光速度が不変である、というのが相対性理論の大前提となっています。
しかし、光速度が一定であるということは決してマイケルソン=モーレーの実験があったからそう決めつけられたというわけではないのです。
光速度一定の原理は力学ではなくて電磁気学という物理の一部門における理論的帰結として得られる原理なのです。
電磁気学というのは簡単に言ってしまうと、磁石や電荷、それにそのまわりの磁場や電場のふるまいについて調べる学問です。
わからないですよね。
プラスの電荷とマイナスの電荷があるとその両者が引きつけられるということは知ってると思います。
この電荷の片方がなかった場合を考えてみましょう。一個しか電荷がなかったとしても、そのまわりの空間には、そこに電荷を持ってくると力が生じるような性質ができてると考えることができます。そのような性質を持った空間のことを電場と呼ぶのです。
同じく磁石の場合でも、その磁石のまわりに他の磁石を遠ざけたり近付けたりするような力を生じさせうる性質ができます。これが磁場です。磁場に関しては、簡単にその様子を知ることもできます。磁石を紙の下に置いて、その上に砂鉄をばらまいてちょっと紙をゆらしてみると、砂鉄は磁場にそってならびます。この実験は読者の中でも昔にやったことがある人が多いのではないでしょうか。
さて、磁場と電場がなんの関係もなかったとしたなら話はそれまでだったのですが、なんと、片方がもう片方を生じさせることがわかりました。
電線を巻いたコイルが電磁石になるということは御存知でしょう。これは電気が磁気に変化したということです。
逆は? 発電器を思い浮べて下さい。発電器は単純に言うと磁石の前でコイルを動かすと電気が生じるという原理から来てるのですが、これは磁気から電気が生じたことになります。
実はコイルや磁石といった実体がなくても、電場や磁場が変化するだけで、磁場と電場がそれぞれ生じることが電磁気学の研究でわかりました。
ということは、急速に電場を振動させると、それに励起されて磁場が振動し、その振動する磁場によって新しい電場が励起され、というような連らなりが連鎖的に伝わっていくということはないだろうか、と物理学者のマックスウェルは考えました。それが電磁波と呼ばれる波です。
電磁波は後にヘルツの実験によって実在することがはっきりしました。
今の人はその電磁波の存在を疑う人はいないと思います。なにしろみんなその恩恵にあずかっているのですから。ラジオにしろテレビにしろ、信号を電波(電磁波の一種)によって送っているわけですから。
さてお立ち合い。
なんと今回の話題の中心である光もまた、こうして得られた電磁波の一種だったのです。まあ、実際には可視光などはかなり波長が短いので、電波と同じように電場を振動させるようにして発振させるのは難しいですけどね。
この電磁波の速度は簡単に計算によって求めることができます。
真空中の電磁波の速度は真空の透磁率と真空の誘電率という物理定数で決まってくるので当然定数です。だから、真空の透磁率と真空の誘電率から計算される電磁波の速度(光速度)は座標系にはよらないのです。
座標系(慣性系)のとりかたによって速度が変化するような、座標の比較はガリレイ変換と言います。車に乗ってる人がボールを投げた場合、ボールの速さは止まってるときに投げたボールの速さと車の速さの和になりますが、このことをガリレイ変換に従っていると言います。
光の場合に同じことを表現してみましょう。光源が移動していてそこから光が出ていたとすると、光の速度がガリレイ変換に従っているなら光源の速さと静止している時の光の速さの和が、止まっている人から見た光の速さということになります。
ところがこれを仮定すると、電場から磁場が生じたり、磁場から電場が生じたりする関係式が実験結果と食い違ってしまい、おかしなことになってしまうのです。
光速は光源の速度に依存しないのです。
この事実はアインシュタインが特殊相対性理論を発表する以前から知られていたので、もしアインシュタインが特殊相対性理論を思いつかなかったとしても、いずれ他の誰かが同じような理論を作っていたに違いないのです。
電磁気学とニュートン力学をうまくひとつに統合したこと。
それが特殊相対性理論の結論なのです。
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