雀部 |
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ギュームって思い出せなかったんで、『石の花』読み返してみました。そうかあのじいさんかぁ。しかし、傑作ですね。全然古びてないし。 |
仮面次郎 |
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『石の花』のギュームに匹敵する究極の悪役をいつか描きたいという瀬名先生の野望をうかがって、自分の人生のなかにその悪役の誕生を待つ楽しみができました。たしかギュームって、それほど登場頻度が高くなかったと思うんですが、あの得体の知れぬ底知れない存在感はいったいなんだろうって感じます。 今からさせていただく質問も存在感ということと無関係ではないかもしれませんが、瀬名先生は、重力に対する感覚が鋭敏で、ロボットの本当の重みを実感したときロボットアニメの間違いを悟ったり、リアリティたっぷりのCG映画が重力をおろそかにしているのを気にとめたりなさっていますよね。『デカルトの密室』でもロボットの重みに関する記述がありましたし、『エヴリブレス』でも確かバーチャル世界の重力に意識を向ける描写があったかと思います。そうした重力へのこだわりについてお聞かせください。 |
瀬名 |
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ヒト型ロボットって、間近で見るとすごく重みを感じるんですよね。古田貴之さんの小型ヒューマノイドが空手の動きをするのをはじめて見たとき、空気の音がしたような気がして、「ああ、いままで見てきたアニメのロボットとはぜんぜん違うんだなあ」と思いました。ホンダのASIMOといっしょに歩いたこともありますが、すごく踏ん張っているのが伝わってきて、ちょっとこっちに倒れてきたら怖い。ぜったいに枕元に立ってほしくないと思いました(笑)。ASIMOはふつうの大人とそんなに重量が変わらないのに、とてもふしぎです。 ところがロボットのシミュレーションをモニタで見るとき、あの重力感が消えているようで、よく違和感を覚えます。東大の中村仁彦先生のような研究があってもなお、バーチャル世界のロボットはあまり重そうに思えない。たんにぼくたちの慣れの問題なのか、もっと深い理由があるのか、どっちなんでしょうね。いま仲間の研究者たちとあたらしいロボット・プラットフォーム(ヒトやロボットがいっしょに社会的な活動をおこなえる研究用バーチャル世界)をつくっているんですが、そこでは重力感をうまく入れ込めるといいなあと思っています。 そういえば『サイエンス・イマジネーション』の装幀をお願いした鈴木一誌さんと以前に対談したとき、「瀬名さんの小説は歩く描写がたくさんありますね。付箋をつけたらこんなに本が膨らんでしまった」といわれて、はっとしたことがあります。歩くときの感覚が、重力感につながっているのかもしれません。そんな鈴木一誌さんには『重力のデザイン』という御著書もあって、ぼくの『エヴリブレス』では主人公がその本の背表紙を見るシーンがあります。 |
雀部 |
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まさに『エヴリブレス』の冒頭はどこまでも歩いていくシーンですし。 重力については『ハートのタイムマシン!』に宇宙飛行士の毛利さんとの対談が載っていて、そのなかで細胞レベルで重力を感じているのではないかという仮説が出てましたね。 話が戻るのですが、看護学といえば『境界知のダイナミズム』の中で、看護婦と患者さんの間に存在する一回性のコミュニケーションを例に挙げて、実証主義(量的研究)に対して解釈学的/記述的アプローチを標榜する「質的研究」(Qualitative Reserch)のお話が出てきてましたね。看護職者の間では、実証的手法と質的研究によるアプローチを使い分ける時代になったというお話は、医療の端っこに位置する私にとってとても新鮮でした。小説を書かれるときに、題材によってそういうアプローチの使い分けとかを意識されることはあるのでしょうか? |
瀬名 |
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そうですね……。たぶん使い分けていると思うんですが、実は小説を書いているときはあまり自分を分析できないんです、なぜか。 『境界知のダイナミズム』を書いていたのは2006年で、その頃の小説というと『第九の日』に収録した短篇「決闘」です。これは「質的研究」の側に近いアプローチだったような気がします、いま思い返すと。病棟が舞台ですしね。ようやく『エヴリブレス』で量的研究と質的研究の両方のアプローチをひとつの小説のなかで使うようになったのかもしれません。それをやりたかったから〈BRT〉のような世界を導入したのかも。 |
雀部 |
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おっとそうだったのか。>量的研究と質的研究の両方のアプローチをひとつの小説のなかで使う 同じ『境界知のダイナミズム』で最初の方で取り上げられている、同質のものの間の微妙な違いである「違和感」と帰属の違いである「異和感」の話も面白いですね。これを読んで、SFは小説の中でも特に「異和感」を楽しむジャンルなのではと思いつきました(笑) |
瀬名 |
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映画の『惑星ソラリス』と原作の『ソラリス』を違和と異和の違いから論ずる、という第一章の後半部分は、共著者の橋本さんとメールでやりとりしているときに出てきたアイデアです。原作の『ソラリス』は圧倒的な「異和感」を前にしながらも、主人公は最後まで「違和感」に踏みとどまろうとして、そこに希望を見出している、という部分。ここ、けっこう気に入ってます(笑)。そういえば、『SFが読みたい!』というムック本で『境界知のダイナミズム』に投票してくださった方が何人かいて、とても嬉しかったです。おひとりは、どうして自分がSFが好きなのかこの本を読んでわかった、と評してくださいました。 |
雀部 |
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確かに、あの『ソラリス』についての分析はけっこう明快で、自分にも「ソラリスの海」がわかりかける感じが得られて良かったと思います。 広島大学での講演をテキスト化した『シンポジウム・ライヴ 総合科学!?』の題を拝見した時、おお「総合科学!」と一人受けました(笑) SFファンには、ヴォクトの『ビーグル号』でお馴染みの概念ですから。 |
瀬名 |
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はい、ネクシャリスト(笑)。 このシンポジウム・ライヴ、最初のゲストスピーカーである阿部謹也先生のお話がすばらしかったです。間近で聞いていてぞくぞくしました。ぼくはその直後の講演だったのでけっこう緊張しましたね。 |
雀部 |
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フーゴーに始まって、ヘーゲル、親鸞まで論じてらっしゃる。“歴史とは自然というものを脱ぎ捨てることだ”という一文は、まさにその通りだと思いました。 この中で「一人総合科学」と「共同総合科学」の概念が登場してます。瀬名先生のパートでも、多くの人が実は「総合科学」の一員であると看破されてますが、SF作家というものは、特に「一人総合科学」者であることが必要ではないかと思いました。小松左京先生なんかは、まさに元祖一人総合科学者です(笑) 瀬名先生も、小松左京先生と同じく一人総合科学者の道を歩まれていると感じてますが、様々の分野の科学者との対談を通して、あこういう見方もあったのかとか、このアプローチのやり方とあの手法を組み合わせると斬新な小説が書けるなあと感じられることはおありでしょうか。 |
瀬名 |
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たくさんあります。科学者・技術者の皆さんは飲み屋での話がめっぽうおもしろいので(作家は酒席で自分の仕事の話をしません)、シンポジウムの後の打ち上げで盛り上がって、刺激を受けることもよくありますね。あとは直接の話ではなくても、続けて別の分野の科学書を読んで、「おお、つながっているじゃないか」と思うことも。 たとえば……、ぼくの共著作『ミトコンドリアのちから』は酸素とミトコンドリアの関係を軸に人間の生老病死をまるごと書こうとした本なんですが、海の向こうではニック・レーンというジャーナリストが『ミトコンドリアが進化を決めた』という本を書いていて、さらに古生物学者ピーター・D・ウォードの『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』は大気中の酸素濃度の変化が生き物の呼吸システムを変えてきたという話を形態学的に語っていて、さらに生化学者クリスチャン・ド・デューヴの『進化の特異事象』は有機化学の立場から生物の進化を考察して、ここではスノーボール・アース状態になったかつての地球が生物と酸素の関係に決定的な影響を及ぼしたという仮説も紹介されてます。酸素と生物の協調関係に注目することで、進化からぼくたちの病気のことまで語れてしまう。こういう「一人総合科学」の楽しみ方は大好きです。 小松先生の作品のおもしろさは、自分で小説とノンフィクションを書くようになってから改めて身に沁みるようになってきました。小松先生の域にはとても到達できませんが……まずはダジャレから見習いたいと思います(笑)。 |
雀部 |
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小松左京先生のダジャレは、今も健在です(笑) 『ミトコンドリアのちから』は、いま話題のメタボやダイエットなども取り上げられていいタイムリーな一冊ですね。ミトコンドリアについては、『ハートのタイムマシン!』の第一部「本当のミトコンドリアを誰も知らない」でも取り上げられています。科学解説書も多く出されてる瀬名先生ですが、その中で、この本の元となった『岩波高校生セミナー8 小説と科学 文理を超えて創造する』が、いままで出版されてきた本の中で一番思い出深い本と書いてあり、なるほどこれがノンフィクション作家としての瀬名先生の原点なんだなぁと納得しました。 この本の第二部では、小松左京先生の問いかけ「宇宙にとって文学は必要だろうか?」の考察に始まり、小説と科学の関係に迫られていて、最近作『サイエンス・イマジネーション』が小松左京監修・瀬名秀明編著であるのは、必然というべきでしょう。「第65回世界SF大会 Nippon2007」でのシンポジウムをテキスト化したこの本については、お聞きしたいことがいくらでも出てくる感じで困るのですが、一番の“売り”はなんでしょうか。 |
瀬名 |
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ずばり、科学者とSF作家が紡ぎ出すハーモニー(あるいはディスハーモニー?)です。登場する科学者・工学者の皆さんは最前線を走る方ばかりですし、小松先生を始めSF作家の皆さんからご提供いただいた短篇も力作揃いですが、そういったすべてが共鳴しあっているところがいちばんのポイントですね。 |
雀部 |
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SFファンなら避けて通れない本だと言うのは確かです(笑) |
仮面次郎 |
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なんだか、どうしても藤子先生にちなんだ質問が頭に浮かんでしまって恐縮ですが、『八月の博物館』は、映画ドラえもんの冒険物語を思い起こさせて、藤子ファンである私は非常に愛着をおぼえています。瀬名先生が映画ドラえもんの原作を書いたらどんなものができるだろうと夢想したりもします。 『八月の博物館』は、小学生の亨くんの冒険物語として面白く読めますが、この作品の場合、それだけでは済ませず、物語や創作の問題に悩む小説家のパートなども並行的に配置して、亨くんの冒険物語を相対化するってこともやっておいでですよね。亨くんの冒険物語に読者を没入させる試みと、その物語が虚構なのだと読者にわざわざ意識させる試みとが同時に行なわれていると感じるのです。そういう矛盾した物語構造といいますか、メタ構造のようなものを瀬名先生は意識的に作品に織り込んでいるような気がします。そんなメタ的な視点を持つようになった背景や、その視点とご自分の創作との関連について教えてください。 |
瀬名 |
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『八月の博物館』のクライマックス以降は、つまり『ドラえもん のび太の魔界大冒険』なんです。あのいったんエンドマークが出て、でもこれじゃあパラレルワールドの事件は解決しないからやっぱり話を続けよう、となるところ、リアルタイムで「コロコロコミック」を読んでいてびっくりしました。映画館でもあのシーンでは子どもも大人もみんな呆気にとられていましたよね。物語の魔術を見せつけられた瞬間でした。あのときのびっくり感がいまでも体に残っているのだと思います。 小説というのは結局視点を操作する娯楽で、視点というからには必ず読み手という主体がいます。ぼくは生命科学からはじまってロボットや人工知能の本も書いたりしましたが、つまるところ「生命」と「視点」をめぐる物語が好きなのだと思うことが多いです。 |
仮面次郎 |
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『のび太の魔界大冒険』のエンドマークの場面に接したときのびっくり感、という説明は藤子ファンである私にはすとんと腑に落ちます。物語がここで終わると宣言されたのにそれが撤回されてさらに続いていったことへの驚き、エンドマークで遊ぶというメタ視点の導入に対する自分の視点の瞬間的な揺らぎ… あのとき感じた、驚きに満ちた途惑いはずっと忘れられませんね。 これもまた『八月の博物館』関係の質問ですが、この作品の取材で、日本ばかりか世界のミュージアムについて徹底的に調べられたと思います。あまり知られていないミュージアムだけれど「ここは面白い!」「ここがお薦め!」というところがあったらご教授ください。 |
瀬名 |
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「仙台市地底の森ミュージアム」がお薦めです。2万年前の森の化石が発掘当時の姿で残されていて、その上をドームで覆って保存しているんです。ちょっと他では見られない光景で、知人が仙台に来たときは必ず連れてゆくほどです。 サボテンの大地をそのままミュージアムに仕立てた「Arizona-Sonora Desert Museum」や、錬金術師パラケルススも活躍した薬学発祥の地・バーゼルの薬学史博物館「Pharmazie Historische Museum Basel」なんかもあまり知られていないけれどおもしろかったです。 最近はパイロット免許を取ったので、海外で航空博物館に行く楽しみが増えました。ちょっと前には、ダラスの「Cavanaugh Flight Museum」というところに行きました。こういう飛行場に隣接しているちょっとした航空博物館が、海外ではいい味を出していますよね。格納庫に展示されている飛行機は、どれもエンジンの下にゴミバケツの蓋が置かれていて、エンジンから滴り落ちるオイルを受けている。つまりどの飛行機もすぐに飛べるよう調整されているわけです。それでダラスでは「AT-6 Texan」という往年の練習機に実際に乗せてもらいました。 |
仮面次郎 |
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「仙台市地底の森ミュージアム」ですか! 森の化石が発掘当時のままドームで覆われて保存されているなんて、時間的にも空間的にもスケール感のある景色でしょうね。それはすごく体感してみたいです。 景色つながりの話題になりますが、『エヴリブレス』の主人公、杏子は、15歳のとき目撃した「世界の果て」の景色をずっと大切に心にとどめていました。この場所は、瀬名先生が取材のなかで実際に見つけた景色がモデルなのでしょうか。それとも、瀬名先生が少年時代に目撃した原風景とか? |
瀬名 |
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大和郡山で主人公たちが見る「世界の果て」は本当にあります。昨年、取材を兼ねて実際に大和郡山を歩いていたとき、どんどん狭い路地に入り込んでしまって、気がつくと町の外れに出て、目の前が本当に世界の果てに見えました。 写生をしていたらふしぎな青年がやってきて、雲の描き方を指導してくれたというのも、実際にぼくが小学生のころにあった出来事です。こういう奇妙な記憶はいくつかあるんですが、ひょっとしたらどれも偽の記憶なのかもしれません……。 |
仮面次郎 |
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「世界の果て」は、瀬名先生が実際に目撃した景色だったんですね。私もどこかでそういう景色に遭遇して「世界の果て」を感じてみたいです。 もう一つ杏子に関することですが、杏子は講演をしながら「一語ずつ、会場に小さな言葉の贈り物を置いてゆくような気持ちで」って考えていますよね。これは、もしかして瀬名先生が文章を書くときの姿勢・意識と共通しているのかなって思ったのですが、いかがでしょうか。 |
瀬名 |
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杏子はストイックな女性ですが、決して冷たい人間ではなくて、そんな彼女があの場面で講演するとしたらどんな感じになるだろうか、と考えて描きました。『エヴリブレス』のなかではいちばん気に入っているシーンです。 自分自身の姿勢・意識はどうなんでしょう……。ちょっと自分ではわかりませんが、こういう講演をする女性には惚れてしまうだろう、とは思います(笑)。 |
仮面次郎 |
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私もこのシーンが大好きです。瀬名先生が杏子のような講演をする女性に出会えることを、ひそかにお祈りしております(笑) 『エヴリブレス』では、「蜻蛉(とんぼ)」「蜥蜴(とかげ)」「蝙蝠(こうもり)」「檸檬(れもん)」といったふうに動植物名の漢字表記がとても印象的です。こういう表記にこめた瀬名先生の思いは何でしょうか。 |
瀬名 |
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印象的と評していただいて、嬉しく思います。これは「重力」の話と関係しているのですが、主人公たちが見ている世界にいくつかの「重み」を与えたいなと思ったからでした。途中までは「トンボ」「トカゲ」のようにカタカナで書いていたんですが、変更しました。音だけでなく漢字として世界を認識するような小説にしたかったわけです。 |
仮面次郎 |
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たしかに動植物たちが漢字表記されたことで、これらの名前が私の意識の中に量感みたいなものをともなって、とどまろうとしてきました。 ここでまた藤子不二雄関係の質問で恐縮ですが、瀬名先生は何かのインタビューで子どものころ『ドラえもん』のオリジナルストーリーを描いたことがあるとおっしゃっていましたよね。どんなお話だったか憶えていらしたらお聞かせください。あと、『のび太の海底鬼岩城』公開時に「コロコロコミック」で開催された「ひみつ道具発明大会」で入賞なさってますね。そのときのアイデアがどんなものだったのか… これは今でも内緒なんでしょうか(笑) 当時は私も「コロコロコミック」によく投稿していまして、しのだひでお先生が塾頭をつとめていた『藤子不二雄のまんが入門』で入選して、自分の名前が刻印されたメダルとドラえもんバッジをもらったことがあります。 |
瀬名 |
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おお、それはすごいですね。 『のび太の海底鬼岩城』連載時に、「コロコロコミック」で「チャレンジ・ザ・ドラえもん」という企画が毎月おこなわれていました。毎回お題は違っていて、たしか第一回は映画のオリジナルストーリーの募集で、その後もオリジナルキャラクターとか、オリジナルテーマソングとか、6回くらいまで続いたんじゃなかったかなあ。ぼくは毎回応募していて、オリジナルソングも楽譜に書いて送ってました(いまでもメロディを憶えてます)。それでひみつ道具の回だけ入選して、藤子先生のサイン入りパネル時計をもらいました。この時計は、小学生のころ描いていたオリジナルのドラえもんマンガといっしょに、今年(2008年)10月1日から仙台市文学館の常設展示で飾ってもらっています。 ひみつ道具は、たしか『のび太の海底鬼岩城』にちなんで、水中で使える道具を2、3点イラスト入りで送りました。そのうちのひとつは「あわぶくストロー」というのでしたけれど、いま考えるとあまりいいアイデアではないですね(汗)。 |
雀部 |
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なんとマンガも書かれていたんですね。 で、「あわぶくストロー」とは、何に使う道具なんですか。 |
瀬名 |
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口で吹くと、ストローの先からいろいろ作用のあるあわぶくが出てくる、という道具だったような気がします。自分で泡の中に入って海中を移動できたり。うーむ、ふつうですね(汗)。 |
雀部 |
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ドラえもんの道具は単機能のものが多い気がしますが、「あわぶくストロー」は多機能タイプなので一つあれば色々役立つと思いますけど(笑) |
仮面次郎 |
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藤子先生のサイン入りパネル時計と瀬名先生が小学生のころ描いたドラえもんのマンガが仙台市文学館に常設展示されているんですね。先ほど教えていただいた仙台市地底の森ミュージアムもあるし、仙台へ行ったらミュージアム巡りで忙しくなりそうです。 開き直って最後にまたまた藤子先生関連の質問をさせてもらいますが、1982年元旦の朝日新聞で藤子・F・不二雄先生はこんなことを語っておいででした。(藤子不二雄名義で発表されたコメントですが、内容からF先生と推察できます) 「チンパンジーが、素手ではなく木の枝を使ってシロアリの巣をつつくことを覚えたように、生物の進歩とは、ある意味で、自分の本来の機能を延長したり対外化すること、といえます。ロボットの究極の目標は、人間の進歩の極限、つまり人間の機能すべてをそっくりまとめた形で、人間の外に作り出すことでしょう。といっても、そういうロボットは現実的に難しい。漫画だから自由に生み出せるんです。もちろん、人間のようであっても一カ所、どこか人間よりすぐれていて、しかも人間と違って悪いことをしないものでないと、意味はない。人間の身勝手な考えかも知れないけど、対等につき合える楽しい仲間を自分で作り出す。そんな夢を、私は漫画で実現したいんです」 ロボティクスを専門分野並みに勉強され、ロボットを主題にした小説やノンフィクションをいくつも書かれている瀬名先生が、25年以上前の藤子F先生のこの言葉に触れて、どういった感想を抱かれるのか興味があります。 |
瀬名 |
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この藤子先生のコメントは今回初めて知ったのですが、コンパクトにまとまったロボット論で、ちょっと驚きました。1982年というと「ロボット元年」からわずか数年後、まだ産業用ロボットが人間の尊厳を奪うかもしれないなどと議論されていた時期ですよね。一方では二足歩行ロボットの研究が各大学で活性化していた時期でもあります。藤子F先生はこのコメントのとき、どんなロボット研究を思い描き、ご自身の描いたどんなロボットを思い浮かべていたのか、とても興味があります。 いまぼくがこの藤子F先生のように、「そんな夢を自分の小説で実現したいんです」といい切れるかどうか、正直なところ自問してもよくわかりません。ケンイチくんシリーズはそれを目指していたのだけれど、途上で中断してしまいました。「小説で実現したいんです」といい切れる強さをぼくも取り戻さないといけないですね。仮面次郎さん、教えていただいてありがとうございました。 |
雀部 |
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さて、前回のインタビュー記事を見て、ぜひ私にも質問させて下さいと、らぱんさんからメールを頂きました。 では、らぱんさん、よろしくお願いします。 |
らぱん |
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よろしくお願いいたします。 瀬名先生の作品のロボットシリーズも大好きですが、エッセイやフランス文学のような「鶫とひばり(漢字)」に魅力を感じる主婦です。日々スポンジのように何でも吸収して行く子供をみていると、この積み重ねがその子の生い立ちとなり個人となってゆくのでしょうが、瀬名先生のお話を読んでいると<子供時代の大切な事>にあらためて共鳴させられます。そんなお話をお聞かせいただけること期待いたします。 実際の先生のエッセイ中にはホラー作家なのに、実は怖がりで、子供の頃は怖い話で泣いてしまった微笑ましいエピソードがあったり、時には「花火」の話が所々にちりばめられ、小説の中でもフランシーヌの父親の設定にも『花火好きだった…』等と書かれたくだりは、大好きで瀬名先生ご自身の魅力を感じます。これまでまだお披露目していない少年時代のエピソードや飼っていた動物の話、また、どうして『花火』にそんなにこだわるのかもお話しいただければうれしいです。 |
瀬名 |
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らぱんさん、こんにちは、どうぞよろしくお願いします。エッセイまで読んでいただいてとても嬉しいです。 花火はですね、子供のころ、夏になると祖父母の住んでいるアパートに親戚が集まって、安倍川の花火大会を見ていたのが記憶として残っているんです。ちょうどアパートの窓越しに花火がよく見えました。なのでぼくの花火体験は、60年代以降の典型的な日本原風景と結びついているんです。最近は花火大会に行く時間もなくて、かなり寂しいです。 ほかに子供時代のエピソードといえば……、小学生のころ、学研の図鑑を見ながら鈴虫を飼ったことがありました。隣に空き地があって、セイタカアワダチソウがたくさん生えていましたね。そこで鈴虫を採取してきたのでした。 工作が好きだったので、ヒマになると木材の切れ端をもらってきて、それでドラえもんのひみつ道具をつくってました(外見だけ似せて色を塗る。ダイヤルを回せるように細工する)。版画とか切り絵もやってました。年賀状は浮世絵に対抗して(?)十数色刷りの版画でした。 |
らぱん |
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ありがとうございます。先生のお答えは花火に限らず、どれも既にずっと前に小説の中でお答えしていただいていたような、そんな錯覚に捕われます。なんだか今こうして質問している自分ですら先生の小説の中に連れて行かれたような先生のそんな不思議さを感じます。先生の小説を読んでいると先生の少年時代とリンクしていて、そんな下地が私たちの中に出来上がってか別のレイヤー(先生の違うお話)に連れて行かれてもいつもどこかで繋がっている、そんな気がします。 年賀状は、す、すごいですね。そのアイディアもさることながら、版を十に分けること、十版彫ること、普通はどこかでくじけると思うのですが(やっぱり五版にしようとか)、少年瀬名先生のタダモノでなかったことを感じます。では、好きな音楽とか、アーチスト(美術とか)、食べ物とか、なぜ仙台を活動の場にしているかとかは。 |
瀬名 |
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好きな音楽は、ずばり007映画の歴代テーマ曲。あるいはかぐや姫、アリス、沢田研二(このへんは子供のころ、母の趣味でよく聞かされていた)。カラオケでうまく歌えるのは井上陽水の「少年時代」。うまく歌えないのはスキマスイッチの「ボクノート」。 好きな美術は、そうですね……。フィラデルフィア美術館は日曜の午後になると無料で入れるんです。なので家族でフィラデルフィアにいたとき、父親によく連れて行ってもらいました。いちばん身近なのは、ここに展示されていた絵画や現代美術ですね。 好きな食べ物は、もつ煮込み。 なぜ仙台が活動の場かというと、マンションを買ってしまったから。 |
らぱん |
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仙台にお住まいの理由がとてもいいですね(笑)。そういうのをきっと「縁」というのではないかと思います。生きていると、そういうことたくさんありますし。 エヴリブレスでは、主人公が初恋の人を生涯思い続けるお話ですが先生の初恋は? |
瀬名 |
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小学校のときの同級生で、学級委員。 |
らぱん |
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小学校の時の学級委員って私も分かります。私の場合女なので相手は男の子になりますが…。 エヴリブレスの杏子さん同様、今でも思い続けているのでしょうか。 何か思い出はありますか? |
瀬名 |
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実は、想い出の一部はすでにいくつかの小説へ(ちょっと変更して)組み入れているのです。 |
らぱん |
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そのようなお答え、予想してました(笑)。私の中においては、先生の恋愛に関する思い出の部分がエッセイやインタビュー中少ないような気がして、その部分だけ共鳴がやや弱かったのです。それでも、先生のお話にでてくる恋愛部分は、いつも<永遠の愛>が共通して書かれていると思わずにはいられませんでした。『エヴリブレス』はとても代表的ですけど、他もそう。何かで先生は「苦手の恋愛小説」なんて仰っていたのを記憶していますが、本当は常に永遠の愛が丹念に盛り込まれている、そんな風に思ってます。私だけなのかもしれませんが…。 ところで、『エヴリブレス』は親子3世代にわたったストーリーですが先生のご家族は実際どんなご家族だったのか、ご兄弟とはやはり鉱石ラジオなんかを作って遊んでいたのでしょうか? そのほかどんな遊びをしていましたか? 兄弟げんかはされましたか? |
瀬名 |
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妹がひとりいます。妹とのツーショットが小学館の「ぼく、ドラえもん。」創刊号に載ってます。一度も喧嘩したことはありません。 マンガを描くとき、妹にアシスタントをやってもらいました。消しゴムかけとか。 |
らぱん |
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素敵なご兄妹ですね。 妹さんをとても大切にしていらっしゃるのが伝わってきます。 一瞬「ゴッサマー・スカイ」(私のPC環境のせいで読めないのですが、)本文紹介の中にも妹をかばう「私」とあったのを思い出し、ますます読んでみたくなりました。 ところで、ラジオドラマのエヴリブレスの選曲には、なにか思い出があるのでしょうか? |
瀬名 |
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あの選曲は、Tokyo FMのディレクターさんたちといっしょに考えました。R35世代向けです。ベット・ミドラー、後で知ったんですが妹も聴いてました。 ラジオドラマの中で流せるように、ということで、洋楽主体で雰囲気のあるものを選んだんですが、一曲だけRADWIMPSの「オーダーメイド」という曲を入れています。たまたま小説を書いているときにこの新曲が出て、その内容が物語と共鳴しているように思えたので、咄嗟に取り入れたのでした。 |
らぱん |
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いつも先生の小説に出てくる女性はどこか似たところがありますが先生の理想の女性像なのでしょうか? 芸能人に例えると誰でしょうか? |
瀬名 |
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自分ではあまり自覚がないのですが……登場人物は似通っているのかもしれないですね。精進します。 芸能人にたとえると、って、よく訊かれるんですが、これ難しい質問で、なかなかパッと答えられないんです。芸能人は顔や姿というより、その人が見せる雰囲気や演技のうまさに注目するタイプなので、そうなるといっしょに話していて機転の利く人や、こちらが持っていない才能を発揮している人、周囲へ細やかな気配りのできる人が好きだということになりそうですね。 |
らぱん |
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ありがとうございます。こんなにたくさん先生に質問できるとは夢にも思っておりませんでした。先生の本を読んでいると子供の頃の事を懐かしく思うと同時に、子供にも自分たちの子供の頃よりも狭くなった今の社会の環境の中でいろいろな<不思議>に気づかせてあげたいと思わずにはいられません。 今日の先生のお話を聞いていると英才教育を受けて育ったのかと思いきや、子供の頃からいつもまわりの環境に共鳴し、工夫しながら自分のもの(個性)にしていった…。そんな気がします。余談ですが『サイエンス・イマジネーション 科学とSFの最前線』で小松左京先生のお話を読んでその日のうちに「A小学生新聞」の定期購読の申込をしてしまいました。このようなきっかけをくださった事にも感謝しております。 いつか先生にも小学生新聞の小説を書いていただいて、子供の頃の小松先生のような体験を今の子供たちに与えていただけますこと切に願っております。また、それができるのは瀬名先生だけの気がします。これからのますますのご活躍をお祈りいたします。本当にありがとうございました。 |
瀬名 |
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「A小学生新聞」、そういえば子どものころに読んでいました。ちばてつやさんの『ハリスの旋風』が再録されていたり、あとはどなたのマンガだったのか、とてもおもしろいSFマンガが載っていて、切り抜いて自分で製本していたことを思い出しました。 いまは「A中学生ウイークリー」に、月一回で科学本の書評記事を書いています。同じページには東大の教え子たちの科学エッセイも載っています。この書評連載を始めてから、書店で子ども向けの科学本コーナーによく行くようになりました。小学生向けの本はいろいろあるのですが、意外なことに中学生向けの科学書がないのですね。中学生くらいになるとSFを読み始めるのは、いい科学書が見あたらないからなのかもしれません。 「A小学生新聞」での連載、楽しそうですね。いつか自分も子どもを持つようなことがあったら、ぜひチャレンジしてみたい仕事です。こちらこそありがとうございました。 |
雀部 |
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らぱんさん、飛び入り参加ありがとうございました。 引き続き瀬名先生の大ファンである、ちあらびっとさんにもご登場願いましょう。 |
ちあらびっと |
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瀬名先生初めまして。よろしくお願いします。 先生の作品はいつも楽しみに読ませていただいております。HP等で新しい記事を見つけたりすると嬉しくて、一気に読んでしまったり(笑 きっと私は、『エヴリブレス』で杏子が、長尾先生の授業やシュレーディンガーの「生命とは何か」で得た感動と同質のものを、瀬名先生の作品に感じているんだと思います。人は、年齢に関係なく「少し不思議」なことに惹かれ、少し先の未来はいったいどんな風だろう?と思いを馳せるのではないでしょうか。 藤子・F・不二雄先生が作品についてのインタビューで、非日常を日常に引き寄せたかったと言うような内容で話されていて、それが強く心に残っているのですが、瀬名先生の作品にも、「不思議を」引き寄せてかみ砕いて、味わいながら、料理して仕上げる―と言うようなニュアンスを感じるのです。 小説を書く時の心構えなどは『ハートのタイムマシン!』でも言及されていますが、今一度、どんなことを一番に思って、作品と向き合われているのか教えてください。 |
瀬名 |
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ちあらびっとさん、こんにちは。よろしくお願いします。 目標とするものは作品によって違いますが、読者といっしょに次の地平線へ向かうようなおもしろさ、わくわく感を描くことができればいいなとはいつも思っています。飛行機に乗って地平線を眺め渡したとき、そこまで行ったらまた次の地平線が見えている。地平線というのは、物語の境界であったり、知能や情動のエッジであったり、永遠の憧れであったりします。そんなところへ読者の皆様といっしょに行ってみたい、という気持ちです。 ここ数年は、脳のさまざまな領域を刺激するような小説を書きたいと願っていました。ただ単純に泣いたり笑ったりするのではなく、せっかく持って生まれた脳をフルに楽しませるようなタイプの小説で、それを目指したのが『デカルトの密室』でしたが、この考え方はあまり受け入れられなかったようです。さまざまな脳を使う、というだけで、自分の脳を操作されるような、気味が悪いという感想を持たれた方が多かったようです。そんなつもりはなかったのですけれど。 |
ちあらびっと |
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一緒に地平線をですか ああ、そう言うのすごく嬉しいなぁ。 ところで、『デカルトの密室』は、気味が悪いと言う感想を持った方が多かったんですね(哀)。でもそれって視点を変えると大事な鍵かもしれない。 私は生物部だったので、実験室大好きだし、ホルマリンの匂いもへっちゃら、『BRAIN VALLEY』は脳のイラストのコピー片手に電車の中で読んでいたけど・・・。そう言うのって、生物とかに馴染みのない人たちには、やっぱり薄気味悪く見えてるんでしょうね(笑 でも、何かのきっかけで理化学に興味を持つようになって、色んな本を読んで調べるようになると、初めの頃の違和感が違って見えてくる。あの気味悪さって何だったろうってきっと好奇心も沸いてくる。そう思うと、最初に感じる違和感って、探求心の種になる可能性もあるわけで、だからきっと気味悪さも大事なんだと思うのです。 それに『デカルトの密室』は私にとって、杏子の「生命とは何か」と同じ、大切な出会い。どこにでも持ち込んで夢中で読みふけっていたので、しまいにはフランシーヌが夢に出てきて、「まだ 分からないの?馬鹿ね・・・」って(笑 感想と言えば、瀬名先生の小説は専門用語が多用されていて難しいと評する人がいる一方で、だからこそ面白いと言う人も居て、私はどうかと言えば、「少し難しい」からこそ、もっと知りたいという好奇心が湧いてくるのだと思っています。 読み終えた後に、更に関連したものを読みたくなる。これってとてもすごいことじゃないかと思うのです。 藤子・F・不二雄先生の作品も、ただ不思議だったり、こんなの出来たらいいなだけで終わらない。ワクワク感が読んだ後も続く。 この、ワクワクや仕組みを解き明かしてみせるぞって言う高揚感みたいなものが、科学への興味につながるんじゃないのかなと思うんです。 もっと拡大解釈すれば、瀬名先生が東北大学100周年記念機械工学セミナーで講演した「100年後のために、いまできること」にも通じていると思うのですが、 |
瀬名 |
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ぼくは講演のとき、「書店で隣の本棚に行くことも冒険だ」という話をするんです。趣味は読書という人でも、大きな書店に行ってすべての棚を隅から隅まで眺め渡してみた経験がある人はさすがに少ないと思います。趣味は読書といいながらたいていの人は限られた書棚にしか行かないんですよね。 でもぼくの本は幸か不幸か(笑)、いろいろな棚に置かれています。文芸、ミステリー、SF、新書、自然科学、社会科学、絵本。作家として金儲けするなら自分のイメージは絞った方が絶対に得策なので、これはあまりお薦めできることではありません(笑)。でも読者のうちほんの数人であっても、ぼくの小説を読んでミトコンドリアに興味を持って下さった方が科学書の棚に行ってミトコンドリアの本を手にとっていただけるのなら、ぼくはとても嬉しいんです。それって世界がひとつ広がったということですから、とてもすてきな冒険だと思うんですよね。先程お話しした、次の地平線へ、という感覚に近いんです。 |
ちあらびっと |
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「書店で隣の本棚に行くことも冒険だ」って素敵な言葉ですね。書店や図書館はワンダーワールド、みんな冒険家(笑 ミトコンドリアには魅了されましたよ。 「ママはミトコンドリアとラブラブ中」と冷やかされたくらい。 先生の小説を読んで、きっと私と同じ様に、夢中になった人たくさん居たと思います。「カオスの縁」とかも(笑 それから、次の地平線へと言う感覚、瀬名先生の作品を読みながらいつも感じるのが、一面のレンゲ畑に居て、「あっちのがいっぱい咲いてるよ もっと行ってみようよ。もっともっとずっとあっちまで」って、どこ迄も走っていくあの感覚なんです。思い浮かべた風景は違うけれど、きっと同じことだと思う。 空から見た地平線、その先に見えてくる地平線 素敵でしょうね。(ため息) 『エヴリブレス』は、読んでいて他の作品と違った印象を持ちました。 どの作品よりも空間(色や匂い音・感触など五感で感じる)がビジュアライズされていて、ものすごくイメージが鮮やかなんです。 そして、各科学的な説明は最小限に止められている。 これは、ラジオドラマとして書き下ろされた作品ということも関係しているのかもしれませんが、ある意味とても新鮮でした。 それでいながら、作中には、膨大な量の不思議が詰め込まれていて、しかもさりげなく散りばめられているし……。 杏子の生き方にある種の共感を覚えたのですが、それは先程、担当の方が40代の女性だとありましたので納得(笑 彼女が、BRTと共鳴を絶つ場面は、その瞬間 私は杏子だったかもしれません。 このBRTは、面白いですね。それに対する関わり方が世代によって違うのもまた興味深い。 瀬名先生の場合は、あの空間とどのようにつきあっていくのかも気になるところです。 |
瀬名 |
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ありがとうございます。『エヴリブレス』に関して、そういったご感想を直接いただけるのは嬉しいですね。作家という職業は、多くの方が想像していらっしゃるほどには、読者からのご意見やご感想に触れる機会がありませんから……。 ぼくなら、きっとあの世界で、いろいろな生物をつくってみると思います(そういうことが可能な世界なんです)。きっと、その時代に自分が抱く倫理観に縛られた生物しかつくれないでしょう。でも時代が変われば、ぼくの倫理観も世間の倫理観も変わって、生物も変わってゆくと思います。〈BRT〉世界でぼくがいちばんつきあってみたいのは、倫理の進化のあり方、人間らしさの変化そのものなんでしょうね。 実はこの〈BRT〉は、国立情報学研究所で実際にいま開発をしているロボットの仮想プラットフォーム「SIGverse」をモデルにしています。この研究にはぼく自身も関わっているので、現実と小説の両方で〈BRT〉をつくったことになります。現実の「SIGverse」のほうでは、ロボットとヒトのコミュニケーション実験を進めてゆく予定ですが、このような研究から「コミュニケーションの本質」みたいなものをつかんでみたいなという希望はあります。 |
ちあらびっと |
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いきなり心拍数が跳ね上がるような素敵なことを考えていらっしゃる(笑 私も、ディクソンが生み出した生き物をリアルで見てみたいとか色んな想像が膨らんでしまいました。 でも、Nllで、そうした仮想プラットホームの研究がされているのは知りませんでした。どきどきしてきました(笑(Nllでは、情報を幅広く発信してくれているのに英語が苦手だとつくづく損だなと思います。) それに、先生が言われる、BRT世界でいちばんつきあってみたいのは、倫理の進化のあり方、人間らしさの変化そのもの。このような研究からコミュニケーションの本質みたいなものをつかんでみたい。それは私自身の夢にも重なります。 BRTから少し話はずれますが、小説の後半には、ナノ技術を使った延命医療についても少し書かれていますね。エンハンスメントと医療に関する瀬名先生の意見ももう少しお伺いしてみたいです。 |
瀬名 |
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初稿段階ではもっとナノ医療のガジェットを入れ込んでいたのですが、人体改造がふつうにおこなわれる未来は気持ち悪い、と編集者に嫌がられまして、最小限の描写に留めました。 難しい問題なのですっきりと答えることができないのですが、北京オリンピックの水着の問題や、あるいはその後のパラリンピックを見ながら、スポーツ医療とエンハンスメントについての課題が今後はひとつの基準になるかもしれないと感じました。いま「新優生学」というものが台頭しているのだそうです。以前の優生学は国家が主導していましたが、いまは個人消費者が牽引する優生学。つまりひとりの消費者として、「自分でお金を払うんだから自分の欲求を満たすことがなぜいけないの?」というエゴのもとに進んでゆく優生学だそうです。このような新優生学に対して、レオン・カスらがまとめた報告書『治療を超えて』では、スポーツとエンハンスメントについて多くのページを割き、重要な課題として取り上げつつ、スポーツだからこその倫理面を強調して反論しています。スポーツはエゴだけで自己完結するわけではなく、必ず応援する聴衆がいますよね。その聴衆のエールがエンハンスメントに対して有効な倫理になる、という指摘もこのなかにあります。たぶんエンハンスメントに関する倫理が今後変わるとすれば、ぼくたちのエールのあり方が変わったときだろうと思います。 |
ちあらびっと |
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『治療を超えて』是非読んでみたいと思います。 私の場合、静岡大学の松田教授のエンハンスメントに関する講演記録に、新優生学の発展と医療の変容についてや、エゴやバータリズム等の倫理の問題などが解りやすく書かれていて、それを読んだのが興味を持つきっかけでした。 ところで、瀬名先生の小説の中で、例えば『ハル』では、敢て劣化を受け入れているロボットが、『エヴリブレス』には、最新のナノ医療を受けることに戸惑う杏子の姿が書かれていますね。杏子の戸惑いは、私の戸惑いでもあるんです。 これは「時代が変われば、ぼくの倫理観も世間の倫理観も変わって、生物も変わってゆくと思います。」と言う先程の先生の言葉に集積されていると思う。「倫理の進化のあり方、人間らしさの変化」の過程で、私たちがその現実とどう向き合っていくのか、自分の命をどう捉えていくのかと言う問いかけにも感じました。 エンハンスメントについては、確かに北京オリンピックの水着の問題がクローズアップされてから急に身近に感じる様になりました。その反面、大事なことだけど理論や専門書で理解しようとすると難しくて、仕切りが高いのも事実です。 でも、小説でなら一気にその仕切りを超えて身近な問題として捉えることが出来ます。物語と対話したり自分に置き換えながら、色々なことを気負わずに考えられる。 科学だとか医療だとかの専門的な領域にあるものと私たちを結ぶ担い手になっているのが、瀬名先生がつくり出す様な小説だと思います。 BRTに話を戻して、"Breath"の仮想世界を眺めながら、昔読んだ筒井康隆氏のタイムトラベラーや七瀬シリーズにあった、増え続ける近似世界の連なりを思い出しました。 BRTの世界では、いくつもの時系列が同時進行的に多チャンネルで存在してるのですよね? そんな複雑な世界を、瑞季たちはどんな風に捉えて、自分たちの日常と共鳴させているのでしょう。 |
瀬名 |
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きっと空気みたいにふつうに感じているのだと思います。でも世代が上がれば違和感が増えてくる。いまだって10代の人たちと40代の人たちではネットへの感覚が大きく違うでしょうが、100年後になったらそれこそ年齢が数歳違うだけで劇的に通信環境へのセンシビリティは変わっているのかもしれません。 変な話ですが、ときどきぼくは車に乗っていて、不意に世界が無数のレイヤーに区分されているような錯覚に囚われることがあるのです(笑)。窓の外の景色が、たくさんの透明な並行世界の積み重なりに見える……いや、本当にそう見えるというわけでじゃなくて、そんな気がするだけですが……、今後ロボットたちといっしょに暮らす未来がやってきたら、ロボットはこの社会をそんなふうに感じるのかもしれません。 |
ちあらびっと |
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ああ、確かにそんな感じなのかもしれませんね。環境の進化の加速度にどこまで自分は対応していけるのかって考えると落ち込みそうだけど(笑 不意に世界が無数のレイヤーに区分されている様に感じるって言うのは、実は私もあります。光が粒子になって落ちてくるような錯覚とかも(笑 勿論、私にしてもそういう気がするだけなんですけれど、 結構好きです(笑 『エヴリブレス』では、 共鳴がキーワードになっていると思うのですが、私たちの記憶はただ必要なことを覚えるだけでなく、その時感じたものを同時に取り込んで、共鳴してはじめて記憶(思い出)になっているように思うのです。 風の音だったり、草の匂いだったり、夕日の色だったり……。そんなことです。そしてそのどれかによって突然思い出されたり、それは、正確さに欠けた不確かなものかもしれません。そこが記録と異なっていると思うのです。 ロボットの心を考える時、デカルトの密室にもありましたが、そのファジーな感覚(感情)を彼らは果たして得られるか? そこも興味の尽きないところです。 感情と言うか、機械は思い出を作れるのか?と言うことです。それには やっぱりログオンでなく シンクロというものが鍵になってくるように思います。 |
瀬名 |
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一時期、クオリアという言葉が流行りましたよね。「瀬名さんはクオリアってどんなものだと思いますか」とあのころ講演会で訊かれたのですが、そんなときは「記憶のタグのようなものだと思います」と答えていました。 『エヴリブレス』で野下洋平がおこなった研究には、実はモデルがあります。NTTコミュニケーション科学基礎研究所の本吉勇さんたちの研究で、2007年に科学誌「nature」に載りました。これは写真の輝度を変化させるだけで、ぼくたちの感じる“質感”は変わってしまう、というものです。光沢や明るさも変わって粘土が水銀のように見えますし、石像が金属製に見えたりします。クオリアにはノーベル賞100個分の題材が詰まっていると誰かが主張していましたが、実はクオリアなんてパラメータひとつで簡単に操作できてしまうものかもしれない。それでも、私たちがそこに鮮やかな記憶を見出し、心に留め続けることは確かだと思うのです。きらきらとした記憶は、ストーリーというよりは断片ですよね。でもその断片を思い出すことで、私たちはストーリーを紡ぎ出せる。断片をストーリーにするとき、「共鳴」というぼくたちの心の働きはとても大切ではないか、そう考えながら書いたのが『エヴリブレス』でした。 いつか機械は想い出をつくれるようになるだろうか、いつか機械は物語を語れるようになるだろうか、というのは、ぼくにとって夢のある課題です。きらきらとした記憶は、その始まりになるような気がしています。 |
ちあらびっと |
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本吉勇さんの「質感の知覚」ですね。私も画像を見ました。あれは自分の目が信じられなくなります(笑 『エヴリブレス』を読んでいる時ずっと、陽射しの温もりとか草の匂い、風、雨や光や音。そうした事象がキラキラして見えた気がしたんですね。 で何とも言えない優しい気持ちになった。多分それは、「断片を繋ぎ共鳴させあいながら、ストーリーを紡いでいく」と言った瀬名先生の気持ちと共鳴出来ていたのかな。だったら嬉しい(笑 そういえば、ケンイチとユウスケやレナも、それぞれが一方通行的に与え合うのでなく、お互いを理解したい 共通点を見つけたい 一緒に感じたいと言った双方向のコミュニケーションをとっていますね。そうした関わりあいにこそ、共鳴とか煌めきが芽生えるのかもしれない、キラキラした記憶への一歩です。 『エヴリブレス』では、杏子の生き方に共感し、ある時は感情移入したりもしましたが、(シュレーディンガーの「生命とは何か」を見つけた時のうれしさ等も含め)、瀬名氏の作品では珍しいことで、今までは感情移入をする感覚はなかったのです。 寧ろ、対話しているという感じ。ケンイチは何を知りたいの? 何が見たいの? ハルは絶望を見たの? 希望を見たの? と話しかけている自分が居ます。で それが心地よい(笑 瀬名先生も小説を書きながら、話しかけたりしてます?ってこれはちょっと変な質問だったかもしれないです^^; |
瀬名 |
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いえ、とても重要なご指摘をいただいたと思います。 そうですね、もしかしたらこれまでは、ストーリーに話しかけながら書いていたのかもしれません。でも「決闘」や『エヴリブレス』では、キャラクターに話しかけていたような気がします。 ありがとうございます。 |
ちあらびっと |
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私は、今もふとした時に、例えば水族館の魚を見て、ケンイチだったらどう感じるだろうとか、花火を見ながらフランシーヌの心にこの音は響いていたんだろうかと考えたりします。先生の作品はジャンルを特定するのが難しいと言われていますけれど、私はさっくりとサイエンスフューチャーってことにしています。先生の作品は、こんな不思議もあるんだよ こんな景色もあるんだよ こんな未来もあるんだよって たくさんの扉があることを教えてくれて、橋渡しをしてくれる。とても素敵で刺激的なものです。 今回は、一方的な質問にも関わらず、丁寧に対話していただき、先生の思いの一端に触れることが出来ました。私にとって無上の喜びです。先生の作品を読んで感じたことと一緒に、きっとずっとキラキラした記憶になって残る。そうして私は、そのキラキラをおばあさんになっても誰かに伝えてると思います。だから、どうぞこれからも、たくさんのワクワクを載せて、次の地平線への旅へ私たちを誘ってください。 お忙しいところ本当にありがとうございました。瀬名先生のご活躍とご健勝を心からお祈りしています。 |
雀部 |
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私も同じように、キラキラを誰かに伝えたいと思っています。伝わるとうれしいな。 では仮面次郎さん、最後に一言お願いします。 |
仮面次郎 |
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先月号、今月号と私の質問に丁寧に答えてくださって本当にありがとうございます。 自分が投げた言葉に瀬名先生が反応してくださるというだけで大きな喜びでしたが、瀬名先生の言葉のひとつひとつが実に興味深くて、そこからさらなる思考や想像が広がって、精神的に豊かな時間をすごせました。 瀬名先生が藤子先生のファンだと知ってから、いつか瀬名先生と藤子談義を交わしてみたいなと(実現可能性は著しく低いと思いながら)夢想してきたのですが、その夢想がこの場で奇跡的に実現してたいへん幸せな気持ちです。瀬名作品と藤子作品の話題ならどれだけでも続けられそうな気がするので、いつか夢の続きがあることを夢想しつつ今後をすごしたいと思います(笑) |
瀬名 |
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こちらこそ、ありがとうございました。といっているうちに『T・Pぼん』の復刻版が出ましたね! お互いに刊行を喜びつつ、楽しみましょう(笑)。 |
雀部 |
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仮面次郎さん、らぱんさん、ちあらびっとさんありがとうございました。けっこうユニークなインタビューが出来たのではないでしょうか。 最後に、瀬名先生が執筆中の作品、近刊予定がございましたら教えて下さい。 |
瀬名 |
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いま、夕刊フジに未来医療エッセイ「イヴのみる夢」、産経新聞に最相葉月さんとの往復書簡エッセイ「未来への周遊券」、小説宝石に取材旅行と飛行機のエッセイ「大空の夢と大地の旅」を連載しています。 今年(2008年)12月、これまであちこちでしゃべってきたロボット論をまとめた本が出ます。櫻井圭記さん、法月綸太郎さんらとの対談も収録される予定で、最新のロボット論も100枚書き下ろしました。通して読むと私の個人史になると同時に、ここ10年ほどのロボット通史にもなるというしくみですが……、ちょっと密度が濃いので、一気に読もうとするとかなり疲れると思います。ぼちぼちと寝転びながら読んでいただければ。これでロボットの仕事は第1期完、という感じでしょうか。 で、小説はどうなっているんだ!とつっこまれそうですが(汗)、ずっと放置していた長篇小説『大空のドロテ』の書き直し作業に入ります。この書き直し作業、何度もやり始めては中断し、ということを繰り返してきたので、さすがにそろそろ何とかしないと。 このところテープ起こししたり、他の方の原稿をリライトしたり、オーガナイズしたりといった仕事が多かったんですね。ぼくは自分がコミュニティのなかに入ってしまうのがいやで、あえて作家らしくない仕事をここ数年は積極的に引き受けてきました。そういうことをやっていても小説家だよということをきちんと読者の皆様に提示して、それが未来の文芸活動につながることを次の世代にも示したかったんです。そのような人生の選択が失敗だったとは思いませんが、いまは自分ひとりで書く作業に戻りたいという気持ちが強くなっています。これから数年間は、小説をたくさん書いていきたいですね。 こちらこそ、とても楽しいインタビューでした。心から御礼を申し上げます。アニマ・ソラリスのますますのご発展を祈念しています。またどこかでお目にかかる機会があれば、ぜひお声がけください。 |
雀部 |
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これからたくさんの小説が読めるということですね。それは、実に楽しみです。 瀬名先生、お忙しい合間を縫ってのインタビュー、たいへんありがとうございました。 |