2030年代、宇宙と地球の夜空は濃青から紫へと変貌を遂げた。その事象は「全天紫外可視光輻射現象」と呼ばれ、人々は不安と狂騒にかられていく。研究の結果、脅威が明確になり、各国協力の下、地球軌道上にある基地「エデン」で人工知能を開発し、対応させることに決定した。そこに突然やってきた日本軍の戦闘機。防衛網をくぐり抜け、基地に乗り込んできたのは、美少女だった。第11回日本SF新人賞受賞作。
2022年、30万人の魂が消失する大災厄ER(アーリー・ラプチャー)が発生。僕の妹・詩希の魂も喪われた。僕――御影礼望は、妹の住んでいた沖ノ鳥島メガフロートシティに乗り込むが、そこで出会ったのは妹の身体に宿った謎の存在=ポエムだった。戸惑う二人のもとに次々と送り込まれる刺客たち。僕は妹の魂を取り戻すため、ポエムと共に戦うことを決意した。第7回BOX‐AiR新人賞受賞作。
30万人の魂が消失した大災害ER(アーリー・ラプチャー)より2年。事件の関係者・御影詩希は、沖ノ鳥島メガフロートシティで平凡な大学生活を送っていた。そんな彼女の前に、ERの黒幕と言われる謎の組織・国際携挙教会が姿を現す。ヨーロッパ、中東、アメリカ……、詩希は兄礼望、友人のアルヴたちとともに世界中で国際携挙教会の野望と戦う!
2034年、地球から遥か離れた宇宙では、鉱山資源を狙う海賊が跋扈していた。ある時、資源採掘中の宇宙艇が海賊に襲われるが、怪鳥のごとき翼の戦闘機が現れ、撃退する。操縦する義手の少女・ルフィアは、思考能力を極限に高める違法な技術を使用しており、国連に追われていた……。
物理学を学ぶ大学院生・織笠静弦は、いつものように岐阜県の地下につくられたニュートリノ観測施設でバイトしていた。ある日の夜、通常ならあり得ない――超新星かと見紛うほどのニュートリノのデータが……。しかし超新星爆発の徴候はなく、測定器の故障とも思えなかった。ほどなく静弦の眼前に、ほぼ裸身の美しく幼い少女が現れる。少女はアリアと名乗り、別世界からやってきた機械奴隷で、自分の主人(ドミナ)となる人間を捜していると告げる。現代科学では実現不可能な現象を起こして見せるアリア。静弦は強大な力を持つこの少女が、悪意をもった人間の手に渡ることを恐れ、自らがドミナとなることを決意したのだが……。
意識とは何か。意識はなぜあるのか。死んだら「心」はどうなるのか。動物は心を持つのか。ロボットの心を作ることはできるのか――子どもの頃からの疑問を持ち続けた著者は、科学者になってその謎を解明した。「人の『意識』とは、心の中でコントロールするものではなく、『無意識』がやったことを後で把握するための装置にすぎない。」この「受動意識仮説」が正しいとすれば、将来ロボットも心を持てるのではないか?という夢の広がる本。
30年後にやってくる人工知能が人間を超える“シンギュラリティ”(技術的特異点)。その前段階としてこの10年以内に起こるのが「エクサスケールの衝撃」だ。スパコンの計算処理能力によって、医療・物理・宇宙工学などに革命を起こし、人間生活を大きく変えることとなる――。深い孤独を抱えるスパコン研究者・青磁の前に現れた万葉集を愛する謎の美女・千歳。二人は古からの運命に導かれ、京都から東京、そして神話の里・出雲へ。“シンギュラリティ”(技術的特異点)を迎えたとき、人類の向かう先はユートピアか? それとも……。
今回は前回に引き続き、“日本SF新人賞と小松左京賞の出身者で構成される『NEO ─Next Entertainment Order─』(次世代娯楽騎士団)”のメンバーで、第11回日本SF新人賞を『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』で受賞された山口優先生にインタビューをお願いすることになりました。山口先生初めまして、どうぞよろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いします。
『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』刊行時に高槻真樹先生がインタビューされた記事を「アニマ・ソラリス」に掲載させていただき、当該文庫も頂いたのですが、読んでみると冒頭から少女の自爆テロが出てくるのは置いといても、宇宙の背景温度への言及から、現在の夜空が紫色になってしまったというシーンがあり、コアなSFファンとしてはその後の展開に期待度大でした(高槻先生のインタビューはネタバレ多々なので、本書を未読の方は気をつけて下さいませ。既に本書を読まれている読者の方は、高槻先生のインタビューの方を先に読んで頂いた方が良いと思います。)
ま、最初からこんなにハイテンションな展開で大丈夫なのだろうかと感じたのは内緒です(笑)
本書のメインテーマは「シンギュラリティ」ですが、本当にそういうAIを作っても良いという合意が人類全体で取れるのかというのが私には多少疑問でした。
「そういうAI」というのは、「人間と同等の賢さで仕事を肩代わりしてもらえる」というようなAIではなく、人類全体よりも圧倒的に知能が高く、いったん人類に敵対すると決めたらもう太刀打ちできない、という種類のAIのことを言っています。
それでもそういうAIを造り出すことに人類は合意する必要がある――。
その為の舞台装置として、人類の知能では到底解決できない問題を設定する必要があると考えていました。それがあの紫の宇宙の設定です。
なるほど。紫の宇宙問題については、諸処に挿入されている論文に言及がありますね。ということは第二章の冒頭に出てくる「ブレーン論的多世界解釈によるAUVR現象の数理的解明に関する一般考察 2047」のサマリーによると、この考察はそういうAIが導き出したという設定になっているのでしょうか。天夢の演説が2048年だから、前年ですよね。
あれは人間の成果です。できるだけ人間の力で問題を解こうとしたけれど、無理だった、というストーリーです。「HAMの不整合問題」という形で本文に言及されていますよね。NOAH測定器の出した結果を、SEM, HAM, JAPHETHという3つの測定器で精密に確認しようとしたけれど、HAM測定器の結果だけがNOAHの結果を支持しなかった。あそこで人間の物理学者はつまってしまったのです。
しかし勿論、あそこまで人間が研究を進めていたからこそ、天夢はそれ以上の解を見つけることができたのです。言わばそれまでの人間の物理学者の積み重ねという巨人の肩の上に天夢は立つことが出来た。
なるほど、ノア派の人たちには不本意かも知れませんが、人類とAIの協調の成果なんですね(私は生粋のエデン派かもです(笑))
重力子だけが平行世界に影響を及ぼすことができるというのはありそうですね。宇宙論の本を読んでいると、宇宙は11次元だとか、重力だけが他の力に比べて格段に弱いのは、他の次元にも影響を及ぼしているからだとの説もありますから。
ブレーン論ですね。私が学生の頃は、そのような仮説に基づくブラックホールの生成が、実際にLHC等の実験で確認できるかも知れないと言われていました。LHCのエネルギーレベルでマイクロブラックホールが作れるのではないか、するとホーキング輻射を測定器で観測できるのではないかというわけです。
https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.87.161602
作中の理論であるブレーン論的多世界解釈は、このDブレーンとしての宇宙を前提とするマルチヴァースモデルと、エヴェレットの多世界解釈における多世界が同じものであるという仮説を出発点としています。勿論数学的にはそう解釈可能というだけで、2030年代に提唱された当初は実際の世界がそうであると主張するものではありませんでした。
しかし実験を進めていくと本当にそうであると分かったという、そういう設定です。
ただ、作中でも説明しているとおり実際の多世界はもう少し複雑で、ある人の選択によって世界が分岐するというようなものではありませんでした。それどころか他の宇宙の影響を受けてこちらの宇宙が崩壊してしまうかもしれないという、さんざんな世界です。
それは困りものな世界。現実はそうでは無いことを祈ります(笑)
もう一つの思いとしては、基礎科学の重要性を強調したかったということがありました。
素粒子物理学や宇宙論というものは、人類の好奇心に奉仕するのみであり、産業的には全く応用可能性がない。故に研究費は削られがちです。
しかし、いったんこのような宇宙の危機が到来すれば、そのような研究をしていたのとしていなかったのとでは、きちんと対応できるかどうかが全く違うと思われます。
私に言わせれば、自分達が暮らしているこの宇宙の成り立ちや仕組みも知らないで、よく安心して暮らせるものだ、ということです。
もともと、人類の好奇心というものそのものが、「自分の周囲の世界が動いている仕組みを理解することによって危機を回避する」ということをモチベーションとしているのだと私は思っています。そういう好奇心、それに駆動される基礎研究の基本的な価値を強調したかった。
確かにそうですねえ。宇宙論や核物理も下手の横好きなんですが、私も大好きです。
文中にそれらしき文言やデータが出てくるのも、生硬さは感じるもののスピード感が出ていてスルスル読めました。ハード一辺倒かと思いながら読んでいると、最初の方で日本の航宙戦闘機<ヤタガラス>に関して“防弾性能が著しく低く、パイロットの生存性に難がある”とかあったので“零戦”かよと(笑) あ、これはハードSFの要素だけではない小説なのだなと。
あれはリヴカ・セラアの主観です。客観的に見ればそこまで防弾性能が低いわけではないと思うのですが、彼女たちの軍隊は徹底的に防弾性能にこだわりますので、その基準から見ればダメだった。勿論、及第点ではあるがその中では下の方だったのは確かです。ヤタガラスはその設計思想として、防弾性能よりも優秀な格闘戦性能で相手の攻撃をかわすことに主眼を置いていました。
リヴカの主観、ヤタガラスの設計思想、いずれも国家の個性ともいうべきものかもしれませんね。私は文化の多様性というのを重視していますので、グローバリズムが進展した未来であってもそれぞれの国にはその国ならではのユニークな考え方をしていてほしい。そういう思いもあります。
多様性ですか、そこは考えなかったです。アメリカSFでは強力に支持されている概念ではありますが。ラストのあたりにも出てきたように国家だけでなく個人個人の多様性も重要ですね。
各章の冒頭の論文と共に載っている「古事記」からの引用もなにやら意味ありげですね。ネーミングが「天照(大神)」とか「高天原」だし、「天夢」ちゃんは引きこもるし(笑) あのパーティに至るまでのシーンは、日本人ならこれは何かの象徴だと思うに違いないです。
その通りです。現実の社会でも作品世界でも、多様な個性が共存していた方が きっとうまくいく。作品論としても、私は各キャラクターの個性が多様であることが大切だと思っていて、できるだけ同じ性格の主要登場人物は出していないつもりです。
榑杉、天夢、リヴカ、美玖あたりは特に性格をきちんと描写できればと思っていました。
成功しているかどうかは読者の皆様のご判断次第ですが。
古事記はこの作品の一つの強力なモチーフですが、それと背中合わせで意識しているのが聖書です。一カ所だけ聖書からの直接の引用がありますよね?
天夢が「メサイア」に剣を突き刺すという、かなり直接的な描写もあります。
これは以前のアニマソラリスさんのインタビューでも言ったことですが、世界の様々な宗教は、世界各地の人類の世界観を象徴しています。それらのうち、どれが最も優れているかということではなく、それらが多様性の中で統合していった先に真に全人類が満足できる新しい世界が待っているのだというのが私の考えです。多神教の代表としての日本神話と、セム系一神教の代表としての聖書は、多様な人類の宗教観の両極端だと思ったのでそれらを出したということです。
天夢の「天の岩戸」については、勿論日本人の読者なら何か気付くと期待していました。
それと同時に、リヴカに「どこの世界の神が任務を放棄してとじこもるというのか」という違和感を述べさせ、多様な宗教観が共存する世界を象徴的に示したかったということもあります。
天夢のあのシーンは、神話の主人公としての彼女が象徴的な死と再生を経験する場面でもありますね。
彼女の死と再生はこのシーンを含め全部で3回描写していますが、そのたびに彼女は変わっていき、真に人間を救うに足る存在に成長していくわけです。
結構考え抜かれた舞台設定とキャラ設定だったんですね(一神教と多神教については、高槻先生とのインタビューを参照。ネタバレあり)
ということは、リヴカの片手が高性能な義手(「バイオニック・ジェミー」だ!)になっているのは、人類と天夢を繋ぐ役割を担わせるためでもあったのですね?
その意図もありますし、機械と人間ってそれほど違わないじゃないかという意味でもあります。大切なのは物理的な実体を伴う人間の形をしていることだと。
義手をリヴカは当初自分の手とは思っていなかったのが、最後にはしっかりと自分の手と認識するという描写もしてありますが、これは、機械の天夢を人類の一員として認めるというリヴカ(または人類全体)の認識と重なっています。
ありがとうございます、たいへんよくわかりました。
ところで、陽電子頭脳といえばアシモフ氏なのですが、著書の中で「陽電子頭脳とは?」という質問に「電子の代わりを陽電子が担っている電子頭脳」、「作動させたとたんに爆発したりドロドロに溶けたりしないのは何故?」には「見当も付きません(笑)」と書かれていたような気がします。本書にも、“初期の陽電子頭脳は不安定でよく爆発した”とかの記述もありますが、“陽電子頭脳”を採用されたのは、アシモフ氏へのオマージュ以外に何か理由があるのでしょうか。
「シンギュラリティ・コンクェスト」のポジトロニック・ブレインは、電子陽電子対消滅反応も演算に含む量子コンピュータという位置づけです。
通常の量子コンピュータは、電子を演算ノードに使うことができる場合、そのスピンの上下の状態遷移の不確定性を活用することになると思われますが、量子的な状態遷移の不確定性なら様々なバリエーションが有り得るはずです。
電子陽電子のペアが光子になったりまた戻ったりというのは、時空のゆらぎの中では頻繁に起こっている状態遷移であり、それがもし取り入れられれば状態のバリエーションが電子スピンの上下より多いのでその方が演算効率が良いという設定です。
ポジトロニック・ブレインという設定の9割以上はアシモフ氏のオマージュですが、天夢が死に瀕した時、瞬間的に宇宙の謎の答えを閃くという描写にもこの設定が活かされています。
なんと対消失も演算に含む設定だったとは(驚愕です!)
作中でさらっと“数億の死者を出す三年後の『ネメシスの日』という事件を生む”との記述があるのですが、これは物語の設定で中国がほとんど登場してこないことと関係あるのでしょうか。
この小説の舞台は2040年代であり、2010年代現在の状況をそのまま外挿したような未来を想定していません。
作中ではアジアの覇権は人口大国のインドや資源大国のオーストラリアに遷移しているという設定です。
日本はミクロネシアなどに位置する太平洋島嶼国家との結びつきを深め、アジアの覇権争いからは一歩引いた位置にいます。
ネメシス・デイについては、過去の多くの大量破壊兵器に関わる人類の過ちの一つという位置づけで、お尋ねのような因果関係については、私の頭の中では設定はありますが、別の著書の形で出そうかなと思っており、ここでは控えさせてください。
なるほど、その新作楽しみにお待ちしております。ということは、いわゆる未来史的なものを設定されているんですね。
受賞後第一作の「アンノウン・コンクェスト」にはのっけから“ブレーンたわみ理論による超光速航行エンジン”の話が出てくるし、第三作目の「デコヒーレンス」は少しイレギュラーな感じはしますが、舞台が“メガフロートシティ”でした。
特に第二作目の「アーリー・ラプチャー」は、『アルヴ・レズル ―機械仕掛けの妖精たち―』と『アンノウン・アルヴ ―禁断の妖精たち―』の連作の前日譚である神経細胞型ナノマシンの黎明期のエピソードですよね。というか原因そのものだし、リヴカの父親のセラアも顔をだしていることだしで。
ベソエル・セラアですね。榑杉のお母さんの美礼奈とちょっと仲良くなってたり。
「アーリー・ラプチャー」という事件自体は「シンギュラリティ・コンクェスト」でも言及してまして。
「シンギュラリティ・コンクェスト」を書いている時点で、2040年代にあの世界に至るまでの設定はいろいろと考えていました。それをアルヴシリーズで一部お出ししたという形ですね。
短編で言いますと、他に、講談社BOX-AiRの第35巻に、「インディペンデンス」という短編も載せています。
これは、「ディヴァイン・コンクェスト」の前日譚になります。
講談社BOX-AiRの第35巻って、電子版しかないのですね。早速読ませてもらいました。
そうか、『ディヴァイン・コンクェスト』のルフィアはこういう出自だったのか……。
ところで、“ヒナタ・クラフト―小惑星自動捕獲往還宇宙機”の復路の推進方法は面白いですね。プラズマを磁気で上手くコントロール出来れば有力な手段となりそうです。
ルフィアにせよ、アルヴシリーズのほとんどの登場人物にせよ、「シンギュラリティ・コンクェスト」の世界でも勿論存命しているはずですので、彼等の視点から見たシンギュラリティも描いてみたいですね。
ヒナタ・クラフトにも興味をもっていただいて、ありがとうございます。
現在も光帆を太陽光ではなく地球からの大出力レーザーで加速させようという話はありますが、やはりネックになるのは宇宙機自体の重さなんですよね。
電子機器のさらなる軽量化が不可欠ですが、その解の一つが、光帆自体に印刷エレクトロニクスで電子回路を作り込んでしまうということだと思っています。
プラズマ化させた後のジェットをどう制御するかは明示していませんが、磁気コントロールは有力な手段ですね。
光帆自体に電子回路を作り込んで軽量化すると、ノイズというか太陽フレアなどで破壊されるのが心配ではあります。γ線バーストだといちころ。あ、そうかそういう時には帆をチューリップ状に畳むのかな。それはそれで絵的には見てみたいシーン。
『ディヴァイン・コンクェスト』にはラテン語で出てくる“Tolle Manus Pauperum Qui Reliquit.”(あなたの後ろに取り残された、困っている人の、手を取りなさい)は、山口先生の他の小説にも度々出てきますが良い言葉ですね。ロボット三原則の附則として付け加えたいです。
光帆中の印刷エレクトロニクス回路は、勿論非常に脆弱で、だからヒナタ・クラフトはヒナタ・ストリームの形で宇宙を航行し、互いに制御し合うシステムになってるんですよね。単独行動だったら使い物にならないと思われます。
「後ろを向いて困っている人の手を取る」というのは、詩希の本当の両親の書いていた言葉ですね。その後ITSAのスローガンになりました。
どんなに技術が発展しても取り残される人はいる。そういう人たちの手を引いて、一緒に歩んでいくのでなければ技術の発展は、人類の分断を招き、寧ろ害悪になるという意図です。
ITSAが進みすぎた技術の規制を行うときの大義名分として使われている言葉でもありますが、その根底にある、提唱者たる詩希や彼女の本当の両親が抱いていたヒューマニティは、確かにロボットにも学んで欲しいところはあります。
ですよね。今の私にはそう思えます。
『シンギュラリティ・コンクェスト 女神の誓約』に関して最後にうかがいたいのは、宇宙空間での戦闘シーンについてなのです。遠く離れての戦闘だけでなく、敵の船に乗り込んでの肉弾戦が描かれていますが、私らの年代だと、こういうのは《レンズマン》シリーズを連想してしまうんですよ。最後はレンズマンの精神と敵精神体との闘いで決着を付けるし。まあ、美しい少女が戦うというのは絵的に素敵ではあるし、好きですが(笑)
山口先生はそこらあたりはどういう作品の影響を受けられたのでしょうか。やはりアニメとか?
残念ながら、レンズマンはあまり見ておりません。戦艦に乗り込んでいくというシーンも勿論ですが、そのあとの白兵戦が書きたかったんですよね。剣で戦うシーンとか。登場人物がみんな剣を持って戦うというのは、どちらかというとスターウォーズの影響ですね。
ジェネレーションギャップが(笑) 私らの世代では、《レンズマン》シリーズは当然のことながら原作の小説です。それと、美少女に気を取られて、スターウォーズは頭から抜け落ちてました(汗;)
私が剣道部で、そういうシーンを書きたいというのもありますが。
この時代の自衛軍は結構ユニークな考え方を持っていて、人間の指揮官が機人兵(アンドロイド・ソルジャー)の先頭に立って戦うんですよ。そういうのは他の国から見れば愚かしいことで、他の国は全部ロボット任せ、まず人間は戦場に出て行かないというのが常識なのですが。敢えて白兵戦のシーンを入れたのは、そういう一風変わった哲学を持っている武装組織の存在を描きたかったというのもありますね。
アニメの影響も勿論受けていると思いますが、はっきりこれの影響を受けたというのを一つ出せるかというと、そういうものはないんですよね。剣で戦うとか、美少女が出てくるとか、大抵どんなアニメでもありますので……。
おっと、剣道部であられましたか。
そういや、『アンノウン・アルヴ ―禁断の妖精たち―』の保恵夢が闘いの時に、「礼望と詩希の役に立ち、闘いたいがためにつらい剣道の練習をして身につけた」と吐露するシーンがありましたね。私自身はやらないのですが、長男が剣道六段です。自衛軍の哲学も設定に入っているのですね! ひょっとしたら、自衛軍のロボット兵のコアには「武士道」の精神がインプットされているとかはあるのでしょうか?
武士道でも何でも、倫理観をロボットにインプットするのはなかなか難しいところがあります。
アシモフのロボット3原則はロボットが持つべき基本的な倫理観とも言うべきものですが、アシモフは3原則に反するロボットのシナリオだけであれほどの作品を書いたわけですから。
我々人間が倫理観をどうやって学ぶかというと、倫理の本を読んで書いてあるとおりに実践するというのも勿論ありますが、周囲の人の行動パターンを見て学んでいくという方が多いのではないでしょうか。
ロボットにとって、人間にとっての倫理の本に該当するのが3原則のような倫理プログラムだと思いますが、特に、戦場に出たロボットは、「人を殺してはいけないが、テロリストは場合によっては倒す必要がある」など、非常に困難な倫理的判断を常に要求されます。そういう場合は、単なるプログラムでは対応ができない場合もあるでしょう。
自衛軍のロボットには、我が国の武士道をはじめとして、人類が持っている基本的な倫理観に沿う行動をするよう命じるプログラムは勿論ありますが、その上で、自分達の指揮官の人間の行動パターンを見て更に倫理的な行動パターンというものを学んでいく機能が与えられています。
そりゃ指揮官も気が抜けない(笑)。
例えば指揮官がALFRであるなら、闘いの際の意識の動きを電子的にAI側に保存して、それを元にロボット頭脳にパッチを当てる技術は出来てないんですかね?
人間とロボットの間の垣根がひくくなりそうな気がします。
技術的にはそれもアリです。しかしITSA(「シンギュラリティ・コンクェスト」の時代にも存続しています)がNLNを認めていませんので。
NLNが許可されており、指揮官がALFRなら、比良坂唯のように直接機人兵を操るようになるのでは、と思います。通信環境にも依りますが、独立した思考を持つ戦闘ユニットとして機人兵を運用するよりも、自分の手足のように操る方が効率的ですから。
「シンギュラリティ・コンクェスト」と「アルヴ・シリーズ」では、“人間とは?”という問いかけが何度も出てくるのですが、その中でも“現実に人が持つ、意識そのものが本質的に幻惑である。1100万ビット/sの五感の情報を、意識という名の16ビット/sのごく微量の情報に加工する”とあって痺れました。取捨選択しないと飽和しちゃう。人間の身体では、消化器系とか骨組織からも様々な情報が電気的・化学的にあがってくるし、第三の脳といわれる皮膚からの情報もあるし。これら総てをソフトウェア的に演算処理出来る物なら、そこに意識が生ずるのは可能なのでしょうか。
可能と考えています。
「シンギュラリティ・コンクェスト」およびアルヴシリーズにおける意識の考え方は、「シンギュラリティ・コンクェスト」の末尾に参考文献として挙げた「脳はなぜ『心』を作ったのか」という前野隆司先生の本を基盤としています。これは受動意識仮説と呼ばれるもので、ご指摘の通り、脳で処理される膨大な情報を16ビットにまで処理したものを、受動的に受け取っているだけなのが意識だということです。その中で前野先生は人間の意識(正確には自伝的自我、延長意識などと呼ばれるもの)というのは、この16ビットデータを時系列的に並べたエピソード記憶を順列化したものにすぎないと書いています。この「エピソード記憶の順列化」という作業を人工知能によってエミュレートしているのが、「エピソード記憶順列化エミュレータ」略してEMPEです。これは天夢だけでなく基本的にはこの時代のほとんどの人工知能に搭載されています。
前野先生は工学者で、工学的に人間の心を再現するにはどうすればよいのか、という問題意識からこの仮説を提唱されたと書かれていますが、その後私が神経科学者の方の著書などを読んでみても、この仮説と合う記述が多いと感じています。
私は、人間の脳というのは、今やそこまで複雑な構造とは言えないと考えており、そのような構造から生み出される意識を工学的に再現するのも、時間の問題であるという考えを持っています。
なので、答えとしては、ソフトウェアに意識が生じることは可能と考えています。
意識の構造がソフトウェア的に再現されることはシンギュラリティにとっても重要だと考えています。なぜなら、私はシンギュラリティの条件は、まず①人間と同等の知能の構造(=意識)を持っていること、そして②人類全体をはるかに超える演算力を持っていること、と考えているためです。天夢は①を満たすEMPEを持っており、かつ、②毎秒1000𥝱回の浮動小数点演算をこなすことから(これは人類1000億人分なので人類全体の約10倍です)、シンギュラリティに値する知能であるというわけです。
ありがとうございます。「脳はなぜ『心』を作ったのか」('04年)読んでみました。
意識は「エピソード記憶の順列化」に付随して出現したようなものなのですね。「受動意識仮説」、個人的には意識はもっと高尚な物であって欲しいとは思いますが、反論できない(笑) 「クオリア」についてもよく分かりました。コアなSFファンが、山口先生の小説を読むには欠かせない本ですね。
故伊藤計劃氏を人間の心とか意識の問題をエンタメの形で呈示した作家として高く評価しているのですが、山口先生も凄いですね。形式としてはラノベなんでしょうけど、よく読むとそこここに深い含蓄があります。書くにあたって苦労されている点とかおありでしょうか。
苦労はありますね。意識についてはもともと門外漢ですので、いろいろと本や論文を読んで勉強を続けています。前野先生は出版されている本以外にも、Google Scholarで探すと意識に関する論文をいろいろ出しておられ、興味深く拝読しています。しかし、そこで得た知識をそのまま出すとやや生硬い文体になってしまいます。きちんと咀嚼して自分なりに分かりやすい表現に落とし込んでいく部分も苦労がありますね。
前野先生の本は「人はなぜ『死ぬのが怖い』のか」というのも買ってみました。なかなか目からウロコでありました。
故伊藤計劃『ハーモニー』より、前野先生の『脳はなぜ「心」を作ったのか』のほうが早かったんですよね。知っていればインタビューの時にうかがえたのになぁ……。
そうですね。大変興味深いポイントだと思います。
私も昔、『ハーモニー』と『脳はなぜ「心」を作ったのか』を比較するブログ記事を書いていました。
あれま。全然知らなかったです。ここを読んでいたらなぁ……。
で、話は飛ぶのですが(汗;)。『サーヴァント・ガール』は、ブラックホールが自意識を持った人型ロボットになって主人に仕える話なんですが、ちょっと飛躍が(笑) これは、出版社サイドからの依頼があったのでしょうか。まあ、意識を持ったブラックホールが語りかけてくるというのは、ヴァーリイが「ブラックホールとロリポップ」でやってますが。
特に出版サイドから何か言われたということはないですね。
ブラックホール知性という考え方は、ブラックホールと情報量に関する一連の研究を参照しています。例えば、ブラックホールの事象の地平面の面積が、ブラックホール内の全ての情報量に比例する、というような話です。「ホログラフィック理論」でお調べになると、いろいろと情報が出てくるかもしれません。
「ブラックホールとロリポップ」については初めて聞きました。読んでおりませんので、コメントはできませんが、ブラックホールが意識を持つという考え方は、ブラックホールと情報量の関係から考えると、SFの設定としては有り得ると思います。
ありがとうございます。ヴァーリイ氏は時代を先取りしていたんですね。最初に読んだ時は「なんじゃこれは!」って思ったのは内緒(笑)
またまた話は飛ぶのですが、山口先生はラテン語にもお詳しいみたいだし、『サーヴァント・ガール』の基本設定にはローマ帝国が出てくるしで(キリスト教も)、そっち方面に相当お詳しいと感じました。
あと、『アンノウン・アルヴ ―禁断の妖精たち―』にローマ水道のことが相当詳しく書かれてますよね。水道というか水資源の供給は、その都市の人口を左右する要素だと思います。それと、各著作で度々言及されている、各の演算資源多寡で勝敗が決まるという認識を重ね合わせると、ひょっとして山口先生はそういう水資源とか演算資源とか、限られた資源というものがお好きなのではないかとも思いました。
ローマ帝国に関しては、塩野七生さんの「ローマ人の物語」が好きですね。
ユダヤに言及した部分で、ローマ神話とユダヤ教の対比をされているのですが、これは私が作品に書いている宗教観とも一致するものです。
「サーヴァント・ガール」の設定には、私の「ローマ好き」が反映されています。
やはり。そうではないかと思ってました(笑)
それから、演算資源の話ですが、コンピュータで大規模な計算をさせる人は常に感じていることでしょうけれど、演算資源というのはいつも限られています。それを上手く使うためにコードを工夫したりといったことは、そうした仕事に関わる人にとっては、ごく普通の考え方かもしれません。そういう中で劇的に効率的な方法が見つかったりします。潤沢な資源が使える環境では見つからなかったような。
勿論基本的には潤沢な資源があることが良いのですが、そうでない人たちが勝敗をひっくり返すのも物語の展開として面白いと私は考えています。
それが情動だったり、生身の身体での剣道の練習だったり。どうやれば読者を納得させ感動させられるかが腕の見せ所ですね。
「SF Prologue Wave」に掲載の「サブライム」の紹介で、“『シンギュラリティ・コンクェスト』は、日本語で書かれた、最も『エクリプス・フェイズ』に親和性の高い長篇SFの一つだろう”とあって、そりゃそうだろうと思いました。このシリーズは、「ゼノアーケオロジスト」「ゼノアーケオロジスト2」とありますが、未完ですよね。
未完です。いろいろと書きたいことはあるのですが、執筆時間は有限なので、申し訳ないですが続きをお待ちいただいている状態です。エクリプス・フェイズの世界観では、「死は病であり、克服すべきものである」とされています。そうすると、逆に「死にたい」という願望が達成されなくなるということもあるのでは、と考えました。例えば、誰かが自分のコピーを勝手に作り、勝手に復活させるようなことです。もう一つのこの小説のシリーズのテーマは、エクリプス・フェイズの世界観において色濃く出ている心身二元論的な考え方(「魂はソフトウェアであり、肉体はハードウェアである」)ということに対する私なりの意見を出したいということです。
了解しました。続編お待ちしております。
「SF Prologue Wave」のショートショートはロボットものが多いのですが、その中でも、『宇宙消失』を思わせる「ジュース」面白かったです。概念の使徒vs形而下の輩の闘いなんて、円城塔ばりの魅力があります。
「ジュース」では、どうせ短編だし、ということで、普段私が自分にかけているリミット(描写が読者に理解されないのではないか、もっと身近な話題にすべきでは、という懸念)を外して書いています。ただ、私には、自分なりの問題意識を分かりやすく小説の形で出してみたい、という思いもありますので、普段はやりませんが……。
よく分からないけど面白いってのもあります!!(笑)
No.29まで来ている《マイ・デリバラー》を除くと、《コルヌコピア》1~5も面白いです。『サーヴァント・ガール』の元ネタかと思いきや、こういう落ちだったとは。この二つ、背景にある設定は似てますよね。ロボットもしくは奉仕者が、なんでもやっちゃうと人間は堕落するという(笑)
《マイ・デリバラー》も『サーヴァント・ガール』のような展開になるのかと思いきや、なんと凄いことになってきました。ワクワクしながら読んでます。
そうですね。ロボットに頼りすぎるとどうなるのか、という部分に関してまず詳しく説明します。
Prologue waveに投稿させていただいているこの2小説(マイ・デリバラー、コルヌコピア)は、「将来的には人間の仕事を全て肩代わりするロボットが出てくるので、人間は働かないようになる」ということに対しての私なりの意見を述べているという側面があります。
まず、「マイ・デリバラー」の未来図について述べます。
現在でも、AIやロボットは、事務作業・肉体労働・情報分析・労働力や資源の適正配分やマネージメント等、様々な仕事を担える性能を持ちつつあります。特に後者2つは今まで人間の、特に管理職の仕事として残るだろうと思われてきただけに、それでは人間の仕事は全てなくなってしまうのでは、という意見も生まれつつあります。
しかし、後者2つは、指揮官に対する参謀の役割のようなもので、指揮官たる人間は必要だと思われます。
人間は何かの事業を構想し、それを運営していく役割が依然として求められているだろうと。それは言わば一人の人間でひとつの会社、或いはひとつの事業部を運営するようなもので、飛躍的な生産性の向上になります。私の実感ではこういうひとつの事業の単位は100人ぐらいですので、生産性100倍といったところでしょう。同時に、それは飛躍的な需要の向上にも将来的にはつながっていくでしょう。
一人で生産できる財やサービスが多いのだから、一人で消費する財やサービスもそれに呼応して増大していく、という未来図です。そこで新しいバランスが生まれる。そうすると、一人あたりの生産と消費が劇的に増えただけで、ロボットやAIが出てくる前と何も変わらないという社会になります。
「マイ・デリバラー」の主人公は、一人で会社のトップであり、彼女の会社が提供するサービスは宇宙旅行です。しかし普通に働いている人ならば誰でも利用できるようなサービスだ、と彼女は述べています。
宇宙旅行、行きたいです!! 木星とか土星を間近で見てみたい。まあ消費されるエネルギーと資源は相当な物になるのでしょうが。
次に、「コルヌコピア」について。
さて、「マイ・デリバラー」の世界観においても、たとえば秘書ロボットが、人間の社長のやりたいことを、「やりたい」と意志する前に全部把握して、先回りしてやってしまったらどうでしょうか。人間の方は、思っただけで、或いは意識として自覚するよりもはやく、周囲が全て望んだように動くので、何もする気が起きなくなるでしょう。そうすると全ての人間が意識を喪っていく、それが「コルヌコピア」の世界です。
しかし、いずれの世界にせよ、考えなければならないことは、これだけ判断力が発達したAIやロボットを、単に人間の生産性を増強する手段ととらえてもいいのか、ということです。人間は高い知能を持っているから、それに付随して権利が与えられているのである、という立場に立てば、どこかの閾値を超えた知能の持ち主には、人間としての権利を与えるべきかもしれません。そうすると、「『人間』が働かなくても良い世界」は永遠に来ないでしょうし、「『人間』の生産性の向上」もどこかで頭打ちになるでしょう。
私も、このような問いかけについての、明白な答えはまだ出せていません。「マイ・デリバラー」の完結を以てひとつの結論が出せるのではと思っています。
思考実験としても大変興味深い命題だと思います。それを読みやすい形で呈示するのは大変でしょうが期待してお待ちします。
さて、そんな山口先生の創作の根源となる「心」や「意識」に関するノンフィクションも「SF Prologue Wave」で読むことが出来ます。いまのところ「サブリミナルへの福音」「サーボモータと意識」「シンギュラリティの十分条件」「コンシャスネスの系譜」の四つです。これと前野隆司先生の『脳はなぜ「心」を作ったのか』を読むと、山口先生がラノベ風SFで語られている冒険物語がより深く味わえると思います。
まあ、強くて賢い美少女が大暴れする、ちょっとセンチなお話として楽しまれるのもありだとは思います。
「SF Prologue Wave」はフィクションだけでなくコラムも寄稿できるところがいいですね。意識に関する考察は個人的にもいろいろやっていますが、人に読まれるという前提できちんとまとめてみるのは自分にとってもとても良い経験でした。
また「SF Prologue Wave」では、『エクサスケールの少女』を書かれた、さかき漣先生との対談『あるべきシンギュラリティ論1~3』も読むことが出来ます(未完ですが)。
さかき漣先生は、哲学畑のご出身なので「心」とか「精神」を山口先生と議論するにはうってつけの存在と感じました。同じ題材でも、SFとは別の切り口で物語れますし『シンギュラリティ・コンクェスト』に関しても、私のようなSF者とは面白がるポイントが違うのが面白いですね。
今回はお忙しい中、長々とインタビューにおつき合いいただき本当にありがとうございました。個人的には、山口先生の著作がより面白く読めるようになったと思います。
最後に近刊予定とか執筆中の著作がありましたら、かまわない範囲でお教え下さい。
多岐にわたり私の作品についてお尋ねくださり大変光栄です。
近刊について、確たる予定はないですが、長編をひとつ、鋭意執筆中です。
宇宙を舞台とした、人間と人工知能の共存をテーマにした作品になる予定です。