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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第九章 暁の艦隊

福田弘生

 カインザーの若き英雄、剣の王子セルダンは気持ち悪くなるくらいに悩んだ末に一つの結論に達した。エルネイア姫にその日最初に会った時には、必ず声をかけないといけないのだ。
 セルダンと盾の守護者エルネイアが、セントーン王国の力の源であるミルトラの泉を目指して首都エルセントを出発してから一週間が過ぎようとしていた。エルネイアもシムラーの旅ですっかり乗馬に慣れ、さらに急ぐ旅でもあったので、二人は数名の護衛の兵を伴って馬で旅を進めていた。数か月前にミルトラの泉に馬車で向かった時の旅には不思議な甘美さがあったが、この旅は若い二人にとって苦痛に満ちていた。
 旅の初めの頃は、目的がはっきりしていたのでセルダンはむしろ勇んで馬にまたがっていた。しかしエルネイアの精神状態は最初から安定していなかった。怒ったり、元気になったり悲しみに打ちひしがれたりと表情が変わり、気分がのらないと朝に顔をあわせても何も話さず黙っている時もあった。そんな時はセルダンも声をかけずに、二人の間の雰囲気が和むまで待っている事にしていた。しかしそれが間違いだったのだ。沈黙の時間が続くと、エルネイアの機嫌がさらに悪くなり、いったい何が原因なのかわからない事で怒り出すと手が付けられなくなった。
 もちろんセルダンはそれに腹が立つ事は無かった。エルネイアは不安なのだ。それをわかっているという事を知らせたいのだが、手が付けられなくなったエルネイアにそれを伝える術が思い付かなかった。
 早朝、まだ薄暗いうちに起きたセルダンが、剣の稽古を終えて宿を取った家に戻ると、家の裏口の扉の前に白い寝間着姿のエルネイアが立っていた。明るい光の中で、白い頬が日に焼けて子供のように見える。驚く程の美貌と人は言うが、セルダンはすっかり慣れた。むしろ機嫌が悪い時の別人のような険しい顔のほうが切なく、守ってあげたくなる。
「やあ、エル」
 エルネイアは腕を組んで家の土壁によりかかった。
「あなたは何をしているの」
「何って、剣の練習さ。いつもしているだろ」
「どうせ剣を振るうなら敵を倒してきてよ」
「その敵を避けて旅をしてるんだから仕方ないだろ」
「トラゼール城で兄のゼリドルが東の将の軍に包囲されているのよ」
「ごめん、エル。でも今はミルトラ神の泉に行く事がセントーンにとって一番大切なんだ。この国にはもうミルトラ神の力が枯れてしまっている。それを取り戻し、兵の力を蘇らせ、そしてキルティアとライケンを打ち倒すんだ」
「わかってるわよそんな事」
 エルネイアは口をとがらせて背中を向けた。そして土壁に拳を打ち付けた。
「もっと速く走りたい。竜のドラティでも狼のバイオンでも、あの巨大な鳥のデルメッツでもここにいたら私は乗りこなしてみせるわ」
「わかってるさ。でもここには馬しかいないんだ」
 セルダンは子供の手を引くようにエルネイアの手を引いて家に入った。そして急いで支度をすると、駆け抜けるように家を飛び出して馬に飛び乗った。二人の馬が走り出した蹄の音で護衛の兵達も気が付き、あわてて二人の後を追いかけた。

 ・・・・・・・・・・

 緑の要塞から退却したザイマンの貴族の長デル・ゲイブは、緑の要塞の南方沖合にある孤島の港を拡張して要塞奪回の基地とした。小さな島には砂浜が少なく、水深が深い湾と低い岩場が続いていて港に最適の地形だった。その基地に、待望のカインザーからの兵員を載せた輸送船団が到着した。南の将の艦隊の残りの戦艦を利用した八十隻の船に二万の兵が搭乗しているはずで、これが緑の要塞奪回の主要戦力になる。さすがに八十隻が一度に入港する事は出来ず、兵を降ろした船から島の反対側にあるもう一つの港に向かう事になっている。この船団自体はそこからさらにザイマンに向けて資材運搬のために出航する予定だった。
 デルが港を望む砦の司令室から港の様子を見ていると、ベロフ男爵の抜刀隊とクライバー男爵の部下達が港の中を駆け回っているのが見えた。デルはこの戦士達にはあらゆる面で驚かされてばかりだった。
(彼らは疲れというものを知らんのか)
 やがてベロフが司令室に入って来た。暑いのに生真面目に黒い革の服を着込んでいる。デルが尋ねた。
「カインザーの兵達はどんな様子だ」
 ベロフは窓から見える船の甲板に鈴なりになった兵達を指差した。兵達はほとんど動いていない。
「慣れない船旅でフラフラだ」
「なる程な、さすがにあのままでは戦えないだろう。いっそザイマンに送って休ませた方が良いか」
「いや、カインザーの兵は横にするより、剣を持たせたほうが回復が早い」
 デルと一緒にいた婚約者のベゼラ・イズラハが驚いた。
「まさか、あの船酔いでまともに歩く事もできない兵に戦闘をさせるつもりなの」
 ベロフが説明した。
「大きな軍隊にすると、個々の兵の体調が軍全体の勢いに影響する。しかし少人数ならば兵が独力で回復する。俺の抜刀隊は一人一人が小隊を率いる事が出来る能力がある。カインザー軍を細かく分けて緑の要塞の西側に上陸して橋頭堡を確保するんだ。あのあたりの湾内に古代植物のソチャプがいるから、敵の兵の配置は手薄になっている」
 デルはベゼラに尋ねた。
「カインザー兵をザイマンの船に分乗させて出撃するまでに何日かかる」
「準備は出来ているから三日で十分よ」
「よし、じゃ三日で」
 そこまで言った時、デルはフッと目の前が白くなって周りに何も見えなくなった。そして頭の中にやわらかい女性の声がした。
(お聞きデル)
(どなたですか)
(私よ)
 デルは気が付いた。
(エルディ神ですね)
(憶えていてくれたのね。ブライスはすっかり忘れてたわ)
 デルは六歳の時、女神がザイマンの次期王と冠の守護者を選択した儀式を思い出して身震いした。
(なぜこんな所に、ここには聖なる宝はありません)
(でもあなたは王家の者でしょ。それに私の兄弟達は聖なる宝と共にあるのではなくて、それを守る民と共にあるのよ)
 気が付くとデル・ゲイブは明るい空間の中に小柄な美しい女神と一緒に立っていた。女神は明るい草色のドレスを着ている。
(民と共に。それで守護者達が聖宝を持って世界中を動き回っている間も、私達が守護神に守られているのですね)
(賢いわ。私は王の選択を間違ったかしら)
(そんな事は無いでしょう。私は戦闘時の指導者というタイプではありません。最近、それが良くわかった)
(そうね。だからこそ平和が来ればザイマンにはあなたが必要になるわ)
(それで女神、ご用件は)
(出撃を一週間延ばしなさい、東から来る者がいます)
(誰ですか)
(この戦いに必要な者です)
 デルはそれが誰かを訪ねようとエルディ神を見つめた。その時、エルディ神の顔がベゼラの顔になった。
「どうしたのデル」
 ベゼラの声にデルはハッと気付いた。デルは不思議そうに見つめるベゼラの顔を見返した。
「ああ、すまん。エルディ神の訪問があった」
 ベゼラとベロフが驚いた。ベロフが尋ねた。
「それで女神は何と」
「一週間待てという事だ」
「一週間、兵を休めよという事か」
「いや、誰かが来るようだ。待ってみよう」
「わかった、バイルンにも話をしてくる」

 司令室を出たベロフは砦の北端にある建物に入った。そこにカインザーの九諸侯の一人、強弓で知られる豪傑バイルン子爵が静かにベッドの上で横になっていた。これ程立派な体格の男が寝ている姿は不思議にさえ見える。
「体調はどうだ」
 バイルンはうんざりしたような顔を向けると、弱々しく答えた。
「俺の人生でこれ程長く横になっていた事は無い。二度と起きあがれないんじゃないかと思う程だ」
 ベロフは笑った。
「カインザー人は大きな負傷をしても三日もあれば起きあがる。そう思うのも無理は無いが、必ず良くなるから心配するな。しかし魔法使いが敵にいるとは予想外だった」
「しかも三人だ。魔法使い対策が必要だ。奴らは人間の武器で斬りつけたくらいでは倒せ無い。この俺の矢を顔にくらっても何ともなかったくらいだからな」
 ベロフはバイルンにまかせろと告げて部屋を出た。

 そして一週間が経ち、東から船が来た。
 司令室の窓から、居住部分が重たくて華美なサルパート独特の船がノロノロと入港して来るのが見えると、デルはイライラとして思わず叫び出したくなりそうになった。ベゼラが笑いながらデルの手を取った。
「港に行きましょう。ここに着くまでにさらに時間がかかりそうだから」
 デルはベゼラに手を引かれて港に降りて船を待った。そこにはクライバー男爵と参謀のバンドンも待っていた。ようやく入港した船からヨロヨロしながら降りてきた三人の男の名前を聞いてデルは首をかしげた。
「サルパートのレリス侯爵、エスタフ神官長、そしてグーノスの魔法使いシャクラ。なぜここに」
 細かく敷き詰められた敷石に座り込んでしまった高齢のエスタフ神官長が、不機嫌な顔で吐き出すように言った。
「わしとレリス侯爵はブライス王とスハーラ嬢の結婚を取り仕切るようにマキア王の命を受けたのだ。しかしシャクラに船を乗っ取られた」
 デルはベゼラと顔を見合わせた。ベゼラが肩をすくめた。
「それはおめでたいわ。いえ、船を乗っ取られた事じゃなくてブライスとスハーラの結婚の事だけど」
「それでシャクラ、なぜここに来たんだ」
 ボロボロになった黒の神官衣を気にしながら、細い顔に黒いひげを伸ばし始めたシャクラが答えた。
「この戦場にもし魔法使いがいるとしても、他の地域に比べて弱いと思ったからだ。残っている黒の秘宝の魔法使いは三人、黒い指輪と巻物と冠の魔法使いだ。他に強大なのは巫女を率いる魔女メド・ラザード。しかしラザードは首都を離れない。とすればこの戦場に派遣されるのは魔法学校の教師程度だろう。それならば俺でも相手に出来る」
「それ程の力がお前にあるとは聞いておらんが」
「俺は器の魔法使いだという事を最近知ったんだ。相手の力を我が力として蓄える事が出来る。すでに先代の黒い冠の魔法使いザサール様の力を受け継いでいる」
 デルはフウッと息をはいた。
「これでニガッソの敵を討つ可能性も高まったか」
 シャクラが身を乗り出した。
「やはりこの戦場に魔法使いがいるのか、どんな相手だった」
「よくわからんが三人いる」
 これを聞いたシャクラは困ったように顎髭をかきだした。
「どうした」
「三人は多い」
「何だと」
「三人では相手に出来るかどうか自信が無い」
 デルの後ろで話を聞いていたクライバーが大笑いした。
「それでいいじゃないですか。ギリギリくらいが丁度いい」
 爆発しそうな顔でクライバーを振り返ったデルをベゼラがなだめた。
「デル、これが今の私達に用意出来る戦力のすべてだわ。エルディ神がシャクラを必要と言った言葉を信じましょう」
 その言葉でようやく落ち着いたデルは港中に響き渡る声で号令をかけた。
「よし、明日の朝、全艦隊を出港させる。目指すは緑の要塞、必ず奪回する」
 港に雄叫びがわき上がった。こうして陣容が整った暁の艦隊は、緑の要塞の奪回を目指して出撃した。

 (第十章に続く

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