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 しかしそんな詳細な観察はあとから思いかえしたもの。そのときのウィリアムは野獣の危険からわが子を守ろうと種族維持の本能が個体保存を圧倒したホモ・サピエンス以外のなにものでもなかった。彼は威嚇の叫びをあげながらわが身の危険もかえりみず『プラットホーム』のうえで小さく身をかがめているユルグのもとへと突進した。
 その窮鼠猫を噛むような勢いにさすがに『カナード鮫』も不意をうたれたのだろう。優雅に身をひるがえすと十数メートルほど離れた位置まですばやく後退して浮かびながらこちらを警戒するように睨んだ。その視線に歯をむきだして応えつつもウィリアムのなかの冷静な部分は、この生き物は空気呼吸する鮫の仲間ではない――間違いなくシャチやイルカに似た温血の生物だ、と分析していた。鮫とは違って両眼視に適応して前方に寄った巨大な目がいかにも哺乳動物らしい瞼をもつそれだったからだ。――ということは知能もそれなりにかなり高度なものであるはずだ。
「ユルグ、もうだいじょうぶだ。お父さんにつかまって――そう、命綱のフックを外すからじっとしていろ」
 もしこいつが虎やシャチ同様高い知能を持つ動物だったら初めて出会う見慣れぬ相手をむやみに襲うことはないはずだ。とりあえず好奇心をもって接近観察することはあってもいきなり攻撃をしてはこないだろう。だが怯えて逃げようとすると逆にかえって危険かもしれない――彼は自分自身に言い聞かせた。
「聞きなさい。大丈夫、ゆっくりと動くんだ。ぜったいあわてちゃいけない」聞くかぎりではいかにも自信に満ちた口調で言い聞かせるとウィリアムは内心は心臓が破裂しそうに感じながらもユルグを抱きしめてじりじりと後ずさりをはじめた。

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