目の前にある家とか自動車とかが、次の瞬間にはそこにいるかどうかわからなくなる。そんなことは現実世界では起きようもありません。しかし、量子力学の世界では、粒子が現れたり消えたりが当然のようにして起きていたりするのです。
十九世紀までは割と物理というのは実験結果が先行していて、その結果をまとめることで、物理法則が発見されたりしていました。例えば、物を落としたときに加速度が一定で落下していくということは実験によって確かめられ、それが数式化されてきました。ところが、量子力学では先に数式があって、それから予言される結論を実験で確かめるということがあたりまえに行われるようになってきたのです。その一例が、先の粒子が当然消えたり現れたりするという現象だったりするのです。
実験より理論が先行するようになったというのは、アインシュタインの相対論が先かもしれません。(そこらへんはタイミング的に微妙です。) 相対性理論はアインシュタインというひとりの天才の手によって生み出されましたが、量子力学は色んな分野の色んな研究者の成果が集まったものでして、それだけ見通しがよくない理論ではあります。そのせいか、相対性理論はまちがってる、という人はよく出てきますが、量子力学がまちがってる、と言い出す人はなかなかいません。批判しようにも、量子論がなにを言ってるのかすらわからない、という人の方が多いからなのかもしれません。
では、量子力学というのはなんなのでしょうか。
ひとことで言ってしまえば、それはとても小さい物体の挙動を言い表わすための理論だということになるでしょう。
相対論は、物体の速度が非常に速くなったときや、強い重力の下でどういう風に振る舞うかということを記述していましたが、その相対論も非常に小さい物体に対しては正確に記述することはできないのです。
何故でしょう。
物を調べるときどうするでしょう。とても単純な例として位置を測定しようとしたとしましょう。まぁ、色々方法はあると思いますが、つきつめていくと例えば、光を物体に当てて、その反射してきた光から位置を測定するということにつきると思います。(そもそも、物を見る、という行為自体が、物に反射した光を見るということに相違ないですよね。)でも、その物がとても小さかった場合どうなるでしょう。光は波です。そのため、光の波長より小さい物体があった場合、光は通りすぎてしまいます。では、と光の波長を小さくしたらどうでしょう。今度はなんと、光のエネルギーそのものが大きくなってしまうために、その物体はどこかにはじき飛ばされてしまうのです。つまり、ある瞬間の位置を測定することはできても、次の瞬間その物の位置はわからなくなってしまうのです。
物の運動というのは、位置と速度を同時に測定することで決定されることがわかってるのですが、物が測定でどっかに行ってしまうということは、位置と同時に速度を測ることができないということになってしまうのです。
こんなものを今まで(というか十九世紀まで)の物理で言い表わすことなどできません。
そこで生まれたのが量子力学だというわけです。
相対性理論は、普通の物理と同じようにある程度の大きさを持った物体を、高速に移動させたり、強い重力の下に置いたりしただけですから、これも小さい物をそのままで扱うことはできません。高速な粒子に対する物理は相対論的量子力学として表わす必要があります。重力と量子力学を結びつけることは、まだ成功していません。
のっけからややこしい話になってしまいました。
要は、物体が小さくなってくると、今までの理論(このことを相対論もひっくるめて古典力学と呼んでます)では表現することができなくなってしまうということなのです。そこらへんのはなしを、これからの連載で話していこうかと思っています。
量子論の話はさらに発展していきます。
この計算を使うと、近似的ですが、複雑な化合物の化学的な振る舞いを理論的に導き出すこともできるのです。
さらに、話は広大になっていきます。
宇宙が誕生した当時、物理はどうなっていたのか? そういった疑問に対しても、量子力学を元にした素粒子論によって研究がなされています。これはまだ現在も研究が進んでる分野であって、答えはみつかっていません。量子論は今も発展を続けている生きた理論なのです。
そんな理論について、次回からぼちぼちと話しはじめてみましょう。
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