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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第四章 ダワの戦い

福田弘生

 ユマール艦隊がダワに接岸して五日がたった。将ライケンは目をさますと、赤い縦縞の寝間着の上にガウンをはおって、ダワの港を見下ろす宿の三階のベランダに出た。庭を見下ろすと銀色に赤の模様が入った輝く鎧の兵がびっしりと警備についており、中央に立派な軍服を着たミハエル侯爵が立っていた。先が丸くなった銀色の口ひげと切りそろえた顎ひげ。いさささかきつそうな白いズボンに銀色の鎖がジャラジャラと付いた軍服。そしてユマールのすべての運命を背負っているような面長の深刻な顔。ライケンはその顔を見下ろしてため息をついた。
(昨夜のサシ・カシュウの素晴らしい歌声で潤った心が枯れそうな気分だな)
 侯爵は庭から礼をして、ベランダに続く階段を上って来た。
「閣下、東の将の軍がダワの北に集結しています」
 ライケンは不機嫌そうにうなった。
「朝っぱらから面白く無い事を私の耳に入れるな」
 ミハエル侯爵は朝のライケンの機嫌の悪さに慣れていた。
「しかしそろそろダワから動かなければなりません。十万の軍に前を阻まれるのは憂慮すべき障害です。それから」
「何だ」
「水が合わないのでしょうか、兵達に腹をこわす者が増えています。中には中毒症状を起こす者までいます。どうも病が流行りそうな気配です」
 ライケンは天を仰ぐと大声で愚痴を言った。
「何とも田舎はこれだから嫌だ。さっさとエルセントを陥落させて移るぞ」
 ミハエルは胸に手をあててかしこまった。
「そのためには東の将の軍を」
 ライケンは空に向かって吐き出すように怒鳴った。
「我々は元々海から来たのだ。それを忘れるな。何のために私の先祖達が長い年月をかけて大艦隊を建造したのだ」
「なるほど」
 勘のいいミハエル侯爵はすぐに部下を呼び寄せた。
「閣下、ご指示を」
 ライケンがイライラと指示をした。
「艦隊を湾から出して海岸線に舳先を向けて平行に浮かべろ。海岸から見えるギリギリくらいの距離でいい」
 ミハエル侯爵が後を続けた。
「四万の兵は海岸線に薄く、長く布陣するんだ。柵を高く、守りの陣で良い」
 指令を受けた兵が去ると、ライケンは手元のテーブルからグラスを取ると、グイッとミハエルに差し出して自らワインをついだ。
「山猫どもに戦艦の何たるかを見せつけてやる」

 ユマールの地上軍は半日がかりで海を背に長い陣を敷いた。軍の後方の海上には大艦隊が潜んでいたが、海上遠く離れていたために東の将の軍はユマール軍越しにその艦隊を見ることはできなかった。
 ダワの北方から進軍して来た東の将の軍は、この薄い陣立てを見て勝ったとばかりにユマール軍に攻撃を開始した。ユマール軍は防戦一方になったが、最初から守りのための準備をしていたため、よくこれに耐えた。そしていつの間にか海岸線にはユマールの大艦隊が近づいていた。
 やがて一斉にユマール軍が南に移動した。東の将の軍は北側から追い落とすようにユマール軍の追撃体勢に入り、軍の横腹を完全に海岸線にさらした。そこに広々と開いた海上からユマール艦隊による砲撃が始まった。大砲による戦術はこれまで西の将の参謀バーンが得意としていたが、ライケンは巨大な戦艦に砲台を据付けてこれを活用する準備をしていた。ザイマンのブライス王が南の将との戦いの時に、旧式の戦艦に砲を積んで試みたが結局使えずにあきらめたが、ライケンはその戦術を実現させる事に成功していた。
 ライケンは動きの速い小艇に乗って戦況を検分した。海風に吹かれたユマールの将が砲撃の音に負けないように叫んだ。
「ドレアントとの海戦の時には、あまりに艦隊の懐に入り込まれて砲が使えなかったが、ここでは存分に威力を発揮できるな」 
 隣にいたミハエル侯爵も叫び返した。
「面白いようにキルティアの軍に当たっておりますね」
 ライケンは後ろに立っている客人の吟遊詩人に声をかけた。
「サシ・カシュウ。貴様にはこの壮大な眺めが見えなくて残念だな」
 サシは腕を組んで困ったように答えた。
「さすがに耳のいい私にも、先程から砲撃の音しか聞こえません。後は火薬の臭いと死の臭い」
「フッハハハハ、そういう事だ。それが勝利だ」
 ユマールの将が直々に見守る前で、ユマール艦隊は東の将の軍を粉々に打ち砕いた。そして潰走する東の将の軍をユマール地上軍がさらに追撃して散々に蹴散らした。

 夜が来た。ダワの港はずれのバルトール宿「鉄豚亭」の酒場にブライスとフスツの姿があった。ベリックとアントンは子供なので宿の二階の部屋に待機している。セントーン貴族のバオマ男爵はさすがにここに潜入するわけにはいかず、兵と共に郊外に留まっていた。
 ユマール軍がこの町を占領した直後には、酒場にはユマール兵があふれていた。だがこの数日その数が減っている。兵達に体調を崩す者が増えてきたのだ。しかし今日は東の将の軍との戦闘もあり、戦勝気分の兵達が大騒ぎをしていた。そんな喧噪の中、盲目らしい吟遊詩人がフラリとたずねて来て酒場の奥の階段から二階にあがった。さらに小柄な老人がやって来て、酒場の主人と話をするとこれも二階に向かった。フスツとブライスはしばらく酒場の様子をうかがっていたが、うなずきあうと二人の後を追った。
 二階のベリックの部屋に皆が揃うと、ブライスが口を開いた。
「サシ、今日の戦闘について説明してくれないか」
 サシ・カシュウはライケンに同行して見た戦闘の模様を詳細に説明した。ブライスはライケンが艦砲射撃を使った事に興味を示した。
「やはりその方法を使ってきたか。ザイマン艦隊も大砲を積んだ大型船を緊急に建造しなきゃならないなあ」
 続いてフスツが退却した東の将の軍の動向を報告した。
「退却はしましたが、いまだにダワの北方十キロ程の所にかなりの大軍をもって留まっています。もうこれからはむやみにユマール軍に手を出さないでしょうから、ライケンは動きにくくなるでしょう」
「キルティアの本隊から離脱してライケンに合流をはかっている軍はいつ頃こっちに着きそうだ」
「まだ十日はかかるでしょう」
 突然ザンプタが、手にしたコップにゲエッと水を吐き出した。ブライスが顔をしかめた。
「おい、すげえ臭いだぞ」
 ザンプタはキッとした目でブライスを睨むと、フスツに言った。
「フスツ、バヤンを呼んでくれ」
 フスツは酒場で警備についていた部下のバヤンを呼び寄せた。ザンプタはバヤンにコップを渡した。
「バヤン、これはダワの港のトラム川河口付近の海水だ。この水を調べられるか」
 薬物に長じたバヤンは懐から小さな箱を取り出した。そして底の浅い皿を三枚取り出すと、横に並べてコップの水を少しずつ分けた。そこに箱の中の瓶から液体を加え、それぞれに一枚の葉、一振りの粉、一匹の甲虫を別の瓶から取り出して入れた。緑の葉は赤く変わり、粉には変化が無かった、そして虫はしばらくジタバタした後、膨れあがって死んだ。
 バヤンは青くなってザンプタを見た。
「マスター・ザンプタ。あなたはこの水を口に含んでいたのですか」
「気泡に入れて腹の中に入れて運んで来た。わしは水の中に入る時も体を気泡で包んでいる。水を皮膚で感じられないのは残念だがな」
 バヤンはホッとしたように息をはいた。
「グリムの毒です。促進剤を入れましたので効果がはっきりと出ました。実際にはこれよりずっと濃度が薄いのでこれ程の効果は無いでしょうが、歴史上最悪の毒の一つです」
 ブライスが不安そうに尋ねた。
「実際にはどういう毒なんだ」
 バヤンは皿の上の虫を指差した。虫の腹が裂けて中から赤い液体が流れ出している。虫が好きなアントンが不思議そうに覗き込んだ。
「虫が赤い血を流してる」
「いいえ、グリム虫です。赤い微少な生物が水の中に無数に泳いでいるのです」
 ザンプタがうめいた。
「やはりそうか。ブライス、ベリック、これはただ事では無い。普通の毒ならばいずれは薄まって消えるが、この毒は繁殖する」
 ベリックが魔術師に尋ねた。
「海水でもこの虫は生きられるんですか」
「いや、長くは保たん。海に広がる危険は無い。しかしトラム川に繁殖しているだけでもこの平野の三分の一の生き物は死滅する」
 小さな王は首をかしげた。
「東の将は何を考えているのでしょう。キルティアはトラム川を渡ってセントーンに侵入しました。しかしもしこの戦いに敗れたりした時に、トラム川流域が死滅してしまっていたら、東の将の要塞に戻る事が出来ません」
 ザンプタの声は怒りに震えていた。
「おそらくキルティアも知らんのだろう。キルティアは黒い巻物の魔法使いレリーバに、ライケンの牽制のために毒を流せと言っただけなのかもしれない。レリーバは何か自分なりの理由でこの猛毒を流しているのだ」
「どうしますか」
「水を汚すものは許さない。この毒はわしが消す」
 そう言った魔術師の顔には、恐ろしいほどの決意の表情がみなぎっていた。

 (第五章に続く

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