【構成は準宝石の螺旋のように】 まず普通のSFの書き方と違うなと感じたところを上げていきますと、皆さんがすでにご指摘の、導師との問答の場面。自転車という解決手段を自分で考え出したのではなくて、基地のエンジニアの考え出したアイデアであること。また恋人との思い出を、その妹との会話で説明している点などがすでに上げられたところです。これらは総て、自分とは別の他人が介在していることが共通項です。 私は、主人公と科学と宗教の話を交わす『テクノ・ノスティクス』のホアン・グリス博士を、最初、キリスト教に科学を取り入れて再構築しようとしたカソリック界最大の異端の神学者ティヤール・ド・シャルダンとダブらせてみたのですが、『グノーシス』の流れを組んでいるとかいうことで近いものがあるかも知れませんね(おお、『ハイペリオン』^^;) ともかく、この長さの短篇で、こういう一見"浮いている"会話を挿入しているということは何か仕掛けがあると考えた方が良さそうです。 まず大きな鍵を握っているようなグノーシス主義の教えというのを私は良く知らないのですが、ざっとおさらいをしてみると(だいぶ、端折ってあります) 1,究極的存在と人間の本来的自己とがその本質において一つである認識(グノーシス)を見いだすという"救済の自己認識"の第一のモティーフを持つ。 グノーシスの福音は、「人間がどこから来て、どこへ行くのか、人間の本来的自己とは何かという問いへの答えです(なんとSF的な命題ヽ(^o^)丿) 2,本来的自己が究極的実在に直接由来したものであるなら、非本来自己はどこから由来したものか。これが第二のモチーフである反宇宙的二元論である。 3,人間の救済には人間の外側から、「自己」の啓示者または救済者が要請されなければならない。これが第三のモチーフであり、キリスト教的グノーシス主義では、啓示者はキリストということになる。 明らかに『テクノ・ノスティクス』のホアン・グリス博士はこの啓示者にあたると思います。さらに連想を広げると、基地の技術者の『エド』、恋人の妹である『ナオミ』も、主人公に情報を与えることによって福音をもたらす啓示者であるとの見方もできるでしょう。 このようにこの短篇は総ての面において、自己と啓示者(情報を与える者)という二元論的な構成が取られていると思います。科学技術をその信仰の礎としている『テクノ・ノスティクス』の導師の言葉を聞くことによって、主人公の気持ちがすっきりしたのは、それを暗示しているのではないかと。
またこの作品のもっとも重要な仕掛けである<スピンアイス>については、高本さんが既に書かれているように、この「〈スピングラス〉(<スピンアイス>)これらは複数の最低エネルギー状態を持つことができる」とあります。 このスピングラスは、かなり昔から知られていたのですが、最近注目されたのは記憶との関連においてです。これは、一つの記憶パターンをスピン配列の一つのパターンに対応させ、記憶情報を系の局所的安定状態に対応させようというものです。しかもこの系は熱平衡系一般を特徴づける確率分布を出力することからボルツマン・マシンと呼ばれています。 これと54頁のホアン・グリス博士の言葉「この宇宙は悪しき創造主によって創造されたがゆえにその内部のあらゆる存在とともに<熱的死>(熱平衡状態)に向かって転がりおちつつある」を重ね合わせると、主人公の記憶そのものも<熱的死>に向かっていることが予想されます。 そして同じ頁の「そして闇でもあるとともに光でもあるその二元性を正しく知ることで最終的にテクノロジーは人間を救うものとなりうる」という言葉から、ラストで、<科学技術知識の助けを借りて>主人公が自転車を走らせ、救いが待っている基地へと赴くシーンで、ヒロミを亡くしたことで澱んでいたものが消え去っているのを認識するのは、当然もたらされるべきである福音だと思えます。 '97. 2.23 (Sun) <destroy> やりすぎかも知れない^^; なお標題は、多重構造を持つSF小説を書くことで有名なディレーニ氏の名作『時は準宝石の螺旋のように』から取りました(^^)v
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