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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

Self-Reference ENGINE
『Self-Reference ENGINE』
> 円城塔著/Cover Direction & Design 岩郷重力+Y.S
> ISBN 978-4-15-208821-5
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> 1600円
> 2007.5.25発行
第一部:Nearside 9章 第二部:Farside 9章 より構成される。
設定:
 なにやら時間そのものが変質して、過去未来の関係がグチャグチャになった世界。もはや時間線は一方向に流れるのではなく、勝手気ままに進行しお互いに絡み合ってしまっている。この時空のねじれた宇宙では、超高速度の多数の「巨大知性体」が自分たちが有利な位置を得ようとして攻撃し合っている。
 まあこれくらいが共通背景で、各章のお話の多様さは読んでみないとわかりません。SF者にも、そうでない読者でも、これは面白い!と思う話がいくつかあるはずです。
 インタビューでは色々質問してますが、あくまで私自身の感想に基づいたものであって、もっと様々な読み方が出来る懐の深い本だと思います。

『月刊〈文學界〉6月号』
> 文藝春秋
> 特別価格950円
> 2007.6.1発行
[第104回]文學界新人賞発表
受賞作◎「オブ・ザ・ベースボール」円城塔

 年に一度くらいの割合で空から人が降ってくる村があり、主人公は、それをバットで打ち返すことを使命としているレスキューチームの一員。
 無茶苦茶な設定である(笑)
 選評の島田雅彦さんの“ゴタクを並べる語り口の強度は高く、ゴタクオタクの面目躍如たる作品に仕上がっている。世界のなめ方において、群を抜いている”というのは、そのまま『Self-Reference ENGINE』にも当てはめられますね。
文学界6月号

カオスの紡ぐ夢の中で
『カオスの紡ぐ夢の中で』
> 金子邦彦著/友光彰カバー
> ISBN 4-09-402081-0
> 小学館
> 495円
> 1998.1.1発行
「カオス出門」パロディによるカオス理論の入門編
「進物史観」生命の進化をパロディ化した複雑系SF小説
「バーチャル・インタビュー」複雑系の研究の現状と舞台裏
「複雑系へのカオス的遍歴」研究・夢、Internet、文化論を語ったエッセイ

雀部 >  今月の著者インタビューは、2007年5月にハヤカワSFシリーズ Jコレクションから 『Self-Reference ENGINE』を出された円城塔さんです。
 円城さん初めまして、よろしくお願いします。
円城 >  初めまして。よろしくお願いします。
 広い部屋なんですね。よいしょ。あ、小芝居はしなくてよいですか。
雀部 >  いえ、小芝居もOKなんですが、トップページに“メールのみによるインタビューです”と断ってありますから(笑)
 遅くなりましたが文學界新人賞受賞おめでとうございます。芥川賞は残念でしたが……
円城 >  ありがとうございます。
 本人としては、いやいやいや、いやいやいや、と言っているうちに進んでしまった感が強くて、未だに実感が薄いところがあります。お話が大きすぎて、把握が追いつかないです。
 周囲もわりと、いやいやいやいや、みたいな。
 ええと、選評委員の方々には、末永くお付き合い頂ければと。
雀部 >  権威のある素晴らしい新人賞を受賞されましたよね。大森さんによると、文學界新人賞の受賞者は、芥川賞受賞までフォローがあるそうですから(祝!)(『文学賞メッタ斬り!』から)
 文學界は全くチェックしてないのですが、次作はもう決まっているのですか。
円城 >  フォローというか、万事、大度を以って悠揚とという感じですね。
 次十一月号に「つぎの著者につづく」を掲載頂きます。
雀部 >  次作、楽しみにしております。
 文學界って、同時受賞の「舞い落ちる村」もファンタジーぽいし、『アド・バード』系列だと感じた椎名誠さんの「チベットのラッパ犬」も載ってるし、あれっ?そういうのもありの雑誌なのかと、ちょっと驚きました(笑)
円城 >  文學界は名前がいかついので敬遠されているところがありますけど、開いてみると他の文芸誌とそんなに……いえ、独自の色がありますね。
 いい意味で。ほんとに。いい意味で。
 別に怯えてはいないです。本当に。御世話になっております。
雀部 >  そんなに否定されると、なんか怪しいなぁ(笑)
 文學界六月号に、受賞作の「オブ・ザ・ベースボール」が掲載されているのですが、この作品と『Self-Reference ENGINE』は、執筆時期はどちらが早いのでしょうか?
円城 >  黄色い本を書いていたのが、2005年の秋口あたり、野球を書き終えたのが2006年の12月ですね。野球の方が一年ほど後になります。黄色い本の分を書き終わって、意外に書けるものだなと。じゃあ、公募に淡々と応募し続けていけばいいのではと思ったのがはじまりです。その間に小松左京賞に落ちて早川書房へ持ち込みをさせて頂いたり。
 文學界に投稿した次の日に、早川書房に呼ばれまして、まだ半分しか読んでいないですが、出します、と。……半分?
 ついては一月中に100枚くらいと言われて書いたのが、Boy's Surfaceですね。
 新人賞を頂いたのがその後の四月。
 そこからは色んなものが団子になってました。
雀部 >  そうか、野球のほうが後なんだ。
 小松左京賞に落ちてからは、本当にトントン拍子ですね(笑)
 こういう変な話のアイデアは、以前から、あたためられていたのでしょうか。『SRE』だけでも、とても沢山のアイデアが詰め込まれていますが。
円城 >  どのみちどれも、何かの意味で自伝であるという意味で、普段から考えていたことではあります。
 ただ黄色い本は、一つ話を書いては次の話を書くという形だったので、朝自転車を漕ぎながら、前のはこうだったので、今回はこんなので、という感じでした。
 依頼を複数頂いてみてわかったのですが、どうも並行しては考えられないみたいです。考えていると書いてしまう(笑)。なので素だけ蓄えておいて、順番に自分でも気づかないように気をつけながら搾り出したというのが実感に近いです。
雀部 >  ということは、今のところアイデアには困られてないのですね。
 私のような普通のSF者が読むと、何が何やら状態で、とても自伝とは思えないんです(汗;)
 でも、ある種の自伝だと考えると、芥川賞候補になったのも頷けるものがあります。数少ない自伝SFなのか。SFマガジン'07/9月号掲載の「Boy's Surface」が、冒頭の“これは多分、「僕たちの初恋の物語」”で始まるのも、むべなるかな。
 一般的な意味での自伝の要素とご自身の研究の変遷がミックスされていると考えてもよろしいでしょうか?
円城 >  今は入力よりも出力の方が多いので、このままの体制だと二年保たないだろうと予想しています。そこは徐々に生活を変えていくことでなんとかしていきたいと。
 こう言うと否定されることがあるんですが、見たことのないものは書けないですね。
 「Boy's Surface」は本当に研究していた内容そのままというか、こういうものになって欲しかったというものではあります。今は研究からは離れたので、色々他に栄養源を探っているところです。
雀部 >  円城さんの作風で、見たことのないものは書けないと言われるとなんか不思議な気持ちです。見たことをベースにしてあの空想世界が紡ぎ上げられているのでしょうが。
 SFマガジンのインタビューにあった“何かのルールがあったらそのルールのルールもあるんじゃないか”との発言が「Boy's Surface」に当てはまるような気がして。いえ、どう当てはまるかは全然分からないんですが(爆)
 「Boy's Surface」に出てくる“鍬つき鎌つき鋤”の例えは、『SRE』の巨大知性体にも当てはまる感じで、そうすると“適度な認識過程と適度な真理”が望ましいとするなら、「Boy's Surface」には、私のような数学門外漢にもわかる構造があるに違いないと(笑)
円城 >  用語を借りているだけで、同じく数学門外漢なので……。
 数学者って、数学者そのものかそれ以外かという分かれ方しかなくて、遠い近いがない気がします。ルールのルールの階層というのが興味の対象だったので、そのまま、その通りです。覗き込んで覗き込んで覗き込んで、という。章番号は、トーラスの表面上の位置を示す座標で、360度を40で割って番号に。トーラスは二つの円の直積なので、番号が二つあると。
 黄色い本で、複雑だと、というか、でかけりゃ偉いですみたいなのを続けたので、でもシンプルなのもいいよなあ、と裏は打ちました。
 お話自体は単純で、ずっと考えることを続けて、相手そのものへ辿り着ければいいねというだけですね。一回りまわって、空想が現実に近いものを構成するところまで戻ってくるのですが、でもやっぱり空想なのでずれたままで、じゃ、もう一回、と懲りずにぐるぐる回り続けるというような話です。
雀部 >  そういう単純なお話が、なんでああいうお話になるんだろう……(笑)
 表層的には、レフラー基盤図形が作家の書いた小説であるとするなら、レフラー球は小説と読者の相互作用で創り出されるもので、それを様々な背景を持つ読者がどういう風に認識するかという……
円城 >  それがたまたま、恋愛小説、みたいなもの、に見えたりもするかもね、という。
 同時に、そういった運動こそが生命だみたいな巨大な飛躍も(笑)。
 恋愛小説に擬態して勝手に騒いでいる別のものというのは、SFマガジンの十一月号に書かせて頂きました(「Your Heads Only」)。
雀部 >  一般的に、“小説をどう読むかは読者の自由であり、どういう感想を抱いても作者の関知するところではない”と言われていますが、円城さんの小説は、特にそれを感じました。
 “こういうのが出来ましたが、どう読むかは皆さんの自由ですよ”って言われているような気が……
円城 >  読解ということに関しては、自由に読んでいただければとするしかないですね。そこは大前提と。どう読まれようとも、その読み方が正しいです。でも、テキスト論という話になると違和感がありまして、出版という形態はやっぱり手紙とは違うので、単に個別の応答はしきれないというだけの気もします。
 かといって全く関知しないと胸を張れるかというとそんなことはなくて、ある程度公的な場所で質問して頂ければ、状況に即しての応答は当然させて頂きます。なんだかんだと、書いた当人が生きている限りにおいては、密通は生じるじゃないですか。
 自由に読んで頂く他ない。ただそこで生じたものに関しては、可能な限り受け取らせて頂いて次へ続ける。それをまた自由に読んで頂いてという相互の運動がどこまで続けられるのか、どこまで興味を持ち続けてもらえるのかが課題になるんだと思います。
 むしろ突拍子もない方向へ読んでもらえるようなものを書ければいいなと。明後日の方向にと言いたいところなのですが、諸般の事情で「明後日」は封印することに(笑)。
雀部 >  「アサッテ」の方向に向かうと、諏訪哲史さんになっちゃう(爆笑)
 読者が“ドライヤー・ラジオ・電卓・懐中電灯つき鋤”だったら、かなり変わった読み方ができるでしょう(笑)
 もう一つ群像新人文学賞にも応募されたそうなのですが、応募先による書き分けとかはされたのでしょうか?
円城 >  新潮にも出そうとして、250枚書いたらあまりにもひどかったので破棄したとか、文藝の締め切りの頃には忙しくなっていて出せなかったとか。当然、本人としては書き分けしているつもりなんですが、長くなっていくといつも同じことを書いてしまって、あまり差がなくなってしまいますね。修行不足であると反省中です。最後みんなどこかへ行ってしまう。
雀部 >  円城さんの、本当の意味での長編は読ませて頂いてないので、『Self-Reference ENGINE』だけでは、どういう風に同じなのか想像できません、『SRE』のようなのがもう一冊出てくると、それはそれで凄いと思います。
 「オブ・ザ・ベースボール」と『SRE』の共通点というと、ナンセンスな面白さだと感じました。『SRE』を最初に読んだのですが、その時はあまり感じなかったんです。「オブ・ザ・ベースボール」は、設定からしてぶっ飛んでいて、落語の「あたま山」的な馬鹿馬鹿しさを感じました。で、『SRE』を読み返すと、落語的な面白さをこちらからも感じたんです。突き放した笑いというか、例えば『銀河ヒッチハイク・ガイド』のような、ねちっこい笑わせ方ではなく、ありえないお話が淡々と進んでいくおかしさだと。
 そこらあたりは意識して書かれているのでしょうか。
円城 >  話ごとの振れ幅を大きくしようというのは意識しました。飽きるので。というのは、書いていても飽きてしまうところがあって、持続力に欠けています。本当の意味で長篇が書けるのかというのは今後の課題ということに。
 自分でもこれは変だなあと思うのは、中間がほとんどないんですね。実生活でも。ものすごい地べたの話からちょっと大きくするとすぐ宇宙とかになってしまって、間がない。それは純粋におかしいことであるという意味で、可笑しい。
 笑えるのが一番良い、という立場をとり続けていて、不謹慎とされる場所でも笑ってしまうのでよくないなと思うのですが、そういうあたりもひっくるめて、突き放したところはあると思います。突き放されているともいいます。何かから。
 ただ、寓話的という部分を強調されすぎると、本人はわりと自伝のつもりの部分があるので、そうか自分の人生は寓話なのか、と不思議な気分になったりします。ナンセンスであることと、見ている光景そのまま、ということは矛盾しない(笑)。
雀部 >  はたから見ると実際寓話に見えていたりとか(笑)
 端から端まで話を極端に振ってみるというのは、SFの特徴の一つですからそこは普通でしょう。一般的には普通ではないでしょうけど。
 実生活でも中間がないというのはどういう感じなのでしょう。デートしないでいきなりプロポーズするとか。
円城 >  実際寓話っぽかったりもするんですけれども。アリとキリギリスみたいな。
 そのたとえだと、気づいたら入籍されていたとか、奥さまは魔女だったとか、そんな感じに中間がすっぽ抜けてますね。
 大学は辞める、ついては会社員になるが、作家になる、みたいな。何を言っているのか自分でもよくわからなくて、周囲には更にわからないので放置されがちです。
雀部 >  奥様が魔女だったら、それをネタに小説が書けますね。あ、ノンフィクションになるのか(笑)
 それと、お話から、作家になりたいという強固な意志を感じるのですが、それはいつ頃からそう心に決められていたのでしょう。またその理由もお聞かせ下さい。
円城 >  作家になりたいとか賞が欲しいとかいうのは、真顔で言うと、こいつは大丈夫なのか、って話になるので、強い意志は特には。いわゆる作家を志望している人は数万人いるとか言うじゃないですか。そんな巨大な数の中で、自分は明らかに素晴らしいと信じ込むのはどこかおかしい。雑踏でふと前が空くこともあるので、とにかくそういう場にい続けるのが前提というだけで。空腹と待つことに耐えられれば全てのことは叶う。
 現実的な話としては、そろそろ大学にもいられなくなりそうなので、何かしなきゃなあというときに、持続できることが書くことだけだったという。明らかに間違った選択なんですが。なので、唐突に、淡々とです。百枚以上書いたのは黄色い奴が初めてですし。
 ゴドーを待ちながら、みたいな状況でしたね。来るといいなあ、でも来ないよね、と。
雀部 >  受賞発表の待ち方も、“不条理劇風”であったと(笑)
 芥川賞がらみの新聞記事で、円城さんのコメント――小説は機械的に書けるはず。内面はあんまりないんです。――を読んだのですが、これは小説を書くことには苦労しないということなのでしょうか?
円城 >  いえ全然。書けるべきである、はずはない、にも関わらず、みたいな話です。
 一つには、円城塔という名前を金子邦彦さんの小説に出てくる、小説生成プログラムからもらったこともあって、機械が書いているんだから、そりゃ機械的に書いているはずというのはあります。
雀部 >  あ、やはり苦労はされているんですね。
 SFマガジン('07/7)掲載の大森望さんとのインタビューに、“ペンネームは、金子邦彦さんの短篇「進物史観」に出てくる物語生成プログラム《円城塔李久》です。”とあったので、慌てて「進物史観」が入っている科学エッセイ『カオスの紡ぐ夢の中で』を買いました。
 この中に、“ひょっとして物語というのは、複雑系研究の方法として人類が産み出した、最高の手法なのではないだろうか”とあって、妙に納得しました(笑)
円城 >  納得はできても意味はよくわからない(笑)
 小説を書くためのテンプレートみたいなものがあるというのとも少し違って、そういう風に書ける小説は確かにある。でもそれは少数で、他は何だかよくわからないやり方で書かれている。何だかわからないとかいっても、たかが人間のすることなので、手法として切り出すことは出来るだろうと思っていて、それが、機械的に書けるはずであるという気分ですね。
雀部 >  確かに、意味はよくわかってません(爆汗)
 その、コンピュータが生成する物語の進化(生成プログラムの進化?)を複雑系の観点から書いたのが、「進物史観」ですよね。こちらの場合は、進化を始めてからは人間の手は入ってないようですが。
円城 >  他人の進化に口は挟まないという感じでしたね。
 黄色い本に出てきた巨大知性体には、進化はさせないと決めていたので、進化という表現は使わなかったはずなんですが、煽りに進化と入っていました(笑)。
 ポケット・モンスターあたりから、進化と進歩が結びつくのがまた一般的になってきている感じがして、ちょっと。
 機械的にといっても、手法を見つけて量産するということではなく、確定した手法はつまらないので、捨てながら別の方向へ進むと。確定させないとどこから逃げていいのかわからないので、手法化できる部分はしておく。そういう意味では、進物史観の円城塔とは方針が違いますね。奴は遺伝的アルゴリズムなので。
 実際のところは、既に鋼鉄の浜辺に打ち上げられてしまっているので、進化とか呑気なことを言っていられない。
 ここまでは割と普通の話なんですが、そうやって進んで行った先に、機械じゃないものは残るのかというのに、楽観的な部分と悲観的な部分があります。
 結局、全貌は機械に埋め尽くされている、と何故か感じますね。なのでやっぱり機械的に書けるはずである(笑)。その場合の機械って多分、機械じゃないのですが。そして残されているかも知れない内面の方も、多分もう内面とかじゃない。
雀部 >  そこまで進化すると、機械と人間の境界が曖昧になってくるということでしょうか。
円城 >  進化ではなく、考えを突き詰めていくと、でしょうか。
 機械化をひたすら進めていくと、機械ではないものが残るか残らないかの二択であるとするのが正気なんですが、機械化とかいう前提を保持できなくなるような仕組みへ突き当たるのではないかなあと。何の根拠もないので、ただの気分ですが。そういうものを考えるのが好きなんですね。
雀部 >  エスカレーションですね。SFは、とかく極端な設定が至上とされるから、そういうのはコアなファンには喜ばれます(笑) 『SRE』に出てくる巨大知性体も、もはや機械じゃないですね。人間でもないけど。
円城 >  丁度いいところでは止まれないといいますか。
 両極端をおさえようとして、でも極端なあたりはとても不明な領域なので、なんだかわからなくなる日々です。
 巨大知性体は……なんだかただそうしているもの、ですね。設計方法とかがわからない。抽象物なのかと思ったら、歯車落としたり。大きいんだろうなあと思ったら浜辺に転がってたり。
雀部 >  さて『Self-Reference ENGINE』なのですが、なんでこの本だけ黄色なんでしょう。
 紫のシリーズが終わって、今度は黄色のシリーズかなと思っていたら、また紫に戻ったりしてるし(笑)
 直接、塩澤さんに聞いた方が良い質問だとは思いますが……
円城 >  塩澤さんとは、かなり朴訥な会話を繰り広げさせていただいてまして、
 「黄色にします」
 「はい」
みたいな。
 「何で五周年記念なんですか」
 「五周年だからです」
とか。
 この間は、
 「……はい」
 「……はい」
 「……はい」
とかいう会話がありました。
雀部 >  そうだったんですか?
塩澤 >  「……はい」
雀部 >  むむ〜っ(笑)
 『SRE』の帯で神林長平先生の推薦の言葉“かのオイラーの等式を文芸で表現してやろうと企画したのではなかろうか”があり、余計に何のことか分からなくなった読者(私だ^^;)も居たに違いない(笑)
 飛浩隆先生の“無数のソラリスの海が語る、愚にもつかないバカ話”のほうがSFファンにはしっくりくるだろうなぁ。特に、巨大知性体に関する話のパートは、レム氏の「『ビット文学の歴史』第一巻」とか「『GOLEM XIV』」(両方とも『虚数』収録)などを連想させますよね。
円城 >  お二人には非常に巧妙に煙に巻いていただきました。
 レムは明らかにおかしい人なのですごく気になりますね。どうするとああいう生き物になってしまうのか、仕組みが見えない。
 ヴォネガットもそうですが、心優しい皮肉屋がやっぱりどうしても最終的に悲観に沈んでいくというのは、それ自体罠なのではないかという気もしています。その罠からは逃げたいです。
雀部 >  円城さんにも仕組みが見えないということは、やっぱりレムは凄いのかと(爆笑)
 あと、巨大知性体同士の闘いの描写は、石原藤夫先生の『宇宙船オロモルフ号の冒険』を思わせるところが。何が書かれているか分からないけど、なんか凄いらしいところ(笑)
 “複素関数 f(z)の特異点には、極と枝点と真性特異点が存在しますから、"敵"をして、中心座標に真性特異点を作らせたということは、すなわち"敵"を自己矛盾におちいらせたということです”(『宇宙船オロモルフ号の冒険』より) う〜ん、そうなんだろうなぁ(汗;)
 雰囲気的には、石原先生の小説は、円城さんというより金子先生の「進物史観」に似ていると思いますが。
円城 >  茶化し方の出てくるところが違う気もしますね。
 真面目から茶化す方へ行くか、茶化すことしか出来なくて真面目とは何なのか考えるか。出発点が逆な感じが。
 複素関数だと何でしょうね。解析接続君が接続できずに悩むとかですかね。接続できないのに何故俺は解析接続なんだ……みたいな。
雀部 >  えとですねぇ、SFファンの常として分類好きなんですが、いかにも科学者の書いたSFとしては、セーガン氏とかフォワード氏の本があげられると思います。石原先生や金子先生の本はそれと同じニオイがするんですよ。円城さんのは、明らかに違う。
 ラファティ氏が“いっちょ、ワシもハードSFを書いてやろう”と書いたような感じかも(笑)
円城 >  研究に対しても、そういうものがあるそうですのう、みたいな態度だったのが敗因だった気がします。
 そしてラファティを読んだことがないという。
「つぎの著者につづく」は、ラファティを読んだことがないというネタでもあります。
雀部 >  そうか題名が「つぎの著者につづく」であった(笑)
 読まれたことがないのにネタになるとは! 楽しみです。
 それと大森望さんとの対談でもあげられていた、北野勇作さんと作者視点で似ているかもというのは私もちょっと感じました。登場人物視点から言っても、何かとても重大な変化が起きているのにも関わらず、みんな割と平気であまり気にしてないところとかも。
円城 >  あんまり大変すぎると、気にできなくなるものです。気にしていられないとも。そういう状況に感じる可笑しさというか戸惑いというかがありますね。
 実は今現在、重大な変化が起こっていて、自分はそれに気づくことができないだけなのでは、というのが自分としては自然な感覚なので、登場人物が何かに気づかなくても、そうだよねえ、と(笑)。
雀部 >  いえ、普通そういうのはアイデンティティの喪失につながってるんで、主人公は悩みおびえるものと相場が(笑)
 『SRE』の最初のシーンは、リタという女の子を巡る恋愛譚「Bullet」で幕を開けるのですが、「Boy's Surface」も「Your Heads Only」も恋の話の一面を持っているということは、円城さんはひょっとして恋愛至上主義なのかも。
 お話としては、凄く好きでわけ分からないけど、切ないぞ!という。
円城 >  流石に誰も色恋沙汰に走らないのもどうか、とか。
 「Boy's Surface」は、「あなたの人生の物語」に拮抗せよという指令で、あんな巨大な情感にぶつけられるられるものを、色恋くらいしか思いつかなかったんですね。
 「Your Heads Only」は、指令が、i) 日本で、ii) 現代で、iii) 恋愛物だったので、そのまま。それでああなってしまうのはおかしいのですが、まあそういうものです。
 恋愛要素を入れた方がよいというのは、打ち合わせの時に大概どこでも言われます。
 「いや……それは向いていないんじゃないですか」
と素で返してくれたのは、今のところ文學界の担当さんだけで、文藝春秋は何か大きなものを守ろうとしている! と、大変に感動したりしていました。
雀部 >  ちょっとリアクションに困るなあ(笑)
 円城さんの恋愛に対する描き方を読むと、色恋って、初期条件さえ入れてやれば方程式が出来てそれさえ解けば万事OK、ということになぜならないんだという想いと、やっぱり恋愛って人間にとって特別なものだよなぁという感慨がせめぎ合っている感じがします。
円城 >  いえ、犬猫のようにただすればよい(笑)。奴らもなかなか複雑ですけど。むしろ人間様だからあれだと思えてしまうのは嘘っぽくて、何かそれらしい理屈が上滑っているだけなんじゃないのという。自然に流れているものは事実として先にある。でもそれに対する把握は決定的にずれる仕組みがある、という感じです。
 人間にとっては特別なものでしょうね。なくても別に生きていけると実証し続けるような日々なんですが。
雀部 >  若い時期には特にそうでしょうね。まあ無くても生きてはいけますが、生きている価値が薄いといいましょうか(笑)
 十八章の作風がバラバラなのは、どれか読者のお気に召すものが含まれているだろうという目論見だったとありましたが、それだけでしょうか。
円城 >  全体の把握は今やできない、という感覚が強くあります。
 今の科学はデータベース型科学にのっとられていきつつあって、ただ実寸大の地図をつくっていく作業みたいになっているところがあるんですが、それだけだと、なんだかもうどうしようもない。収集は勿論必要で大前提なんですが、収集してみたものを統一的に把握しようという勢力がどんどん力を弱めている。全貌把握はできるはずがないんですが、把握しようという方向性自体が消えてしまうことはとてもまずい。物体がなくて法則だけがあるようなものです。もしくは逆。
 バラバラなのはただの事実なのでそっちに文句を言ってもしようがないし、人間がここまで増えることができた対価でもある。それでも立ち止まっているとバラバラに呑まれてバラバラになって終わりなので、有効な道は示せないけれど、とにかく生き延びて進んどけというあたりでしょうか。
雀部 >  そこで一歩引いてルールのルールに想いを馳せるのでしょうか。
 では、あの巨大知性体たちのあまりの人間くささは何でしょう?(笑)
 まあコンピュータ同士の通信をそのまま書いたら理解できないので、人間ぽくしているというのはあると思いますが。誰でも思いつくのは、そもそもが巨大コンピュータ内の仮想現実空間で起こったことだからという設定かな。
 も一つ思いついたのが、巨大知性体=実は人間、で、人間だと思われていたのが、人間をシミュレートしたプログラムを走らせている巨大知性体とかありますか(笑)
円城 >  人間の目で見えるのは人間である、と。それにしてもってところがあるんですが。
 ロボットにサッカーやらせたり、犬型のロボットをペットにしたりする感覚がどうもわからなくて、ロボットは別にそんなことはしたくないし、興味もないだろうと。奴らには奴らの何かがあるんだろうけれど、そこのところ気にする人はどうも多くない。単純なビジュアルそのままの勝利ですね。サッカー・ロボットは別にサッカーをしているわけではないでしょう(笑)。そう見えてはしまうけど。
 そういう感じで、黄色い本で書けたのはやっぱり人間の認知過程に隷属したロボットなのだなあと思います。だから奴らとしても落ち込んでいく。人間はわかってくれない(笑)。
 どちらがどちらをシミュレートしているというのではなく、そういうものが出てくる前段階、もしくはぐちゃぐちゃになった後、ですね。そこに石があるから石があるんだというのは正気なんですが、それは人間という構成をもったものの正気にすぎない。石ころを見て、あ、石だという表明がなされるまでには、膨大な過程が存在していて、それらが何かの一貫性を持てる形をしているために、安定なものとしてとりあえずのところ流通させうる。
 興味のあるものが、既知のものの利用や適用であるよりは、法則を含めた生成消滅の背後なんですね。あると言ってはいけないし、ないと言うと、人間として負けた気がする(笑)。何もないが訪れてはいけないし、何かが街をやってきてはいけない。そこのところ、みんなでなんとかしていこうよ、というのが一番素朴な気分だと思います。
雀部 >  あ〜、やっと分かりかけてきました(汗;)
 石が石であるのは人間が認知しているからで、石自身には関係ないですよね。石は、いや俺は石ではなくて別のモノだ!と思っているかも知れないけど、まあ人間のあいだだけでは石であるということにしておこうと。で、この石を石として人間に認識させている何らかの働き(力とか法則とか)があるはずなんだけど、それがあるなら知りたいし、みんなも興味を持って欲しくて小説を書いてらっしゃると。
円城 >  そういうところに興味を持つと、人生不幸になったりするのであんまりお勧めはしないです。ただ、自分がもてないのは他の人の見る目がないからだという無茶苦茶さは割と好きなので、力になります(笑)。普通は、お前の方が変われって話になって、そっちが正気です。
雀部 >  そういうところに興味を持つのがSFファンの醍醐味でもありますよね。
  『Self-Reference ENGINE』のなかで、特に好きなのは「Bullet」「Tome」「Japanese」「Infinity」「Echo」あたり。なんとなくわかった気になれる(笑)
 浜辺に半分埋まった知性のある金属の塊のイメージ、SFファンの琴線に触れますねぇ。バラードが書こうとしたという「浜辺に寝転んでいる健忘症の男が、錆びた自転車の車輪を前にして両者の関係の究極にある本質を見出そうとしている」シーンを思い起こさせます。
円城 >  ありがとうございます。
 そういうシーンまで辿り着きたいですね。ただそこへいきなり行くことはできなくて、様々基盤の整備は要ります。バラードの発言だから感銘を受けるんですが、突然言い出すと、薬やってんじゃないの? ってなりますよね(笑)。何十年か待って頂ければと。
雀部 >  いや、円城さんならもう許されるんじゃないかと。
 さて、mixiにある円城塔さんのコミュニティの参加者から質問が届いております。
かなぴ >  SFよりも面白いと思った自然科学系の論文とかあれば、教えて下さい。
円城 >  何はおいても Otto E. Rossler ですね。全てが変(笑)。
 他は、
"Folding Paper and Thermodynamics", Mendes France, Michel, Physics
Reports, Volume 103 (1984), Issue 1-4, p. 161-172.
"Reliable Cellular Automata with Self-Organization", Gacs, Peter, J.
of Stat. Phys. vol.103 (2001), no. 1/2, 45-267
"Chaotic strings and standard model parameters", Beck, Christian,
Physica 171D , 72 (2002)
"Renormalisation of curlicues", M V Berry and J Goldberg,
Nonlineraity, Volume 1, Number 1 (1988)
とかですか。順に「折り紙統計力学」「ノイズなんて怖くない」「宇宙のパラメータは、谷」「繰り込みカオス」ってとこです。
 以前の同僚に普通すぎると怒られそうですが。
ハヤシ >  一体、どのように書いているのかが知りたいと思ってます。
 見取り図は作っているのか?
 資料は横に置いてなのか?
 とりあえず最後まで行って戻ってきているのか?
円城 >  プロットというものを事前に提出したことがなく……。
 "Boy's Surface""Your Heads Only" はこんなの書きましたが。
 これはプロットなのか、という。
 他社の編集さんに、こんなのなら書けますが……と見て頂いて、
 「それはいらない」
と言われました。
 ノートを見ても、図形とか割り算とかしか書いていなくて、自分でも可笑しいです。
 変な図に、ロンドンとかフランスとか傍書きされている(笑)。

 家では全く作業ができないので、喫茶店でしか書いていないのですが、仕方がないので資料は鞄に。場合によっては大変なことになってます。
 大概、あんまり資料が必要な話でもないんですが。

 お話を頂くときに、まずあると有難いのが枚数で、以下、行数列数、お題、テーマだったりするんですね。枚数を割って、なにかに割り振り出来るかなという目算をつけて、あとは淡々と先頭から埋めていくとやってました。
 最近は色々試しているので、ばらばらに書いたりもしてみてます。並べてみて、最後に均す。
 置き方を決めて、書き方を決めて、その枠内で作業するというタイプなんだと思います。そのうち、枠を決めないという枠を決めます。
雀部 >  小説の書き方も、小説のような気が(笑)
 SFマガジンのインタビューでは、好きな小説としてフィリップ・ソレルス『秘密』、ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』、スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』、ジョン・ヴァーリイ『スチール・ビーチ』をあげられていましたが、他にSF系でお好きな本はございますか?
円城 >  やっぱりレムの『虚数』と『完全な真空』になるんでしょうか。
 それとリチャード・パワーズの『ガラテイア2.2』。
 ピアズ・アンソニィのザンス(『夢馬の使命』くらいまで)……はSFか微妙ですね。
 ケリー・リンクはSFマガジンに載ったので、SF(笑)。
 火星以前のグレッグ・ベアとか。
 あんまり正確な数値がどうとか、近未来くらいで実現可能かとかは気にならない方なので、いわゆるハードSFは思考としてハードなのかよくわからないところがあります。ひたすら続く摂動計算みたいな感動はありますが、それはまあとてつもなく大変だけど出来ることだという気がなにとなく。
 ヴァーリィは、欣喜雀躍化とか言い出して、適当すぎるところが好きです。
 ルーディー・ラッカーは、もう少し踏み込んでくれれば面白いのにと。
 グレッグ・イーガンに対しては、そんなにいつまでも独りってどうなのよと思うところがわりとあって、テッド・チャンは内容と構成を合わせてくるので、安心できる感じがあります。
雀部 >  そういえば、ケリー・リンクの『マジック・フォー・ビギナーズ』の評を拝見しましたので、早速注文を入れました。
 芥川賞候補作の諏訪さんの「アサッテの人」と川上さんの「わたくし率イン歯ー、または世界」も読んでみたのですが、円城さんの「オブ・ザ・ベースボール」以上に変(笑)
 「わたくし率イン歯ー、または世界」は商売柄とても興味深かったんですけど。
 まあ、SF者ですから、一般の人とは違う読み方をしているとは思いますが。あ、一般じゃなくて選考委員の方と読み方が違うのかな(笑)
 それはともかくとして、“非リアリズム系小説”の波が来ている感じですので、ぜひ円城さんには、この機を逃さずに芥川賞を受賞して頂きたいと思います。
円城 >  諏訪さんのサイン会に行きそこねまして。川上さんのには行けたんですが。
 野球はそのまんまなので、自分ではそんなに変ではなくて、変にしないように気をつけたらあんな感じにずれていってしまいました。
 興味の方向はリアリズムを曲げるというか、現実の方を曲げてしまうことなので、実はリアリズムをこちらへ向けようとしている(笑)。
 そのあたり、困ったリアリズムを書く人がもっといてくれると楽ができていいなあとは思います。
 賞は本当に、頂ける頂けないで悩むようなものではないので、とにかくまず、向こう数年を生き延びることだけを考えていこうと。
雀部 >  では真摯にリアリズムを追求したとても変なねじれた小説を期待しております(笑)


[円城塔]
1972年北海道生まれ。2007年「オブ・ザ・ベースボール」で第104回文學界新人賞受賞
http://self-reference.engine.sub.jp/
[雀部]
数学方面がだらしのないハードSFファン。まあ 『Self-Reference ENGINE』そのものは、それほど数学的な才能を要求してくるわけではないですが……(汗)
[かなぴ][ハヤシ]
mixiの[円城塔コミュニティ]参加者の皆さん

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