SFファンクラブ探訪記
インタビュアー:[雀部]
THATTA
  • 始祖・源流
    「KSFA」(「岡本家記録とは別の話」より一部引用)
    1974年、桐山芳夫氏(同志社SF研)、安田均(京大SF研・第2期)、寺尾まさひろ(大阪大SF研)が、翻訳専門の「KSFA=関西海外SF研究会」を設立。その後、神戸大、関西大、SF研未所属のマニアOBも参加。
  • 小史(15年史)1974〜1989
    1974.12 KSFA発足(「KSFA小史」より引用)
    1975    ヒューゴー賞完全リスト
    1975    オービット創刊(〜78)
    1976    現代SF全集発刊(〜77)
    1977    ノヴァ・エクスプレス創刊(〜82)
    1977    SFセミナー開催(神戸)
    1981    SF年鑑(1980年版)
    1982    ノヴァ・クォータリィ創刊(〜1990年)
    1983    thatta創刊(〜現在 ONLINE版も含む)
    1985    thatta文庫創刊(〜88)
    1989    関東KSFAノヴァ・マンスリー創刊(〜現在は終巻)
    1997    岡本家記録(Bookreview Online)創刊
    1998    THATTA ONLINE創刊
  • 沿革(「岡本家記録とは別の話」より一部引用)
    1983年5月。苑田卓(寺尾まさひろ)氏の個人誌として創刊
    以後、山岡峻(片岡俊)氏、池原宏氏、菊池久美子氏が編集を歴任し、123号以降(1998年2月〜現在)はオンライン版となり、大野万紀氏の編集で継続中
  • 活動状況
    現在の執筆者は、大野万紀氏、水鏡子氏、津田文夫氏、岡本俊弥氏の4名。
雀部 >

岡本俊弥先生の著者インタビューからの流れで、所属されているSFファングループ 「THATTA」について大野万紀先生から、お話を伺えることになりました。

大野万紀先生初めまして、よろしくお願いいたします。

大野 >

よろしくお願いします。

雀部 >

「THATTA」の創刊とか今までの歴史は、「岡本家記録とは別の話(THATTA その歴史とヴィジョン篇)」とか、「水鏡子みだれめも」で読むことが出来るのですが、他に参照すべき資料はありますでしょうか。

大野 >

おおむね「岡本家記録とは別の話」に書かれている通りです。水鏡子の書いているものは(ほぼ)役に立ちません(^0^;)。

THATTAはKSFA(海外SF研究会)とイコールではありませんが、THATTAを含めた当時のKSFAの歴史については、岡本俊弥さんの作ったこのページに詳しい資料があります。

これはこれで神戸大SF研史観に偏っているという批判があり、重要なものが色々抜けているようですが、全体的な理解には役立つでしょう。

また同じ岡本俊弥さんのこのページには、より面白おかしくその昔の関西ファンダムの盛衰が記されています。

雀部 >

ありがとうございます。色々な繋がりが見られて面白いです。

大野 >

大森望さんの大昔の日記にも色々と参考になる情報があるはずですが、あまりに膨大なので、ちゃんとチェックできていません。ざっと検索した感じでは直接言及されたものは少ないようでした。でも昔のことを思い出しつつ、つい読みふけってしまいます。危険なドキュメントですね。

雀部 >

チェック、ありがとうございます。

「狂乱西葛西日記」、私もつい何時間か読みふけってしまいました。危険ですね(汗;)

そういえば、大森望先生とは同時期に私も「日経MIX」に参加してました。今岡清氏がsf会議の議長をされていた頃です。まあ、滅多にお見かけしませんでしたが。

大野先生は、どこか根城(?)にされていた商用BBSはあったでしょうか。

大野 >

PC-VANのSF-SIG(Niftyでいうフォーラム)は亡くなったSF研究家の星敬さんが管理者になっておられ、SFアドベンチャーの原稿をメールで送ったりともっぱら仕事に使っていました。

NIFTY-Serveやあちこちの草の根BBSにも入り浸っていましたが、一番印象に残っているのは関西の家電量販店がやっていたJ&Pホットラインというやつです。とてもアットホームなところで、メンバーの家族同士で訪問したりとかやってましたね。

雀部 >

私は「日経MIX」と「asahi-net」がメインで「NIFTY」とか「コンプティーク」「銀河通信」なんかでした。下火になる前あたりに前者二つのsf会議の議長(シスオペ)をやっていて看取りました(汗;)

大野 >

MS-DOSの時代でした。CONFIG.SYSなんて覚えていますか? メモリを有効に使ってちゃんと動かすためにはややこしいテクニックが必要でした。今や無用な知識となってしまいました。えっ、メモリ16GB? 何それ、おいしいの?

雀部 >

あ〜、片理誠先生宮内悠介先生へのインタビュー時にもそういう話で盛り上がりましたよ(笑)。→autoexec.batとconfig.sys

640KBしかないコンベンショナルメモリには皆、苦しめられてましたしね。メモリのやり繰りに心血を注ぎ、ATOKなんかも常駐させずに、プログラム毎にバッチファイルに記述して、終了時には切り離すとかやってましたから。

大野 >

あのころのモデムがピーガーいうのが懐かしいです。通信ソフトも最初のころは自作のプログラムを動かしていましたが、フリーソフトでいいのが出てきて乗り換えました。最後に使っていたのはWTERMだったかな。

雀部 >

ピーガーというと音響カプラかと思いました(笑) しかし、通信ソフトが自作とは凄いですね!

私は「まいと〜く」で始めて、最後は「Tera Term」でした。

大野 >

アクセスポイントにモデムがダイアルアップする時、ネゴシエーションでピーガーいってました。音響カプラとは……いやさすがにそれは(でも家にもありました。黒電話の時代ですね)。

おっと、こういう年寄りの昔話を始めたら終わりませんね。この辺で止めておきましょう。

雀部 >

あはは、確かに(汗;)

大野先生は、現在オンライン・ファンジン「THATTA ONLINE」の作成・編集を担当されていらっしゃいますが、差し支えなければ作成・編集を引き受けた経緯を教えて下さい。

大野 >

とにかく昔のことなので記憶がさだかではありません。当時詳細な記録をつけていたノートは、喫茶店に置き忘れて、その十数年は失われてしまいました。(ウソです。レストランのテーブルに未来史をメモしたノートを置き忘れ、人類補完機構の3千年の歴史を失ってしまったのはコードウェイナー・スミスです)

雀部 >

コードウェイナー・スミス氏にそんなそそっかしいところがあったとは。親近感(笑)

大野 >

記憶をたどってみると、当時は関係者がみんな多忙になって紙版でのファンジン発行が行き詰まっていたことと、Windows95でインターネットが身近になり、個人のホームページ作成がブームのようになっていたことがあると思います。

1996年後半まで続いていた紙版のTHATTAですが、発行が停止したまま、まる1年が経過していました。原稿集め、編集、印刷、郵送という作業が大変なので、会員制のプライベートファンジンを止めて、一般に開放するオンラインマガジンにするという方針が決まり、たまたま一太郎のおまけについていたホームページビルダーでホームページを立ち上げようとしていたぼくが、個人の日記ページじゃなくてTHATTAをやれば長続きするんじゃないかと思い手を上げたような記憶があります。パソコン通信はずっとやっていたけど、そろそろWEBをやってみたいと思っていたので。

1998年の1月に、まずは紙版のTHATTAをHTML化して試行し、2月に正式オープンしました。メモリ32Mにハードディスクは1G以下のマシンで、通信環境はまだモデムを使っていたと思います。

雀部 >

「ホームページビルダー」私も使ってました。そういえば、私の所が独自ドメインを取得して、ホームページを立ち上げたのも1997年からです(それ以前は、asahi-netの会員用の個人ホームページ枠)。

オンラインマガジンにされてみてどうだったでしょうか。長所だけでなく、短所もあると思いますが。

大野 >

オンラインマガジンの長所は、まず枚数を気にしないで書けることです。紙の場合もファンジンであればあまり枚数を気にしないでしょうが、編集する立場からすればそれがページ数やらレイアウトやら、ひいては費用にも関わってくるわけで。

それから、一応発行予定日はありますが、遅れてくる原稿も多く、それでも簡単に追加できることです。まあ月刊の体裁をとっているので、あんまり遅れると次号回しにしますけど。

雀部 >

非常に良くわかります(汗;)

うちも最初は月刊をうたっていたのですが、一時あまりに恥ずかしい状態に陥ったので不定期掲載としてます(汗;)

大野 >

オンラインだと内容のアップデートや訂正が簡単にできるところも長所ですね。

水鏡子の「WEB小説作家別リスト」のように、紙版ではレイアウト上不可能なExcelの表をアップすることもできます。初めはExcelファイルをそのままアップしていましたが、Excelを持たない読者もいるので、最近はクラウドにおいてWEBで表示できるようにしています。

短所としてはそういう自由度があるため、かえってルーズになってしまうところでしょうか。原稿がいつ来るかわからなかったり、内容のチェックが不十分だったりとか。これでも一応載せる前に文章確認しているんですよ。

雀部 >

うちも校正は第三者にお願いしてます。ネットで裏を取ってチェックしてもらえるからありがたいです。

大野 >

テクニカルな面では、ずっと昔からフォーマットを変えていないので、今どきのWEB技術に乗り換えられないところがあります。サイトのSSL対応はしたのですが、ブラウザによっては古い画像が表示されなくなったり。その対応方法はわかっているけれど、大量のコンテンツを修正するのは面倒なので放置しています。

雀部 >

うちは、SSL化対応まだなんです。(汗;)

最近のファイルは「HTML5」を使って、PCとスマホでは違う画面になるようにはしてますが。

大野 >

今のWEBサーバはまさしくasahi-netの会員用個人ホームページなので、容量的な制限があり、古いコンテンツは別サーバへ飛ばしているのですが、本当は全部移行してスッキリさせたいところです。

オンラインマガジンとして公開したことにより、大勢の読者の方に読まれるようになったのは嬉しいですね。時おり反響があって励みになります。

雀部 >

反響があるのは嬉しいですよね。うちはあまり反響ないんです。インタビューさせていただくと、作家の方から「毎月見てますよ」とは言われるのですが(汗;)

それなりの反響があったのは、SFマガジンに、100号(表3)、10周年(表4)、200号・20周年(表4)の記念広告を出稿したときだけです(笑)

大野 >

直接お便りやメールをいただくということは少ないのですが、何かのついでに「いつも見ています」と言われることは多いです。また掲載した記事の内容についてご意見をいただいたり、そこから具体的に話が動き出したりすることもあります。SF大会などのレポートで、その話題がSNS等で拡散していった例もあります。

別に分析しているわけではないのですが、一応アナリティクスも取っています。掲載直後から1週間くらいドーンとアクセスが上がり、それから定常状態になるのは見ていて面白いです。

雀部 >

うちも創刊当時は、面白がって調べてました。人気のある記事は年を経ても何かしらのアクセスがあるのですね。

371回の「内輪」良かったです。同月の225回「続・サンタロガ・バリア」の津田文夫先生と同じく、「SFセミナー」見逃してました。登録すら忘れてしてなかったという体たらく(汗;;)

で、「SFセミナー2021(オンライン)レポート」拝見して、しまったなあと。特に「怪獣動画の特異点――円城塔、ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉を語る」です。面白そうだったので最初から「ゴジラS.P」は観ていて、やけに設定はハードSFしているなと思っていたのですが、3, 4回目だかに脚本が円城塔先生だと気が付いて「ギャ」って(笑)

特異点の扱い方とかタイムパラドックスの扱い方が、これって普通のアニメファンに伝わるんかなという思いもあって、ちょっと悶々としてました。このレポートを見て、少し疑問が解消されました。続編希望!

大野 >

たぶん難しいのでしょうが、続編は見たいですね。特に、漁師が魚を釣ったら首が三つある怪獣が釣れたというやつ。そこから始まるのは面白そう。

なお、SFセミナーでは円城塔さんのScrapboxが公開されていました。そこでは、この作品をSFとして成立させるためのアイデアや思考の過程が色々と書かれていて、さすがと思いました。時間逆行を可能とするためにアシモフのチオチモリンを採用するとか、特異点を持ち出すとどんなことがあり得るかとか。

雀部 >

確かに、円城先生のご苦労が偲ばれます。

岡本先生の商業誌デビューは「サスペンス・マガジン」だったそうですが、大野先生の商業誌デビューは、「小説宝石」誌なのでしょうか。

この当時は、どういうスタンスで書評をお書きになっていたのでしょうか。

大野 >

商業誌デビューはSFマガジンで、確か1976年1月号に載ったシオドア・スタージョン「帰り道」の翻訳です。ただしペンネームは本名を少し崩したもので、大野万紀名義ではありません。これはSF研のファンジンから転載されたものです。

また同じ頃、大野万紀名義で、SFマガジンの「SFスキャナー」というコラムを回り持ちで書かせてもらうようになりました(古いSFマガジンを掘り出してくれば正確な時期がわかるのですが、腐海の中に沈んでいるので)。これは未訳の海外SFを紹介するコラムで、かつて伊藤典夫さんがやっていた、われわれ海外SFファンにとってあこがれの存在でした。

雀部 >

翻訳の商業誌デビューはSFマガジンですか、それは凄いです。してみると大野先生の名前を最初に見たのは「SF宝石」の書評じゃなくて「SFスキャナー」だったのか。

大野 >

本格的な書評はたぶん「SF宝石」の1979年8月創刊号からです。伊藤典夫さんを中心として、鏡明さん、安田均さんらと共に、SF宝石の創刊と同時に始まったものです。岡本俊弥さんも当初から参加していました。

書評のスタンスとしては、とにかく文字数が決まっているので、その中で内容紹介とどこが読みどころかというポイントをバランスよく押さえるというところでした。これは現在も商業誌に書く場合は変わりません。なお、紹介する本は自分で選ぶのではなく回って来るものなので、スペオペから純文学まで幅広く読むことができ、面白かったです。

雀部 >

翻訳家としての大野先生の名前を初めて意識したのは、ジョン・ヴァーリイ氏の短編だったような気がします。(ちなみに大森望先生を初めて意識したのは『ラモックス』

翻訳されるに当たって気をつけられていらっしゃることは何でしょうか。

大野 >

一読者として読んでわかりやすいということでしょうか。もともとがわかりにくい文章であった場合も、それがわかりにくいけれど、何かあるのだなとわかるように。意味不明で放置するのでなく、ニュアンスが伝わるようにしたいと思っています(うまくいったかどうかは別ですが。例えばゼラズニイの気取った文章や、ラファティのどこへ連れて行かれるかわからないような不思議な文章など)。あと、なるべく原文のもつリズム感は大切にしたいと思います。

誤訳のないように気をつけるのは当たり前ですが、これが難しい。今はネットで検索できるので昔よりはずっと楽ですが、本当にこれでいいのかとか、編集者と何度もやりとりしたあげく、エイヤッと決めています。

雀部 >

(笑)>エイヤッと決めています。

リズム感、なるほど。これは声を出して読むとよりわかりますよね。

伊藤典夫先生や安田均先生が対談された記事で「酷い翻訳だと言われることがあるけど、原文がそもそも酷い場合が多いので困る」という意味のことが書かれてましたけれど、大野先生が読まれた欧米のSF作家で一番の悪文は誰なんでしょうか?(笑)

大野 >

悪文とは違いますが、ラファティの文章などは言葉はやさしいのに、本当にそれでいいの?というような不思議な言いまわしが良く出てきます。また難しいという意味ではグレゴリー・ベンフォードかな。物理学の素養と文学の素養の両方がある人なので、かなり凝った文章が出てきます。違った意味では、キース・ロバーツのアニタシリーズに出てくる魔女のおばあさんの言葉が方言まる出しで、これも訳すのに苦労しました。

雀部 >

ラファティ氏のは難しそうですね。知り合いのらっぱ亭さんも翻訳されてますが、苦労されたと(笑)

そう言えば、SFファン交流会ご苦労様でした。このご時世でなかったら行きたいんですけどねえ……

大野 >

8月のSFファン交流会は、牧眞司さんと「SFと自由意志」についてお話ししました。牧さんが『現代思想』8月号の自由意志特集に「SFにおける自由意志」というタイトルで、グレッグ・イーガンから始まりスタニスワフ・レムやアーサー・C・クラークを語って伴名練やテッド・チャンに至るという論文を寄稿されたので、それをきっかけに開かれたものです。ぼくも昔から興味のあるテーマなのでSF作品にからめてお話ししました。難しそうなテーマですが、色々と話が発展して楽しかったです。3時間近く話してさすがに疲れましたが。なおその時作ったメモ(単なるメモなので、この通りにお話ししたわけではありません)はここに置いてあります。

雀部 >

メモ、ありがとうございます。自由意志の問題、SFぽくて好きです。故伊藤計劃先生の作品も、意志の問題を扱ってましたね。そういえば、意志とか意識とか、著者インタビュー中の岡本俊弥先生が追い続けられているテーマですね。

グレゴリー・ベンフォード氏は、敬愛するプルースト氏の“意識の流れ”《内的独白》の手法を取り入れて書かれていたんでしたったけ。確かその部分のフォントだけ変えられていた記憶があります。まあどちらかと言えば《銀河の中心》シリーズみたいな、ハードSFかつスペオペ系のほうが好みではあります(笑)

大野 >

ぼくもそうですね。《銀河の中心》シリーズは好きです。ああいう膨大な時間の流れを描く作品はいいですね。「夢見る脊椎動物」と「電卓文明」(有機生命と機械生命)の果てしない戦いというテーマも面白い。ベンフォードには『タイムスケープ』という超シリアスなハードSFもあって、ぼくは解説を書きましたがこれも大好きな作品です。

雀部 >

『タイムスケープ』は、ベンフォード氏の初期の作品で、地味目だけど、それ故リアリティがあって良かったです。

キース・ロバーツといえば『パヴァーヌ』。THATTA2号に、「内輪」という作品の翻訳が載っているみたいですね。

特に「信号手」は名作でした。正にドキュメンタリーを読んでいるようで。「アニタシリーズ」って何だっけと思ったら、大野先生が翻訳された「ティモシー」がそのシリーズなんですね。すみません忘却の彼方でした。該当誌を引っ張り出して読んでみましたが、案山子君にとっては、はた迷惑きわまりない(とても切ない)話。確かに方言部分はご苦労の跡が偲ばれる翻訳であります(しかし、奇想天外誌って、こんなにフォントが小さかったんだ(汗;))

大野 >

昔の本は今読むと活字がとても小さくて老眼には厳しいですね。当時のぼくらは若かったからいいけど、昔の年寄りはあれを平気で読んでいたのかしら。

雀部 >

どうなんでしょう。今なら大きいフォントに変えられる電子書籍で読みたい(汗;)

ジョン・ヴァーリイの『残像』なんですが、好きでした。それまでSFは、なんかゴツゴツしていて荒削りだけど勢いがある読み物が多いと思っていたのですが、ヴァーリイ氏の短編は洒落ていて、テーマが今までSFにはならなかったような事象だったりで。当時一番好きだった短編が「ブルー・シャンペン」(『スターシップ』所載)。今でもLove affairを描いたSFとしては上位にランクインするんじゃないかな。←願望です(汗;) ギブスンの「冬のマーケット」より好きですね。

大野 >

ヴァーリイが好きとは嬉しいです。何しろデビュー当時からずっと読んでいて、思い入れも多く大好きな作家の一人ですから。70年代の作品が多いですが、今読んでも本当に古びていないと思います。

〈八世界全短編〉の評判が良ければ、〈アンナ=ルイーゼ・バッハ〉の短篇集も出すつもりがあったのですが、〈八世界〉も店頭からは消えているし、果たしてどうでしょうか。読みたいと思う方は、ぜひ東京創元社へお便りを。

雀部 >

小浜さんにでも良いのかしら。なにせ、旬が過ぎているからなあ。

ジャック・ヴァンス氏なんかは、つい最近まで新しい翻訳本が出ていたから売り上げに協力しました(笑)

ファンが集まって、クラウドファンディングで資金調達して翻訳者に依頼し、アマゾンあたりで電子出版するというのは可能なんですかねえ。著者はどこかのエージェントを通すとして。まあ資金さえが集まれば、東京創元社で電子出版してくれるかも。

大野 >

それが可能かどうかはわかりませんね。でもヴァーリイは今年の3月に心臓手術で緊急入院し、本の執筆ができないため財政的にも苦しくなったのですが、ネットの募金活動で支援を得て、8月には歩けるまでに回復したそうです。ぼくもささやかながら募金しましたが、ネットではこういうこともできるということで、嬉しく思いました。

雀部 >

知らなかった。もう募金、終わったんですね。

ちゃんとチェックしてなかったからなぁ……

最後にうかがいたいのですが、リタイアして時間的に余裕が出来た熟年世代(元SFファン)にお薦めの、SF再入門書があればお教え下さい。最近は中華SFが元気が良いようですが、ちと長いかな(汗;)

大野 >

中華SFは面白いです。『三体』も面白かったし、ケン・リュウが紹介している作品も良かったです。SFファン以外の人が読んでも面白いと思う作品が多いんじゃないでしょうか。

中国だけでなく、最近は韓国やイスラエルのSFも翻訳されていて、それが昔のような「こんなのもありました」的なものではなく、いずれも現代的な問題意識をもって書かれ、質的にも素晴らしい作品が多いと思います。SFがグローバルな現実と重なってきた証拠なのでしょう。

SF再入門書があればいいですね。ピッタリなものがあるかどうかはわからないのですが、ぼくが「シミルボン」でやっているSFコラムは、SF初心者や昔はSFを読んでいたが最近は読んでいないという人もターゲットにしているので、参考になればと思います。このところ更新が滞っていますが(^0^;)

雀部 >

ご紹介、ありがとうございます。鉄板の名作から、最近のお薦めまであって、そうだそうだと読みふけってしまいました。マイクル・コーニイの『ハローサマー、グッドバイ』、サンリオ版を読んだ当時から大好きな作品です。ちょっとヴァーリイ氏の青春モノと共通するところがあるかも。

今回はご多忙中のところ、色々お聞かせいただきありがとうございました。

まだまだ続けたいところですが、またの機会に恵まれるまで勉強しておきます。

現在、翻訳中の書籍等があれば差し支えない範囲でお教え下さい。

大野 >

今翻訳しているものはありませんが、書評や文庫の解説書きなどをやっています。歳をとると本を読むのが遅くなって、なかなか読み進まないのが辛いですね。面白い本、読みたい本がどんどん溜まっていって、新しい本を先に読むと古い本がますます地層の下に埋もれていきます。そのうち化石になるんじゃないかと心配なこのごろです。

雀部 >

大野先生クラスでも、積ん読が増えてるんですね。ちょっと安心←オイ(汗;)

「シミルボン」のお薦めを参考にして、今後の読書を楽しみたいと思います。

大野 >

あと、ツイッターなどでよく誤解しておられる方がいらっしゃいますので、こ の場を借りてお答えしておきます。
 海外ドキュメンタリーや海外ドラマの日本側スタッフとしてよくお名前の出る 大野万紀さんは、ぼくとは別人です。「地球ドラマチック」なんかぼくもよく見 るのですが、とても素晴らしいお仕事をなさっている方です。でもぼくじゃない のです。

[大野万紀]
小学生のころから宇宙が好きで、恐竜が好きで、未来が好きで、図書館で見た「空想科学小説」という言葉にときめきを覚え、手塚治虫を読んで「SF」という言葉を知り、自分が好きなものにそんな名前がついているのだわかり、それからはもうまっしぐら。そうしてあれやこれや、色々あったけれど、60過ぎてもあの頃の気持ちを持ち続けようとしている、まだ現役の「SFの人」です。
(「シミルボン」の自己紹介から引用)
[雀部]
同世代の大野万紀先生や岡本俊弥先生をみると、熟年世代まだまだやれる感があり心強い限りなのですが、ふと我が身を振り返ると恥ずかしい限りであります(汗;)
校正の風音さんが調べたら、大野先生のSFスキャナーは1977年2月号「ロボット怪獣大戦争」から検索に
ヒットするみたいです。

「Amazon」には、新刊の在庫が無いようですが「honto」には、文庫版、電子版ともに在庫があるようです(2021.10月現在)