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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『海外SF傑作選<1> さようなら、ロビンソン・クルーソー』
> 小松左京・かんべむさし共編/浅倉久志・他訳/福田隆義カバー
> 集英社文庫
> 280円
> 1978.11.30発行
「さようなら、ロビンソン・クルーソー」ジョン・ヴァーリイ
「夢の期待」サリイ・A・セラーズ
「キャプテン・クラップ・スナックス」ジョナサン・ファースト
「魚の夢、鳥の夢」エリザベス・A・リン
「SFパズル・医師のジレンマ」マーチン・ガードナー
「皆既食の時期」フレッド・セイバーヘーゲン
「美食の哀しみ」アイザック・アシモフ
「時の嵐」ゴードン・R・ディクスン

『海外SF傑作選<2> 気球に乗った異端者』
> 小松左京・かんべむさし共編/浅倉久志・他訳/福田隆義カバー
> 集英社文庫
> 320円
> 1979.10.25発行
「二人の異邦人」ジョン・シャーリイ
「バックスペース」F・M・バズビー
「ジョエル」ポール・アンダースン
「SFパズル・カプラの迷い子」マーチン・ガードナー
「変な間借人」テッド・レイノルズ
「欠けているもの」アイザック・アシモフ
「火星の問題について」ランドル・ギャレット
「誘拐作戦」ハーブ・ボエム(ジョン・ヴァーリイ)
「気球に乗った異端者」L・スプレイグ・ディ・キャンプ

『トロッコ』
> かんべむさし著/高羽賢一カバー装画
> ISBN-13: 978-4882930938
> 出版芸術社
> 1500円
> 1994.12.20発行

ふしぎ文学館 傑作短編集
「帝国ダイボー組合」「背(せな)で泣いてる」「ループ式」「原魚ヨネチ」「事件関連死者控」「集中講義」「アプト式」「言語破壊官」「道程」「ベルゴンゾリ旋盤」「スイッチバック式」「サイコロ特攻隊」「鏡人忌避」

 比較的SF味の強い短篇を集めたかんべ先生の傑作集。かんべワールドの入門書としても最適ですね。


『ミラクル三年、柿八年』
> かんべむさし著/ヒロミチイト装画
> ISBN-13: 978-4094084665
> 小学館文庫
> 657円
> 2010.1.13発行

 2005年1月、作家「かんべむさし」は一通のメールを受け取った。AMラジオ早朝ワイド番組のパーソナリティを、月曜から金曜までの毎日担当しないか、という依頼だ。しかも裏番組は二つとも三十年続く大物の人気番組。作家活動との両立は可能なのか、作家的な発想と思考を、朝のワイド番組でどう生かすのか。スタッフたちとの試行錯誤の日々が始まった。そして作家は、活字人間と電波人間の気質の違いを痛感しつつ、刺激に満ちたラジオの仕事に熱中する……

 主人公が「かんべむさし」ということからもおわかりのように、かんべ先生の実体験に基づいたフィクションです。 今までのエッセイの集大成であると同時に、面白い実録小説にもなっていると思います。


雀部> 今月の著者インタビューは、2010年1月に『ミラクル三年、柿八年』を出された、かんべむさし先生です。かんべ先生初めまして、よろしくお願いします。
 作中の言葉を借りますと、インタビュアーに「なる」でもなく「務める」までもいってないので恐縮です。
かんべ> いやいや。まあまあ。こちらこそ、よろしくお願いします。
雀部 > 早速ですが、7月26日に小松左京先生がお亡くなりになって、コマケン会員としてはちょっと落ち込んでおります。小松左京先生とかんべ先生が「アシモフ誌」から選ばれた短編集『さようなら、ロビンソン・クルーソー』と『気球に乗った異端者』がありますが、各短篇の冒頭で、お二人の掛け合い漫才のような紹介をされているのが、面白いですね。これを読んで、アシモフ氏が、ヒューゴー賞傑作選で、ウィットに富んだ紹介をされていたのを思い出しました。これはどうやってつくられたのでしょうか。
かんべ > 小松さんには、神戸のSF大会でお会いして以来36年間、公私ともに本当にお世話になりました。この二冊の解説対談も、小松さんが声をかけてくれはった仕事です。先にそれぞれがゲラ刷りを読んでおいて、そのあとお話をさせてもらったわけで、「かんべちゃん。このなかで、どれが好きや」と聞かれて、「キャプテン・クラップスナックスです」とこたえたら、「おっ、そうか。わしもあれ、ええなと思うたんや」ということで、内心「ほっ」としたことを覚えてます。自分の感覚に自信がなくて、「何じゃい。あんなもん、大したことないやないか」と言われるのではないかと、恐れてましたんでね。
雀部> あれは、ちょっと怖い話でしたねえ(どんなお話かは、『さようなら、ロビンソン・クルーソー』をお読みになって下さい)
 小学生の頃のことをお聞きしたいのですが、どういうお子さんだったのでしょうか。
かんべ> どういうお子さんかと聞かれると、大きく分けて、「そういうお子さん」と「こういうお子さん」だったとこたえたくなる(笑)。というのが、サラリーマンだった父親の転勤で、入学から四年生の終わりまでは新潟市内の小学校に通い、五年六年は大阪府豊中市の小学校に通ったんです。気候風土、言葉、テレビやラジオの番組。すべてが違うので、その影響でこちらのキャラクターも激変した感じで。新潟時代は「三丁目の夕日」そのままという環境で懐かしいわけですが、まだ「お笑い」には目覚めてなかった。豊中へ来てから、アッという間に、授業中にふざけたり、アホなこと言うて先生に怒られるような子供になったんですね。まあ、両親がもともと阪神間(大阪と神戸の中間エリア)の家系でしたから、関西へ来て、眠ってた先祖の血が呼び覚まされたのと違うかな(笑)。
雀部> 先祖の血が呼び覚まされたというのは、なんか納得です(笑)
 子供の頃に一番影響を受けたのは何だったのでしょうか。
 (私は「海底人8823」「ナショナルキッド」「アトム」「鉄人28号」実写版のTV番組と小学校の講堂で上映された巡回映画で観た「ゴジラの逆襲」「地球防衛軍」などのSF映画なんですが)
かんべ> ああ。そういう方面で言うなら、まず新潟時代は「少年」「少年クラブ」「少年画報」なんかの子供雑誌ね。月刊誌で毎月必ず漫画とか手品セットとかの付録がついてて、正月号なんか「豪華十大付録」なんてのがあった。「鉄腕アトム」「鉄人28号」「猿飛佐助」「朱房の小天狗」、とにかく連載漫画の花盛りという時代でしたね。そしてラジオの連続放送劇が、「少年探偵団」「赤胴鈴之助」「ビリー・パック」エトセトラ。こういうのはもちろん、単行本や漫画本でも読みましたしね。そして新潟ではまだテレビ放送は始まってなかったんですけど(いつの時代や!)、豊中に来て小学校の高学年から中学生という時代には、テレビで「隠密剣士」「月光仮面」「マリンコング」、まだアニメ時代ではなかったから、実写版の「鉄腕アトム」なんてのもありましたね。そしてもちろん、お笑い、コメディ、寄席中継なんかの番組も見倒しました。特撮映画は、新潟で見た「スーパージャイアンツ」とか「ラドン」、豊中で見た「世界大戦争」「モスラ」「海底軍艦」なんかが印象に残ってますね。轟天号の艦長・神宮司大佐、田崎潤なんてね(笑)。豊中の小学生時代、学年で揃って見に行ったチェコ映画、「悪魔の発明」も良かったなあ。
雀部> ラジオの「赤胴鈴之助」あたりは重なってます。「スーパージャイアンツ」は巡回映画で「ラドン」は、近所の映画館(三番館くらい?)でした。
 アドマンであられたかんべ先生は、ビートルズ主演の『イエローサブマリン』を、当時非常に評価されていたそうですが、TVやラジオのCM、コピーでお好きなものはどんなものでしょうか。
かんべ> 「あられた」とはまた大層な。近隣某国の将軍様やないねんから(笑)。『イエローサブマリン』は長篇アニメ映画ね。ああいう明るいというか派手なというか、つまりポップアートですけど、そういう色彩と音楽のコラボレーションされた長篇アニメ映画は、それまで見たことがなかった。若かったからでもあるけど、興奮してね。こういう映画を作る世界って、楽しいやろなあと憧れたりもした。興奮したのは私だけやないわけで、あれが公開されてから、その真似をするグラフィックデザイナーが、どっと増えてましたな。広告やCMでは、「軽い」雰囲気、「しゃれた」印象を残すものが好きやったんやけど、なにしろ大阪でございますから(笑)、こてこてのやつも作らされる。だからラジオCMなんかは大抵、ストレート・お笑い・対話形式と、三種類作っていって相手に選んでもらってました。珍しく、東京のスポンサーのテレビCMを企画することがあって、アメリカのテレビショーの形式を借りた、アニメの「軽い」やつを提案したら、それが通ったことがあった。大阪ローカルでは、「ようやるで。この〜、浮かれ金時!」てなラジオCMを書いてたわけやから、わしはいったい何者やねんと、悩みましたな(笑)。
雀部> 小松先生、眉村卓先生、堀先生、かんべ先生は、まさに読んで育った世代ですのでちょっと緊張します(笑)
 処女作には、作者の総てがつまっているとは良く言われることですが、かんべ先生の処女短編集の『決戦・日本シリーズ』も、かんべ先生の色んな面が出た素敵な短編集だと思います。設定がエスカレートしていく快感に満ちた「まわる世間に」。サラリーマンが主人公の「追い込まれた時代」。ハチャメチャ路線の「決戦・日本シリーズ」。
 もう一つが「背で泣いている」なんですが、この作品は後の『孤冬黙示録』とか『トラウム映画公社』に繋がる、ちょっとダークな(といってもノワールものではない)味わいを持ってますね。これが、SFマガジンに載った時、その異様な迫力に圧倒されました。この時初めてかんべ先生の年齢(27歳)を意識して、思った以上にお若いのに目眩がしました。これだけ人生を客観視できる人が二十代とは。やはり広告業界で鍛えられて、読者を感激させることなどは、パターン化して自家薬籠中の物とされていたのでしょうか。
(最初の列車のところは、まだ自立してない若者のメタファの気がしました。アイデア自体は、「人生を背負う」という表現が可視化されたら?というシミュレーションとも思いました)
かんべ> う〜ん。難しい質問やな。「異様な迫力」という誉め言葉は嬉しいけど、「パターン化」という表現はちょっと違うと思う。広告と小説とでは、自分自身の取り組み姿勢が違ってたし、小説を書き出して間もない時代の作品だから、仮にパターンを持ってたとしても、まだそれを使う余裕なんてありませんでしたからね、とにかく本気で、ある意味「必死に」書いたら、ああなったわけで。というのが、実はあの作品はSFマガジン掲載の二作目で、最初の「決戦・日本シリーズ」が無茶苦茶な作品だったんで、「次は真面目なやつを」と条件が付いてたんです。だから、「真面目な作品でないと、載せてもらえないのか」と思って、構成なんかも細かく立てて書いたんですね。それとまあ、「笑い」というものに興味を持つ人間というのは、その背後なり深部なりに暗くて重い部分も持ってるわけで、SFマガジン掲載の一作目と二作目で、その両極端が出たわけですね。
雀部> 両極端が出たというのはよくわかります。
 パターン化というか、かんべ先生の特徴の一つとして、ある人物になりきるとという設定の短篇がありますね。これもとても好きなのですが、「俺はロンメルだ」や「ビジネス・タレント」、「結婚ごっこ」もこの路線かな。極めつけは自己真似という「成長」。
 で、お聞きしたいのですが、アドマン・SF作家・ラジオのパーソナリティでは、その応用に差があるものでしょうか(もしくはどれが難しいのでしょうか)
かんべ> 「パターン化」という言葉に、こだわる人やな(笑)。広告の制作マンを辞めたのは、向こうから見れば「ドロップアウト」なのかもしれないけど、自分では「エクソダス。栄光への脱出だあっ!」と思ってのことです。つまり、これはまあ後からの自己分析ですが、要するに私は、「表現」の仕事がしたかったんですね。どんな表現かというと、言葉による表現、文章による表現。絵は下手だし、音楽は大好きだけどプロになれる適性や能力なんてないし、その点、言葉や文章は向いてるように思いましたんでね。それで、高校から大学にかけてという時代、日本経済が高度成長期に入ったこともあって、マスコミ業界はもちろん、広告代理店にも就職希望者が殺到するようになった。そういう時代環境の影響を受けて、コピーライター、CMライターを目指したわけです。そして、まがりなりにもそれが実現したんだけど、やってみると「明るく、楽しく、便利で幸福」という、180度の範囲内の発想しか認められないということがわかった。もちろんこれは、当たり前なんですよ。本来そういう仕事なんですからね。だけど「表現」欲求そのものは、「暗くて、重くて、不幸でミザリー」という、現実の世の中のもう半分の面にも向かうわけで、片方の180度だけやってることに苦痛を感じるようになった。おまけに人間関係のストレスなんかも重なったんで、本当にうんざりして嫌になったんです。それで、ストレス発散のためにSFマガジンのコンテストに応募したところ、小説を書く作業には充実感を覚えたし、この世界なら360度の自由な発想が認められるんだということもわかった。それでようやく、自分が思ってた意味での「表現の仕事」に巡り会ったわけで。だから、私における広告マンとSF作家との関係は、キャラクターとしては同じ人間なんだけど、エクソダスして広い自由な世界に入り、解放されたという感じですね。ラジオのパーソナリティー経験については、作家としての自分がその役を「務める」という前提でやらせてもらいましたから、何の違和感もなく3年3カ月つづけられた。小説やエッセイが文章による表現なら、こちらは会話やトークによる表現。興味を持ってくれる人々との、「言葉のコミュニケーション」を形成してるということでは一緒ですからね。
雀部> 広告マンの仕事は世の中の明るい半分の面の範囲内だけれど、作家とパーソナリティは表現方法が異なるだけで対象とのコミュニケーションということでは同じということですね。
 読者との繋がりというと、『ポトラッチ戦史』のカバーの折り返しの部分に、かんべ先生の住所が書かれていて、ちょっと驚いたんですが、あれはどういう経緯で住所を載せることになったんでしょうか。
かんべ> あれは、私もびっくりした(笑)。カバーのイラスト自体はコピーか何かで見せてもらってたと思うけど、袖にああいう紹介が入るとは聞いてなかったし、見せてもらってもいなかったんですよ。こちらも新人時代だから、「すべて先に見せろ」なんて強いことも言えませんしね。まあ、それによって詐欺師みたいなセールスマンが来たとか、ストーカー的な被害にあったとか、そういう実害は被りませんでしたけど、あれは私の意思でも趣味でもありません。念のために言っておきますと、何十年も前の住所ですから、仮に古書店で本を買ってそこへ手紙を出しても、宛先人不明でもどってきますよ(笑)。
雀部> お話を聞くと、なんかの手違いぽいですねぇ。
 双子のお子様の子育てという大変な時期に執筆された三作品『笑い宇宙の旅芸人』『大江戸馬鹿草子』『孤冬黙示録』は何れも傑作だと思うのですが、傾向の異なるこの三作品の書き分けというか頭の切り替えは、どうされていたのでしょうか。
かんべ> いまとなっては、どうやってたか自分でもわからない。切り替えといい、体力の問題といい、「若かったからできた」としか言いようがないですね。双子の子育ては、上に三歳になるかならずの子がいたこともあって、双子誕生から三年余り、我が家が24時間制の保育所になった。夫婦とも、5時間とか6時間とか通して眠れたことも、ほとんどなかったし。まあ、三作品をモロにその期間中に書いたということでもなかったとは思いますけどね。しかし、「笑い宇宙」が月刊誌連載、「大江戸」が月刊誌一挙掲載、「孤冬」が書き下ろし。でもってその三作品が、計算したわけでも相談したわけでもないのに、同じ年内に刊行されるという話になった。だから実は、その同じ年内の刊行が決まった時点で、「あ。そしたら今年のSF大賞、おれやな」と確信してました。それで案の定、「笑い宇宙」でSF大賞をもらえることになって、選考委員会の席では、「この三作品のうち、どれに与えてもかまわないと思う」という意見もあったと聞きました。このときの流れは、自分の意思を超えてると思いましたね。そういう流れ、また欲しいねえ(笑)。
雀部> 書きためておいて、一年のうちに三冊同時に刊行される手はずにならないんですか(笑)
 「広告屋的SF作法」とか「SFマトリックス覚書」は、フレドリック・ブラウンのショートショートの書き方にも通じるものがあるなあと思いました。『SFマトリックス』の表は凄いです(笑) かんべ先生ご自身は、この表を使って書いた作品は無いと書かれてますが、その後も無かったのでしょうか。
かんべ> 眺めてヒントにしたことはあったかもしらんけど、直接あれを使ってという作品はなかったと思いますよ。ああいうのは、頭のなかでもやもや考えてることを明確にするのが目的みたいなものだから、そうできた段階で、ある意味「作業終了」なんです。明確にする作業によって、その思考過程や物の見方が潜在意識に入って、そのあと発酵なり成長なりを始める。底の浅いコントや初歩的なアイデアストーリーは別として、短編にしろ長篇にしろ、本来の創作はそこから始まるものだと思いますしね。その意味では、「広告屋的SF作法」は本当に広告屋時代に考えたことだから、まだ何もわかってなかった。あのレベルの思考なんかは、早々に乗り越えて先へ進まないといかんわけです。
雀部> そうなんですか。堀先生も感心されていたし、私も面白いと思ったんですが……
 私は大学紛争を体験した最終世代にあたるので『黙せし君よ』はたいへん共感しながら読ませて頂きました。この本が出たのは、1990年なのですが、二十数年前経った今、柏木はまだ笠原を許せないものなのでしょうか。
かんべ> う〜ん。許すか許さないか。そうやって二者択一を迫られると、「まだ許してない」ということになるんでしょうねえ。仮に、その二人が笑顔で握手するという小説を書こうとしたら、話を無理なくその結末へ持っていくのは、難しいやろなあと思いますからね。しかしそれとは別に、現実世界の人間である作者としては、歳月の経過とともに、「普段はそんなこと忘れてる」という状態になってる。でもって、それが進むとそのうち、質問されても、「へ。そんなこと、あったっけ?」と問い返す状態になるかもしらん(笑)。まだそこまではいってないけど、怒りのエネルギーにも心身の若さや元気さが関係しますから、この問題も自分のなかでは、徐々にフェイドアウトしていくのと違うかな。もちろん、たまにやっぱりカーッとなって、「おれはまだ若いな」と思うこともあるけども(笑)。
雀部> 私も「おれはまだ若いな」と思うことがありますが、そう思うこと自体が歳を取ったことだと思うこともあります(笑)
 祖父の時代から『理屈は理屈 神は神』の神道(幕末三大新宗教のひとつ)の信徒なので、興味深く読ませて頂きました。日本は多神教の国で信仰する(拝む)対象には事欠かないし、七五三のお参りとか、厄年には神社で御祓いをしてもらうし、無神論者でも神社仏閣で悪さをする人は少ないようです。
 かんべ先生は、身辺に色々なことがおありになり、精神的に追いつめられていた時に宗教に出会われたわけですが、中年・熟年世代における宗教の効能についてはいかがお考えでしょうか。(私は、自殺したりするよりは、困り事は神さんに丸投げしてしまうほうがまだましだと思っています)
かんべ> 難しいことを聞かんといてよ(笑)。まあ、とりあえずは、人間が生きていく上において、宗教という選択肢があるのは、非常に有用なことだとは思ってますよ。しかし、その人が抱える問題の種類とかレベルの高低によって、宗教への接し方、入り方、つきあい方、すべてが異なってくるわけだから、一般論で言えることではありませんのでねえ。また、問題や困り事の解決ということと、宗教本来の存在意義とは別かもしれないし。選択肢という言葉を使いましたけど、それは人間の側から見たときの話であって、神仏の側から見たらそんなものではないのかもしれないし。おまけに、「中年・熟年世代における」ということで言うなら、生まれ育ちから始まって学歴職業その他あれこれ、何十年にもわたる生活経験や思考の蓄積があり、それによって価値観が定まってる年代ですからね。それを宗教世界の基準に照らして修正していくのは、大変ですよ。私の実感を言うなら、自分の意思でそうしようと思っても難しいのに、まして他者から言われて、そう簡単にできることではないと思う。簡単にできたら、それはむしろ「洗脳」されてる恐れがある。中年熟年でも、洗脳されやすい人というのはいますからね。何にしても、宗教は個々の人間の心の問題だから、私としては、「自分は縁あってその世界と接することにもなり、個人としてはラッキーだったと思ってるし、作家としても、それ以降の流れを興味深く見守っております」と言えるだけですね。だから普段の生活の場でも、それについては聞かれたら答えるけど、こちらから話題にしたり勧めたりはしていません。お互い、こういう問題については、無理したらいかんのです。まして、強要なんてね。
雀部> しかるべき時期が来て、ご縁のある神さんと出会えたら、それが良いですね。
 ついこの間、知り合いの同業者の先生が夕方突然訪問してこられて、何かなと思ったら、某宗教の勧誘でした。知り合いだけに非常に困惑しました。
 最近、地元の「エフエムゆめウェーブ」というFM放送に、よく投稿するようになったんですが、ラジオ放送とSF小説の類似(低廉+リスナー・読者の想像力に依存)を意識しますね。これからのコミュニティFMは、熟年世代向け番組を増やして欲しいと感じているのですが……(採算的にはどうなんでしょう?)
かんべ> 採算性を言うなら、コミュニティFMは、どこの局も大変でしょう。というより、いまはラジオというメディア全体が大変なんです。さらに言うなら、ネット社会になった結果、活字媒体、電波媒体、既存のマスメディア全体が大変なんですけどね。ラジオと小説の共通点は「映像」がないということで、それゆえにこそ、一人ひとりの受け手が個々の「映像」を創造してくれる。結果として、ひとつのメッセージが無数の映像、無数のオリジナル世界を生み出すことになるわけで。この点が、私のラジオ好きの理由にもなってるし、何の違和感もなくパーソナリティーを務めさせてもらえた背景にもなってるんです。詳しいことは、『ミラクル三年、柿八年』(小学館文庫)をお読みください(笑)。熟年やシルバー世代向けの番組は、ひとつのジャンルとして定着していくはずですよ。なにしろ少子高齢化が進むことは確定してるし、団塊世代がリタイアしだしてますからね。軽い会話、じっくりと聞くインタビュー、リスナーからの興味深いメッセージ。ラジオは手軽でおもしろいし、多くの可能性を秘めた媒体だから、またやりたいですね。
雀部> ネットラジオ番組なんかもありますから、益々パーソナル化していくかも知れませんね。
 近刊予定、今後の執筆予定がございましたらお教え頂けませんでしょうか。
かんべ> 長びく出版大不況につき、確言できないのがつらいところでございます(笑)。話がまとまれば、こんなの書きたいなあ、書けるんだけどなあという候補作は、「第三次大戦回顧録」「101人そこらの人」「聞いてくれますか」「帝国占領記録」「親切な雨」等々、それぞれ仮題ながら、いろいろあるんだけど、状況の推移とタイミングによりますからね。それらを書きつつ、ラジオ番組を担当できたら最高なんやけどな。
雀部> 今回はお忙しいところ、たいへんありがとうございました。
 構想、全部実現できるよう期待しております(笑)


[かんべ むさし]
1948年生まれ。関西学院大学社会学部卒。広告代理店勤務のかたわら、73年の「SFマガジン」コンテストに応募した処女作「決戦・日本シリーズ」が選外佳作となり、改稿のうえ同誌75年1月号に掲載された。
論理を積み重ねて意外な結末に着地する手法を得意とし、処女作に代表されるナンセンスなスラップスティックから、ホロリとさせる人情噺、サラリーマン内幕ものから、ハードな実験作まで、その手がける作品のジャンルはきわめて幅広い。
86年、笑いに関するテクニックを集大成した超大作『笑い宇宙の旅芸人』で第7回日本SF大賞を受賞した。
短篇集『俺はロンメルだ』『水素製造法』『建売住宅温泉峡』『原魚ヨネチ』『遠い街・恋の街』など、長編『公共考査機構』『孤冬黙示録』『第二次脱出計画』『トラウム映画公社』『黙せし君よ』など多数。近作に『課長の厄年』『虹の架け橋3時のおやつ』『就職ゴリラ塾』(いずれも光文社文庫)などがある。
ホームページ:http://www.ne.jp/asahi/kanbe/musashi/
[雀部]
今月は敬愛するかんべ先生の著者インタビューとブックレビュー、それに加えて講演の報告までお届けすることとなりました。皆様も、改めてかんべワールドの魅力におひたり下さいませ。

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