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Author Interview

インタビュアー:[高槻真樹]

『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』
> 山口優著/廣岡政樹カバーイラスト
> ISBN-13: 978-4198932626
> 徳間文庫
> 838円
> 2010.11.15発行
二〇三〇年代、宇宙と地球の夜空は濃青から紫へと変貌を遂げた。その事象は「全天紫外可視光輻射現象」と呼ばれ、人々は不安と狂騒にかられていく。研究の結果、脅威が明確になり、各国協力の下、地球軌道上にある基地「エデン」で人工知能を開発し、対応させることに決定した。そこに突然やってきた戦闘機。防衛網をくぐり抜け、基地に乗り込んできた美少女の正体は……。第11回日本SF新人賞受賞作。

■山口優さんインタビュー『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』 (2010年10月11日/伊野邸へ電話インタビュー/聞き手・高槻真樹)

高槻> 実は受賞作を読んで、深夜アニメのパロディめいた雰囲気を感じて笑ってしまいました。これは意図したことだったんでしょうか。
山口> いや…特には(笑)深夜ぐらいのアニメみたいだ、という感想はいただいたことがあるんですが、そのパロディですか?
高槻> というのはですね。キャラクターを担当するであろう声優さんの名前がパッパッと浮かぶんですよ。天夢は小林ゆう、榑杉は子安武人、リヴカは久川綾、てな風に。
山口> いやあ、さすがにそこまでは(笑)
高槻> でも山口さん、科学的な裏づけのきちんとしたSFを書いていきたいと受賞者挨拶で熱く語っておられたじゃないですか。よほどガチガチのハードSFなのかと思いきや、いきなり赤い瞳の戦闘美少女アンドロイドが出てきてコケまして(笑)
山口> ああーそこですね。まず登場人物のキャラクター造型はこんな感じかなと設定してますね。こういう性格の子だったらこういう風に動くだろうなという風に決めていくんです。私が小説を作る順番としては、まず主人公を決めます。その後は主要な登場人物4人か5人くらいをざっくりと固めます。そのメンバーの性格が同じではいけないと思うんですよ。極力性格をばらけさせるようにします。その後で1章から5章ぐらいまでの流れを決めて、そこに必要になった登場人物を加えていく、という形をとるんです。だからその最初の4〜5人のキャラクターを決める段階で私の趣味が出てしまうのかもしれませんね。
高槻> ちなみにアニメはお好きなんですか?
山口> ああ、好きです。好きです。最近見た中でいいなと思ったのは『ヒロイックエイジ』でしょうか。スペースオペラ的によくできていたと思います。だからアニメなら何でもというわけではなくて、SFっぽいアニメが好きなんです。
高槻> 選評でも指摘されていましたけど、科学的にガチガチに固めた部分があるかと思えば、「科学的にあり得ない」部分もあったりして、妙にむらがあるのはなぜでしょう。
山口> それは多分、私の見落としが入ってますね。設定はちゃんとするんですけど、後の物語は勢いで書いてしまうんです。つじつまの合わない部分は後で読み返してみるとたくさんあるんです。読み返して『ああ、これは駄目だなあ』と思いますよ。自分を検閲しながら勢いに乗って書くことはできないので、そこは勢いに任せてます。それでがんばって修正していくんですが、応募した時には間に合わなかったんですね。
高槻> そうすると、発売版の中には間違いはないということになりますね。
山口> ええ、がんばって修正しましたので…そうなっていることが期待されます(笑)
高槻> すると最初の方で天夢の登場シーンに出てくる「弧を描いて飛ぶ」といういかにもアニメ的な動きも山口さんの中では科学的に立証されている?
山口> あーそこは見ている人にとって弧を描いているように見えるだけで、実は放物線を描いているということにしてください(笑)…やはり地が出ちゃいましたか。
高槻> 書く時の勢いを重視した結果ですか?
山口> そうですね。最初に設定を考えた後は、勢いでバーッと書いてしまうんですよ。その時に浮かぶイメージというのは、私が日ごろ体験している様々なメディアの影響を受けていると思われます。そこは、勢いが大切ですから。
高槻> となると、科学的にはちょっと違うけど、勢いを殺さないようこのまま行っちゃおうという場合もあるわけですか。
山口> ええ、ありますあります。もちろん科学的に考えてつじつまの合わない部分はできるだけ直していきたいとは思っていますが。「弧を描く」ぐらいは許容範囲ではないでしょうか。
高槻> よくハードSFで、科学的正確さにこだわりすぎるあまりにスピード感が失われて不満に思うことがあります。
山口> バランスは大事だと思います。物語の土台部分では、サイエンスフィクションであってファンタジーじゃないんだ、と言える土台を作ろうとは思っていますが。その上で動く部分はもう少し自由でもいいと思いますよ。私のフィーリングというか思いがそういう方向に向いている、ということですけどね。
高槻> 受賞後第一作として「SFJapan」で書かれた「アンノウン・コンクェスト」で、沖ノ鳥島がフローティングの大都市になっている光景が出てきますよね。もちろん受賞作にも出てきますけど。こちらではきっちり挿絵にもなってて。岩礁二つの島が大都市になるというのは、冷静に考えると相当笑える光景にも思えます。
山口> 確かに沖ノ鳥島で常に海の上に出ているのは二つの小さな岩礁でしかないんですが、横が4・5キロメートルで縦が1・8キロメートルぐらいの環礁があるんですよ。その環礁の上にメガフロートのようなでかいものは浮かべられませんので、その周囲に構築するという設定になってます。
高槻> ああ、でも普通沖ノ鳥島に住もうとは思いませんよ、絶対。
山口> それはそうですね。私も今の沖ノ鳥島に住もうとは思いません(笑)ただ、メガフロートの技術というのは割とあるので作ろうと思えば作れるかなと。
高槻> 沖ノ鳥島は政治的にかなりデリケートですけど、そこを利用したということですか。
山口> いえ、沖ノ鳥島は日本の領土の中では一番南側にありますよね。一番、何も考えずにロケットを打ち上げられる場所なんです。今、種子島にありますけど、赤道から離れれば離れるほど調整が必要になってしまいますから。沖ノ鳥島あたりで打ち上げれば一番効率がいいんじゃないかなと私は思うんです。
高槻> うーん。ただそれなら、何も岩礁二つの横で打ち上げなくても、海の真ん中で打ち上げても良いのでは?
山口> ははは、それはそうなんですけど、あのあたりは何百メートルもある深い海ですから。あそこだけが、海中から突き出た高い山なんです。だから、恒久的な打ち上げシステムを作る際につなぎとめておけるんですよ。
高槻> 沖ノ鳥島は一応領土ですけど「ただの岩礁だ」と周辺国からクレームが出てますよね。それで、実効支配するために住もうという話になるのかなと思ったんですが。
山口> そうした部分があるのかもしれません。ただ、国内ではあるけど本土から一番隔絶された場所はどこだろうと考えた時に沖ノ鳥島が思い浮かんだんですね。
高槻> なるほど、そういう風に山口さんが見たい光景をまず考え、それを補強する形で科学的設定を付け加えていく、という点で言いますと、ちょっと気になるところがあります。「アンノウン・コンクェスト」の最後の方で、ヒロインがわざわざメガネをつけたまま風呂に入ってデータを解析するというシーンがありますよね。なぜ風呂でメガネなのかわざわざ科学的説明を付け加えて説得力を増そうとしていますが、実は山口さんがそういうシーンを書きたかったからなのでは?
山口> まあ、ちょっと変わった性格の人にしたかったので。
高槻> でも、これってアニメでいえば完全にサービスシーンですよね。
山口> ははは。そうですよ。もちろんそれも考えて作ってます(笑)私自身は風呂の中でものを考えるのは好きなんですよ。ただ今は、風呂の中で本を読むことも携帯電話をかけることもできない。だからここで提示したような網膜スキャンによる『メガネ』という道具ができたら、私の理想の思考環境ができると思ってます。
高槻> ただ、ストーリーとしてはメガネっ娘が風呂に入っていて最後はバスタオルがはだけるという、立派なサービスシーンになってますが。
山口> もちろんそういう風に読んでいただいてもまったく問題ありません(笑)そういう側面は確かにあります。
高槻> するとサービスシーンを意図したわけではなかった?
山口> うーん。半々ぐらいかな?
高槻> 山口さんの作品を読む時思うのが、この人はどこまで本気なんだろうということなんですよ。ものすごく真剣に科学的実証性を考え抜いているようにも見えるけど、その一方で科学をサカナにホラ話をしているようにも見える。
山口> それはどういった部分ですか?
高槻> たとえば「シンギュラリティ」の最後の方で、敵方のコンピュータと対決する場面があるじゃないですか。舞台が大聖堂である必要は全然ないんだけど、アニメではこういうクライマックスって多いなあと思います。透過光がきれいで色が映えますからね。だから、科学的設定を突き詰める中で自然にこうなったのか、それとも多少話を曲げてもこういう見せ場を設けたいと思ったのかなと。
山口> 見せ場を作りたい、という気は…あります。見せ場としてかっこよくしたいがためにこうしようと。後、象徴的に意味を持たせたということですね。確かに科学的合理性を考えればそこまでやる必要はないんだけど、象徴としてこのコンピュータがいる場面はこんな雰囲気なのかなと。
高槻> 山口さんのそんな場面の描き方を見ていると、ホラ話的な味わいを感じるんですよ。選考会でも指摘されていた「宇宙船に爪を立てる」とか。
山口> 選考会で指摘されたとおり確かにレールガンで加速して爪をぶつけるなら、爪なんか立つはずがない。ただ綱の部分の素材がゴムみたいにものすごく伸びて射出した速度を相殺するぐらいの弾性を持っているんです。だから最終的に相手との相対速度はゼロになっちゃうんです。科学的にウソにはしたくないので、そういう設定は考えてますね。
高槻> ただ、そのシーンそのものを頭の中で思い浮かべるとむちゃくちゃ面白いんですが。
山口> 確かにこういうガジェットが将来できるかと言われたらその可能性は低いんですけど、よほどノリのいい科学者がいて、アイデアを補強するようなデータをわんさか持ってきたら、実現してしまうかもしれませんけどね。実際、急速に運動量の方向を変えるのは、素手でつかむのが一番有効ですから(笑)
高槻> なるほど、それが一番合理的であると。…なんかダマされているような気もするんですが(笑)そういう考え方というのは、SF大会の名物企画である「すごい科学で守ります!」的なノリを感じます。科学的にあり得なさそうな特撮ドラマに理屈を重ねて成立する方向を考え出してしまおうという。
山口> ああ、そういうのはあるかもしれませんね。科学的なものを目指してますが、『こういうのがあったらいいな』というホラ話的な場面も取り入れるようにはしています。
高槻> そうするとホラ話に対しても意識的?
山口> いや意識的ではないな、無意識のレベルですね(笑)
高槻> 受賞者挨拶では「より科学的なSFを」と熱く語っていらっしゃるのに、実際に出てきているものはこれ(笑)というのはどう考えればいいんでしょう。
山口> うーん(笑)SFとファンタジーの区別はきっちりつけなきゃな、とは思っているんですよ。魔法の掟がこうだから、とか、神様が最初に決めた世界のルールがこうだから、とかいうのはあまりやりたくないんです。自分のやりたいことというのは、大風呂敷は広げるけれども、科学の枠内できちんと守っていきたいなと思うんです。百年前に新聞がやった未来予測というのは、実はかなり正確に実現してしまっています。実は科学の発展というのは、『こういうことができる』ではなくて『こういうことができたらいいな』を軸に進んでいるんです。二足歩行ロボットを作っている人たちに聞くと、人間の住環境に適応できるでしょう、とか利点を滔滔と語ってくれるんですけど、やっぱり人間と同じロボットが作りたいだけじゃないでしょうか。科学は人間の望みを叶えるものであって、可能だからやる、というものではないんです。SFというのは、人間の『望み』というようなものに形を与える表現だと思います。そこに後から現実の科学が追いついてくるわけですよ。
高槻> つまりASIMOの制作者達が絶対にアシモフがもとになっていると認めないのは照れ隠しであって、もっと素直になってもいいんじゃないかと?
山口> そういうことですね。皆さんもっともらしいことは言うけど、それは本心じゃないでしょう、と。
高槻> よくハードSFの方が科学のすばらしさを声高に訴えるスタイルとは大分違いますね。つまりSFは、山口さんの中の二律背反的要素を統合する手段であると?
山口> 私は夢は語りたいけど、実現不可能な夢は語りたくないんですね。そんなわけで大風呂敷に裏づけを与えるために一生懸命がんばっている、というところでしょうか。
高槻> 中盤のパーティのシーンなどは、非常にパロディ的なものを感じて結構笑ってしまったんですが。さすがにあれは意識的なものでしょう?
山口> 今、私の横で伊野さんが『あれは感動した』って言っておられますけど(笑)あれは笑っていただくのも感動していただくのもアリだと思います。もちろん意図して書きました。ただ、あのシーンは『シンギュラリティ・コンクェスト』にとって最も重要な象徴的シーンなんです。詳しくは読んでいただきたいのですが、人と機械のかかわりに二つの方向性があって、私が良いと思う選択肢の方をきっちり表現しています。さきほどの大風呂敷と土台の話で言えば、あれは物語の土台であって、避けて通れないシーンです。私が考えるシンギュラリティをコンクェストする方法においてはね。
高槻> そうすると、本文中で、主人公の天夢が何度も美しい美しい美しい、そして華奢である華奢である華奢であるとくどいぐらいに繰り返し表現されるのはなぜですか。
山口> 天夢を作った榑杉は、言葉はごまかしていますけど、本当に天夢を人間に愛される存在になってほしいと思っています。それを表現するために、会う人ごとに必ず強い感情を呼び起こされるような場面を描写したわけです。愛されなきゃ駄目なんですよ。
高槻> ああ、つまり愛される手段としての美少女キャラ。
山口> そうです。つまり人工知能と人間が対する時に、人間が人工知能を使役するという形があり得ますよね。その時に愛する必要はありません。しかし人間と人工知能が対等であり、お互いに相手を思いやる必要がある時はどうでしょう。そんなこともあって、榑杉は天夢をあのように設計したのだと思います。何も考えてないように見えて、実は結構考えてるんですよ?(笑)
高槻> そうか、萌え美少女にすればいいんだ、というのはある意味すごいアイデアです。
山口> 逆にロボットが萌え美少女ではなく成熟した女性の姿であったらこうはいかなかったでしょう。天夢は人間をはるかに超えた知能を持っているわけですよ。放っておけば畏怖される存在なわけです。それは榑杉の戦略に合わないんですね。仲良くなるためには、人間が伸ばした手が頭に乗ってしまうぐらいの背の高さがちょうどいい。人間というのは、自分で考える以上に外見に影響されてしまうんですよ。だから、相手が背が高かったり成熟した大人だったりしたらあまり親しくなろうという気が起こらないかもしれない。ものすごく未熟でものすごく愛らしくてほっとけないような、そんな人工知能だったら、それだけ親しみの感情が沸くことが期待できますよね。
高槻> なるほど、独特のキャラクター造型の秘密が見えてきて大変興味深いのですが、ちょっとひっかかるのがリヴカです。あたかも主人公のように登場するのに、途中でいったん消えてしまいますよね。
山口> これは編集者さんにも言われたんですよ。それで、ああ、この人たちはリヴカを主人公と考えているのかと。リヴカはさっき言いました、最初に設定した4、5人のキャラクターの一人なんですよ。あくまでパーティのシーンで天夢を引っ張り上げるのが役割ですから。その先は天夢中心の話になっていきますし。ただ、どうしてもリヴカが主人公ととられてしまうみたいで、物語の構成としてはどうだったのかな、と少し思うところがあります。
高槻> というのは、リヴカがイスラエル人だからですよ。しかも爆破テロのシーンから始まるし、これは重要な意味があるに違いないと思っていると途中で消えてしまうので、ものすごくびっくりするんです。なぜリヴカはイスラエル人である必要があったんですか?
山口> リヴカは天夢と対極的なキャラクターにする必要がありましたから、一神教的な人物を選んだんです。それが一番出ているのがパーティのシーンで、『どこの神話に自分の任務を放棄して引き籠る神がいるというのか』とリヴカが問いますよね。あれはリヴカが神は絶対的存在であり、仕事を放り出すようなことはあり得ないと信じているからなんですね。それが天夢との対立の焦点にもなっているんです。シンギュラリティの二つの方向性を抽出したら一神教と多神教の対立のようになってしまいまして、もしかすると安直だったかもしれません。ただ現実として、一神教は文明ができた後の歴史を象徴するものになっていたので、今回はこれで行っていいかなと判断したんですが。リヴカは一神教に象徴される、文明ができた後の歴史を象徴するキャラクターなんです。だからリヴカは最初天夢のようなやり方を理解できないんですが、徐々に「それもいいのかな」と思い始める。その過程を描きたかったというのはありますね。
高槻> しかしイスラエルというのは、現代社会ではかなり強烈な国家です。主要キャラクターに使うには疑問を感じる人も多いと思います。
山口> それは確かにあります。ただ、リヴカは物語前半のドライバー的役割を担います。彼女があの役割を務め切れたのは、爆破テロを経験し、強い信念を持っていたからです。そこは物語全体の中で効果を上げていたとは思います。リヴカは天夢の対立者から保護者的役割へと変わり、最後は彼女を送り出す役目を担うこととなります。天夢を送り出したことによって、自分の中の思いも達成できた、と私の中ではそう理解しています。選評でも指摘は受けましたが、そこは申し訳ないですが、譲れませんでした。
高槻> あと、これも選評で指摘されてましたが、冒頭でいきなり宇宙が紫色になってしまいますよね。グレッグ・イーガンの『宇宙消失』と同じぐらいの衝撃なんですが、触れられているのは最後のほんの少しだけです。
山口> これはですね。神話的な構造で『勇者を旅に送り出す』ための要素なんですよ。だからシンギュラリティという、この物語のテーマを進めていくためのドライバーにすぎない。もちろん大仕掛けで読者としては気になってしょうがないですから、各章の冒頭に科学論文を載せておきました。魅力的な謎なんですが、それを突き止めるための方法としてシンギュラリティが立ち上がってくるわけです。大半の読者の方は、『ああ、この謎をがんばって人間が解決していくんだな』と思う。それは実はこの物語の中で言えばノア派の考え方ですよね。でも私は『人工知能が解決したっていいじゃないか』と外してしまっているわけですよ。一部の読者の方はものすごく怒りを覚えると思うんですが、それはその人がノア派である証拠なんです。今、21世紀初頭の現在では、大多数の人がノア派なんですよ。機械に解決を委ねるなんてばかげている。でもこの物語の舞台である21世紀半ばの世界では、それが現実的な選択肢としてあり得るものになっている。その落差・違和感を是非感じ取ってください。あなたはノア派かエデン派か? この作品が一つのリトマス試験紙になるかもしれません。
高槻>  それで、一点だけ聞き忘れてしまったんですが、レムの「GOLEM XIV」についてはどう思いますか? レムは「充分に進歩した電子頭脳は、人間への関心を失って去ってしまう」という考えを示していますが、それにはどう答えられますか?
山口> すみません、レムのその小説は読んでいないので、一般的な話になります。まず、充分に進歩しなくても、そもそも、電子頭脳が人間への関心を持つためには何らかの特別な仕掛けが不可欠ではないでしょうか。何らかの仕掛けがない限り、電子頭脳が人間への関心を保つこと自体、おかしなことです。現状では、電子頭脳というかコンピュータは、自立判断が不可能なので、関心も無関心もないですね。ただ、将来には自立判断が可能となると思われますので、それ以降の問題かと思います。私はシンギュラリティ・コンクェストにおいて、エピソード記憶順列化エミュレータ、という、自立判断が可能な人工的な意識を仮定していますが、たとえばこうしたシステムを備えた電子頭脳が完成した後の問題です。自立判断可能な電子頭脳においては、もし人間への関心を持たせたいなら、必ず人間への関心を励起させる仕掛けが必要です。その意識の根源に人間への奉仕を組み込むとか、その筺体を人間と同じ形にして、自分を人間の一員だと認識させるとか。前者の方法は、実は危ういです。根源とはいえ、進歩していく中で人工知能はそれを乗り越えてしまうかもしれない。本能を乗り越える人間がいるように。私としては、そんな風に思います。
  
※電話インタビューは、山口優さんが伊野隆之さんの自宅を訪問し、ふたりそろったところへ、高槻真樹さんが電話をかけるという形で実施されました(2010年10月11日/伊野邸へ電話インタビュー/聞き手・高槻真樹)
  【インタビュー後・山口さんの追記】
山口> ある宗教学者が言ったと思うのですが、以下のような意味の言葉があります。
『子なる神は父なる神よりも前に存在した。父より子、そして老いと過去よりも若さと未来を信じる方がたやすい。それ故、人がまず自分の姿に合わせてつくり出したのは、母神と子神であり、父神ではなかった』
 つまり、前史時代の宗教の象徴とは、子供であり、女性であると思われます。土偶なども女性を象ったものが多いですし。女性を最高神として据えている日本神話は、その意味でより原始的な特徴をよく兼ね備えており、私が一神教に仮託した文明以後の宗教と対立するものとして、良い役割を演じられたのではないかと思っています。
 私は、『萌え系の美少女』というのは、決して現代のアニメの専売特許ではなく、たとえば源氏物語の紫の君や、枕草子の「うつくしきもの」の段に顕著なように、古代から連綿と受け継がれてきた我が国の伝統文化の一つのように考えています。これも、女神を最高神としてきた伝統とマッチするものではないでしょうか。古代の日本においては、より幼いもの、より愛らしいものこそが、より清い存在であり、つまりは正しい存在でもあったのです。ご存じのように、日本では、清い=正しい、汚い=悪、という図式が確固として成り立っていますから。「かわいいは正義」、ということですね。
 アニメは現在、欧米で、特に子供達の間で人気です。
 この理由の一つとして、よく言われていることに、以下のような説があります。欧米では、子供は「動物と人間の間の存在」であって、きちんと教育することによって初めて人間になれる、とされています。だから、欧米の一般的なフィクションでは子供は愚かなものとして描かれ、ヒーローにはなり得ません。日本はまったく逆で、生まれ落ちた時が一番清く正しく、それが大人の世界に染まっていくにつれて段々と汚れていってしまう、という考えを持っています。だから基本的に子供がヒーローなのです。初期のドラゴンボールの孫悟空は、まさにその典型ですね。そういった、子供を尊重する姿勢が、欧米の子供達に受けているのだと。「教育」や「大人の世界」を、即ち文明だとすれば、こうした対比は、実は如実な文明観の対比になっているのではないか、と私は考えています。
「アニメ」というのは、現状では単なるサブカルチャーではありますが、それ故に、欧米流の文明化された世界観をメインのカルチャーとして確立してしまった現在の日本社会において、古代から続く日本的な考え方を色濃く残している分野の一つなのではないかと思っています。
 こうした日本的な、つまりはより原始的なものと、一神教的な、より文明的なものは、現在の人類が保有している様々な宗教つまりは倫理観の、一つの軸の両極端ではないかと思います。シンギュラリティの克服においては、人類の持つ倫理観を総動員しなければ、という思いから、この両極端の考えをそれぞれ象徴する存在を描いた、ということです。


[山口優]
1981年生まれ。神奈川県在住。東京大学大学院理学系研究科修了。会社員。第11回日本SF新人賞を受賞した『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』でデビュー。他に、「SF Japan」2010年春号に掲載の短編、「アンノウン・コンクェスト」がある。
[高槻真樹]
1968年生まれ。第5回日本SF評論賞にて「文字のないSF―イスフェークを探して」で選考委員特別賞を受賞。新参者にもかかわらずなぜか現在、評論賞受賞者チームの代表を務めている。評論賞チームの公式ブログもよろしく。

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