも何時か、こちら側の世界でも、実は自我の境界を保つことこそ狂気の勇気がいることに気がつくかもしれませんよ。
その前にあなたも、理性による狂気の具象。偉大なるディシプリンにしてマスター。クリムゾンのロバート・フィリップや、その隣人達に近づいてみませんか?
いえいえ、例えば久作の『ドグラ・マグラ』のように息詰る狂風に圧倒される展開はありません。曲はあくまで美しく調和に富み、また軽快なテンポのものもありますよ。
『ブレイブ』は、マリリオンというバンドがある少女の遍歴にインスピレーションを受け、彼らの情念の全てをかけて1994年に製作した、生まれながらのプログレッシブ・ロックの古典の一つなのです。
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