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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第十七章 リナレヌナの戦い

福田弘生

 ナデリ坂を波のように下り降りたソンタール軍は、出口にある二つの巨大な砦にぶつかって赤い人間の飛沫をあげた。しかしやがて押し流すように砦を攻略すると、巨大な円陣を組んで攻め寄せるカインザー軍に対して懸命の反撃を開始した。
 カインザー軍を指揮しているロッティ子爵は、続々と数を増してくるソンタール軍の銀色の鎧を見つめながら戦況を分析していた。そこに臣下のエンストン卿が上品な顔を土埃で茶色くしながら馬を走らせて来た。
「敵もなかなかのものでございますな、この状況下であれだけ抵抗ができるとは」
「ああ、しかもこの軍には総大将のパールがいない。それでこの旺盛な戦意だ。あの軍は負ける事を考えていないぞ」
 エンストン卿が手にしていた血まみれの剣をガチャリと持ち直して尋ねた。
「つまり、総大将のパールが戻れば攻勢に出られると考えているわけですな。さて、どういたしましょう」 
 ロッティはしばらく考えをまとめてから言った。
「包囲の西側を開けろ、ロッグとは反対の方角にソンタール軍の逃げ道を用意してやれ。それから、トンイに指示を出して、坂を降りないように言ってくれ」
 エンストン卿は意外な顔をした。
「なぜでございます」
「バルトール軍は平地の戦いに慣れていない。それに戦闘はまだまだこれからが本番だ。ほとんど無傷のバルトール軍に一番いい場所に陣取っていてもらおう」
 エンストン卿はうなずくと、自ら馬を駆って兵達の中に駈け入り、素早く二つの指示を出した。カインザー軍はそれに従って包囲の西側から兵を退き、ソンタール軍は囲みが解かれた西に向かって器から水がこぼれるように移動を開始した。

 ナデリ坂の上からソンタール軍の後方を攻撃していたバルトール軍のマスター・トンイは、ロッティの指示を受けて坂の上で軍勢を止めた。ソンタール軍の最後尾が坂を下って行くのを見送りながら、トンイは戦場全体を見渡した。ここからは戦いの様子がよく見える。
 トンイの前には幅三十メートル程の幅広い白茶けた道が真っ直ぐに続いている。道は数キロに及ぶ坂になって平野に続いている。坂を下って百メートルほど行くと三百メートル程の間隔を開けて左右に大きな砦があるが、すでにそこはソンタール軍が落としている。しかしソンタールの兵は砦には入っていなかった。
 トンイから見て右、東の方角五キロ程の距離に巨大都市リナレヌナの美しい姿が見える。今、そのリナレヌナを背にするようにエンストン卿のカインザー歩兵二万が一キロにわたって厚い層を重ねて布陣している。その前にロッティ率いる騎馬軍団二万が、ソンタール軍に向かってくさび形の隊列を整えつつあった。
 ロッティの騎馬軍団から四百メートル程の距離をおいて、向かい合うようにソンタール軍がいる。かなりの兵の数が減っており、すでに十万は切っているだろう。戦場の西側からカインザー軍がいなくなったため、それまでの円陣は東西に長い四角形になり、西側に伸びた兵士の列が散り始めている。これでソンタール軍の数はさらに減った。
 しかしまだ多くの兵が踏みとどまっており、カインザー軍の数倍のぶ厚い隊列を整えつつあった。
 トンイはナデリ坂から伸びる見えない線を挟んで、二つの軍勢が東西に綺麗に分かれて見事に陣を敷いたのを見て感心した。
(なる程。戦闘というのは生き物だ。よほど熟練した調教師でないと喰われてしまう。しかしどうやらソンタールの兵は残り八万といったところ、しかも戦いでかなり傷ついている)

 やがて、ロッティの騎馬軍団がソンタール軍の中央部に突撃しては反転するという攻撃を繰り返し始めた。カインザーの騎馬軍団の攻撃は、ソンタール軍の中央を大きな槌で叩きつぶすように砕いた。トンイはカインザー軍の突撃のすさまじさに寒気を覚えた。
(ソンタール軍の指導部を叩くつもりなのか、それはいい考えだ。敵はこれ程の大軍、しかも戻る道をふさがれた軍を殺し尽くす事など出来ない。戦闘不能にするには指導部をつぶす以外に方法は無いだろう)
 ロッティの試みは成功しそうに見えた。あきらかにソンタール軍は圧されており、兵が浮き足立っているのが見て取れる。
(勝てそうだ。やはりカインザー戦士は強い。ロッティ軍というのは機動力を重視した軍でカインザーの中では特に強いほうでは無いが、それでも他の国の兵士相手では明らかに戦闘力に差がある)

 その時、ロッティ軍の騎馬の隊列に乱れが生じ、大きなざわめきがあがった。何者かが空からロッティ軍に襲いかかったのだ。それはまるで黒い粉が降りかかったかのように見えた。トンイはその異変に目をこらした。
(何だあれは)
 最初トンイは鳥かと思った、しかしよく見るとそれが人に似た形をしている事がわかった。眼下のカインザー軍に混乱が広がり、圧されていたソンタール軍が勢いを盛り返している。
 トンイは一隊を派遣して、ロッティ軍に襲いかかった生き物の死体を一つ運んで来させた。そして注意深くその生き物の牙と爪を調べて考え込んだ。
(これはゾックだろう。我がバルトールの首都ロッグを滅ぼした時に月光の将が使っていた小さき獣だ。しかしこれ程どう猛な形をしていたとは予想外だった、しかも羽まで生えている。伝説とは違うし、カインザーや南の将の要塞で目撃された形とも違う)
 その時、トンイの部下が大声をあげた。
「トンイ様、あれをご覧ください」
 トンイは顔をあげた、そして戦場の上空にさらに驚くべき存在を見つけて思わず叫んだ。
「竜だ」
 丁度トンイの目の高さと同じくらいの高度で、緑色の巨大な竜がゆっくりと旋回していた。

 戦場のど真ん中にいたロッティは、上空から襲いかかったゾックの存在に怒髪天を衝く勢いで激怒していた。全く予想外の攻撃だったのだ。騎馬兵は空からの攻撃に無防備である。歩兵ならば弓も引けようが、生憎ロッティの兵達は弓は持っていない。
 ソンタール軍の中央に切り込んで指導部まであと一歩の距離まで迫っていたロッティは、ゾックの第一波の襲撃が去った後、あきらめて兵をまとめてエンストン卿の歩兵部隊の元に戻った。エンストン卿が駆け寄ってくる。ロッティは叫んだ。
「エンストン、弓兵を」
 エンストン卿は肩をすくめて上空を指差した。
「もう一つ問題が起きました」
 ロッティは空を見上げて目を疑った。
「おお、竜だ。ドラティは生きていたのか」
 エンストン卿が首を振った。
「いいえ、ドラティよりは少し小振りです」
 ロッティは舌打ちした。
「そんな竜の事など聞いた事が無いぞ、羽の生えたゾックに、ドラティの小型版。どうなってるんだここは」
 その時、ソンタール軍に鬨の声があがり、八万近い全軍が一斉に前進して来た。エンストン卿がため息をついた。
「敵はどうやら総攻撃のようですな。お館様、これはちょっと引いたほうが良いかと」
 ロッティは頬をふくらませて鞍壺を叩いた。
「ここで俺たちが引くとトンイが坂の上で孤立してしまう。ソンタール軍を迎え撃て。カインザーの戦士の誇りを見せろ、一歩も引くな」

 トンイは戦いの潮目が変わった事を確信した。カインザー軍は引くべきである。しかしそのロッティ子爵の軍が、押し寄せるソンタール軍相手に懸命の防戦を始めたのを見て気が付いた。
(そうだ、我々が孤立してしまうのを防ぐためだ)
 トンイは、輿を持って来るように部下に命じた。やがて八人の男に担がれた豪華な輿が運び込まれると、太ったトンイは土足と自分の体重を少し気にしながらもその上に立って不格好な鎧を脱ぎ捨てた。これはかつて父のマサズが乗っていた箱形の輿の上部を取り払い、平らな底板だけ残したものだ。バルトール軍の特徴である、太鼓と喇叭の部隊が輿の周りを囲んだ。
 トンイは背を伸ばして戦場を見下ろすと、片手を上げて合図した。その合図と共に激しい激情の舞の陣太鼓が鳴り響いた。ロッグのバルトールマスターは両手を広げると激情の舞を舞い始めた。そして一さし舞い終わると、輿から馬に飛び乗って叫んだ。
「私に続け。ソンタール軍の側面に突っ込むぞ」
 鳴り物の激しい乱打の中、踊るような駆け足で二万七千のバルトール軍が戦場になだれ落ちた。

 小鬼の魔法使いテイリンは、リナレヌナの西の上空でゾックを呼び集めて隊列を組み直していた。ゾックは元々が小柄で非力な生き物である。古代の生き物達の血を浴び、羽が生え、爪と牙が鋭くなり、体が強靱になっても戦士の中に混じって戦うのは不利だと思えた。そのためテイリンは急降下で攻撃を仕掛けては、上空で隊列を組み直して波状攻撃をかける作戦を選んだのだ。
 巨竜アンタルの背の上に立って、テイリンは地上を見下ろした。カインザー軍とソンタール軍の激しい戦いが続いている。見たところソンタール軍が優位に立ち始めたようだ。
 テイリンは腕を振り上げると攻撃の指示を下した。集団行動の得意なゾックの羽ばたきの音が一斉に揃う、しかし次の瞬間にゾック達が恐慌に見舞われたように混乱して空中を飛び回り始めた。
「どうしたんだ」
 テイリンは混乱しているゾックを見回した。そして下から太鼓の音が聞こえて来る事に気付いた。テイリンは坂の上から陣太鼓を鳴らした軍勢がソンタール軍めがけて攻撃にかかったのを知った。長年、ゾックを育ててきたテイリンはその音がゾックの混乱の原因だと悟った。
(あの音か、いったいなぜ)
 そして気が付いた。
(あれはバルトール軍。ならばあれが踊る戦陣だ。かつてロッグ攻略の際にゾックはバルトール軍の踊る戦陣の前に全滅ギリギリまで追い込まれた。その祖先の記憶が子孫の心の底に刻まれているのだ)
 ゾックの混乱がやまない。テイリンは髪の毛をかきむしって悔しがると、アンタルに戦場から離れるように指示した。アンタルはリナレヌナの円形の城壁に囲まれた黄色い家々の屋根の上空を飛び越えて東に向かった。ゾック達も混乱する意識の中でテイリンを追い、戦場から離れた。

 ソンタール軍を懸命に指揮していたペイジとヒースは、自軍の脇腹にバルトール軍の一撃を受けた時点でここまでだと悟った。ペイジがたくましい腕を振り上げてヒースに叫んだ。
「どうやらここまでか」
 ヒースが整った白い歯を見せた。
「ああ。西に抜けるか」
「いや、北だ。西だとパール様との間にカインザー軍を置いてしまう。北から迂回して月光の要塞を目指そう」
「パール様は結局、囮にはならなかったなあ。さすがにカインザー軍は甘くない」
「でもテイリンのゾックが来た。あれが来なかったら、一気に兵が逃げ散っていたところだ。とりあえず兵をランスタイン大山脈の街道から下ろす事が出来たんだから、俺たちの目的は達成しただろう」
「被害は大きかったがな。よし」
 ページとヒースは全軍に北へむかって撤退する事を命じた。カインザーとバルトールの連合軍には、さすがにそれを追撃するだけの力は残っていなかった。

 (第十八章に続く

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