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Author Interview

インタビューア:[雀部]&[ケダ]

『傀儡后』
> 牧野修著/藤原ヨウコウ画
> ISBN 4-15-208412-X
> 早川書房
> 1700円
> 2002.4.30発行
 謎の隕石落下により、アンタッチャブルとなった大阪の街。侵入した者は帰ってくることが無いため、落下地点から半径6kmは、立入禁止区域となっていた。
 危険区域に隣接する菊田服飾学院に通う函崎は、ケーターと呼ばれる操作部が口腔内に装着された携帯電話を常に使用していた。ケーターを通した音以外を嫌悪するコミュと称するグループの一人なのだ。デス・メルというグループに因縁を付けられた函崎とミシマを助けたのは菊田服飾学院の学生でありながら、人気ブランドのオーナーでもある七道桂男であった。
 一方巷では、全身の皮膚がゼリー化し、放っておくと患者が姿をくらましてしまうという「麗腐病」という謎の奇病が流行していたり、使用すると五感で世界と融合することができる<ネイキッド・スキン>なる非合法ドラッグがもてはやされていた。

『ファントム・ケーブル』
> 牧野修著/田島昭久画
> ISBN 4-04-352205-3
> 角川ホラー文庫
> 629円
> 2003.3.10発行
収録作:
「ファントム・ケーブル」「ドキュメント・ロード」「ファイヤーマン」「怪物癖」「スキンダンスの階梯」「幻影錠」「ヨブ式」「死せるイサクを糧として」
 インタビューの中でもふれられている通り、収録作全部が「ファントム・ケーブル」というお話に内包されるように配置・構成されています。

様々なSF関係者を輩出しているので有名な学校?

雀部 >  今回の著者インタビューは、昨年('02)末に『傀儡后』で第23回SF大賞を受賞された牧野修先生です。いささか遅いですが、受賞おめでとうございます。
牧野 >  ありがとうございます。
雀部 >  もうお一方、牧野先生のファンサイト「ヴァーチャルヘヴン」管理人をなさっているケダさんです。
 ケダさん、よろしくお願いします。
ケダ >  よろしくお願い致します。
雀部 >  牧野先生は、大阪芸大芸術学部のご出身であられるのですが、ご専攻は何だったのでしょうか?
牧野 >  映像計画です。
 映画やビデオのような映像作品を扱う学科です。
雀部 >  そうだったんですか。読んでいてぱっと情景が浮かぶというよりは、言葉の持つ重みによりじわじわ怖さがしみ込んでくるという印象が強かったものですから。
 ところで、大阪芸大と言えば、様々なSF関係者を輩出しているので有名な学校なのですが、二、三年後輩に平谷美樹先生や士郎正宗先生がいらっしゃいますよね。お二人との接点とかはありましたでしょうか。
牧野 >  ありませんでした。
 ところで「大阪芸大と言えば、様々なSF関係者を輩出しているので有名な学校」なんですか?
雀部 >  平谷先生に教えていただいたんですが、クラブボックスを有していた唯一の漫研が『グループCAS(カス)』で、創設者が“矢野建太郎”(漫画家/編集者の勘違いによりデビュー以降現在までのPNは一字違いの“矢野健太郎”で今日に至る)、浜博昭(SF作家)小山田桂子(アニメーター)そして平谷美樹(SF作家)、清積紀文(アニメーター)島野のぶ(漫画家)、山本典和(漫画家)、田中政志(漫画家)、克・亜樹(漫画家)岩田一彦(イラストレーター)、MEIMU(漫画家)、刈谷夏姫(漫画家)他以上CAS出身者
 あと、大阪芸大出身でCAS外の方は、
魔夜峰央(漫画家)、中島らも(作家他)、牧野修(牧野ねこ/ホラー・SF作家)島本和彦(漫画家/未確認情報ですが一時CASに在籍したとの噂あり‥‥)士郎正宗(漫画家)、山賀博之(アニメーター)、吉田稔美(イラストレーター)川口まどか(漫画家)、赤井孝美(アニメーター)、庵野秀明(アニメーター)と云ったところだそうです。
 あ、このリストではかな〜り広い意味のSF関係者ですね(爆)
ケダ >  中島らも先生と牧野修先生しか(卒業生だということを)知りませんでしたっ(堂々)。
牧野 >  ほとんどがヴィジュアル方面ですね。
 当然といえば当然なんですが。
 わたしも漫画家というものに一度は憧れましたが、高校生の時には既に挫折していました。
雀部 >  平谷先生は、学生時代に超自然的な現象を色々経験されたそうなんですが、牧野先生はそういう経験はおありでしょうか?
牧野 >  ないです。
 あっても気がつかないタイプかもしれません。
雀部 >  あ、私も全然そっち方面の経験はないです(残念無念)
 平谷先生が、『百物語』巻末の大迫純一さんとの対談でK駅からO大学に向かう途中の住宅街の中にある墓地で、同じ怪奇なものを目撃していると書かれていたんで、有名な話かと思いまして。
牧野 >  大学の周辺には実話怪談の舞台となっているところがたくさんあったようですね。しかしわたしはそんな経験が一度もありませんでした。
 面白みのない回答で申し訳ありません。

ホラー、SF、エロス

雀部 >  いえいえ、そういう超常現象を体験された方が大多数だと、取り残された気分になってしまいますから。でも、一度は体験してみたいんです(笑)
 牧野先生のSFマガジン初登場は'94年2月号掲載の「甘い血」ですよね。
ケダ >  へ〜(メモメモ)。
雀部 >  この短編は、『傀儡后』にも通ずるデカダンな雰囲気を持っていて、あえて分類するとすればホラーSFかとも思うのですが、こういった雰囲気の作品が書きやすいとかはありますでしょうか?
牧野 >  まずわたしの文体がホラーに向いているということがあるかもしれません。それからホラー映画が好きなことも影響しているでしょう。「甘い血」はもともと吸血鬼ものを書けないかなあと思って考えた話です。ですからもともとがホラーなんですよね。
 ガジェットやアイデア、シチュエーションなどがホラーで、でもどこかに論理的整合性を求めてしまう気質がSFなのかも。
雀部 >  『傀儡后』に出てくるガジェットなんかは、けっこうSF的でした。ケーター(口腔内装着型携帯電話)でしか他人と会話しないコミュという子ども達のグループが出来るというところなんか、特に鋭い考察だと思いましたし。
ケダ >  コミュニケーション手段、データ受渡手段のガジェットがいろいろ出てきて、しかも機械装置だけでなく病気や特異体質も一緒になっているところも面白かったです。
 『傀儡后』を書きはじめる際に、「さあ、SFマガジン連載だ、SF書くぞー」とSFレーベルで出すこと、SF作品に仕上げることを特に意識なさっていましたか?
牧野 >  SFマガジンに書くときはいつもSFであることを意識しています。それであれか、とか言われそうですけど。
ケダ >  雀部さんが「甘い血」のお話をなさったので思い出したのですが、「甘い血」と『傀儡后』は函崎という登場人物の名前が共通しているだけではなく、支配的な力を持つ者が口内粘膜に支配の印(「甘い血」は血、『傀儡后』はネイキッド)を貼りつけることで、支配・被支配の関係を完成させるという、ホラーとエロスの隣接点みたいな位置付けでも似通っているような気がします(全然違ってたらすみません)。
 このシーンでふと(罰当たりにも)聖体拝領の絵を連想してしまったのですけれど、牧野先生にイメージの源泉のようなものはおありでしたか?
牧野 >  舌や唇で世界と繋がるということは、幼いエロスの表明かもしれませんね。
 また、「舐める」という行為で相手を感じ取ろうとすること自体が服従に繋がるように思います。
 神とは服従に喜びを得る人たちの究極の対象なので、神を「舐める」ことをそういう人々が望むのは理解できます。
ケダ >  口と外界とのつながりというと、食べるということしか連想していませんでしたが、食べることにしても食品の背後にずーっと展開する自然界に、摂取という行為によってつながり、隷属するという考え方もできるということでしょうか。今まで食べる=支配というか勝ち、と単純に見ていたものがひっくり返されたようで、面白いです。

進化というものは快楽そのもの

雀部 >  『傀儡后』の序章(SFマガジン連載時にはなかった部分)で、第二の皮膚(外界から肌を守る&外界と皮膚感覚の間に介在するインタフェース)としてのナイロン繊維誕生のエピソードが付け加えられていますが、これは前記のケーター(第二の口であり耳である)と指し示すベクトルは同じだと感じたのですが、これは意識して書かれたのでしょうか。
牧野 >  もちろんそうです。
 自己と世界とに関する物語ですから。
 SFはガジェットを楽しめるから好きです。
 そんなことを考えている間も楽しいし。
雀部 >  ストッキング、ケーター、スパンデックス・スーツ、最後はクチュールとなって地球=ガイアの皮膚となることが、すべて一貫性を持っているんですね。
 とすると、これは地球が自ら宇宙へ手を伸ばす手段として、新しい皮膚を身にまとうために全ての生物を利用した=そう進化させられた物語としても読めます!
ケダ >  なーるほどー。
 地球が意思をもって、というのは『星虫』にも使われていましたっけ。
 地球そのものが移動するための道具として人を使うのとは違ってたかもしれませんけど。
 SFの方のセンスというのは、意思を持っているものへの愛情に満ちていますね。雀部さんと牧野さんのお話を拝見していると、なんだかそんな感じがしてきました。わたしはもともとミステリ(推理小説)の読者なので、登場させる人や物にシンパシーを抱かせておいてばっさり裏切って驚かせるというところに面白さを感じるので、SFな方のガジェットや世界設定への愛情が欠けているのかも。そういう面白さを牧野さんの作品で教えられたような気はしているのですが。
牧野 >  生物は不快から逃れ快楽へと進みます。
 それはつまり種の維持を指向するすべての行為が快楽を伴うということです。
 となれば間違いなく進化というものは快楽そのものであろう、と想像できます。

 何故か「魚から両生類へ」といった進化を描くとき、「苦痛とともに選び取った道」といった求道的というか、快楽を否定する方向性でイメージされるのは、科学というもののストイックさが原因かもしれません。
 しかしどう考えても、両生類というものは不完全な肺で大気を呼吸する快楽に導かれ、半陸生を選んだのだとしか思えないのです。
 まあ、妄想ですけどね。
雀部 >  いえ鋭い考察だと思います。きっと利己的な遺伝子が、最初は苦痛でもすぐに快感に変わるように裏で糸を引いているに違いありません(笑)
 そういえば、ターン・スキンを履くと世界から働きかける振動を全身で感じ、力がみなぎってくると書かれてますが、これはやはり快感なんでしょうね。素人考えだと、外界と生身の体の間を人工物が隔てるわけですから、どちらかというと胎内回帰の感覚に近いかと思っていました。
牧野 >  トータルエンクロージャーと呼ばれる、全身を包み込むことで快楽を得る人々がいます。が、その身体を包み込む素材によって、そのタイプは大きく異なるような気がします。
 トータルエンクロージャーの代表がラテックスマニアなのですが、ゴムという素材は周囲から遮断します。胎内回帰の感覚に近いのはこちらの方ですね。
 これに比べるとナイロンは開放的な素材で、逆に外界からの刺激を増幅する方向性を持っています。
 ターン・スキンは、そのナイロンを基調として考えたものなのです。
雀部 >  なるほど、そうでしたか。冒頭のエピソードは、カロザースじゃなければいけないんですね。ここまでヒントを出していただいて、やっと少しだけ分かってきました(汗) 七道桂男が服飾デザイナーなのも、ドレスドハウス(装着住居)が流行っているのも、同じモチーフなんですね。
 服を着る=肉体を束縛することが快感なのと、トータルエンクロージャーで全身を包み込んで快感を得るのが同義だとしたら、人間は昔から皮膚と外界の間に人工物を媒介することによって快楽を得てきたと同時に、服飾の歴史は人類の精神的な進化の道であると言えますね。で、辿り着く先は、外界から隔てられ胎内回帰的なドレスドハウス(装着住宅)に入るか、クチュールとなって地球の皮膚となるか(笑) そうか、それとカロザースが、合成ゴムの次にナイロンを発明したのと、速水優子が、ラバーからスパンデックス・スーツに変わったのと、胎内回帰していたドレスドハウスの住人も、結局は傀儡后に奉仕するようになるのとシンクロしてますね。
 あ、それと『傀儡后』には、多分にマゾヒズム的な要素も入っているのではないかと感じたんですが。
牧野 >  マゾヒズムとサディズムというものも定義に難しいものだと思います。基本はやはり苦痛を媒介として快楽を得るという部分だとは思いますが、そこに支配被支配の問題や性的能動(いわゆる攻め)と性的受動(いわゆる受け)の問題や、ナルシシズム傾向からフェティシズムとのかかわりまで含めるとなにがなにやら。
 ただ『傀儡后』をエロティックな小説として感じてもらえたならそれは嬉しいです。もちろんエロティックに感じたから嫌い、という感想もありですが。
雀部 >  いや、エロパワーは大好きです(爆)
 ストッキングとかスパンデックス・スーツに対するフェチズムも、やはりそうではないのでしょうか?VHSがベータ陣営を圧倒したのは、裏ビデオがほとんどVHSだったからだと言う話だし(爆)
牧野 >  最後の武器としてのエロですね。
 芝居における動物と子供みたいなものでしょうか。
 エロはインパクトが大きいので、使い方が難しいです。

文系SF

雀部 >  SFファンは、普通、エロには奥手なもんでして(笑)
 話が変わるんですが、登場人物では、菜蛹くんが出色ですよね。『王の眠る丘』のタロウくんと同じく、暗いトーンのなかで良い味だしてます。あ、タロウと言う名前も同じか〜。鉄輪とタロウの場合も、漫才のボケと突っ込みみたいで面白いんですが、こういうキャラを登場させるということは、やはり大阪人の血がなせる技なのでしょうか?(笑)
ケダ >  えっ、タロウくんて、ボケキャラなんですか? かわいい水先案内人だと思ってたのに……不思議の国のアリスのウサギとか、真夏の夜の夢のパックとか、リボンの騎士のティンクみたいな……ショック。
牧野 >  愛すべき愚者はたとえば『道』みたいなことになって涙と感動を与えるわけですが、あいにくわたしの愚者イメージはテレビ版デビルマンのララなので、どうしてもコミカルなイメージがありますね。それと、誰かに付き従う人であること。
 従者ですね。だから太郎なわけです。
ケダ >  ……タロウ冠者?
 こういう作品を書いてみよう、と思われるとき、糸口になるのはなんでしょう?
 SF的なガジェット、世界の枠組・設定、ストーリー、テーマ……作品によってまちまちですか?
牧野 >  作品によってまちまちではあるのですが、一番多いのがひとつの画面、映像を思い浮かべることですね。長編になると、様々な画像を思いつき、それらを物語で繋いでいくことでひとつの小説になることが多いです。
ケダ >  牧野先生の作品もそうですが、「文系SF」と呼ばれるものがありますよね。
 牧野先生、それから雀部さんにもうかがいたいのですが、『傀儡后』は「文系SF」ですか? ていうか、文系SFって何でしょう?
牧野 >  文系と理系は受験用語ですから、あまりそれ自体に意味はないかもしれません。
 しかし「数学者に特有の抽象化能力」というものは存在すると思います。そしてそれがあるとないとでは物理科学を中心とした科学というものへの理解度に大きな差が出来ます。
 そういった数学的センスを必要とするSFを便宜的に理系SFと呼んでいるのではないでしょうか。そしてそれ以外のものが文系SFと呼ばれる。
雀部 >  私自身は、文系SFというのは無いと思います。平谷先生のファンクラブの紹介文には“文系ハードSF”という言葉は使っています(笑)
 「理学的・工学的な方法が小説のプロットと表裏一体をなしていて、それを除くと小説の体をなさなくなるようなSF (C)ハードSF研石原博士」と定義されるのがハードSFなのですが、そこまで突き詰められてはいないが、ハードSFの香りの漂うSFのことを文系ハードSFと呼ばせて頂いています。
ケダ >  私にとってSFは大きくくくれば「説明するフィクション」なのですけれど、反対に理系SFはなにか、『傀儡后』を「文系」SFたらしめているのはどこか、というのは大変興味があるところです。
 たとえば、『傀儡后』で「隕石が落ちたら、落下地点近辺の人類に異変が起きた」という変異の点が提示されて、「隕石が人の脳とか遺伝子とか細胞とかにどのような影響を及ぼしているのか」と変異の説明に字数を割くのが理系SF、変異を説明として、その後の描写に力を割くのが文系SFということになりますか?
雀部 >  いえ違うと思います。全てのSFは、第一に、異常な状況に置かれた人間(人類)がどういう風に考え行動をとるかを考察した文学の一分野では無いでしょうか。
 その状況の説明にある程度の科学的な裏付けがあれば、コアSF寄りだし、あまりそっち方面に気を配ってなければ、サイエンス・ファンタジー寄りですね。
 だから、変異後の人間の行動描写に力を割くのはどちらも同じだと思います。
ケダ >  ああ、なるほど!
雀部 >  SFは、そういう科学的な考察がたくさんあるので鬱陶しいから嫌いだといって食わず嫌いな人は多いんです。そんなSFは、ほんと少数派ですって(笑)
ケダ >  そうだったんですねぇ。
 牧野先生は論理的整合性を求める気質、とおっしゃいましたが、『傀儡后』の中で、ここはきっちり説明をつけておきたかった、というところはありますか?
 ご自身にとって説明なく受け入れられるものと、きっちり説明をつけたいものとを分ける境界線のようなものはありますか?
牧野 >  わたしの論理的整合性などというものは、ホラーにしては理屈が通っている、程度のものです。
 例えば月と地球の関係が『傀儡后』では描かれますが、最後の絵を矛盾なく見せるために「月は日本の頭上で停止しているために地球は日本と月が餅を引き合って千切れたような涙滴形をしている」というような描写を入れてしまうところがわたしの論理的整合性の限界ですね。この描写によって、傀儡后の世界での地球が別の世界の地球であることが明確になるのですが、そのことであらたに生じる物理的矛盾はそのままです。
ケダ >  他の作品に今後つながるから説明していないというわけではなく?
牧野 >  違いますね。たんなる自身の限界です。
 言い訳するなら、それ以上はリアルの構築に必要ないかもと、勝手に思っているからでもあるのですけど。

テキストが主体となる世界

ケダ >  『傀儡后』で繰り返し出てくる人間や町のデータの「テキスト」化――このテキストへのこだわりとも思えるものは、『2001』(早川書房)所収の「逃げゆく物語の話」にも美しく作品化されていると思うのですけれど、大学で映像をご専攻になり、ご自身でも絵をお描きになったりと、テキストを介在しない表現方法もお持ちの牧野先生が、データの共有・受渡手段としてテキストが主体となる世界を選ばれたのは、なにか特別なこだわりがあるのでしょうか?(もちろん、小説ですから、人がみんな絵画でしゃべりはじめたら困るというのはあるかもしれませんけれど)
牧野 >  絵を描き造形をし、写真や映画を撮り、それでも最後には小説を選んだのは何故だろう、というのは、自身への疑問です。
 どうしてでしょう。
 いつもそう思っているので、あらゆるものをテキストに還元するというモチーフが繰り返し出てくるのかもしれません。
ケダ >  かなりお若い頃から小説を書いていらっしゃったように(インタビュー記事かなにかで)拝見していたので、牧野さんという地球の、小説という地点からスタートして、ぐるっと一回りオデッセイを経て小説に戻ってきたのかと思っておりました。
牧野 >  商売に選んだ、ということは、自分なりに一番商品になるかも、と思ったからかもしれません。
ケダ >  ところで、『傀儡后』の街読みが読む街の言葉は日本語ですか?
 受け手は自分の言語の「テキスト」として認識しているけれど、実はバベルの塔が壊れる前にあった共通の言語みたいなものがネイキッド・スキンによってもたらされているのでしょうか?
牧野 >  深層の言語というか、あらゆる言語の礎となる原言語を想定しています。おっしゃるようにバベルの塔以前の言語ですね。
 そんなものの存在は言語学的に否定されているのですが。
ケダ >  現象に「説明をつけたい」というSF的な欲求と、「説明がつかないものに対する恐怖」を扱うホラー執筆について、なにか接点を作る努力をなさっておられるのでしょうか?
牧野 >  恐くなくなるとしても説明しちゃってます。
 あるいは説明が不能であることを出来る限り論理的に説明してます。
ケダ >  ところで、牧野先生は天使がお好きですか?
牧野 >  美しい奇形としては一番の素材だとは思います。
ケダ >  フリークスを小説の中に配置なさるのは、お好きだからでしょうか?
 あるいは物語にとって必要だからでしょうか?
 今までご自身で創り出したフリークス(もしくは想像上の生き物)で特に気に入っていらっしゃるものってありますか?
牧野 >  怪物に心惹かれます。
 怪物が恐ろしく怪物になるのが恐ろしく怪物を恐れる己の醜さが恐ろしくそれらの恐ろしさがすべて快楽にも反転するのがまた恐ろしいです。
 それが異形というものの魅力だと思います。
ケダ >  SFには神の存在を扱うものもあるようですが、牧野先生が論理的整合性を見出したいテーマとして、なにか一貫して挑んでいる、あるいはこれから取り組みたいものはありますか?
牧野 >  論理的整合性から論理的に逃れることを考えています。
ケダ >  ……???……
牧野 >  説明不足でごめんなさい。
 わたしは指向として論理的整合性を好むので、そこから逃避したいのですが、その逃避がでたらめ、ってのも駄目で(でたらめならでたらめの必然性とかを考えてしまいますし)、逃避の方法を論理的に考えている、という意味です。
ケダ >  ははぁ(懸命にわかったフリ)。

ファンの方からの質問

雀部 >  『傀儡后』のパートの最後に、ケダさんのサイトで募集したファンの方からの質問をお願いします。
ケダ >  一つ目は、ひょくむさんからです。
 こっそり同じ欲求にさいなまれているかたは多いと思うな、うん……。
雀部 >  あれって、テキストとして感じ取るんでしょうねぇ、きっと……
ひょくむ >  麗腐病患者を食べたいです。とても食べたい。
 私は病気でしょうか?ああー。
牧野 >  ハンズでパーティー用の透明なお面を購入。
 人形の素材を扱っている店で眼球(実物大のもの)を二個購入。
 透明なお面の目の部分に眼球を当て、表からテープで固定します。隙間のないようにしっかりと固定してください。
 で、このお面を顔を下にして固定します(ぬれタオルなどで周囲を覆うのが一番簡単です)。
 市販のゼリー(エメラルドグリーンのもの)を水で溶いて面に流し込みます。
 後は冷蔵庫で冷やせば麗腐病患者の顔面のできあがりです。
 白く大きな皿に盛ってみましょう。
 もう気分は夷と蓮元。
ケダ >  次は、牧野さんの濃ゆい理解者であり、最も熱いファンのお一人、ねこちさんからの質問です。いつもお世話になっております。
ねこち >  『傀儡后』に関する質問です。
 戦争博物館に「擬テキスト装甲された凶人」が陳列されているのを夷と蓮元が見る描写がちらりと出てくるのですが、とすると「前の戦争」ではヒシヤが活躍したのでしょうか?
 あるいはこれから<介入>が始まるのでしょうか?
 もしそうなら<異本>も是非読みたいのですがそのような構想はあるのでしょうか?
牧野 >  『傀儡后』は、月世界戦争の、未だ描かれていない本土決戦のさらに後の世界の物語として考えています。
 SFマガジンで二作書いた『書籍宇宙』も、月世界小説の仲間ですね。
 わたしは元々が同じテーマの周囲をぐるぐると回る体質なようで、それがそのまま、こういった異本をつくってしまうことへとつながるのでしょうか。
 全部を矛盾無く繋いで一つの大作へ、とか考えないこともないですが、わたしの実力では不可能だと思います。

『ファントム・ケーブル』

ケダ >  ……と牽制しておいて、やっぱりやってくださるのではないかと、ひそかに期待しております。
 『ファントム・ケーブル』に話が飛びますが、枠ストーリーというか、短編集のコンセプトが先にあって、そこから作品を選ばれたのでしょうか?
牧野 >  作品の選出は編集部によってなされました。
 それにわたしが幾つか追加しました。
 編集部の希望は「日常から非日常へと移行する典型的ホラーパターン」ですね。
 あまり幻想小説よりのものやSFに近いものは最初から省かれていました。
 そういった作品群に枠ストーリーをつけることも最初から決まっていました。
 で、電話を素材とした電話怪談をやりたいな、と思っていて表題作とタイトルが浮かびました。
雀部 >  私の一番好きなのは、普通のサラリーマンがいわれのない迫害を受けるという「ヨブ式」。これは本当にほんとうに怖い話ですね。誰が当事者になるかも知れない怖さがよく出ていてやりきれない気分になってしまいました。
 あと、ケダさんともお話ししたんですが「怪物癖」って、好奇心旺盛で奥手だが、頭の中はセックスに対する妄想で一杯のファンタジー好きの処女の女の子が書いたような話だと感じたんですが合ってますか?(爆)
ケダ >  本当に怖い話なのに一番好きなんですか? 大人の考えることはよくわかんないな〜。
 「頭の中はセックスに対する妄想で一杯のファンタジー好きの処女の女の子が書いたような話」というご意見は、大変興味深いな、と思いました。二十年ぐらい前の少女漫画で描かれる乙女の性幻想って、恋愛と不可分というか、その延長線上にあるものが多かったように思います。今は若いお嬢さん方の目に触れるものに、ロコツな性の話がごろごろありますから、フィジカルな部分だけに興味を持っている方も多いかもしれませんけれど。池波正太郎の剣客商売の一篇に、「最初の男だったから愛していた」という女の話がありましたが、雀部さんのご感想も剣客商売の一篇も、「大人の感性」っていうか、性体験がない段階で想像できるとしたら、多分に男性的な気がするんです……あ、話が関係ないところに行ってしまいまして、すみません。
 SFマガジン2002年6月号に森奈津子さんが「牧野修の官能――もう挿入なんかじゃ感じない」という素晴らしい文章を書いておられるのですが、牧野小説におけるエロスは、子作り機能とか恋愛とかと切り離された――人間二体も必要ない――ひたすら「感じる」というエロスの核に迫っているような気がします。森奈津子さんが、人間二体の心と体で構成されたエロスの小説を官能小説ではなく性愛小説と呼び、牧野さんの作品について官能という言葉を使っていらっしゃるのも、そのためかな、と。
 すみません、長々と。先ほどの雀部さんの「怪物癖」に関する質問に戻っていただきまして、牧野先生、いかがでしょうか?
牧野 >  『ヨブ式』は自分でも読んでいると厭になる小説です。
 ここまでしなくても。
 で、『怪物癖』ですが、実はわたしは「頭の中はセックスに対する妄想で一杯のファンタジー好きの処女の女の子」なのです。見破られてしまいましたね。
雀部 >  おっとっとと(転けそう)
 ケダさんのお話のほうですが、やはり私は男ですから、男としての想像力しか無いようです。森奈津子さんは、『SFバカ本』なんかで、時々拝見するんですがSF的な物の見方が感じられて、そのパワーには圧倒されます。
ケダ >   あ、いえ、むしろわたしの想像力が貧困なだけでしょう……。
 森奈津子さんといえば、一昨年だったかの京都SFフェスティバルで牧野先生が必読書として推薦なさっていたのが、森奈津子さんの『西城秀樹のおかげです』でした(でも、なんの?)。
 すみません、話を戻します。ファントム・ケーブル(不幸になる男篇)と(不幸にする女篇)みたいな二分冊にして、まだ本にまとまっていない作品をもっとたくさん本にしてほしかったのですが、今後、他に短編をまとめるご計画はおありですか?
牧野 >  Jコレクションの第二弾としてSF短編集が出る予定です。
 SFマガジンで発表された短編やSFバカ本の短編などを中心に編纂される予定です。わたしの希望としては幻想・SF系列の短編はもれなく収録したいと思っています。
ケダ >  わ〜、それは楽しみです。
雀部 >  同感です。短編をまとめて読むのは、長編とはまた違った楽しみがありますし。
ケダ >  そうですよね。先ほど牧野先生は「同じテーマの周囲をぐるぐると回る」とおっしゃっていましたが、短編集には、そのテーマの重力圏から脱した作品と遭遇する楽しみとドキドキ感があるかも。
 一般に短編集を作るとき、牧野先生ご自身がどの作品を入れるのか、どういう順番にするのかを決めておられるのですか?
牧野 >  編集部の希望を元に自身で選定していくことが多いですね。
 やはりひとつの短編集として、あるまとまりが見いだせるようにとは考えています。
雀部 >  リング三部作や『パラサイト・イヴ』なんかも面白かったんですが、話がラストで閉じてしまっていて、やはりホラーかなという感じで、SFファンとしては、ちともの足らない面もありました。その点、『傀儡后』は、最後で爆発しているのでSFファンの嗜好に合致しているのではないかと。
 『傀儡后』は、ガジェットがいっぱい詰まった、読者によって色々な読み方の出来る懐の深い物語だと思います。ぜひまたこういうお話を書いて下さいませ。
ケダ >  なにが詰まっていても、なにも詰まっていなくても構いませんので、これからもたくさん作品を読ませてください。長く読めるように、長生きもして、お元気で働き続けてください。
牧野 >  『傀儡后』には詰め込むだけ詰め込んでしまいました。もう脈絡無いくらいぎゅうぎゅうです。今のところSF体力は使いきった感じです。改めてSF充電してSFを書きますのでよろしくお願いいたします。


[牧野修]
'58年、大阪生まれ。高校時代に筒井康隆氏主宰の同人誌<ネオ・ヌル>で活躍後、'79年に<奇想天外新人賞>を別名義で受賞。'92年に『王の眠る丘』で<ハイ! ノヴェル大賞>を受賞。他に、『MOUSE』『スイート・リトル・ベイビー』等々。
[雀部]
50歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。
ホームページは、http://www.sasabe.com/
[ケダ]
牧野修ファンサイト管理人。ファン歴は3年強と短い上、SFもホラーもファンタジーも幻想もジャンルそのものには特に興味のない外周部のファンです、すみません。

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