雀部 | | 《21世紀空想科学小説》シリーズ今月の著者インタビューは、『小惑星2162DSの謎』作者、林譲治先生です。 林先生、今回もよろしくお願いします。 前回の『ウロボロスの波動』インタビューから、申し訳ないことに11年経ってしまいました。 |
林 | | どうもお久しぶりです。 |
雀部 | | こちらこそご無沙汰しております。 さて最初にお聞きしたいのですが『小惑星2162DSの謎』は、対象読者の想定年齢を何歳くらいからを考えられていますか。または考えられていませんか。 というのは読んでみて、かなり高度(と言っても高校生レベルなのかも)な科学的考察・展開がうかがえるので。ヤングアダルト向けなのではと思われる『キャプテン・リリスと猫の宇宙船』より真正面から書かれてますよね。まあ、サブジャンル的には相当違うのでありますが(笑) |
林 | | 一応、対象年齢は小学校高学年を想定しています。「小惑星2162DS」については、子供向けじゃないという意見は多くいただいていて、と言うかそれ以外の意見は知らないくらいですね。 僕が心がけたのは、難しい漢字を使わないと、センテンスは短くするくらいですね。アイデア量は当社比五割増し位を目指しました。実現できているかは読み手が判断することですが。
私としては、むしろ疑問なのは、子供向けのSFと言われる物の子供向けとは何であるのか?ということです。 2,30年前、新聞か何かに、悪役俳優の山本昌平さんが、特撮物ではじめて悪の組織の大幹部を演じたときのインタヴュー記事がありました。その中で印象的だったのは、「ヤクザ映画などより、今回の仕事の方が難しい。子供は大人の役者が、子供向けと思って手加減すると、敏感にそれを読み取ってしまう。子供むけだからこそ、真剣勝負をしなければならない」と言う趣旨のことが書かれてました。基本的にはそういうことです。
もう一つは、作家の側がSFを通して子供たちに提供すべきメッセージとは何であるのか? と言うことです。この話に書いてあることが、すべて既知の知識である小学生は希だと思います。多くの読者にとって、この小説のような環境は日常生活より離れた、異質なものでしょう。小惑星のような環境では、重力と質量が違うと言うレベルで、日常の常識が通用しない。
読んでわからない知識は多々あるでしょうが、それは構わないし、そうでなければならない。書く側のメッセージとしては、まず「あなたたちがこれから生きてゆく世界は、いまのあなたたちの日常的な常識がまったく通用しないような奥深さと広がりがある」それを提示できたなら、一応の成功となります。 そして、この本を読むことで、「いまの自分が知らない世界」を知り、興味をもった読者が、その知らないことを調べる中で、自分の世界を広げてくれれば、本作はその存在意義を果たせたのではないかと思います。 |
雀部 | | やはりねぇ。 ロバート・A・ハインラインの言葉に、確か「ジュブナイルSFとは、子供が読んでも面白いと思うSFのことだ」というのがあったはずです。大人が読んで面白いのは当然として、子供も楽しめるという間口が広いのがジュブナイルSFであると私は理解してます。 21世紀空想科学小説ということでは、色々バラエティに富んでいる方が間口が広いですし、SF界でも屈指の科学派である林先生の作品がラインアップに入っているのはうれしいです。 |
東野 | | 宇宙ものをお願いするなら、林さんと最初から決めていました。受けていただいて、ほんとうによかったです。 |
林 | | とは言え、上田早夕里さんとも話したのですが、藤崎慎吾さんの「軌道衛星2万マイル」はやられたと思いましたね。この手があったかと。 |
雀部 | | 宇宙が舞台で海洋SFですから(笑) あ、東野さん、毎回ありがとうございます。 あと林先生は、「どんな設定・展開でも、どんなキャラでもOK」な小説を書かれるより「制約だらけの中で色々工夫して書く」のがお得意(お好き)な感じを受けているのですが、どうでしょうか。 |
林 | | 仰る通りですね。制約が多い方が書きやすいので。限られた技術水準と限られた資源の中で、某かの目的を達成しようとすれば、解決策は自然に絞られますから、あとはそれをお話にしてゆけばいい。制約が厳しければ厳しいほど楽ですね。それも限界はあるわけですが、江戸時代の技術で衛星を上げる程度のことはできます。 |
雀部 | | え、本当に可能なんですか?>江戸時代の技術で衛星を上げる |
林 | | 黒色火薬程度しか使えないので、比推力の小ささは、質量比で挽回する。城のようなブースターで簪一本が軌道にあがるような感じでしょうか。具体的にどうするかの、やりようは色々ありますが、大事なことは幕末の日本における蘭学の蓄積はかなりなもので、ロケット打ち上げのために必要な数学やニュートン力学を理解していた日本人集団が存在していたことです。 |
雀部 | | ジュブナイルのネタにできそう>城のようなブースターで簪一本 幕末には、佐久間象山が電信実験をした話とかも有名ですよね。 最近、江戸末期の医学状況を知るようになったのですが、麻酔の華岡青洲など、西欧には遅れていたもののかなり近代医学の知識はあったようですね。歯科に関して言うと、吸着タイプの総義歯は、江戸時代からあった日本が最初のようです。 |
林 | | 文献だけを頼りに蒸気機関まで製造してますからね。明治政府は政権の正当性を誇示するためにことさら幕府を無能に宣伝していたわけですが、幕府も色々と近代化には着手していた。蒸気船にしても、ペリーが来航(することは幕府は既に知っていた)したから、あわてて大型船の建造を解禁した(これは明らかな事実誤認であり、そもそも幕府は大型船の建造を禁止していない。)ように言われているわけですが、じっさいには蒸気船は前年から建造が始まり、完成がペリー来航後だっただけです。
また和船に関するイメージも実態以上に低い。鎖国していたら船舶技術が低かったというのは明らかに間違い。そもそもそんないい加減な船舶しか建造できなければ、高田屋嘉兵衛とかジョン万次郎のような漂流者が現れるわけがない。数ヶ月、一年という長期間でも漂流できるだけの強度がなければ、彼らの英雄譚は成立しないわけです。
和船の大きさに限界があったのは、木造船という制約よりも経済性です。大型船舶のほうが輸送コストが安い。だから千石船より大きな船舶も建造され、資金がある船主は一二〇〇石〜一五〇〇石船も建造していた。
ただそれ以上の排水量にすると、船員数を増やさねばならず、人件費(固定費)が増えるので、コスト的に不利なため、それ以上の船は建造されなかった。
斯様に江戸時代の技術は経済的合理性を背景に発展してわけで、決して停滞していたわけではないわけです。蒸気船建造もそうした背景があればこそ可能だった。
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雀部 | | 蒸気船にも手をつけていたとは。 ご著書の『太平洋戦争のロジスティクス』大変面白かったです。これまでこういう形で太平洋戦争を俯瞰した本は無かったのでしょうか? |
林 | | ありませんでしたね。「補給戦」という古典的名著はありますが、これも欧米の闘いが中心で、日本軍の戦争については触れられておりません。色々な一次資料等に部分的に既述されている兵站補給の制度をまとめあげるという、方法論は単純ですが、作業は地道なことを延々繰り返す必要がありました。あの本はロジスティクスの医療制度などの部分を省いているため、そうした部分はいずれ何らかの形でまとめたいとは思っています。ちなみに医療ではありませんが、続編的な本を書くことが決まっていて、現在そのための資料の読み込みをしています。 |
雀部 | | それは楽しみです。でも、大変そうですね。 医療関係のロジスティクスもぜひ読みたいです。敵の戦力を削ぐには、殺すより大怪我をさせる方が効率的とか良く聞きますもので(笑) |
林 | |
妻に訊いたところ、看護学校で学ぶナイチンゲールの功績は、医療現場に統計を持ち込んだことだと学ぶそうです。戦場の医療というのは、その社会の人権意識などとも密接に関わってますし、トリアージを実行するのが医療としては合理的だが、軍務としては不合理と言う事もある。だからよく言われる「殺すより大怪我をさせる方が効率的」というはかなり皮相的な解釈です。
事ほど左様に、ロジステックスには考えねばならない問題が多い。あの本は兵站補給に絞ってますが、本来は医療などとも切り分けられない部分が大きいわけです。 類書のない理由は、面倒な作業が多すぎることに尽きると思います。色々な組織も関わってまして、じつのところ原稿用紙で100枚ほど削ってます。ただ資料を調べながら思ったのは、「日本軍が兵站補給を軽視したか?」と言うより、「日本人は兵站補給を軽視している」の方が実状に近いような気がします。兵器のような派手な分野には資料や著作も多いのですが、兵站関係の地味な分野の書籍は少ない。そうした地味な分野への関心が、日本人は総じて低い気がします。 |
雀部 | | 本の中で林先生が「日本軍において、兵站部門はエリートコースではない」という意味のことを書かれてましたが、欧米では違うのでしょうか。 |
林 | | と言うよりも、日本陸海軍の人事制度が著しく硬直的であったと考えるべきでしょう。海軍など軍令承行の問題を自力では最後まで解決できなかった。旧軍に関して言えば、小役人と武人ばかりで、近代軍の軍人がいなかったと総括できると思います。この武人と軍人の問題は日本軍の、と言うより日本の近代化の問題と言えるでしょう。 |
雀部 | | なるほど。 江戸幕府が延々と続いてきたので政治のシステム自体が旧態依然としていたんですね。 私が最初にロジスティクスの意味を知ったのは中学の生物の授業でした。閉じられた系での生物の個体数の増加と減少を描いた曲線の図が“ロジスティック曲線”と書かれていて、先生が「別名“兵站曲線”とも言う。ところでこの字はなんと読むか知っている人」と言ったので、某戦争SFで読みと意味を知っていた私が(笑) 誉められて味をしめた私は、ロジスティクスに興味を持ったのでした(汗;) “小惑星2162DS”の環境での繁殖は、まさにこれですよね。 |
林 | | あのような単純な生態系が持続するかどうかというのは、数学的にも面白いと思います。安定するパラメーターも少しずらすと崩壊する。FM7でそういうプログラムを(日経サイエンスのコラム的な記事を頼りに、閉じた生態系で生産者と捕食者の寿命と個体数の関係をシミュレートするもの)つくりましたが、一晩放置しても安定した状態を維持するもの、数世代で全滅するものなど、わずかなパラメーターの変化が、とてつもない違いを生むことに驚かされました。 |
雀部 | | あの当時、ご自分でプログラム書かれたんですか。FM7というと、黎明期の傑作マシン。私はだいぶ遅れて『ルーディ・ラッカーの人工生命研究室』(Windows98)の付属ソフトで遊びました。確かに、ちょっとの差異が影響しますね。 『小惑星2162DSの謎』を書かれるに当たって、そういうシミュレーションをされたのでしょうか。 |
林 | | 基本的に必要なプログラムはいまでも自前で組んでいます。プログラムを組むというのは、計算数値が目的なのではなく、それ以上に対象物に関して、問題の構造を理解するために有効です。計算結果の95%は使いませんし。 あと自分用のプログラムは、小説世界の計算なので、それに最適化できる(つまり汎用性はほとんどない)ため、プログラム自体を簡素化できるメリットもあります。面倒なGUIも不要で、数字だけ吐き出させれば、書く側はどういう世界か予想がついているので、それで十分なわけです。
ただ本作に関しては、生態系のシミュレーションは特に行ってませんが、細かい計算は色々としています。主に電卓で出来る程度のものを。 |
雀部 | | (ここから、かなりネタバレなので反転) ということは、「小惑星2162DS」に出てくるマイクロブラックホールに関してのシミュレーションはされたのですね。 |
林 | | シミュレーションというほどではありませんが、ホーキング輻射の計算は一応やりました。ただこんなのはプログラム関数電卓(いまはfx-5800pを常用してますが)でもできます。むしろ面倒なのは小惑星の温度をどすうるか? なのですが、じつはこれはホーキング輻射よりも内部の熱と表面からの放射熱量の関係できまるので、どちらかといえばそっちの見積もりの方が重要ですが。 |
雀部 | | 小さな小惑星といえども、色々考慮する要素があるんですね。 前回のインタビューのあと、ブラックホールの専門家の先生(嶺重慎先生と福江純先生)にインタビューする機会があったんですが、『ウロボロスの波動』にも出てきた降着円盤からエネルギーを得る方法は、かなり効率が良い(核分裂や核融合よりも)んですね。 ブラックホールが連星系になっていたのは、原子炉を貫いたらヤバイという以外に何か理由があるのでしょうか? |
林 | | 一番大きいのは、マイクロブラックホールの質量を10億トンと想定しているのですが、これだけの質量があるとそう簡単には蒸発してくれない。短時間で蒸発するには数千トンクラスまで軽くないと困るので、連星系としました。これだとラストの解決法も使えますし。 一番最初は、連星ではない設定で、角運動量の交換でマイクロブラックホールを小惑星の外に飛び出させて、爆発させるつもりだったのですが、色々と問題があるので、連星としたというのもあります。 |
雀部 | | 本で読める設定は一種類なんですが、裏では色々考えられているんですねぇ。 (ネタバレここまで) 『小惑星2162DSの謎』を読んだ子どもたちが、次に読むなら林先生のSFだとどの作品になるでしょうか。 |
林 | | 『ウロボロスの波動』ですかね。強いてあげるなら。 |
雀部 | | なるほど、前回インタビューの『ウロボロスの波動』ですね。 ちなみに、『小惑星2162DSの謎』では、考慮すべき因子が少ないので、生態系全体を把握した設定も考えやすい方だと思いますが、『ウロボロスの波動』とか仮想戦記ものだと考慮すべき用件がかなり多くなり、量的な要素だけではなくて、質的な問題も絡んでくるのではないかと想像しているのですが…… |
林 | | それは多々ありますね。たとえば宇宙に社会を建設すれば、経済システムも変われば、そこから派生して家族関係や文化も違って来る。たとえば家族の形態ひとつとっても、私が子供の頃と今日の間では経済環境の変化から、家族をとりまく環境も違ってきた。子供の頃には見合いも珍しくないし、高卒で結婚した女性も珍しくなかった。それが「20代で結婚は早い方」という潮流になり、いまは非婚が問題となりつつある。これだけ大きな変化が地球の上で半世紀に満たない期間に起きている。宇宙という環境ならなおさら、大きな変化と、それでも変わらない部分が明確になるでしょう。
例えば家事ロボットが登場する社会を考える。家事をして、育児もこなすような高性能ロボット。こんなのが登場すると進歩した社会に見える。
しかし、ロボットが育児まで賄うというのは、保育所など公的な支援体制が未整備で、企業の育児支援も限定的であり、夫婦における家事分担に男性側の意識も旧弊で家庭内の支援も期待できず、少子高齢化で労働力不足から女性の社会進出が求められる。
この中で、家事分担の矛盾を解消するのがロボットとなるわけです。
別に少子高齢化の対策と女性の社会進出の両立は、高性能ロボットなど持ち出さなくても社会制度の関係するステークフォルダーの意識改革で可能なことです。しかし、それに成功しないからテクノロジーに押しつける。
だから日本のSFとは、そういうテクノロジーで物事を解決する事の意味する背景をもっと真剣に考えるべきで、それは進歩などではなく、主体的に社会問題を解決できない情けない現実の投影かも知れないことには自覚的であるべきだと思います。
ちなみに先の家事ロボットの話はほとんど現実の話で、家事ロボットの代わりに、外国から家事手伝いの入国を認めるという議論になってます。
架空戦記にしても、経済環境の問題について把握せねばならず、メディア統制や社会格差など考えるべき項目は多い。もっとも日本の産業統制から南方資源地帯の占領行政はどれ一つとっても、およそ成功とは言い難い稚拙なもので、占領のための占領を無意味に続けていた側面が多い。域内通貨や金融システム一つ解決できていない。それだけ話の題材は尽きませんが。
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雀部 | | まさにそこが林譲治ワールドの魅力ではありますね。 『キャプテン・リリスと猫の宇宙船』での戦闘シーン、ミサイルが高価なので(費用対効果もあり)二発使うか一発ですませるか激論があるシーンでは大いに笑わせてもらいました。これなども、最初からミサイルの値段とか『アルマダ商会』の年間予算・決算とか決められてから書かれたのですか。 |
林 | | 現実界でもミサイルというのは高価で、スパローで2000万円、サイドワインダーで500万円、トマホーク辺りだと7,8000万円します。で、あのシーンに関しては、ミサイルの値段より先に、ミサイルの性能を計算するところからはじめ、これがけっこう大がかりなので、価格もそれなりという見積もりを出しました。化学推進ミサイルなのですが、限定されたエリア内でプラットホームとしてのスカロスの初速と、標的艦よりは加速性能が優れていることから、限定されたエリア内では攻撃可能という想定です。だから運用が難しい。 |
雀部 | | むぅ、考慮すべき要素が色々あるんですね。 『超時間の闇』拝見しました。作者が、小林泰三・林譲治・山本弘とかなりコアSFを書かれる面々で、編集部の意図を感じましたよ(笑) 読ませて頂いて、楽しんで書かれている感じがしたんですが、どうなのでしょうか。 |
林 | | あの人選は完全に偶然ですね。編集者から電話があった時に希望を聞かれて、「時間からの影」か「狂気山脈」と返答したのですが、あとでメールがあり、小林さんも「時間からの影」を希望していると知らされました。書き手が決まった話から、進めて行くようでしたね。最初の電話の段階で、あの話の骨子はできあがっていました。 ただクトゥルフ物としては変化球なので、これにするかどうかは若干悩みました。他の方なら直球で行くだろうから、自分は変化球でもいいだろうが、小林さんがどんな弾を投げてくるかわからない。変化球ばかりの本というのも、どうかと思うので。 で、ここは小林さんはクトゥルフ物なら直球勝負で行くだろうと判断して、あの話にしました。個人的にはクトゥルフ物は異質な知性体を理解できない人間の話と思っているので、書いていて楽しかったですね。 |
雀部 | | え、あのメンバーのラインナップはたまたまなんですか。ちょっと驚きです。 小林さんの意外な――意外ではないとの意見もございましょうが(笑)――作品が読めて楽しめました。 最後に、今後の執筆(出版)予定がございましたら、かまわない範囲でお教えください。 |
林 | | すでに動いているものとしては、ロジスティクス本の続編的な書籍があります。年内に出せるかどうかは微妙なんですけど。SFでは、まだはっきりした形になってませんが、近現代ものの企画を進めています。 |
雀部 | | 個人的にはロジスティクス本、大変楽しみにお待ちしております。 もちろん近未来SFもです(笑) |