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シャンダイア物語

第二部 智慧の峰
第九章 北の守り

福田弘生

 何年かぶりに本格的な戦いを目前にした北の将の要塞内は、さすがに騒然として活気にあふれていた。兵士達は堅く冷たい廊下にガチャガチャと耳障りな鎧の音を響かせながら急ぎ足で歩き回った。そして通路の角ごとに集まり、話しあい、どなりあい、不安に額を寄せてささやきあった。古びた城壁は整備され、破れた旗は繕われ、運動不足の馬達には鞍が乗せられて出撃の準備は着々と整えられていった。
 牙の道で黒い短剣の魔法使いギルゾンと巨大な狼バイオンの最後を見届け、東に向かう小型の狼ルフーの群と別れた子鬼の魔法使いテイリンは、再びそんな北の将の要塞を訪れていた。案内の者について城内の騒ぎに耳をそばだてながら歩いていると、老いたりとはいえさすがに北の将の威勢は凄いものだというある種の感動が、心にわき上がってきた。
(いかにサルパートの全軍が押し寄せたとはいえ、この要塞は簡単には落ちるまい)
 やがて漆黒の巨大な扉が開かれて謁見の間に入ると、長い絨毯の向こうに以前に会った時と少しも変わらない姿のライバーが、背の高い硬い椅子にポツンと座っていた。しかし今日のライバーは以前と違って反応が機敏だった。テイリンが入ってきたのを認めると面白そうに声をかけた。
「ほう、小鬼の魔法使いか。確かテイリンと言ったな。なぜここに舞い戻った」
 テイリンは黒の神官の印を胸の前で切ると、深く礼をして答えた。
「北の将ライバー様、黒い短剣の魔法使いギルゾン殿の最後を見届けて参りました」
「ふむ。そうらしいな、要塞に残っておった神官達が知って小躍りして喜んでおったわ。苦しんで死んだか」
「はい。ルフーの群に食いちぎられて無惨な姿で息絶えました」
 それを聞いたライバーは少し残念そうな顔をした。
「それはあの男がこれまでしてきた事に比べれば、慈悲深いとさえ言える最後だな」
 テイリンは姿勢を正した。
「ライバー様、次の魔法使いが派遣されるまで私とゾックをこの要塞に置いていただけませんでしょうか」
 ライバーはそれを予期していたように即座に答えた。
「ならん」
 テイリンは何とかこの老人を説得しようとした。
「なぜですか。私もゾックも、未熟ではありますが精一杯お力になりたいと思っています。現在この要塞には簡単な連絡用の魔法を使える神官すら、ほとんど残っていないではありませんか」
 ライバーは首を振った。
「それで良いのだ。ここはバステラの神官の要塞では無い、このわしの要塞だ」
 テイリンはライバーの声に震えるような興奮を感じ取って驚いた。
(ギルゾンの操り人形のように思われていた北の将だが、実際には魔法使い抜きで戦える時を待っていたのだろうか)
 ライバーは続けた。
「それにここは先に繋がる戦場ではない。おまえは魔法使いにしてはまだ若くて成長の余地を残す。わしの戦いに付き合う必要など無い。そなたの目的に近づける所に行くが良い」
 テイリンはライバーの老いた細い目を見つめた。それは笑っているようにさえ見えた。ライバーの言葉に反対はできなかった。やむなく若い小鬼の魔法使いは無言のまま再び深い礼をして引き下がろうとした。
(そもそもこの男に反対をした者などいるのだろうか)
 そのテイリンに北の将が声をかけた。
「次はどこへいく」
 若者は顔を上げた。
「まずは南の将の元に」
 ライバーは膝を叩いた。
「それは良い。南の将グルバは豪放磊落な男だ。そなたの率直さが通じるだろう」
「それは心強いお言葉です。しかし私は魔法使いのほうに注意しなければならないでしょう。ライバー様は黒い剣の魔法使いザラッカ殿がどのような人物かご存知でしょうか。私はゾックの監督官の任務に専念していたため、黒の神官の修行をほとんどしておりませんのであまり知らないのです」
 ライバーは面白そうに笑った。
「会ってみろ、驚く物を見る事になるはずだ」
 北の将の前を辞したテイリンは、要塞を出てゾックを潜ませてある洞窟に向かった。テイリンはサルパートの知恵の神エイトリの言葉を思い出していた。
(ミルトラの水は楯の守護者とともにあり。よし、ドラティとの約束を守るために、俺の運命の行き着く先を探すために南の将の元に行こう)
 そしてテイリンにはもう一つの試練が待ち構えているはずだった。その原因はバイオンを解放するためにガザヴォックのくびきの鎖の魔法を断ち切った事だ。ガヴォックが今後、自分をどのように処分するかによってまた人生が変わってくるだろう。しかしこれは悩んでも仕方がない。ガザヴォックが何かを決めたのならば、それに逆らう事ができる者はこの星には数えるほどしかいないのだから。
 それに自分は間違った事をしたとは思っていなかった。もし申し開きの機会が与えられるのならば、自分の思う事をそのまま話してみようとテイリンは決意した。
 こうして小鬼の魔法使いと生き残った二千数百のゾックはサルパート戦線から離脱した。

 サルパートの聖王マキアは、ほぼサルパートの戦える兵士全員にあたる二十万の大軍を率いて北の将の要塞を囲んだ。そしてすぐさま数にまかせて何の策も無く要塞に押し寄せたが、北の将の訓練された兵士達にさんざんに打ち負かされてほうほうの体で退却した。この一戦でマキアはすっかり消極的になった。
 マキアは最初の攻撃の翌日、要塞をはるかに望む野営地の仮設の司令部の建物の中で、丸一日イライラと歩きまわって過ごしていた。
「それで、どうなさるのですか」
 スハーラの父レリス侯爵が、籠の中のネズミのように落ち着かない王にたずねた。
「セルダンが来るまで待つ。アシュアン、セルダンはもうすぐ着くのであろう」
 サルパート軍に同行しているカインザーの外務大臣アシュアン伯爵は、今日は小太りの体が転がるほどに着膨れしていた。
「もう数日でございましょう。レリス侯爵、ここは王のおっしゃる通りかもしれません。王子とベロフが来れば、要塞の攻め方はいくらでも考え出してくれるはずです」
 そう言って、最近覚えたばかりの北国のきつい酒が入ったコップを少しなめた。
「この酒は体の中から暖まりますな。とはいえ、この部屋は少々暑くありませんか」
 レリスが親切にカインザーの伯爵に助言した。
「体に巻き付けている厚いマントを、数枚脱いででみると良いかもしれませんよ」
 そのようにして数日がたち、ようやくサルパートの王が待ちわびたセルダン王子の一行が到着した。雪を振り払いながらたどり着いたのはカインザーの王子セルダン、ザイマンの王子ブライス、智慧の峰の巫女スハーラの三人の聖宝の守護者と、サルパートの外務担当のエラク伯爵、吟遊詩人のサシ・カシュウ。アタルス、ポルタス、タスカルの三兄弟。そしてカインザーのベロフ男爵と、ベロフの部下の抜刀隊の精鋭二百人である。すでに牙の道での役目を終えた巫女達は、ブンデンバート城経由で学校に帰るように送り返していた。
 サルパート軍の野営地のはずれでは、いつ着く事かとアシュアンが震えながら一行を待ちかまえていた。セルダンは馬上からその馴染みのある姿をみつけて、笑いながら手を振った。
(僕はいつもアシュアンを待たせるな)
 アシュアンはセルダンの姿を認めると、転がるように駆け寄ってきた。
「おお、おお、よくぞご無事で。これで私もカインザーに帰ってオルドン王に顔向けができる」
 セルダンは雪ですっかり重くなったマントをはね上げて、ゆっくりと馬を降りた。
「情勢はどう」
 アシュアンは急に深刻な顔になって、王子の後ろにやってきたサルパートのエラク伯爵に声をかけた。
「やあ、エラク。無事でなによりだった。ところで、ここでの話は聞かなかった事にしてくれよ」
 人の良いエラク伯爵はうなずいた。
「もちろんです」
 アシュアンは手袋をはめた両手を腰に当ててため息をついた。
「王子。正直申し上げてサルパート軍は、私が指揮したほうがまともな戦闘ができるのではないかと思う程の状態です」
 王子の横に並んだベロフが馬の腹を叩きながら笑った。
「それはそうだ、お主だってカインザーの九諸侯。サルパートの貴族よりは戦い慣れしてるだろう」
 アシュアンは一行をマキア王の天幕から離れた所にある、兵士達の駐屯地に連れて行った。そこでは、立派な鎧をつけた戦士達が槍を不器用に構えて空にめがけて降り上げていた。それを見たベロフは首をかしげた。
「あれは何をしているんだ」
 セルダンも腕を組んで不思議そうにその光景を見つめた。いたたまれなくなってエラク伯爵が説明した。
「あれが我々の訓練なのです。仕方ありません。二十万の軍勢とは言っても、ある程度の訓練を受けたのは王の居城のブンデンバート城の兵五万です。あとの貴族の兵達は、ここに来るまではほとんど農民だったのです」
 セルダンは背筋が寒くなった。
「これはいけない。マキア王に急いで会わないと」

 サルパートの聖王マキアは、司令室の中のクッションに埋もれるようにして横になっていた。セルダンは入り口に立つと、ことさらに大きな声で挨拶をかけた。
「智慧の峰の王家に栄えあれ、そして聖なる巻物に光あれ。ご機嫌うるわしゅうマキア王」
 マキアは嫌そうな顔をして立ち上がった。
「おまえも嫌みというものを覚えたか。オルドンはそんな事はしなかったぞ」
 セルダンは涼しい顔で答えた。
「最近この挨拶を言う機会が増えましたので。それよりサルパートの各部隊の訓練にベロフの抜刀隊の士官を派遣して良いでしょうか」
 マキアは意外と言った顔をした。
「どうしてだ。各部隊とも訓練は積んでいるはずだぞ」
 しばらく部屋に沈黙がおりた。マキアは右手をヒラヒラと振ってセルダンに言った。
「わかっておる。ほとんどの貴族の兵は武器の持ち方すらロクに知らん。きびしく鍛えてくれ」 
 ベロフが慎重に王の顔色をうかがって口をはさんだ。
「抜刀隊の何人かは優れた戦闘指揮官でもありますが」
 しかしマキアはこれには応じなかった。
「いかんいかん。サルパート人はカインザー人の指揮を受けるのを快しとせん。この俺の命令ですら機会があれば逆らおうとする。もしかしたらあの臆病者の神官長のエスタフを連れてこないと、言う事を聞かないのかもしれないと思うて呼びにやった所だ」
 腕を組んで話を聞いていたブライスが、横で父のレリス侯爵との再会を喜んでいるスハーラを指さして言った。
「巻き物の守護者ならばここにいますよ」
 これにはセルダンが答えた。
「これは両軍併せて三十万を越える軍隊の戦いだよ。いくら巻物の守護者でも戦闘の時の指揮までは無理でしょう」
 珍しくマキアも真剣だった。
「兵士の訓練を急いで頼む。しかし軍全体は俺が指揮する。何としても指揮してみせる。だが戦略、戦術に関する助言は歓迎するぞ。智慧の峰の王は馬鹿ではない。自分が戦闘に関してはおまえらの足元にもおよばん事くらいはよく承知している」
「そんな事は無いでしょう。戦闘の指揮というのはある程度までは勇気です。あなたにはそれがある。後は僕とベロフが実際の戦闘に応じたお手伝いをすれば、サルパートの軍でも北の将を倒す事ができるでしょう」
 マキアの顔が明るくなった。セルダンは今度はレリス侯爵にたずねた。
「両軍の配置を聞かせてください」
 レリス侯爵は一同を、台の上に広げられた大きな地図の前に案内した。
「現時点では、ソンタール軍とシャンダイア軍の兵力はほぼ互角です。まずソンタール軍は、北の将の要塞とその周りの砦に十万。山脈を南に下ってサムサラの村の西にソンタール本国の援軍グルタス・ゼンダの軍が九万。サムサラの村の北方にグルタス軍から分かれた息子のクラウス・ゼンダの軍が二万数千。これは後五日ほどで北の将の要塞に入城すると思われます」
 セルダンはずっと気になっている事をたずねた。
「茶色の服の魔法使いとゾックは姿をあらわしましたか」
「いえ、ゾックの軍はサルパートから消えました」
「そうですか」
「どうかいたしましたか」
「いや、もう一度あの魔法使いにあえると思ったから。でも、たぶんそれはどこか別の場所になるんだろうね。続けて」
「はい。ソンタールの軍は三軍あわせて約二十二万です。対する我が軍は、要塞を囲んでいるサルパート軍が二十万。そしてサムサラの砦にロッティ子爵とクライバー男爵が指揮するカインザー軍二万数千。こちらもほぼ同数の二十二万です」
 ベロフが自信ありげに言った。
「数は少ないが私の抜刀隊が二百。ロッティの所にはバンドンの指揮する盗賊部隊が約三百。そしておっつけベリック王とその精鋭がやってくる。これらはきわめて実戦的な能力をもっている」
「そうです。しかしやはり勝敗を決するのはサルパートの軍でしょう。敵の三つの軍は合流するかどうか疑問があります」
 セルダンはうなずいた。
「そうだね。合流させなければ勝つ可能性も高くなる。できればそのクラウス・ゼンダの軍を合流させたくないなあ」
「しかし現在の我が軍の力では、阻止するのは難しいと思われます」
「ううん仕方が無い。ところで北の将の要塞軍は強いの」
 これにはレリス侯爵もマキア王も困ったような表情をした。マキアが答えた。
「俺達には基準がわからん」 
 そこで翌日、セルダンはアタルス達兄弟と、ベロフ、抜刀隊の二百騎を率いて戦場に立った。アタルスが青のカインザーの旗を高々とかかげている。
 要塞軍もこれに一千騎をもって応えた。戦場に剣激の火花が散り、カインザー軍は五倍の敵と互角に渡り合って引き返した。マキアとレリス侯爵は興味津々といった感じで、戦場から引き返してきたセルダンを迎えた。
「どうだった」
「なかなかの軍隊です。サルパート山脈の東側の街道沿いでクライバー達が戦った軍は歯ごたえがなかったようですが、ここにいるのはさすがに北の将の要塞軍と呼べるにふさわしい訓練を積んでいます。ただ西の将の軍にははるかに及ばないでしょう」
「わしのサルパート軍は要塞軍の倍いるぞ。サルパート兵二人で要塞兵一人を倒せるか」
 セルダンは首を振った。
「それは無理でしょう」
 マキアはがっくりと肩を落とした。
「ここでの包囲戦は長引きそうだな」
「そうですね。ロッティとクライバーが来れば、攻め落とすまでにそれほど時間はかからないと思うのですが」
 セルダンが戦場に出撃した翌日、今度はソンタールの若いクラウス・ゼンダの軍からの使者として、参謀のダイレスが要塞のライバーの元を訪れた。ダイレスは北の将に拝謁して用向きを述べた。
「クラウス様の軍が要塞へあと四日の距離に参っております。要塞への入城のご許可をいただきたくお願いに参りました」
 ライバーは新参のこの男に興味無さそうに問いかけた。
「グルタスの息子がなぜこの要塞に来たがるのだ。親父の軍勢がサムサラでカインザーの貴族にいじめられているのだろう。助けに帰れ」
 ダイレスは状況を説明した。
「クラウス様と私が指揮する軍はサムサラの北でカインザーのクライバー男爵の軍と戦い、敗れました。もはやこのサルパートをとりまく状況は一歩も引けない事態に陥っています。クラウス様の父上のグルタス様にはそれがおわかりになりません。兵力温存のために消極的になり、サムサラ砦にこもるカインザーのロッティ子爵を攻めあぐねています」 
 ライバーは、思った通りだという顔をした。
「要塞への入場はならん。少し離れて見ておれ」
「しかし」
「手出しは無用。ここはわしがカタをつける」
 ダイレスも北の将を説得する事はできずに要塞を後にした。

 翌日、北の将ライバーがついに戦場に立った。痩せた長身の体を鈍い青の鎧でおおった将軍は、両脇にしたがえた部下に青地に狼の刺繍をほどこした巨大な将旗を持たせて堂々と押し出した。
 偵察のため要塞軍の前線を一走りしてきたベロフは、戻るなりあきらかな羨望をこめてうめいた。
「北の将を見た。いや何て見事な髭だ。王子、この軍は少し手強そうです」
 連日の戦闘の指揮でクタクタに疲れて、クッションの中にいつもより深く埋もれるようにもぐり込んでいたマキアは、力なく両手をあげて立ち上がった。
「ついに狼が出てきたか。それでは行ってみよう」
 ライバーとマキアの軍はぞんぶんに戦い、マキアの攻城軍は撃退された。戦闘は同じようにして連日繰り返されたが、ライバー自身は最初の一日しか出陣しなかった。一方マキアは頑張って毎日出撃しては追い返された。セルダンはサルパート軍が戦意を失っていくかと思ったが、むしろまとまりをみせてきた事に感心していた。
 そんなある日、バルトールのベリック王が到着した。従ってきたのは、サシ・カシュウの姪のエレーデ、ベリック帰還後片時もそばを離れない地下商人のフスツ、サルパートのバルトールマスター、モントとその部下達である。ベリックを弟のように思っていたセルダンは、野営地に辿り着いた一行をほっとした思いで出迎えた。
「無事だったかベリック」
「ええ、フスツとモントが見つけてくれました。戦況はどうです」
 セルダンは首を振った。
「長引きそうだ」

 その日の夕方、サシ・カシュウは妹の娘のエレーデを連れて要塞が見渡せる高台に登った。二人はしばらく黙ったまま白い空をみつめていたが、やがてサシは寒さに凍える事の無い美しい声で、少女に歌を歌って聞かせた。それをベリックは心配そうに遠くから見ていた。
 やがて皆が暖まっている部屋に戻ってくると、サシはエレーデを連れてスハーラの前に立った。
「スハーラ様。エレーデを智慧の峰の巫女の学校に入れていただけないでしょうか」
 お茶を手にしていたスハーラはちょっと驚いた。
「ええ、もちろん。サンザ様にお願いしてさしあげます。馬と話ができる人間はサルパートの誇りですもの。でもそれでいいのエレーデ」
 エレーデはベリックをちょっと見やって答えた。
「ええ。私は山賊の中で育ちました。この国の事も、みなさまの使命の事もまだよくわかりません。勉強をさせてください」
「それがいいわね。あなたの特殊な能力にも、さらに磨きがかかることでしょう」
 ベリックは、ふところから枯れる事のないピンク色の薔薇を出してエレーデに振ってみせた。
(約束だよ。毎年この花を贈るからね)
 そしてなぜか、もう一人の少女アーヤ・シャン・フーイを思い出した。
(そうだそろそろ決めないと)
 ベリックはフスツとモントに目配せして別室に移った。ベリックはフスツに言った。
「そろそろカインザーのマスターを決めておかなければいけないね」
「はい」
「クチュクはどう」
 フスツは困ったような顔で答えた。
「そのクチュクが意外な人物を指名してまいりました」
「アントンだろ」
 フスツは驚いた。
「なぜそれを」
「クチュクは有能だけどマスターというタイプではない。アントンは責任感が強く頭もいい。カインザー最大の都市セスタでバルトール人とカインザー人を融合させられる人物は、カインザーの貴族達にも市民達にも愛されているアントンしかいないよ。もちろんクチュクを補佐につける」
 横にいたバルトールの長老の一人モントが首をかしげた。
「カインザー人がマスターになるなど前代未聞です。セスタに大量に流れ込んでいるバルトールの民が混乱を起こしませんでしょうか」
「もうマスター議会がバルトールを治めているんじゃないんだよ。王がいるんだから」
 モントは嬉しそうに笑った。
「そうでございましたな」
「アントンには僕が書状を出す。これはどうしても引き受けてもらう」
 こうして新たなカインザーのバルトールマスターが誕生する事になった。

 その頃、北の将の要塞から南にくだったサルパート山脈の中程にある、サムサラ砦をめぐる攻防も硬直状態におちいっていた。意気揚々と遠征してきたグルタスは、初めて戦うカインザー人の戦闘意欲の異常さに驚いていた。四倍の軍勢を相手にここまで頑強に抵抗するとは思っていなかったのだ。三男のクラウスと戦上手のダイレスの軍がクライバーに撃破されて、しかも戻ってこなかった事でいささか戦意喪失気味にすらなっていた。クラウス軍を突破したクライバー軍は、このところ連日グルタス軍の後方を攪乱している。
 その日、グルタス軍の副将である長男のジョンスは豪華な幕営の前の椅子に腰かけて、まるで戦闘の事など別の世界の出来事のような顔をして食事をしていた。そこに弟のハンダーがやってきた。
「兄上、妙な男が参っております」
 ジョンスは口の中に物を入れたままうるさそうに答えた。
「何者だ」
「バルトールのイサシと名乗っています。北の将の要塞から来たそうです」
「何者だそいつは。北の将の元にバルトール人がいたのか。かまわん。叩き出せ」
 その時、囲いの幕の向こうで騒動が起きた。人が揉めているようだったが、やがてニブイ音と人が倒れるような音がいくつかした後、黒い服の小柄な男が涼しい顔をしてツカツカとはいってきた。ジョンスの家臣があわてておいかけてきた。
「申し訳ございません。ただちに取り押さえます」
 しかしその家臣もイサシがギロリとにらむとすくみあがって後ずさりした。ジョンスが手をふった。
「仕方ないわい、何の用だ」
 イサシはかしこまった。
「私の名はイサシ。バルトールの失われし都ロッグのバルトールマスターに使える者です」
 ジョンスの後ろに控えていた家臣があえいだ。
「おお、バルトールの死神だ。伝説の暗殺者だ」
 これにはジョンスも動揺したようだった。
「そ、その死神が何の用だ」
 イサシはクツクツと笑った。
「ご安心ください。我がマスターはソンタールへのお力添えをするべく北の将ライバー様に私をつかわしました。ライバー様の要塞は現在サルパート軍に囲まれておりますが、脆弱なサルパートの兵ではあの要塞は落とせません。今、お父上のグルタス様が駆けつけても、すでにクラウス様がなされたように北の将は入城を拒否なさるでしょう」
「けっ、老いぼれめ。おそらく父上だってライバーなんぞに会うつもりなどないはずだ。もう少しライバーが弱ってから援軍におもむくつもりで、ここにいるのさ」
「そこでジョンス様に耳寄りな提案があります。いっそこのまま南に下ってはいかがでしょう」
「南だと」
「そうです。現在ポイントポートにカインザー軍が築城をしておりますがまだ城は未完成。守っているのはトルソン侯爵。こいつは難敵ですが、先の西の将との戦いで兵が足りません。もう一人はまだ戦闘の経験が浅いカイト・ベーレンスです」
「しかしそんな事をすれば、ロッティとクライバーに背後を攻められるぞ」
「攻めてきても三分の一もに満たない軍勢。それにおそらくはロッティもクライバーもここでグルタス様がポイントポートに向かえば、北の将の要塞のほうに矛先を向けるでしょう」
 ハンダーが嬉しそうに手をたたいた。
「そうなれば要塞は落ちるな。ライバーがこの世からいなくなる。兄上、これは考えてみる価値があるかもしれませんよ」
 イサシは言葉を継いだ。
「しかもポイントポートを奪い返せば大手柄。サルパート戦線はグルタス様がご担当なさることになるでしょう。そして本国では、この行動の発案者であるジョンス様への評価が高まる事が必至」
 ジョンスは下顎を起用に動かして歯の間に挟まった物を舌で取りながら考えた。
「しかし父上は慎重な人間だ。そんなに簡単に目標を変更したりしないぞ」
「ですから」
 イサシはジョンスにズイとすり寄った。
「先にお二方の軍勢を南に向けてしまうのです。そうすればお父上とて南に向かわざるを得ないでしょう。もはやゼンダ軍はジョンス様が動かす時なのです」
 ジョンスはこの案にのった。そしてその夜、父に反対される前に勝手に軍勢を南に向けて動かし始めた。そのため、グルタス軍はおおいに混乱した。
 イサシはかがり火が混乱して左右に揺れるゼンダ軍の陣に背を向けて、サムサラを後にした。
(シャンダイアであれ、ソンタールであれ力が弱まるにこした事は無い。このゼンダの軍はどうにも動きがにぶくて邪魔くさい。ロッティ、クライバー、後は好きにするがいい)
 サムサラの北に陣をしいていたクライバー男爵は、敵軍が動揺しているとの連絡を受けると、ただちに全軍に発動命令を出した。
「夜襲をかける。砦のロッティに使いを出せ。そしてバンドンにもぞんぶんに働けと伝えろ」
 こうして、ロッティ、クライバー、バンドンのカインザー軍は総力をあげてゼンダ軍を強襲した。ふいをつかれたゼンダ軍はわずかな抵抗の末に敗走にかかった。だが大軍だけに動きがにぶく、ロッティとクライバーには後ろから食いちぎるようにゼンダ軍を削り取った。
 一夜開けて敗残の兵をまとめた大将のグルタス・ゼンダは、ジョンスの進言に従って南下を開始した。
「どうするね、追いかけるか」
 その報告を聞いてバンドンがロッティにたずねた。ロッティは地面に置いた鞍に腰掛けて半月刀を磨いていた。
「もうあの軍に用は無い。北進する」
 バンドンは横に立っている赤いマントのクライバーを見た。クライバーもうなずいた。
「本国に逃げ帰ればそれも良し、愚かにも南下してポイントポートを襲えば、待ちくたびれたトルソンの餌食だ」
 ロッティが立ち上がった。
「まだ北にクラウスとやらの軍がいる」
 だがそのクラウスは、北の将の要塞に入城もできず、さらに父のグルタス・ゼンダの軍がサムサラを追われて南へ向かったとの報を聞いて、グラン・エルバ・ソンタールへの帰還を決めた。この二万数千の兵が十二万の大軍で首都を発進したゼンダ軍の生き残りになった。南に向かったグルタス・ゼンダの軍は、後にサムサラとポイントポートの中程で、北上してきたカイト・ベーレンスの軍に壊滅させられる事になる。グルタス、ジョンス、ハンダーの親子も、カイトの巧妙な戦術にはまって戦死する。怪物、トルソン侯爵は結局サルパートでは戦わずに終わった。カイトはさらに北進して、今度はサムサラに築城を開始した。
 こうして冬が終わり、短い春がおとずれる頃、北の将の要塞は孤立した。グルタス・ゼンダの死が、シャンダイアでは伝令鳥によって、ソンタールでは黒の神官の念派による伝令網によってサルパート中に知らされた日の夕方。戦闘が終わった後の戦場に、北の将の兵士がただ一騎駈け寄せて白いスカーフを投げて戻って行った。
 海原を眺めて育った目の良いブライスが、目ざとくそれを見つけてつぶやいた。
「あれはいったい何のつもりだろう」
 白いスカーフは毎日投げられた。五日目にスカーフが投げられた時、どこからともなく白い鷹が現れてそのスカーフを加えて飛び去った。

 サムサラ砦の戦いを終えたロッティとクライバーが北上して、要塞包囲軍に加わったのがそれから二週間後の事だった。
 軽快に馬で野営地に駆け込んで来たロッティが、兵を訓練しているベロフを見つけて馬上から声をかけた。
「まだ攻め落とせないのか」
 ベロフはサルパート兵に剣の稽古をつけながら、ロッティに顔を向けて答えた。
「意外にしぶといと言うか、攻め手が弱すぎるというか」
 そう言うと、片手で相手の剣をはね上げた。剣を飛ばされた兵は腰をぬかすようにしりもちをついた。
「なるほど」
「ロッティ、今回のゼンダ軍にあの継ぎはぎだらけの用兵隊長ガッゼンはいたか」
「いや、いなかったぞ。おそらくはセントーン攻めに向かったのだろう」
「ならばどうしてもセントーンまで行かねばならないな」
 こうしてサルパート、カインザー連合軍の攻撃態勢は整った。
 翌日には、カインザーの王子セルダンが陣頭に立ってロッティ、クライバーが率いてきたカインザー兵の一軍を率いて戦闘に参加した。さすがの要塞軍もこの兵にはかなわなかった。セルダン達はまたたく間に三つの要塞の枝城をすべて攻め落とした。それでもライバーは頑強に抵抗を続けた。戦闘が終わり、マキア王の元に集まってきた諸将は口々に同じ言葉を繰り返した。
「ライバーは何のために戦っているのだ」
 そんな、ある日。エイトリ神の神官長のエスタフが前の巻物の守護者のサンザとともにやって来た。防寒用の重い馬車がマキア王の司令部に横付けされると、出迎えたスハーラの前にサンザは自分の足で降り立った。スハーラは驚いた。
「サンザ様、足は」
 サンザは微笑んだ。
「エイトリ神にお願いしたわ。この戦いを終わらせるためには私に歩く力を取り戻してほしいと。普段はこういった自然の病には手を貸さないエイトリ様もしぶしぶ同意してくださったの。エイトリ様のお力もギルゾンの死後、少しずつ回復してきているようですよ」
「それはとてもよかったですわ」
 神官長のエスタフは不安そうだった。
「白い鷹が白いスカーフをくわえてサンザの元を訪れてな、それからエイトリ神にこの事を願えと聞かなかったのだ」
「そうしなければならないの。さあスハーラ、この戦いを終わらせてしまいましょう」
 ザンザはそう言うと、やってきたセルダンにキビキビした声で呼びかけた。
「セルダン王子、護衛をお願いできますか」
「もちろんです」
 サンザはマキアに言って馬を引かせてきた。そして護衛のセルダン達を従えて戦場に馬を走らせた。その騎乗の巧みさ、流れるような姿勢の美しさに皆は見とれて賛嘆の声をあげた。サンザは要塞をのぞむ場所まで来ると、青いスカーフを懐から出して戦場に投げた。そして顔を振り上げて笑った。
「ああ、久しぶりに馬を走らせる事の何と気持ち良い事でしょう。このまま一日中でも走っていたいけど、そうもいきませんね。さあ戻るわ」

 翌朝、サンザは皆の制止をふりきって今度は一人で戦場に馬を走らせた。やがて朝靄の彼方に青い鎧の長身の戦士があらわれた。セルダン達が遠くから見守る中で二人は手を取りあい。霧の中に消えた。そしてその日の午後、北の将ライバーはサンザとともに凍れる要塞の最上階から身を投げた。こうして北の将は死に、要塞はついに陥落した。
 午後遅く要塞から降伏の使者が訪れ、開城する旨をマキア王に伝えた。その時にサンザの死を知ったスハーラは、大地に身を投げて号泣した。セルダンもブライスもベリックもかける言葉もなく立ちつくしていた。その時、天から一羽の白い鷹が舞い降りてスハーラの横に降りると、魔術師マルヴェスターの姿になった。マルヴェスターはスハーラの横の地面に腰を降ろした。
「ライバーとサンザは愛し合っていたのだよ。だがもちろん周囲の情勢が許さなかった。そしていつしかライバーは老い、ギルゾンの意のままにサルパートの戦いは進行した。だがライバーは自分の意志でもう一度戦場に立ち、今度こそサンザを迎えたいと願っていたのだ。ギルゾンが死に、望みがかなった。サンザもそれを知っていた」
 スハーラは涙をぬぐおうともせずにマルヴェスターを肩越しに見あげた。
「でも命を落とす事をしなくても」
 マルヴェスターも涙を流した。
「苦しんだのだろう。北の将と巻物の守護者だからな。しかしそなたはサンザの悲しみを味あわずに済みそうだな」
 ブライスが無言でスハーラに歩み寄ると、手を取って立たせた。そして静かに抱きしめた。

 その夜、開城した北の将の大要塞の中央広場にマキア王はサルパートの全軍を集めた。かがり火が要塞じゅうを彩り、巨大な建物は炎のように闇の中に浮かび上がった。マキアはレリス侯爵とエラク伯爵。そして神官長のエスタフを従えて城壁に立った。そしていつものように絶叫するように兵士達に向かって言葉を述べた。
「サルパートの民人よ、北の将は死んだ。魔法使いも死んだ。狼も消えた。サルパートは解放された」
 雪崩のような歓声がおこった。その声が静まるのを待ってマキアが続けた。
「これよりこの要塞が我らの砦。我らはシャンダイアの北の守りとして、ここから一歩も引かない」
 サルパートの兵士達の雄叫びが北の星空にこだました。

 その様子を見ながら、セルダンはマルヴェスターにたずねた。
「大丈夫でしょうか」
 マルヴェスターは首を振った。
「サルパート山脈のおかげで、山脈の南と北の拠点。すなわちポイントポートとこの要塞のを守るだけで、カインザーとサルパートへのソンタールの攻撃を防ぐ事ができるのは幸運だ。ポイントポートはまず大丈夫だろう。トルソンが守っておるし、すぐ後ろにオルドンも控えている。しかしサルパートの兵だけでのこの要塞を守るのには不安が残るな」
「でもカインザーはいつまでもここに兵をさくわけにはいきません。東のセントーンを救わなければならないのです」
「そうだ」
 そう言ってマルヴェスターはバルトール人達に囲まれているベリックのほうを向いた。
「ロッグに行く気はあるか」
「もちろんです。ロッグのバルトールマスターと話し合い、バルトールをまとめて、サルパートと共に今一度北を守りましょう」
 ベリックは迷わずにそう答えた。
「よくぞ言った」
「フスツたちを連れていきます。モントは引き続きサルパートのバルトール人をまとめてくれ」
 自分も行こうと思っていたモントは驚いた。
「しかし危険でございましょう。少しでも人数は多いほうが」
「いや、ロッグのマスターと戦いに行くんじゃないんだ。まずは話し合いに行くんだ」
 フスツがそこで口をはさんだ。
「そうだ、クチュクからはもう一つ報告がありました」
「なに」
「マスター、メソルがセスタに現れたそうです」
 それを聞いてマルヴェスターが顔色を変えた。
「なぜそれを早く言わないんだ。アーヤは無事か」
 今度はフスツが驚いた。
「はい、そのアーヤ様がメソルを最後まで追いかけたそうです」
「何というあぶない事を。ブライス、わしはベリックと共にロッグに向かう。おまえとセルダンとスハーラは、ザイマンのメソルと決着をつけてきてくれ」
 ブライスはよしきたとばかりに答えた。
「エルディ神もそう言ってます。さあ、セルダン行こう。アントワに行って船に乗る。ユマール大陸を迂回してセントーンを経由してザイマンに戻る。久々にエルネイアに会えるぜ」
 セルダンはちょっと複雑な顔をした。
「ううん。それよりマルヴェスター様がいなくて大丈夫だろうか」
 ブライスが顎髭をさすりながらマルヴェスターに確認した。
「アードベルの町でしたっけ」
 マルヴェスターは笑った。
「そうだ。わしの弟弟子がいる。翼の神の弟子の落第生だ。探してみろ、わしももう五百年も会っとらん」
「何ともはや、頼りにならないなあ。まだいるんでしょうか。どうです、いっそあなたも一緒にザイマンに来て、メソルの件を片づけてからロッグに行くというのは。まさか船に乗るのが嫌だからロッグに行くほうを選んだんじゃないでしょうね」
 マルヴェスターが物凄い顔でブライスを睨んだ。さすがのブライスもひるんだ時に、サシ・カシュウが魔術師に声をかけた。
「私もロッグにご同行させていただけませんか」
 マルヴェスターはサシを見つめた。
「しばらくエレーデから離れていたいのです。ベリック王にはエレーデを救ってもらった恩もあります。私は世界中を放浪して様々な情報を集めてまいりました。それが何かのお役にたてると思います。また洞窟に入る事もあるかもしれません」
 そう言ってブライスに向けて申し訳なさそうに笑った。
「私自身は船は大丈夫ですが、愛馬が船の揺れに耐えられません」
 セルダンが笑った。
「ああ、そうだったね。マキア王の軍と一緒に連れてきてもらったんだっけ」
「良いだろうサシ、一緒に来てくれ」
 マルヴェスターは言った。こうして旅の仲間は二手に別れる事になった。
 セルダンはブライス、スハーラと一緒に西に向かうことになった。船にのってセントーンをまわり、ザイマンに行く。アタルス達三兄弟とベロフと抜刀隊が同行する。
 ベリックはマルヴェスター、サシ・カシュウと共に失われた都ロッグを目指す。フスツとその部下のバルトール人の精鋭四人がつき従う。
 ロッティとクライバー、バンドンはサルパート山脈の東側を、北の将の残った駐屯地を平定しながら南下してポイントポートを目指す。途中で、カイトが築城中のサムサラ城の守備の手伝いもする事になるだろう。そしてポイントポートに戻ったら、ついに念願の東へ向けての進軍の準備をする事になるはずだ。
 外務大臣のアシュアンは山脈の西側のサルパート側を、エラク伯爵と共に旅してカインザーに戻る事になった。いままでソンタールとサルパートの国境にあったエラク伯爵のテイト城が、今後ポイントポートとの連絡口になる。
 すべてが決まった後、セルダンは北国の星空を見上げた。そしていままでその美しさに気がつかなたっか事に驚いた。

 サルパートの遥か東。大ソンタール帝国の首都グラン・エルバ・ソンタールの六角形の王宮。その中にあるすべてのソンタール軍の力の中心である陸軍の会議室で、大元帥ハルバルトは北の将の要塞の陥落の報告を受けた。
 均整の取れた体に襟の高い軍服を身にまとった巨漢の大元帥は、大きな椅子からゆっくりと立ち上がった。側近のジードが近寄る。ハルバルトはジードに聞いた。
「ガザヴォックはどこにいる」
「皇帝のもとに」
「よし。今から会いに行く。長老に頭を下げてでもしなければならん事がある」
 ジードはうなずいた。そして素早く皇帝の謁見の間までの廊下を整えるように部下に指示を出した。ハルバルトは兵士の立ち並ぶ天井の高い廊下を大股に進み、やがて衛兵が守る謁見の間の巨大な扉を抜けた。するとピラミッド状の玉座の階段の下に、黒い指輪の魔法使いガザヴォックが立っていた。見上げると玉座は空だった。
「陛下は」
 ガザヴォックはハルバルトに深々と頭を下げた。少なくともソンタールの組織上魔法使いは参謀であって、皇帝の臣下の最高位はハルバルトである。
「退出されました」
「それは都合が良い。あなたに折り入って頼みがある」
「わたしにもございます。元帥閣下」
 ハルバルトは、ホウとういう顔をした。ガザヴォックが先に口を開いた。
「盾のゾノボートに引き続いて、短剣のギルゾンが殺されました」
「うががっております。私もライバーを失った。北の将は我が父の友人でした。そこで頼みなのです。ゾノボート殿の死に責任があった西の将の裁判をそろそろ終わらせたいと思うのです」
「なるほど、して結果はいかに」 
「マコーキンを一刻も早く戦場に戻したい。まだカインザーに奪われたのは西と北の辺境に過ぎませんが。放置はできません」
「なるほど」
 ガザヴォックはしばらく目を閉じた。ハルバルトは静かにこの数千歳と呼ばれる魔法使いを見つめた。やがてガザヴォックが言った。
「西の将マコーキンの罪は戦場の功績にてつぐなってもらいましょう。皇帝陛下には私からお伝えしておきます」
「かたじけない」
 ハルバルトは珍しくガザヴォックに心から礼を言った。
 こうしてマコーキンも戦場に戻る事になった。

(シャンダイア物語 第二部 智慧の峰 完結)

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