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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[栄村]

『SFマガジン』2012/05月号
 
第7回日本SF評論賞決定
優秀賞受賞作「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」渡邊利道 掲載
最終選考会採録
 荒巻義雄/小谷真理/新城カズマ/瀬名秀明/SFマガジン編集長

『華竜の宮(上・下)』
> 上田早夕里著/コードデザインスタジオ カバーデザイン
> ISBN-13: 978-4150310851
ISBN-13: 978-4150310868
> ハヤカワ文庫SF
> 各巻740円
> 2012.11.15発行
 ホットプルームの活性化による海底隆起で、多くの陸地が水没した25世紀。人類は、しぶとく生き残り再び繁栄していた。陸上民は残された土地と海上都市で高度な情報社会を維持し、海上民は〈魚舟〉と呼ばれる人間由来の遺伝子を持つ生物船を駆り生活していたが、陸の国家連合と海上社会との確執が次第に深まりつつあった――。
  日本政府の外交官・青澄誠司は、かつて自分の勇み足が原因で人命を失い、自らも獣舟に足を喰いちぎられるという苦い過去を持っていた。その後、外洋公館の外交官として赴任した青澄は、海上民たちの紛争処理に日々追われていた。
 そんな彼に、アジア海域での政府と海上民との対立を解消すべく、海上民の女性長(オサ)・ツキソメと交渉する役目が回ってくる。両者はお互いの立場を理解し合うが、政府官僚同士の諍いや各国家連合の思惑が障壁となり結論を持ち越されることに。
 同じ頃、IERA〈国際環境研究連合〉は地球の大異変により人類滅亡の危機が迫ることを予測し、極秘計画を発案した……

『社会は存在しない セカイ系文化論』
> 限界小説研究会編
> 笠井潔、小森健太朗、飯田一史、岡和田晃、小林宏彰、佐藤心、蔓葉信博、長谷川壌、藤田直哉、渡邊大輔著
> ISBN-13: 978-4523264842
> (株)南雲堂
> 2500円
> 2009.7.17発行
 セカイ系をめぐる諸問題について、ゼロ年代が終わりをつげようとするいま、時代的な意義と批評的な射程を捉え返し、広範かつ多様に展望する。
また、セカイ系的な「リアル」を最も身近に体感してきた二〇代から三〇代の若手論者たちを中心した初めての本格的なセカイ系評論集。
  岡和田さんの評論は、純文学畑の注目作家、青木淳悟氏の小説を題材に「世界視線」とそれに対比する「普遍視線」の概念を使い、グーグルマップをわかりやすい例にして解説(してると思う)。「モナド(単子)」理論の扱いも刺激的でした。←実のところあまり良くわかってないけど(汗;)

『しずおかSF 異次元への扉』
しずおかの文化新書9 〜SF作品に見る魅惑の静岡県〜
> YOUCHANカバーイラスト/宮野由梨香,鼎元亨,石和義之,関竜司,磯部剛喜,高槻真樹,岡和田晃,横道仁志,鈴木啓造,鈴木大治,カーコスキー朱美,小梅,八木洋行著
> ISBN-13: 978-4905300083
> 財団法人静岡県文化財団
> 476円
> 2012.6.30発行
 従来の「空想科学小説」という定義を超え、スペキュレーティブ・フィクション(思索的小説)という広義的な意味を持つまでに発展していったSF。日本では終戦後に持ち込まれた欧米の作品に影響を受け、1959年に『SFマガジン』が創刊、星新一、小松左京らがデビューし、日本独自のSF文化が広がっていきました。本書は、SFが生まれたルーツを辿りながら、静岡県とゆかりのある作品を多彩なアプローチで紹介します。
  岡和田さんの評論は「藤枝静男という内宇宙(インナースペース)」

雀部> 今回の著者インタビューは、ちょっと趣向を変えて「日本SF評論賞」と「創元SF短編賞」という、評論と創作の二刀流をたしなまれるお二人にお願いすることになりました。
  渡邊利道さんは上田早夕里さんの『華竜の宮』の評論、忍澤さんはスタニスラフ・レム氏の評論がSFマガジンに掲載されました。
  上田さんは「アニマ・ソラリス」の創世期から寄稿していただいていて、インタビューも多々ですし、ブックレビューにおきましては「スタニスラフ・レム追悼ブックレビュー」を何回か掲載してます。なんせうちの名前が「アニマ・ソラリス」ですし、これはぜひインタビューさせていただきたいなと心を決めていたんですよ(笑)
 さて、もう一人のインタビュアーとして、上田さんのインタビューでは度々ご協力頂き、レム氏追悼ブックレビューでは、ほとんどお任せしている栄村さんにも参加して頂きました。
栄村> 毎回呼んでいただきましてどうも(笑)。渡邊さん、どうぞ、よろしくおねがいします。
雀部> 世間的にはマイナーなSF、しかもさらにマイナーなSF評論を志されたのはどうしてなのでしょうか?
渡邊> 1999年からインターネットをはじめて、それまで書きためていた小説を公開しようと思って仲間を集めて投稿創作サイトを作ったんですが(いまは閉鎖しました)、毎日更新されるコンテンツが必要だなと思ってウェブ日記を書きはじめたんです。それがまあ普通だった時代で。それで、日常ネタはそんなにないので、折々に読んだ本や映画の感想もずっと書いてたんですね。
雀部> なるほど、最初は小説家を志されていたとすると「創元SF短編賞」に応募されるのは必然な気がします。
渡邊> で、ブログブームがきまして、はじまったばかりで熱気のあったはてなダイアリーに日記を移転して、いろんな人たちと交流の幅がひろがっていったんです。そうやってよく日記にコメントを下さっていた方に第五回SF評論賞優秀賞を受賞された岡和田晃さんがいらしてですね、そのうち読書会や佐藤亜紀先生の明治大学の公開講義などに誘っていただくようになって、私はずっと小説を書いていたんですけれども、新人賞にも落ち続けてることだし、ひとつ真面目に評論を書いてみないかと岡和田さんにSF評論賞への投稿を薦められたんです。
 ご自身の授賞式にも呼んで下さったりとか、翻訳家の増田まもる先生に紹介してくれて、バラードの書評をspeculativejapanに推薦してくれたりと、彼は本当にいろいろよくしてくださって、これは、期待に応えて何か書かなければいけないなあと思って、それがはじまりですね。
雀部> なんかいいなぁ、そういう話。岡和田晃さんは、「「世界内戦」とわずかな希望―伊藤計劃『虐殺器官』へ向き合うために」で受賞された方ですね。
 「21世紀、SF評論」という日本SF評論賞受賞者でつくられているサイトがありますが、皆さんで役割分担とかはあるんですか?
渡邊> いろいろと忙しいときなどがあるので、役割が固定されているわけではないと思うのですが、最近は岡和田晃さんが更新のチェックや、SF大会のときに評論賞チームで回り持ち連載した「××SF大全」のシリーズの転載などをやって下さっています。
 あと、掲載される記事には有志による査読も入ります。私なんかはぼんやりしていてダメなんですが、みなさんけっこうビシビシやりあってらっしゃいますね。もちろんいい意味でですけども。
雀部> なるほど。けっこうチームプレーもなさってるんですね。
 SF評論を書かれるにあたって、心がけられていることは何でしょうか。
渡邊> そうですね。これはべつにSFに限らないですが、作品を読むときに、作者が何を目指して書こうとしているのか、設定されているハードルはどのようなものか、をきちんと把握して、その上でどれだけのものが実現されているかを理解したいと思っています。具体的には細部に目を配ってきちんと分析するということになりますね。ちょっと論理的につつけば破綻するような安易な結論は避けるというか、「ここがこうなってる」というのを抜きに物を語らないようにしたいです。たまに小説よりも奇なりな想像力が羽ばたいている評論があって、そういう才能にずば抜けている人もいるのでかならずしも悪いわけではないのでしょうが、私は地味な人間なんでコツコツやりたいです。
 あとは、やはりSFなので「科学」をきちんとふまえて作品を論じたいですね。かならずしも科学技術や工学的な部分だけではなくて、科学的な思考とか、科学的知見によってもたらされた思弁や視点などを、論の中核に置いて構成したいと思っています。いまのところほとんど「思ってるだけ」になってますが……。
雀部> 確かにそこらあたりは、他の文学評論にはないSF独自のものですよね。
栄村> 科学的な思考や、科学的知見によってもたらされた思弁、視点を、論の中心に持ってくるとなると、まず「科学的思考」を身につける訓練と、それに加えて幅広い分野の学術論文を読みこなすには、基礎がしっかりできていることを要求されるので、評論にこぎつけるまでが大変ですね……。
雀部> 私もかなり論理的な評論と感じました。優秀賞を受賞されたということがそれを裏付けてますし。
渡邊> 私は実はまあ家庭の事情もあって中2の終りくらいからほとんど学校に行っていないので、きちんと正規な学問を修めたわけではないんですね。なので「科学的な思考」と言ってもまったく独学で科学哲学や科学史の本を読んで「こういうことであろうか」と考えているだけなのですね。まあそれは自然科学だけじゃなくて文系の学問も同じですね。英語もフランス語もきちんと習ったことはないので、字面を眺めてるだけに近いです。フーコーの博士論文(狂気の歴史)の副論文が英訳されたときに読もうと思ってわざわざAmazonで買ったにもかかわらず、けっきょく日本語訳が出るまで読まなかった、とかそんな有様で、とても「身に着けている」などと言えたものではありません(汗)。
栄村> お書きになった論を感心しながら読んでいたのですが、細かい大変な作業だったと思います。佐藤亜紀先生や岡和田晃さんをはじめ、迷路や袋小路に迷いこまないよう、アドバイスをしてくれる人が、周囲におられたのでしょうねえ……。
渡邊> 佐藤先生にはどちらかというと当時行き詰まっていた小説について相談することが多かったですね。読書会の企画があって佐藤作品をずっと再読したのが、SF短編を書くときにけっこう役に立ったような感じはあります。
 岡和田さんには最初に書き上げた分を読んでもらって、内容についてはけっこう誉めていただいたのですが、ワンセンテンスが長いとか、受けの良くないジャーゴンについてとか、文章表現上の細かい点についていろいろとアドバイスをいただきました。センテンスが長いというのはいまでもハヤカワでガイドなどを書くときによく指摘されますねー。
雀部> SFマガジンに載った「受賞の言葉」にも“二十代で慢性腎不全を患い腎臓移植手術を受けた”とありますが、かなりご苦労されたんですね。
渡邊> 私は父親が一代で財を成した人で、地方ではけっこうな企業として朝日新聞の経済面の記事になったり、市川右太衛門が雑誌かなんかの企画で家に来た写真とか、選挙の時に父親の秘書をしていた時代の海部俊樹が票集めのために何度も足を運んでいたとか、まあそんな感じの家で育ったんです。
雀部> えっ。元総理が選挙の時に頼りにされていたんですか。なんとそれは凄い。
渡邊> しかし母親が子供が嫌いだったもので、お手伝いさんを雇って私の世話をさせてたのですが、これがまあいうところのネグレクトの状態に近い感じだったのと、私が物心つくあたりで石油ショックがあって、家の商売が傾いてですね、まああまり堅い人ではなかったので、自宅にヤクザっぽい人なんかが出入りして、大金が動いて、で、ものすごく環境が悪くて、まあちょっとした頭の悪い子供になってしまったんですね。どれくらい悪いかというと、小学二年生にしてひらがなが全部書けないとか、1+1=2はさっき聞いたからはわかるけど、1+2はまだ答えを聞いていないからわからないと答えるとか、そういう種類の頭の悪さですね。
雀部> そりゃまあ、なんですね。あちら立てればこちらが立たずとでも言いましょうか、孟母三遷の教えの逆バージョンとでも言いましょうか(笑)
渡邊> まあ養護学級というのが昔はあって、そういうところに器質的に頭が悪い人として入れるかという感じで悪かったんですけども、それで、当然そんなの親はいらないからですね。母親は愛人を作って出て行ってしまって、父親は借金取りのヤクザに追われているのでまあつかずはなれずでいなくなったり舞い戻ったり、という状態で父がたの親類に引き取られて、でもまあ、大阪の伯父の家にいったん落ち着くんですが、やっぱりですね、そこで「お前らにおられたらわしら困るんじゃ」的な、まあそういう古典的な問題がありまして、もう当時年金生活だった祖母に引き取られたんですね。で、その祖母がまあわりと愛情を注いでくれまして、頭も普通になった、というか、わりと勉強はできる子になって、たしか小3から6年生まではテストの点はオール100点でした。わりと凄いでしょ?
雀部> はい。元々は出来る子であったと(笑)
 しかし、親戚中たらい回しにされたら、子供心にも傷ついちゃいませんでしたか。
渡邊> まあ、もともと親に愛情を注がれていたわけでもないので傷つくということはほとんどなかったんですが、ただ、「うちの子と同じようにしてね」と伯母とかに言われてて、いとこの子が冷蔵庫を開けてジュースを出したので自分も開けたら「他所の家の冷蔵庫を勝手に開けて!」と怒られるとか、そういうのに戸惑いましたね。いろいろと困ることが多かったです。後年16歳くらいでグレゴリー・ベイトソンを読んで、なるほどダブル・バインドというのか!って腑に落ちたりしました。
 いまでもそういう心理的危機の後遺症はあって、言葉の意味をリテラルに捉えようとする傾向があります。裏の意味とか、目配せとかが理解できないことが多くて、何考えてるんだとか非常識だとか言われたりするんですね。
栄村> そのころ、国語や作文でも、かなり先生から高く評価されてらしたんでしょうねえ……。
渡邊> いや、教師とはあまり折り合いが良くなくて、一部に高評価してくれる人はいましたけど、おおむね嫌われていましたね。まず授業を碌に聞かない、ノートを取らない、宿題はしない、でもテストの点だけはいいというそんな感じでした。
雀部> 先生に取っては扱いにくい出来る子だったと(笑)
渡邊> まあ、やっぱり教師ってええとこの人が多いですからね。お前らなんかに俺の気持ちがわかってたまるか的なね。幼稚な話なんですが。
 で、まあ先に言った通りですね。その祖母も中2の時に癌が判明しまして、父親が戻ってきて、倒れる前に伯父の家に戻れと、動けなくなってから世話になったら肩身が狭いから、動けるうちにいけ、ということで、でまあ姉がいたんですがこの姉はぐれて家を出ていたので、ほぼそこ(中2の三学期)から一人になって、一応世間的には父親と二人なんですが、父親は私が生まれたから事業が失敗したというか、悪運がついたと信じていて、まあ二人だとそういうことばっかり言うんですね。で、お前ら子供の犠牲にはなりたくないとか言って、まあ好き勝手するわけですよ。私もそう言われたらまあしょうがないかなと思って、一人で何とかしようと思って、それでまあいろいろがんばってはみたんですが(一度姉が戻ってきて結婚して出てったりとか、祖母の願いでほとんど行かなかった高校に入ったりとか)、どうも、やっぱりガキだったのでうまく生活できなくて、結局祖母が死んだのを機会に、きちんと就職したのです。父親はそれまでは一ヶ月に一回とかのペースで帰ってきていくばくかの生活費をくれていたんですが、就職すると完全にいなくなりまして、まあわりとすっきりしたんです。
雀部> なんと『ホームレス中学生』になる寸前まで行かれたんですね。
渡邊> それで住み込みで近所の町工場に入って、仕事するわけですが、これがなかなかハードで、忙しいときは一ヶ月まるごと休日なし、月曜から金曜は残業で夜10時まで、土曜は8時、日曜祝日は5時終りでびっちり働いて手取り14万という素晴らしい環境でした。しかも働いて一年ほどで倒産しちゃってですね。住み込みだから会社に自分が住んでいる建物を貸している大家を地力で探すところからはじまるサバイバルに突入します(笑)。借金とりのヤクザがやっぱり来たりしてですね、ちょっと経歴話したらヤクザが同情して缶コーヒーを奢ってくれたりとかしました(笑)。
雀部> (爆笑)
 って、真面目に考えると、すげぇ悲惨な話でもありますね。今で言うブラック企業だったんだ。
渡邊> いや、保証人もない家もない十五六の子供をひきとって仕込んでくれたわけだから、ブラックというのとは違うと思いますけども(笑)。私はいまでもすごく感謝しています。一からいろいろ教えてもらったので。
 でまあ、当時はフリーターというのが出始めた頃で、すぐにバブルがはじまるんですね。それで土方をしたり、派遣の工場労働者になったりして、そのうち家賃が面倒くさいし、大阪で暮すのも飽きて、ふらっと住み込みの季節工に応募してそのまま全国をほっつきあるいて、でまあ二十歳くらいで滋賀県の上のほうがどうやらヤクザらしかったんですが、わりと居心地のいい会社を見つけて、そこに居着いてたんですね。で、けっこうそこもハードな職場で、だいたい三ヶ月に一度くらいのわりで警察に逮捕されるか、病気やその他の理由で死んじゃう人がいるって感じで、たとえば夜中に誰か騒いでるなあと思ったら覚せい剤でラリッてるおっさんが寮の窓ガラスを叩き割ってまわっていて、やってきたパトカーに乗せられて去っていく、寝不足だけどそのまま仕事、とかそういうことがちょこちょこある感じですね。
雀部> 会社にも恵まれてらっしゃらなかったと……
渡邊> で、まあそこで腎臓病が発症したわけなんですが、まあてっきり酒とかいろいろやってたのでああ今度は俺の番か、死ぬか、と思ってたんですね。不思議と医者に行くって発想はなかったですね。すごく荒れていたので、そのうち死ぬだろうって思ってましたからね。で、案の定ある日心臓が止まって、すぐ蘇生したんですが、会社の上司がおまえ洒落になれへんぞっていって、その日のうちに医者に連れてかれて、それでこれは手遅れの腎臓病だと診断されて(心臓が止まったのは高カリウム血症ですね)、県立の医学部病院に連れてかれて人工透析生活に入ったわけです。これが1992年の夏、22歳のときですね。
雀部> 案の定なんておっしゃってますが、若干二十歳過ぎで生命の危機だったとは。
渡邊> で、病人なわけですが、工場でもそのまま働いていて、一年後に腎移植をしたのです。これがまあいろいろあったんですが、有り体に言うと、前例から失敗する確率が高かったので、身内のいない私にお鉢が回ってきたということだったらしいです(笑)で、まあ案外移植は上手くいったんですが、そのときの大量の薬剤投与の結果、両足の大腿骨骨頭が壊死してしまいまして、左足を人工関節に入れ換え、右足のほうは骨頭を切って壊死している部分に体重がかからないように回転させてピンとワイヤーで繋ぎ直す、という手術を行いまして、それは大阪大学でやったんですが、まあいろいろさまざまな不具合がありまして、退院したのは1995年の夏、そうです、阪神淡路大震災とオウム事件の年です。震災の時には箕面の病院に入ってまして、大量の患者さんがやってきて、まあてんてこまいでしたね。それから秋口にふたたび移り住んだ兵庫で今度は新しく入れた人工関節を脱臼しまして、神戸の病院に一ヶ月半ほど入院しました。ちょうど復興のまっただ中で、いろんな話を聞きました。
栄村> 阪神・淡路大震災では、倒壊した家屋に生き埋めになったところ、火災の炎が迫ってきて、なんとか瓦礫から這いだしたものの、母親が埋もれたまま動けない、中から将来のことを懇々と言いきかせられ、そのまま生きながら焼かれていくのを、当時、子どもだった自分は泣きながら見ていた、という悲惨で残酷な話も聞きましたからねえ……。あのころ、倒壊した家屋を前に、読経しているお坊さんと、その家の家族の方か、頭を垂れている姿を神戸周辺でよく見かけたな……。
渡邊> そうですね。知り合いの看護師はいろいろあって仕事をやめてしまいました。
雀部> 阪神・淡路大震災の直ぐ後に神戸の病院に入院ですか、それも大変というかなんというか。上田早夕里さんも実際に震災を受けられてますけど。
 それにしても、腎臓移植に人工関節ですか。若い人にはあまり人工関節を入れないんですが、よほど重篤な壊死だったんでしょうね。それにしても人生の修羅場が多すぎるような……
渡邊> で、退院するときこれからの生活をどうするかとなって、たまたま父親が天罰覿面半身不随になってて兵庫で一人で困ってるので、その介護をするんだったら、年金もあるし、足りない分は保護を出してやるからそれでなんとかしろと言われて、まあしょうがないかと思って父親と一緒に暮らしはじめ、その頃つきあってた友達に「おまえ本いっぱい読んでるんだから小説でも書いて金稼げばいいんじゃね?」と言われて、ちょっと書いてみたら群像新人賞の三次選考に残ったり、フランス書院というポルノ出版社に書き下ろしの文庫の仕事をやらないかといわれたり、漫画原作の仕事をもらったり、とちょっといろいろ期待させるようなことが続いて、じゃあやってみよう、と思って文筆をはじめたわけです。
 そしたらその後はぜんぜんパッとしないまま三十を越えて、友達がパソコンをくれたのでインターネットをはじめ、そこで知り合った女性が、食わせてやるから結婚しようよ、家事やってくれたらお金なくていいよというので結婚して専業主夫となったらですね、たまたまそのタイミングで移植した腎臓がポシャりまして、透析生活に逆戻り、家人が東京の方が仕事しやすいというので上京して、で、前述したように岡和田氏に評論を薦められて書いたのが受賞となった、という半生だったのでありました。
雀部> 波瀾万丈な人生が数人分集まったくらいの波瀾万丈ですね。
 失礼千万なんですが、奥様の登場だけが、ホッとするエピソードのような気がします。
渡邊> いや、でもやってる本人はあんまり悲壮感はないんですよ。
 そもそも親に大切にされたことがないので、そういうものだと思っていないんですね。自分で何かをやりたいと思ってやったこともほとんどなくて、もう目の前の状況に対応してるだけで四十二年過ぎちゃったみたいな感じで。ただ結婚してからね、俺ってけっこう不幸な生い立ちだなあとか逆に悟った感じでしょうか(笑)
雀部> 悟ることが出来たって、当然奥様には感謝してらっしゃいますよね(笑)
渡邊> というか世の中の人たちにとって家族と言うのは本当に自然なものなんだなあと。親が子供の面倒を見るのは当り前とか、本当に本気で思っているんだなあというのが少し驚きでしたねえ。
雀部> 大多数の家庭で親御さんは、そういう風に思っています(と思います)が、最近色々な事件もありますし、親から面倒見てやったから感謝しろと言われたら反発する子供もいるだろうしで……
渡邊> まあ感謝というなら毎日仕事に行ってくれているのが一番感謝ですけども(笑)一家の屋台骨ですからねー。
雀部> 確かに(笑)
 渡邊さんは身体的な不調を抱えられて執筆されているわけですが、伊藤計劃さんの作品について“あ、ここは分かるなぁ”と感じられたところがおありでしょうか。まあ、伊藤計劃さんの作品の評論は、岡和田さんが受賞しているのでやりにくい面はあるでしょうけど(笑)
渡邊> いや、それが『虐殺器官』も『ハーモニー』もそれなりに面白くは読んだんですけど、共感するようなところはほとんどなかったですね。どうも登場人物がみな幼い感じがしてしまって、なんでそういうところで終るんだろうと思うあんまり良い読者ではなかったです。アニメやゲームに無知なのもあるかもしれません。そういう遊びはあまりしなかったもので。私はどちらかというと病気になって人生が楽になった人間で、死にたくないとか本当に思ったことがなかったですし(というか苦痛に満ちた人生で死は恩寵だとさえ思ってたフシがあって・笑)、物を書くことも人からすすめられて軽い気持ちではじめたものなので、特に強い思い入れもなく、文学とか作家とかがそれほど大事なものだと思ってないんですね。自分が書いたものを読むのは好きですし、暇つぶしになってそれでお金もらえたらバンザーイとかは思いますけども。そういう点で伊藤さんは非常に真面目で美しい人だなあとは思いますが、もっと長生きして中年の作品を読ませて欲しかったですね。
雀部> う〜ん、私個人は、『ハーモニー』から“苦痛に満ちた人生で死は恩寵”的な印象を受けたのですけど。
 アイデアの一発勝負(良い意味で尖っているとも言いますが)と言う点と、もっと長生きして、沢山の本を読ませて欲しかったというのはその通りなんですけどね。
 若書きというか、文学畑でSFが一番、体験とか経験を基にしなくても書けるジャンルですよね。誰も行ったことのない世界とか、誰もが体験したことがない冒険も出来る(笑)
渡邊> 私の読み間違いかも知れないんですが、『ハーモニー』はむしろ「死すべき人間の生』を愛の名の下に肯定する話のように思えました。(以下ネタバレです)意識をなくした完全な調和の幸福を実現しようとするおさななじみの女性を、ヒロインが復讐だといって殺すわけですが、あれってあきらかに愛してるから殺すわけですよね。で、完全な調和と幸福を人類は手に入れたというわけだけども、物語の論理としてはあれは苦痛に満ちた個的な生(意識)を肯定してるんだと思うんですね。苦痛や死まで、個的な生の条件として肯定する。その根拠は、やはり愛なのだと思うんです。「(社会)正義」ではなくて。だからあれは生を肯定するお話で、死そのものは生の補完としてあるんじゃないでしょうか。実存主義で生の契機として死が存在するのと対になっているような。
 そうですね。誰も体験したことのない冒険ということでいうと、SF的には最後の完全な調和を実現した人類がスターチャイルドとかわたしは真悟みたいにがーっと何かをおっぱじめないと面白くないかなあとか思っちゃいますねえ(笑)
雀部> そう言われると、なるほどなんですが(汗;) ← 生を肯定するお話で、死そのものは生の補完としてある
 私には、設定がどうしても「〈個〉を捨てる話」のように思えたんで。意思とか意識を無くしちゃうというのは、生物学的には生きていても、「考える葦」としての人間は死んでしまっていると思うので、そりゃ違うだろうというのが普通なんでしょうが、なんか伊藤さんは本気でそういう道を提案しているような気がしたんです。
渡邊> そうですね。おそらくですけども、自然主義的な観点から脱意識(主観)的な未来像というのか、知性像を掴みたいという希望はあったんじゃないかなあとは思うんですけども、そういう視点からは明らかにあの段階では上手くいってないと思うんですね。もっとポジティヴにやりたかったんだろうに、きわめてアイロニカルな叙述になってしまっていて、そういう部分でのどういうふうに展開していくのか、もっともっと試行錯誤を見てみたかったなあというのは無い物ねだりですけどもありますね。とても面白い方向ですよね。私もいつかそういうの書いてみたいですねえ。
雀部> 確かに、脱意識的な未来像ってのは読みたかったです。
 SF評論賞に応募されるにあたって、誰(もしくはどういう読者層)を想定されて評論を書かれたのでしょうか。
渡邊> それは、まずは予選を通らないといけないので、想定読者は早川書房の編集部の方々でした。もっとも具体的に人を知っているわけではないので、ここ数年のSFマガジンの傾向とか、早川書房が出している本とか、あとはやはり評論賞でどういうものがこれまで評価されてきたか、あるいはどういうものがまだ出てきていないか、という傾向と対策的な発想で考えていったわけですが。たぶん刊行されてからまだ半年ちょっとしか経ってない日本人作家の新刊を論じたのは私がはじめてだったんじゃないでしょうか。
 内容的にはとくに難しさのレベルなど考えませんでした。ただ文章をわかりやすく明快に書くことと、分析抜きの断言や、論旨をロマンティックに飛躍させることはやめようと思っていましたね。そういう意味では「誰が見てもわかるものにしよう」という意識はあったかもしれません。
雀部> その日本人作家(上田早夕里さん)の『華竜の宮』を評論することの戦略的な狙いはどこにあったのでしょうか。
渡邊> 戦略と言えるかどうかはちょっとわからないんですが、わりと素朴な発想で、とりあえず90年代以降のデビューで、全作品を読めるだろう人をリストアップして、そのなかで私に感じるところがある作家的なモチーフが発見できて、なおかつ一つの作品を細かく分析して100枚書けるもの、と思って論じる対象を探しながら読んでいったんです。
 もちろんもともと読んでいるものもあるわけですけども、論じるとなると違いますし、処女作から最新作へと順番に読むのは気持ちいいものですしね。
 締め切りまでまだ半年ほどあったので、三ヶ月くらいでいろいろ読んでいって、上田早夕里さんの『華竜の宮』がぴったりだな、というか、これしかないと思いました。とにかく論じるべきことがいっぱい犇めくようにある作品だということと、とても評価されているのに、「SFが読みたい!」の座談会や、ネットなどで案外無理解に晒されていて、これは反論せずにはいられないとか思いましたね。
雀部> ネットと言えば、拙サイトも読んでいただきありがとうございました。まさにこういう目的のためにインタビューしているようなものなのでうれしかったです。
渡邊> いえいえ、こちらこそ。上田さんはインタビューでとても率直にさまざまなことを語られていたので、アニマ・ソラリスのインタビューは大変参考になりました。インターネットがあってよかったなあと思ったことでした。もちろんアニマ・ソラリスの記事は無理解なものではまったくなかったです。
雀部> ネットが無くなったら情報収集はどうなるんだろうと思う昨今です(笑)
渡邊>  それで、日本のSF史でこの作品はどういう位置づけになるだろうかと思って、二ヶ月くらいは日本SFのなかでの破滅テーマや災害テーマの作品をまとめて読み返して、小松さんからはじまって、田中光二さんのダイ・オフとか、筒井さんの『霊長類南へ』や平井和正さんの人類ダメダメ小説とか、新井素子さんの『ひとめあなたに』や栗本薫さんの『滅びの風』、神林長平さんの『あなたの魂に安らぎあれ』もある意味で破滅テーマですね。ヴァーチャルな日本沈没と巽孝之さんが評していた柾悟郎さんの『ヴィーナス・シティ』や、あとセカイ系、小川一水さんの『復活の地』や林譲治さんの『進化の設計者』あたりまで、たぶん100冊くらい読んでると思うんですが、60年代から10年代までの流れを大まかに掴んで、そこから作品の分析に入ったんです。実はその部分は評論でほとんど使わなかったんですけども(笑)。
雀部> しかし二カ月で100冊は凄いですね。考えただけで、頭が沸いちゃいます(笑)
 私も破滅テーマのSFは好きで、あげられた作品も読んでますが、そこから分析したりはしないのダメなのかな(笑)
 それと、表に出なくても色々読まれてからの評論だと言うことは感じましたよ。SF史的な流れの中での分析を使わなかったというのは、方針を変更されたということですか。
渡邊> まず、話題が多すぎて枚数的にカットしなければならない部分があったのと、作品論なので破滅SFテーマの歴史をからめてしまうと焦点がぼやけるかなあと思ったので、むしろ小松左京さんの作品との比較、眉村卓さんの『司政官』シリーズとの比較というふうにして、コンパクトにまとめてみたのです。
雀部> なるほど。
 あと、上田さんの作品のなかでの『華竜の宮』分析といいますか、総括的な分析があまり無かったように感じたんですが、これも何か。例えば、「最終選考会採録」で小谷真理先生がおっしゃっている、ジェンダー面からの分析なんかも面白いだろうし(『ゼウスの檻』との関連においても)。
渡邊> ああ、それもやはり枚数が足りないというのもありますけど、上田作品全部をあの密度で分析するのはちょっと時間的に難しかったですね。100枚で作家論をやって面白いのかという問題もありますし。たとえば一個一個作品論をやっていて、そのなかで位置づけると言うならわかるんですが、そうすると一冊本になりますから。
 ジェンダー論に関しては実はほとんど無知なので、能力的に難しかっただろうと思いますね。やっぱり専門の方が多い世界ですし。
雀部> なるほど、やはり枚数的なものはありましたか。ジェンダー絡みとなると論客も多々ですし、これまた枚数的にきついですよね。
 題名の「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」なんですが、これインパクトありますよね。確かにその通りなんですが、この題名で行こうと決められた理由は何でしょうか。
渡邊> ええと、プロットを立てているときに、内容からふっと浮かんだんですね。第二部の第八章が「宴の終わり」なので、この小説は宴なんだな、というのがあって、それで主要登場人物がみな独身者であるというのも重要な論点として考えていたので、「独身者たちの宴」と、わりとすっと出てきました。
雀部> 渡邊さんの評論を読んで、主要登場人物が独身者であるというのと、あのラストは確かに関連してるなぁと感じました。
 まあ、今まで小松左京賞受賞作家ということで、私も小松左京先生が書かれるところの“面白くてしかも読者を啓蒙するSF”を上田さんに期待していたところがあるんですが(笑)
渡邊> どうなんでしょうねえ。私は文学作品は読んで面白ければそれでいいんじゃないかと思いますけども。小松左京さんの小説も、私はわりと啓蒙されるよりは馬鹿話として楽しんできた部分が強いので、触発されてものを考えるのはまあ読者の資質というのもあるんじゃないでしょうか(笑)。もちろん、この面白さはどういうところからくるんだろうか、とか、なんでこの作家はこういうふうに変化したんだろうとか、そういうことを考えるところから評論ははじまるわけですけども、それはまあどちらかといえば作品や作家に対する好奇心が触発されているように思います。
雀部> なるほど。
 では、渡邊さんが『華竜の宮』と上田早夕里さんに対して持った好奇心のうち、一番大きなものは何なのでしょうか?
渡邊> そうですね。『華竜の宮」に関してはやっぱり世界の複雑さですね。上田さんの作品は、『火星ダーク・バラード』から読んでいて、ずっとなんて論理的で堅苦しい作品なんだろうと思ってたところがあったんです、実は(笑)。論理的に非常に緻密に構成されていて、文章の一つ一つ、場面の一つ一つにきちんと意味がある。それは美点でもあるんですが、どうも読んでいてある種の息苦しさを感じることが多くて、それが『華竜の宮』では一気に世界がひらけていく感じがあって、しかも厳密な物語構成の論理性はしっかり維持されている。これは見事な達成だなあと。一人の作家を順番に読んできてこういう作品にめぐりあえるというのは本当に嬉しいことで、前述しましたけど同時代の日本人作家を論じようと決めていたので、これはもうこの作品しかないなと。
 登場人物一人一人にずっしりした人生があって、オブセッションがある。それでいて背景世界は、そういった人間と厳然と対立して存在している。この人間の世界と、人外の世界のからみあった対立関係を、具体的な生物の世界を参照しながら構築されていて、そこが一番の魅力だと思います。そしてその上で、『華竜の宮』という作品においては、人間社会を中心に据えてネゴシエーションにとりくむ外交官の苦悩を、半分人外の存在であるマキの視点から描く物語になっているんですよね。いわば三層構造になっていて、この複雑さはやっぱり素晴らしいと思います。
雀部> なるほどそうやって説明して頂けると確かに傑作ですね。わがことのように嬉しいです(喜)
 特にタイフォンのパートで、何があっても生き延びなければと心に決めた直後に訪れる死と、その後兄に「私は死んだとは思ってない」と語らせるシーンは、ラストに繋がる気がしました。遺伝子的には非常に近いけれど同一ではない兄弟と、人間と獣舟変異体の関係。もう一つは、子供の頃人生の一部を共有していた兄弟と、青澄とマキの関係。他者性へのこだわりというか、〈個〉が〈個〉であることを徹底的に貫く物語を書きたいとおっしゃる上田さんにとって、〈個〉が消滅するということは、その〈個〉にとって世界は終わりで、かけがえのないものであると言われている気がしました。だから残された者にとっては、「彼らは全力で生きた、それで充分じゃないか」としか言いようがない……
渡邊> タイフォンのシーンは素晴らしいですね。ああいうシーンをわざとらしくなく書けるというのは凄いと思います。
 サルトルは「人間は死ぬと運命になる。批判が可能なのは生者に対してだけだ」と言ってますね。SFは地球や歴史といったものを題材にするので、比較的そういう「運命」という視点に近づきやすいジャンルなのかもしれないとは思いますね。
雀部> もうひとつは、渡邊さんも指摘されていますが、後半に出てくるツキソメとユズリハの合唱のシーンなんですけど……
 「くさびらの道」で、キノコの出す化学物質が、人に幽霊を見たと錯覚を起こさせる(人によって見えるものが違う)オーリ症を書かれた上田さんなので、異なる四者の感じている音楽をひとつのものとして記述しているということは、読者に与える「美しい誤解」を狙ったもののように感じました。
渡邊> 誤解と言うか、あれですね、個々の主観はバラバラでもひとまとまりで美しいものってありますからね。そういうメタレヴェルに立てるのが言語的な知性の良さでもあるような気がします。
雀部> 恋愛なんて、お互いの「美しい誤解」がないと成立しないような気がします(笑)
  (後半に続く)


[渡邊利道]
1969年愛知県生まれ。流れ流れて現在は東京在住。
週三回透析治療を受ける病人、専業主夫。
たまに評論や小説を書きます。
[雀部]
1951年岡山県生まれ。
歳を実感する今日この頃(汗;)

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