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Author Interview

インタビューア:[雀部]&[とりこ]&[彼方]&[おおむら]

『太陽の簒奪者』
> 野尻抱介著/撫荒武吉画
> ISBN 4-15-208411-1
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> 1500円
> 2002.4.30発行
粗筋:
 2006年、高校二年生で天文部の白石亜紀は、水星の太陽面通過を反射望遠鏡でとらえようとスタンバイしていた。水星が太陽の縁から離れる瞬間、影が涙滴状になり次に丸くなるはずだった。しかし、水星のシルエットから細長い物体が伸び、水星直径の三倍の長さがありそのまま消えることがなかったのだ。
 やがて水星から吹き上げられた鉱物資源は、太陽を取り巻く直径8000万kmのリングを形成し始めた。そのおかげで地球の日射量は激減し、人類は破滅の危機に立たされることとなった……

 元になったSFマガジン掲載の連作短編が'99年度星雲賞、改訂版のこの長編が「SFが読みたい! 2003年版」で、国内篇のベスト1に選ばれた名作中の名作。
 太陽系の見てきたようなヴィヴィッドな描写、一ひねりした異生命体の造形など、野尻抱介さんでなければ書けないに違いないハードSFです。

「説明する娯楽小説」

雀部 >  今月の著者インタビューは、SFマガジン編集部編「2003年版 SFが読みたい!」で、ベストSF2002国内編で、堂々の第一位になった『太陽の簒奪者』著者、野尻抱介先生です。よろしくお願いします。
彼方
おおむら
>  とても楽しみにしていました。よろしくお願いします。
野尻 >  よろしくお願いします。
雀部 >  「2003年版 SFが読みたい!」に掲載された受賞の言葉で、「いくらSFぽくってもかまわないんだ」という開放感があったと書かれていましたが、やはりヤングアダルト系の作品を書かれる時とでは、設定とか構成が違うものなのでしょうか。
野尻 >  ヤングアダルト系のときは、できるだけ読者へのもてなしを良くするように心がけます。冒頭でキャラを立て、興味をひく事件を起こし、難解な言葉はひかえめにして、最後までキャラクターの物語の上にSF性が載るように持っていこうとします。ヤングアダルトに限らず、SF小説はすべてそうあるべきだと思いますけども。
 Jコレクションの対象読者はヤングアダルト読者よりいくらか忍耐力があるだろうと思われたので、SFSFした記述をあまりセーブしなかった、ということです。
雀部 >  よく言われる「ハードSFには冒険モノがよく似合う」というアレですね。
 先月の著者インタビューの際に、“「これが文句なしのSF」といえるような作品が、SF全体にとって必要なのではないか。そして、それがメインストリームであるべきだ”とかSFのメインストリームは“「宇宙が舞台で、科学に対する愛があって、まあ、野尻さんの『太陽の簒奪者』です」”という感想が出たんですが、野尻先生も、『太陽の簒奪者』はSFのメインストリームであるとお考えでしょうか。
野尻 >  インタビューを拝読しましたが、北野さんや牧野さんのときは熱心な女性ファンが加わっているのに私のときはちがうんですね。暗い気持ちになりましたがまあいいです。
雀部 >  あ、『太陽の簒奪者』が大好きで、野尻先生の熱心な女性ファンであられるとりこさんの紹介がまだでした(笑) とりこさん、よろしくお願いします。
とりこ >  うわ、はじめまして。こんな大役を仰せつかり、たいへん緊張しています。どうぞよろしくお願い申し上げます。
野尻 >  とりこさんの登場で明るい気持ちに戻れました。
 一連のインタビューの中では、私も北野さんの意見に近いです。
 『太陽の簒奪者』は現時点でのSFらしさ、という点ではかなり高いと思いますが、SFのメインストリームとはこういうものだと決められるようなら、SFはジャンルとしておしまいでしょう。そうなれば「ははあ、これこれの要素を盛り込めばメインストリームになるのか。はいメインストリーム一丁あがり〜」になってしまう。そんなものを読みたいでしょうか。SFは変化することで評価されるべきです。
 ただ、これはSFに馴染んだ者の考え方です。それよりも一般の人がSFに何を期待するかを考えたほうが有用ではないでしょうか。私は、普通の日本人がイメージするSFとは『日本沈没』みたいなものだと考えています。最新科学が盛り込まれていて、社会や政治もきっちり描かれていて、未来のありさま・可能性を示す明晰な読み物。「未来はどうなるのだろう?」と思ったとき、人はSFを手に取るんじゃないでしょうか。
 そういう人たちがいまの先鋭的なSFを読んだとき、得体の知れない前衛文学みたいなものだったり、難解すぎたり、かったるい人間ドラマが延々と続くようなものだったらどうでしょうか。
 私のSF観にはこういう一般サイドの見方も多分に含まれているので、コアなSFらしさと一般的なSFらしさを両方備えた作品が理想です。SF出版全体としても、先鋭的な作品の場を残しつつ、一般的なSFがもっとあるべきだと考えています。
雀部 >  ありがとうございます。『日本沈没』や海外物だと『アンドロメダ病原体』がベストセラーになったのは、まさにそれですよね。
彼方 >  「SFは変化することで評価されるべき」と言うのは全くその通りだと思いますし、であればメインストリームというのはないと思います。でも、作品個々において、時代時代に応じてハードなSFというものはあって、『太陽の簒奪者』というのは文句なし掛け値なしにハードなSFだと思います。
とりこ >  「ハードSF」って何だろう、と時々判らなくなってしまうのですが、前回のインタビュー(「どーなつ」のインタビュー)の中に「説明するフィクション」という言葉が出てきて、これは私が感じていたものと近いなあ、と思いました。
 フィクションのファンタジー性を「説明」で補強する、読者に「あるかもしれない」と思わせる為のリアリティを「科学」で裏打ちしてくれるものを「ハードSF」とするなら、野尻先生の作品群は、まさに、まっこうから「ハードSF」だと思います。
 「これがウソだとは言い切れないはずだ」という形でのリアリティもSFのありかたに即したものですし、そういう、現実を足元から揺らがせるような面白さもとても好きですが、野尻作品のSF性は、何というか、「正面切ったありかた」だなあ、という信頼感があります。こう、どーんと構えた、頼りがいのある印象、と言えばいいでしょうか。
 それは読者にとって、清々しく気持ちのいいものだと思います。「メインストリーム」という呼ばれ方は、その「清々しさ」にも拠るのではないかと思います。
野尻 >  一般に「理解する」というのは快い、清々しいものです。この点で「説明するフィクション」というのはツボを突いていると思います。理解することが快感を生むなら、それを利用した娯楽小説があっていいはずです。だから私には「説明する娯楽小説」というほうがぴったりきます。
 たいていの小説読者には、理屈抜きに虚構を楽しむモードと、現実派として批判的になるモードが同居しているはずです。箪笥の奥に魔法の国がありました、雪の中にひっそり街灯がともっています、というナルニア国物語の冒頭で「オッケー! それでそれで!」と思うのが前者のモード。凡庸な小説にありがちな完全無欠キャラを「こんな人間いねーよ」と思うのは後者のモードです。人によっては違うモードで読むために、ナルニア国物語が受け入れられなかったり、完全無欠キャラに惚れ込んでしまうかもしれません。
 読者が空想的な展開に出会ったとき、虚構歓迎モードだけでなく現実派モードであっても興をそがれないのがハードSFかもしれません。しかしハードSFにも嘘はありますし、それが醍醐味でもある。娯楽小説はこうした二面性を備えているのが普通です。
 ミステリでも両モードを使い分けて読むのではないでしょうか。犯罪にともなう人間心理はリアルでも、面白い事件を思う存分追求していける探偵側のシチュエーションはしばしば空想的です。ファンタジーの場合、設定は空想的でも登場人物のふるまいはとてもリアルだったりする。それぞれをどのモードで読むかによって好みが分かれるのでしょう。多くの場合、読者が受け入れやすい虚構とは、当人の願望に即したものです。
 ハードSFというと読者を選ぶ特殊なものだと言われがちですが、それは虚構歓迎モードが強化されたSF&ファンタジー・ファンの思い込みではないでしょうか。空想的なものを理屈抜きに受け入れることに慣れた読者にとっては、ハードSF式の説明は無駄に思えるかもしれません。
 私は、一般的な小説読者が拒絶しがちな空想性を科学で説き伏せる点で、ハードSFはむしろ一般受けする読み物だと思っています。

太陽系を舞台とするにあたって

雀部   >  ハードSFがむしろ一般受けするというのは、目から鱗です。ん〜、なるほどなあ。
 先月のインタビュー記事のなかで“『太陽の簒奪者』はSFのメインストリームではないのではないか”と言う意味なこと書いちゃったんで、全国の野尻先生ファンを敵に回したのではないかと恐れているのですが(爆)。
 ライトノベル系だと宇宙が舞台の作品はいくらでもありますが、厳密な科学考証に基づいて書かれた作品は少ないと思います。日本のコアSFでも『太陽の簒奪者』のように<舞台が太陽系>で、しかもきっちりと科学考証している宇宙SFはほとんどないですよね。そういった点から、ファンには待ち望まれていた、しかし希有な作品が日本SFのメインストリームとは言えない気がしてああいう発言になったのです。
 そこで、太陽系を舞台とするにあたって、ご苦労された点がおありでしたらお聞かせ下さい。
野尻 >  太陽系を舞台にした場合、格別の苦労はありません。新たに星系を設定しなくていいし、既知のものだから説明も少なくてすむ。そして天文シミュレーション・ソフトがありますから設定した日付の惑星配置も簡単にわかります。
 『太陽の簒奪者』でひとつ問題だったのは水星の離心率が大きいことです。リングは真円ですから水星・リング間の軌道は一定になりません。別にそれでもかまわないのですが、エイリアンが水星を拠点にした理由がそのぶん弱くなりました。これがオリジナルの星系なら、都合のいい軌道に惑星を配置したでしょう。
雀部 >  まさにそういう制限があることも、太陽系を舞台にした小説が少ない原因の一つだと思います。銀河系のどこかに、それらしい適当な星系を作ってそこを舞台にしたほうが簡単そうに思えますし。
 ま、『重力の使命』くらいそれを徹底してくれれば、また別の楽しみがありますけどね。
野尻 >  太陽系を舞台にする上で一般的な障碍はといえば、地球を出発点とした宇宙文明の構築がかなり難しいことです。そのため、近未来宇宙SFでは必ず合理的な軌道到達手段を用意しなければなりませんし、その描写自体がメインテーマになることもあります。月に豊富な資源があったり、超素材を使わなくても軌道エレベーターが作れる世界ならよかったのにと思います。
雀部 >  もし火星に住んでいる野尻先生が『太陽の簒奪者』を書いたら、当然軌道エレベータは出てくるということですね(笑) しかし、格別の苦労はないと言われるのは、野尻先生だからでしょう。これだけ太陽系の各惑星のデータが出そろってくると、かなり工夫を懲らさないと新味に欠けるし、火星人や金星人をおいそれと出すわけにもいかないし(笑)
 太陽系が舞台のコアな宇宙SFが少ないのは、設定を決める上で色々調べなくてはならない上に、新しい知見が得られると設定そのものが陳腐化してしまうというのもあると思います。それにも関わらず、近未来の、しかも太陽系を舞台にした一番の狙いは何なのでしょうか?
野尻 >  太陽系を舞台にした作品は、現在の技術でも手を伸ばせば到達できる世界ですから、ありありと場面を想像することができます。特に近未来ものの場合、自分が生きているうちに体験しうる話になりますから、リアルに描けばそれだけ読者の関心を引きやすい、おいしい舞台といえます。
 早川でのデビュー作だったので、『太陽の簒奪者』は多くのSFファンが読みたがるものを書こうとしました。その結果、「太陽系内でのファーストコンタクト」「太陽系内での宇宙戦闘」は外せないと考えました。
 各惑星について調べるのはむしろ楽しいことですし、現実はしばしば作家の想像力を越えていますから、調べること自体が創作のヒントになります。
 設定の陳腐化については、別に恐れていません。自分の責任じゃないですから。また、描写が甘いせいで陳腐化をまぬがれているなら、そのほうが問題だと思います。
雀部 >  そうなんですか。私は、その狙いにはまっちゃったわけですね。
とりこ >  私は、スミマセン、ただの素人なのですが、「太陽系が舞台」というのはTV等で目にするロケット打ち上げ報道などの延長に「ありそう」な印象で、たいへんリアリティがありました。きっと、野尻先生の思惑にまんまと嵌まった読者なのだと思います。(笑)
 特に、宇宙船の描写など、フィクションというよりドキュメンタリーのような印象もあり、たいへんインパクトがありました。宇宙船、カッコイイ! と憧れてしまいます。
 私には中学生の弟がいるのですが、弟も相当ワクワクしたようです。というか『太陽の簒奪者』は姉として手渡さずにおれなかったのですが、渡した翌朝、顔を合わせるなり、赤い目で「面白かった!」
 どうも、寝る前にちょっとパラパラ…というつもりで開いたらとても止まらなくて、結局最後までひといきに読んでしまった、そのあとも、頭の中で宇宙妄想が渦巻いてしまい、全然寝られなかった、とか。
(※ホントの話です。もう、ウチの家族に聞いてみて下さい。)
野尻 >  私は文才がないので、重要な場面は計算したり絵に描いたりしてなるべく具体的に構築してから、新聞記者になった気持ちで文章化しています。これは作家志望の人がよくやる、「走る」を「疾る」と書くような表現上の小技より、手堅い手法だと思います。
 中学生が読んで面白がってくれたというのは作家冥利につきることです。面白がってくれたからには理解できているはずですから。私は芸術性より、平易さや単純明快さで評価されたほうが嬉しいです。
とりこ >  野尻先生に文才がおありでない? それはあんまりなご謙遜です!(笑) 「判りやすい」というのは、既に一つの文才だと私は思います。
 それに『太陽の簒奪者』はライブでダイナミックな印象でしたが、『ピニェルの振り子』は柔らかで、夢と冒険とロマンに満ちた素敵な作品でした。『夏のグランドホテル』(光文社)掲載の『局所流星群』も拝読しましたが、これまた一味違うタッチで新鮮でした。
野尻 >  ありがとうございます。まあ謙遜しすぎて損することはありませんし。
とりこ >  『ピニェルの振り子』話ついでに、思い切ってお伺いしてしまいます。実は『ピニェル…』を拝読したのはつい先日なのですが、キャラクターも世界設定もたいへん魅力的で、シリーズ次作がとても気になっています。もしかして伏線かな? と思う箇所も幾つもありました。
野尻 >  これは銀河博物誌シリーズとして続ける計画でしたが、ちょっとわけありで中断しています。いつか再開できればいいなあ、と思っています。
おおむら >  『太陽の簒奪者』がSFのメインストリームであるという意見がある一方で、野尻先生の作品はSF入門にも最適であるという意見もあるようです。ライトノベルで入門させておいて、徐々にハードな方向へと誘導していくことができるような作品があるという意味のようです。
 このように言われることには何か感想はおありでしょうか?
野尻 >  入門向きだと言われるのは嬉しいことですが、入門用とそうでないものを書き分けたり、誘導しようということは考えていません。SFの難しさには二種類あります。文学的な難解さと理工系の難解さです。私の作品に前者はないので、その点では読みやすい、入門向きの作品だと思います。
おおむら >  『太陽の簒奪者』の世界では女子高校生がロケットに乗って飛んで行った歴史はあるのでしょうか(笑)
 いえ、ハードシェル・スーツという名称がちょっと目に止まったものですから(笑)
野尻 >  そんな歴史がないとは言えませんが、「ハードシェル・スーツ」はヒントになりません。これは普通名詞で、実際に研究開発されているものです。

人間とコミュニケートできないAI

おおむら >  野尻先生はSETIの熱心な参加者でいらして、その経験もまた『太陽の簒奪者』の描写に活かされてると思うのですが、先生がSETIに興味を持つようになったきっかけはなんだったのでしょうか?
野尻 >  SETIではなくSETI@homeの参加者です。SETIを知る前からETI(地球外知性)に関心がありましたから、SETIもまた然りです。では何がきっかけでETIに興味を持ったかといえば、よく憶えていません。物心ついた頃からそうだったような気がします。
 SETIにおける議論を調べてみれば、SFで描写されるETIのほとんどが科学者によって考察済みであるとわかります。SETIは興味の対象であると同時に必修課目であり、ネタの宝庫でもあります。
とりこ >  あ、私もSETI@homeには2年前から参加しています(※自宅PCのスクリーンセーバーがSETIというだけですが)。コレを入れていると、PC立ち上げっぱなしにするのが楽しいです。(笑)
彼方 >  いやぁ、ハードSFとしていろんなネタがたくさん詰っていて、読応えがありました。物語としても、波瀾万丈のストーリの中、主人公の思いなどが良く伝わっていたと思います。ファーストコンタクトものということですが、大抵のファーストコンタクトものはコンタクト出来ることが前提で、コンタクトどころか他者を認識できないってのは珍しく思いました。さらに、外界とコミュニケート出来ないAIという代物を思いついて、それと異星人と絡めようとしたのは、どうやって思いつかれたのでしょう。
野尻 >  参考文献としては下條信輔『意識とはなにか』、ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』など。キーワードとしては「半側無視」「心の理論」などが起点になるでしょうか。理性と感情の境界、心に何が意識され何が意識されないかは、我々が思っているほど自明なものではないようです。このあたりの仕組みを少し変えてやれば、高度な技術文明を持ち、理性的でありながら意志疎通の難しい異星人が構築できると考えました。
 異星人だけでなく、AIにも同じルールが適用できます。これは、かつてニューラルネットを研究していた堺三保さんから仕入れたネタです。「もしAIができても、それが人間とコミュニケートできるとは限らないよね」という意見です。
 異星人が不可解なままヒントもなく、最後になって彼ら自身が謎解きするのでは面白くありません。その前にAIという第二の不可解を並置しておけば、ほどよい段取りになるのではないかと考えました。AIは人類が作ったものですから、人類の未来を暗示することにもなります。
 これは映画版『2001年宇宙の旅』に似ているかもしれません。神のごとき不可解な知性体と、HALという不可解な人工知性体が並置されて、ストーリー上は関係ないけど意味深な感じになっていましたよね。芸術家肌の監督が作ったこの映画を深読みしても仕方ないと思うのですが、知性のありさまが一通りでないことはよく表現されていたと思います。
雀部 >  そうか、二重の意味であのAIの必然性があるのか。むぅ、読みが甘かった(泣)
 文中の“適応的な知性と、非適応的な知性がある”というのもそれなんですね。これってソラリスの海にも当てはめられるかな。ソラリスでは、他者が居ないからほぼ非適応的な存在として考えられるし。このアイデアも深いなぁ。
とりこ >  私にはAI、或いは異星人が「人類とコミュニケートしたがるとは限らない」、という視点はとても新鮮でした。「相手がそこにいる」という認識を得ても、それが即「では、コミニュケートしましょう」に結びつく、と考えるのは確かに直截かもしれない。自分が街で知り合いを見かけたときだって必ず声をかけるとは限らないのに、思考形態が異なれば尚更、行動原理なんて人間の「常識」で測れるわけもない、などと色々考えてしまいました。
彼方 >  こうやって、参考文献とかから新しい視点や知見を得られるのが、SF読みとしての醍醐味ではありますが、作家の方々はどこからこのような情報を仕入れられているのか不思議ではあります(^^;。
 人間とコミュニケートできないAIってのは、現実にも考えられているようなお話なんですね。作るからには理解できないものを作ってもしょうがないと思考の範疇外だったので、目から鱗な話でした。
 大変面白いお話が出来ました。今回はありがとうございました。
野尻 >  本音を言えば、AIはともかく「意志疎通できない異星人なんてSFだけでは」と考えています。
 SFファンは、どちらかといえば、意志疎通できない異星人を高く評価するようです。そうした作品では、意志疎通できない理由を筋道立てて説明しないのが普通です。「説明できるようなものは、異質な知性とはいえない」ということでしょうか。これはチェス対局など人工知能の応用技術が、実現した途端に「それは人工知能ではない」と言われるのに似ています。知能イコール不可知なもの、という思い込みがあるのかもしれません。
 私が貫きたいのは「理解をもって娯楽とす」という態度です。『太陽の簒奪者』で最後に意志疎通が実現するのは、そんなSF界の“異質な異星人症候群”に抵抗したかった気持ちもありました。
雀部 >  あ、『ソラリス』を高くかっている私もそれだ(爆)
とりこ >  ひとつひとつ丁寧にお答えいただき、有難うございました。貴重なお話を沢山うかがえて、とても嬉しいです。これからの作品もとても楽しみにしています。本当にどうも有難うございました。
一同 >  脳みそが活性化するような刺激的なインタビュー、ありがとうございました。
 『太陽の簒奪者』は、一般受けするハードSFとして、おおいに宣伝していきたいと思います。これからも時代を投影した度肝を抜く異星人の登場を期待しております。
野尻 >  こちらこそ、ありがとうございました。


[野尻抱介]
'61年三重県生まれ。'92年、ゲーム「クレギオン」のノヴェライズ『ヴゥイスの盲点』で作家デビュー。'99年にSFマガジンに掲載された連作短編「太陽の簒奪者」が星雲賞、SFマガジン読者賞を受賞。'01年『ふわふわの泉』で星雲賞を受賞。
[雀部]
50歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。
ホームページは、http://www.sasabe.com/
[とりこ]
いつもは友人のヤマナさんと、読書交換日記サイト「とりイカ」を運営しています。本、映画、マンガがお好きな方は一度遊びにいらして下さい。
[彼方]
コンピュータシステムのお守となんでも屋さん。アニメとSFが趣味。最近、ハードなSFが少なくて寂しい。また、たれぱんだとともにたれて、こげぱんとともにやさぐれてるらしいヽ(^^;)ぉぃぉぃ ペンネームの彼方は、@niftyで使用しているハンドルです。
[おおむら]
同人作家。ホームページは http://www.t3.rim.or.jp/‾yutopia/

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