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Author Interview

インタビューア:[雀部]&[伊藤]

『グラン・ヴァカンス 〜 廃園の天使1』
> 飛浩隆著/岩郷重力カバー
> ISBN4-15-208443-X
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> 1600円
> 2002.9.30発行
 南欧の田舎の港町をイメージしてデザインされ、古めかしくも不便な町で過ごす夏のヴァカンスというコンセプトで造り上げられた仮想リゾート<数値海岸>。目覚めた十二歳の少年ジュール・タピーは、今日は鳴き砂の浜へ、ジュリーと硝視体<グラス・アイ>を拾いに行こうと決めた。視体<アイ>は、ほかのどんな事物にもできないやり方で、区界の物体や現象に働きかけることができるのだ。ある夏の一日をくり返すこの<夏の区界>で、彼らAIたちは、千と五十年も前から、この同じ夏の一日をくり返してきたのだった。ネットワークに存在する<数値海岸>に、ホストである人類が訪れなくなり、それだけの年月が経過し、AIたちはこの夏の一日をくり返すしか術を持たなくなっていたのだ。
 その日、鳴き砂の浜で二人が遭遇したのは、愛嬌のある<区界>の修理屋として馴染みのある<蜘蛛>に似た、しかし物体や現象を食い荒らす破壊のプログラムであった。この時より<夏の区界>は未曾有の戦いへと突入した……

本にしておかないと自分も読めなくなるなと

雀部 >  今月の著者インタビューは、9月30日に『グラン・ヴァカンス 廃園の天使1』を出された飛浩隆先生です。飛浩隆先生、よろしくお願いします。
>  よろしくお願いします。まだ作家扱いに慣れていないので(笑)。
雀部 >  さて、今回のインタビューにはもうお一方、私なんかよりず〜っと飛浩隆ファン度全開の方をお招きしました。「神魂別冊 飛浩隆作品集」を出された岡田さんです。
 岡田さんよろしくお願いします。
 さて、岡田さんがこの「神魂別冊 飛浩隆作品集」を出されるきっかけと経緯についてお聞かせ願いませんでしょうか。
岡田 >  経緯といいますか、自分の場合ですが、87年頃からSFマガジンをちょくちょく買うようになって、「夜と泥の」とか「星窓」とか読んでました。あと、SFマガジンセレクションに入った「象られた力」と「”呪界”のほとり」までは読むことができたんですが、それ以外の作品はあることがわかってても読むことが出来なかったんです。で、とても読みたいと思っていたんです。
雀部 >  そうですねぇ。地方ではSFマガジンのバックナンバーを読もうとすると苦労します。
 定期購読していると結構な量になりますし(笑)
岡田 >  その後「デュオ」が出ましたんで、喜んでそれを読んでおりました。
 で、なんで本にまでする気になったかというと、就職とかして、引越しとかしたんですが、実は実家に置いていた「デュオ」の掲載されているSFマガジンが家族に処分されてしまってまして。これに大憤慨しまして。
雀部 >  なんと。これまた私の周辺でも良く聞く話で、涙を禁じ得ません。ネットでも、ダンボール箱に入れていたら、母親にちり紙交換に出されたとか(泣)何度か読みました。
岡田 >  これはもう本にしておかないと自分も読めなくなるなと。
 もともと過去の作品もなんとか読みたいってのも自分にもありましたのでこの辺が複合して、じゃあ商業誌に掲載されたのは全部再録できないだろうかということで飛さんに相談持ちかけたのが始まりなんです。
雀部 >  なるほど。しかしすごい行動力だなあ。そう思っても、なかなか本にしてしまうまでというのは大変だったでしょう。
岡田 >  とにかく自分が本で読みたいから作ったってのが発端なのです。
 あとは、本になってない関係で、読んだことが無い人にも読んでほしかったというのも当然あります。うれしい誤算として作者自身の解題までもらったんで、読んだことのある人にも是非お勧めしたいとおもっています。
雀部 >  解題は、とても興味深く読ませていただきました。一粒で二度美味しいという感じで、ありがたかったですね。
岡田 >  実は飛さんは、どうせ電子的に編集するんだろうから、CD−Rとかで出すほうが、安く出来るんじゃない?ともおっしゃられたんですが、本の体裁にしたってのは、自分にやっぱり本は活字で読みたいってこだわりがありまして。
 厚さはちょっと薄いんですが、新書の体裁をとってるのもその関係でこだわったところです。さすがにハードカバーにすることはちょっとできませんでしたけど。
雀部 >  CD−Rをパソコン上で読むのと、本を手にとって読むのとでは、やはり全然違いますからね。こうして飛浩隆先生の短編集を本の形で読むことが出来るのは、岡田さんのおかげです、本当にどうもありがとうございました。

すべて文字と文章で発想し組み立てます

雀部 >  さて、この作品は飛浩隆ファンにとってはSFマガジンに掲載された「デュオ」以来十年振りの新作なのですが、兼業作家である飛さんにとって、執筆時間はどのようにして取られているのでしょうか? そろそろ、勤務先でも責任のある仕事を任せられている年齢だと思いますが。
>  忙しさは責任の大小に関係ないですね。それはさておき、ここのところ新作が発表できなかった理由の十分の一くらいは、本業の忙しさにありました。毎日23時ごろ帰宅で、土日も出勤とかね。たまたま三年間、時間のある職場にいることができたので、どうにか再会できたというわけです。さいきんまた忙しくなってしまいました。どうしましょう?(あまり深刻でない)
雀部 >  ありゃ、兼業作家で土日の出勤は痛いですね。
 前述の「神魂別冊 飛浩隆作品集3」の後書きで、“このごろのエンタテインメント小説が長くなっているのは、あきらかに他メディアの情報量に対抗し、食感や満腹感を競おうという、進化圧(笑)の結果でしょう”とあって、おおとか思ったのですが、この『グラン・ヴァカンス』でも、かなり映像的に唸らせるシーンが出てきますが、やはり映画とかを意識して書かれていらっしゃるんでしょうねぇ。
>  執筆中はそうしたことは念頭にのぼらないです。また作中の光景を映像として頭の中に浮かべることもありません。すべて文字と文章(そして黙読の「音」)で発想し組み立てます。自分の中から言葉のネジやボルトを切り出し、それを磨いて組み立てるわけです。
 ときどきアニメの絵コンテをそのまま書き起こしたような小説を読むことがありますが、意外なほど視覚的イマジネーションをかき立てられません。映画に拮抗する体験を読み手に与えるために書き手は何をすれば良いか、なかなかむずかしいことです。
雀部 >  それは意外でした。飛先生のような言葉使い師としては、当然なんでしょうけど。
 実は、今回いつもブックレビューでご一緒させていただいている伊藤さんから「来月のブックレビューは『グラン・ヴァカンス』にしませんか」という提案をうけたので「実は、著者インタビューで『グラン・ヴァカンス』を取り上げるんだけど」とお話ししたところ、「あ、スゲぇ。今から参加出来るものなら是非!」とのことで、急遽インタビュアーとして参加されることになりました。では、伊藤さんよろしくね。

実はビデオゲームをまったく嗜まないのです

伊藤 >  うわぅ! いきなりここでフられるでありますか!
 いいのかなぁ? 飛先生の御作品に触れるのは『グラン・ヴァカンス』が初めてという、ワタクシ如き不心得者が混ざっちゃって……(ってもう遅い)
 飛先生、はじめまして! 『グラン・ヴァカンス』は興奮と共に一気に読み終え、さっそく友人に薦めまくっております。
 さて、スゴい作品を読んだ時にはきまって作者の人となりに興味が湧くのですが、「自分の中から言葉のネジやボルトを切り出し、それを磨いて組み立てる」というお言葉からは職人気質とほのかに機械工学系な香りを感じます。「文章を組み立てる」という創作活動以外には何か「作り出す」ご趣味はお持ちでしょうか?
>  ありません。無茶苦茶不器用だとでも申しておきましょう。
 あ、そうだ。絵を描いたりはしますね。(「飛浩隆作品集」裏表紙をご覧ください。)でもこれは手すさび(つまり肘から先の運動)であって、あんまり創造性のある行為ではありません。
伊藤 >  ご謙遜のお言葉から察しますに「描く」という事自体がお好きなんですね。
 行為に喜びを見出しているのであって、そこに意味を求めるものではない、と。
 でも、そうした喜びに基づく表現行動にこそ、その人の内面が現れるような気がします。(K極N彦センセの裏扉……はビミョ〜に違うか)
 むうぅ。飛先生自らの手になる裏表紙。それは見たい! 読みたい! 是が非でも手に――ハッ! な、なんと商売上手な(笑)
雀部 >  あと私が感じたのは、舞台が仮想空間上のリゾートということで、コンピュータ用語の使い方に苦労してらっしゃるなあという感じを受けました。あまり使いすぎると生硬な感じがするし、かといって全然使わないと、ファンタジーになっちゃうという(笑)
>  実はビデオゲームをまったく嗜まないのです。十二年くらい前に98互換機でアートディンクの「アトラス」を楽しんだくらい? 一念発起したセガサターンも一、二本やってみてすぐに使わなくなりました。大森望氏がウェブの日記で本作を紹介された時、UOやEQを引き合いに出されたのですが、飛は「こころの知能指数?」と思ったものです(マジ)。
 ゲームは今やベーシックな文化素養のひとつだと思っていますが、それを欠いた場所から本作は生まれています。だから違和感を覚える人もいるでしょう。それが本作の強みだろうと自分では思っています。
雀部 >  あ〜、私もゲーム関係はきわめて弱いのでなんかうれしい(笑)
 『火星年代記』とか『宇宙のランデヴー』なんかを買ってはみるものの、1stステージで挫折してます(泣) まあ『火星年代記』なんかは、レイ・ブラッドベリ氏のインタビュー映像なんかがあって、それはそれで嬉しかったんですが。
伊藤 >  ビデオゲームをやらないSF作家――今時ではかなり珍しい『無垢な土壌』だったからこそ、かような作品が生成し得たんですね。やっぱ「作品は人なり」だな〜。
 あ!「作中の光景を映像として頭の中に浮かべることもありません」というお言葉は、雀部さん同様とてもとても意外でした。
 読み手としましては、かように濃密なイマジネーションに触れますと「これはどのように映像化され得るだろう?」という方向に興味が湧いてしまうのですが、もし、『グラン・ヴァカンス』を映像化するとしたら、映画/漫画/アニメーションのいずれを選択されますか?(もちろん上記以外の媒体でも構いません)
 あるいは「この作品は映像化すべきではない」とお考えでしょうか?

美と醜悪を透明感のある線で描ける人

>  オリジナルの「写真集」はいかがでしょう。CGを一切使わないという条件で何人かの写真家の競作を一冊にまとめたら面白いでしょう(妄想モード)。
 01年の夏、すなわち本作の推敲中にベルナール・フォコンというフランスの写真家に「夏休み」という写真集があることを知りました。そのビジョンがあつらえたように本作にフィットしたので驚きました。この写真家は南仏で林間学校の施設を経営する家庭に育ったのですが、「夏休み」ではその故郷の風景に美しい少年のマネキンを何体も立てて儚くも妖しい世界をとらえています。
 実は本作を早川書房に見てもらう時、扉ページにその一枚をスキャンして貼り込みました。ごめんなさい(笑)。
 ちなみに「夏休み」の原題は"Les grandes vacances"なのです……。
伊藤 >  おお! 写真集! これは全く予想していませんでした。
 でも、儚い「夏」の一瞬を永遠の中に切り出す……というモチーフは言われてみれば確かにこの作品にぴったりですね。(それはそれは綺麗で怖い作品になりそうな)
 では、よろしければ映像化にあたり「任せてみたい!」という作者(または監督または集団)をお答え下さいませ。
 なお、ワタクシ的には
 (1) 萩尾望都による漫画化
 (2) 「ザ・セル」の監督ターセムによる映画化
 などを見てみたいであります。
>  ああなるほど、ビデオクリップ的発想なら映像化できるかもしれません。「動画による写真集」な切り口で。
 (1)は自分も切実に見てみたいです(金盞花のエピソードとか)。
 漫画ではもうお1方、あの人ならどう描くだろうと(当方が勝手に)妄想している人がいます。美と醜悪を透明感のある線で描ける人で、画風はどちらかというとスタティックな持ち味のある人です(男性)。
 だれだと思いますか?(答えはしませんけど(笑))
伊藤 >  うぅむ。単純に「廃園」+「天使」というキーワードから連想されるのは永井豪、石森章太郎、萩原一至あたりなのですが「美と醜悪を透明感のある線で描ける人」――むぅ、ダメだ。内田善美とか水樹和佳など女性しか思い浮かばないであります。
 (鋭く胸をえぐるテイスト的には「セシリア・ドアーズ」の江ノ本瞳もイイ線かな?)
 ああ、漫画中毒としてはムチャクチャ気になるではありませんか〜! しかもしかも答えては下さらないんですね〜! (:_;)
 おーい、誰か少年ランゴーニつれといで!(笑)
雀部 >  高橋しんさんとかは?(笑)
 あの省略の仕方が好きなんですが。
>  ではサービスでヒント。イニシアルはU.F。若い人です。
伊藤 >  おお! ありがとうございますっ!
 U・F、男性……UchiyamadahirositocoolFive(ヲイ!)
 よーし。パパ、漫画家DBで検索しちゃうぞー。えーと……うちだ藤丸(誰ソレ?)
 ん? イニシャルという事は 名・姓 の順なのかしらん?
 あ、ヤングサンデーで活躍中の古屋兎丸!……は画力あるけど、いかんせんギャグ漫画に体張ってるから「イヤ〜ン・ヴァカンス」とか言い出しかねないしなぁ。
 それともUとFという特殊な組合せは台湾/香港などのアジア系漫画家?!
 フェイ・ウォン――は歌手か? む〜ん。隔靴掻痒。

 せ、センセー、なんだか近そうに見えてとっても遠いであります!
 くやしいけど降参であります! むき〜!

 さ! モニターの前のキミはもう分かったかな?
 回答はいつものようにメールで送ろうね。正解者の中から抽選で一名様に飛先生特製の「なんでも消しちゃうクモさん」をプレゼントだ!
雀部 >  蜘蛛さんもらっても〜(爆)
 自動的にプログラムのバグを消してくれるクモさんなら欲しいけど(切実)
 各人で、それぞれお好みの漫画家さんが画を描いたらどうなるか想像するのもまた一興ですし(笑)

「ヒト」のどの部分が「ソフトウェア」でしょうか?

伊藤 >  『グラン・ヴァカンス』のトリビュート画集……いいなぁ。ウットリ。
 さて、この作品に登場するAI達はそれぞれが非常に生き生きと「ヒト」していますが、SF設定としてでなく、日常の生活でコンピュータ等に接する現代人の一人として振り返った時、飛先生ご自身は「ヒト」という「ソフトウェア」は「ヒト」という「ハードウェア」と無関係に存在しうる、とお考えでしょうか?

 つまり「機械にヒトの魂は宿る」or「宿らない」どちらの立場をお選びになりますか?
>  「ヒト」のどの部分が「ソフトウェア」でしょうか? 話は変わりますが扇風機の風力ボタン、むかしのテレビのチャンネル切り替えダイヤル、あれはハードですか、ソフトですか? あれらはだんだん電子スイッチ(つまり機能のアイコン)となりましたが、どの時点で「ハード」から「ソフト」に変わったことになるんでしょうか。
それとも最初から「ソフト」だったんでしょうか。あるいはいまでも「ハード」ですか。「ソフト」と「ハード」の違いはその程度のものでは、と素人ながら推察します。

 それはさておき「ヒト」のある部分を「ソフトウェア」だ、と伊藤さんが呼んだ時点で、「それを走らせる機械を作ることは可能だ」と宣言したも同じです。そのような「思想」をヒトが発見した時点で、機械に「宿る」方向へ歩き出しているのだとおもいます。実際にそこへたどり着けるかは別としても。
 これは「霊と肉」という古くからの人間の関心事をまたぞろ新機軸で始めてみました、ということでしょう。それに対するスタンスは創作者によっていろいろでしょう。

 ご質問のお答えということで言えば、《廃園の天使》は、「ヒトの魂」とはまずは「ヒトというハードウェア」の上で形成されるものだというところからスタートしています。すると、その形成の条件をいかに仮想世界で調えるか、という問題が出てくるわけで、それは《廃園の天使》の主題のひとつ(仮想世界における「感覚」)にかかわってくる課題です。
伊藤 >  おお、「始めにハードウェアありき」なのですね。
 そして仮想的であれ「ヒトの感覚」をエミュレートした存在にこそ「ヒトの魂」は宿りうるであろう、と。
 実はこの質問は『ホラー作家は別段幽霊やお化けの実在を信じていなくてもホラーが書けるけれど、SF作家は「科学技術による空想の実現性」をどこまで信じているものだろう?』という疑問と『おそらくオプティミストが多いんじゃなかろうか?』という根拠レスな想定に端を発しているんですが、飛先生ご自身は明快に「宿る!」という立場のようですね。なんかホッとした気分です。
 なお、ソフト/ハードという分類法自体が「魂はconstructiveなモノだ!」という宣言であるとのご指摘、目から大きなウロコが落ちました……が実はワタクシ自身は「ヒトというソフトとハードは不可分であり、そのハードウェアの物理的挙動を細部にいたるまでエミュレートするのは量子論的不確定性なんちゃらとかカオスティックな複雑性ほにゃららとかからいってムリなのでは〜?」という立場だったりします。
 (でもそりは仕事でたかだか数十〜数百行のスクリプト書くだけでもエラーをボコボコ出してる身としてはそんな複雑なモノどうやってコーディングするのか見当もつかん! とゆーごくごく個人的敗北感から出てたりするのでホントは宿って欲しい!! 賢いヒトがんばって〜! (:_;)/‾ )
雀部 >  私も私も!
 老いぼれたら 住んでみたいな 数値海岸 (字余り^^;)
>  まあそのへんくわしくは、おいおい作品の中で書いてみたいです。
 あと、つまるところ小説として面白くなるほうを選ぶ、という部分もありますね。
 「宿らない」ということがスリリングに書けるなら、そういうのもやってみたいです。

SF魂

雀部 >  このうち捨てられた仮想リゾートに残された人格ソフトたちの生き様という設定にとても心引かれたのですが、考えてみるとこの設定自体にシリーズを通じての謎が隠されているようにも思えます。この謎解きもSFファンにとっては魅力の一つですよね。登場人物たちも感じているように、ゲストが訪れなくなってしまった<大途絶>以後千年もなぜ電源が供給されているのか。
 取り残されたAIたちが<大途絶>以前の記憶も綿々と繋がっているのは、何故なのか。記憶が増えれば、それだけCPUの能力やメモリーなりディスクスペースを喰うのではないのか。それとも、彼らはAIではないのか?(作品中で、走らせる人格ソフト数が減るとAIたちの感覚が鋭くなるという描写を通し、CPUの能力が決して無限でないことが示唆されています)
 さらに言えば、そもそも彼らは<大途絶>があったという記憶を持って、ごく最近リロードされた存在だとしても彼ら自身は気がつかないだろう。では何故<大途絶>があり、それ以後千年もうち捨てられた記憶を持っているのだろうか?そうした記憶を持った彼らを存在させることが、AIたちを開発した存在にどういう利益をもたらすのだろうか。利益を生み出すのではなくて、その存在に対抗する勢力たちの仕掛けた<闘い>なのだろうか。
 む〜ん、謎が謎を生む(笑)
>  ノーコメント。
 というか、これから一所懸命考えます(笑)。
 読者があんまり考えると容易に作者の先をいってしまうので、先々きっとつまんないことでしょう。
雀部 >  い〜え、今までの経験からしても絶対読者の想像は裏切られるに決まってます!!
 まあ、例えば、突然異星人が来て人類と全面戦争になり、人類が絶滅してしまうと。その後異星人の研究者が、はて我々が滅ぼした生命体は、いったいどういう特質を持っていたのだろうと<数値海岸>の研究を始める。で、やっとアルゴリズムの解析に成功し、色々操作をはじめたのであった。あれま、我ながらありきたりだ(笑)
伊藤 >  んでもって、オスメント坊やに日保ちの悪いインスタントママをプレゼント、と。
 ありきたりきほんがんじ〜
雀部 >  ところで飛浩隆先生の作品は、一般的なSF作品とは目指しているベクトルが少し異なりますよね。でも、SFの心はちゃんと持っているんだぜというところが最大の魅力だと私は思いますが、そこらあたりはどうお考えでしょうか。
>  というよりは、同様の方向性をもった作品が最近少なくなった、ということでは?
 以前には結構あったように思います。それらの作品がもっていたSF魂を、拙作も受け継ぐことができていれば、きっとSF読みには伝わるんでしょう。
伊藤 >  『SF魂』!
 そうですよね。せっかく21世紀に生きてるのにSF魂を忘れちゃダメですよね〜。
 “漫画が好きだ。ホラーも好き。だけどやっぱりSFだよねぇ”と、久々に己の心の基盤を再確認しましたです。ハイ。

「ものとかたちとちからの相克」

雀部 >  では最後に岡田さん。なにか飛浩隆先生にご質問とかはありませんでしょうか?
岡田 >  えと、飛さんの作品続けてよんでると、特に最近の作品には共通項があるのかなと思うんです。具体的に言うと「感染」とか「伝染」っていうモチーフが必ずつかわれているなあと思っています。「夜と泥の」以降の作品では大体何らかの形で使われているなぁと、ガジェットのひとつなのかもしれないんですけど、こういったイメージなり、モチーフをおりこまれるっていうのはなにか思い入れがあるんでしょうか。それとも私のおもいこみでしょうか?
>  好みのモチーフであり、ついつい出してしまうもののひとつであるとは自覚しています。「作品集」の解題で、自分の中心的モチーフは「ものとかたちとちからの相克」であると書きましたが、その現れ方のひとつだろうと。感染はロジカルなものの交易をエンタテインメントとして書くときに使いやすいのです(ネタ的に盛り上がる)。
雀部 >  「ものとかたち」にこだわられているところとか、文章の紡ぎ方、ユニークな視点なんてところから、シオドア・スタージョン氏を連想するんですが、SFに入れ込まれるようになったのは、アメリカン・ニューウェーヴの作品を読んでからだと「神魂別冊」の解題に書いてあったのでちょっと意外でした。特に意識している作家の方とか芸術家の方はいらっしゃるのでしょうか?
>  たとえば「象られた力」に「サロメ」(ワイルド/モロー)を援用した(「作品集」解題参照)みたいなことは、しょっちゅうです。『グラン・ヴァカンス』もマンディアルグの力を借りました。
 あとこれも解題に書きましたが、以前なら、水見稜氏の背中を見ながら書いていたという自覚があります。ああいう作品を書く人、最近めっきり少ないね。(悲観はしていません。あたらしい人が、きっともっと研ぎすまして出してくるでしょう。なんだかそういう時期が近づいてきているような予感がしますけれども。)
 それから意外と音楽の影響が強いかもしれません。クラシックを好んで二十年くらい聞いたことで、たぶん頭の中が少なからず組み替えられていると思います。(ほうらまた感染のモティーフだ。)
雀部 >  《廃園の天使》シリーズは、既に三部作ということが決まっているようなのでとても楽しみです。これからも、あっと驚く傑作・今まで考えたられことのない様な新作を期待しておりますので、よろしくお願いします。
>  ご存知のように筆が遅いんですが、今回ばかりは頑張りますんで、あきらめずに待っていていただけるとうれしいです。
岡田 >  まぁ、お忙しいこともあるかとおもいますが、自分を含めファンはず〜〜っと待ってますから、次回作も力の入ったものをお願いします。
 とはいっても、あと二作は早くでることを祈ってますが(笑)
>  ……。(微笑、そして遠い目)
伊藤 >  大丈夫です。みんなきっと千年は待ちます!(笑)


[飛浩隆]
'60年、島根県生まれ。SFマガジン'83年9月号「異本:猿の手」でデビュー。以後10篇の中短編を同誌上で発表するも、'92年の傑作音楽SF「デュオ」を最後に沈黙。今回10年振りに初長編である本作を上梓、今後更なる活躍が期待される。
[岡田忠宏]
鳥取県生まれ広島県在住。別の目的で買った、SFマガジンセレクション1985の「“呪界”のほとり」で引っかかり、1988の「象られた力」で本格的におっこちる。飛さん本人に出会ったのは出雲SFコンパ雲魂3(1987年)だが、その場であった飛浩隆突然ファンクラブの会員番号3を持っているのが自慢。
[雀部]
50歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。
ホームページは、http://www.sasabe.com/
[伊藤@trashメール]
行住座臥、いかなる時もスキあらばオチをつけようと、虎視眈々と機会をうかがうチョッピリお茶目なSF中年。
でも、元ネタが古いのでお若い方に通じにくいのが悩みのタネ。
コードネームは「老いたる霊長類のオチへの参加」(嘘)
http://www.sf-fantasy.com/magazine/cgi-bin/joke/index.cgi

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