【第1章 相対論がわかれば、時間と空間の不思議がわかる】
相対論なくして文明生活は送れない
【第2章 光速で動けば時間は止まる】
ロケットに乗った人から相手の時計を見ると?光速は誰から見ても一定
【第3章 さらに不思議な一般相対論】
加速し続けるロケットは光速に迫れるか?時間と空間は幻影である
【第4章 空間と時間の哲学的考察】
空間と時間はこの宇宙の「器(うつわ)」心の中に空間はあるのか?
時間は流れない?未来からの光はなぜか届かないパラパラ漫画はなぜ動くのか?
【第5章 物質と生命の狭間】
拡散した赤インクは元に戻るか?不可逆現象と時間の矢。モノの動きは記憶が生み出す
【第6章 生命と時間の流れ】
時間は生命の中に過去と未来は峻別されているのか?生命は負のエントロピーを食べる。最初の生命が生まれた環境。オートポイエーシスに欠けている時間の発見
【第7章 物質が空間を作り、生命が時間を創る】
万物の理論宇宙の階層構造。無意識と自己意識の階層構造。ふたたび実在と幻影(イリュージョン)について。未来からの光が見えない理由?
今月の著者インタビューは、昨年12月に 『空間は実在するか』を出された、「アニマ・ソラリス」ではお馴染みの橋元淳一郎先生です。
橋元先生お久しぶりです。前回は《不思議の星のサイエンスシリーズ》でしたね。
今回もよろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願い致します。
実は、1月はじめには著者インタビューを始める予定だったのですが、たまたまネットで朝日カルチャーセンターの講座で、橋元先生の「相対論と量子論からみた生命」が1月末に視聴出来ると知り、それを拝見してからの方が良いなと思いました。
が、結局リアルタイムでは視聴できなかったので、youtubeのリンクとレジメが送られてきてから拝見しました。よく分からないので二回見ましたが(汗;)
でも、『空間は実在するか』を読んだだけよりは、理解が深まった気がします。
この本は、そうとう力を入れて書きました。そのため、むずかしいという感想が多いのですが、内容には自信がありますので、じっくりゆっくりかみしめて読んで頂ければと思っています。
難解で何回も噛み締めてます(笑)
著作の方が『空間は実在するか』で、講座の方が「相対論と量子論からみた生命」なんですが、この表題の違いは何でしょうか?
個人的には「相対論と量子論からみた生命」のほうが一般受けするのかなとも思いましたが。まあ、どちらも難しそうではありますけど(笑)
「空間は実在するか」は、出版社側の希望でそうしたのですが、僕としてはあまり気に入っていません。やはり、時間とか生命という言葉を入れた方が良かったのではないかと思っています。
出版後、2か月でamazonランキング10位くらいを前後しています。ひとつきっかけがあれば、爆発的に売れるのではないかと思っているのですが、いまは、生前1枚も絵が売れなかったゴッホの心境です。
みなさん、買って下さい!(笑)
読者の皆様、お願いします!(笑)
そういえば講座のほうで、“出版直後は、Amazonの物理分野の書籍の中の売れ行きトップだったけど……”とおっしゃってましたね。
Amazonのレビューといえば、“あくまでも論理空間上の数である<虚数>を実在する空間軸に示すことは出来ないのではないか?”という疑問を書かれているレビュアーがいらっしゃいますね。
個人的には、実数と虚数を同じように扱うために、“自乗すると、"−1"となる数”として"i"を導入した”のだから、同じ空間軸上で扱えないと困るのではないかと思ってるのですが……。
虚数が論理空間上の数というのは、ぼくにはちょっと理解できません。空間は虚数が事実だとするなら、論理空間上の数ではなく、じっさいに存在する数だと思うのですが……。
門外漢にはよく分からないのですが、"i"を導入することで上手く説明できることが出来るが多いのなら、良いのではと(汗;)
新しい概念というと、光の時間線を越えて、因果的領域と非因果的領域を同じ土俵で扱うことの出来る"虚数"のような新しい概念が出来る可能性はあるのでしょうか?
ぼくは数学的な思考に弱いので、その辺のところは何とも言えませんね。
答えになってないかもしれませんが……。
まだまだ難しい問題なのですね。
光速を超えた宇宙船の放つ光はどのように見えるかという問題なのですが、光速を超えるという時点で相対性理論を無視した話になっている(非因果的領域での話)と思うので、分からないというのが正解なのかなと思ってますがどうなんでしょう?
その通りです。分かりません!
やはり(笑)
物質は光速を超えることはできないけれど、宇宙空間は光速以上で膨張できるという話があるのですが、もし真空がマイナスのエネルギーで満ちているとしたら、膨張した先でマイナスのエネルギーをマイナスの物質に変換すれば結果として光速を超えたことになりますか?(笑)
それも難しい話ですね。宇宙の膨張速度は相対論的な因果関係と無関係なので、超光速であってもおかしくないと思いますが、それが我々の世界における超光速といえるのか、どうか……。
まあ、ぼくにもよく分からないということですね(笑)。
すみません、変なことばかり聞いて(汗;)
ついでに聞いてしまいますが、物理定数は宇宙開闢直後とかは現在と違う値であった可能性はあるのでしょうか。もしくは終末期の宇宙では違うとかは?
物理定数が普遍でなければならない理由はないので、ビッグバン直後や終末期の宇宙で違っていたかもしれないという話は真面目に論じられています。しかし、物理定数が変化するにはそれなりの理由があるはずで、それを考えるのが難問ですね。
理由が要るのですね。確かにそうかも(汗;)
対称性の乱れで丸ごと反物質で出来ている星雲とかが存在する可能性はありますか?
我々が観測できる宇宙のなかには、ないでしょうね。観測できるということは、我々の宇宙の物質と相互作用するということで、相互作用すれば、対消滅してしまいますから……。
脱線してばかりで申し訳ありません。
『空間は実在するか』の帯の煽りを書かれている福岡伸一先生の御著作を泥縄で読んでいるのですが、西田幾多郎先生(哲学)と福岡伸一先生(生物学)と橋元淳一郎先生(物理学)は、出発点の分野は違えども、目指す方向は同じではないかと感じましたが、どうなのでしょうか?
そうですね。ご本人たちはどう思われるかわかりませんが、僕はそう思います。
おっと、まぐれでも当たると嬉しいです(笑)
朝日カルチャーセンターの講座「相対論と量子論からみた生命」で、最後の方に出てきた図(「生きる意志は、らせんを描いて時間軸上を進む」)がとても印象に残っているのですが、これは福岡先生の“動的平衡”、特に“先回り”の概念と西田先生の“絶対矛盾的自己同一”の概念と近しいと思った次第です。