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時代遅れのラブソング

侵入軌道/トラブル

高本淳

 1 侵入軌道

「……妙だな」 ウィリアム・セイジはモニターを見ながら呟いた。
「何が妙なの?」端末にかがみこんだ姿勢のまま、カシルが少しばかり苛立たしげに尋ねる。彼女は『朝』からずっと軌道修正プログラムの組み立てに忙殺されていた。
「いま出たスペクトル解析の結果なんだけど……。見たら吸収線がないんだ。見事なホワイトノイズを奏でてる」
  カシル・セイジは身体を起こし、ウィリアムは展望窓から射しこむオミクロン・ディフェンダの光のなかで妻の東洋人風のほっそりしたうなじの周囲でセピア色の髪が散開星雲のシルエットをつくっているのを見た。
「それって……、ひょっとしたら全然大気がないってことじゃない? 何かの間違いじゃないの?」
「うーん。ちよっと信じられなかったんで三度もチェックしたんだけどね」当惑したときのクセで親指がその顎を無意識に擦り上げていた。
「あーあ、ウソでしょう?」彼女は分厚いファイルを放り出し、それは千分の三Gの重力にひかれて狭い操縦区画のなかにとほうもなくゆるやかな放物線をえがいた。「……この道草のためにわたしたちが費やす時間は全部で7年になるわ。……7年よ! それがまったくの無駄足だったって言うの?」
 夫は眉を寄せ、もったいぶった身振りでゆっくり首を振った。
「無駄足なんかじゃないさ。まだあそこに『イシュタル機械』がいないときまったわけじゃないんだし、何よりもロートンの計算式にあてはまる地球型惑星が大気を全然持っていないなんていままで聞いたことがない。その理由を知るだけでも大いに価値があると思うよ」
「それはいわゆる学術的価値ってやつでしょう、ウィル」カシルは溜め息をついた。
「わたしたちはシーカーなんだから、居住可能な惑星なり『機械』なりを見つけなくちゃ意味ないのよ」
 G型太陽はまるで集蛾灯のように銀河中の『機械』を引き寄せる。しかしそこに地球型惑星がなければ、それらはすぐにでも立ち去ってしまったことだろう。わざわざ水素イオンの豊富な北方航路をはずれて向かったこの星系内に彼らが機能停止した古代の『イシュタル機械』−−つまりティプラーとフォンノイマンの『機械』を発見する可能性はかぎりなくゼロに近い。
 すこしばかり弱々しい咳払いとともに彼は言った。「いずれにしてもここで引き返す手はないさ。思いがけなく『機械』に出会うことだってあるかもしれないよ。頼むからプログラムをつづけてくれないか。ぼくには一時間かかることを君なら十分でできるんだからさ」
 足許のリファレンス・マニュアルをウィリアムは妻に投げ返し、カシルはふてくされた様子でそれをつかんだ。
「ガンマ線で身体中しみとそばかすだらけになったうえに借金の返済に追われるみじめな老後生活なんて……。まったく冗談じゃないわ!」
 確かにすべてが彼の発案だった。二人の現在の住居兼恒星間宇宙船である『機械』――カシルはそれを『オールドファッションド・ラブソング』と命名した――をレンタルするために政府に支払った保証金は膨大な額にのぼる。故郷サイラシンに残してきた彼らの資産を管理している代理法人は恐らく利益をあげているだろうが――五百年後にクレイドル証券が消滅していないことをただ祈るだけだ――その運用益が借入金の脹らみ続ける元利合計を帳消しにするなんて僥倖は、熱力学の第二法則が破綻するよりさらに起こりそうもない。シーカーがリタイア後の堅実な生活を望むつもりなら最低数隻の『機械』を見つけ出さなければならないし、ついでに政府庁舎の庭先まで持って帰ればさらに申しぶんがないのだが……サイラシン時間で百八十五年におよぶ探求の旅にもかかわらず二人はまだひとつの『機械』にも出会えないでいた。ウィリアムにしてみれば十分採算のとれる事業に乗り出したつもりだったのだが……。
 カシルはしぶしぶ再開した端末での作業にいつのまにか没頭し、タッチパネルの上では彼女の長く白い指が間欠的にあるいはリズミカルに閃いていた。ウィリアムはそれをいささか皮肉な、しかしほっとした微笑とともに眺めた。何のかのと言いながらも彼女が『シーカー』というこの冒険的山師の役割にまんざらでもないのがせめてもの救いだった。友人たちとのカクテル・パーティーやバザルリ半島での雨季の休暇から数百光年隔てられている現実をたまに彼に愚痴ることはあっても……。
「さあ、これでいいはずよ」両手でモニター疲れの目を押えて端末を離れながらカシルが言った。「この絶滅しそこなった恐竜がどう反応するか見てみましょう」
 ちっぽけな寄生生物、つまり人間の組み立てた侵入プログラムが数万年の星霜を重ねた巨大な宿主を意のままに動かして、音も振動もなく『ラブソング』は姿勢を変化させ始めた。テーブルのうえの磁性ペンがゆっくりと動きだし、ウィリアムはそれを胸ポケットにもどした。カシルは窓の外をすべる主星の光とモニターの画面とを代わるがわるに眺めていた。
「角度はいいわ」連続する遠雷にも似た轟きとともに軽い加速度の『引き』が感じられると彼女はコンソールの端で身体を支えながらカウントダウンの流れる数字を見つめた。
「時間も完璧」低い轟きが消えふたたび静寂が戻ってくると彼女はそう言い、文句がある?とでも言いたげな視線を夫におくった。ウィリアムはすこしばかりオーバーアクションぎみな拍手でそれに答えた。
「つぎの軌道修正は十日後の予定よ。各惑星の摂動がまだ十分わかっていないから、スイング・バイはちょっと荒っぽいものになるのを覚悟して」カシルはすこし怒った口調でそう予告した。

 三ケ月後、その巨星は十五億キロという軌道半径にもかかわらず展望窓いっぱいに明るく活発な大気の擾乱を見せるオレンジと赤の渦巻く巨大な壁となっていた。外惑星につきもののリングさえ、色とりどりの派手なやつを十本以上も持っている。……秒速十五キロ近い速度で遠ざかりながらも長い間、それは少しも小さくなったように見えなかった。……準光速からの一年以上にわたる継続的な減速のすえ、『ラブソング』は黄道面の北側――いにしえの決まりどおり右ねじの進む方向――からゆっくりと星系に侵入していた。『ゆっくり』――準光速に比べれば――とはいいながらも速度はまだ星系内にとどまるためには速すぎた。しかし電磁スクープの有効速度を下まわっている以上、貴重な重水素を無制限に制動のために使うことはできない。それは巨大なラムジェットエンジンの活動の産物であると同時に、それが使用できる速度まで『機械』を加速するための燃料でもあったからだ。だが幸いなことにこの星系は彼らが重力ブレーキに使える重い外惑星を持っていた。カシルは『ラブソング』を巧妙にだましすかししながら、ウィリアムが『ホルスタッフ』と命名したその水素を詰め込みすぎたガス巨星に向かって誘導し、その結果巨大な惑星をその半径より短い至近距離で掠めながら二人はこの上なく素晴らしい眺めを特等席から見ることができたのだった。
 もっともウィリアムは政府との契約に明記されていることもあってこの惑星の測定記録の整理にあわただしく追いまくられていたし、カシルはカシルで未発見の惑星による摂動に神経を尖らせていたから、眺めを楽しむ余裕は二人ともたいしてなかった。とくにカシルは神経質なまでに丹念に軌道をチェックしていた。黄道面は一応目をくばってはあるけれど、この星系にとんでもない軌道平面をもつ惑星がないとはかぎらない。近日点を目的の惑星の軌道半径に持つこの長楕円軌道という卵を、まるでウミガラスからそれを守る阿呆鳥の母親のように彼女は守っていた。

「この点で『ホルスタッフ』を通過したから……」カシルはモニター画面のグラフィックのなかの一点を指さした。「……遠日点にむかう軌道上のつぎの合でもういちどあの星の重力を利用して運動量を取りもどせば最低噴射エネルギーで脱出速度まで加速できるわ。……ここから、この緑のベクトルに沿ってね。計画どおりならラム駆動速度までの重水素はぎりぎり持つはずよ」
 彼女は夫をふりかえった。「そのかわり逆行での遭遇になるから、あの惑星の表面には一週間ぐらいしかいられないけど……。それとも『ラブソング』が軌道を一周して帰ってくるまで三十一年間あそこで待つ?」
 ウィリアムは肩をすくめた。
「一日でもあればクレイドルへの言いわけはたつさ。何もふたりでアダムとイブになろうってわけじゃないんだから……」
「……七年かけた旅のはてに七日間の滞在というわけ……」
「ロマンチックでしかも印象的だね!」
「冗談やめてよ。船内時間で七年っていえば『機械』のフルスラストなら銀河系だって横断できる時間なのよ」カシルは無念そうだった。

 このときになってもまだ彼らの目的地は『あの惑星』だった。いずれにせよ命名権は発見者のカシルにあり、彼女は古来からの作法どおりランディングに成功してから改めてそれを宣言するつもりなのだろうから、彼としては別段どうでもよいことのはずだった。しかし今回にかぎってウィリアムは、妻が自分にちょっとした面当てをしているんじゃないか?という小さな疑いを捨て切れなかった。岩と砂ばかりの世界とわかっている星を呼ぶのになぜ彼女はそんなにも慎重なのだろうか? 本来なら居住可能な地球型惑星へ着陸するときにこそそうした心づかいが必要なはずだった。つまり侵入者である以上、そこに存在しているかもしれない知的種族がその世界をどう呼んでいるかをまず尊重すべきなのだから……。 そして、そもそもそうした世界を見せることを約束したうえで、ウィリアムは気のすすまない彼女をクレイドルからこの長い航海に連れ出したのだ。
 ……彼女はそうして暗に夫を非難しているのか? あるいは彼女が惑星に命名することを拒んでいるのは、そこが不毛の土地であるという事実を単にまだ認めたくないからだろうか? それとも星系への侵入にともなう緊張で自分自身がいくぶんナーバスで被害妄想的になっているにすぎないのか……? ウィリアムの思考はいくども堂々巡りをしたすえに、落ち着かない気分だけが空しく残った。

 2 トラブル

「……なにをしてるんだい?」
 下着姿になったカシルが頭を下にゆっくり回転しながら宇宙服に脚を通そうとしていた。
「回収システムの具合がおかしいのよ。貯蔵タンクのヘリウム4の割合がひどく高いの。コンピュータは異常なしといってるんだけど……、おそらくレーザー発振器が不調なんだと思うわ」
「ふぅーん……」ウィリアムは無表情に相槌をうった。
「いま直さなきゃならないの?」
「ランディングには『サガ』号の力を百二十パーセント引きだす必要があるわ。融合燃料がいくらあっても足らないぐらいよ」
「それじゃ、ぼくが行こう」
 カシルは一瞬驚いた表情をした。
「あなたが?」
「覚えてるだろ? あの装置はぼくが特別注文したやつだ。悪友のひとりから中古の出物の話を持ちかけられてね」
「だから……?」カシルは袖口の気密チャックをひっぱりながら尋ねた。
「だから、調子が悪い時にはぼくがけっとばしに行くべきなのさ」
「ウィル?」
「なんだい?」
「あなた前に自分が一時間かかるものをわたしなら十分でできるって言ったことがあったね」
「ああ、そう言った」
「あなたとわたしとどちらがこの『機械』のシステムに詳しいと思うの?」
「そりゃあ、きみさ」
「それじゃ、どちらが微小重力での船外作業の経験時間が長い?」
「もちろん、きみだ」
「ふたりのうちどちらが小柄で、つまり酸素消費量が少なくてすむ?」
「うーん……ひょっとしたらきみかな?」
「そうした条件すべてを考慮したうえで、緊急の際にあなたとわたしとどちらが生き残れる可能性が高いと思うの?」
「……きみだよ」
 それで議論は終わりだという調子でカシルは彼に背を向け生命維持装置に手をのばそうとした。ウィリアムは目の前の宇宙服の腰のストラップと首まわりのシール・リングを両手でつかむと、スツールの台座にからめた両脚を支点にして彼女を居住区画の反対側まで投げ飛ばした。
「ちょっと……。いったい何なの?」カシルは制御コンソールと緩衝壁の間に頭から突っこみ、ファイバーケーブルの束に絡まったまま怒りをふくんだ声をあげた。
「確かに、きみの言うことはすべて正しい……。そう認めるよ。でもぼくは行くつもりだしきみがそれを止めることはできないんだ。なぜならぼくのほうが腕力でまさるんだからね」
「……なに寝言を言ってるの」
 しかしウィリアムは手早く生命維持装置と宇宙服、そしてヘルメットをエアロックに押し込み、自分も中に飛びこむと内側からハッチを閉ざしてしまった。カシルは開閉スイッチに飛びついたが船内からは緊急装置を作動させないかぎり開かない。
「ウィル! ここを開けなさいったら!」
「今着替えているところなんだ。覗かないでくれよ?」
「あなた『磁気トラップ』のことわかるの?」
「全然知らないというわけじゃないさ。それにヘルメットのカメラを通じてモニターできるんだから通話回線で指示を与えてくれればいいじゃないか」
「なんでわざわざそんなややこしいことしなきゃならないのよ?」
 答えはなくウィリアムは装着した自分のヘルメットを軽く叩くと気密ハッチ越しに彼女の背後のコンソールを指さした。カシルは通話装置まで飛んでいくとスイッチを入れて尋ねた。
「なんでわざわざこんな面倒なことをするの?」
「……しゅーっ、はぁ」
「ウィルっ……!」
「……しゅーっ、はぁ」

 彼は外側の扉がゆっくりと開くのを待った。漆黒の空と、そして眩しく輝く『機械』の側壁が見える。一瞬、惑星の地平線を見ているような錯覚にとらわれた。湾曲するカーブの端まではわずか数十メートルの距離なのに……。ウィリアムは目をしばたたきフェイスプレートのバイザーを下ろしてからゆっくりとエアロックの外へ漂い出た。左手で取っ手をさぐり、右手の命綱のフックをそこへ固定する。それから身体を回転させて扉の開閉レバーに正対させるとそれをひねった。
「ウィルったら!」
「しゅーっ。大きな声を出さなくても聞こえてるよ……」
「いつになく強引ね」
 彼はバイザー越しに主星のほうを慎重に見上げた。
「なぜなの?」
「ちょっと問題があるんだ」
「何が?」
 ウィリアムは『サガ』号の球形の船体の外周にそってゆっくりと移動した。エアロックと同じ高さの位置にいくつものパネルが並んでいる。彼はそのなかのひとつの前にくると両手で左右の取っ手を掴み、ゆっくりと引いた。パネルは背後の枠組みと一緒になめらかに引き出され、曲がりくねったパイプと小さなタンク、いくつかの黒い箱で組み立てられた装置たちが主星の光を反射して光った。
「何のことを言っているのかって、聞いているのよ」
  彼は装置のひとつを枠組みから取り外し、クルーザーの複合素材の外壁に押しつけた。マグネットの働きでそれは表面に固定された。
「……オミクロン・ディフェンダのデータを見てごらん」
「なんですって?」
「ここ一年間の主星の活動データさ。しゅーっ。ぼくのメモリーファイルに入っているよ」
 ウィリアムはそのまま背中を向けて装置にもたれかかり、股と腰と肩の取りつけリングにそれぞれストラップを通して引き締め固定した。それから彼は命綱のフックを外し、一歩前に進んだ。マグネット・ロックが軽い抵抗とともに外れると彼は装置を背に少し前方に傾きながら立っていた。
「ぼくはずっとこの星系に接近しながら……、しゅーっ。……継続的に観測してきたんだ。あの星はかなり活発に活動している」
「どういうこと?」
 両手を前に、自然に上げた位置にふたつのリングがある。彼はそのひとつを左手で握った。つぎに腰の近くにある黒い箱のひとつに右手を置いた。
「黒点の数が増えているんだ。つまりそれは……近いうちに太陽フレアが起こる可能性がかなり高いってことを意味している」
 カシルは息を飲んだ。
「あ……、ウィル……」
「大丈夫だ。次の数時間のうちにおこりゃしないさ」スイッチに触れると折れ曲がった背中のパイプの先端から目に見えないイオンの噴射が始まりウィリアムの身体は『機械』の船体を離れて上昇した。

「イルスター!!」センサーにX線と極紫外線量の測定数値を要求したカシルは、小さく罵倒の言葉をつぶやいた。
「もうはじまっちゃってるじゃないの?!」
彼女は手早く生命維持装置をチェックし身につけた。つぎにヘルメットを取り上げたところで窓の外に目をやり、個人用推進装置を背負った姿が飛んで行くのを見てそれをかぶる手を止めた。それからあきらめた様子で彼女は通話装置のスイッチを入れた。
「ウィル。あなた嘘をついたわね?」
「しゅーっ。……え、何だって?」
「もうフレアは始まってるわ。すぐに戻りなさい」
「しゅーっ」
「ウィル!」
「……ほんとだ。警告灯が点滅している……。でも大した量じゃない」
「フレアは予想不能よ。いつシールドの限界を越えるかわからないわ」
「そうだ、あれは非線形力学的現象だからね。しゅーっ!」
カシルは遠ざかっていく姿を見つめながら歯噛みをした。
「危・険・だ・か・ら、戻りなさいってばっ……!」
「……ヘリウムが必要なんだろ。主星に近づけばもっとずっと放射線量は多くなる。今のうちなら大丈夫さ」
 コンピュータ制御のジャイロスコープが自動的に姿勢を保ち、デリケートな操作に気を使う必要はなかった。ウィリアムはその軸線に沿って飛びなから『ラブソング』の全体を見るともなく眺めていた。『機械』は、……この速度で飛んでいる限りは、ゆっくりと回転している灰白色の一様な材質からなる細長いシリンダーに見えた。そして、その幾何学的な均整を乱すように『サガ』号とその架台、船尾のヘリウム回収システムの質量分離偏向リングがある。さらにそれを支持するフレーム構造がふたつ。ひとつには電磁トラッピング装置とその制御ユニットが納まり、……もう一方はからっぽだった。普通は最低でもふたつは設置すべき回収装置が『ラブソング』にはひとつしかなく、しかもそれがしょっちゅう調子を狂わせている中古再生品なのだ。それは彼らの星々への旅立ちがかなり逼迫した経済状態のなかであわただしく行なわれたことを物語っていた。ウィリアム自身のかなり寛大な美的造形感覚から言っても、完成された生命体を思わせる『機械』――それは何よりも246億倍に拡大されたタバコモザイク・ウィルスに似ていた――に比べて、後から間に合せ的に作りつけられたそれらの装置類はいかにもみすぼらしく醜悪だった。

 数分の宇宙飛行でウィリアムは回収システムの制御ユニットの傍らに降りたった――と言うよりも、ようやく流れ着いたと言ったほうがいいかも知れない。彼は個人用推進装置のあつかいは得意でなかった。命綱の取り付けに幾度か失敗したあげく、ウイリアムはスラスターを手近の壁に磁気固定し、点検用の手動ハッチを開いて注意深く頭から装置のなかにもぐりこんでいった。ハッチの内側は宇宙服を着た人物がぎりぎり動き回れるだけの余裕しかない。彼はヘルメットの照明灯の光に照らし出された狭い空間の中央に浮かんだまま、つぎに何をなすべきかを思い出そうとしていた。ようやく思いついてまずウィリアムは放射能レベルをチェックした。ラムジェットエンジンが噴射するプラズマには中性子が含まれているのだ。満足した彼はつぎに胸にある通話装置から細いケーブルを引き出し、その先端のプラグを壁のソケットに差し込んだ。
「聞こえるかい?」
 はっとした気配。
「ええ。聞こえるし、……見えるわ。ウィル」
「今ぼくは何を見ている?」
「主電源パネルよ。レーザーの調整パネルはあなたの左側」
「おーけー、いまそっちを向く」カシルは夫の頭の動きに同期して揺れ動く画面を見ながらひとまず安堵の溜め息をついた。あの中ならほとんどの放射線はふせげる。なしにろ『機械』の全力噴射から電子機材を守るように設計されているのだから……。
「まず波長をチェックしてみてくれる? 冷却用レーザーの同調があまくてヘリウム3が磁気トラップを漏れ出ているんだ、と思うの」

 ふたりはそれから数十分のあいだ冷却システムの複雑なプロセスのあちらこちらを点検した。最終的に制御パネルの回路プレートのひとつを予備のそれと交換し、カシルは作業の終了を宣言した。
「いまから戻る」カシルはモニターの数値を振り向き、それが変化していないことを確認した。
「放射線量は同レベル……。寄り道しないでさっさと帰ってらっしゃい。後でいろいろと言いたいことがあるから……」
 ウィリアムはヘルメットごと首をすくめようとしたがそれは無理だった。通話用のプラグを外すと彼は酸素の残量をチェックし、クロノメーターを見た。
「……問題なし」彼は帰ってからのひと悶着を想像して苦笑いしながらハッチを通り抜け、なおも笑みをうかべたままスラスターを背負った。操縦リングを握り、噴射始動スイッチをオンにした瞬間に、しかし彼のその表情は凍りついた。
「カシル……」彼は静かに言った。
「……か言った? 雑……が多くてよく聞き……れないわ」
 わずかのあいだに無線通話の状態がひどく悪くなっているのにウィリアムは驚いた。空電雑音……? 何か心にひっかかるものを感じながら、それをひとまず無視して彼は答えた。
「まいったよ……。スラスターが故障だ。噴射しない」
「……ですって? ……大変だわ……」
 彼は何度も始動スイッチを押したが、それは死んだ鳥を生き返らせ飛ばそうとする努力にひとしかった。
「今……行くから、……遮蔽の……に入っているのよ」
 ウィリアムは背負った装置を外し、宇宙空間に腹立ち紛れに放り捨てようとして思いなおし、結局それをそっとハッチの脇に置いた。それから彼はいま出てきたばかりのハッチのなかにふたたび引き返した。……たしかに自分は電子装置たちとあまり相性がよくない。コンピュータのあつかいは大の苦手だったし、専門分野の観測装置だって何か測定しようとするちょうどその時にかぎってしばしば故障したものだった。しかし今回はあまりに運が悪すぎるような気がした。こうした船外活動のための備品は何重にもフールプルーフが工夫されていて、めったなことで壊れたりしないはずなんだが……。
 突然、彼は呻き声をあげた。
「そうか……! だめだ、カシル。外へ出るんじゃない」
「……何ですって? 何て……ったの?」
 彼はあわただしく回線を接続した。「外へ出るなって言ったんだ。……きみがスラスターでやって来たら二人とも立ち往生してしまうぞ」
「何を言ってるの?」
「……『陽子イベント』だ。すっかり忘れていた……。スラスターをひなたに置きっぱなすなんて、この間抜けが」
「ウィル。ねえ、大丈夫? 頭がどうかしたんじゃない?」
 彼は狭い空間で急に身体を伸ばし、ヘメットを頭上のパネルにぶつけた。
「よく聞いて……。……恒星のフレアはごくたまに大量の荷電粒子をともなうことがある。電離した水素原子が主成分なので『陽子イベント』と呼ばれるんだけど、こいつは恒星の周囲の宇宙空間に強力な磁場をつくるんだ。それが『機械』のそれと衝突すると電磁的な一種の衝撃波を発生する。それがこの空電をともなう受信障害の直接の原因なのさ。そのうえ、この陽子の突発的な発生は電子部品に致命的なダメージを与えることが知られている。昔、地球では陽子イベントのために航空機が墜落することさえあったんだ」
「……ってことは?」
「スラスターのジャイロ制御用のコンピュータがパンクしちまったに違いないよ。だから安全装置が働いて噴射しないんだ。そっちにあるやつもロッカーに収納されているうちはいいけれど一度外へ出してしまうと……。だから絶対に使うんじゃないよ」
「スラスターが使えないなんて……。いったいどうすればいいの」
「歩いて帰る」
「冗談言っている場合じゃないわ」
「冗談じゃない。……ほかに方法がないんだよ。幸い……」ウィリアムは生命維持装置の表示を見た。「酸素はまだ一時間は持つ」
「放射線のことを忘れているわ。現在のレベルで三十分以上さらされたら生命にかかわるわ……」
「心配ない。『機械』の内部を通って行く」
「ウィル! 十キロはあるのよ。それに……」
 しかし彼はすでに通話プラグを引き抜いていた。

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