シリーズ40巻突入記念の特別限定セット。シリーズ1巻から3巻の『雛の鮨』『悲桜餅』『あおば鰹』に、エピソード0、季蔵と瑠璃の許嫁時代の物語「長崎菓子」付き。
江戸でたちの悪い風邪が流行り、市中の食べ物屋も閉めることになった。日本橋にある一膳飯屋「塩梅屋」の季蔵も、滋養があって美味しい粥を持ち帰り用に売ることに。
一方、奉行の烏谷からは、老中首座に長寿膳も作って欲しいと頼まれる。
そんな折、船頭の豪助が季蔵の手伝いにと紹介した女性が元許嫁の瑠璃の若い頃ににそっくりで……。
「姫様のお命、お守りにまいりました」美声の黒装束の男が、ゆめ姫にささやいた。そして起きた斬撃にも関わらず、翌朝にはなにも残されていなかった。
大奥総取締役の浦路に呼びつけられた将軍家御側用人池本方忠は、姫を守っている者たち十三人が殺された不祥事を告げられるが……。
花恵が八丁堀で営む「花仙」は、園芸好きの常連客で繁盛していた。ある日、江戸一を誇る味噌問屋の若旦那・仁兵衛が殺され、下手人として仁兵衛との婚約が破談した過去を持つ花恵が疑われる羽目に。潔白を証明するため奔走する花恵を助けてくれたのは、当代随一の活け花の師匠・静原夢幻だった。草木花をこよなく愛する二人が強欲な悪党に挑む時代小説。
藤屋桂助は、妻の志保、親友の鋼次家族とともに、日本に帰ってきた。アメリカでは歯科のある病院で、当初は奴隷同然の扱いだった。桂助は重度の虫歯である院長夫人の命を救い、桂助の優れた抜歯技術を院長に評価されることで、最新の口中医療を学んだ。帰国の際、最新式の足踏み式虫歯削り機を持ち帰る。
帰船中、乗客だった富士山太郎一座の大山かじ花が殺害され、鋼次の妻・美鈴も疱疹で倒れるが……。
再び〈いしゃ・は・くち〉に戻った桂助を、金五や入れ歯師の本橋が、事件の相談もあり相次いで訪れてくる。また理想とする「歯を抜かない治療」「痛くない抜歯」を進める桂助のもとに、徳川慶喜が、家臣だった渋沢栄一とともに治療に訪れるのだが……。
今月の著者インタビューは、昨年の12月に《料理人季蔵捕物控》シリーズ第40巻『天下一の粥』と、1月9日に《新・口中医桂助事件帖》『志保のバラ』を上梓された和田はつ子先生にお受け頂くことが出来ました。和田先生、これで4回目ですがよろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いいたします。こうして刊行を続けてまいることができたのも読者の皆様のおかげです。深謝いたします。
《料理人季蔵捕物控》40巻、シリーズ累計250万冊突破おめでとうございます。
『口中医桂助事件帖 さくら坂の未来へ』の巻末に解説を書かれている菊池先生が、「日本歴史時代作家協会 公式ブログ・2018年 文庫書下ろしシリーズもの編」で、《口中医桂助事件帖シリーズ》と《料理人季蔵捕物控シリーズ》に言及して、“料理ものが売れ筋として多くの作家が参入してきているが、先鞭をつけたのは本シリーズ”と断じてらっしゃいますね。40巻続くということは、それだけ人気がある証ということでファンの一人としては嬉しい限りです。
時代小説の書き下ろし文庫が隆盛を極めていた頃、わたしの作品について、あそこまで料理やお江戸の歯科事情を書かなくてもいい、小説は登場人物のキャラや話の展開が主なのだからというご指摘もありました。ようは蘊蓄が退屈だというのでしょうね。
けれども、そのご指摘に従うと映像や画つきのドラマやコミック的になり、何も小説で書く必要がなくなってしまうとわたしは考えました。それでこれまで蘊蓄とキャラ立ち、展開、どちらも目一杯書いてきました。それでここまで読み続けてくださる方々がおいでになってくださるというのはうれしい限り、作家冥利に尽きます。
《料理人季蔵捕物控》なんかは、料理の蘊蓄が楽しい限りですし。
さて、今回は和田先生への最初の著者インタビューでも登場してくださった浅野さんにまたお手伝い頂けることになりました。浅野さん、よろしくお願いします。
『料理人季蔵捕物控 天下一の粥』(シリーズ、40冊目!)読了しました。
今回の舞台は、流行り風邪真っ只中の江戸。
現在の我々と同じで、身につまされました。
江戸時代にこんな流行り風邪があったのかと思いましたが、この本の最後の〈参考文献〉を見ますと、『病が語る日本史』という本があることが分かりました。
それにしても、現在のコロナ対策は江戸時代から少しも進歩していませんね。
現在でも、こんな栄養価のあるお粥や、丼物を食べれば、栄養満点なのではと考えてしまいます。
わたしが一人暮らしでコロナに罹って、病院に入れてもらえなくなったらと考えて提案したお粥や丼物です。ホテルに収容された軽症患者さんたちの病人食がコンビニ弁当やスナック系のようなのが残念に思えたのです。コロナは肺疾患ですけれど当然、消化器にだって不調は及ぶでしょう? わたし個人は微熱でも普通食が食べられない体質です。
このあたりを行政はもう少し気遣うことばできないものでしょうか?
そんな思いもあってお粥や丼物をテーマに選びました。
私は三年ほど前に、孫からノロをもらって二週間近く難儀しました(汗;)
症状としては吐き気・嘔吐・下痢のコンボで、最初は何も食べられず、ちょっと良くなってからも下痢は続いたので往生しました。ず〜っとお粥さんばかり食べていたので飽きてきて、当時『天下一の粥』を読んでいたら、もっと早く良くなったかもしれません(笑) お里奈ちゃんのお粥バリエーションすごいです。季蔵さんもたじたじ。どこであれほど腕を上げたのでしょうね。
物語の中でのお里奈ちゃんは看護的な仕事の一環で病人食に通じていることになっていますが、やはり愛する男一筋にヒューマンな名医直江先生のそばにいて手伝いをしたかったからではないかと思います。
やはり。愛の力は強いなあ(笑)
あと、おき玖さんが作ろうとしていた福山城下のお寿司、松茸土瓶蒸し風うずみは美味しそう。隣の岡山でも、城主の倹約令に対抗して、具材をいっぱい入れたばら寿司とお吸い物で一汁一菜と誤魔化した(笑)
特に備前ばら寿司(隠し寿司)は、豪華なちらし寿司をひっくり返して、底の寿司飯に錦糸卵だけを飾った変わり種。これも城主の倹約令に反発した庶民の考案です。
島根県のうずめ飯も出てきますが、中国地方どこでもあるのかも。こういう地方料理の蘊蓄も楽しいですよね。
最高にヘルシーで美しいお豆腐料理、“菜豆腐”についての蘊蓄を。
これは宮崎県は九州山地の椎葉村に伝わるものです。山に囲まれた椎葉村には平地がなく、その昔焼き畑で耕作される大豆は味噌や醤油にも使われるゆえに、大変貴重なものでした。豆腐作りにもふんだんには大豆を使えません。
そこでこの地では平家蕪の葉と茎を入れてわり増しするだけではなく、蕪の苦みでにがりを節約したとのことです。蕪が甘い旨味を増す時期に作られるので、正月料理には欠かせないものでした。
写真で見ると豆腐の白地にちりばめられている蕪の葉や茎の緑が映えて大変美しい仕上がりになっています。これを串に刺して一年間の無病息災を祈りもしました。
“引き割れ豆腐”とも呼ばれたのは出来たてを手のひらにのせて引きちぎって食べたからだそうです。
美しいだけではなく美味しそう、健康にも良さそうです。
ただし優れもののこのお豆腐、あまりに世の中が豊かになってしまい、もはや90歳代の人しか、作り方を知らず廃れかかっているとのことです。
レシピの聞き書きはあるので、いつか季蔵に作らせてみたいと思っています。
料理は文化ですから、レシピが失われてしまうのはもったいないです。ぜひ季蔵さんの活躍でまた人口に膾炙しますように。
郷土料理と言えば、『からくり夢殺し』(ゆめ姫事件帖9)でも、御台所様の故郷である薩摩の味、唐芋汁がらみの件とか、浦路の語る羊羹の出自とか芋金鍔の話も興味深かったです。これまでは市井の事件を夢で解決することが多かったゆめ姫さまが、今回は図らずも大陰謀解決に関わっていくのも面白かったです。
《ゆめ姫事件帖》シリーズまでご高覧いただいているとはいやはやとても感激です。
『からくり夢殺し』はかなりリキを入れたのですが、凝り過ぎです、凝りすぎると読者が離れます、と編集者に指摘されたこともあり、このようなお言葉をいただけると作家冥利に尽きます。
今回はゆめ姫の片思いの様も読みどころですね(笑)
そう言えば、『料理人季蔵捕物控 天下一の粥』でも、お里奈ちゃんが若い頃の瑠璃さんにそっくりと言うことで、季蔵さんの心にもさざ波が立ったりして、その展開も一興でした。まあ季蔵さんは、瑠璃さん一筋の堅物なんですけどね(笑)
すみません、脱線しました。
いつも、お馴染みの登場人物に声援を送っています。
特に、時々、登場する瑠璃に季蔵が会うシーンでは、私までドキドキしてしまいます。そして最後は、いつものように、季蔵の明察で一件落着。
瑠璃に季蔵というと《料理人季蔵捕物控》40巻記念の「特別3冊セット」に同梱されているシリーズ前日譚「長崎菓子」では、季蔵と瑠璃の許嫁時代のエピソードが語られてますね。
シリーズの最初の頃は、季蔵は「塩梅屋」の娘「おき玖」と、「瑠璃」とどちらと結ばれるのかなと思いながら読んでいたのですが、そういう間柄だったとは!
常から季蔵シリーズの第一巻目の“雛の鮨”に物足りなさを感じていました。そもそもこの先を書くことになるかどうかわからなかったので、現在の季蔵のキャラと事件の展開を中心に据えました。
その分、どうしてこうなったのかの説明が不足していて、季蔵と瑠璃の絆が書き足りていないのが気になっていたのです。「長崎菓子」では瑠璃も季蔵もごく普通の幸せを願う二人だったのです。
なるほど総括的な前書きかと思っておりましたが、全く新しい一つの物語で大変面白く読めました。
特に、将来、厳めしくなる季之助が瑠璃にやきもちを焼く件は、愉快です。
このような物語であれば、続けてエピソード0.1、0.2…が期待できるのでは……。
そのお言葉大変うれしいです。励みになります。どういうわけか、エピソード0は熱に浮かされたように書いてしまいました。
40冊記念のために本当は原稿用紙十枚程度のエッセイの付録をつけてくださいと編集者には言われていたのですが、若き日の季蔵と瑠璃の捕り物なんかも面白いと思っています。
是非、続きをお願い致します。
楽しみにしております。
わたしも、わたしも。ぜひお願いします。
今度、編集者に話してみますね。あまり期待はできないのですが、世の中どう変わっていくかわからない時代なので——実現はわたしもさせたいものだと思っています。
でも、その時は瑠璃の方が主役っぽくなりそうです。強気で乙女心もある瑠璃——今の瑠璃とは大違い、きっと季蔵のキャラも変わるのでしょうね。
浅野さん共々お待ちしています。
若い乙女の捕り物というと、出たばかりの新シリーズ『花人始末 出会いはすみれ』は、和田先生が料理と共にお詳しいお家芸とも言える草木(とハーブ)の知識が活かされた好編でした。
桜草の育て方とか、精油の作り方とかも興味深かったし、花恵の作る桜のばらずしはとても美味しそうでした。あと、カミさんが最近は伊賀味噌を使っているので、伊賀の玉味噌の作り方も。
登場人物では、当代随一の生け花の師匠・静原夢幻も格好良いんだけど、私の一押しは、和菓子作りが得意なLGBTのお貞さんです!(笑)
早速のご高覧ありがとうございます。感激です。
季蔵、桂助等考えてみれば和田はつ子の女主人公って「ゆめ姫」シリーズと「お悦さん」だけなのですよね。
ゆめ姫は将軍家の姫様ですし、お悦さんはスーパードクターなのでいつか身近に感じられる若い娘の話を書きたいと思っていました。現実問題、わたしも長生きしつつあって、気がついたら編集者は下の娘より一歳ですが年下の女性が担当になっていました。この彼女が見た目可愛らしくて、中身、繊細にして面白くて、十年近く寄り添ってもくれて、是非とも彼女を主人公にイメージした作品をプレゼントしようと思って書いたのがこの作品です。
書いたのは昨年の緊急事態宣言下であの時、作家たちはみーんな、いつもとあまり変わらない、仕事に集中できると口を揃えたそうですが、それは表向きで実は書き上げた後の打ち上げはできなかったはずです。わたしもそうでした。それで思い切り楽しい恋愛力満載のわくわくするような若い娘さんの話を書くことを思いついたのです。
緊急事態宣言がなかったら書かなかったかも。それなら今も執筆に邁進しているはずだと?
いえいえ、緊急事態宣言も2回目ともなるとただただ憂鬱に無為に引き籠るばかりです。
お貞さんはあの西島秀俊・内野聖陽 の「きのう何食べた?」が頭の隅にあって思いついたキャラでしょうか。LGBTが個性として明るく受けいれられるようになったのはうれしいことだと思っています。
ちなみにわたしのお勧めはいいに決まっているけれど現実味はないスーパーヒーロー静原夢幻ではなく、もちろん子犬のような善良さだけが取り柄の同心でもなく、こすっからさと自信が混ぜこぜの自称いけてる男の晃吉がふと見せる可愛げなのです。お勧めの理由はこういう人、わりに身近にいるタイプだからです。このキャラにもモデルはいますがそれは内緒です。(笑い)
あの晃吉君にもモデルがあったんですね!
よしながふみさんの連載は、毎週「モーニング」誌でも読んでますが、お貞さんのネタ元が「きのう何食べた?」だったとは驚きです。
美味しそうな料理というと、待ちに待った《口中医桂助事件帖》最新刊『志保のバラ』に出てくる有名料理屋平松の夕餉の御馳走メニューは、松茸尽くしで涎が(汗;)
西洋では松茸はあまり好まれてないようなので、米国帰りの桂助と志保は、久方ぶりの味を堪能したでしょう。それと、この献立はかなり豪華ですよね?(江戸庶民には無縁かも)
江戸時代でも赤松林が江戸の近くにはないので松茸は高価だったとは思います。けれども今ほどではない気がします。わたしは東京住まいですが、たとえば丹波の松茸なんて姿も見たことありません。信州産もそう多くなくて、そこそこ姿を拝めるのは岩手産。といってもこれをもとめるわけではなく、カナダ産等で楽しんでいます。わたし個人の話は別として、今ほど明治初期はまだ松茸が高価ではなかったように思います。
明治になっていろんなものが解禁されたので流通がよくなって、女起業家お房の一声もあり、こんな御馳走もありだったような気がします。
岡山でも30年くらい前には、県北に親類がいる知り合いから松茸をよく頂いていたものですが、今は高嶺の花でございます(笑)
一応の完結をみた《口中医桂助事件帖》シリーズですが、前回のインタビューで、和田先生から続編の可能性をうかがい、一日千秋の思いで待っていました。第一話「望郷さくら坂」では、米国での桂助たちの暮らしぶりが描かれていますが、ご苦労されたところはおありでしょうか。
やはり、時代考証でした。明治の初め、アメリカはどういう国だったのか?
南北戦争は1861年から1865年までのアメリカの内戦、明治維新は1868年。
桂助たちが訪れたアメリカは南北戦争終結からあまり経っていません。
人種差別は今では考えられないほど激しかったと思います。
一方、アメリカのゴールドラッシュって1848年頃なのです。
これで財を築いた人たちは無茶苦茶成り上がりで、この手の人たちの中にはたとえ親戚縁者であっても非常に人道的な人もいれば、大悪人もいたはずです。
こうした背景と幕末にアメリカで奴隷同然の体験をした後の首相高橋是清翁の自伝を踏まえてアメリカでの桂助たちを書きました。
なるほど、高橋是清翁の米国での体験が基になっているんですね。
昔NHKの海外ドラマで観たことがある『ドクタークイン 大西部の女医物語』というのをスカパーで再放送しているんですが、リンカーンが大統領になった頃の話だから、明治維新のちょっと前くらい。男尊女卑とか黒人差別がまだまだ横行していた時代ですよね。
しかし、桂助たちの師匠が人道的なお医者さんで良かった。帰国の船中の話で、米国にやってきた移民達は、朝から晩まで働き続け、その疲れた身体には、疲れが癒やされる甘いお菓子が必要とされたとあり、現在のアメリカの食事事情の元も、そういう歴史的背景があるんだなと興味深かったです。
あと、鋼次が手先が不器用な米国人のために、手で叩くのではなく、房楊枝作り器を伝授する下りも。これが米国の歯ブラシの原型になったのかも!
ご存じかと思いますが、歯ブラシのはじめて物語はあまり明確ではないんですよね。
古代エジプト・古代インド、バビロニア等で広まった歯ブラシ事始めは、木の枝の一端を歯で噛んで柔らかくクシャクシャにして、歯を磨いていた「歯木」でした。これはもう間違いなくて、今でもこの手のもので歯を磨いている人たちは世界にいます。
中国では、インドから仏教伝来以来、柳でつくられた楊枝を使って磨いていたそうです。これが日本に伝わって主に安いどろ柳で拵えられていた使い捨ての房楊枝のルーツですよね、きっと。
日本では「楊枝・房楊枝」として広まって後、インドから伝わった今日の歯ブラシと形態の変わらない鯨楊枝を経て、「歯ブラシ」の名称が最初に使われたのは、1890年(明治23年)に開かれた「内国勧業博覧会」で、大阪の会社が「歯刷子」という名称で出品してから後のことです。
ただし原価が高く扱いにも気を使う天然素材、鯨のひげや豚毛、ナポレオンが歯ブラシに用いた馬の毛等を歯ブラシ毛に使っていては大量生産できません。
その後さらに1938年2月24日にはアメリカのデュポン社が今日のもののようなナイロン毛製の歯ブラシを初めて売り出しています。
そう考えるとたしかに大量生産への夢への閃きの原型はあの房楊枝作り器にあったのかもしれませんね。
『新・口中医桂助事件帖 志保のバラ』、読み終えました。
お馴染みの登場人物の物語に加えて、明治初期の「いしゃ・は・くち」の新技術が良く分かり、楽しめました。
現代に生きる読者の方々に違和感のないように書いたので実際とは異なっているかもしれません。
歯を削るのや歯茎の切開に麻酔を使用することにしました。今では歯医者さんでの麻酔治療は頻繁ですが、昭和27年生まれのわたしが高校ぐらいまでは、むし歯を削る治療は麻酔なしでした。ブーンと三味線のような音がする器械で治療の際たいそうな痛みで、最近歯科医の先生から、「あれ、アメリカでは歯に使う金属の研磨機だったんだよね」などという話を聞きました。
何でも身体の痛みでもっとも堪えるのは骨なのでそれに近い歯削りとなると歯神経に近づけば激痛のはずだとか——。
今でもあの音は忘れません。まさに恐怖、拷問の音です。
さらに口中の衛生概念も今のようではなかったのでとにかくむし歯で苦しむ人が沢山いたにもかかわらず、抜歯の時しか麻酔は使ってもらえませんでした。
これがそう昔々のことではないのですから、明治初期は麻酔なしでの削り治療と考えるのが普通ではあります。
昔の日本人は痛みに我慢強かったですからね。
けれども今の読者の方々には到底想像できないことだと思われて麻酔下での治療にしました。
それと麻酔はアメリカの歯医者さんの発見なので、あちらでは歯科治療に広く麻酔が使われていたように思います。
日本に入ってくる麻酔薬は高額だったであろうことはおそらく事実で、一部の富裕層は幕末の横浜でのように麻酔使用の治療が受けられたかもしれません。
現在でも、歯医者さんが舌癌の手術などをされることがあるのでしょうか?
これは私が答えちゃいますが、一般開業医はやりません。歯科大の付属病院などでは、口腔外科が担当します。手術チームの一員として口腔管理に携わる役目は当然ありますが、進行した舌癌などでは、再建手術や転移等の問題もあり、専門の医師が手術すると思います。
と考えると、口中医桂助は当時医者も手がけていない舌癌の手術をしていたということで、最先端治療を担っていたということになるなあ。凄い!
まああくまで小説ですからね。小説のいいところと思ってください。
でも日本の歯科医第一号とされる小幡英之助だって、明治7年8月に医制が公布された後、第1回目の医術開業試験に「歯科」を専門として申請して合格し、歯科を専攻する医師として登録されています。歯科も医科の一部だったわけですから、桂助がスーパードクターぶりを発揮してもそうはおかしくないわけです。
また、東大医学部時代森鴎外の親友だった賀古 鶴所(かこ つるど)は日本にそれまでなかった耳鼻咽喉科学をもたらした医師ですが、元は軍医、細菌学研究、食道がんの手術もしています。実在する人だって立派にスーパードクターではありませんか。
——だからこの時代は面白いのです!!——
あと医師の開業試験が法制化されたのは明治9年のことです。
桂助や鋼次もそのうちこれを受けることになるのでしょうね。
桂助や鋼次が、お受験で苦労するエピソードも面白そうですね(笑)
ところで、桂助たちが現代にタイムスリップするというスピンオフ作品の行方はどうなっているのでしょうか? SFファンとしては非常に楽しみにしております。
歯科医師の市村先生と須田先生がタイムスリップして、桂助と鋼次に会うエピソードでも良いのです……。内輪ネタ過ぎるか(汗;)
SFですかあ。その代表がタイムスリップなんでしょうね。
やってみたい気はあります。
桂助たちが未来に行くとすると、ドラマの“JIN”の逆ですよね、たいていのタイムスリップものは現代人が昔へ行きます。たまになぜか2時間ぐらいで終わる映画で侍や太平洋戦争時の軍人が現代に来たりします。基本はあれになるのでしょうか?
昔の人の気概に学ぶみたいなだけでは——桂助たちでなければ出せない味を出したいのでもう少し考えさせてください。
和田先生ならではの独自色、期待してます。
明治初期は、本当に激動の時代で、傑出した人物がそこここに輩出していて面白い。
賀古鶴所医師もそうだし、高橋是清翁も激動の人生を送られてますよね。
『新・口中医桂助事件帖 志保のバラ』の後半に登場する渋沢栄一も、傑物ですね。
岡山にもゆかりのある人物で——お札にもなるし今年の大河ドラマの主人公にもなるし——慶喜とも繋がりがあるので、桂助たちと関わりが出てくるのは当然の成り行きですね。
和田先生の描く、賀古鶴所医師や森鴎外、桂助たちの医療分野での活躍も読みたいです。それに政府を揺るがす大事件が絡めば申し分ないです(笑)
月並みですが明治10年の西南の役を横糸にして、縦糸にさまざまな医療改革——もちろん明治政府による独裁的な決定ですが——を紡いでいければと思っています。
おっとそういう展開なら『特命見廻り 西郷隆盛』と桂助たちの絡みも読みたいです(笑)
今回もお忙しい中、インタビューに応じて頂きありがとうございました。
これからも益々のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。
SFファンとしては『新・口中医桂助事件帖 令和編』に期待←すみません願望です。
季蔵ファンとしては、『季之助・瑠璃の捕物控(料理人季蔵捕物控 番外編)』に期待です(笑)
ここまで見込んでいただいて痛み入ります.作家冥利に尽きます.
出来得る限りご期待に添うよう頑張りたいと思います.