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シャンダイア物語

第四部 打ち捨てられた都
第四章 黄旗ひるがえる

福田弘生

 ベリック達がロッグに着いてから早くも三週間が経った。
 当初ベリック達はすぐにでもマサズの襲撃があるのでは無いかと警戒していたが、状況が変わってしまった。元の西の将マコーキンが旧月光の将の要塞に入ったという情報が伝わったのである。マコーキンが大都市リナレヌナに入ったという知らせはすでに届いていたが、それからほとんど間を置かないで新しい報告が届いた程にマコーキン軍の移動速度は速かった。
 バルトールの旧都ロッグは騒然とした。旧月光の将の要塞から東にはロッグ以外に主立った要所が無かったからだ。軟禁されている宿の窓からベリックが外を見ると、柔らかい布のたっぷりとした衣装を着た黒髪の人々が荷物を持って右往左往している。いったい、ここから何処に行こうと言うのだろう。ベリックはこれ程たくさんのバルトール人を、今までに見た事が無かった事に気が付いた。
 この件に関して、今のところベリック達はマサズがどうするのか様子を見守っている。ベリックがここを訪れた日以来、マサズはベリック達の前に姿を現わしていない。

 少年がその日の朝の寝床の寒さを思い出して外をよく観察してみると、すでに吹く風には枯れ葉さえもまばらになっている。もう冬は目前に迫っていた。いささか焦りの色を見せ始めた王の護衛者達は、その日もいつものように一番大きなベリックの部屋に集まった。マコーキンに関する情報を聞いた後では、さすがのフスツも神経質そうに見える。王の腹心は部屋に入って落ち着かなげにイライラと歩き回ると、ソファーで開いた本を顔に乗せて昼寝をしているマルヴェスターに話しかけた。
「西の将が、なぜここにやって来るのでしょう」
 あくびをかみ殺したマルヴェスターが、本を持ち上げて片目をあけた。
「もう西の将では無いよ。だがむしろそのほうがやっかいだな、あの男が何処にでも行けるようになったんだから」
 床の絨毯の上に座り込んでいるサシ・カシュウは、今日も飽きずに竪琴を磨いている。
「グラン・エルバ・ソンタールのどの貴族でも無く、マコーキンと言うのがソンタールの作戦の意図を解く鍵になりそうですね。彼を起用するにはそれだけの理由があるはずです」
 マルヴェスターは本を頭の下にしいて横を向いた。
「そう、よりによってなぜマコーキンなのかと言う事だな。正直に言えばわしも困っとる」
 サシはフッと笑った。
「老師が困るようでしたらば、私達には方策がありません。本当にロッグがマコーキンの目的地だと思いますか」
「わからん。だがここより他にこのあたりには何も無い。まさか長駆してセントーンの北に回り込むつもりでもあるまい」
「あるいはランスタイン大山脈を越えて、セントーンの裏を突きますか」
 マルヴェスターは違うと手を振った。
「単独では無理だ。しかしセントーンを包囲している東の将がマコーキンと共闘に出る可能性は低いだろう。たとえ元帥のハルバルトが命令したとしても、キルティアは自分の戦場をほんの一部でも他人に明け渡すような性格では無い。唯一の救いは皮肉な事だがロッグに兵力が皆無な事かもしれんな。ここで戦闘が起きるような事はまず無いだろう」
 フスツは立ち止まって腕組みした。
「しかしマコーキンがここを統治下に置いたら、我々は全く身動きが出来なくなります。王、我々はバリオラ神を探すべきではないでしょうか、女神が復活すればマサズとの決着はおのずと着くはずです」
 窓から外を眺めていたベリックは、少年らしからぬ苦悩に満ちた顔で振り向いた。
「ロッグを捨てるわけにはいかないよ」
 ベリックは部屋の中央にゆっくりと戻ると、いつの間にか王の椅子となった小さな椅子に座った。
「でも女神をいつまでも苦しませてもおけない」
 部屋の隅でこれも床に座っていたバリオラ神の神官のナバーロが、苦行僧のような表情で顔を上げた。
「私も女神を探しに行く事に賛成です。帰還した正統の王とバザの短剣があれば探し出す事が出来るでしょう。もうランスタインには雪が降り始めている頃です。これ以上ここにいると山に入る事すら出来なくなります」
 ベリックはナバーロに顔を向けた。
「この前の冬にはサルパートの山脈に登ったよ」
 フスツが首を振った。
「サルパートの時にはジンネマンの大洞窟という目的地がわかっていました。土地に詳しいマスター・モントもいた。しかし今度は不慣れな地域で行方不明のバリオラ神を探さなければならないのです」
 ソファーの上のマルヴェスターがクスリと思い出し笑いをしたのにサシが気付いた。
「どうしました、老師」
「ベリックを救い出す前に、西の将の要塞にある居留地に三日ほど足止めされた事があった。その時にはセルダンとブライスは三日でも待ちきれないといった様子で大騒ぎしてわしを急かしたものだ。それに比べてベリックは落ち着いている」
 ベリックが尋ねた。
「二人はその間どうしていたんですか」
「もちろん寝とった」
「待ちきれなかったのにですか」
「そうだ」
 ベリックは唇に指をあてて考え込んだ。
「ふーん。僕も昼寝をしたほうが良いでしょうか」
「他にいい考えがあるかね」
「いえ、今のところ。マコーキンの目的もマサズがどう対応するのかもわかりませんから」
「ならば寝たほうがいい。セルダンとブライスは居留地で三日間眠った後、黒い盾の魔法使いゾノボートと戦ってこれを倒した。その後には黒い短剣の魔法使いギルゾンも倒した。彼らは常に神経を張りつめているわけでは無い、必要とされる時に必要な力が出せればいいんだ」
 ベリックは困った顔をした。
「どうした」
「僕が一番真似できない人物がいるとすれば、セルダン王子だと思います。不思議なんだけど、時々何も考えないで回りのものを受け止めているだけのように見える事があるんです。ブライス王子のする事はまだ何となくわかるような気がする」
 マルヴェスターは少し驚いたようだった。
「よく気が付いたな。六人の守護者にはそれぞれ役割があるが、基本的には聖宝の力を引きだしてソンタールの力に対抗する事だ。聖宝は守護者が積極的に働きかけなければ力を発揮しない。だが実は二人だけ、極めて受動的な守護者がいる。意外なようだが、セルダンがその一人だ。まわりの物事を素直に取り込んでいって爆発的な力に変える。セルダンの父親のオルドンは闘争心が強過ぎてセルダンのようにまわりの力を受け入れる事が出来なかった。見かけはひ弱いが、セルダンは歴代で最強の剣の守護者になる可能性がある」
「もう一人の受動的な守護者は誰ですか」
「盾の守護者のエルネイアだが、こちらは少し説明が難しい。セントーンに行った時に教えよう」
「そうですか、それでは僕は寝る事にしましょう」
 ベリックが続き部屋のベッドに向かうと、フスツの四人の部下のビンネ、クラウロ、バヤン、トリロが後に続いた。それを見送ってからマルヴェスターは横になったままナバーロに顔を向けた。
「ロッグ陥落以来、短剣の守護者はいなかったわけだが、かつての守護者達はあんなに落ち着いていただろうか」
 ナバーロは首を振った。
「いや、バルトール人の特性は激情家である事。おそらくベリック王の心はここを抜け出したい激しい衝動にかられている事でしょう」
 その時、ドアにノックの音がしてマサズの息子のピスタンが部屋に入って来た。バルトール人には珍しい長身のピスタンは部屋の中をぐるりと見回して、ナバーロに目をとめた。
「見慣れん奴がいると聞いたが、女神様の神官服を着ているではないか。貴様は誰だ」
 ナバーロは立ち上がって深々と礼をして答えた。
「ソンタールの目を逃れた山奥の教会の司祭です。ベリック王のご帰還の噂を聞きつけて山を降りて参りました」
「なる程、それはご苦労な事だ。ところでそのベリックはどこだ」
 部屋の中央にいたフスツがピスタンをジロリと睨んだ。
「俺は場合によっては、この都で四人の男を殺すつもりでいる。マサズ、イサシ、そして貴様とトンイ。最初に死ぬのは貴様か」
 ピスタンは真っ青になってモゴモゴつぶやいていたが、やがて小さな声で言った。
「ベリック王はどちらに」
「寝室でお休みになっておられる。用件は何だ」
「マサズ様がバリオラ神の声をお伝えになる。明日の正午に呼びに来るのでベリック王に出席の用意をしておいていただきたいと伝えてくれ」
「わかった」
 不安そうなピスタンが出ていくと、マルヴェスターがナバーロにたずねた。
「おぬし、どうやってバリオラ神の声をマサズに伝えていたんだ」
 ナバーロはまた腰を下ろした。
「マサズがモッホの粉で興奮状態になるとある種の神気が通る道が出来るんだ。わしはマサズの道を受け取る、するとバランスを取るように反対側に女神への道が繋がる。それが女神が私に授けて下さった力だよ」
 マルヴェスターが起きあがって膝に肘を付いた。
「おぬしの意志でマサズからの道を女神に通じさせないようにする事が出来るかね」
 ナバーロは無理だと手を振った。
「いやいや神の力の配分だ、とてもわしには出来ん。道は自然に繋がってしまう」
「そうか、何か方法はあるだろうか」
「さあて、マサズから道を受け取った後、反対側で少し女神を探しているような感覚があるんだ。その時に女神の替わりにつり合うような者を、そこに置く事でも出来ればいいのかもしれないが」
「わしがバリオラ神のふりを出来るだろうか」
「どのくらい似せられるのかわからないが、簡単にはごまかせないだろう。マサズはモッホの粉でおかしくなっているが、それでも旧都ロッグのバルトールマスターである事に変わりはない。ここのマスターは常に有能だったはずだよ」
「そうだな」
 ため息をついたマルヴェスターを見つめていたナバーロが、ハタと気が付いた。
「マルヴェスターよ、そなたロッグ陥落の時にはここにおったのだよな」
「ああ」
「ガザヴォックとバリオラ神が会った場所がわかるか、女神が最後にいた場所に何か女神の手がかりがあるかもしれない」
 マルヴェスターが難しそうな顔をした。
「場所はわかると思うが、ここまで都の様子が変わってしまっては」
 サシ・カシュウが立ち上がった。
「行ってみたいですね、女神が最後にいた場所に。どのあたりですか」
「ロッグの南の外れのバリオラ神の聖堂だ、今では瓦礫すらも残っていないと思うが」
 フスツが手を叩いた。
「いえ、瓦礫は残っています。なぜかソンタール軍は占領後その場所には手をつけませんでした」
「ふうむ、ガザヴォックが何か魔法の跡でも残しているのかもしれないな。行ってみるか。フスツ、明日の早朝に聖堂跡の掃除をさせて欲しいとピスタンに伝えてくれ」
「その必要があるでしょうか、ここにいるのは精鋭です。この程度の警備など抜け出すのはたやすいですよ」
「いや、王の行う事だ。堂々としようではないか」
 フスツはハッとした。
「これは私とした事が」
 サシがフスツに近づいて肩に手を置いた。
「あなたは一国の王の側近になるのです。少しずつでもいいですから、ベリック王に王道を歩ませましょう」
 フスツはなぜか寂しそうな顔をした。
「俺程、その任に向かない人間はいない」
 しばらく考え込んでいたナバーロが口を挟んだ。
「しかしなぜマサズは女神の声を聞くのだろう。ロッグの志気を高めるためなのかもしれないが、女神の悲鳴しか伝えられないはずなのに」
 サシがマルヴェスターに言った。
「なる程、演技でもして別の事を言うつもりかもしれません。これは聖堂跡の調査は必要無いかもしれませんね」
「いや、それはしておこう。女神を探し出す手がかりがあるかもしれない」
 その夜、ベリックは妙にさっぱりした顔で夕食の席に顔を見せ、おいしそうに食事を平らげた。
 夜のうちにフスツは使いをピスタンの元にやり、マサズの息子は特に疑問も持たずに聖堂跡の掃除を許した。今は迫り来るマコーキンの事で頭がいっぱいなのかもしれない。
 翌朝、宿から外に出た一行は外の人だかりに驚いた。皆が宿の屋根を見上げている。つられてふと屋根を見上げたマルヴェスターは仰天した。そこに黄色い旗がひるがえっていたのだ。一緒に見上げたサシ・カシュウがつぶやいた。
「バルトール王旗」
 隣でベリックが嬉しそうな顔をした。
「ビンネ達に頼んだんです」
 マルヴェスターはベリックを睨んだ。
「これは何のつもりだ」
「ここまでの旅を振り返って考えた末の僕の意志です。もしマコーキンがここに来るのならば、僕は討って出たいと思います」
「何だと」
 ベリックは真剣だった。
「マコーキンと戦うんです。ロッグは無抵抗で敵に渡してはいけない。世界中のバルトール人のためにも、帰還した王は抵抗をしなければならない。そうしないとバルトールという国は今度こそ本当に無くなってしまいます」
「兵はどうする」
「たとえ僕一人でもいい。バザの短剣の魔法は弱き心を励ますためのものですから、ロッグの民衆の心を支えるためには僕が起つしかないでしょう。そういう意志の表明なんです」
「これではっきりと、マサズを敵にまわしたのかもしれないのだぞ」
「それでもかまいません」
 シャンダイアの相談役である老魔術師は。顔を手でおおって天を仰いだ。
「おお、やはりおまえはバルトール人の子だ。何て無謀な事をするんだ」
 ベリックはニコニコしながら何の模様も無い黄色い旗を見上げていた。

 (第五章に続く)

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