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シャンダイア物語

第三部 海洋民族の島
第九章 二つの翼

福田弘生

 航海二百八十二日目

 陸地が見える。たとえそれが敵の土地であっても、私には懐かしく心強い。あらためてどれほど心が地面を欲していたかがわかる。はやく陸の旅に戻りたい。
 海戦を終えてブライスは成長した。傷付いたデル・ゲイブを見舞った時や、その後に他の貴族達に声をかける姿を観ていると、王の貫録が出てきたようにさえ見える。だがブライスは、シャンダイアに王が戻ればザイマンに王はいらないという言葉を繰り返すばかりだ。シャンダイアにあの可愛いアーヤが女王として戻るのはいつの日になるのだろう。

(スハーラ・レリスの航海日誌より)

 ブライス率いるシャンダイア艦隊は、扇型に展開して要塞の東西にある二本の運河の河口と港全体を封鎖した。ソンタールの戦艦は港内に整然と隊列を組んで停泊していたが、出撃してくる様子は無かった。
 ブライスの旗艦の甲板からその光景を眺めながら、シャンダイアの諸将は会議を開いた。甲板には大きな長方形の机が出された。要塞を背にした短い辺には、中央にブライス、向かって右にセルダン、左にスハーラの三人の守護者が座っている。長い辺には向かい合うようにしてセルダンの側にバイルン子爵、ベロフ男爵、クライバー男爵の三人のカインザー貴族。スハーラの側にベゼラ・イズラハ侯爵、海賊王ドン・サントス、そしてバルトールマスター・メソルが座った。さらにセルダンの後ろにはアタルス達兄弟が、サントスの後ろにベズスレンとシャクラが、クライバーの後ろにはバンドンが立った。トーム・ザンプタはその机のまわりをふらふらと歩き回っている。こういった所にマルヴェスターやミリアに似た、翼の神の特徴があらわれていた。本来、副将の位置にあるはずのデル・ゲイブは怪我のため出席していなかった。ブライスはザイマンに帰そうとしたのだが、スハーラの治療のおかげで持ち直したデルは、要塞まで同行すると言ってきかなかった。
 セルダンが南の将の黒い船の群れを見渡してブライスに聞いた。
「あの船をみんな破壊するの」
「いや、港を封鎖してしまえば船などあって無きに等しい。外から助けが来ないのならば船は放置する。むしろこちらの戦利品にしたい。カインザーから兵を運ばなければならないから船はいくらあっても足りないくらいなんだ」
 バイルンがうなずいた。
「カインザーからの陸路にはトルソン以下、ロッティもカイトも控えている。できれば俺とクライバーは兵を海路で送ってもらって、今後ここを拠点にするつもりだ」
 クライバーもうなずいた。バンドンはうめくように空を見上げた。ベロフがブライスに聞いた。
「要塞をどう攻めましょう」 
 サントスが口をはさんだ。
「この攻防は時間が問題になるだろう。南の将の要塞は陸の孤島じゃあ無い。お前さん達が落とした西の将や北の将の要塞はソンタールの本国から遠く離れていたが、ここならば東の将でも復帰した元西の将マコーキンでもいつでもやって来る事が出来るぞ」
 バイルンが太い腕を組んだ。
「時間の余裕は二か月といった所でしょうか」
 ブライスが首を振った。
「出来れば一か月でケリをつけたい。落とすだけでは無く守備を固めなければならない。その時間も必要だから」
 クライバーがうなった。
「それでは火を放つわけにもいかないなあ」
 スハーラが気がついてメソルにたずねた。
「マスター・メソル、あなたは要塞に足を踏み入れた事があるはずです。この要塞で特に注意すべき点は何ですか」
 メソルは手にしていた短い杖を顔の前に立てて、事も無げといった感じで答えた。
「ゾックがいるぞ」
 セルダンがハッとした。
「あの魔法使いがいるのか」
「ああ、テイリンとか言ったな。私がセントーンから要塞に運んだ」
「セントーン。やはりテイリンはソンタールに潜入してエルネイアに会ったんだ。ザンプタが言っていたミルトラの水を、その魔法使いが持ち出したんだ」
 メソルがザンプタをチラッと見て笑った。
「さすがザンプタだね。もう気が付いたか」
「何でそんな事をしたんだ」
「海の上の勢力同士の駆け引きが複雑なのは、そろそろあんたも気が付いただろう。それにバリオラ神を失った私達にとっては、庇護してくれるのならばシャンダイアでもソンタールでもどちらでも良かったのさ。ソンタールは我々の祖国を滅ぼし、シャンダイアは我々を迫害したからね。だが、今は我らの女神が復活した事がわかった。私はどうしてもロッグに行くよ。そのためにザラッカを倒さなければならないのならばできる限りの協力はしよう」
 その時、セルダンはクライバーの顔がこわばっているのに気が付いた。
「クライバー、きみの父上のカタキがいるようだよ」
「ああ、市街戦で出会ったら教えてくれ」
「ああ、もちろん」
 セルダンは要塞に目を向けた。
(それにしても海辺の要塞というのは、これ程の威容を持つものだとは思わなかった)
 周りの土地が平らなので、まるで巨大な岩を天から落として削ったようにさえ見える。でも、西の将の要塞や、北の将の要塞に比べれば小振りに見えた。やはり、南の将の戦場は海上だと言う事なのだろう。
 ブライスはザンプタに声をかけた。
「ソチャプで攻撃できないか」
 ザンプタは振り向いた。
「お前さんはあの要塞をどうしたいんじゃ」
「ザラッカから奪い取って、シャンダイアの要塞にしたい」
「ふむ。ソチャプが暴れれば、かなりの範囲が破壊される。しかもさすがのソチャプも、要塞丸ごとの数の敵兵士にはかなわん。あるいはザラッカにソチャプが切り刻まれるかもしれん。ソチャプの役目は前回のデルメッツとの戦いで終わったと考えてくれい」
「そうか、わかった」
 バンドンがホッと息をついた。
「ブライス王子。金輪際あの怪物を俺達と同じ戦場に置かないでくれ」
 これにはザンプタが答えた。
「安心せい。もう二度とひっぱりださんよ」

 包囲が完了した翌日の夕方から、早くもバイルンを総指揮官に、ベロフとクライバーが率いる陸戦隊とザイマンの海兵隊が要塞の西側に上陸した。そして、まず要塞の周りにある町から住民を郊外に脱出させる作業がはじまった。突然来襲したシャンダイア軍のために町は騒然とした喧騒に包まれた。そんな中、バイルン達と一緒に上陸して避難してゆく住民の隊列を眺めていたセルダンは、町の入り口に陣取ったカインザー兵の中にアタルスを見かけた。アタルスはじっと避難民を見つめて暗い表情をしていた。セルダンは近寄って声をかけた。
「どうしたアタルス」
 アタルスは振り向いた。
「王子、セントーンの首都エルセントを離れた時に、船の上から見た夕焼けを憶えていますか」
「ああ」
「あの時、私はエルセントが戦火に巻き込まれそうな不安を覚えました。この要塞の周りの町とエルセントでは規模が比較になりません。エルセントが戦火に包まれたらばどのような混乱が起きるのでしょう」
 セルダンはうなずいた。
「ああ、エルセントはどうしても守らなければならないな。大丈夫、セントーンの平野は広大だし大きな川がたくさん流れている。ゼリドルがソンタール軍を近づけさせはしないさ」
「でも、もし敵が今回の私達のように海から襲ったら」
 セルダンはその事を考えていなかった。
「ユマールの将が来る前に、僕らがエルセントに行くんだ」
 住民が避難した翌朝から、運河をはさんだ市街戦が始まった。南の将グルバが鍛えた兵達は、主がいなくなっても、うり二つの弟ザラッカの元に懸命の抵抗を見せた。赤い鎧の兵は、町の建物を最大限に利用して大量の矢による攻撃でシャンダイア軍を苦しめた。黒の神官達は夜になると、暗闇からカインザー兵の野営地を襲って大きな被害を与えた。シャンダイア軍を苦しめたもう一つの要因は、町中を走る運河だった。そこを黒の神官の高速艇が走り回り、神官達の魔法でシャンダイアの兵士達が次々に黒い煙につつまれて息絶えた。
 小鬼の魔法使いテイリンもザラッカの指導の元、神官と兵を率いて何度か戦場に立った。その指揮は実に巧みでザラッカを感心させた。ある日、兵を率いてザイマンの海兵隊を撃退して戻ってきたテイリンにザラッカが声をかけた。
「テイリン、見事だぞ」
 テイリンは首を振った。
「一進一退ですが、徐々に押されてきています。ザラッカ様、ゾックを港に放ってみましょうか」
「やめておけ、犬死にだ。それより、一旦要塞を出て包囲軍を後ろから攻めてみろ」
 これは願っても無い指示だった。要塞の外の荒野から森にかけての区域ならばゾックには戦いようがある。
「しかし、要塞が手薄になりませんか」
「かまわん。元々、兄と俺の要塞だ。俺が守るさ」
「ザラッカ様、私はソンタールの将の疫病神と言われています。これ以上私にかかわった要塞の陥落を見たくありません。もしあなたに危機が迫ったらば、もう一度戻ってきますよ」
 ザラッカは厳しい目でテイリンを見つめた。
「考え方を変えてみろ。おまえと共に戦った他の者が死んで、おまえだけが生き延びたのならば、おまえは最も生き延びる力があったと言う事だ。この要塞の戦いがどうなろうと、おまえの戻るべき場所はここでは無い」
 テイリンはザラッカの言葉に逆らえなかった。そこで懐からミルトラの水の残りを取りだした。
「せめてこの水をグルバ様に」
「馬鹿者。そのつもりがあれば、さっさと奪い取っている。俺は俺の運命が与えてくれた分は受け取った。そしてデルメッツに与えたのだ。余計な事は気にせずに行け」
 テイリンは故郷を離れる哀しみにも似た心を抱きながらも、その夜ゾックの全軍を率いて要塞を出た。

 シャンダイア軍の野営地を慎重に避けながら、テイリンは郊外の森にゾックを潜ませた。テイリンは要塞をかえりみた。これ程の攻撃にもかかわらず、火災が起きていない。シャンダイア軍は要塞をそのまま使うつもりなのだろう。そして意外なくらいにシャンダイアの野営地がまばらなのに驚いた。
(やはり兵が少ないのだ。この程度の兵力で要塞を落とそうと試み、実際に成果をあげつつあるカインザーの戦士の恐ろしさよ)
 そこに、ソチャプとの戦いの傷を癒すために岩場に戻っていたデルメッツの声が届いた。
(テイリン、ようやく要塞を出たか。生まれているぞ)
 この一週間程、テイリンはドラティの仔の事が気になりつつも見に行く事が出来なかった。そこでテイリンはゾック達に待機の指示を出して、一人で卵を隠した森の奥の小さな池に行ってみた。しかし池の横に掘ったミルトラの水を溜めた穴の中は、ザラついた殻が沈んでいるだけでからっぽだった。テイリンは息を潜めて森の暗闇の中であたりを見回した。すると夜露に濡れた濃い茂みの中に何物かの気配がした。
 小鬼の魔法使いはその茂みに歩み寄ると、姿勢を低くして待ち構えた。やがて爬虫類の目が二つ光り、下生えの中から竜の子供が小動物を引きずって出てきた。まだその仔はテイリンが両手の上に乗せる事が出来る程の大きさだったが、口にくわえた獲物は新鮮なもので、自分で狩った物だとわかった。
(逞しい仔だ)
 テイリンが手をのばすと、竜の仔はやってきて小さくその手に息を吹きかけた。
 翌朝、竜の仔におとなしくしているように言いきかせたテイリンは、ゾックを率いて要塞攻撃をしているシャンダイア軍の後方から襲撃をかけた。ゾックは独特の跳躍を繰り返す走り方でシャンダイア軍に接近すると、隊列を組んで間断無く振り降ろす剣でシャンダイアの後方にいた部隊に大打撃を与えた。その戦闘力はかつてカインザーのクライの町を襲撃した頃に比べると、数段の威力を増していた。一応の成果が得られたと見るや、テイリンはその速度を活かしてアッという間に退却した。ゾックも二千をやっと越える数のため、長期間の戦闘に耐える事は出来なかったのだ。その後もテイリンはこのような短い襲撃を繰り返してシャンダイア軍を困らせた。そして二日目、ある部隊を攻撃するために要塞を囲む町に突入したゾック部隊の上に、突然両脇の建物の上から大量の網が降り注いだ。
 網は頑丈な漁師の網らしかった。一時的に動きを奪われたゾックの後方には、巧妙に隠されていたらしい台車に槍を積んだ戦車がシャンダイア兵達によって引きだされた。そして勢い良く突撃して来て、最後尾にいた多数のゾックを突き刺した。その攻撃の素早さを見て、テイリンはカインザーの山中での大苦戦を思い出した。
(まさか、あの時の相手ではあるまいな)
 だがゾック自体もあの時期とは力が違う。テイリンとゾックはすぐに網を切り裂いて、前方の広場に突入した。しかしそこには、グルバの兵よりもさらに鮮やかな赤い鎧のカインザー軍が待ち構えていた。その軍の中央から紅のマントの将が進み出て来た。後ろから白茶けた金髪の痩せた男が従う。紅のマントの将が高らかに叫んだ。
「テイリンと言うのは貴様か」
「いかにも、わたしがテイリンだ」
「俺はカインザーのクライの町で、貴様に父を殺されたレド・クライバーと言う」
 クライバーの後ろから出てきた男が言った。
「俺はバンドンだ。カインザーの山ん中で何度かお前さんの小鬼と戦わせてもらった。今回はコッコ用に使った漁師の網をとっておいて良かったぜ」
「おお」
 テイリンはうめいた。自分を宿敵と狙う男と、最もゾックが苦手とする巧妙な罠を仕掛けられる相手に出会ってしまったのだ。テイリンは躊躇する暇も無く退却を決めると、猛スピードで広場に繋がる別の道に飛び込んだ。そこに雨のような矢が降りそそいだ。ほうほうの体で脱出したゾックは、二千を切る数になっていた。そのゾックの姿を見送ったバンドンがクライバーの横で首をかしげた。
「なあクライバー、あのゾックはおかしいぞ。以前にアルラス山脈で戦ったゾックに比べてスピードが速くなっているし、網を切り裂いた爪や牙にしても格段に強くなっている」
「成長したのか」
「いや、変異したと考えたほうが良いかもしれない。いよいよあの魔法使いに気をつけないといけなくなったぜ」

 シャンダイアの要塞攻めは難航した。運河を張り巡らした要塞の周りの地形を手の内に入れているザラッカの軍に対して、大軍を動かす事に慣れたカインザーの兵達は中々集中攻撃がかけられなかったのだ。
 そしてある日、デルメッツが飛来した。不滅の鷲はその羽ばたきで、シャンダイアの陣営を次々と吹き飛ばした。しかしデルメッツは傷ついていた。一度飛来しても、短時間でその勢いが急激に落ちてゆくのがシャンダイア側にはわかった。デルメッツの攻撃の後、飛び去ってゆく鷲の姿を見つめながらベロフがセルダン王子に進言した。
「デルメッツの帰る先を見極めましょう」
「よし」
 ベロフはすぐに馬術に優れた兵を呼び集めると、デルメッツの後を追わせた。それから数日の間デルメッツは飛来したが、ベロフの部下は徐々に追跡範囲を伸ばして、つい要塞から馬で半日程東に進んだ所にある奇岩の立ち並ぶ岩山を発見した。
 そこでバイルン子爵の率いる一千の弓兵隊が勇躍デルメッツの岩山に向かった。今回は山に慣れたバンドンがバイルンに同行している。バンドンは川を挟んで並び立つ岩の柱の間を進みながらバイルンに言った。
「子爵、あの化け物を弓で殺すのは無理だろう。岩山に弓兵を配置して、デルメッツを帰らせないようにすればいい。かなり弱っているようだからそのうち力尽きる」
 バイルンは軽くうなずいた。
「わかった。理にかなった作戦だ」
 バンドンは驚いた。
「ほう、クライバーなら。岩山からデルメッツの背中に飛び降りると言うところだぜ」
「ハハハハ。クライバーのそういう行動が活きる場面もある。事実、ケマール川の戦闘の時にはクライバーがいればとオルドン王が嘆いていた。だが私は違う。船をまかされているせいかもしれないが、無理な事を無理にはしない主義なのだよ。特に今は兵の一人でも失う危険を冒したくない」
「ちげえねえ」
 その日の夕方、シャンダイア軍への攻撃を終えて岩山に戻ってきたデルメッツに、バイルン率いる弓兵隊が無数の矢をあびせかけた。さらにバンドンの部下達は、先のとがった木を、デルメッツの巣があると思われる岩山に大量に突き立てて鳥が着地出来ないようにしていた。デルメッツはしばらく岩山の上空を旋回した後、南の将の要塞の方角に戻って行った。バイルンが叫んだ。
「戻ったぞ、要塞に向かうんだろうか」
 バンドンが答えた。
「だと思う。だけど俺達はデルメッツが落ちたとの報告があるまでここで待機だ」
 バイルンは感心したようにバンドンを見た。
「クライバーの元におまえがいてよかった。お前の手下を一人俺に貸してくれないか」
 元山賊の頭は大笑いした。
「俺は山賊だ。海には海賊がいるだろう。ドン・サントスにでも頼んでみな」

 南の将の要塞の指揮官である黒い剣の魔法使いザラッカは、一度攻撃を終えて岩山に帰ったはずの不滅の鷲が再び要塞上空に戻ってきた事を知って驚いた。ザラッカは要塞の城壁の上に出て心の声で叫んだ。
(どうしたデルメッツ)
(カインザーの兵が私の岩山を占拠した。どうやらここまでだ)
(何を言っている。おまえの力ならば、まだいくらでも内陸の山岳地帯まで飛んで行ける。行けデルメッツ、おまえはこれまで良く尽くしてくれた。もういい)
 デルメッツは上空でクワアアアと鳴いた。
(おまえは私につけられたくびきの鎖を、ガザヴォックに返してくれた。私は、私の意志でこの要塞と運命を共にする)
(やめろデルメーッツ)
 デルメッツはシャンダイアの兵の駐屯地の真ん中に着地した。ベロフとクライバーが指揮するシャンダイアの兵が蟻のようにデルメッツにむらがって、矢と槍でデルメッツを攻撃した。剣を振りかざして荒れ狂うデルメッツの翼に切りつけながらベロフは叫んだ。
「今だ。今ここで止めを刺すぞ」
 デルメッツは全身血まみれになりながらシャンダイアの駐屯地を粉々に破壊したが、最後にひと声鳴くと、ちぎれそうな羽を広げて飛び立った。
(テイリン、テイリン)
 要塞の郊外に潜んでいたテイリンは驚いてデルメッツの呼びかけに答えた。
(デルメッツ)
(ゾックを連れて我が元に来い)
 テイリンは残りのゾックを引き連れて、かつて初めて南の将の要塞を望んだ丘の上に出た。巨大な鷲はテイリン達を見つけると、まるでのしかかるように低く飛んでテイリンとゾック達の上に血の雨を降らせた。デルメッツの血を浴びたゾックの背中に小さな二つのコブが盛り上がり、やがて小さな羽が生えた。テイリンは驚愕の表情でゾックを見た。
(帰れ、ランスタインの山へ。私の翼を運んでくれ)
 デルメッツはそう言い残すと。さらに旋回して要塞に向かった。城壁の上にはザラッカが立ち尽くしていた。デルメッツはザラッカに声をかけた。
(この星の生き物の始祖達は孤独なものだが、おまえは良い友だった。私は楽しかったよ)
 その言葉の後、不滅の鷲はみるみる高度を落とすと、包囲するシャンダイア艦隊と閉じこめられたソンタール艦隊の間の海面に墜落して息絶えた。こうしてデルメッツの最後の飛行は終わった。

 はるか彼方からその様子を見ていたテイリンの元にザラッカの声が届いた。
(テイリン、おまえも行け)
(ザラッカ様)
(要塞はここまでだ、後は私がセルダンと楽しむだけだ)
 テイリンはしばらく沈黙した後に、涙を流しながら声に出して叫んだ。
「さらばです、ザラッカ様」
 テイリンは茫然と要塞を見た。
(また一人、私のせいで将が負けた。これからいよいよ戦場はセントーンに移るはずだ。そうなればゾックの出番は無い。帰るぞランスタインへ、私のゾックをこれ以上傷つけさせない)
 ゾックの背に生えた翼はまだ小さい。まだ飛ぶ事など無理だろう。だがテイリンはランスタインへの最短距離を行くつもりだった。テイリンは懐のミルトラの水に手をやった。
(真っ直ぐ北へ、東の将の支配する山脈の西を突っ切る。これを故郷のゾックの牝達に飲ませるんだ)
 そしてザラッカの言葉を思い出した。東の将キルティアと、黒い巻物の魔法使いレリーバにはつかまってはならない。女が持つすべての魅力とすべての悪を持っているレリーバに対処する自信は全く無かった。
 テイリンはドラティの仔を森の中で見つけるとしっかりと抱きかかえた。ドラティの仔はしばらくテイリンの腕に牙を立てて遊んでいたが、やがて飽きたのか静かに眠りに落ちた。デルメッツの翼の代わりに、ゾックとドラティの仔の二つの翼を手に入れた小鬼の魔法使いテイリンは、こうして三度ソンタールの将の要塞を脱出した。

 翌日、カンゼルの剣の脈動に導かれるように、セルダンは要塞の北に併設されている闘技場の分厚い門をくぐった。荒れた石積みの門を見上げてセルダンは思った。
(この門は何人の戦士を見下ろしてきたのだろう。この通路は、どれ程の血で固められてきたのだろう)
 黒い剣の魔法使いザラッカは闘技場の中央でたった一人で待っていた。
「来たか剣の王子よ」
「ザラッカ」
 ザラッカは猛々しく伸びた髪と髭をなびかせて嬉しそうに大笑いした。
「待っていた、待っていたぞ」
 セルダンはガランとした闘技場を見回した。外の市街戦の音が、不思議なくらいにここまでは聞こえてこない。よく見ると、闘技場の貴賓席に赤い布でつつまれた何かが置いてあった。それはブライスに殺されたグルバの亡き骸だった。セルダンはそのグルバの生前の姿とうり二つのザラッカに向き合った。ザラッカはすでに黒の神官服を脱ぎ捨てて、胸も腹も腕もむき出しのまま、太い革のベルトを胸で交差させるようにして締めていた。
 セルダンはイクス海の上で戦っていたブライスとグルバの姿を思い出して、今度は自分の番だとあらためて認識した。そして裂ぱくの気合いと共に斬りかかった。
 ザラッカは若いセルダンのスピードに乗った攻撃を軽く受け流すと、圧倒的な腕力で巨大な黒い剣を次々にセルダンの剣に叩き込んだ。その攻撃を一撃受けるごとに、セルダンの腕は骨の中までしびれた。もしこれが聖なる剣で無ければ、軽々と割られている事だろう。
(これは強い、ゾノボートやギルゾンなど比では無い)
「どうしたセルダン。聖剣の守護者とはこんなものか」
「これからさ」
 セルダンは剣を下に構えてザラッカの剣をはね上げるように受けると、驚くべき早さで剣を返してザラッカの腹に切り込んだ。ザラッカはあやうく飛びすさったが一筋の血が闘技場に落ちた。
「太刀筋よし」
 ザラッカは嬉しそうに言うと、さらに力を込めてセルダンに攻撃を仕掛けた。セルダンは懸命にその剣を受けると返撃をしたが、徐々に自分が押されつつある事を知った。
「剣の王子よ、どうやらこれまで聖なる剣の力に頼り過ぎてきたようだな。剣技をもう少し鍛えんといかん」
 セルダンはハッとして、剣を構え直した。剣の力に頼りすぎて、ベロフに鍛えられた型が崩れていた事に気が付いたのだ。セルダンは手にした剣を聖なる剣とおもわずに、基本に忠実にザラッカの攻撃に対処する事にした。するとザラッカの太刀筋がよく見えるようになった。そして今度はセルダンがザラッカの攻撃に先んじて、仕掛けることができるようになった。
「それで良い。さすがにカインザーの王子だ、見事な腕前」
 ザラッカはそう言って腕に気合いを込めると、黒い剣がけぶるように振動して燃え上がるように妖気をたたえた。呼応するようにセルダンの手にしたカンゼルの剣に光が宿る。
「剣の力は剣の腕の上に成り立つ。ここからが本当の戦いだ」
 ザラッカとセルダンのさらに激しい戦いが始まった。闘技場の空間に光と闇の筋を引いて、何時果てるともなく続いた戦いに決着を付けたのは、おそらく未来に繋がる意志の力だったのかもしれないと後にセルダンは思った。ザラッカにとってこれは最後の戦いだった。しかしセルダンにとっては、遥か未来に繋がる戦いの一つだったのだ。その差が徐々にセルダンを優勢にしてゆき、ある一撃がほとんど偶然のようにザラッカの剣をはね上げた。セルダンはザラッカの目を見た。その目は驚く程に澄んでいた。セルダンは渾身の力を込めて、ザラッカの胸にカンゼルの剣を叩き込んだ。
(今度こそ聖宝でとどめを刺すんだ)
 セルダンの一撃はザラッカの巨体に深ぶかと突き刺さった。ザラッカの体は悲鳴のような音をあげて収縮した。
(やったか)
 しかしその時、貴賓席の中にあったグルバの亡き骸が赤く光って、そこから赤黒い液体のような何かがセルダンとザラッカめがけて飛び出すと、セルダンの前の地面に横たわったザラッカの手から黒い剣を掴み取った。そしてその赤黒いものは次第に大柄な人の形を取った。
「ザラッカ」
「残念だったな王子。俺と兄の魂は一つ、この戦いの間は兄の体に置いておいたのさ。だが貴様の剣は見事だった。私の負けだ」
 そう言って。ザラッカの魂は黒の剣をもって消えた。セルダンはがっくりと膝を付いた。突然、沈黙を破るように闘技場を包む市街地の戦いの音がよみがえった。しかしセルダンはザラッカの亡き骸を前に立つ事が出来なかった。かつてこれ程体力を消耗した戦いは経験した事が無かったのだ。

 ザラッカの魂は要塞から北西の方角に飛んで、やがてグラン・エルバ・ソンタールの地下にいるガザヴォックの前に立った。さすがのガザヴォックもこれには驚いた。
「ザラッカ、そなたが敗れたか」
「不覚ではございません。ガザヴォック様、剣の王子の力は強大になりつつあります」
 ガザヴォックは無言で顎髭に手を当てた。ザラッカの魂が続けた。
「さらにいくつか気になる事がございます。どうも我らが知らない魔法の存在が増え過ぎております。私とゾノボート、ギルゾン、レリーバはあなた様を師とあおいで修練してまいりました。しかし、テイリンと名乗る男とライケンの元にいる名も無き魔法使いは得体がしれませぬ。また、どうやらマスター・メソルの元にも魔法の使い手がおったようです」
 ガザヴォックは手を上げてザラッカを制すると、その手で空中から鎖を取り出した。すると鎖の先の空間にすき間が生じ、白い髪の毛の女の子が眠っている姿が見えた。 
「これを見よ」
 今度はザラッカが驚いた。
「なる程、ついに見つけましたな。これでシャンダイアの王家の力は絶えたも同じ」
「そなたの忠告、ありがたく受け取っておく。油断せずに対処してゆこう」
「強大なるわが師よ。差し出がましい口をきいた事をお許しください。私はこれより黒い剣の力を再び蘇えらせる事に専念いたします」
 ガザヴォックはうなずいた。 ザラッカの魂はグラン・エルバ・ソンタールを囲む六つの塔の一つにある、自分の塔に向かった。すでにゾノボートの塔は沈黙していた。魔法使いの魂が薄れつつあるのだろう。ギルゾンの塔からは、いまだに激しい怒りが伝わってきている。ザラッカの魂は苦笑すると、塔の中の部屋に入り、剣に向かって己の持つ妖気のすべてを注ぎ込み始めた。

 南の将の要塞は陥落した。城壁の上に集まって要塞と町と港を見渡したセルダンやブライス達は、洋上に巨大な鷲が羽を広げて浮いているのを見た。セルダンが誰にともなく言った。
「三匹目の巨獣が死んでしまった」
 その時、デルメッツの体が沈み込むように海が割れて不滅の鷲の体が光に包まれた。海の中に沈む瞬間、デルメッツの体は起き上がったように見え、一瞬羽ばたくかとさえ思われた。巨大な鷲を飲み込んだ海全体がキラキラと光っている。
「ホックノック族だ」
 やがてその光の海の中に一つの点のように影が浮かび上がった。そこには海竜ゼネスタの頭に乗ったミッチ・ピッチの姿があった。セルダン達はあわてて港に向かった。ゼネスタはゆっくりと桟橋に近付いてきた。セルダン達が揃うのを見届けて、ミッチ・ピッチが口を開いた。
「不滅の鷲は私があずかります。いずれランスタインの北の海の底に送りましょう」
 セルダン達の後ろに隠れるようにしていたトーム・ザンプタが、ホックノック族の姿で進み出た。
「姉上。お久しぶりでございます」
 ミッチ・ピッチの羽の色が激しく変わった。
「シュシュシュ・フスト。海底から見ておりました。シャンダイアと共に戦っているのですね」
「ホックノックは中立です。この戦いに参加しているのは、私の個人的な欲望のためです」
 ミッチ・ピッチが願うように言った。
「そろそろ帰ってきなさい」
 しかしザンプタは首を振った。
「いましばらく、私のわがままをお許しください。私は翼を得る事が出来ませんでした。しかし美しい花を見つけたのです。北へ、その花を見るために参ります。いつかトンポ・ダ・ガンダに花を咲かせて見せましょう」
 ミッチ・ピッチの羽の色が沈んだ青になり、大きな目が瞬いた。
「もはやおまえが進む道はおまえの道。幸いに我が民はお前がいなくとも海の力をうまく制御出来ているようです。でも忘れないでちょうだい。戻ってくるのよ」
 ザンプタは思わず海に飛び込むと、姉の元に泳ぎ寄った。そしてしばらく二人はゼネスタの上で見つめあっていた。やがて、ゼネスタはミッチ・ピッチと共にゆっくりと海に沈み、海面にはザンプタだけが残った。

 要塞陥落から十日程たった。その間、いつの間にかドン・サントスの船団が湾内から消えていた。ブライスは特に追う事はしなかった。城下の避難していた人々も町に戻り、ようやく戦闘の後片付けも終わった頃、伝令鳥がやって来た。
 鳥に気が付いたスハーラは、鳥箱の中でクルクル鳴いている鳥の足の管から手紙を取り出した。宛先は聖宝の守護者、差し出し人はマルヴェスターだった。スハーラは要塞の会議室にブライスとセルダンと、他の主立った者たちを呼んだ。
 ブライスがたずねた。
「誰からだ」
「マルヴェスター様からよ、聖なる宝の守護者はエルセントで待てって」
 集まった者たちがどよめいた。
「マルヴェスターはどこにいるんだ」
「わからないわ」
 ブライスは首の後ろをかきながらセルダンを見た。
「仕方ないな、どうする」
「この要塞には当分戦力が必要でしょう。僕たちだけで行こう」
「そうだな、おまえと、俺と、スハーラ」
「後はアタルス達兄弟」
 ベロフが進み出た。
「私も参りますぞ」
 セルダンは寂しそうな顔をした。
「いや、ここには戦力が必要なんだ。抜刀隊と共に残ってくれ」
「しかし」
「大丈夫さ、ゼリドルの所にも兵士はたくさんいるから」
 メソルが言った。
「あたしは行くからね」
「そうだな。あとザンプタか」
 こうしてセルダン、ブライス、スハーラの三人の守護者と、トーム・ザンプタ、マスター・メソルはメソルの船に乗ってエルセントに向かう事になった。要塞には総指揮官として傷の癒えたデル・ゲイブが残り、海軍の指揮をベゼラが、陸軍の指揮をバイルン子爵が取る事になった。作戦参謀にベロフ男爵、そして実戦の指揮はクライバー男爵がとり、その参謀にバンドンがつく。
 出発の朝、桟橋に集まった一行の元をエルディ神が訪れた。今日の女神は朝日のように鮮やかなオレンジ色のドレスを着ている。
「やったわね。ついにソンタール本国の岸辺に私が立つ事が出来た」
 ブライスは誇らしげだった。
「嬉しい事です」
 エルディは一人ひとりに祝福の声をかけた後、ゆっくりとマスター・メソルに近付いた。
「額の宝石に触れてもいい」
 さすがのメソルも少しおびえたような顔で答えた。
「どうぞ女神様」
 エルディはメソルの額の宝石に触れた。宝石が一瞬鋭く光ると、エルディを認めたように柔らかく輝き出した。宝石に触れているエルディの目からはみるみる涙が溢れて白い頬を伝った。
「間違い無く姉だわ。でもこんなに弱って。セルダン、ブライス、急いでちょうだい。メソル、必ず姉を元気な姿に戻してね」
 そう言って女神はメソルを一度抱きしめると。皆に向かって手を振って消えた。ブライスの出発の合図がかかり、一行を乗せたメソルの船団はエルセントへ向かって出航した。

 その頃、カインザーのバルトールマスターであるアントンは、部屋の中でセルダン王子が海戦の前にカッソ−から伝令鳥に付けて出した手紙を見つめていた。
「アーヤを守れ」
 短くそう書いてある手紙からは、王子達がアーヤの正体を知った事がうかがえる。いよいよシャンダイアは女王を推戴して、戦いに挑む準備をはじめる事になったのだ。すでにグルバの海軍を破ったとの報告も入って来ていた。しかしその肝腎の女王は今、意識不明でベットの中にいる。
(僕が不注意だった)
 その時、部屋の中に人の気配がした。アントンが顔をあげると、いつの間にか一人の男が部屋の中に立っていた。それは総髪で長身の見知らぬ男だった。
「誰だ」
「デクトと申します。アーヤ様をお迎えに参りました」
 アントンは警戒しながら答えた。
「君の正体がわかるまでは渡せない。それにアーヤはいま病気だ」
「何と、すぐに会わせていただきたい」
「ちょっと待って」
 アントンはクチュクを呼んだ。やって来たクチュクはデクトを見て驚いた。
「お前は、メソルの元にいるのを見た事があるぞ」
 デクトは答えた。
「メソルの客だった事もある。マスター・メソルは今、セルダン王子達と共に南の将の要塞を攻めている頃だろう」
 アントンが言った。
「それは知っている。メソルはどうやら味方になったらしいね。アーヤに会ってもらおう」
「しかしこの男はまだ正体がわかりません」
 クチュクが難色を示した。
「いや、アーヤが大変なんだ。助ける可能性があるのならば信じてみよう」
 そう言って、アントンは机の中にしまっていた鎖を取りだしてデクトに見せた。
「ドラティの洞窟にあった鎖に触ったんだ」
「しまった」
 デクトはみるからにうろたえた。アントンはクチュクとデクトを連れてアーヤの眠っている部屋に向かった。不思議な事に、いつもそばにいるはずの母も、アシュアン伯爵夫人のレイナもいなかった。デクトという不思議な男は自分の周りから自然に人を遠ざける事が出来るのかもしれない、とアントンは思った。
 三人が入った部屋の中では、アーヤは蒼白な顔で眠りについていた。
「目をさまさないんだ」
 デクトはアーヤと同じくらいに青ざめた顔でベッドに近付くと、右手の人さし指でアーヤの小さな体の上に六角形を描いた。するとアーヤの顔にうっすらと赤みが差したように見えた。アントンが喜びの声をあげた。
「治ったの」
「いえ、衰弱しつつある体力を少し取り戻しただけです。私にはこれ以上の事は出来ません」
 デクトは、顔をあげてアントンに説明した。
「あの鎖はガザヴォックの魔法の鎖です」
「何だって」
「ガザヴォックが巨獣ドラティをつなぎ止めていた魔法の品です。どうやらアーヤ様の魂はガザヴォックに捕えられてしまったようです」
 アントンとクチュクは愕然とした。よりによって、最悪の敵の手に最も大事な人間の魂が握られてしまったのだ。
「ベリック王もかつてその鎖を手に入れるためにカインザーに潜入しましたが、王は鎖に直接触らないように教えられていました。しかしアーヤ様は不用意に触られてしまった」
「アーヤをどこに連れて行くの」
「エルセントです。マルヴェスター様とベリック王、そしていずれセルダン王子達もやって来るはずです」
 デクトはベッドからアーヤを抱き上げた。
「マスター・アント、旅立ちの用意をしてください」

 (シャンダイア物語 第三部 海洋民族の島 完結)

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