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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[kikuo]&[浅野]

快男児 押川春浪
『快男児 押川春浪』
> 横田順彌・會津信吾共著/秋山法子カバーデザイン
> ISBN-13: 978-4195793213
> 徳間文庫
> 580円
> 1991.5.15発行
 日本SFの先駆者記念作『海底軍艦』(明治33)で文壇に躍り出た押川春浪の生涯は、天衣無縫、波瀾万丈。キリスト者の父をもちながら野球に没頭して明治学院を落弟、生来の悪戯心ゆえの転校続き。だが早稲田に入るや矢継ぎ早に話題作を発表。酒を愛し、バンカラ精神に生きた春浪は、雑誌主筆に、作家活動に、野球振興にと八面六臂の大車輪、二十世紀の曙を駆け抜けた一代の熱血漢であった。日本SF大賞受賞評伝。

『押川春浪回想譚』
> 横田順彌著/装画―〈探検世界〉表紙より
> ISBN-13: 978-4882933229
> 出版芸術社
> 1500円
> 2007.5.25発行
 消えた幽霊船フレア号。火星人類との交信。人造人間の怪―。科学もまだまだ発展途上、世の中は不思議な事ばかり…。今日もまた、春浪邸で開かれる空想科学小説家達の座談会。次は一体どんな奇妙奇天烈な話が飛び出すのか? ミルクホール、活動弁士、マクワウリ、平野水等々、横田順彌ならではの、精緻な風俗描写が冴え渡る連作SF。
押川春浪回想譚

大笑い!東海道は日本晴れ!!〈巻の1〉
『大笑い!東海道は日本晴れ!!〈巻の1〉』
> 横田順彌著/ひこねのりおイラスト
> ISBN-13: 978-4774316543
> くもん出版
> 1200円
> 2009.12.12発行
 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に、横田順彌氏が新たな息吹を吹き込んだ作品。
 〈巻の1〉は、品川宿から府中宿まで。〈巻の2〉は清水義範氏、〈巻の3〉は小佐田定雄氏が担当。

『海野十三戦争小説傑作集』
> 海野十三著/長山靖生編/山田健二カバーデザイン
> ISBN-13: 978-4122043961
> 中公文庫
> 686円
> 2004.7.25発行
 海野が昭和12年から19年にかけて発表した戦争テーマの短編小説11編を収録。内6編が三一書房版『海野十三全集』未収録作品(「空襲下の国境線」「若き電信兵の最後」「アドバルーンの秘密」「探偵西へ飛ぶ」「撃滅」「防空都市未来記」)。
 他の収録作品は、「東京要塞」「のろのろ砲弾の脅威」「独本土上陸作戦」「今昔ばなし抱合兵団」「間諜中継局」。
海野十三戦争小説傑作集

日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで
『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』
>長山靖生著/小杉未醒筆装画(押川春浪「鉄車王国」口絵)
>ISBN-13: 978-4309624075
>河出書房新社
>1200円
>2009.12.30発行
 日本SFの誕生から百五十年、“未来”はどのように思い描かれ、“もうひとつの世界”はいかに空想されてきたか―。幕末期の架空史から、明治の未来小説・冒険小説、大正・昭和初期の探偵小説・科学小説、そして戦後の現代SF第一世代まで、近代日本が培ってきたSF的想像力の系譜を、現在につながる生命あるものとして描くと同時に、文学史・社会史のなかにSF的作品を愛を持って位置づけ直す野心作。

 前号の続き)
雀部 > そう言えば、第9回(1988年)のSF大賞は、『快男児 押川春浪』(横田順彌・會津信吾)ですね。これはかなり史実に基づいて書かれたものなんでしょうね。
長山 > あの本はとても優れた評伝で、お二人が分担執筆していた頃のことをよく覚えています。もちろん史実に基づいていますし、押川春浪の人物像や文体についても、お二人の息がぴったり合っている、とてもいいお仕事でした。
雀部 > 後書きで會津先生が、“芥川龍之介の短篇の中に、当時の教室の風景で、柔道部の生徒が、授業中に机の下に<武侠世界>を隠し読んでいる場面があった”と書かれてますから、その人気のほどが伺われます。
 『押川春浪回想譚』(2007年)の方も、かなり史実に基づいているんでしょうか?(笑)
長山 > 時代背景のほとんどは史実を踏まえて正確に設定されていますが、こちらは小説ですから、冒険ありSFありのエンターテイメントになっています。登場人物も実在の人物以外に、春浪の弟子の鵜沢龍岳のような架空の人物も出てきます。龍岳は実は横田先生が自身を投影してつくったキャラクターで、小説のなかで憧れと春浪と「共演」しているわけです。
雀部 > なるほど、春浪先生と共に八面六臂の大活躍、小説家の醍醐味ですねえ。
 横田順彌先生といえば、最近リレー小説形式の『東海道は日本晴れ!!』(巻の一 さらば、花のお江戸)を読みました。役に立たない天才―横田先生自称(笑)―の面目躍如かも(笑)
長山 > 久しぶりのハチャハチャとダジャレでしたね。実はあの三部作は、執筆依頼時には「SFにしないで下さい」という条件があったそうです。十返舎一九『東海道膝栗毛』の翻案なんだから、そういうものだろうということで、横田先生は約束を忠実に守ったのですが、出来上がってみたら他の二人は何とSFになっていたという……。あとから編集者から「そういうふうにお願いしておかないと、原作とは無関係になってしまうのではないかと思ってオーバーにお願いしたら、きちんと守っていただいて。すみません」というような話があったそうです。
雀部 > 端から見ている身としましては、それは大笑いですね(爆笑)
 大正時代になると、SFファンの間では有名な『三十年後』(大正7)が登場するんですが、この作品あたりは、明治の風潮から脱した作風と考えてよいのですか。
 著者の星一氏は、ショートショートの神様星新一氏の父上だから、SFが書けるのは当然という気もします(笑)
長山 > ある意味、「文学」のプロではなかったからこそ、明治的な文体から脱したものが書けたのかもしれませんね。薬が文明の進歩に役に立つというコマーシャル小説で、そういう意味でも新しいというか破天荒な作品です。大正期らしい「軽さ」のある作品ですね。
雀部 > 同じく昭和初頭には『現代ユウモア全集』という全集が編まれたそうですが、これも大正期からの流れなのでしょうね。
長山 > はい。昭和初期というと、歴史教科書には不景気とテロと戦争の時代という暗いイメージが強いですが、昭和一ケタ期の文化は大正モダニズム文化と地続きで、むしろ昭和初期のほうが開花・爛熟しました。『現代ユウモア全集』の書き手も、生方敏郎・堺利彦・長谷川如是閑・岡本一平・大泉黒石など、大正時代を代表するようなユーモリスト、風刺作家を中心に構成されており、さらには坪内逍遙、戸川秋骨などの名前も見られます。
 おなじく全集に名を連ねている佐々木邦・正木不如丘・高田義一郎・牧逸馬などは、昭和の書き手というイメージが強いですが、それは後々になってさらに活躍したからで、みんな大正時代からすでに人気がありました。
雀部 > 年号は異なるけど、文化は連続していたということですね。
 大正期の有名な作品としては、賀川豊彦氏の『空中征服』がありますが、神戸文学館で、神戸ゆかりの作家ということで、特別展示があったんですね(企画展 「賀川豊彦の文学 ──神戸・仲間たち・神の国」という企画。見られなくてちと残念)
 賀川さんは神(神の国運動)・文(ノーベル文学賞候補)・社(社会学、社会福祉)・法・政(労働組合論、普通選挙運動、 平和運動)・経(協同組合論、共済論、人格経済論)・理(宇宙論、進化論)・医(医療組合論、結核、トラコーム、 ハンセン病などへの取り組み)・教(幼児教育論)・農(農民組合、立体農業論)など、たいへん幅広い論及と実践活動をされた方なんですね。
長山 > 賀川はキリスト教社会運動家として、実践的に活動した人物で、中学時代から自らも神戸の貧民街に住みながら伝道活動を行っていました。労働運動に関わる社会主義者としての側面と、キリスト者としての寛容・仁愛の精神を併せ持ち、それらを貫いた偉大なユーピストでした。私は彼を最も尊敬すべき日本人のひとりだと思っています。文学的には、貧民街での体験を綴った自伝小説『死線を越えて』三部作が有名ですが、『一粒の麦』や詩集『涙の二等分』などもいい作品です。
雀部 > 賀川氏の『空中征服』では、“人間改造機”を使って人間の体重を無くしてしまい、大阪上空に貧民たちの空中楼閣を作る計画が出てきます。これは、なにげに小松左京先生の『日本アパッチ族』の精神とも相通ずる気がしました。
長山 > 極限的な困窮状態に追い込まれた人間が、別の存在になることで生き延びようとする、しかもそれが集団的に起こることで、既成の社会を崩壊させかねない脅威(革命)になるというのも、共通してますね。たしかにお二人の社会改良に対する関心の重なりを感じます。
雀部 > やはり長山先生もそう感じられましたか。
 この大阪上空の空中楼閣計画は資本家たちによって粉砕されてしまい、貧民たちは光線列車で火星へと向かい火星人たちに歓迎されるという展開なのですが、この本における(SFの特徴の一つでもある)ユーモアやアイロニーは、賀川氏自身の作風によるものと時代的なものの両方から出てきたと考えてよいのでしょうか。
長山 > そうですね。ユーモアやアイロニーは賀川氏のもともとの持ち味だったと思いますが、かれの社会思想からすれば、当然ながら貧者もまた地上において健全な生活を営める社会こそが目指されていたでしょうから、『空中征服』は革命を正面から描き難いという時代相の影響で、かえって空想力を飛躍させた作品と言えるかと思います。『空中征服』では、作中人物の「賀川豊彦」が途中から二人に分裂していて、一方は火星に迎えられますが、もう一方は地上で処刑されてしまいます。火星に向かうというのは「惑星移民」というよりも「死後」のイメージなのかもしれません。そういえば十九世紀前半までは「フューチャー・ライフ」「アフター・ライフ」というのは「未来」ではなく、専ら「来世(死後)」を意味しており、初期の欧米SFは科学的未来を描いていても、何となく心霊術や神秘主義の影がつきまとうものがありますが、『空中征服』にはモダニズム・社会主義に加えて、生命主義(これも大正期の流行でした)の影響があるように思います。
雀部 > 神戸文学館に行って知ったのですが「賀川記念館」は最近新装されたんですね。ついでに行けば良かったなぁ。
 大正期のSFシーンにとって最大の出来事は、雑誌「新青年」の創刊だったそうですが、最初は科学小説を載せていたものの次第に探偵小説のほうにシフトしていったんですね。
長山 > 「新青年」は、あの「冒険世界」がリニューアルして誕生した新雑誌でしたから(「冒険世界」最後の編集長・森下雨村は、そのまま「新青年」編集長に移行)。当初は「冒険世界」の傾向が残っていました。海外移民の記事や軍事冒険的な科学小説が載ったのは、新しいものを求めてのものというよりも、押川春浪以来の伝統と考えたほうがいいのかもしれません。そのほか、いろいろと模索してチャレンジしたなかで、海外探偵小説の評判がよかったので、次第にそれを雑誌のウリにすることが固まっていったようです。
雀部 > 大正時代には、探偵小説が急速に発展しつつあったと同時に、“電気雑誌”上において科学小説普及活動が始まっていたのですね。特に「科学画報」が昭和五年に行った懸賞科学小説募集は、重要なエピソードなんですね。
長山 > このコンテストに先立って、海野十三らが昭和二年に雑誌「無線電話」誌上に「大衆科学文芸欄」を設けて、科学小説の普及をしようとしたことがありましたが、読者の支持が得られずに数ヶ月で挫折しています。それでも作家・作家志望者の側には、科学小説に新しい可能性を見出す人々が増えていました。「科学画報」は昭和二年にも懸賞小説募集を行っており、海野は佳作になっています(発表は翌三年)。そして昭和五年の募集では、稲垣足穂、伊藤整、龍胆寺雄、那珂良二といった後に文学史上に名を残すことになる幅広い人材が入選しています。
雀部 > 確かにそれは錚々たるメンバーです(驚)
 大正時代に続き、大戦をはさんだ昭和時代に、普通のSFファンの人はどういう本を読んでこられたかが知りたくて、ハードSF研を通じてお知り合いになれた浅野さんとKIKUOさんに声をかけさせていただきました。
kikuo > kikuo@市原と申します。雀部さんのお誘いでお仲間に入れさせていただくことになりました。
 戦前に発行された「世界大衆文学全集」だったかな? で「宇宙戦争」や「海底2万マイル」は読んでいましたが、SFというジャンルをはじめて意識したのは、昭和31年ごろに出た元々社のSF全集からでした。その後SFMも創刊号から取り始めたのですが、千葉の田舎に転勤して本屋さんに行きSFMは? と言ったらSMMと間違われ、本屋の姉さんに変な目で見られたので、がっくり、中断してしまいました。
 アメリカのSF誌「アナログ」も購読していますが、このところファイトが減退してROMどころかツンドクの状態です。
長山 > 「SFマガジン」と「SMマガジン」は、ほんと誤解を招きやすかったですね。しかも地方の本屋ではたいてい並んで置いてあって、大きさも同じだし、今はどうか知りませんが僕が中学生だった頃、「SMマガジン」の表紙はマネキンに暗い照明が当たっている幻想怪奇っぽいもので、ちょっと見るとSF風に見えないこともなかったので、危うく間違って買いそうになったこともありました。
雀部 > 間違えて買ったことあります、「SMマガジン」(爆)
「世界大衆文学全集」ってのは、図書館で読んだことがあるような気がするんですが「エッフェル塔の潜水夫」とかが入っている全集だったかなぁ。「洞窟の女王」とか「ゼンダ城の虜」とかのゴシックロマンものとかあったような。
長山 > 小型の本ですが、SFや冒険小説もいろいろ入っている面白い全集で、かなり部数も出ていたようです。円本ブームの一環だったのでしょう。改造社から出ていて『海底旅行 宇宙戦争』は二作で一巻になっていました。表紙や口絵も綺麗で、今見てもわくわくします。
雀部 > 二作で一巻というと、エースダブルみたいですね。
 え〜っと、kikuoさんのSF初体験が「宇宙戦争」「海底2万マイル」だったのでしょうか?
kikuo > SF の初体験といっても……そう鮮明なものにはなりません。小学校の中学年で”空飛ぶ独楽”が登場したり、火星でトマトを食べて地球に帰ったらお腹の中でトマトが芽を吹いてあせっている漫画を読んだりとSF的物語に違和感が無くなった所で小学生高学年になり(戦争まっただなか)、海野十三の「浮かぶ飛行島」(巨大メガフロート!)、「快塔王」(塔がロケットだった!)、「火星兵団」(オウムのキャップみたいなのをかぶせられてあやつられる!)、そのほか作者は忘れましたが「新戦艦高千穂」「見えない飛行機」などなどむさぼり読みました。それとほぼ同期して、父の書棚にあった 「世界大衆文学全集」で、外国ものの洗礼を受けたわけです。文庫版くらいのえんじ色のハードカバーでした。「洞窟の女王」「ゼンダ城の虜」「鉄仮面」「ホフマン物語」それに「メトロポリス」もありましたね。
長山 > 海野十三の全盛期の読者! 戦争はイヤだけど、うらやましい。
 『メトロポリス』では映画のスチールが口絵に使われており、挿入歌「ナポリ節」の楽譜も挟み込まれていました。
雀部 > 戦時中だと、お上が色々うるさいと思うのですが、こういうのは国威発揚の目的もあって書かれたので出版されていたのですか?
kikuo > 必ずしもそうとはいえないと思います。戦意高揚には「軍神○○奮戦記」だとか「××大作戦」だとかといったのが少年むけ雑誌などにいくらものっていましたし、単行本でも出ていました。「火星兵団」や「見えない飛行機」などは、いわゆるジュビナイル向け科学冒険小説のたぐいでしょう。
長山 > 海野作品には軍事的な発明が出てくるものも多いので誤解されやすいですが、当時の小説としては決して戦意高揚的なものではありませんでした。戦争実話がたくさんありましたし、小説でも山中峯太郎や平田晋策、福永恭助などがその方面の人気作家で、海野作品は豊かな空想力が独特の魅力だと認識されていたのではないでしょうか。戦時中に英米と戦うのではなく、宇宙からの侵略者と戦う『宇宙戦隊』などを書いていますが、これは当時としてはぎりぎりの戦争非協力小説とさえいえると思います。
雀部 > なるほど、そういうのはまた別にあったんですね。
 長山先生編の『海野十三戦争小説傑作集』を読むと色々なタイプの戦争小説を書いてますね。やはり出色は、凄いアイデアの発明なんだけどなぜか役に立たなかったり、強力すぎて使いこなせなかったりする兵器を開発する金博士シリーズが面白いですね。個人的には、キース・ロバーツの「信号手」(『パヴァーヌ』所載)を思わせる「若き電信兵の最後」が好きです。
長山 > 金博士シリーズは傑作ですよね。戦時下に、あのようなユーモアを発揮できたのは海野くらいではないでしょうか。海野十三には戦争実話風の作品や『赤道南下』などの従軍記もありますが、そこでも科学的な描写が光っており、また深刻な状況を描きながらも、何となくユーモラスな冷静さが感じられます。
雀部 > 必ずしも戦争一色じゃなかったんですね。
kikuo > あのころは科学の発達は素直にポジティブに信じていましたし、大陸へ、南洋へと子どもたちも外向き思考だったと思います。過去は美化しがちですがけっこう明るく無邪気に毎日を過ごしていました、ものも食べ物も不足していましたが。惨めさや歯がゆさ恐ろしさを感じ始めたのは、空襲が始まって身近に犠牲者が出始めてからです。
雀部 > 「科学の発達は素直にポジティブに信じていました」てのは、昔からコアなSFのベースですね。特にハードSFはそうですよね。
浅野 > トマトの漫画は『火星探検』でしたっけ。小学校2年のときに読みました(この年に大東亜戦争が始まりました)。
 最近、これの復刻版が出ましたが、なんだか馬鹿に高かったので買いませんでした。
雀部 >小熊秀雄さん作のようですね。青空文庫にマンガ台本がありました。確かにトマト騒動も出てますね (笑)
浅野 > 『火星兵団』は国民学校6年生で集団疎開へ行っているときに読みました。私は分隊長だったので毎晩寝る前に、少しずつみんなに読んでやった記憶があります。
 先日、地元の古本屋で『火星兵団』と『地球要塞』の復刻版を買いました。
雀部 > これが火星語の出てくるやつでしたっけ?
 青空文庫で読める海野十三の作品はこちら
浅野 > そうです。ひゅうひゅう、ぷくぷくです。
 私は500円で買いました!
 昭和50年版で定価1000円の復刻版です。
 初め1000円と書いたらしく、消しゴムで消して500円になっていました。
 『見えない飛行機』、『太平洋波高し』なども、国民学校低学年で読んだ記憶があります。
 作者は山中峯太郎だったと思いますが。
 その他『日米もし戦はば』なんていうのがありました(作者不明)。樺島勝一の挿絵が素晴らしかったのを覚えています(当時わが家は樺島勝一の近所、同い年くらいの子供がいたので遊びに行ったふりをしてアトリエを見せて貰いました!)
 SFとは無関係ですが、その頃、少年講談というのが流行っていて(?)、『雷電為右衛門』や『清水次郎長』など沢山読みました。4〜5センチほどの厚さがあるハードカバーでした。
 昔は、どんな本にも漢字にはふりがなが振ってあったのが良かったですね。
長山 > 「立川文庫」とかでしょうか。あの総ルビのおかげで、難しい字を覚えたという人も多かったんでしょうね。意味が分からなくても、取りあえずは読めるし、読んでいるうちに何となく意味も分かってくるでしょうし。当時の少年読物は挿絵とかも凝ったものが多くて、剣術シーンやら戦艦やら飛行機やら、挿絵に夢中になって模写したという話をよく聞きます。
雀部 > 『なつかしの樺島勝一艦船画集』というのがありました。細緻な画を描かれる方みたいですね。
 「まぼろしチャンネル ニュース」に「正チャンの冒険」の画がありました。
浅野 > 「正チャンの冒険」が樺島勝一であるとは知りませんでした。
 あまり記憶にはないのですが、これは『タンタンの冒険旅行』に似ているのでは?
kikuo > 「少年講談」にはお世話になりました。雑学の大半は、あれで仕込んだのですから。
 当時は読みたい本は全部が全部買ってもらえるわけでなし、あちこちの友達と貸したり借りたりして読みました。一度などは雪谷の友達から少年講談を借り、読みながら工大前、大岡山、それから目蒲線沿いに洗足の自宅まで帰ったら、半分読み終えていました。ろくに自動車も走っていない時代だったからこそです。
長山 > いやー。大変な時代でもあったのでしょうが、こうしてリアルタイムでの読書体験をうかがうと、わくわくします。


[長山靖生]
1962年茨城県生まれ。評論家、歯学博士。鶴見大学歯学部卒業。歯科医の傍ら、文芸評論、社会時評などの執筆活動を展開。96年、『偽史冒険世界』(ちくま文庫)で大衆文学研究賞を受賞。著書に『テロとユートピア』『人はなぜ歴史を偽造するのか』『日露戦争』『日米相互誤解史』『不勉強が身にしみる』『若者はなぜ「決められない」か』など。
[KIKUO]
1932年、新潟生まれですが、戦前の幼稚園、小学生時代は東京で過ごしました。家にあった世界大衆文学全集でH・G・ウェルズの「宇宙戦争」など海外のSF秀作に接し、「火星兵団」や「見えない飛行機」など、雑誌「少年倶楽部」や少年向けの空想科学小説で品質の高い日本の作品群にはぐくまれる環境で育ったわけです。そして戦争、そして敗戦。
戦後の一時期、まだ日本のSF作品は出ず、海外SFの翻訳物も少ない、一種のSF飢餓時代が何年か続きました。が、そんな時、神田の古本屋街の一軒の店先で、暗い異星の表面で銀色の武骨なロボットが、赤い宇宙服の人間を抱き上げている表紙絵のペーパーバックを見つけ、思わず買ってしまったのが運のつき、またSF病に感染し、現在に至っています。
その本が、アイザック・アシモフの“I, ROBOT”でした。
[浅野]
1932年、東京生まれ。
小さい頃、縁日の本屋で、シリーズの科学マンガ本(10銭?)を買うのが楽しみで、これがSF本の原点だと思っています。
小学校に入ってからは同好の友人を探し、山中峯太郎や海野十三などの本を貸し借りして読み耽りました。
戦争末期から戦後は、食料と同じようにSF本が手に入らず、飢えていました。高校を卒業、大分経ってから、中学・高校時代の一年下のクラスに、海野十三氏のご子息がおられたことが分かり、そのころ、お知り合いになっていたらば、と悔やんでおります(同窓会名簿で確認済み!笑)。
就職後、暫くして、やっと本格的なSF、「元々社 最新科学小説全集」に巡り合え、全巻購入、続いて、早川書房から「S−Fマガジン」も発行され、これも創刊号から読み始め、潤いました。
また、当初の予定通り10号で終了しましたが、社内の同好の士を集めて、同人誌を発行したこともあります。
小学校入学前に、浅草で母親と『キングコング』、『透明人間』などの映画を観た後遺症から、以来、SF映画にも嵌っています。
[雀部]
1951年岡山県生まれ。アマチュアインタビュアー、歯科医師。東北大学歯学部卒。歯科医の傍ら、SF作家の先生方にメールインタビューする毎日です。


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