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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[首都圏停電]

『最終上映』
> 石黒達昌著/木村繁之装画
> ISBN 4-8288-2372-7
> 福武書店
> 1262円
> 1991.3.15発行
収録作:
「最終上映」「ステージ」が収録された処女作品集。
「最終上映」は学生時代の友人の、「ステージ」は恋人でもある同僚の女医の、癌との闘いを淡々と描いて感動を呼ぶ。「最終上映」は第八回海燕新人文学賞受賞作品。

『平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて
急逝された明寺伸彦博士,並びに,』
> 石黒達昌著/菊池信義装幀
> ISBN 4-8288-1738-7
> 福武書店
> 1456円
> 1994.5.16発行
収録作:
「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに,」
「鬼ごっこ」「今年の夏は雨の日が多くて、」
 表題作は、第百十回芥川賞候補作。北海道・神居古潭にのみ生息していた希少種、ハネネズミの生態と絶滅の顛末を描いた、写真・図版・データを交えてのあっと驚く横書き論文形式。論文なのになぜか感動を生むという著者の力量が現れた傑作。遺伝とか生殖とか種とは何かについて考えさせられ、SF的視点を持った作品だと思います。
『94627』
> 石黒達昌著/菊池信義装丁
> ISBN 4-8288-2512-6
> ベネッセコーポレーション
> 1456円
> 1995.8.10発行
収録作:
「イスラム教の信者、ユダヤ教の信者、キリスト教徒など、神と終末の日とを信じ善を行う者は、その主のみもとに報酬がある。彼らには恐れも悲しみもない」
 湾岸戦争直前、米軍の情報工作に携わった日本人傭兵、「ジョーイ」の活動を追った怪作(誉めてるんです)。日本の現状を揶揄した展開は、若き日の筒井康隆を彷彿させます。
「94627」
 サリン事件を題材に証言集の形を取った短篇。SFファンには、ハインラインの“危険な兵器というものは存在しない。危険なのは人間だけだ”(うろ覚え^^;)という言葉を思い出すでしょう。
「ALICE」
 バラードのコンデンスノベルを思わせる報告書形式の作品。殺人事件の当事者たちが多重人格者(?)なようなので、目眩のするような構成。実験作かなぁ。

『新化』
> 石黒達昌著/菊池信義装丁
> ISBN 4-8288-2527-4
> ベネッセコーポレーション
> 1456円
> 1997.1.10発行
収録作:
「新化」
 「平成3年5月…」の続編。ハネネズミ絶滅から3年後、残された臓器標本を分析した論文が発表される。著者の石井晶は、行方知れずとなったハネネズミ研究者の甥であった。石井は、ハネネズミが生息していた神居古潭で、ハネネズミと遺伝子型が極めて近いエンジェル・マウスを発見しハネネズミ再生の試みが始まる……
「カミラ蜂との七十三日」
 会社員が、ある日突然、蜂につきまとわれる。その蜂は、猛毒を持った北欧起源のカミラ蜂。何故男につきまとうのかはよく分からないけど不思議な雰囲気をもった作品。
『人喰い病』
> 石黒達昌著/芦澤泰偉装幀
> ISBN 4-89456-767-9
> ハルキ文庫
> 540円
> 2000.10.18発行
収録作:
「雪女」
 旧陸軍資料から発見された低体温症の女性・ユキについての報告書。ファーマーの「恋人たち」を彷彿とさせる悲恋が医学的見地から淡々と語られる。
「人喰い病」
 北海道の過疎地で、小さな潰瘍から短期間で死に至る奇病が発生する。原因となるウイルスは見つからず、この病気は「人喰い病」と呼ばれるようになった……
「水蛇」
 山歩きで道に迷った男が避難した鍾乳洞で見つけた水蛇の生態を描いた短篇。石黒さんは、こうした架空の生物のリアリティ溢れる描写が上手い。クラークの「メデューサとの出会い」に匹敵すると言っても誉めすぎではないと思う。今度は宇宙生命体に挑戦して欲しいなあ。
「蜂」
 「カミラ蜂との七十三日」を一人称で書き直したもの。

『冬至草』
> 石黒達昌著/鈴木康士カバー
> ISBN 4-15-208735-8
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> 1600円
> 2006.6.30発行
収録作:
「希望ホヤ」
 弁護士ダンは、娘のリンダが小児癌で余命半年で、主治医からも匙を投げられたため自分が治してやるしかないと決意する。ある日一家は、表面に悪性肉腫ができているにも関わらずしっかり生きている珍味“希望ホヤ”の存在を知る。
「冬至草」
 北海道・旭川の郷土図書館で見つかった新種の植物“冬至草”の押し葉。やがて太平洋戦争期の在野研究者が遺した記録から、ウランを含んだ土壌に生息して人間の血液を養分とする異様な生態が明らかになっていく……
「月の…」
 右の手のひらに月が見えるようになった男の幻想譚。
「デ・ムーア事件」
 アメリカ人女性が「火の玉につきまとわれる」と訴えた後自殺してしまうという事件。似たような他の事件に共通するジェーン・デ・ムーアという化学技官の実験が関与している可能性が明らかになるのだが……
「目をとじるまでの短かい間」
 芥川賞候補作。
 北海道の田舎の父親がやっていた病院に都落ちしてきた外科医と幼い娘。妻は癌に冒されたため主人公は新薬を投与したが亡くなってしまい、そのデータを製薬会社は欲しがっているが彼は断固拒否している。末期癌の患者や日々の患者に追われている外科医の日常が描かれた内宇宙を追求したと思える作品。
「アブサルティに関する評伝」
 若き研究者アブサルティは、細胞死のメカニズムに関する画期的な理論を発表した。しかし同僚が、その論文のデータが、結果から推測した「捏造」であることに気づく。
雀部 >  今月の著者インタビューは、6月にハヤカワSFシリーズ Jコレクションから『冬至草』を出された石黒達昌先生です。
 石黒先生、よろしくお願いします。
石黒 >  こちらこそ、よろしくお願いいたします。
雀部 >  私が最初に読んだ石黒先生のご著作は『新化』(ベネッセ)でして、研究論文のような内容と横書きということもあってたいへん面白く読ませて頂きました。SFでは、医系の作家も少ないし医学分野の作品も極めて少ないので、当時ものすごく興味がわいたのを覚えています。次に読ませて頂いたのが『人喰い病』(ハルキ文庫)なのですが、読み終えてこれは大変だということで、あわてて過去の著作を買い求めました(笑)
 医師でもある小説家のかたはそこそこの数いらっしゃいますが、皆さんが医学系の小説を書かれているわけではないですよね。
 石黒先生の小説では、かなり医学的な部分が重要なウェートを占めていると思いますが、それはどういった理由からでしょうか。
石黒 >  拙著をお読みいただき、ありがとうございます。寡作なものでなかなか出版にならず、既刊の絶版になる方が早く、お求めいただくのも大変だったのではないかと思います。ところで、なんとなくいわゆる医学ものばかり書いていますが、本当は別の分野、例えば恋愛小説なんかにも興味はあります。ただ、実際に書いてもあまり評判が良くないので、自然と餅は餅屋みたいな感じで医学と関わりの深いものばかりになってしまっているというのが正直なところです。
雀部 >  恋愛小説というと元外科医でもある渡辺淳一先生の作品が有名ですが、石黒先生のガチガチの恋愛小説も読んでみたいですね。掲載は、ぜひ日経新聞で(笑)
 そういえば「雪女」(『人喰い病』所載)は、患者への同情がやがて恋愛感情となっていく医師を描いた哀しい恋愛小説だと感じました。
石黒 >  私は出身が同じ北海道ということもあって、渡辺さんの初期の医学モノに没頭した時期もありました。日本にいた頃は、年に一度新人賞のパーティーでお会いするのを楽しみにしていたほどです。
雀部 >  あれ〜っ、渡辺先生って、医学モノも書かれていたんですか(驚)
 「雪女」は、後書きに"萩尾望都さんの『ポーの一族』みたいなものを考えていたのですが、全く違ってしまいました"とありましたが、少女漫画もお読みになるのでしょうか。
石黒 >  中学生の頃、SFと少女マンガをリンクさせた萩尾望都さんや竹宮恵子さんといった作家のものをよく読んでいました。私の少女マンガ歴はもう本当にそれだけなんですけれども・・・・
雀部 >  SFモノが少女漫画を読むようになるきっかけは、昔はたいていの方が、萩尾先生や竹宮先生、大島先生、青池先生あたりですね。
 『冬至草』の最初に収録されている「希望ホヤ」は、初出が〈SFマガジン〉なのですが、執筆時に掲載誌(と読者)を意識されましたでしょうか。
石黒 >  それほど意識したということはありませんでした。同じモチーフで純文学系の雑誌に書いていたかもしれないほどです。ただ、いつも書いている雑誌とは違う場なので、その分、新鮮な発想が湧いたかもしれません。自分の気持ちに素直な、割とストレートなものを書いてみようと思ったのを覚えています。
雀部 >  基本的には娘を思う父親の気持ちを書いた短篇で、一見ハッピーエンドにも見えるけど、テーマとしてはとても重いですよね。
 この短篇に関しまして、あとがきに"子供の頃から読んでいた〈SFマガジン〉に初めて掲載になった"とあり、SF者としてはなんかすごく嬉しかったんですが、どういった作品(又は作家)がお好きだったのでしょうか。
 スタージョンとかアヴラム・デイヴィッドスンのいわゆる奇妙な味の短篇を思わせて、とても好きな話なんです。
石黒 >  SFマガジンを定期購読していた小学生の頃、一番好きだったのは、真ん中に連載されていた手塚治虫さんのマンガでした(そういえば手塚さんも医師だったですね)。ミーハーですけど、キャプテン・フューチャーシリーズとかJ.G.バラードのシリーズ、あと福島正美さんなんかのものを読んでいたように記憶しています。
雀部 >  え〜っ、小学生からSFマガジンを定期購読なんですか。よく親御さんが許してくださいましたねぇ(笑) わたしは、中学になってからです。
石黒 >  優等生の同級生に誘われて定期購読していたので、親をうまくごまかせました。彼は小学生なのに百枚近くの小説を書いていたんですけど、今考えると凄いことですよね。でも、もう書いていないんでしょうね。そういえば中学の時にも将来作家になってもおかしくない同級生の女の子がいましたけれど、彼女も若くして亡くなってしまいました。一番才能のない私なんかが今小説を書いている、人生なんて皮肉なものです(しんみり)。ちなみに、やはり小学生の頃、NHKのドラマを見て感動して買った筒井康隆さんの『時をかける少女』が恐らく生まれて初めて読んだ小説の単行本だったので、筒井さんの文庫本のあとがきを書かせていただいた時は、まるで初恋の人に出会ったみたいに舞い上がってしまったのを覚えています。
雀部 >  筒井康隆先生は、私らの世代にとってもアイドル的存在でした。SFマガジンの定期購読を始めた頃、毎号のように突き抜けた短篇が載ってましたし。
 今見たら、筒井康隆先生の『家族場面』(新潮文庫)の解説が石黒先生なんですね。全然気が付いてませんでした(汗)
 第八回「海燕」新人文学賞受賞作の「最終上映」と同名の中編集に収録された「ステージ」からは全然SF気はしないのですが、どういう経緯から「平成3年5月2日、……」のようなSF的なモチーフを取り上げて書かれるようになったのでしょうか。
石黒 >  私が研修医をしていた頃、癌患者に本当の病名を告知するのはまだ一般的ではなかったのに、あやうく癌という病名を口にしそうになって冷や汗をかいたことがありました。患者さんは自分とほぼ同じ世代の女の子で、その時の強烈な印象を元にして一気に書き上げたのが最終上映でした。海燕という文芸雑誌に送ったところ、自分でも驚いたことに(当時の海燕は島田雅彦、吉本ばなな、小川洋子なんかを次々と輩出して飛ぶ鳥を落す勢いがありました)、新人賞をいただきました。この受賞者は次に芥川賞候補となることが求められていたようなところがあったんですね。二作目三作目は既に書き溜めていたものを出してもらったのは良かったのですが、新しいものは何を書いて持って行ってもコレじゃあ芥川賞はちょっととか言われて、半分腐っていました。ある日、とうとう切れたんです。別にもともと芥川賞なんて欲しかったわけでもなかったですし、とにかく自分が書いて面白いものを書いてみようと思ったんです。その頃興味があったのは、小説というよりむしろノンフィクションでした。なじみ深いサイエンスのフィールドで、なにかいかにもノンフィクション調のものが書けないだろうかと思いついた時、たまたま絶滅することが確実になった最後の二羽のトキに関する記事を目にしました。今まで互いに傷つけあうことを心配して一緒の檻にしなかった二羽をついに一緒にしてやることになったという短い文章に感動して、一気に書き上げたのが「平成3年5月2日、……」です。編集長に持っていくと、「芥川賞は取れそうもないけど、とにかく面白い。直木賞を狙おう」と言われて、即、オーケーが出ました。ところが掲載になってみると、今までは発表のたびに新聞の文芸欄や雑誌の書評欄で取り上げられていたのが、ほとんど全く何の反応もないんです。唯一の例外が、ロシア文学の沼野さんと断筆宣言直前に文芸時評を連載されていた筒井さんでした。人生とは分からないもので、その年の暮れ、「平成3年5月2日、……」が芥川賞の候補に選ばれました。横書きで写真付きという型破りな小説が候補になったことで、選考会は大荒れだったと聞きました。その後、いろいろな媒体に取り上げられ、文芸時評なんて本当にいい加減なものだと思いましたね。そういう経過なので、あれは本当に、偶然の産物だったんです。これをああして、あれをこうしてといった計算などする前に書き上がってしまった感じです。
雀部 >  絶滅寸前のトキが発想の元だったんですね。そう言われれば思い当たるところもあるなという後知恵(爆)
 全然関係ないのですが『平成3年5月2日、……』に収録された「今年の夏は雨の日が多くて、」に"歯医者で虫歯を抜かれた時に感じた自分が壊れていく感触"という表現がありましたが、これはどういう感じなんでしょうか。歯科医者=破壊者、とは良く使われる(言われる)ことですが(汗)
石黒 >  まずかったですね、歯科の先生にインタビューされるとは思ってもいなかったので・・・・今頃になって後悔しています(汗)。口の中にあるか腕や足かという違いだけで、歯科も整形外科も骨という臓器を扱っている同じ科だというのが私の認識です。ただ歯科の場合、その治療の過程が逐一患者本人に見えてしまうわけですよね。削られた骨を人工物で置き換えても、一度失われた自分の一部はもう元には戻らないわけで、これは意識できる「自分の死」の過程なんじゃないだろうか・・・・自分の歯が削られるキーキーという音を聞きながらそう感じたんです。そういえば、雀部先生のところでは音楽を聴きながら治療をされているとホームページで拝見しました。コロンブスの卵的で本当にちょっとしたことですけど、ある意味、画期的なことだと思います。もし雀部先生に治療していただいていたら、そんな風には発想しなかったかもしれませんねえ(笑)。
雀部 >  げ、まずい。最近全然手入れしてないのがばれてしまった(汗)
 歯科というのは、患者さんに治療の結果が分かりやすいですから。治療が痛かったり、詰めたものがすぐ取れたりすると、あそこは下手だということに(笑) 虫歯に充填物を詰めたり、欠損部に義歯を入れてそれで治ったとする治療には、多くの歯科医が「本当に治したことになるのか、新たな歯質ができるとか歯を生やすことがおきて、本当に治ったと言えるのではないだろうか」と思っています。
 滅びゆくものへの鎮魂歌といった趣のある「冬至草」は、冬至草を調べる半井と張本の描写に鬼気迫るものがあり、本当の史実に基づいているのではないかと思わせました。
 この短篇に限らず石黒先生の小説の中では、死(滅び)と放射能(核)が濃密な関係にあるように気がします。まあ一般的に言っても、核兵器=滅びなことは明白なんですが、これは意識して書かれているのでしょうか。
石黒 >  核兵器=滅びという図式より自分の中では核兵器=戦争という結びつきの方が強い感じがします。つまり戦争を書こうとするとどうしても核に辿り着いてしまうわけで・・・・私の中には、なぜ人間は競い合うのか、競い合って滅んでいく道を選択しようとしているのかという大きなテーマがあります。それは作品を書くたびに深まっていくモチーフでもあります。冬至草は北海道を舞台に書いていますが、あの地にすら、強制連行や労働といった戦争の傷跡はくっきりと刻まれているんです。実はそれを大人になってから知りました。冬至草を書くことは、子供の頃何気なくおかしいと感じていたことの一つ一つを検証していくことでもあったんです。
雀部 >  なるほど、そこらあたりは小松左京先生の作品(『神への長い道』とか)にも共通性を感じました。
 そういうモチーフを活かすためには、必然的にSF的な設定が必要になったということでしょうか。石黒先生の作品を最初から時系列で読ませて頂くと、小学生の頃からのSF読書経験がなくても、こういうテーマを描くとなると、SF的設定の方が書きやすいだろうという感じはしました。
石黒 >  そうですね。科学を中心に回っている現代社会の中で、自分に切実な小説を書こうとすると、従来SFというジャンルとして語られていたものに近くなるのは、ある意味、必然ではないかと思います。昔はSFはファンタジーだったわけですが、もしかすると今は純文学に近いのかもしれません。
雀部 >  ご著書のなかで、一番戦塵のにおいのする「イスラム教の信者、……」(『94627』収録)も、イラクの一地方であるノヒンに隠された核兵器があってという設定で。これはイラク戦争が題材だし、表題作の「94627」はサリン事件が題材ですよね。
 このノヒンは、国民は無宗教で、財政的には豊かで、国会が形骸化していて、まるで日本じゃないですか(笑)
石黒 >  「イスラム教の信者、……」まで読んでいただいているとは驚きです! それに、御指摘の通り、ノヒン(NOHIN)はまさしくNIHONでした!!
雀部 >  あ、やはり。「イスラム教の信者、……」は、石黒先生の小説の中で、唯一ニヤニヤしながら読んだ短篇です。本当は慄然としなきゃいけない展開だと思ったけど、あ、やってるなぁって感じて。もし日本に核があっても、このざまでは(笑)
 話がでたところで、もう一つよろしいでしょうか。石黒先生の著作中、長い題名(「平成3年5月2日、……」と「イスラム教の信者、……」)がついた作品がありますが、これはどういう効果を狙われたのかを、お聞きしたいのですけど。
石黒 >  あの二編のうち、「平成3年5月2日、・・・」の方は雑誌掲載時、題名がありませんでした。何か良いタイトルをつけようと、書店で本の題名を見ているうちに、良さそうなものはあらかた出尽くしていることに愕然としました。それでふっと、なんで題名って要るんだろうと、ごく基本的なところに立ち戻ったわけです。よし、じゃあ、題名でごまかすのはやめて本文で勝負しようと、思い切ってタイトルをなくしました。なので、あれは、タイトルではなく単に本文の冒頭で、「平成3年5月2日、」の後の「・・・」の部分を追いかけていくと、ずるずると本文がどこまでも出てきてしまう仕組みになっています。なんとなく、短歌や詩といった韻文が文学だった頃の名残が、新しい文学である散文の一番初めに残ってしまったものがタイトルじゃないかと感じていたんじゃないかと思います。ですから、あれは「散文の韻文に対する逆襲」という自分の中の位置づけです。
 それとは別に「イスラム教の信者、……」はコーランの一節の引用です。まとまった意味を出すためにどうしてもあの分量が必要でした。この小説を書くに当たって聖書とコーランを何度も読み返してみました。コーランは新しく作られたものだけあって、聖書より良くできているんですね。詩的な表現が多く、文学作品として読んだ時、はるかに出来が良い。でも、両者には基本的な違いはないというのが私の意見です。で、それを最も良く表している部分をタイトルにしました。ところが、中に書かれているのはキリスト教世界の話でもイスラム教世界の話でもなく、日本の現状の寓話です。もう絶望的なことに(!)世界のどこにも基本的な違いはないというのがあれを書いた時の意図だったように思います。
雀部 >  ありがとうございます。Webで、『平成3年5月2日、……』のあれは題名じゃないという見解は読んではいたのですが、なるほどそういう理由から題名がなくなったのですね。そう言えば「今年の夏は雨の日が多くて、」も本文の冒頭ですねえ。
 もう一つの石黒先生の作品のテーマとしては、この「94627」からもうかがえるように"この世に、絶対的な正義とか悪というものは無い"ではないかと感じました。
石黒 >  正義や悪といった古典的な概念が瞬間的、相対的にしか存在し得ないというのは、まさしく現代社会が科学という、「いかがわしいもの」によって成り立っていることの証だと思います。科学自身にこの「いかがわしさ」の自覚がなくても、無邪気でいるわけにはいかないでしょう。それが今回の「冬至草」のモチーフでもあります。科学の発達によって生じたネガをその科学自身によって消していかなくてはならない世界に暮らすことは、一方では矛盾であり、また他方では救いでもあります。ただこの「救い」が、時々、宗教的な「救い」とニアミスを起こしそうになる・・・・これが「94627」の中で言いたかったことです。
雀部 >  すみません。その"科学という、「いかがわしいもの」"とはどういうところを指しているのでしょうか。
石黒 >  それほど難しいことではないんですが・・・・要するに、科学と文学は非常に良く似ているわけで、世俗的な欲望と無関係に高邁な真理が追求されているようでありながら、実は最も人間臭いドロドロした動機によって推し進められている部分がかなりあります。自分もそのフィールドにいるから分かるんですが、はっきり言って、癌の研究者が国から研究費をせしめるために提出する書類の中で書いている楽天的な見通しなんて、半分以上は嘘ですよ。癌なんて治らないかもしれないと感じながら、それでも癌を治すためにという名目でなくては研究費が下りないわけです。研究者は単に細胞の機能解析がしたいだけだったりして、それが世のため人のために役立つかどうかなんて二の次だったりします。もっとも、人類の福祉向上のお題目を唱えて研究をしてもろくな成果が出て来ないのは、科学が戦時研究で飛躍的に進歩するのを見ていれば容易に分かります。錬金術や原爆がいかがわしいのではなく、実は、化学や物理そのものがいかがわしいわけで・・・
雀部 >  科学に従事している人間がいかがわしいということと同義とか。
 文学については筒井康隆先生が『大いなる助走』とか『文学部唯野教授』でやっちゃってますね(笑) ということは、石黒先生も、科学について同じようなことをやったと解釈することができるとしたら……
 こ、これは新しい読み方かも(私にとっては)
石黒 >  まあでも、本当に、今の生命科学研究はまるで工場作業のようです。やる手順は決まっていて、それをこなしていくだけ・・・近年、データーの捏造が話題になっていますが、ちまちました作業が面倒になった労働者がそういう方向へ走るのも理解は出来ます。理解できるということは私もいかがわしい人間の一人になっているということでしょうか(笑)。
雀部 >  それは単に想像力があるというだけなのではないかと。
 歴史的には、呪術(神話)→宗教(哲学)→科学という変遷になるようですが、昨今の世情を見ていると、宗教も科学も既に《指導原理》としての役を果たしていないような気がします。新しい指導原理はどういったものになるとお考えですか。もしくは、もう人類はダメとか(笑)
石黒 >  宗教と科学は一見相反するようだけれども、人間の本質に根ざしていて、決して消去できないという意味で、同一のものなのではないかと思います(その短絡例がオウム真理教でしたが)。SFの多くが科学=神である時代を中世の暗黒時代になぞらえて描くのも、それを無意識に自覚しているからなのではないでしょうか。で、次の指導原理ですか・・・・うーん、難しいですね。というより、もしそんなものがあれば、また新たな神を創造してしまうだけという気もしますが・・・・
雀部 >  そうか、銀河帝国がローマ帝国なのはそのせいだったのか(笑)
 やはり人類は、もう少し進化しないと無理かも。
 ミズンが『心の先史時代』のなかで、知能の変遷の仮説として、一般知能(学習と意思決定についての汎用性のある規則)→特化した知能(社会的知能、博物的知能、技術的知能、言語的知能が個々に働く)→認知的流動性(複数の特化された知能を統合することができるようになる)となり、芸術や宗教や科学は、これらの特化知能の統合によって生じたものだとしているようですから、人間の知能の発達に応じて出現した概念には間違いないところでしょう。
 で、これに倫理的知能を付け加えることができるかなと思っているんですが。
 SFでいうと、スタージョンの『人間以上』に出てくる共同体の"良心"の役割といったところ。
石黒 >  面白いですね、そうすると宗教と良心は別のベクトルということですか。中東の戦争を見ていると実感できますね。科学や芸術のベクトルもまたそれぞれに別の方向を向いているんだとすれば、それらをどうやって統合していけるのか、あるいは統合してはいけないのか・・・・・
雀部 >  まあ、良心といっても各個人によってベクトルが違うでしょうし、難しいとは思いますが。倫理的知能を司る脳の部位が判明すると、そこを活性化してやるとかの手が使えるかも(笑)
 では、石黒先生は人間を遺伝子改変することによって、この世界をより良いものに出来るとしたらどうされますか。私はどちらかというと改変派なんですが(SFで言うと、サイバーパンク系の作品なんかは改変派)
石黒 >  遺伝子改変というところまでいかなくても、既に精子に操作を加えて男女の生みわけをするなんてことができる時代になっていますし、クローン人間も含めて、それが良いことかどうかは別にして、次第に遺伝子をいじる方向へ進んでいくのは間違いないと思います。ただ、私自身、分子生物学をやっている研究者ではありますが、人間が、自分を生み出した遺伝子を超えることは難しいんじゃないかなと感じています。クローン人間を作ってみたところで、それを永遠に繰り返すことは不可能でしょうし、出来上がったものが元の自己と同じかという疑問もあります。永遠の生命は幻に過ぎない・・・・でも、今の私は確かに、生命の始まりから延々と続いてきた連鎖の一番端にいるわけです。つまり、今の自分こそが永遠の生命の体現者じゃないんでしょうか。いろいろやってみた結果、結局、自然のままが一番良かったなと、そんなところに辿り着くのは、SFの定番の結末ですよね。でも案外、人間の直感は正しい気がします。それが科学の限界だし、そうあるべきなんじゃないでしょうか。
雀部 >  いまある人間の身体と脳で思考する限り、その呪縛からは逃れられない気がします。永遠(に近い)の寿命を実現したときから、人類の進歩が止まってしまうような気がしますし。
 それと、確かに自然のままが一番というのは、SFによくある結末の付け方ですね。
 芥川賞候補作の「目をとじるまでの短かい間」なんですが、原点回帰の短篇なのかなぁと読み進めていたら、ラストでホワイトホールとかエントロピーの熱的終焉のイメージとアポトーシスが効果的に使われていて、晴れた夜空を見上げて人生を考えているような気分になりました。
 SFファンとか科学に強い読者にはイメージしやすいと思いますが、掲載誌を考えるとどうなのかと余計な心配をしたりして(笑)
石黒 >  「晴れた夜空を見上げて人生を考える」というのは良いフレーズですね。意図したものを過不足なく読んでいただいた気がします。書き手としては、書いた以上のことを読んでもらうとちょっと居心地が悪いし、書いたこと以下でもがっかりしたりして・・・書いたことがダイレクトに伝わっていると感じる今のような時が一番嬉しいものです。 ところで、ご指摘のように、ちょっと異質なフィールドで余計な苦労をしているところはあると思います。でも、個人的には一つの分野でというのが苦手で・・・・いくつもの分野で仕事をしていないと不安なんです、変態的かもしれませんが。まあでも純文学とSFの差なんて、医学と文学の差に比べればごく些細なものです。異質なフィールドと言っても・・・・
雀部 >  その異質なフィールドで高い評価を受けてらっしゃるわけだから、凄いことです!
 「アブサルティに関する評伝」は、まさに科学者の直感の正しさといかがわしさが如実に出た短篇だと思いました。作中にある"アブサルティが「アリストテレス」誌に載せた密室の中の人間"は、まるでディッシュの名作「リスの檻」みたいですね。人間って、突き詰めれば、たったこれだけの存在なのかも知れません。
石黒 >  確かに・・・ただ、人間がたったこれだけの存在というのは、ある意味救いでもあると思います。村上春樹さんの小説の中に、正確な文章は覚えていないのですが、「宇宙の壮大さに比べれば人間なんてミミズの脳みそみたいな存在かもしれない。そうあって欲しいと心から願っている」といった一節があります。また彼は「永遠は積分の中にではなく微分の中に存在している」とも書いています。両方とも、この年になると、分かるなあという言葉です。巨大な広がりの中にではなく、限局した中に永遠があるというのは・・・・本当にそうあって欲しいものだと思います。
雀部 >  え〜っ、村上春樹さん、「永遠は積分の中にではなく微分の中に存在している」なんてことも、おっしゃっていたんですか。それは侮れないなあ(笑)
 実は、今回もうお一人インタビュアーをお招きしました。
 日本最大のSNSであるmixiで、石黒先生のコミュを開設された"首都圏停電"さんです。よろしくお願いします。
首都圏停電 >   お話を伺う機会をいただけて光栄です。
 こんなことならもっとちゃんとした名前にすれば良かったと後悔しています。
 よろしくお願いします。
雀部 >  石黒先生のコミュを開かれたのは、どういうきっかけからでしょうか?
首都圏停電 >  私は怠惰なファンで、「冬至草」が発売されたことを2ヶ月後に知りました。
 さっそく買い求めて読むうちに、そういえばmixiの石黒コミュニティはどんな感じなんだろうと思い、探してみたところ、意外にもまだないことを知りました。
 そこで、誰も立ち上げていないのなら自分で作ろうと思い立ち、開設に至りました。
 まだ始めて間もないので、今後どんな方々が石黒ファンとして名乗りを挙げるのか楽しみにしているところです。
雀部 >  石黒先生の作品の魅力は、どこにあるとお思いですか。
首都圏停電 >  一言でいうと、虚構のリアルさとショッキングさ、かと思います。
 特に「冬至草」「人喰い病」など、ミクロ視点で捉えた未知の生物や病原体が人間の常識を飛び越え、ときに人間を翻弄する様子を描いた作品群は、石黒先生唯一のものであるように感じています。
石黒 >  はじめまして。いや、首都圏停電は立派なお名前ですよ。私、実は東京電力の有識者会議のメンバーのようなことをしていた時期がありまして、いわゆるブラックアウトについてはその頃からとても興味を持って(持たされて)いました。ですから、実際にそれが起こった時日本にいなくて体験できなかったのは非常に残念でした(笑)。
首都圏停電 >  名前の由来となった東京大停電の日は、会社の外部にある顧客提供用のサーバが軒並みダウンしてしまい、保守担当の同僚は信号の消えた都心をバイクに乗って走り回ったそうですが、私はといえば休日のため昼まで寝ており、貴重な機会を体験できなかったため先生同様残念に思っています。
雀部 >  首都圏停電さんは、「94627」が一番お好きだそうですが、どのあたりがお好きなのでしょうか?
首都圏停電 >  登場人物の中の素人マラソンランナーと弁護士になった元ホームレスがなぜか強く印象に残りました。人生が好転した人間が先生の作品に登場することが珍しかったからでしょうか(笑)
 それ自体は意思を持たない薬剤を中心に据えて、それが引き起こした状況を描くことで、罪とは何か、悪とは何かを問いかけているような気がします。
 他には「雪女」「人喰い病」「デ・ムーア事件」なども好きな作品です。
石黒 >  94627がお好きとはまたマニアックな。おっしゃるように、科学自体は意思を持たないのに、それが実用に供される段階で、悪とか正義とかいう余計な概念がくっついてきてしまうわけで、人間も自然の一部だとしたら、本来、人間が作り出したものは自然であるべきなんですが・・・・ところで、自然淘汰という大きな原理の中で、戦っていかなくてはならない人間が、私の抱えている大きなテーマの一つです。世間的には負けの人生の中にいる人間が復活を遂げて勝負そのものを否定するといったストーリーには、ですから、非常に共感を覚えます。実際、私の小説の主人公の多くが敗者復活戦的な部分を持っています。冬至草の主人公もそうですし、次回文学界に掲載予定の作品の中の主人公(髪の毛の薄くなったダメ夫)も現実と激しく戦っています(笑)。
雀部 >  "髪の毛の薄くなったダメ夫"が主人公とは、石黒先生の小説の中でも新機軸なのでは(笑)
 楽しみにしています。
首都圏停電 >  一つ先生に伺ってみたいことがあります。
 『人喰い病』の最後に掲載されているとても楽しい解説では、各作品について「とんでもない話ができてしまいました」「へんてこな話になってしまった」などと、書かれているうちに予想外の方向に進んでいったかのような説明をされています。
 これについて、たとえば幻視を扱った作品を挙げると、「デ・ムーア事件」では火の玉を見る理由が科学的に解明され、「蜂」「月の・・・・」では科学的な種明かしはされないまま終わっています(後者2つはそもそも幻視ではないのかもしれませんが)。
 これらの作品も、やはり書き始めるうちに内容が変わっていったのでしょうか? それとも結末まである程度のプロットが固まっていて、科学的な解明をしない作品は当初からその予定で書き進められた作品なのでしょうか?
 もし差し支えなければ教えていただけると嬉しいです。
石黒 >  それは職業上の秘密に属することなのでお教えできません・・・・というのは真っ赤な嘘で、実に簡単なことなんです。デ・ムーア事件では、娘の同級生のお母さんから火の玉のような妖精を見たという話を聞いたのがそもそもの発想の元でした。ちょっとした立ち話ですね。こういうふうにちょっと面白い話だなと思うのは日常、いくつもあるじゃないですか。多くはそのまま立ち消えてしまうようなものですけど、中にはしつこく何日も残っているものもありますよね。で、私の手順としては、そういう中から小説としてストーリーができそうかどうか、頭の中で続きを作ってみるわけです。単独でこれだっていうものが見つかることもありますし、候補になったものの組み合わせでストーリーができそうだということもあります。そんなこんなで八割がた筋が通れば、実際にパソコンに向かって書き始めます。この段階では結末はできていません。結末を最初から決めてしまうと、途中の広がりもそれに制約を受けてしまうからです。結末はあくまで物語の流れの中から自然に出てくるようにしています。でもそれはありきたりのものに辿り着くようにするということではなく、ぐっとひねってみたり、あるいはぶった切ってみたり・・・・とはいっても、あくまで「自然に」加工します。科学的な解釈が可能かどうかということについては、ストーリーとしての完結性の方を優先させるようにしています。小説としてのストーリーを第一義に考える時、科学的な解釈をした方が良い場合もあるし、あえてそうしない方が良い場合もあるからで・・・そこが推理小説との違いですね。
首都圏停電 >  「デ・ムーア事件」についての解説を大変興味深く拝見しました。きっかけは些細なことのようでも、そこからあれだけの作品を構成されるのがすごいですね。この作品では、患者達に火の玉が見えた理由は私には本当にまったく予想外の内容で、その意味で推理小説的な面白さを味わえた作品でした。またこの作品には「94627」と同じく一つの事象に関わる人達の群像劇的な要素もあって、私にとって好きな話の一つです。
 ところで、推理小説といえば、ホームズがドイル医師によって生み出されたように、先生が書かれた本格推理小説ももしかなうならば今後期待したいところです。エポックメイキングな面白い作品が生まれるのではないかと実は密かに思っていたりします。。。
石黒 >  ドイルの学生時代、患者を一目見ただけで、どこの出身のどういう職業の人かなんてことをぴたりと当てる名物教授がいたそうです。ホームズはその教授をモデルにしているという話ですが、実は、患者の訴えを聞き、そこから病気を推理し、確定に必要な検査を考えていく過程は推理小説そのものだったりします。どういうわけか、アメリカに来て一番最初に読みたくなったのが、高校生の時に読んで以来というホームズシリーズでした。あの頃はなんて緻密に書かれたものだろうと感心したものでしたが、読んでみると、科学的推論にずいぶんと飛躍や無理があるんですね。もっとも、江戸時代の末期に書かれたものだということを考えれば凄い作品であることに間違いはなく、ある意味、推理小説の分野であれ以上のものは未だに出ていない気がします。北海道で監察医を長いことやっていた父親が件の教授並みに鋭い推理をしていたんですが、それを今書き始めているところです。
雀部 >  お父様が監察医だったんですか。それは色々エピソードがありそうですね。
 編集者というと、早川書房はSFもミステリも出している出版社ですから。塩澤さんよろしく〜(笑)
首都圏停電 >  私が先生の作品と出会ったのは、暇に飽かせて毎日図書館に通って小説を読み漁っていた大学生の時に「最終上映」を手にしたのがきっかけです。以来新刊発売を楽しみにしてはや十数年が経ちました。
 「文学界」などの文学雑誌はこれまで読む習慣がなかったため読み漏らした作品があるのが心残りです。神保町の古本屋巡りでもして過去の作品を探しつつ、今後新作が掲載されたときには雑誌の方でも読ませていただきたいと思います。
 石黒先生、雀部さん、この度は貴重な機会をご提供いただきありがとうございました。
雀部 >  今回はお忙しいところ、インタビューに応じて頂きありがとうございました。
 短期間に、とても密度の濃いお話を聞かせて頂くことが出来て、感謝感激であります。
 最後に、近刊予定もしくは現在執筆中の作品がございましたらご紹介下さいませ。
石黒 >  多分、次回作は先ほどの文学界になると思います。『冬至草』のあとがきにも書いたのですが、『新化』の英訳がニューヨークのVertical社から出ることが決まっています。ロシア語訳のものも二年前に出ているのですが、昨今は日本の出版事情が厳しく、売れなければ本にしないという時代になってしまったので、『冬至草』に頑張ってもらわなければと思っています(笑)。今回は本当に楽しいインタビュー、ありがとうございました。そしてファンの皆様、本当に寡作ですみません。ブログで私のことを書いていただいている方にも、この場を借りて感謝感謝です(時々コメントをつけたりしています。そんな作家、いないと思いますが)。
雀部 >  ワールドワイドな展開、楽しみです。筒井康隆先生も、フランスで賞をとられてまたまたブレイクされたので、石黒先生の作品もロシアやアメリカで評価されることを願っております。


[石黒達昌]
1961年北海道生まれ。東京大学医学部卒業。1989年、「最終上映」で第8回海燕新人文学賞を受賞してデビュー。以降、東京大学付属病院外科に勤務する傍ら、純文学誌を中心に数多くの中短篇を発表。1994年、架空の動物ハネネズミの生態をレポートした横書き小説「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに…」が芥川賞候補となり、大江健三郎氏、筒井康隆氏の絶賛を浴びた。同作および続篇を収録した『新化』や『人喰い病』などの作品集により、生物学・医学と文学を融合させた作家としてSFファンの注目も集めつつある。現在、テキサス大学MDアンダーソン癌センターに助教授として勤務。
[雀部]
『冬至草』がハヤカワSFシリーズ Jコレクションから出版されて、石黒先生がSFファンだとわかったのが嬉しかった。『新化』あたりでも、何げにSFティストを感じたけど、最近それだけじゃ判別がつかないからなぁ。毎年のように候補作に選ばれているから、やはり"目指せ芥川賞!"は当然なのですが、ハードSF作家よりも稀少な医学系SF作家としてのご活躍も期待してます。
[首都圏停電]
都内のIT系企業で経理をしている10年来の石黒作品ファンです。この度mixiに石黒達昌コミュニティを作りました。

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