雀部 |
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今月の著者インタビューは、『銀の弦』作者の平谷美樹さんです。
平谷さんは『レスレクティオ』『ノルンの永い夢』『黄金の門』のインタビューに続き、四回目なんですね。度々引っ張り出してすみませんが、よろしくお願いします。 |
平谷 |
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こちらこそよろしくお願いします。毎回楽しく過ごさせていただいているので、楽しみにしているんですよ。 |
雀部 |
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ありがとうございます。
あとがきに心臓病で一ヶ月間入院されたとありましたが、お加減はいかがなのでしょうか。 |
平谷 |
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昨年の今頃は病院の中でした。三週間の入院と、二週間ほどの自宅療養でした。
初めは《心不全》ということでの入院でしたが、あとから拡張型心筋症であることが判りました。今、テレビドラマでやってますよね。バチスタ手術が出てくるやつ。
ぼくは薬で進行を抑えてもらってます。運動ができず、階段の上り下りができないのは不便ですが、なんとか教師も続けていますし、釣りも平坦な場所ならOKと言われています。
障害者手帳をもらいましたから、障害者用の駐車場が使えるし、JRの運賃や高速料金が安いし、税金の減免もあるからと、ポジティヴに考えることにしています(笑)。 |
雀部 |
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そりゃなにかと大変ですね。ご自愛下さいませ。
バチスタが出てくるドラマは、『医龍』ですね。マンガの方は、最近どんどんバチスタから離れていってるけど。
ご病気をされてから、以前の構想にあった『銀の弦』のストーリーが変わってきたというのはあるでしょうか。あのシーンとか、あそこの展開とか(笑) |
平谷 |
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病院が出てくるシーンはみんな、構想の段階では存在しませんでした。
なにより、編集さんに送ったプロット通り完成する方が希なので(爆)
某ネット書店のHPに、「銀の弦」の初期段階のプロットの一部が梗概として出ていてびっくりしました。慌てて編集さんに連絡して数日後に消えましたが(笑)
本当にびっくりした点は「完成品とまったく違う」というところでして、作品がいかに執筆中に変わってしまっているのか目の当たりにしてしまいました。
病気や入院で、話の本質的な部分は変わったということはありません。しかし、今まで入院を体験したことがありませんでしたから、非日常どころか非現実感に包まれていて、『これを書かない手はないぞ』と思いました。 |
雀部 |
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さすがプロ作家魂。
さて、『銀の弦』なんですが、序章が“"視点"からの客観的観察”とあり、"弦世界"とか"比喩耽溺者"とかの一般読者には耳慣れない言葉が出てきます。だからといって、SFファンには分かるというわけでもないんですが(汗)
これは「この本は最初は釣りのこととか書いてるけど、普通の小説じゃないですから。そのつもりで読んで下さいね」という作者からのメッセージだと感じたのですが(笑) |
平谷 |
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最初はこの世界が崩壊した直後の章のアタマに置いていたんです。世界が少しずつ変になっていくという判りやすい時間の矢の上に話を構築していましたから。
その後、アドバイザーの上野洋氏に初稿を読んでもらい、上野氏の提案で、構成を変えてみました。「これはハードなSFですよ」と最初からカマシておく方がよかろうと(笑)
序章で全部ネタバレになってしまうようで怖かったんですけどね。
でも、カマシつつ、世界観の説明をしておけば、この先で起こる出来事を読者が解決する糸口になるだろうという考えもありました。 |
雀部 |
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やはり。
でも、あの序章の書き方では、ネタバレどころか、不可思議な出来事を読者が解決する糸口にもなってないと思いますが(笑) |
平谷 |
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えっ。そうですか? もう一度読み返してみます――。
(およそ2分後)
やっぱりネタバレしてますよ。以後に出てくることがほとんど説明されてます。 |
雀部 |
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うちのカミさんに序章を読ませてみたのですが、ミステリの人なので、案の定「なんじゃこりゃ??」状態でした(笑)
一般の読者には、さっぱり分からない序章だし、SF者には、むしろ帯の煽り文句“殺すしかない、〈おれ〉を。”“ドッペルゲンガー、パラレルワールド、超ひも理論”で、どういうサブジャンルに属する小説かは判断できます。
で、SF者には、“弦世界=比喩世界”“比喩耽溺者”“観測者”という文学的(?)表現のほうが、なにやらよく分からないと思いますが…… |
平谷 |
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そうか! それは盲点でした。
《レスレクティオ》を書いた頃から、ぼくの頭の中にあるイメージなんですよ。
『観測される事象は、観測者の脳の中で翻訳されている』
観測する者がどのような“比喩”を付加するかで事象はまったく違うものに見える。
ぼくたちは、自身の意思で活動しているように思っているけれど、基本粒子のクラスターの運動に付加された比喩にしかすぎないのではないか――。
ということを書いているので、ネタバレしてしまうと思ったのですよ。
比喩はそれを用いる者の感性で、一つの事象でも千変万化の表現ができます。
また、弦という比喩でパラレルワールドは連想できる。
つまり「本質は一つなのだけれど、観測する者の比喩によって無限に近い有限の数だけ世界は存在する」と書いてあるのだから、これから先の物語はそういう設定で読んで下さいというメッセージのつもりなのでした。
もっとも、かなり不親切に書いてありますが。 |
雀部 |
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確かに『レスレクティオ』との類似性は感じました。
『レスレクティオ』に出てくる《汎用翻訳機》の概念は、“比喩耽溺者”と共通するんじゃないですか? |
平谷 |
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そうです。汎用翻訳機は、使用する個人に理解できる形で事象を翻訳します。
比喩は使用者=比喩耽溺者の“好みに合わせて”基本粒子の運動を“喩え”ます。
基本的に自分の意志で世界を見たいように見ているということですね。人間の脳の働きをもう少し自由にした感じでしょうか。 |
雀部 |
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「本質は一つなのだけれど、観測する者の比喩によって無限に近い有限の数だけ世界は存在する」というのも、本書を読んだ後ではわかります。私の理解力では、読んだ後でないと、そこまでは全然考えつきません(汗)
清水義範さんの『銀河がこのようにあるために』も“人間は見たいものだけを見ている”という設定で面白かったんですが、全然SFじゃなかったけど(笑)
だからそういう考え方自体は、理解の範疇にあるのですが、『レスレクティオ』にしろ『銀の弦』にしろ、平谷さんの頭の中には、n次元のイメージがあると思うんですよね。でも、私の想像力と数学力では全く追いつけてないという感じがしてます(汗;) |
平谷 |
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n次元のイメージはあるんですが、なかなか言葉にできません。文章で同時に複数の次元を記述してしまうと、訳が分からなくなります。実験的にやってみたかったんですが(笑)
とりあえず、エンターテイメントですんで控えました。片倉AとBの闘いの場面でフォントを変えつつ両者の視点で描くというのが精一杯かな。本当はフォントも変えず、行も空けずにやってみたかったんです。
『ノルンの永い夢』の後半部分でも幾つもの世界がごちゃごちゃになる場面があったんですが、賛否両論だったんですよ。
「訳が分からない」
という方と、
「目眩がするようですごくよかった」
という方と。
とはいえ、数学は最も苦手とする分野ですので、雰囲気だけお借りしてます(笑)
数式が出てくるとぼくの頭はフリーズします。 |
雀部 |
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私は「まったく見当が付かないけどゾクゾクした」ですね(笑)
そういや『ノルンの永い夢』で“複雑に絡み合ったn次元の多胞体を、3次元に投影したところを想像して見る”というあたりも、多胞体を銀の弦に変えると応用がききますね。こういう平行宇宙――我々の世界自体が“収縮する以前の状態”――ではないかという設定に、作家としてひかれるのはどういう理由からでしょうか? |
平谷 |
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“唯一絶対”というものが嫌いだからかもしれません(笑)
一神教的な考え方が馴染まないんですね。
完全に確定された世界というのは、“運命”に支配されているわけじゃないですか。
どうあがいても運命から逃れることはできない。自分が選択したつもりでも実は運命の決定した通りの動きをしていた――。そういうのが嫌いなんです。
“阿修羅王”みたいなもんですか(笑)
作品世界にしろ現実世界にしろ、謎が解明されていくのには快感を覚えるし、混沌としたものが一つの姿に固まっていくのは好きです。
でも、それは無限の入れ子構造になったマトリョーシカのようなもので、一つの外殻が取り去られれば新しい外殻があらわれて来る――。そういうのが好きなんです。
もっとも、現実の世界では決定されてしまったものを覆すことはできないから、ぼくの病もそのひとつですけれど、折り合いをつけるわけですが。
唯一絶対は嫌いですけれど、折り合いを付けるのは上手いですよ(笑)
何があっても立ち直りは早い!
ぼくの作品自体、プロットとはかけ離れたものに仕上がることもあり、プロット=収縮と脱稿=収縮の間は混沌としつつも幾つもの展開の可能性を持っています。
ぼくの作品世界の比喩耽溺者である“ぼく”は、自分自身の嗜好に合った物語に作品を収縮させるわけです。 |
雀部 |
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うん、『黄金の門』の主人公のノブサンも多神教的思考の持ち主ですよね。
ところで、恥を忍んでお聞きするんですが“観測者”というのは、どういった存在なんでしょう。 |
平谷 |
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比喩耽溺者は基本粒子の運動を比喩を付加して観察する者。
観測者は基本粒子の運動を、比喩を付加せずに観測し、弦世界の一つとして“決定”していくものです。
たとえば、比喩耽溺者の世界で砂浜であるものが、観測者の視点では砂粒一つ一つの座標のみで構成されているといった感じでしょうか。もっとも観測されているのはもっとミクロなものですけれど。
時間の矢に縛られないから、あっという間に自分の世界を走査し終えて“完璧な解”を出してしまう。あとは永劫に変化のない状態となります。
「では、その世界にもエントロピーの法則は通用するのか?」
というのが、山荘や待田の世界の終末での《疲弊した光》の議論になります。 |
雀部 |
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あ〜、なるほど。
主人公は、渓流釣りに出かけて、事件に巻き込まれるわけですが、今年の一月に出版された釣り短篇小説集『歌詠川物語』といい、やはり釣りと平谷さんは切っても切れない間柄と見ました。この序章は、平谷さんの釣り小説ファンへのカマシでもあるわけですね。 |
平谷 |
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《歌詠川物語》の出版が決定する以前に脱稿していましたから、釣り人が手に取るかもしれないとは考えもしませんでした(笑)
《歌詠川物語》の読者にも手にとってもらうためには、釣りのシーンが最初にあった方がよかったかも(爆) |
雀部 |
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そりゃ、てっきり釣り小説だと思って買われたファンの方が「なんだこれは!」ということになるのでは?(爆笑) |
平谷 |
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詐欺師と呼ばれても売れた方がいい(笑)
まぁ、冗談はさておき、「この本にはこういうことが書かれていますから、ご用心」という意味はこめられています。 |
雀部 |
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なるほど。でも、本当は冒頭に釣りのシーンを入れたかったんじゃありませんか?(以下ネタばれ注意)
冒頭に、婚約者である狭川小夜子とのシーンを入れたのには、ちと感心したんですよ。ここにこれを持ってこないと、前述の“殺すしかない、〈おれ〉を。”が切実さを持って迫ってきませんからね。ホームレスの主人公だと、ドッペルゲンガーが現れても「まっいいか」で終わりそうな気がします(笑)
そこで、平谷さんは断腸の思いで冒頭に釣りのシーンを持ってくるのを諦めたのではないかと(笑) |
平谷 |
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第1稿の初期では片倉が渓流で目眩を感じるシーンから始まってました。ただ、そうすると小夜子との関係などを回想の形で書かなければならなくなるので、すぐにカフェテラスのシーンを書き加えました。
釣りのシーンは好きですが、小説の構成上効果的でなければ削ることもあります。だから、「断腸の思い」というのはないですね。 |
雀部 |
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なるほど、なるほど。
それと前からお聞きしようかなと思っていたんですが、婚約者の小夜子とのラブシーンというか濡れ場、ありませんよね。まあ平谷作品には、そういう場面はほとんど(全然か)無かったと思います。小松左京先生あたりだと、冒頭のシーンにさらっと入れちゃうかな。他の本では、そういう必然性も無かったんですが『銀の弦』には、あったほうが普通かなと感じました。何かこだわりとかありますでしょうか?(笑) |
平谷 |
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平谷作品だからです(笑)
というのでは答えになりませんね。
こだわりというか、自主制約みたいなものは幾つかあります。
一つには、自分の作品を生臭くしたくないというのがあります。もちろん、絶対に性描写が必要なのであれば躊躇わずに書きます。
『約束の地』では暴力シーンが必要でしたから、かなり過激な描写をしていますし、冷たく突き放した終わり方をします。
現在まで書いてきた小説では、べつに性描写をしなくても作品に影響はありませんから、あえて書かなかったものが多いです。
確かに『銀の弦』にはあっても良かったかもしれませんね。
もう一つは、これが一番なのですが、ぼくが中学校の教師だということがあげられます。
ぼくの本は中学生も手に取ります。
『エリ・エリ』が出たときは、自分のクラスの朝読書の時間に数人が読んでいました。
ぼく自身が教師であっても表現の自由は認められると考えます。ですが、教師として生徒と接する上で暴力や宗教を扱うよりも多くのリスクが発生します。だから、性描写はしないことにしているのです。
聖天神社シリーズは、そういう理由によって自主規制した感じですね。『呪海』の女性漫画家とその恋人や、『壺空』では“孕む”というイメージで別の挿話も描けたなぁと思っています。
そのうち専業の作家になったならば、性描写バリバリの小説を書くかもしれません(笑)
あくまでも、作品上必然性があればですが。 |
雀部 |
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う〜ん、平谷さんにとって学校を舞台とした小説が書きにくいのと同じく、こっち方面も難しいんですね。でも、そのバリバリを読んでみたいなあ(笑)
それと『銀の弦』は、平谷さんの奥様に当てたラヴレターじゃないかという感触を受けたんですが。当然、小夜子さんは奥様がモデルじゃないかと邪推(笑) |
平谷 |
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家内に宛てたラヴレターということはないですね(笑)
ラヴレターに近いものがあるとすれば『歌詠川物語』の中の『同行二人』かな。
『銀の弦』の結末はラヴレターにしては閉鎖的すぎます。
あえて言えば『自分自身に対する応援歌』かもしれない。
「幾つも幾つも現実に対する折り合いをつけて生きてきたけれど、折り合いを付けずにそのまま突き進んでいた自分も必ず存在しているんだぜ」という(爆) |
雀部 |
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確かに「同行二人」はそういう感じを受けました。まあ奥様からは「あら、私が先に逝くの?」とかの感想があったかも知れませんが(笑) |
平谷 |
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ストレートなメッセージではなく「ずっと一緒に釣りをしていたいね」程度のものですから(笑) |
雀部 |
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そうなんですか、なんか残念(笑)
冒頭の“麻の葉の模様”が重要なモチーフとなっていますが、これって縁起がよいってことで、赤ちゃんの産着にも使われるそうなのですが、そういうところも意識されて使われたのでしょうか。私は、正六面体が階段状に積み重なっているように見えて仕方がないんですよ。 |
平谷 |
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見る側の意識でどのようにも変化する図形ということで使いました。縁起については考えませんでした。
職員休憩室に座布団がありまして、そのカバーの模様が麻の葉模様だったんですよ。煙草を吸いながらぼんやりと見ていると、視点を変えるだけで図形が変化する。
ある規則に則って引かれた線の集合にしか過ぎないのに、見る側が条件を付加してやると、とたんにその姿を変える――。実際に変わっているわけじゃないけれど、まったく違う図形に見えてしまう。
そこから“比喩を用いて観測する”というアイディアが出てきました。 |
雀部 |
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麻の葉模様が、アイデアの源でしたか。
ラストは、どうしても『果しなき流れの果に』を連想してしまいます。こういう方法――日本から出ないで(笑)――で、あの作品に迫れようとは思いませんでした。
そういう意味では凄い力作だと感じました。特に、カタクラが“新たな唯一絶対の真理を模索しつつ新しい拡散期に入る”ことを確信するところ。
そして、私がこうして平谷さんにインタビューさせてもらっているという事象は、それ即ち、平谷さんの弦世界と私の弦世界が交わっているということだと気が付いて、ちょっとジーンときちゃいました。 |
平谷 |
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上田さんとメールのやりとりをしたりしている時に「比喩を共有しましたね」という言葉を使ったりしてます(笑)
人間同士は真に理解し合えることはないけれど、交わったり触れあったりできる瞬間はあると思うんですよ。お互いの比喩を共有した瞬間ですね。 |
雀部 |
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それは、『約束の地』のテーマでもありました。比喩を共有、良い言葉です。
それと、上田さんって、同じ小松左京賞作家の上田早夕里さんのことですよね。
前回の『黄金の門』インタビューで、準備中の著作が三本あることをお聞きしたのですが、進捗状態はいかがでしょうか。また追加のご予定はございますか? |
平谷 |
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大病をして以来、無理が利かなくなっていますので、なかなか進んでいません。
『縄文時代草創期から晩期にかけての東北を舞台にした小説』は、プロットの再構築を何十回も繰り返しています。しかし、最近光明が見えてきたので、もうじきプロットを終わらせられそうです。
『本格SF。近未来パニック物』は、どこの出版社かは伏せておきますが、ずっと連絡無し。忙しいにしても二年も連絡無しなので寛容なぼくも(爆)沸々と怒りを滾らせております。
『オファーがあるものの、まだ形になっていない小説』って、たぶん“あれ”のことだと思うのですが、それは200枚くらい書き進んでいて、随時編集さんにお渡ししています。なんとか夏には脱稿したいんですが。
追加の予定は今年も『百物語』!!
自分でもあきれてしまいますが、今年はお手伝いしてくれる方がいたのでなんとか形になりました。ぼくは古いタイプの人間なので「なんとか今年も……」と言われると断れないのです。ただ、ぼくがメインになる『百物語』は今年で終わり。来年あるとすれば、ぼくはお手伝いに回ります。
それから、角川春樹事務所の担当編集さんが、ぼくが以前書いていた吸血鬼物に興味を示して、出版の方向で話が進んでいます。
連載は『FlyFisher誌』に『虹鱒亭奇譚』という短編連載を続けています。これも昔から書きためていたホラー・SF系の釣り小説を小出しにしています。時々書き下ろしもあり。
7月頃から河北新報の日曜版に三週に一度エッセイの連載。
岩手日報の企画で『パ・ズ・ル』という県内在住若手(?)作家のコラボレーション企画にも参加しています。初めてショートショートミステリに挑戦しました。6月頃に携帯サイトで読めるんじゃなかったかな……。ぼくの出番は確か7月。
心臓のせいで、長編の新作は今までよりも出版のペースが悪くなります。
今までのように1時間で10枚っていう速度では書けなくなりました。 |
雀部 |
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それは楽しみです。ご無理のない範囲で、よろしくお願いします。
今回も、ご病気・ご多忙の中ありがとうございました。 |