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Interview


Cover

『鏡の影』

佐藤亜紀著

ISBN4-89436-134-5
C0093

インタビューア:[増田]


ビレッジセンター出版局 1900円 2000/7/7刊
粗筋:
 レヴニッツの六人兄弟の末っ子ヨハネスは、「全世界を変えるには、ある一点だけを変えれば十分である」という考えに取りつかれていた。レヴニッツの聖堂参事会員を務める叔父貴の元に転がり込んだヨハネスは、叔父の本を読みあさり、またレヴニッツの司教にラテン語や修辞学数学などの手ほどきを受けるようになった。叔父が自らの命を絶った後、大学で神学・哲学・医学も学び、ローマでヘブライ語で書かれた写本に出合いかつての夢を思い出す。「世界を覆す一点を探す」ことを。
感想:
 「全世界を変えるにはある一点を変えれば十分である」という考えに取りつかれた異端の学僧が主人公ですが、魔術とか妖術の話(本質の話かな)は出てくるものの、いわゆる魔法妖術幽霊妖怪の類はまったく出てきませんでした。あ、一人いたか^^;
(佐藤さんの膨大な知識知見が詰め込まれていて目眩は起こしたけど:-)
 魔術や妖術の本質を問い直すことにより、人間(人生)の本質を読者に考えさせる優れた寓意書であると言えると思います。
で、この本を読んでいて私は何故か聖杯伝説を連想してしまいました。ヨハネスはフィリッパのもとで本当に幸せだったのかも知れませんね。
(私なんかはタンホイザーのようにためらったりせずに、すぐに肉欲に走りますが^^;)



[増田]  今回の著者インタビューは佐藤亜紀先生です。
 よろしくお願いいたします。
[佐藤]  こちらこそよろしくお願いします。
[増田]  佐藤先生はこれまでに長編では、双子の魂が一つの身体に同居する『バルタザールの遍歴』や日本国某県が分離独立を宣言する『戦争の法』、錬金術師が悪魔と取引する『鏡の影』、狼男が主人公の『モンティニーの狼男爵』、ナポレオン暗殺計画という『1809』などを執筆されたわけですが、こういった一種独特の世界や人物の設定のアイデアをどこから得られるのでしょうか。特に、『バルタザールの遍歴』のメルヒオールとバルタザールの設定、『戦争の法』の『分離独立』という着想をどこから得られたのか、とても興味があります。
[佐藤]  すんごく長くなりますけど、よろしいでしょうか。

 『戦争の法』についていえば、そもそもの発想は分離独立ではなく、ソ連軍の進駐から来ています。今となっては笑える話ですが、ソ連邦の崩壊まで新潟県民には割合に深刻な話でして、父親は自民党の党員になれと誘われたのに「万が一の時にパージされちゃ困る」という理由で断るし、ソ連軍は必ず新潟から上陸すると確信する高校の教師は(真っ赤なので有名だったんだけど何故か仮装敵はソ連)、田圃のはるか彼方の鉄塔を指差して、「ベトコンの少年ゲリラはあのくらいの距離でも当てる」とか「AK一梃で米軍のヘリを撃墜した少女がいる」とか言って煽るし、文芸部の先輩(女性ですけど)はチェ・ゲバラの伝記を読みながら山に入る日を夢見てるし、という有り様でした。それとも私の周辺に一際想像力豊かな連中が集中してただけでしょうか。何にしても、平和教育にはまるで不熱心な土地柄でございました。

 なもので、アフガン戦争には興味津々でした。ほぼリアルタイムで戦況を追い掛けていたと思います。他人事じゃなかったのです。国境を越えて行ったり来たり、というシチュエーションはここから来ています。

 三番目は、覚えておいでかどうか知りませんが、ロッキード事件で有罪判決を食らった田中角栄が常の倍近い二十二万票で当選した衆院選の時の雰囲気です。中央のマスコミがどう報道したとしても、私が肌で感じた空気は、反乱前夜、ともいうべきものでした。
 田中に天誅を下すべく同じ選挙区で立候補した野坂昭如氏が、選挙運動中に包丁持った暴漢に襲われたりしておりましたが、地元じゃ誰も同情しなかった。東京から来た奴は敵、という空気があったと思います。

 ちなみに、作中に「先生」の銅像はないとありますが、あれは間違い。実際、相当な寸法の代物を建てたようです(教えてくれた人の話だと「台座込みなら四メーターは優にある」とのこと)。日本人じゃないよな、やっぱり。

 具体的な設定に関しては、紛争の密度が一定以上にならないよう、かなり気を使って作ってあります。重要なのは全体の雰囲気、新潟という土地の空気であって、シミュレーションではなかったからです。であるが故の「分離独立」です。シミュレーションなら全く別物になっていたでしょう。

 『バルタザールの遍歴』は、一九八九年の正月を挟んだ二週間、ウィーンでオペラ三昧した時の印象がもとになっています。ベルリンの壁があった頃のウィーンは、今となっては想像もつかないくらい景気の悪い町で、その景気の悪さがたとえようもなく魅惑的でした。

 あんまり魅惑的だったので、留学先のブザンソンに帰った時にはウィーンの小説を書こうと考え付いたのですが、実際にメモを取りはじめたのは、身体がひとつしかない双生児、という設定を考えてからです。後は最高に景気の悪い両大戦間に舞台を据えるだけ。

 いずれにせよ、まず最初にあるのは雰囲気で、それを具体的な状況に置き換えた時、小説になる、と言えるかも知れません。参考までに。『鏡の影』はスイス=ドイツ国境にあるシュタイン・アム・ライン、『狼男爵』はブザンソン近郊の村落をうろついた時の経験から来ています。『1809』は、ナポレオン時代を舞台にしたスチームパンクを書こうと思っているうちに、時代の空気そのものに嵌まっちゃったところから出ているので、多少、違うかもしれません。
[増田]  なるほど。まず作品世界の雰囲気があって、それを具体化すると作品になる、というわけですね。

 佐藤先生の作品を拝読していると、(悪い意味ではなく)皮肉的な表現を使ってそれまでは見えなかった側面を描き出す、という箇所が随所に見受けられるように感じるのですが、そういったことを意識されながら書かれているのでしょうか。例えば『バルタザールの遍歴』の、あの思わず読者が引き込まれてしまうような退廃的な雰囲気と、それを理解しながらも受け入れてしまうメルヒオールの性格、あるいは『戦争の法』での主人公の戦争に対する認識は、ああいった表現なしには成り立たないように思うのですが、いかがでしょう。
[佐藤]  一般論として申し上げるなら、あらゆる状況は常に多義的です。従って人間も、自分の置かれた状況について複数の理解を平行して持っている筈で、それを前提として書かなければ、「雰囲気」を具体化したとは言い難いでしょう。我々は自分が見たとも思っていないものまで見ているので、ある経験を紙上に再構成しようというなら、その、見えていない見えているものの存在を考慮しなければならないと思います。

 また、『バルタザールの遍歴』においても『戦争の法』においてもそうですが、語り手が語りはじめるのは、一連の動作が完結した後です。いわば語る「自分」と語られる「自分」は別に存在しているので、当然ながら、動作の時点で後景に退いていた認識も表面に浮かび上がってくることになります。
[増田]  回顧録か自伝的な構成を取ったがゆえの利点というわけですね。
 そういった構成で執筆される場合、私のような人間から見ると、よほど緻密で細部に渡るプロットがなければ、作者自身が途中で混乱し始めてしまうのではないかと思ってしまいます。後に来る体験が先にあった認識に影響することもあるでしょうし、それを見通しておくためには緻密なプロットがどうしても必要になるのではないかと。
 細部は考えながら書き進めていくという方もいらっしゃいますが、佐藤先生は、作品の中で描写される因果関係をあらかじめ全て繋ぎ合わせてから執筆されているのでしょうか。以前からお伺いしてみたかったのですが、その場のインスピレーションとじっくり積み上げていったプロットと、その二つが相反してしまった場合、どちらに比重を置いて作品を執筆されているのですか?
[佐藤]  ヨット競技のようなものを想像していただくのが一番正確だと思います。概ねのコース、回るべき地点は決まっていますが、風向や潮流は絶えず動いています。それを無視すれば、帆が裂けたり転覆したりすることもあるでしょう。風や潮を利用して規定のコースをクリアするように、その場のインスピレーション(と言うより、素材としての物語がどう動きたがっているか、その抵抗の方が問題なのですが)を利用しながら書いていくのが私のやり方です。向い風が吹くなら間切ればいいのです。
[増田]  プロの作家になろうと思われたのはいつ頃のことなのでしょうか。小説を書き始めたのはいつ頃ですか?
[佐藤]  小説を書き始めたのは小学校四年生の時です。当時の目標は学者で作家、でした。ウンベルト・エーコみたいなのを夢見ていた訳です。
[増田]  佐藤先生のデビューは1991年ですからそろそろ十年を迎えようとしているわけですが、何か感慨のようなものはありますでしょうか。作家にとってデビューから十年は一つの区切り、と聞いたことがありますが、それを佐藤先生ご自身に重ねてみたりすることはおありですか?
[佐藤]  一区切りは私の場合、デビュー五年目頃だったと思います。『1809』を書いた時には、これで第一期は終り、という意識がありました。一年フランスへ行って、次は実録で出直しという計画だったのですが(小説なんぞ何本書いたってしょうがない、という気になったもので)、さる事情により頓挫したことは、御存知の方は御存知だと思います。現在、鋭意業務の建て直し中です。
[増田]  これはぜひ読者の皆さんも知りたがると思うのですが、お好きな文学作品や作家、また文学に限らずお気に入りの絵画や楽曲、画家や作曲家などありましたら教えてください。
[佐藤]  文学作品・作家となると、誰をあげるかがものすごく難しくなります。人数が多くて。十八世紀なら、ヴォルテールの『カンディド』、ディドロの『ラモーの甥』、フィールディングの『トム・ジョーンズ』、と言ったところでしょうか。サドも結構好きです。二作挙げるなら『アリーヌとヴァルクール』(驚くなかれ普通の小説だ)と『悪徳の栄え』。

 十九世紀は小説の世紀ではあるし、要義務鑑賞作家も多いけど、実を言うとそれほど好きな作家はいません。あの程度のものは誰だって書けるよね、という感じがよくないのかも。あげるとすると、サッカレーの『バリー・リンドン』(どコンサバな映画とは比べ物にならない破天荒なテクスト)、ドストエフスキーの『悪霊』とメレディスの『エゴイスト』。

 ぎりぎり二十世紀に入ると、多少、好ましい作家・作品が出て来ます。アポリネールの『一万一千本の鞭』。ヨーゼフ・ロートの『ラデツキー行進曲』と『聖なる酔っ払いの伝説』。ロベルト・ムージルの『特性のない男』。ブレヒトの『ガリレイの生涯』(ただしベルリン版)。G.K.チェスタトン『ノッティングヒルのナポレオン』。イヴリン・ウォーの作品の幾つか。イリヤ・エレンブルクの『トラストD.E.』。トマス・ベルンハルトの『ヴィトゲンシュタインの甥』。

 現存する作家では――アラン・シリトー。デヴィッド・ロッジ。サルマン・ラシュディ。ジョン・バンヴィル。現在注目しているのはリチャード・パワーズ。最高の現代小説だと思うのはブレット・イーストン=エリスの『アメリカン・サイコ』。あれがあるなら何も自分でわざわざ現代小説書かなくったっていいや、という感じですね。

 一応挙げとく日本の作家。篠田節子(日本のバルザックはむしろ彼女だろう)。笙野頼子。奥泉光。

 別格として、二人、挙げたいと思います。もちろんナボコフ。『ロリータ』は小説の最高峰でしょう。あと、ヒルデスハイマーの『詐欺師の楽園』。知ってる人の方が少ない作品だけど――何であれを書いたのは私じゃないんだろう。

 画家・作曲家についてはざっと済ませませしょう。イタリア十六世紀絵画。特にフランチェスコ・マッツォーラ。別格の目の御馳走です。音楽は――昔はワグネリアンでした。いつの間にか卒業してましたけど、新譜が出ると一応買います。昔は鼻で笑ってたベートーベンが『1809』を書いてる間に突如好ましくなったりしました(カーゾンがピアノ弾いた『皇帝』のせいでしょう。『ミサ・ソレムニス』もいい)。生理的なものに依存するせいか、好みの変動の大きい分野ではあります。ヴァイオリンをはじめて耳が変ったらしく、二十世紀音楽が好きになりました。ブゾーニの『ドクトル・ファウスト』。リゲティの『グラン・マカブル』(オペラのリブレッティ書くなら、是非こういう支離滅裂なのをやりたい)。シュニトケのヴァイオリン協奏曲四番。
[増田]  佐藤先生はとても緻密な構成と文体で知られていますが、実際の執筆期間というのはどのくらいかかるものなのでしょうか。例えば、『鏡の影』は執筆に取り掛かってから脱稿するまで、どのくらいかかりましたか?
[佐藤]  一行目を書き始めてから最後の行を書き終えるまでなら、半年掛かっていません。
[増田]  それは速いですね! 初めて『鏡の影』を拝読した時には、「これはきっと書くのにものすごく時間がかかったのだろうな」と勝手に思いこんでおりました。

 それでは最後になりますが、現在、構想中あるいは取材中や執筆中など、手がけている作品がありましたら、差し支えなければ教えてください。
[佐藤]  今、ギョーム・アポリネールばりの猥本を書いています。一生に一遍くらいならいいかとも思いまして。あと、ちょっと準備の必要な短編の企画が二、三本。十八世紀の地下出版の話も考えています。
 諸般の事情で初稿四百枚を廃棄処分したメッテルニヒの伝記も、年明けから再開するつもりです。
[増田]  この度はお忙しいところをありがとうございました。
 これからも佐藤先生の作品を楽しみにしてまいります。
[佐藤亜紀]
1962年生まれ。
成城大学大学院で西洋美術を専攻。専門は十八世紀の美術批評。
修士課程終了後、ロータリー財団奨学金を得て、フランスに留学。
1991年『バルタザールの遍歴』で第三回日本ファンタジーノベル大賞受賞。
著書に『戦争の法』『モンティニーの狼男爵』『1809』など。
ホームページは http://www.dccinet.co.jp/tamanoir/
[増田]
本紙主任編集員。本業はフリーライター。どちらかというとファンタジー派。

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