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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『さしえの50年』
> 尾崎秀樹著/志村立美カバー画
> ISBN-13: 978-4582651218
> 平凡社
> 3600円
> 1987.5.13発行
 表紙画は、丹下左膳。ま、鞘を口にくわえているので左膳だとは思いました(笑)
 『光の塔』で有名なSF作家、今日泊亜蘭氏の父君である水島爾保布画伯の「人造人間時代」と題した漫文とかもあり、面白いです。

『光瀬龍 SF作家の曳航』
> 大橋博之責任編集
> ISBN-13: 978-4947752895
> ラピュータ
> 2400円
> 2009.7.7発行
 光瀬龍没後十周年メモリアルとして刊行。
大学生時代に菊川善六名義で書かれた未発表習作「肖像」を含む、単行本未収録作品13編(加筆され単行本化される以前の雑誌での初出バージョン等を含む)とエッセイ39編。
光瀬自身が単行本のあとがきや雑誌のエッセイなどで語った心象風景やこだわりが、各作品へと昇華される過程を、徹底検証してつまびらかにした「光瀬龍自伝」。

『SF挿絵画家の時代』
> 大橋博之著/斎藤和明カバーイラスト
> ISBN-13: 978-4860112332
> 本の雑誌社
> 1800円
> 2012.9.25発行
 冒険、ユーモア、イメジネーション。SF小説を彩ってきた挿絵画家たちの華麗で濃密な世界。小松崎茂から加藤直之まで総勢71名を紹介!

『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』
> 大橋博之著/樺嶋勝一カバーイラスト
> ISBN-13: 978-4863290983
> 弦書房
> 2200円
> 2014.3.25発行
 挿絵の黄金期(大正〜昭和初期)を生きた樺島勝一(1888〜1965)。挿絵に徹し挿絵画家であることを誇りとした男の生涯。写真よりもリアルに描かれた挿絵―それは、どのような精神から生み出されたのか。その深さと画家の域を越えた魅力に迫る。大正から昭和戦後にかけて発行された少年雑誌を概観する文化史にもなっている。

雀部> 今月の著者インタビューは、'12年に『SF挿絵画家の時代』(本の雑誌社)、'13年に『少年少女 昭和SF美術館』(平凡社)、'14年に『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』(弦書房)を出された大橋博之先生です。
 大橋先生よろしくお願いします。
大橋> よろしくお願いします。
 というか、先生はやめてください(笑)。
雀部> 了解です(笑)
 浅野さんが、樺島画伯の近所にお住まいだったと聞いていたんで、ちょっと参加してもらいました。浅野さん、たびたびすみません。
浅野> 今から七十数年前(戦前?)の話です。
 樺島さんの息子さんが友達で、私と同じ、又はひとつ上くらいの歳でした。
 有名なお父さんとは知らず、息子さんの誘いでアトリエに入ったらば、軍艦の絵が沢山有ったので驚いた記憶があります。

 10年程前(今調べたらば、2003年)、大手町の逓信総合博物館へ『正チャンの冒険』80周年特別展を観にいきましたが、軍艦の絵も展示されていました。
 その逓信総合博物館も2013年8月31日をもって閉館。
 世の中どんどん変わっていきますね。
大橋> えっ、樺島先生の息子さんですか?!
 どなたでしょう?
 息子さんは確か戦前にお生まれになった方がお二人いたように記憶しています。
浅野> 兄弟が居たのは知りませんでした。
 お互いに名字を君付けで呼んでいた気がしますので、ファーストネームは記憶にありません。
 昭和6年か7年生まれの方です。
大橋> ならば次男の基弘さんですね。基弘さんは昭和7年のお生まれです。
 樺島先生はご自身のアトリエに子供は入れない人だと聞いていました。
 浅野さんがアトリエに入られたのなら、ちょっとレアなケースかもしれません。

 それと、『正チャンの冒険』の企画展が8月29日(金)〜9月23日(火)の日程で大阪・阪急メンズ大阪5階のオープンスペースで開催されました。
 現在は、長崎県立美術館で「挿絵画家 椛島勝一の世界」が開催中です。
 ちょっと妙なめぐりあわせですね。
浅野> アトリエは一瞬間でしたから、多分、内緒で見せてくれたのでしょう。
 『正チャンの冒険』の企画展、siteの『マンガ試し読み』を見てきました。
 今、読んでも楽しめますね。
雀部> 浅野さんありがとうございました。
 
 樺島画伯と言えば船舶! 『なつかしの樺島勝一艦船画集』これはまだ見られますね。ものすごく緻密な絵です。
 『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』の記事は、西日本新聞に載ったんですね。
大橋> 2008年に『樺島勝一―昭和のスーパー・リアリズム画集』(小学館クリエイティブ)の編集チームに加わることなって、樺島先生とはそこからの 付き合いになります。
 その画集に短い評伝を書いたことから、本格的な評伝を書きたいと思い、それが『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』(弦書房)になったという、そういう流れです。

 横尾忠則先生が『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』(弦書房)の書評を『朝日新聞』に書いてくれて。それは嬉しかったですね。
 『朝日新聞』の書評に載ると増刷される! と言われていたのですが、増刷されませんでした(笑)。
雀部> 横尾先生の選評とは凄いですね。
 しかし残念でしたね(笑)>『朝日新聞』の書評に載ると増刷される!……
 大橋さんは、子供の頃どういった本を読まれていたのでしょうか。
 またお好きな小説家、映画、TV番組はあったでしょうか。
大橋> 僕はリアルタイムでの樺島勝一世代ではありません。
 子供の頃は漫画全盛期で、小説より漫画ばかり読んでました。
 大阪の生まれなものですから日本万国博覧会に行ったり、TV番組はNHKの『少年ドラマシリーズ』が好きで観てました。『タイム・トラベラー』とか『暁はただ銀色』とか。
 学校の図書館でSFを読んだり。そこら辺の原体験が出す本の許になっています。
雀部> リアルな樺島世代というと、浅野さんたちの世代になりますよね。
 『少年ドラマシリーズ』はよく見てました。時間が止まっているのにプルプル微妙に動いていたり(笑)
 『暁はただ銀色』は持ってますよ。今見たら、表紙画と挿絵は、武部本一郎画伯なんですね。なんと今まで気がついてなかったという(汗;)
 「中一時代」の連載でリアルタイムで『夕映え作戦』は読んでました。まあ、あの頃のワクワクドキドキ感たるや……
大橋 > その頃はSFブームの走りでしたからね。『少年ドラマシリーズ』に原作があると知って、《SFベストセラーズ》 (鶴書房)の筒井康隆『時をかける少女』を読んだり、眉村卓『なぞの転校生』を読んだり。
 眉村先生は私の母校の中学校の大先輩で、その母校が『なぞの転校生』の舞台だと知って驚きました。
 そこからSF大好き少年です(笑)。
雀部 > 眉村先生の後輩でいらしたとは。眉村先生には、お目にかかった時に主演の薬師丸ひろ子ちゃんのフォトを頂きましたよ。
 大橋さんはお好きな挿絵画家というとどなたになるのでしょう?
 私は、岩田専太郎画伯の描く女性が好きで好きで。毎日新聞社から出た画集買いました。一冊1300円と安かったし(汗;)
大橋 > 私も岩田専太郎先生は好きな挿絵画家のおひとりです。いずれは評伝を書いてみたいと思っています。
 でも、岩田専太郎先生も私の世代ではありません。
 やはり私の世代だと武部本一郎先生とか柳柊二先生になりますね。
 ちなみに薬師丸ひろ子さんは『野性の証明』『翔んだカップル』あたりまでが好きです。写真集買いました(笑)。
雀部 > 岩田先生の評伝、期待してお待ちします。
 武部先生の画を初めて見たのは、もちろんSFファンなら誰でも憧れた《火星シリーズ》。当時の中学生にとって、デジャー・ソリスの色っぽさは刺激が強かったけど、「デジャー・ソリスって、卵で子供を産むんだぜ。付き合いたかぁねぇよな」と、友人たちと悪態をつきながらむさぼり読んでました(笑)
 大橋さんはどうだったのでしょうか。
大橋 > 武部本一郎先生の絵は最初、児童向けのSF、いわゆるジュヴナイルSFなどで見ていました。
 ただ、僕はそんなに熱心なSFファンではなかった。興味は漫画の方に行っちゃっていたから。
 僕にとってSFは、ジュヴナイルSFの表紙やTV番組。つまり読むより“見るもの”だったんです。

 ちなみに児童向けの《SF名作シリーズ》でも武部先生は『火星のプリンセス』『火星の合成人間』などを描かれています。
 創元の《火星シリーズ》と同じようなタッチでした。つまり子供向けだから手を抜くということをされていないんですね。
 子供にこびないで、大人が見ても鑑賞に堪える絵を子供のために描いてくれていた、そんなところに当時の挿絵画家の凄さがあると思っています。
 あまり大きなことは言えませんが、武部本一郎先生のことも物語にして書いておきたい、という野望は持っています。
 武部先生は1914年のお生まれなので今年は丁度、生誕100年なんですよ。
 記念の年なのでやりたいことはいろいろあるけど、なかなか前に進まなくて……。
雀部 > え、武部先生、今年が生誕100年だったとは。それはぜひ。
 柳柊二先生は、《ペルシダー》とか《コナン》シリーズを手がけてらっしゃいますね。、あらためてみると本当に上手いですね。いちおう解剖を学んだ者から見ると、へんてこな腹筋・胸筋の付き方をした裸体像を見たりしますが……
 このお二人とも、SF分野ではヒロイックファンタジーものを多く手がけられてらっしゃいますが、宇宙や宇宙船とかの画と、人間が主体の画では、何か求められているものが違うような気もするのですが、どうなのでしょうか。
大橋 > 武部先生も柳先生もデッサンは凄いですよね。武部先生の日記や柳先生の記録を見ると、描くスピードがとにかく速いことがわかります。
 お二人とも超売れっ子でしたからね。絵が多少、おかしくても上手さと勢いがカバーしている。

 僕が子供の頃、宇宙船などのメカも人物も素晴らしく描く挿絵画家というのは、小松崎茂先生しかいなかったですね。
 ただ、小松崎先生は僕が子供の時に見ていた印象では、人物がちょっと古い感じがした。
 武部先生が《火星シリーズ》で描かれたメカは美しいけれど、メカというよりファンタジーぽいメカ。
 日本で僕たちが求めるSFアートは、加藤直之さん(加藤さんに先生と付けると怒られるので)の登場を待たなければならなかった。
 それまでSFを描かれてきた挿絵画家はメカはさほど得意ではない、という方が多かったようです。
雀部 > 加藤直之先生も、本当に絵が上手いですね。メカも女性も描けるし。先年の「こいこん」の時に、実際に描かれているのを見せて頂きました。
 実は今回、『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』を読ませて頂き、現在、樺島先生がまだお若くてSFの挿絵を描かれたらどんなにか凄いだろうなと夢想したのですが。
大橋 > 加藤さんに“先生”を付けると嫌がられますよ(笑)。
 う〜〜ん。樺島先生は写実の画家ですからね。空想の世界をリアルにSFとして描けたかどうかは、ちょっと疑問です。
 樺島先生は当時も海野十三の空想科学小説の挿絵は描いていらっしゃいましたけどね。
雀部 > 残念、なんかお描きになれそうな気がしたんだんだけどなぁ。
 この『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』は、大橋さんの綿密な取材による労作ですが、とても面白かったです。『SF挿絵画家の時代』にも、取材可能な画家の方にはできるだけ取材してから書いたとあり、どれだけの時間を費やされたんだろうと感服しました。
 取材は、SFマガジン連載の期間より相当長くかかったのでしょうか。
大橋 > そう言っていただいて、嬉しいです。
 『心の流浪 挿絵画家・樺島勝一』では取材そのものはあまりしていません。ご長女の敏子さんと次女の理子さんにインタビューを2回ほどさせていただいただけです。
 すでに健一さん、基弘さんも亡くなられていますし、他の当時をご存知の方の多くはもう、お亡くなりになっていますからね。
 それより文献探しに時間がかかりました。
 『海国少年』という雑誌を見るために所蔵している大阪府立国際児童文学館(現・大阪府立中央図書館)に何度か足を運んだり。あちらこちらの図書館からコピーを取り寄せたり。
 2008年に『樺島勝一―昭和のスーパー・リアリズム画集』を編集した時から評伝を書きたいと思い、それから刊行までに6年もかかってしまった。
 ただ、僕は執筆のスピードがやたら遅いので、時間がかかったからといって出来が良いかというとそうではありません。
雀部 > (一次資料にあたる+取材)×時間+才能 ではないでしょうか。
 そう言えば評伝ではないですが、労作『光瀬龍 SF作家の曳航』も大橋さんの責任編集でしたね。私自身も光瀬先生の書かれるSF世界が大好きなので、こうやってまとめられたのを読ませてもらい、また少し光瀬先生に近づけた気がしました。
大橋 > いろいろ見ていただいて感謝です。
 立川ゆかりさんという方が光瀬龍先生の評伝を書かれると知り、私も光瀬先生の評伝を書きたいと思い準備をしていたので、だったら集めた資料だけで評伝を作っちゃえ!と思って編集したのが『光瀬龍 SF作家の曳航』です。光瀬先生が自身のことを書かれたエッセイを集めて一冊にしました。
 単行本未収録作品も入れてかなりファンサービスをしたつもりでしたが、残念ながら思ったほど売れませんでした。
 立川ゆかりさんの光瀬先生の評伝は『SFマガジン』に連載されました。
雀部 > ううむ、難しいもんですねえ。>売れ行き
 『SF挿絵画家の時代』で取り上げられている挿絵画家のお話もどれもこれも魅力的で、ページをめくるたびに“へ〜、そうなのか。そうだったとは”と感心しきりでした。またどのページからも挿絵と挿絵画家の皆さんに対する愛情が感じられて、暖かい気持ちで読むことが出来ました。
 時代的なものもあるのでしょうが、昔の方のお話を読む方が楽しいですね(笑)
大橋 > ありがとうございます。
 挿絵画家の研究というのは、明治・大正・昭和初期の挿絵画家を紹介し続けた尾崎秀樹さんで止まっている気がしていました。
 尾崎さんがご自身の読書体験を許に『さしえの50年』(平凡社/1987年)をまとめられたように、僕も自分自身の読書体験を許に挿絵画家を紹介しなければいけないと思っていました。
 ただ僕の場合はあくまでもライターなので、研究というスタンスではないですけどね。
 もちろん、現在、第一線で活躍されているイラストレーターのことも紹介したいと思っています。書かせてくれる雑誌がないのが困りものです。
雀部 > 現在活躍中のイラストレーターの紹介も面白そうだけど、大変そうですね。
 著者インタビューの際に、まれに画家の方にもインタビューさせて頂くことがあるのですが、相当深いところまで考えられて挿絵を描かれているみたいなので、やはりプロは凄いなぁと感心することはありますね。
 ところで、『SF挿絵画家の時代』の表紙画と裏表紙画は、斎藤和明画伯とのことですが、これはどういう画なんでしょうか。(本文中にも言及のあった、月だから“ムーン・ファンタジー・シリーズ”?)
大橋 > 実は何に使われた絵なのかわかっていないんですよ。
 斎藤和明先生が亡くなられたあと、ご家族から残されていた原画類を総てお預かりしました。その中にあったものです。
 デザイナーと相談してあまり作品のイメージが強いものでないのがいい、ということであの絵がカバーに使われました。
 ちなみに、それらの原画類は青森県立美術館に寄贈させて頂きました。
雀部 > 挿絵とか表紙画に使われたことのない画なんですね。ゴツゴツした廃船になったような宇宙船は味がありますね。
大橋 > 表紙画とかに使われているものだと思いますが、何に使われたのかがわかっていません。
雀部 > そうなんですか。
 手元に『文藝春秋デラックス 宇宙SFの時代』がありますが、なんとこの表紙の斎藤先生の画は「ブラックホールに飲み込まれる月」をイメージして描いたものだったとは。長年、何だろうなぁと思ってはいたんですよ。
大橋 > 斎藤和明先生は月が好きだったようです。初めて描いた『SFマガジン』1970年 1月号の表紙は月を題材としていて、タイトルは「ムーン・ファンタジー」です。
 この「ムーン・ファンタジー」には物語があり、それは絵物語として『少年 チャンピオン』1970年11月23日号の巻頭で16頁に渡って掲載されています。
雀部 > 惜しいなあ。高三(1969年)までは、『少年チャンピオン』読んでいたんだけど……
 この『文藝春秋デラックス 宇宙SFの時代』には、折り込みポスターとして「スター・ウォーズ」「2001年 宇宙の旅」「惑星大戦争」があり、他にも、スタジオぬえの「宇宙兵器カタログ」や武部画伯の「火星シリーズの美女たち」とか野田大元帥閣下解説の「イラストに見る宇宙SFの歴史」とかSF画のオンパレードですね。
 また小松崎茂画伯による「小松崎茂なつかしの自薦作品」と題して「宇宙戦争」「魔の衛星カリスト」「幻の地球」「宇宙猛獣境」「鳥人来襲」「宇宙島の少年」が紹介されてます。私らの世代にとって小松崎先生は、少年誌での活躍と共に、プラモの箱の絵(特に「サンダーバード」)でなじみ深いです。中学時代からSFを嗜好するようになったのは、小松崎先生と武部先生の画の影響大です。
大橋 > やはり、小説のカバーイラストから興味を持って本を読み始める、というのはありましたよね。
 特に児童向けのSF、ジュヴナイルSFの表紙はワクワクする絵ばかりでしたからね。
 野田大元帥閣下の「SFはやっぱり絵だねぇ」のひと言が語っているといえます。
雀部 > その通りですよね。>「SFはやっぱり絵だねぇ」
 『SF挿絵画家の時代』を読んで特に「あ、そうだったのか!」と思ったは、中島靖侃画伯の父親が『日の丸旗之助』の作者で、母親が『咲子さんちょっと』の作者だったというのと、メリットの『黄金郷の蛇母神』の表紙画の秋吉巒画伯が、SM雑誌の表紙も多く手がけていたことです。ファンタジーの表紙としては妙に色っぽいなと感じてましたので。
大橋> やたら詳しいですね……(笑)。
 『咲子さんちょっと』は中島家をモデルにした小説で、いってみれば『サザエさん』のようなお話です。咲子さんというのは中島靖侃先生の奥様がモデルです。『咲子さんちょっと』はテレビ化、映画化されました。
雀部 > 『咲子さんちょっと』は、江利チエミさん主演のTVドラマをよく見ていたので、我々の年代ではなじみ深い作品です。
大橋> そうなんですか。
 秋吉巒先生の絵は確かに色っぽいですね。石原豪人先生とはまた違った色っぽさがあった。シュールな幻想絵画を描かれる画家です。
 画集は『illusion―幻想画家・秋吉巒の世界』(文芸社)と『秋吉巒・四条綾 エロスと幻想のユートピア?風俗資料館 秘蔵画選集1 (TH Art Series) 』(書苑新社)が出ています。
雀部 > 『SF挿絵画家の時代』に書かれていた、『SFマガジン』と『SMマガジン』を取り違える話、これ私も経験あります。一度『SM』の方を買ってしまいました(笑)
 SFを主に描かれていた画家の方と、違う分野を得意とされる画家の方では、画風が違って興味深いです。
 ちょっと関係の無い話題なのですが、本のカバーの画が変わる場合が、時々ありますよね。そういう場合、大橋さんは全部揃えられるのでしょうか。
 あと、一番表紙画が変わったSF作品は何なのでしょうか? グインの『闇の左手』なんかは最低でも3回は変わっている気がします。実は、持っているのは銀背だけなんですが(汗;)
大橋> 私は『SFマガジン』と『SMマガジン』を間違って手にすることはあっても、買うことまではなかったです!(笑)。
 それと、装画違いを総て買い揃えることはしませんね。
 ある先生の装画の文庫が必要で注文したら、違う先生が手掛けられたバージョンが届く、というのはあります。それはちょっと困ります。古書店にすれば 装画は関係ないですからね。
雀部 > 確かに装画まで指定することはまれでしょうね。
大橋> あと、一番表紙画が変わったSF作品は『時をかける少女』かも・・・。絵ではなく原田知世さんなどの映画連動カバーも含めてですが。
雀部 > そうか。『時をかける少女』は、アニメ版もあるからなぁ。
 またまた本題には関係ないのですが、《火星シリーズ》以後、表紙画が具象的なものも多くなったとのことなのですが、これには印刷技術も関係しているのでしょうか。
 昔は、新聞とか週刊誌の表4のカラー広告なんかでも、トンボがズレていて、あららと思うものもあったと記憶してます。
大橋> いや、印刷技術との関係はあまりありません。ちょっと説明がしづらいのですが、抽象画から具体的な絵に変わっていったのは、具体的な絵の方が読者にウケルからです。
雀部 > 「SFは絵だ」と言うのは置いておくにしても、本の第一印象を決めるのは表紙でしょうから、面白そうに思える具体的な表紙画が求められるのはわかります。ラノベなんかは完全にジャケ買いが多いと聞きますし。
 大橋さんは元の画も数多く見られてきたと思いますが、表紙画は、元の画をどれくらい再現出来ているのでしょうか。当然大きさも関係していることとは思いますが。
大橋> 面白い質問ですね。今はデジタルなのでイラストレーターの方は印刷の刷り上りを考慮してイラストを描かれています。ですから印刷と原画が違うということはあまりない。そもそも原画は存在していませんけど。
 それ以前の原画を4色に分解する印刷では、原画は80%くらいしか再現できていませんね。斎藤和明先生の『さいはてのスターウルフ』の原画の画像を見比べて頂ければその違いは説明するまでもないと思います。
雀部 > 画像ありがとうございます。なるほど……
 確かに今はパソコンで作画される方がほとんどなんでしょうね。
[後半に続く]


[大橋博之]
昭和34年、大阪生まれ。ライター。日本古典SF研究会・会員、日本ジュール・ヴェルヌ研究会・会員、日本SF作家クラブ・会員。著書に『少年少女 昭和SF美術館』(平凡社)など。編集協力に『樺島勝一 昭和のスーパー・リアリズム画集』(小学館クリエイティブ)など。
HPは、http://garamon.biz/
[雀部]
昭和26年生。たぶん幼心に一番影響を受けたのは、小学生の頃、巡回映画で見た『ゴジラの逆襲』とか『宇宙大戦争』、近所の映画館で見た『妖星ゴラス』『ガス人間』のような気がするなあ。

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