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ラブソングふたたび

第七章

高本淳

sasie7

 おなじみの作動音とともに小刻みな振動が船体を揺らしているところをみると、さいわい水蒸気爆発はエンジンを吹き飛ばすまでにはいたらなかったようだ。ウィリアムはほっと胸をなでおろしたが操縦席のカシルはすでにつぎの困難に直面していた。
「イルスター!」
「どうした?」
「気流が……」
 そう言ったきり黙り込むと彼女は緊張した表情でひたすら操縦桿の操作に没頭している。身体にかかる加速度のめまぐるしい変化と耐Gベッドの傍らの予備端末の映像でウィリアムはサガが風にもてあそばれる木の葉のように絶え間なく揺れ動いていることを感じとった。頑丈な船体がきしむ音がときおり聞こえる。あえて気流に逆らった飛行を始めたことでいまや風圧が真っ向からかかっているのだ。
「お願い――うまく抜け出せているのか確認してくれる?!」悲鳴に似た声でカシルがさけぶ。どうやらモニター上のナビ場面をじっくり眺めるだけの余裕もないらしい。
「了解――なんとか嵐の中心から脱しつつある。でも期待したほどの速度ではないな。くわえて『ジェット』の方向にかなりひきよせられてもいる……」
 予備端末画面で船の位置と速度を確認しつつウィリアムが報告した。
「姿勢の安定を保つのがむずかしいのよ――うっかりするとひっくりかえりそう!」
「いまぼくらがいる場所は渦にひきこまれる流れと噴出する『ジェット』のはざまの空域だ……気流が激しく乱れているのは当然だよ」
 唸るようにそう言いつつウィリアムは頭のなかで懸命に打開策をさぐっていた。クルーザーは四基のエンジンがあってはじめて百パーセントの性能を発揮できるように造られている。二基だけで操船するのはちょうど一輪車を乗りこなすようなきわどいバランス感覚が必要だろう。さすがのカシルもこの激しい乱流のなかでは船の姿勢を安定させるだけで精一杯。操船に集中していられる時間にも限界があることはあらためて考えるまでもない。
「うまく距離をとれない! 『ジェット』のほうにすごい力でひきよせられている」
「ベルヌーイ効果だ……超高速の流体の周囲は大きな負圧が生じるわけだな。それが船をひっぱっているんだ」
「解説してる場合じゃないでしょ! やはりエンジン二基では力が足らないかな。バーニアの推進剤も底をつきかけているし、このままではおそかれはやかれ巻き込まれるわ」
 ウィリアムは船外カメラをまわして間近の『ジェット』の映像をとらえた。ほとんど眼には見えない超高速の気流――ときおりまきこまれた小さな岩が画面のなかを恐ろしいスピードですっ飛んでいく。それを見つめつつ彼は心をきめた。
「いや、むしろ流れに乗ってしまったほうがいいのかも知れないぞ」
「そんな――無茶だわ」
「確かに危険だが……いまのままでは嵐から抜け出すまで途方もない時間がかかる。さすがにきみの集中力がもたないだろ。何よりバーニアの推進剤が底をつきかけている状態で長時間ふんばるのは無理じゃないか?」
 カシルからの反論はない。状況はなにより本人がいちばんわかっているはずだった。
「クルーザーの船体は頑丈だ。あの程度の気流で壊れるとは思えないよ」
「でも問題は乗組員のほう――」
 彼らの緊迫したやりとりに目をみひらいてこちらを見ている子供たちにいささかひきつった表情で微笑みかえしながらウィリアムはいまだ決断を下しかねている妻に言いきかせた。
「サガの重さは千トン近い。そんなに急激に加速されるはずはない――それにユルグもミヒョンも冒険一家セイジ家のはしくれだよ。幼いとはいえ柔じゃないさ!」
 カシルはため息をひとつついて言った。
「わかった――やるわ! まずすべての窓とカメラにシールドをかけて……」
 いっしゅんバーニアの鋭い噴射音がとぎれ、瞳孔が閉じるように展望窓を絞り羽状のシャッターがおおった。そのとき外部から心を不安にさせるようなか細く不気味なうなりが伝わってきた。
「……どっかで誰かが泣いてるの?」
 かすかに怯えた響きのミヒョンの問いにユルグが小さくしかし落ち着いた声で答えるのがウィリアムに聞こえた。
「違う。ただの風の音だよ」
 さすがにおにいちゃんだな。そのとおり、あれは突起物の多いサガの船体から無理矢理引きはがされ渦巻く気流がたてる音だ――そうウィリアムが心のうちで思ったとき、風のうなり声はいっきに音量をあげ会話を困難にするほどのレベルになり、同時にクルーザーは推進軸に対してめまぐるしい速度でスピンをはじめた。
「『ジェット』に乗るわ! みんなしっかりつかまって!」
 カシルが叫んだ直後すさまじい咆哮が船室にとどろき、まるで巨大な手でもてあそばれているようにあらゆる方向からかかる力にセイジ一家全員の身体は激しく振り動かされた。
 ――がん! がん! がつん!
 大小の岩があられのように船体を叩く、きりもみするように急速で回転しながらサガは『ジェット』に吹き上げられみるみる速度を増していった……。

*

 いまふたたびウィリアムは大気圏の外にあって安全にこの不思議な天体を見下ろしていた。数々の驚くべき体験をおえた身にとってまさにそこは果てしなく巨大なひとつの世界だった。しかしいっぽうでは彼のなかにはこれが何かの目的をもって作られた建造物であるという印象がますます強くなっているのだった。あくまで不自然で幾何学的なジオデシックの三角の升目のひとつひとつの中心に白くまんまるい羊雲が浮かんでいる。重力ポテンシャルの変化にともなう気圧の急勾配がそうした雲を形づくることをいまではウィリアムは確信していた。
「――ほんとうに子供ってタフ。命がけの試練を終えたばかりだっていうのにね……」
 同様に窓の外をながめつつ操縦席のかたわらに浮き上がってきたカシルが言った。
「寝かしつけるのに苦労したわ」
「たぶん興奮まだ醒めやらないんだろう――無理もないけどね」
 『ジェット』に乗って急激に回転、加速されていくクルーザーのなかできゃあきゃあとむしろ楽しげな悲鳴をあげていた子供たちを思い起こしてウィリアムは答えた。
「サガは絶叫マシンじゃないんだけどね」
 そのまま嵐をぬけだし、勢いあまって船はジオデシックの編み目をかすめるとこの星の『重力圏』まで飛び出した。とっさにカシルは融合エンジンをフルスラストのまま周回軌道に乗るにまかせたのだった。エンジン二基ではぎりぎり衛星軌道に乗る第一宇宙速度が限界。そして第三エンジンを整備するためには気圧ゼロ環境で船体の水分を徹底的に揮発させたほうがよいと判断したのだ。
「もっとも子供たち同様ぼくもいまだに高ぶる気持がおさえられない――信じられないよ。宇宙にこんな驚嘆すべき世界がありうるとは!」
 彼は妻の腕をとってとなりに引き寄せるとその肩を抱くようにしてふたたび外部の光景に見入った。明暗境界線がゆっくりと眼下をよこぎりジオデシックの一見華奢な白亜の構造がみるみるその輝きを闇に沈めていく。
「ほんとに」カシルはその壮大な眺めに見入ったまま、しかしどこか不満そうに同意した。「予想を裏切られることの連続だったな。あれだけ苦労したのに、けっきょく謎はひとつも解決できなかったわ」
「――まあ、そうかな。とはいえ収穫がなかったわけじゃないよ。それどころかクレイドルへの調査報告書に盛り込むデータは山ほどある。大変なのはむしろこれからさ」
 ウィリアムの言葉の中に含まれたある微妙な調子を敏感にかぎ分けてカシルは身を起こし、X線透視するスーパーマンのような表情で夫の顔をのぞきこんだ。
「ふうん?」
「なにがふうん、だ?」
「あなたわたしの気づかなかった何かに気がついたみたいね」
「……なんでわかる?」
「妻の勘ってやつよ」
 ため息をつき、見事見透かされた照れ隠しににんまりと笑いつつウィリアムは端末のキーに触れた。
「念のために言うけど、あくまでこれは仮説だから……」
「ひょっとして……この星の『重力の謎』への答えが見つかったとか?」
「まあ、たぶん――それを含めて、ね」
「いったい何を見つけたの? おしえて! おしえなさいってば!」
「……むぎ……く、首絞められたまましゃべれるわけないだろ?」
「あ、そうね。ごめん」
 襟首を締め上げている妻の手をのがれ息をととのえるとウィリアムはひとつの映像をモニター画面に呼び出した。
「こほ、――振動が激しいのであんまり鮮明でないかもしれない。これは脱出の直前のあの嵐の中心付近の映像だよ。ほぼ『ジェット』に沿って『真上』から写している。このままでは見にくいから静止させてみる。つまり百分の一秒の瞬間の映像だ。一見なにも写っていないように見えるけど……」
 彼が磁気ペンで画面に触れるたびに画像の拡大率があがっていった。
「わかるかな?」
「うん……中心にあいた穴のなかにわずかに滲んだ光の線が見えるわね。渦に巻き込まれた氷かしら?」
「ぼくも最初はそう思った。でもつぎのコマを見てみると……」
「ああ、光の線がもう一本――」
 ウィリアムは画面上に不器用に円を描いた。
「つまりここに超高速で互いのまわりを回転しているふたつの物体があるんだ」
「その場所……まさに嵐の中心部分に? うーん、でも……」
「言いたいことはわかるよ。そのためにはこの物体は気流の影響を受けないほど重たくなきゃならない。何度も何度も同じ場所にきらめきが見える――ということはこの軌跡が安定しているという意味だからね。たまたま気流の渦に巻き込まれてここの場所にあるわけじゃない。ぎゃくに嵐そのものにエネルギーを供給している可能性すらある」
「ちょっとまってよ……あの中心ジェットはまさにその軌道の中心から吹き出しているようだわ。それってまるで――」
「何かに似てる?」
「そう。あれよ、あれ……えー、なんて呼んでたっけ、円を描く道具。地球の人たちは……」
「コンパス座X-1かな――つまり、この渦巻きの形状は中性子連星の降着円盤と中心ジェットにそっくりと言いたいわけ?」
 カシルはうなずき、夫の顔から観測窓の外部に横たわる世界に視線をうつした。
「どういうことなの?」
「あれがほんとうに中性子星なみの密度を持った物体だとしたら――それはきみの捜していた謎の構造材そのものと考えられるじゃないか?」
「つまり……」
「想像どおりこのジオデシックの枠組みは超高密度物質の芯を持っていたんだ。何かのトラブルでその破片が星の内部にこぼれ落ち、互いのまわりを凄まじい速度で回転しはじめたとしたら――それが不安定な気流条件のもとでたまたま強力な嵐を産み出す要因になった……」
「ひょっとしたらその破片たちは例の『イレギュラー』からこぼれ落ちたのかもしれないわね」
「ありえるね。この凄まじい回転速度から見てもこれらの破片はこぼれ落ちてからそんなに時間がたっていないみたいだ――」
「――でも、ちょっと待ってよ。肝心の『イレギュラー』の調査ではそうした構造材の存在の証拠はまるでなかったじゃない。それにいくら超高密度だっていってもあの嵐を作り出すだけのエネルギーをそれらの破片が『たまたま』持っていたっていうのはあまりにも都合がよすぎない? もしもメテオロイドの衝突ではじき飛ばされたとしてもそのまま宇宙空間へ飛び出していくのが普通でしょ? ふたつの破片が互いのまわりを超高速で回転する軌道に入る確率はごくごくわずかのはずだわ」
「ご説ごもっとも。だけど一点だけ誤解がある。ジェット天体に似ているのはあくまで外形だけ。じっさいのメカニズムはまったくちがうだろう。中性子連星やブラックホールのジェットを駆動するのはもっぱら電磁力だけど、あの嵐を引き起こしているのは破片の回転エネルギーよりもむしろ強烈な重力勾配がつくる摩擦熱のはずだよ。……嵐の中を飛行しているとき赤外映像で見たものを覚えているだろ? 降着円盤が高熱を発していた。あれは気流に巻き込まれて砕かれた岩石や氷塊が高速に回転しながら互いにぶつかりあってつくりだす熱だ。その熱エネルギーが縮退物質の強烈な重力場に対抗してジェットを産み出すだけの膨張圧力を産み出す。さらに減圧されたジェットの内部で大量の氷が生じて中心部分の熱を奪いさり、気圧低下した分を補充するために周囲からふたたび大気が渦巻きながら流れ込んで熱せられる……」
「まさにカルノーサイクルか。――でもそれは疑問の答えになっていない。わたしが納得できないのは『イレギュラー』は単にからっぽのチューブであるようにしか見えなかったってこと、そして仮にこの滲みがメテオロイドで破壊された構造材の破片だとしてもそれらの運動エネルギーがあまりにも大きすぎるんじゃないかってあたりよ」
「わかっている。その謎の答えは見つかると思うよ。同時にこの天体の超高密度物質によるジオデシック構造がどうやって保たれているかの最終的な解答もね!」
 夫の言葉に秘めた自信の響きを感じとってカシルはほっとため息をつくと身を起こした。
「ふうん? つまり登場人物を一同に集めていよいよ最後の謎解きというわけか。名探偵さん……かぶとを脱ぐわ。わたしには何がどうなっているのかさっぱりわからない。お願いだから真犯人を教えて」
「いいとも――えへん。思い出してほしい。事件の核心部分の謎、つまりぼくらがどうしてもわからなかったのはジオデシックの球殻が地球に匹敵する質量を持ったままなぜその中空構造を保っていられるのか?という問いだった。実際比重七十四万という密度は赤色矮星のそれをすらうわまわっている。とてもじゃないけどそんな高密度の物質をこんな華奢な骨組みに整形できるはずはない――」
「そう。でもすべての証拠がそれを事実だと語っている。マシンにかけてこれだけは言える……球殻は地球そのものに匹敵する重量を持っている、と」
「たしかにね。そして既知のどんな物質にも『辺(エッジ)』のわずかな断面積でそれだけの重量を支える圧縮強度はない」
「そのとおり――そうした疑問にどう答えるつもり? ホームズさん」
「ふん、初歩的なことだよ、ワトソンくん。真相はつねに単純なものさ。物質に充分な強度がないとしたら――物質以外のエネルギーを使えばいいんだ」
「純粋エネルギーフィールド? まじめに聞いていたらそんなオチ? あなたスタートレックにはまり過ぎじゃないの?!」
「おいおい話は終わりまで聞けよ。べつにSF的ガジェットを持ち出す必要はないのさ。ぼくらがよく知っていて日常的に使いこなしているある力があるじゃないか」
「ううん? というと?」
「船のエンジンはどうやって作動している? 核融合プラズマの超高温超高圧が反応室を吹き飛ばさないように守っているものはなんだい?」
「それは……超伝導コイルの生み出す電磁力――にきまってるでしょ」
「そのとおり。考えてごらん――物質の結晶構造もミクロの世界では結局電磁力が支えている。もしもそれで強度が足らないようならもっと強力なやつを使えばいいだけだろ」
「……このジオデシックの枠組みが電磁力で支えられている、って言いたいの?」
「ああ、ようやく真犯人にたどりついたね。解答は――電磁作用による『動的圧縮力(ダイナミック・コンプレッション)』さ」

*

「そもそもこのコンセプトの発端は二十世紀の後半、八十年代当時世界最高の頭脳がそろっていた北米のMITやスタンフォード大といった研究室の科学者たちがコンピューターネットのなかであれこれアイデアを交わすうちに産み出されたものらしい。軌道上にものを運び上げるのにいちいち膨大な燃料を消費するロケットを使わずに軌道エレベータを利用することはとても効率的だ。しかしそれらは高度三万六千キロの静止軌道上を基点に建設するしかないという最大の欠点がある。こうした制約を解決するためには静止軌道よりはるかに低い高度で軌道エレベーターの重心を支えてやらなければならない。そのための手段として考案されたのが『動的圧縮力(ダイナミック・コンプレッション)』による支持なんだ……。
 仕組みは簡単。すべては複数のステーションを低軌道上に配置し、金属ペレットの連続的な流れをステーションのうちのひとつにある電磁カタパルトで打ち出すことから始められる。加速されたペレットの流れは軌道上のとなりあったステーションで磁気偏向され方向を変えられてさらにつぎのステーションへと向かう。最後に地球を一周してきたペレット流は最初のステーションに戻り、ふたたび加速投射される。おのおののステーションでペレット流が偏向されるとき反作用としての浮力が生じ、それがすべてのステーションを静止軌道よりずっと低い位置――たとえば地上二千キロ程度の高度で地表に対して安定させて支えるわけだ」
「それってどこかで聞いたな。そのアイデアを発展させたのがロバート・フォワードの『スペースファウンテン』じゃない?」
「うん。フォワードはペレット流の投射装置を軌道上じゃなく地上に置いてその上空にステーションを浮かばせることも可能であると指摘したんだ。そうすればもはや軌道エレベーターを建設するのに場所を選ばないからね。しかしいまは話をもどして最初の低軌道上のステーション群を想像してほしい――それらを支えるペレットが金属ではなく強力に荷電された縮退物質であったとしたらどうだろう? そのペレット流が生み出す反作用によってはるかに大規模な構造物を重力に対して支えることができると思わないか?」
「膨大な質量をもったペレットの流れ……か。ふうん。それ自体超強力な圧縮抗力をもった剛体の梁みたいにふるまうでしょうね」
「そう。そしてこうしたペレットの流れが生み出す圧縮抗力は物質の結晶構造の丈夫さではなく、純粋に電磁的な力の大きさにのみ依存する。じゅうぶんな量の電磁加速エネルギーを供給さえできればどんな巨大な構造でも原理的にこの方法で支えることができるわけだよ」
「ううん。なんとなくわかってきたわ。あなたが言いたいことはこうかな?……この天体を構成している『頂点(ヴァーテックス)』がじつは縮退物質の流れを打ち出す電磁カタパルト――で、『辺(エッジ)』は内部に縮退物質の超高速の流れを封じこめた巨大な真空のチューブじゃないのか、って……」
「聡いね、奥さん。そのとおり。ペレット流はつねに真空中を運動するからほとんどエネルギーを失うことはない。もちろん『頂点(ヴァーテックス)』で偏向されるときに反作用力を及ぼすけれど、その電磁相互作用で失われる運動量――最終的に熱に変わるはずだ――はシステム全体から見ればごく微量だ。たぶんそれで発生する余剰熱を捨てるために『針(スパイク)』があるのかもしれない。……あるいは、いま思いついたけど、あれらはそうして失われたエネルギーを補充するための発電装置――たとえば熱電対――をかねているのかもしれないな。電磁相互作用はペレット流の運動ベクトルを変えるだけで減速はしない。超伝導コイルがあればいったん作り出された流れを維持するのに必要な電力はごくわずかでいいはずだからね。しかも動的圧縮力(ダイナミック・コンプレッション)のいいところは構造上の応力変動を各ステーション間ですばやく調整できることだ。たとえば潮汐力による歪みや、あるいは突発的な『辺(エッジ)』の破損があっても――」
「なるほど。メテオロイドの衝突で『辺(エッジ)』が破断したら、その圧縮抗力を瞬間的に周囲の『頂点(ヴァーテックス)』の電磁カタパルトに配分調整することで構造の連鎖的崩壊を免れる――そうか!」
 カシルが頬を紅潮させて叫んだ。
「そのとき飛び出したペレット……」
「うん。そうした衝突の瞬間には超高速のペレットが幾つも『辺(エッジ)』から飛び出るだろう。むろん脱出速度よりはるかに速い。ほとんどはそのまま宇宙の彼方へすっ飛んでいき、何かの拍子にたまたま互いのまわりを近接回転する軌道に入ってしまったふたつが残ったのかもしれない。そのペレット『連星』は――あの『とらわれた羊たち』でわかるように基本的に不安定な球殻近くの気圧配置のなかで、大規模な嵐に発達していく渦状の流れの引き金をひいた――あるいはたまたま生じたロスビー波渦の中心に居座ったという可能性も考えられるな。やがて気流にのって大小の岩塊がそれら超密度物質の重力圏にひきこまれ、周囲を高速で回転することで砕かれ互いに衝突して膨大な摩擦熱を発生する。その熱がこんどは渦流にエネルギーを供給して拡大しさらに多量の岩石を巻き込む……」
「なるほどね。それですべて納得がいったわ。あの『辺(エッジ)』の付け根部分の構造も含めて……」
「そうそう。あの奇妙な『クレーター』――たぶんひとつの『辺(エッジ)』のなかに六本のペレット流があるんだ。反対方向の流れがあることで『頂点(ヴァーテックス)』に及ぼすトルクを相殺できるしペレット自体の大きさもそれ相応のサイズで収まる。大きな『クレーター』の内側に並んで見えた六つの小さな『クレーター』はまちがいなく蓋をされたそれぞれのカタパルトの射出入口なんだ。『辺(エッジ)』内部に構造材なんて見つかるはずもない。もともとそんなものありゃしなかったんだから……」
「なるほどねえ。でも――まって」経験をつんだシーカーにふさわしいたくまざる批判精神を発揮してカシルがたずねた。
「あなたの言ってるのはあくまで状況証拠にすぎないわけでしょ? どうやって真実かを確かめられる? まさか『辺(エッジ)』をちょんぎってペレットの流れを見るわけにはいかない……」
「そんなことやろうとしたら最後『ジェットスパイダー』に木っ端微塵にされるよ――だいたいその必要もないしね。もしぼくの考えているとおりのメカニズムがこのジオデシック構造を支えているのなら『頂点(ヴァーテックス)』にじゅうぶん近い位置まで接近できればたぶん微弱かつ規則的な電波をキャッチできると思う」
「電波?」
「チャージされた超質量のペレットが運動方向を変えるときには必ず電磁波を発生しているはずだからね。たとえ超伝導シールドでそれを遮断し熱に変換しているとしても、さすがに百パーセントの効率は望めないだろう――」
「なるほど。その電磁波のパターンを調べればあなたの言うとおりかどうかわかるわ」
「……もっともぼくはすでに確信しているけどね。この解答はエレガントだからこそ真実に違いない、と」
 ふたたび観測窓の外にもどってきた黎明に照らされたジオデシックの緻密な籠目を見下ろしつつカシルは同意のしるしにうなずいた。
「わたしもそう感じる――静的なシステムじゃないんだわ。この天体すべてが――生きていて、この瞬間にもダイナミックに自分自身を不断に調整している、って」
「静的(スタティック)じゃなくすべてが動的(ダイナミック)――そう考えることでこの天体の作り方も理解できたような気がするんだ。まるで神による世界創造のような壮大な奇跡にも感じられたけど……そもそもこれだけの規模の建造物をいっぺんに作り上げる必要はなかったんだ――最初はごくごく小さく。たとえばたった四つの『頂点(ヴァーテックス)』からでもはじめればいいんだよ」
「四つ、というと……正四面体の四つの頂点かな? 立体を形づくる最小の要素――」
「そう。その位置に配置した『頂点(ヴァーテックス)』間で最初のペレットをうけわたすわけさ。ペレットは偏向する際『頂点(ヴァーテックス)』たちを押し広げようとする抗力を与えるけど、いっぽうでその高密度物質の流れの産み出す重力はそれらを互いにひきよせようとする。両方の力のバランスがとれるようにペレットの速度と数を調節することはそれほど難しくない」
「そうね。安定した小さな縮退物質の塊を手にいれることができさえすれば、わたしたち人間にも今の技術で作り出せそうな構造だわ」
「うん。超人的なテクノロジーもパワーもいらない。そのかわりシステムを拡大していくには長い長い時間がかかるだろうけどね。この星系の惑星や衛星を材料にして何らかの方法で高密度縮退ペレットを作り出し、それで最初の正四面体構造を一辺が倍の大きさにひきのばす。そして各辺――つまり『辺(エッジ)』の中間で新たに電磁カタパルト、すなわち『頂点(ヴァーテックス)』を建造する。完成したらじょじょにペレット流を偏向させて『頂点(ヴァーテックス)』すべてが球状になる位置まで移動させていき、同時に新設された『頂点(ヴァーテックス)』間に新しいペレットの流れを作り出す――この作業をえんえん繰り返して次第に巨大な空間を内部につくっていけばいいわけだよ」
「何十年、何百年かかるかわからないけど、作業しているのは恐らく不死の長老機械たちだものね。最後の最後に完成した地球質量の球殻内部に生命代謝用にあつらえ調整した一気圧の大気を封入していっちょうあがり、か……」
「そのまえに空気抵抗で減速しないようにペレット流を頑丈なチューブで囲っておかなきゃならないだろうけど――」
「そうね。あとそのチューブに穴を開けて真空状態をおびやかすような不届き者を監視してつまみ出すためのガードマン・ロボットも忘れず配備する――」
「うん。わけもわからず破壊活動を行ったぼくらの探査機『ハルバン』はかくして手ひどくつまみ出されたという次第さ……」

*

「ただいま」
 EVAハッチを漂いぬけヘルメットを外すと汗にまみれた顔でウィリアムは言った。
「おかえりなさい」
 コンソールから振り向き耐Gシートから身をのりだすようにしてカシルが応える。
「お疲れさま――チェック項目すべてグリーン。エンジンの最終点検は無事終了よ」
「やれやれ……ようやくすべておわったか。これでいつでも好きなときにこの星を飛び立てるな」
「いまラブソングは近日点を通過してこちらに向かってくるところ。もしこれで調査完了ということなら、ただちにランデブーの準備をはじめないといけないんだけど……」
「ま、時間はまだある。これからどうするかはあとでゆっくり考えよう。とりあえずシャワーを浴びちゃうよ」
「うん、そうしていて。そのあいだにわたしは夕食の支度をするわ」
 濡れタオルを片手にウィリアムが食卓につくころにはすでに調理器で温めた料理が食卓のうえに並び子供たちが待ちどおしげな顔をそろえていた。
「パパ、はやくっ」
「はいはい、おまたせ……ふうん、今晩はビーフシチューだね。おお、加えてとっておきの野菜サラダ。おやおや、ワインもあるじゃないか――どういうわけだい? えらく奮発したものだね」
「無事に初回探査が終わったお祝いよ――ほらほら、お父さん、お行儀わるい」
 牛肉味の合成肉をつっついたフォークを負圧テーブルに置きなおしウィリアムは姿勢を正した。
「……母なるアリスマシンよ。家族全員の健康と今宵の糧に感謝いたします。願わくば宇宙の闇を歩むわれらからすべての危難を遠ざけたまえ。いつの日にか人々が光のなかで集い心安らかに暮らせる世界を与えたまえ。いなんな、じ、あむま、かんぱ、び、ざむま、かんぱ。いあ、いあ、いあ、べい、らづるき……。それでは――いただきます!」
 しばらく夢中で食べる子供たちのスプーンが加熱容器にあたる音だけが続き、ウィリアムはワインボール――透明なプラスチック球――にさしいれたストローからこれまた化学合成されたワインを味わいつつその様子を満足げに眺めていた。
「ほら、ウィル。なごみきっている場合じゃないわよ。よっぱらっちゃう前にこの後のことを話し合って決めておきましょ」
「うん、そうだった」
 しぶしぶワインを置き、テーブルが音もなく吸引する気流がそれをゆらゆらとゆらしているのを見つめながらウィリアムは応じた。
「いまランデブーを見送るとしたら、つぎの会合周期までの二年間この星でがんばることになるわ――もっとも燃料を底まではたいて1G加速で飛べばいつでも帰れるわけだけど」
「何が起こるかわからない以上、その可能性も考慮しておくべきだろうな。燃料は足りるの?」
「いろいろあってけっこう使っちゃったから……ぎりぎりってとこね。バーニアの推進剤も残り少ないし――まあそっちは生活用の水をまわせばなんとかなるでしょう」
「ということは、もしとどまると決めたらきみの蜘蛛たちに命令して食料や予備のヘリウム3をキャリアで打ち出してもらわなきゃならないね。いまのラブソングの位置からなら最少燃料でホーマン軌道を使えるだろう」
「それじゃ、いまここで決めちゃいましょうか。調査完了か――それとも続行かを?」
「どうする?」
「……あなたから先に言ってみて」
「ううん。まずきみの意見を聞きたいな……」
「ふうん、なんか煮え切らないわねえ――じゃあいちにのさんで同時に言ってみましょうか」
 しばし沈黙したのちふたりはタイミングをあわせて異口同音に言った。
「このまま調査を終えるなんでとうてい考えられない!」
 うむを言わせぬ意志の一致ぶりにむしろとまどった有様でウィリアムとカシルはたがいの顔をしげしげ眺めた。つまり――あまりに長い時間彼らは暗黒の宇宙をさすらって居住可能惑星を捜し求めてきたのだ。その暮らしぶりがふたりいまではほとんど骨の髄まで染みついたライスフタイルになってしまっていた。そんなわけでいざ目的の星にたどり着いてみれば、いまさらながら慣れ親しんだ生活を百八十度転換することにふたり妙なためらいに似たものを感じるのだった。
「やっぱりそうか。でも、わたしたちはともかく……子供たちにとって二年というのは長い時間だわ」
「確かにね。そのあいだあの『菜園』に帰ることはできないわけだし――」
「うん。それにそれ以前にまだまだこの先どんな危険が待ち受けているかもわからない……」
「そのあたりだなあ。今回の調査はこの星の表面近くのほんの一隅をひっかいただけ。それでもぼくらの予想はことごとく覆ってばかりだった。じっさいこの世界ではなにが起こるかまるで見当もつかない。最悪の事態だっていくらもありえるよ。いままでの科学調査でもクレイドルへの報告の義務はじゅうぶん果たしてはいるし――これ以上の冒険はどちらかと言えばぼくらの身勝手ということなんじゃないかなあ……」
「――ぼくたちなら平気だよ」
 不意の言葉にふたりは思わずふりむいて子供たちの並んだ顔を見つめ、ついで互いのびっくり顔を横目でうかがいあった。
「平気って、おまえたち。実際かなりひどい目にあっているじゃないか? 乱流のなかで揺さぶられたり、ゴキブリにたかられたり、火傷しそうになったり……」
「火傷?」訊ねるカシルに後で教えるからと目配せしつつウィルは続けた。
「あげくのはて怪物たちに襲われ、嵐に吹き飛ばされ――やれやれ、思えばずいぶん大変な思いをしているはずだぞ」
「それはそうだけど――でも探検面白いよ」
「うん、面白い!」
「本当に?」
「ほんとうに!」
 予想しなかった子供たちのき然とした意見表明に、ため息をつき苦笑をうかべたのち娘の頭にウィリアムは手をのばした。
「ミーちゃんはこれから何年もの間大好きなお庭に戻れなくてもいいのかい?」
 ミヒョンは問いかけるようにおにいちゃんを見、それに応えるかのようにきっぱりとユルグは言った。
「だいじょうぶ。いまお家に庭はないけどここには青空と雲があるもん。いままで見たことがなかったけど気にいったよ。空を見ながら風に吹かれるのって気持ちいい。それにお花畑も泉も……またお父さんたちが新しく造ってくれればいいんだよ」
「――なるほど」
 無重力でもちあがったミヒョンの髪の毛をねかしつけようと虚しい努力をつづけていた手でぽんとテーブルを叩き、その衝撃で揺れるワインボールを見つめながらつぶやくように彼は言った。
「そう、そうだ。ユルグの言うとおりかもしれない」
「あなた――子供たちに安請け合いしちゃあ……」
「うん――でもまあ、考えてごらん。この世界は予想をうらぎることばかり……ってことは何も危険ばかりあるわけじゃないんじゃないか? 逆に思いもかけない素敵な場所を見つけることだってまたあるはずなんだ。いま子供たちに言われてみてそれに気づいたよ。それをこれからじっくり時間をかけて捜せばいいってことさ――」
 子供たちに、そして半分カシルに語り聞かせるようにウィリアムは続けた。
「必ずあるはずだよ。セイジ一家のための新しいマイホームを建てる理想的な土地がね。そこは色とりどりの花たちの絨毯で包まれた緑の小惑星かもしれない。心に想い描いてごらん。お家のかたわらには小鳥たちのための美味しい果実をつけた小さな木と魚たちが泳ぐお池があるんだ。青い空には白い雲とぼくたちの小惑星の月になったサガが浮かんでいる――真っ暗な闇こそないけれどそこには短い昼と夜があるだろう。地平線に沈む日の出も日の入りも見ることができるんだ。家の外に持ち出した椅子に座ってね――ちょっと後ろに椅子をひけばおまえたち何度でも好きなだけ夕日を眺めることができる……」

*

「わたしたちの小惑星には小さなバラの苗木をたくさん植えたいな。ほかにもいろんな地球産の草花や樹木――でもバオバブの木だけはやめておくべきでしょうね……?」
 子供たちを寝かしつけ就寝用ネットに並んで浮かびながらカシルは夫にささやいた。
「そうだな。きっとそんな夢のような場所が見つかるよ――いや実際、この世界にはあの嵐を作り出したペレット以外にも縮退物質がまだまだあるはずだ。それを芯に抱き込んだ植生で覆われた岩塊だってじゅうぶんありえるんだからね」
 観測窓の外をゆっくり流れるジオデシックの白亜の骨格がふたたび太陽にまばゆく照らされはじめた。就寝にそなえシャッターを下ろそうとする夫の手をとめてカシルはつづけた。
「まさに夢の星……ここは機械たちによってわたしたちのためにおあつらえむきに創造された世界ってこと。そして故郷を失って以来ずっと探し求めていた人類のための新しい故郷だわ。いまこそこの星に名前をつけるべきときね……」
「ほう、とうとうその気になったようだね。待ちかねておりました」
 しばし沈黙したあとカシルは一見関係のない話からはじめた。
「若いころとても親しかった友達がいたのよ。授業帰りによく一緒にサイバーカフェでおしゃべりしたりして……」
「――まさか、男友達?」
「いまさら気になるわけ?」カシルはにやりと笑ってつづけた。「ご心配なく。名前はマイア――女の子よ。ダンスの才能があって……やっぱりシーカーになっていまは家族といっしょに銀河のどこかを飛んでるでしょうけど――。その彼女、地球時代の神話やファンタジーに凝っていてね。なかでも特にお気に入りの物語があったの」
「何ていうタイトルだい?」
「魔法使いが主人公のお話なんだけど。あなたタイトル聞けばわかるの?」
「いや――さっぱり。生憎その手の趣味とは縁のない人生を生きてきたのでね」
「だと思った。とにかくその物語の舞台になる世界には海があるの。無数の大小さまざまな島を浮かべた美しい海がね」
「ふむ」
「だからその名前をいただくわ。この星が人間にとってそんな素晴らしい世界になるように――」
 ひとつ息をすいこむと彼女は宣言した。
「わたしカシル・セイジはなんじを惑星『多島海(アーキペラゴ)』と命名する!」
「なるほど。そいつは的を射た命名だな。いかにも学術用語っぽいし」
「おおげさね。単に星の名前よ」
「いや、そうでもないさ」
 ウィリアムは言った。
「きみは宇宙にジオデシック天体がこの星ひとつだけだと思うかい?」
「うん……?」
「もしこいつを造ったのが想像どおり長老機械たちなら――まず間違いなく他の星系でも同種のものが見つかるに違いないよ。地球型生命に最適な環境を創造することが彼らの目的なんだからね。つまり銀河にはおそらく無数の『アーキペラゴ型惑星』が存在するだろうってこと……」
「ふーん。そうかあ」はるか遠くを眺める眼差しでカシルは応えた。
 それから妻と夫はたがいに寄り添い、まるで闇に慣れた瞳孔が真夏の海の陽光に反応するかのように、彼らの前の観測窓をシャッターがゆっくり覆っていくのを見守った。

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