インタープリタとは、個人個人によって独自のものである人の心から抽出した記憶データを“翻訳”し、他者に理解可能なよう立体的に再構築する技能者である。若き女性インタープリタ珊瑚が受けた仕事は前例のないものだった。“潜行”する先は、彼女自身の会社の社長。しかも先立って送り込まれたインタープリタは、3人たてつづけに社長の記憶の中で正体不明の存在に襲撃され、病院送りとなっていた。社長の記憶世界で何が起こっているのか。
収録作:「風牙」「閉鎖回廊」「いつか光になる」「嵐の夜に」
過剰共感能力者とは、他人の感情に共感しすぎてしまう特異な体質のために、社会生活に支障をきたしてしまう人々。生きづらさを抱える彼らの共感能力を生かし、本来はその持ち主にしか理解できない記憶を第三者にも分かるようにする“記憶翻訳”の技術を開発したのが九龍という企業だった。珊瑚はその中でもトップクラスの実力を持つ記憶翻訳者だ。依頼人の記憶に寄り添い、その人生を追体験するうち、珊瑚は幼い頃に失った自身の一部について思いを馳せるようになる。
収録作:「流水に刻む」「みなもとに還る」「虚ろの座」「秋晴れの日に」
過剰共感能力を生かし記憶翻訳者として働く珊瑚は、勤務先の〈九龍〉に持ち込まれた仮想空間コンテンツをきっかけに生活共同体〈みなもと〉を訪れる。そこで珊瑚を待っていたのは、自身の母親だと名乗る女性・都だった。すでに亡くなっていると思っていた“母”は精神的支柱として生活共同体をまとめる日々のなかで、過剰共感能力の異常発現ともいえる症状があらわれて苦しんでいた。珊瑚は原因を探るべく、都の記憶データに潜行するが……。
収録作品:「六花の標」「銀糸の先」「追憶の杜」
人間の記憶をレコーディングし、他人にもわかるよう翻訳する技術を生みだした会社・九龍。創業者の不二が病に倒れてからも事業を拡大し続けていたが、記憶データをめぐって起きたいくつかの事件により、世間から非難と疑いの目が向けられていた。九龍に所属する記憶翻訳者の珊瑚は、恩師の不二と大切な居場所である九龍を守るため、真相を探ろうとするが……。
冥凮と呼ばれる怪物が跋扈する世界。空を飛ぶもの、地を這うものなど様々な種がいるが、そのどれもが無作為に人間を襲う習性を持っていた。人々は身を護るために砦を築き、軍事、工業、商業、農業などそれぞれ個別の役割を持った六つの共同体に分かれて暮らしている。少女キサは、この世で唯一冥凮を滅ぼす能力を持つ蒼衣の家系に生まれながら力を使いこなせず、役立たずの捨姫と蔑まれていた。冥凮討伐に失敗し毒の川に落水したキサは、一人の少年に命を救われる。彼もまた大人たちから切り捨てられた孤独な存在だった。ひとりぼっちで生きてきた少女と少年が手を取り合い、過酷な運命に立ち向かう。
スマホ等で書影・粗筋が表示されない方、門田充宏先生の短編掲載誌及びその他の関連情報は、こちらから。
今月の著者インタビューは、「風牙」で第五回創元SF短編賞を受賞、その後「風牙」を含む連続短編集『追憶の社』が2020年度の星雲賞にノミネート、『蒼衣の末姫』も2022年度の星雲賞にノミネートされた門田充宏先生です。
門田先生初めまして。よろしくお願いいたします。
ご紹介ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
最初に「風牙」(Kindle版)を読んだ時、あ、この人絶対に犬好きに違いないと思いました。Twitterを拝見していると、わんちゃんの写真が数多くアップされていて、やはりと(笑)
今は二匹のワンコと暮らしています。キャバリア・キングチャールズ・スパニエルが九歳、トイプードルが二歳になりました。名前は非公開でTwitterでは二号とか三号と称していたのですが、日本SF作家クラブでそれぞれ「おにぎり」と「からあげ」という愛称を付けてもらったので、今はそちらで呼んでいます。おにぎりは家族で疲れたり弱ったりしている者がいるとさっと寄り添ってくれる優しい子です。からあげのほうは家族が大好きで、妻や娘が会社や学校から帰ってくると未だに喜び過ぎて嬉ションしちゃうことがあります。
それはそれは、可愛いですねぇ。
(ネタバレなので白いフォントで)
不二が風牙の最期を看取るシーンでは涙してしまいました。もう40年も前になりますが、当時飼っていた「りゅう」という柴犬がフィラリアに罹患して、最期は苦しがってずっと撫でてやっていたのですが、その毛の感触とか体温はいまだに覚えています。風牙との信頼関係は絶対のものだったのですよね。
犬と人間の間の結びつきって、言葉が介在しないぶん余計に嘘がない気がするんです。「風牙」を書いたときには初代のミニチュアダックスフントがまだ元気でいたのですが、その子と生まれたときからずっと一緒だった娘の関係なども、意識しない内に自然と作品には反映していると思います。
(初代の子のことは、以前日本SF作家クラブのFANBOXでエッセイを書かせていただきました。)
お互いに見つめ合っている姿がぐっとくる写真ですね。
主人公の珊瑚と彼女を取り巻く登場人物も魅力的で、すぐにお話に引き込まれました。珊瑚は、SFでいうところのサイコダイバーですが、生い立ちからインタープリタになるまでの流れに必然性があって、実在の人物のようにも思えました。
私の場合、作品の登場人物には「この物語にはこういうポジションの人物が必要だな」と思って、そこにいるのはどんな人だろうと考えながら決めていったタイプと、そういう手順も何もなく最初から「私はこれこれこういう人間でこういうことをしています」みたいな感じで勝手に生まれてくるタイプがいるのですが、珊瑚は名前も含めて後者のタイプなんです。不思議な空間で肩にハリネズミ乗せて現れて、なんでか関西弁喋っていて、それがいきなり犬にのど笛噛み千切られる、というシーンが突然生まれて、えっこの人何してるの、主人公らしいけどなんでいきなり死んでるの、みたいな感じでした。
そこから少しずつ、本人に聞き出すようにして過去を教えてもらって、それがそのまま物語になっていった形です。
作家の方から時々うかがうことがある、「主人公たちが勝手に動いて」あの物語が出来たとは。
過剰共感能力者という設定も、そこから必然的にでてきたのでしょうけど、初耳でした。アメリカのTVドラマ《クリミナル・マインド》シリーズは全話見たので、サイコパスとかシリアルキラーとか反社会性パーソナリティ障害には詳しくなったんですが(笑)
確かに記憶翻訳者という職業が出来るとするなら、うってつけの人材ですね。
クリミナル・マインドは私も好きでずっと見ていました。陰鬱な物語もそうですが、登場人物の設定やキャラクター間のバランスがとても好みです。ホッチが途中で(自主規制)。
アメリカのTVドラマは、レギュラー役でも色々とありますね(笑)
ということは、カマラと親しくなるきっかけの事件を扱った「コーラルとロータス」(『Genesis 白昼夢通信』所載)と「情動の棺」(『2084年のSF』所載)(以下ネタバレにつき白フォントで)は、クリミナル・マインドの影響があったりするでしょうか?
影響というより、雰囲気が好みなんです。CSIよりちょっと重苦しくて、でも北欧系のドラマよりユーモアがある、くらいのバランスがしっくりくる感じで。ちなみに「情動の棺」に出てくる鶴ヶ崎は、同じくアメリカのTVドラマシリーズ「コールドケース」のボス、ジョン・スティルマンのイメージです。
えっ、「コールドケース」のジョン・スティルマンなんですか(驚)。好きなドラマが被っています(笑)。
元詐欺師で「人たらし」のパトリック・ジェーンが犯罪コンサルタントとして活躍する「メンタリスト」とか、CIA仕込みの尋問のプロ、ブレンダ・ジョンソン刑事が難事件を次々に解決していく「クローザー」とかはどうでしょう?
残念ながらそのあたりは未視聴です。生活サイクルと放映がマッチしたときだけ見る、みたいな感じなので、実はそれほど数は見ていないんです。最後に見たのはなんだろう……WOWOWでやってた「インスティンクト」か「ブラインドスポット」だと思います。前者は好きだったのにシーズン2で打ち切りになるし、後者はシーズンが進むほどグダグダになるしで悲しかったですね……最近新しいシリーズに手を出す気になれないのは、その当たりの経験が尾を引いているからだと思います。
好きなシリーズが長続きしないと寂しいし、長くなるとどうしてもマンネリ気味になるし(マンネリ打破しようと無理してグダグダになるパターンも)難しい(笑)
「インスティンクト」は私も好きで観てました。俳優さんのせいもあるのかちよっと英国風味もあって、面白かったんですが。「ブラインドスポット」は、最初の設定から分かりにくくて、シーズン1途中で断念(汗;)
完全記憶脳を持つ女性刑事の活躍を描いた『アンフォゲッタブル 完全記憶捜査』とか、テレパスの救命士が捜査協力する『リスナー 心を読む青い瞳』とかも観てました(今は放映してませんが)。過剰共感能力も捜査に役立ちそうですね。
過剰共感能力者という設定は、テレパシーという超能力が本当にあったらむしろ生きていくのには障害になるのじゃないか、とずっと考えていたことがベースになっています。そういう人たちが今の社会にいたら、いったいどうなるんだろう、希望は持てるのだろうか、という仮定の疑問に対する答として、その力がなければできない記憶翻訳者という職業と、それを巡るエピソードが半ば自然にできていきました。
そこも必然的に生み出されたのですね。
SF作家第一世代の、小松左京先生や堀晃先生のころから、「人間とはつまるところ情報だ」と言われてきてますが、門田先生もそうお考えでしょうか。
適切な説明になっているか自信がないのですが、私は脳の構造なども含めた肉体というハードウェアと、その上で稼働する精神、そして経験とその蓄積である記憶という要素が相互に依存・影響し合っているのが人間だろうと思っています。しかもそれは個人の肉体だけの話ではなくて、たとえば人間の精神って、ちっちゃな薬剤ひとつ投与されただけでも影響を受けますよね。気圧みたいな周りの環境によって変容する部分もあるし、周りの人たちとの人間関係ももちろん大きなファクターです。そう考えると、ある人がある人として成立している理由は、その人のことだけ見ていてもわからない。
そんなふうに考えているため、物語に出てこないようなところも色々考えてしまったりしています。
物語に直接関係ないところまで考えているので、そのぶんリアリティが増すのだと思います。
珊瑚を取り巻く登場人物はみんな魅力的なのですが、私が一番好きなのは団藤さん。「ほんま上司をなめんなよ。」(笑) 会社小説としても出色だと思いました。私も昔は源氏鶏太氏の著作を愛読してましたが、ここらあたりはご自身の経験がベースになっていたりしますか。
ありがとうございます。団藤は私も気に入っているキャラクターのひとりなのでとても嬉しいです。団藤は昔の上司のひとりでとても尊敬していた方がいて、その人の仕事ぶりから自分なりに中間管理職の役割について考えていたことをベースにしています。
友人から、中間管理職の悲哀とか良く聞かされました(汗;) お仕事SFというと、眉村卓先生のインサイダーSFが有名ですが、記憶翻訳者も社会の一員として、ちゃんと仕事になっているところが、珊瑚の拠り所ですもんね。
記憶翻訳者シリーズが仕事小説になったのは、会社を舞台にしたことで自然と自分の経験から「それならこんなことも起きるだろう」「こういう事業を行うなら当然これらの問題が起きるしその対応もとられるだろう」といったように、物語が自然発生していった部分があったからだと思います。自分自身の会社員として経験した出来事を直接反映したものはないのですが、組織として活動しているならこうならないとおかしいだろう、というような考え方は実体験から得られたものがベースになっていると思います。
巻末の解説で、香月祥宏先生が“「風牙」を初めて読んだときには、《記憶翻訳者》がこんなにすごいシリーズになるとは思っていなかった。”と書かれてますが、私もその口でした(反省;)
まあ続編の本文中で“不二が九龍を設立し、達成しようとしていた目標は、誰もが、自分が見ている世界と他人のそれとが違うのだとわかるようにする”とか“本人にとっては真実だ、だが万人にとってはそうじゃない。絶対的な真実など存在しない”などという科白があり、それってSFが昔から目指していることじゃんと思い、シリーズのその後の展開を楽しみにしたのは事実です。←遅まきながら(汗;)
実をいいますと、最初はシリーズにするつもりはなくて、そのあたりのことは漠然としか考えていなかったのです……
創元SF短編賞に応募してから結果発表までの間、何度か読み返して「一次くらいは行けるかも」とか「やっぱり全然ダメだ」などと浮いたり沈んだりしていたんですが、その時にまず「不二はなんでこんな会社やってるんだろう」と(今更)根源的な疑問を持ち、そこから色々と背景設定を組み立てていき、同時にこういう状況ならこういう問題が起きるだろう、こういうこともあるだろう、というようなエピソードを作っていきました。
受賞後、短編連作にすることになったとき、それらの設定やエピソードを元にして各話を書いていきました。ただ、なにせ初めてでしたので、すんなりとはとてもいきませんでしたが……
段々と話が膨らんできたということですね。
『追憶の杜』は、謎解きとして読んでも面白い。雪肌女さんの隠された真意とかインタビュアーの香月の謎が徐々に明らかになる下りは背筋がゾクゾクするくらいの快感でしたし、身体改変と記憶の問題を軽やかに扱ったヴァーリイ氏の「ブルー・シャンペン」や、東野司先生の《ミルキ~ピア》シリーズを愛読していた身としては、記憶の汎用化に関してのSFがここまで来たんだとの感慨もひとしおでした。
シリーズものにはまった最初がシャーロック・ホームズと金田一耕助だったせいか、物語を考えるときに謎を設定すると落ち着くんです。よしこれであとはこの謎を解決させれば話は終わる!みたいな。
香月のエピソードは打ち合わせの時、視点人物だから珊瑚の姿形の描写があまりないという話になって、それなら視点人物を別に立てよう、しかも珊瑚のことを無遠慮かつ容赦なく観察してくる人間にしようと思って、そこから組み立てていきました。その時、そもそもなぜこんな状況になっているんだ?と考えたことに対する答がそのまま物語の謎になっています。
「銀糸の先」も、後付けの謎解きだったとは(驚)
創元日本SF叢書『風牙』から『記憶翻訳者 いつか光になる』と『記憶翻訳者 みなもとに還る』の二冊が生まれたように、同じく創元日本SF叢書の『追憶の杜』も改題・分冊・増補された新たな物語として読みたいので、よろしくお願いします。
清水建設と日本SF作家クラブがコラボした【建設的な未来】には、門田先生の短編二作品が掲載されているのですが、これはどういう経緯で書かれたのでしょうか。建設関連だけではないみたいですし。
2003年に『宇宙に暮らす―宇宙旅行から長期滞在へ―』で、清水建設「シー・エス・ピー・ジャパン」の松本信二先生に著者インタビューをしたのでちょっと気になりました。
「建設的な未来」は最初新人枠ということでお声掛けいただいて、書かせていただきました。第一期の初期はまだ手探りのところがあって、その後テーマなどの方針が固まっていったように思います。第二期については清水建設さんからもう一度、とお声掛けいただいての参加で、大変光栄でした。
ホームページを見ると、最近よく見聞きするようになった「SFプロトタイピング」がらみの依頼なんですね。
「Too Short Notice」(『時を歩く 書き下ろし時間SFアンソロジー』所載)と「社会的舞踏(ソシアル・ダンス)」(「文芸ラジオ7号」所載)には、珊瑚とその仲間は出てこないものの、脳にアクセスするモジュールが取り付けられているところから想像するに、《記憶翻訳者》シリーズと時代背景を共有しているのでしょうか。
「Too Short Notice」の主人公については、帰りのない単独任務を長期間行うためには脳だけじゃなくて全身なんか手が入ってるはず、くらいに考えておりまして、直接的な繋がりまでは想定していませんでした。
確かに。舞台も地球上ではないようですし。
「社会的舞踏」の方は、実はご指摘の通り時代背景を共有しています。記憶翻訳者シリーズでは当たり前に脳にインプラントしてるんですが、普通に考えたらそんな手術は抵抗あるでしょうし、すぐには普及しないでしょう。受け入れられるのには何らかの社会的背景があったはずで……と考えてあった、技術普及の背景の方を前面に持ってきた作品です。
技術が普及したりしなかったりする状況や理由、それらの影響を受けて自然と変わっていく生活や常識を考えるのが好きなので、隙あらばそんなことを考えています。
もの凄く納得です。>“技術普及の背景の方を前面に持ってきた作品”
最新作の『蒼衣の末姫』は、人間を無作為に襲う冥凮(みょうふ)が存在する世界に、唯一それを滅ぼす能力を持った蒼衣という家系を配して、それらによって我々の世界と比べてどう変化した生活と常識が生まれるかが綿密な考察を経て描かれていて、SFファン垂涎の素晴らしい異世界物語になっていました。
「門田充宏『蒼衣の末姫』(創元推理文庫)ここだけのあとがき」によりますと、“原形となる物語を書いたのは、1996年”とのことですが、1996年というと『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)が放映。『蒼衣の末姫』も、少女キサと少年“生(いくる)”のふたりが否応なく世界の命運を担う立場になるのですけど、内容的にはエヴァというよりは、ある意味少年ジャンプのマンガの王道の一つ、落ちこぼれの主人公が自ら成長しつつ仲間たちの助けを借りて偉業を成し遂げるという路線のような気がしました。(もう何十年も購読しているわりには詳しくは無いけど)『NARUTO』とか『僕のヒーローアカデミア』に通じる傑作だと感じました。
ありがとうございます。少年少女が自分の人生のキャスティングボートを握れるようになるまでを物語として描く、というのが目標のひとつでしたので、とても嬉しいです。
それと、これまた王道の「ボーイ・ミーツ・ガール」ものでもあるので、二度美味しかったです(笑)
そこで、お好きな、または影響を受けたアニメとかマンガ(映画も)がありましたら、教えて下さい。
これはもうダントツで宮崎駿監督作品です。ルパン三世1stシリーズ「7番目の橋が落ちるとき」がおそらく最初で、そこから『カリオストロの城』、『未来少年コナン』、ルパン三世2ndシリーズの「死の翼アルバトロス」「さらば愛しきルパンよ」、そして『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』くらいまでが、最も影響を受けている作品だと思います。視聴時はインターネットもありませんでしたし、情報も多いとは言えませんでしたから、関連書籍は見つけたらすぐに買って、特にインタビュー記事や、絵コンテ集に書かれた演出意図は繰り返し読んでいました。
絵コンテ集をチェックされていたとは本格的ですね。
宮崎監督は、日本アニメの偉大なる貢献者です。『未来少年コナン』は、放映当時、毎週観てました。放映後もずっと人気があって、「日本SFフェスティバル・岡山会場」では、知り合いの「コナン」大好き女の子が、ブースの一角でSONYの37インチでに番組を流していました←たぶん無許可(笑) 監督のファンというより、番組のファンですけど。
影響を受けた漫画は本当にたくさんあるんですが、真っ先に思い出すのは『うしおととら』でしょうか。キャラクターの立たせ方、エピソードの組み立て方、伏線の張り巡らせ方、そして何より熱量に、何度読んでも圧倒されます。
『蒼衣の末姫』の登場人物たちのあの熱さは、『うしおととら』由来だったのですか。なるほど、そういえば確かに。我が家にも全巻揃ってます(息子三人が手分けしてマンガを購入するので、結構な量が(汗;))
『蒼衣の末姫』、少年ジャンプの連載マンガの原作にならないかなぁ。ぴったしだと思うのだけれども。
影響というと、インタビュー記事というか述懐の「そもそもSFはあまり読んでいなかった」に書かれている「中学生のための全国創作文コンクール」のエピソードとか、「私的偉人伝 心のノート」にも書かれている小学校の先生の話とか読ませて頂くと、学校の先生の影響はすごくあるように感じました。→詳しくは「門田充宏先生著者インタビュー関連本」
はい、そのお二人の影響はとても強いと思います。何より、肯定してもらえた、ということが一番大きかったと感じています。運動が得意だとか(実際は大変不得手でしたが)テストの成績がよかったとかいうことではなく、文章を書くこと、自分の書いたものを面白いと言ってもらえたことが、そのあとどれだけ自分の核になったかわかりません。
ところで、「門田充宏」というお名前はペンネームなのでしょうか。本名だったら、小中学校の恩師がご活躍を目にされたら「おお、あの子が小説家に!」と感慨を持たれるんじゃないかと思ったもので。
読みは本名のままで、漢字をひとつだけ変えています。なんかもっとインパクトのあるペンネームにした方がいいのではとも思ったのですが、いい感じのを思いつかなかった上にペンネームで呼ばれても反応できる自信がなかったため、結局そのままになりました。
漢字を変えたのは、以前何かの時に手書きの字が汚過ぎて間違われたことがありまして、その自戒を込めてです。その後通信教育でボールペン字をやったので、その頃よりは今は多少ましになっているかと……たぶん……
小中学生の頃の恩師や、励ましてくれた友人が自作を読んでくれたらいいなとは思いますが、なんせデビューが遅いので…… でも、本の形になりましたので、いつかどこかで手に取ってもらえたら嬉しいですね。
というと、原稿用紙に手書きなんですね。
お心当たりのある方は、Twitterで検索するか、「アニマ・ソラリス」までメールをいただけると、門田先生に転送いたします。
最後に近刊予定とか、現在執筆中の作品がありましたら、差し支えない範囲でご紹介下さい。
ちょうど、昨年から取り組んでいた長編の初稿がようやく完成したところです。自分としては新しい試みに取り組みつつ、趣味も強く出ているような作品です。こちらはなるべく早くお見せできるよう、引き続き頑張っていきたいと思います。
他にも書きたいものがまだまだたくさんありますので、機会があればどんどんチャレンジしていきたいと考えています。
新作、お待ちしています。
もちろん続編も、お持ちいたしております。