雀部 |
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今月の著者インタビューは、今年の1月にハヤカワSFシリーズ Jコレクションから『針』を出された浅暮三文先生です。浅暮先生、よろしくお願いします。 |
浅暮 |
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こんにちわ。浅暮三文(と書いてアサグレ・ミツフミ)です。浅暮先生と呼ばれると、ちょっとこそばゆいので、どうぞフランクに。
呼びずらかったら、よく皆さんから「グレさん」などと、名前の下を取って声をかけられるのでどうぞ、そのように。 |
雀部 |
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ではお言葉に甘えて、グレさんと呼ばさせて頂きます。
インタビュアーとしては、もうお一方、先月に引き続きとりこさんにお願いしました。とりこさん、今月もよろしく。 |
とりこ |
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こんにちは、とりこです。「女性の意見もいれたいので」ということで、お声かかりました。よろしくお願いいたします。
『針』は、熱気ある筆致で、あっという間に読まされてしまいました。ある意味『グラン・ヴァカンス』とは対極のようなエロチシズムというか。早川Jコレクションのラインナップとしても、おもしろいなあ、と思いました。 |
雀部 |
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SFマガジンの'04/3月号に、インタビューと短編「線によるハムレット」が掲載されているんですが、このラインダンスならぬラインアクト(線演技?)とても面白かったです。短編アニメにすると、また一層面白くなりそうです。こういったへんてこりんな発想はどこから出てくるんでしょうか。思いついたアイデアをメモ帳なんかに書き留めておくのでしょうか? |
浅暮 |
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そうです。僕は異形コレクションやSFマガジン、小説すばるなどに短編を発表していますが、短編の場合、変なアイデア・ストーリーしか思いつかないんですね。
僕の場合、アイデアばかりでなく、ひらめいたセリフや必要な情報はすべて、文具店で売っている3×5インチの情報カードに書いていくんです。でもって、気になっているが、すぐに必要でない情報とかアイデアに関しては書斎のアイデア箱に貯めてあります。といってもクリネクスの空箱なんですけどね。現在、そんな箱が七箱ほどありますね(今、数えてみた)。でもこの箱から取りだして使ったアイデアというのは実はほとんどないんです。
注文があったときに、ついアイデア箱があるのを忘れてしまって。まあ、精神安定剤みたいなものでしょうかね。 |
雀部 |
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あら(笑) たぶん心の奥底でそのアイデアを覚えておられるんでしょうね。 |
とりこ |
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SFマガジン掲載の短編だと、わたしは「箱組みたち」も可愛くって好きでした。
「コトノハ・カタシロ」の一連の企画は、どれも「絵」がつくことを意識して書かれてあり、面白い試みだったと思います。 |
浅暮 |
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ご愛読、感謝します。異形を始めとする一連のタイポグラフィ的な作品は個人的にもビジュアルを取り込む散文というかたちを模索してまして、ああいった変な話が多くなるのですが、今後とも続けていくつもりです。最新作は異形コレクションの「コレクター」の号に載ります。お楽しみに。 |
雀部 |
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異形コレクションは、毎号チェックさせてもらっています。作家の方々にとって貴重な短編の発表の場ですよね。ホラーありSF・ファンタジーありで。
SFマガジンのインタビューを拝見すると、『針』は《五感シリーズ》の一冊ということですが、こういう制約があって書く場合と、自由に書く場合とでは、どちらが書きやすいでしょうか? |
浅暮 |
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どちらでも、僕にとってはあまり変わりません。要するになにか注文があっても普通の小説にはならない。また、一般小説にするのが嫌なのか、書いていく上でつまらないと思うのか、とにかく、ひねらないと気が済まないからです。
五感シリーズは、そもそもそのような展開上(普通は書かない世界をどう書くか)にありますから、五感のどれかでという依頼でも、変な話になるのは分かり切ったことですしね。またお好きな風に自由にとなると、ここは滅多にない機会だから実験的にとなります。どっちの場合も要するに、変な方向にしか進まないんですね。
そしていずれの場合も、書きにくいです。 |
雀部 |
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どうであれ最初から変な小説を目指すということですね。読者にとっては何が出てくるか楽しみですが、グレさんは大変そう。あ、それが楽しみということもありますか(笑) |
とりこ |
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わたしは、ナルホド『石の中の蜘蛛』の作者さんの書いたものだなあ、というかんじで読みました。
あと、主人公が熟女ごのみ(?)でお尻フェチ、というのがちょっとおもしろかったです。
たとえば「胸元の色っぽい若いオンナノコ、いいな〜」とかは、勿論わたしも思うのですが、でも近頃、とにかく「巨乳礼賛!」「若ければ若いほどグー!」みたいな風潮があるように思えて、「それって、ほんとうに、そうなのか、どうなのか」と、電車の吊り広告など眺めつつ、日々、思っていたのです。 |
雀部 |
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そこは、微乳とか熟女とか色々様々な需要もあるのでは(笑) |
とりこ |
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え、そ、そうなんですか? (どきどき)>様々な需要
でも、『針』は、エロに一本スジが通ってると思います。
借り物のエロスでなく、主人公の基準というか美学があって…。
もちろん、「鋭敏な触覚」という縛りを逆にたてにしてあるというか、グレさまがうまいこと暴れてらっしゃるなあ、というかんじも、あるのですが。
主人公の執着、熱中が伝わってきます。特に、自分の感覚にとらわれて視野が狭窄/変質していくさまを、祝祭的に熱烈に描いてあるのは、すごかったです。
エロスって、シュールや笑いとスレスレなものだと思うのですが、そのへんも臆さずに描いてあるかんじも面白かったです。やっぱり、下着売り場のマネキンって、男性は気になるのかなあ…なんて思ったり…
あと、主役男性は、なんだか妙な設定だなあと思っていたのですが、なるほど「初めて」の新鮮な驚きのために必要な設定だったのですね。
「初めて」というのは、たしかに、とても鮮烈なものだと思います。 |
浅暮 |
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巨乳については僕もそこそこ魅力を感じますが、若ければ若いほどいいというのは、どうも個人的に駄目です。未だにモー娘。というのが誰なのかわからない。エロスの好み。これはひとつは男性の重ねてきた年齢によるところもあるのですよね。男は若い頃は清潔感のある貧乳タイプが好みで、やがて肉感的な方向へシフトしていく、というのは統計的にあるように感じます。古い例えですが、南沙織→アグネス・ラムへの移行です。
『針』では硬さ→柔らかさといった比較になっています。
ところで女性下着売り場というのは僕のようなオッサンにとって女風呂と等価といえる「一度はじっくり見たい天国」だと思います。百貨店のエスカレーターにのっていて、かいま見るマネキンに、つい目を逸らしつつ、気になるという世代なんですよ。
って、なんだかワシのフェチ傾向の話になってきたな。 |
とりこ |
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そうなんですかーーー。>清潔感から肉感的へ
…ちょっと今度、まわりの人に聞いてみようっと。(こらこら) |
雀部 |
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フェチって、想像力が豊かな人しかなれないような(爆) |
とりこ |
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じゃあ、下着売り場もさることながら、女性用ストッキング売り場なんかもグレさま的には目のやり場に困る、ドキドキゾーンなのでしょうか?
百貨店の1階とか、すごいディスプレイ、近頃いっぱい見かけますよね。 |
浅暮 |
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近所の立川に最近、伊勢丹という百貨店ができましてね。でもってときどき、でかけます。先日、ここのエントランスに夏用のマフラーというか、スカーフなのか、なんというのか、要するに一枚の布切れなんですが、そんな風な女性用のファッショングッズが売り出されてましてね。
でもってそれをどう使用するかマネキンで展示されてたんです。その中の一つが、布を首から提げて、前に交差させてオッパイを包んで背中で結ぶ。それをみたとき、僕は思わず「どうしよう?」って……、どうもしないけど、そう思いましたね。常々、不思議なんですが、ミニスカートをはいた女性は階段では鞄でお尻を隠すでしょ。なのに、この伊勢丹の展示のように、かなりきわどいことを露出するのが前提にする場合もある。見せたいのか、見せたくないのか、これは男性にとって、永遠にもどかしいことなんですよね。キュロットスカートがずるい! と思わない男性は、ほとんどいないと思います。 |
雀部 |
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それなら、最初からホットパンツをはけと(笑)
『針』のなかに、“ストッキングが太腿に密着したときに示す、モノとしての歓喜を思い出した。しかし自分に興奮していない風俗店の女たちの器官はモノとしての本来の意志、欲望、機能を発揮しないのだ。”という一文があり、う〜ん慧眼だと思いました。これなんかも、ストッキングの気持ちにならないと、興奮しないわけですよね。ということは、女性下着売り場よりも、女性下着干し場のほうが魅力的なのではないでしょうか?(笑) |
浅暮 |
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さて難しい選択です。新品の清潔なエロチシズムか、使用されているリアルな状態のエロチシズムか。母を取るか、父を取るか、ああ、ハムレットですね。できれば両方が……。 |
雀部 |
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新品だと、どういう人がこれを着けるのか想像し、使用済みだと、ああ、あの人がこれを着けていたのかと想像する楽しみがあるというわけですね(笑)
『針』を読んで、妄想を逞しくした読者は、何をしたいかというと、痴漢行為ではなくて下着ドロボウだと思うんですけど、グレさんはどう思われます?(笑) |
浅暮 |
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妄想を逞しくするのはいいと思いますが、なにがしたいかを突き詰めるのは、ちょっと考えた方がよいように思いますよ。突き詰めると、それは行動の発露につながりますしね。ここは穏便にもやもやした思いを楽しむというレベルにしてもらいたい。作者としてではなく、一般社会人としてお願いしたいですね。泥棒するぐらいなら、なにかそのような店で買い求めるように。 |
とりこ |
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そう伺って、たいへん、安心いたしました(^^) |
雀部 |
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『針』は、鋭敏になった触覚を描いて、ストーリー展開で読ませるというよりは、どれだけいやらしく書けるか、読むだけでどこまで感じさせられるかというところに重点が置かれていると感じました。そういう意味ではかなり成功したのではないでしょうか。私的には、手のひらと臀部の脂肪の饒舌な対話が秀逸だと思いました(笑) |
浅暮 |
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描写とは言葉でしか成立しない世界、つまり小説でしか、なしえない世界を提示する可能性のひとつと考えています。僕は小説家を最後の仕事と考えているので、小説でしか、やりえないことをやりたいのです。漫画もアニメも映画も、いまや物語としては等価の商品ですから、この三者にない描写という方法は、小説として大切な武器かなと考えています。ですから描写が楽しめる小説を完成させることは、とても重要なのかもしれません。かつてフランスには同じ考えで、ヌーボーロマンという作品群がありました。今はそれが忘れられて、なんだかハリウッドが幅を利かせているようですが。
さて『針』を純粋なSFとして読んだとき、物足りないという思いをする方がいるのは僕も理解できます。でもあの作品は上述したように触覚とはなにか? それを言葉で描くとどうなるのかがテーマの作品です。従って物語として、パニック的な設定というのは二義的でしかありません。また、それを描こうとしたのでもありません。
主人公が、どこまで「触る」ことに耽溺できるか、それを描けるかに挑戦した作品です。おっしゃったように、手のひらに対して臀部がかなり、いろいろなオーバートークをするのは、そんなところからですね。でも、お尻って、そんな部位に思いませんか?
ちなみに僕は個人的にストッキングが好きです。いろいろフェチをくすぐるように、パーツを出しましたから、車内痴漢行為、監禁、ストーカー行為、口腔内感覚、どれで「きた」か、読者の皆様に訊きたい気分もあります。 |
雀部 |
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お尻って、感覚が鈍感なところと思っていたのですが、『針』を読んで認識を改めました。といったところで、車内痴漢行為が一番です(笑) |
とりこ |
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うーん、ちかんの部分は、かなり真に迫っていて…
この本のせいでちかんが増えたらドウシヨウ! なんて (←まあ、「最近のコドモは、現実とゲームの区別がつかなくて…」と同種の、「要らぬ心配」かもしれませんが(^_^;) |
浅暮 |
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ある書評対談では「痴漢の人たちがなぜ痴漢するのか、それは男の欲望だと思っていたらそうじゃない。手の触覚が喜んでいる……痴漢の人たちはみんなこれで膝を打ったんじゃない? 『そうなんだよ!』……」と『針』について冗談として述べられていましたが、いやいやどうして、これなかなか鋭い意見のような気がします。痴漢が連帯して行動するとは思えませんが、同意はあるような気も。 |
とりこ |
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「握られるための道具を握ったとき、手と道具の双方が喜んでいる」というあたりのくだりは面白かったです。
あと、わたしは「口腔内感覚」がいちばん面白かったかなあ。。でも、マヨネーズのあれはちょっと気持ち悪くなったかもです。…うう…
マヨネーズで思い出しましたが、マヨネーズの場面や、「ガムを出せ。」と言われた男の子など、通りすがりに子供という場面が幾つかありました。
もしそんなものにいきあってしまったら、絶対トラウマになりそうなのですが、自分の子供のころを思い返すと、そういう「事故みたいなもの」って案外目撃しているような気がして……。
異様な状況なのですが、でも妙に「ありそう」というか。特にガムを出せと言われて「しまった」という顔をする、というのは、リアリティがあって印象的でした。
マヨネーズのアレに行き合った子は、きっとこの後「へんなオジさんのいるスーパー」の悪夢にうなされたり、将来的にスティーブン・キングのホラーにはまったり、するんだろうなー。。。(←読者の勝手な想像ですが☆) |
浅暮 |
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僕もときどき変なオジサンになるときがあります。例えば遊び帰りの子供と道ですれ違ったりしますでしょ。自転車をその子が押しているんですが、大抵、自転車には泥よけのところに「ナニのダレベエ」と住所と名前が書かれている。それをさっと見て、すれ違いざまに、その子に声をかけるんです。「ドコソコに住んでる○○君だろ? 大きくなったなあ。オジチャンのことを覚えてるか?」と。その子は、見ず知らずのオジサンにずはり自分の素性を問いただされ、びっくりします。「誰だろ、このオジサン? なんで自分のことをしってんだろ?」なんてね。
実はこれ、僕が子供の頃にやられた悪戯なんですね。大きくなって気が付いたんですが、それまでは本当に不思議でした。僕が子供の頃には、変なオジサンというのは、それなりに町に一人はいたものです。小学校の帰りに、近所の酒屋でいつも缶詰とカップ酒で昼間から飲んでいる人とか、友だちと遊んでいて、気が付くといつも屋根の上とか塀の上とか、高いところにいるオジサンとか。
また伊勢丹の話に戻りますが、ここの近くに大きな書店があって、よく利用するんですよ。
で、先日、そこのドアの前にオバチャンが立ってましてね。僕は喫煙をするのですが、くわえ煙草でドアに近づくと「約束でしょ!」って、そのオバチャンが手を伸ばしてきた。路上喫煙をたしなめられたんだなと、僕が煙草を口からとると、オバチャンはそれを奪い取りましてね。どうしたかというと、その煙草を自分のものにして吸い始めたんですよ。子供の頃どころか未だに変な人に会いますね。 |
雀部 |
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変なオジサン(あ、失礼)、変なオバチャンに圧倒されるですね(笑) |
とりこ |
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「高いところにいるオジサン」、って、すごい、キャラ立ってますね。もう、それだけで何かのネタになりそうな……
煙草のオバチャンは、じつは、グレさまの隠れファンとか☆(違うかも…)
本屋さんに煙草だと、危ない(売り物が紙だから)、だから入り口で捨てろ、ってことかもしれませんが、でも、捨てるのは勿体無かったのかなあ。
やっぱり、ヘンなひとですね。(^_^;) |
雀部 |
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牧野先生のインタビューの時も思ったのですが、パンストとかストッキングに対する思い入れがあまり無いもので、そういう趣味の人より読み方が浅いとは思います(汗)
インタビュー記事を拝見すると、ポルノの原体験がフランスものとのことですが、SMマガジンに載ったフランスものポルノなんですか、それともフランス書院とかでしょうか(爆) |
浅暮 |
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ええと、どこのなんというブランドだったでしょう。『一万一千本の鞭』とか『若きドン・ジュリアン(ジュアンだったっけ?)の冒険』なんていう文庫が僕が中学生の頃に売っていたんです。その後は『O嬢の物語』ですね。いずれもSM的でして、また団鬼六にノックアウトされた経験もあって、皮革で身体を縛るより、絹で自由を奪うといった方が……。おおっと、ディープになりすぎました。 |
雀部 |
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『O嬢の物語』は、高校の時に町の図書館にあったのを立ち読みしたんですが、それはもう驚きました。う〜ん、こんな世界があるんだと。今では、SMなんて例えば<小学六年生>とかの雑誌にSM漫画が載る時代ですけどねぇ。 |
浅暮 |
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僕はそもそも故郷の町の本屋でSFマガジンとSMマガジンを間違って手にとってしまって(というのもその頃はどちらも版形が同じサイズで、その書店では同じ棚にならんでいたんです。ちなみにそこはカワセ書店というのですが、同じ幼少期、我孫子武丸さんも通っていたんですよ。最近になって判明して、びっくりしつつ、SMマガジンを立ち読みしているところを目撃されていないか心配してます)。男の子は誰しもでしょうがSMを知った瞬間は声変わりより仰天するでしょうね。団鬼六先生の作品群には、もう身震いしつつ、硬直しました、いろんな意味で。しかし小学六年生にSM漫画が掲載されているとは……。どうなんだろう。お遊びなのか、それとも本気なのか。個人的な意見としては、真の意味でガツンと衝撃を受けるように、ある程度、性に目覚めてからの方が、薄い体験からなんとなく分かってしまうより、幸福な気がするけれど。 |
とりこ |
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わたしも『O嬢』は高校生で読みました。あと、団鬼六もそのころ……
(ひー)
でも、団鬼六には、同性愛モノもありますし!
(当時は「バナナフィッシュ」が全盛でしたし、わたしは「やおい」という言葉を知る文化圏にいたので…楽しく読みました……(^_^;) |
浅暮 |
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えっ? 鬼六先生に同性愛モノがある? それは浅学ながら知りませんでした。もっぱら男女のSM関係の作品ばかり読んでいたもので。僕にとってウノコウイチロウ、団鬼六、富島健夫はポルノ三大巨匠なんですよ。それぞれにタッチと世界が違う。宇能鴻一郎なんか二段組みの小説で上が男性、下が女性の視点からセックスを描いた実験作なんかもあるんですよ。すごいとしかいいようがない。ってまたディープな方向になってしまった。 |
雀部 |
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上が男性、下が女性の視点で書かれた実験作って読んでみたいです。
話は変わりますが、カントリーとかブルーグラス系の音楽がお好きだそうですが、音楽を聴きながら執筆されることはおありですか? |
浅暮 |
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ながら作業は苦手なので、ほとんどやりませんよ。ただし、気分が乗らないとき、でも書かなければならないとき、机から離れないように、仕方なしに音楽をかけることがあります。そんなときは、そのときやらねばならない作業(プロット・アイデア出し・執筆・リライト)によって、曲を選び分けますね。要するに気持ちをどうにかするための処方薬でしかないです。音楽をかけていると、ついついそっちへ意識がいきがちなので。 |
雀部 |
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なるほど。好きな曲だとそっちに集中しちゃうというのはありますね。
『針』は、音楽に例えればハードロックではないかと感じたんですが? |
浅暮 |
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でしょうね。音楽と小説は意外と似ている部分があります。またそれを応用して物語に取り込むことも可能です。僕の場合は、基本的にロックはバーズとか、ドゥービーとかサザンロック系統なんですが、それから類推して、わずかな知識ながら、クリムゾンやクイーンに思いを寄せることもできます。またジャズっぽい小説、古いポピュラー音楽のような小説、クラシックなどと、世界を想像することもできます。これらは僕の場合、タッチ(特に描写)として、書き分けています。世界創造をする場合、細部がどのようであるかは重要です。そこにはおのずと、世界を支えているタッチ=感じが関係してくるのではないでしょうか。改めて思い出してみると、『針』を書きながら、なんとなく意識していたのは、ディープな(ちょっとブルースがまじった)ハードロック。それもインストルメンタルだったかも。少なくとも「チェリー・ボンプ」ではないよな。 |
雀部 |
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「チェリー・ボンプ」といえば、ボンテージファッションのあのロックグループ。
これ、近いような気もしますが(笑) 音楽の話が出たので、お聞きしたいのですが、今までに、嗅覚・聴覚・視覚・触覚と書かれてきて、どれが一番乗って書けたと思われますか? 読ませていただいた感じでは、聴覚がテーマの『石の中の蜘蛛』のような気がしたのですが。 |
浅暮 |
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『蜘蛛』は、ミステリーとしては割合にオーソドックスなストーリーラインを応用していますから、その意味では書きやすかったといえますか。物語としての実験性では「左眼」の視覚というのが、個人的にはかなりとんがった話だなあと自負しています。但し、いずれも描写に関しては別ですけれど。五感シリーズはどれも、乗って書くということはないですよ。書き終えたら、いつもヘトヘトになっています。
そしてなぜか、顔に出来物ができるんですよ。顔の中心線を境界線に左側はミステリー性の強い作品、右側は幻想性・ファンタジー性の強い作品。理由は分かりませんが、出来物は僕の作品の内容を把握して発生するんです。なぜだろう? |
とりこ |
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ええーっ。 >顔にできもの |
雀部 |
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右脳と左脳の違いかな(笑;) |
とりこ |
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えええーーーっ。
…ああっ、なんか納得してしまいそうな、いやでも。
>右脳と左脳の違い |
雀部 |
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な、納得しないでくださいね(爆)
『石の中の蜘蛛』で、主人公の立花が鋭敏になった聴覚を使って、以前に部屋に住んでいた女性のことを色々推理していく下りが、名探偵ホームズみたいでとても好きなんです。ここらあたりはかなり楽しみながら書かれたのではないでしょうか。 |
浅暮 |
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『蜘蛛』が乗って書いているのかな、という感想をお持ちになるのは、きっと聴覚、つまり音の描写がそうなっているのかもしれませんね。僕は学生時分から音楽をやっていたもので、きっと自分なりに肌で感じていることが描写に内包されていて読者も実感しやすいのかも。部屋に残された音を頼りにヒロインのことを推理していくというアイデアは、個人的には楽しみというより、あるだろうという実感の方が強いです。実際に、生楽器を弾いていると、同じギターなりマンドリンなりが奏者によって異なる癖を持つのは体験していて、理解しているんです。要するに知っていることを書くと、説得力があるってことなのかな。 |
雀部 |
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確かに、説得力ありました。
あと、部屋をギターの胴体に見立てて立花が床下にもぐり、反響音を聴くところも好きですね。これらを読んで感じたんですが、グレさんは音楽ファンというだけではなく、オーデオファンでもあられるのではないでしょうか。しかも自作派とか? |
浅暮 |
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ふふ。惜しいですね。上述したように、僕は生楽器の演奏が趣味のひとつです。
でもって、アコースティック楽器というのは、いろいろといじくる部分が多いのですよ。例えばブリッジの高さ、形状。ナットの素材、薄さなどなど。凝り出すと自作で楽器を作る人もいますね。『蜘蛛』で主人公を楽器修理工としたのは実は知り合いの中に、そういった楽器制作者が多いので、それを拝借したんですよ。
僕も自分の楽器をちょっとでも、いい音にするように、いろいろとチューンアップするんですが、音楽、オーデオの手前の、楽器の加工という意味で音にまつわることのファン、正しくは必要があるんですね。当然、音の反響というのは重要なことになるんです。 |
雀部 |
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あ、違いましたか。残念(爆)
これ読んで「人間椅子」(江戸川乱歩)ならぬ、「人間部屋」なんではと思いました。しかし、楽器のチューンも奥が深そうですねぇ。加工といえば、東京創元社のサイトで、『ラストホープ』の章扉に使用した、浅暮先生自作のフライ(毛針)7点セットプレゼント(締め切りは残念ながら7月末日)というのをやってましたね。当然フライの自作もお好きなのでしょうね。 |
浅暮 |
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それは、もう。毛鉤釣りというは、釣る・作る・考えるというのが三位一体でして。
それに買うと 、毛鉤はそこそこ高い。ひとつ二百円とか三百円とかして、それでよくなくす。五個や六個は平気でなくなります。そうすると自作した方が、経済的なんですよ。 |
雀部 |
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必要に迫られての自作だと(笑)
平谷美樹さんから、浅暮さんと野尻抱介さんが渓流釣りにやってこられたとお聞きしましたが、釣果はいかがでしたか。お三人とも、釣りのやり方とか狙う魚は同じなのでしょうか。 |
浅暮 |
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違いますね。野尻さんはドライフライといって、水面に浮かせて勝負する釣り方にこだわります。平谷さんも近いかな。一方、僕はニンフフライといって沈めて釣るのが、なにより面白い。
狙う魚はそう違いませんが、その釣り方には個性が出ますね。また、そうなると得意な場所も変わってきます。野尻さんが得意な流れのあるところでは、僕は釣れず、僕が得意な溜まり(流れのよどむところ)では野尻さんが当たらずなんてね。また、これが釣りの楽しみのひとつなんですね。 |
雀部 |
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なるほど、フライと一口に言っても、色々あるんですね。
著作と釣り方が相関関係にあるとかいうことはありませんか?
麻雀をやると人柄が出るとか、運転すると人が変わるとか言いますよね。 |
浅暮 |
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相関関係かどうかは、むずかしい。好みというのであれば、どこか共通点があるのでしょうが、あくまで、釣りは釣りなのです。そもそも趣味ですからね。小説と釣りが似てくるかどうかは、本人しか分からないのではないですか。僕もどうして僕が沈める毛鉤釣りが好きで、それが書いている小説とどう関係があるかは……、分かりません。あえていえば、はっきりしているのが好き、曖昧な方がスリルがある……、そんな感じなのかな。人柄というと、よく釣りは短気な人が向くとかいいますが、あれは嘘ですよ。釣りというのは結構、人口が多い趣味で、短気な人も統計的に多いからですよ。また短気な人というのは、そうじゃない人よりも目立つので、つい釣り人は短気と思われるんでしょうね。 |
雀部 |
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ということは、グレさんは比較的気が長いほうなんですか?(笑) |
浅暮 |
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やりたいこと、好きなことに関しては長いと思います。ここでどうしても一匹あげたいと思うと、ずっと場所を動かないですし、沈めるフライで釣りたい、と思うと、それ以外しないですしね。へそまがり、ある意味では粘着質ともいえるでしょう。しかし、一方でいやなことはすぐに飽きるんですね。つまらなければ、すぐにどこか別の方へいっちゃう。興味がなければ、なんにもしない。要するに物事の決定を、好き嫌い、自分のセンスにあってるかどうかで決定している、子供みたいなところがありますね。最近分かってきたのですが、要するに面倒くさいと思えることは、どうも嫌いみたいですね。 |
雀部 |
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そこんとこは、誰でも同じみたいな(笑)
この『ラストホープ』も楽しく読ませて頂いたんですが、三婆がすごいですね。ほとんど超能力者だ(笑) あと繰り返されるギャグも面白かったです。なんか、昔のアメリカのTV番組(三馬鹿大将とか)を見ているようでした。 |
とりこ |
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あ、わたしも新作『ラストホープ』、たいへん楽しく拝読いたしました! ユーモラスで、洒落っ気&茶目っ気たっぷりで、とてもキュートで……
わたしは結城昌治のユーモアミステリが大好きなので、ああいうタッチ、近頃あまりみない気がしていて、とてもうれしかったです。
あと、扉の釣り薀蓄もすっごく楽しかったです。
好きなひとの「好き」が伝わってくるのって、読んでいてわくわくしてしまいます(^^)
ところで、「五感」などのテーマとはまた別に、文体・筆致の印象から『左眼』『石の中の蜘蛛』『針』は一つに括れるなあと思っていたのですが、今回、『ダブ(エ)ストン』『鯖』『ラスト・ホープ』も括れるなあ、なんて思いました。
わたしには、『ダブ(エ)ストン』はどうも「ひょっこりひょうたん島」のような印象があります。というか、わたしの脳内映像では、既に『ダブ(エ)ストン』のキャラクターたちは「ひょっこり〜」で人形造形を担当された片岡昌さんの愛らしい人形群で、ビジュアルが立ち上がっちゃってるのです。(勝手な想像なのですが。。。)
『鯖』ではそういう印象はなかったのですが、今回の『ラスト・ホープ』は、また片岡さんの人形作品のイメージでした。
三婆たちのユカイなアクションや、魚釣りの場面など、是非、ああいうレトロでキュートな人形劇でやってほしいなー、なんて思いながら読みました。
三婆VS三人のユカイな悪党、ウェイトレスも三人で、…と色々「3」が繰り返されているのも面白かったです。 |
浅暮 |
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まさにおっしゃる通りです。日本の結城昌治、アメリカのウェストレイクをひきあいにだして、お笑いであるミステリーをやりたかったと、あちこちで口にしてます。僕が子供頃には、「バークにまかせろ」とか「ロールスロイスの男」とか「天国野郎 サイモンテンプラー(最近の映画のタイトルはセイント)」なんてのが、やっていて、そういった洒落たミステリーの刷り込みが強いんです。それがしばらく、日本のミステリーで途絶えていたような感じもあって、誰も書かないなら、ワシがやるもんね、というった感じでしょうか。楽しんでいただけたようで、なによりです。 |
とりこ |
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ああっ、やっぱりそうなんですか! >結城昌治
じゃあ、今後もまだまだ、ユーモアミステリ、またあるかな、って期待しててもいいのでしょうか。楽しみです(^^) |
雀部 |
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ユーモアミステリ、期待してます。あ、もちろんユーモアSFも(爆)。
SFマガジンのインタビューを拝見し、ご著作を読ませて頂くと、グレさんは出版社の希望に応えて色々なタイプの物語を書き分けるマルチな作家の方だと思っていたのですが、グレさんのサイトを読むと、なかなかご苦労されているようで驚きました。小説の神様が降りてこられることは今まで無かったのでしょうか?(笑) |
浅暮 |
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未だにないですよ。神様がどこでなにをしているのやら、いっこうに僕の所にきてくれはしないですね。電話でいいから連絡くれればなあ。仕方なく、こつこつ、しこしこ、自分なりにプロットを作り、シノプシスにして、それを直してと、準備にたっぷり手間暇をかけて、なんとかリクエストにあわせるようにしつつ、自分がやりたいことを忍ばせて書いているわけです。おかげで、いつも中途半端なんだよなあ。 |
雀部 |
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それだけご苦心しているから、面白いんだと納得しました。
今回は、お忙しいところ、インタビューに応じて頂きありがとうございました。
最後に、現在執筆中の作品、近刊予定などございましたらお教え下さい。
特に、五感シリーズの“味覚”はもう完成されたのでしょうか。“第六感”はどうなのでしょう。 |
浅暮 |
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今、集英社の携帯サイトで『夜を買いましょう』という長編を連載しています。以前に『似非エルサレム記』というポリティカル・ファンタジーを書いたのですが、今回は経済をテーマにしたものです。また九月には自伝的エッセイ『嘘猫』が光文社文庫から書き下ろしで出ます。猫をテーマにした青春ものです。五感シリーズについては、年に一冊程度で出していきたいのですが、ううむ。大変な作業を前にいつも腹をどこでくくるか、それが兼ね合いでして。味覚、六感については、まだ納得のいくプロットができていません。
もう少し、待ってください。あっというのをやりたいもので。その前にちょっと違う路線で歴史伝奇ものを新潮社から出す予定です。これは、物語を重視したストーリーになると思いますので、そちらをご期待くださいね。 |
とりこ |
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『嘘猫』。
タイトルだけで、すでに何だかいいかんじですね。
(^o^)丿
今回はいろいろ面白いお話を伺え、たいへん楽しかったです。
新作、(とくにユーモアミステリ?)楽しみにしています。
これからもますますご活躍されることと思います。頑張ってください! |
雀部 |
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伝奇もの、期待しております。あ、伝奇ものと五感シリーズの合体も良いなぁ
なかなか降りてこない、つれない小説の神様を凌駕する傑作を期待しております。 |