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『黄昏銀河のプログレカフェ』異聞

第三話 ブレイブ、或いはエスケイプの物語
◆マリリオン 1994(前編)

KONDOK

 碑伊太は声のした暗闇の方角に目を凝らした。ぼんやりとしたランプ様の薄明かりの中、そこにはドライフラワーや古書と一体の人形以外は何もなかった。
 碑伊太が「ノーマッド」に顔を落とすと再び囁くように
―・・・・・・それでいいの、なれるのよ。
 とつぶやく声が暗闇の奥から聞こえてきた。
 次の曲はすでに始まっており、明け方か夜更けか、港に停泊する船の汽笛のような音が静かな室内に低音で鳴りわたっている。その間を縫ってかすかに雨の音。
 碑伊太はもう一度目を凝らす。しばらくすると薄明かりになれ、ボックスのシートが浮き上がってきた。すると、今まで人形だと思っていたものが身じろぎし、カップを一口すすって碑伊太の方をぼんやりと眺めた。
 碑伊太はやはり人形だと思った。否、人形のように整った顔の少女だった。白い小作りの顔に細いがくっきりとした眉、小さなピンクの唇に鼻筋が細くとおり、何よりも濃い茶色の瞳が潤んで、やや大きめの眼を引き立てていた。
 全体が小作りなので、暗闇では人形と思ってしまったのだと、無理やり納得させた。
―さっき何か言った?
 碑伊太は、「ノーマッド」で大胆になったことをうんざりと意識しながら少女の席に近づいていった。碑伊太が振り向くと、クラウマンスは、祝福するようにグラスと金のカフスを挙げていた。
碑伊太が近づくにつれ、人形のような少女の肌に生気が蘇り、濡れたガラス玉の様な目にも、ころころと心の動きが宿り始めているかの様に、カフェのライトが揺れ始めた。
―あなた、碑伊太さん? 風那(フウナ)は何も言って無くてよ。 だって、さっきまで眠っていたんですもの。だれかが近づいてくる気がして目が覚めたわ。その時、あなたがこっちを振り向いたの。
 『どうして僕の名前を?』とはもう聞かなかった。碑伊太には、このカフェじゅうに知れ渡る何かがあるのだと感じはじめていた。

 風那が語り始めたのは、最後まである世界へ出口を求めた少女の物語だった。

◇         ◇          ◇

 ―1―

―今外は嵐。そう、すっごい嵐なの。誰か死なないかしら。ええ、死ねばいいんだわ。私以外の、だれかだったらかまわないわ。明日のニュース、すっごく面白いでしょうね。空中都市かなんか、崩れ落ちたりして。 肉の破片と、血まみれの眼球がコロン。それが、血の海でプカプカ浮かんでくるの。そう、こっちへよ。みんな逃げ出すわ。でも、私は動かない。ゆっくりと服を脱ぎ、素裸で血のぬくもりを待つわ。だった、私は生贄なんですもの。この世に未練たっぷりの魂がプカプカと生肉を喰いに来るわ。痛いでしょうね、肉を噛み千切られるなんて。私、けだものようにわめき叫ぶかもね。でも、しょうがないわ。もうそうなったら、逃げられないんですもの。だから、私は動かないわ。だって・・、生贄・・・なんです・・・・も・・・・の・・・・ううう。
 少女は、じょじょに首を強く絞められて薄れていく意識の中で、大好きな先生の泣き出すような笑顔を認め、暗記した詩の台本を床に落とした。

 しばらくして、少女はホテルのしみをおびた天井を眺めていることに気がついて、この世に戻ってきたことを意識した。少女の隣には、ベットに腰をかけた先生。先生は、顔を両手で覆い声を出さずに泣いていた。
―先生。
―ああ、月乃。もう良いよ。服を着てお行き。宿題を良くやったね。良い朗読だった。
 先生は、月乃が思ったよりしっかりと返事をし、いつものようにさよならを言った。
―でも、先生私は・・・・
―今夜は満月だから、夜道は明るいけど、人には気をつけるんだよ。
 少し苛ついた先生の声に、月乃は急いで服を着け『さよなら』を言って部屋を出る。10歩もいかないほどだった。ホテルの廊下を半ばまで行ったところで、不吉な風穴の開く音がした。
―先生がいつも持っていた銃の音だ
 月乃はあわてて戻ると、先生の部屋は硬く閉まっていた。その奥で、深々と空気が凍り付いて逝くようだった。月乃はドアをたたいて、泣き叫び、開かれるはずのない『夏への扉』*を捜し求めた。いやだった。なぜか、無性に腹が立って、何時までも先に進めない自分を意識して息が詰まりそうだった。
―さ、お娘ちゃん、そこをどいてごらん。
 やさしいが有無を言わせない力で、肩を抱かれてそっと退かされた月乃は、たちまち放心した姿で、廊下の壁にもたれ掛かった。
 力ずくで開け放たれたドアから、真っ赤なカーペットが覗いている。
 ホテルの管理人、多くの警官、医者や記者とカメラマン、そして客を装った野次馬達。
 如何にも善良そうで、当惑気味のやさしさを装った、津々の興味を押し隠す仮面たち。まるで、『私だけはあなたの味方だ』と重大な秘密を打ち明ける悪魔のように囁きかけ、入り込んでくる異人たち。
 月乃は、警官や医者からたくさん質問を受けた。先生と詩のこと。学校と友達のこと。ホテルと遊びのこと。銃と薬のこと。でもだれも聞こうとしなかった。『どうして君は生きているの』とは。

 月乃のIDを確認した警部は、ひとしきり質問をしてしまうと、どこかに連絡していたが、月乃に家まで送らせると言い、若い警官を連れてきた。
―お父上は、槻潟(ツキガタ)さんですな。存じていますよ。日本領事館の方ですな。お城でのパーティでお見かけしました。私はそのときの、警護主任だったもので。
 お話ではエジンバラ大学でバイオビーストの考古学について研究されているとか・・・・、おお、そんなことはお嬢さんの方が良くご存知ですね。
―いいえ、ちっとも知らないんです。
 とは言い出せなかったので、月乃はただ俯いてそっと手のハンカチを握り締めた。
 その仕草に辛い時間を意識したのか、警部は急いで若い警官を紹介した。
―彼はジェス。なったばかりだが優秀な警官でね。あなたをお家まで送らせます。お父様には事情を説明していますので、お宅のホログラムでお待ちです。今、ムーンブランチにご出張とか。ここであなたのご無事をお見せしても良いのですが、お父様は我がヤード、つまり警察ですが、を信用されて、お宅でお待ちなるとのことでした。
 家庭教師の先生については、その、お気の毒でした。お父様も哀悼の意を表されておりました。ご葬儀の日にはお戻りになるとのことです。
―お父様のことは何時も他人から聞かされる。
 そう思いながら、月乃は警部に相槌をうつ自分を眺めていた。 

 月乃はジェスに促され、コートを羽織るとかばんを手にしてホテルの事務室を出た。そこから玄関までおよそ10メートル。記者や野次馬がいなくなっているのを祈りながら脇の通用口からそっと外を伺う。
 辺りは深夜の静けさが支配していた。
―クラフトをまわしてくるからチョットここで待っていて。
 ジェスは玄関の明かりに横顔を照らしながら、目元に安心させるような笑みを浮かべて左側の駐車場に向かっていった。
―皆同じ顔をするのね。お父様も、先生も、あの警官たちも。でも、今の彼少し・・・・・・
 そう思いながら、月乃はジェスに少し興味を持ち始めていた。
 自分と余り年が離れいるようには思われず童顔なのに、落ち着いた物腰で動作はキビキビしている。それでいて少し眠そうな横顔。女性にすれば先生と同じような眼差しを持っている。
―きみも、微かに外れているのね。
 月乃は、はじめから学校に馴染めなかった。このエジンバラでは日本人の子女も多く、同い年の少女も40人近くいたが、日頃話を交わすのは数人だった。特に寂しいとは思わなかったが、大勢が集まって楽しげに話しているのをみて不思議だった。不安は無いの?君たち。時は余りにも早いのに・・・・・・とは言っても、月乃にもどうしたいのか良く分からない焦燥感だった。
 チョットしたイライラから少女達と喧嘩した。おとなしくて優秀な生徒とみなされていた月乃は、以来彼らが遠巻きにするのを感じていた。かえって清々したけれど、今度は学校そのものに嫌悪感が芽生えてきた。
 学校って何なの?大脳の訓練所?それも、ある一つの方向に向かわせる意志のある。月乃にとってそれは悪意としか思われなかった。
 父は月乃の状態を直ぐに理解し、家庭教師を雇った。天女(アマメ)という美しい女性だった。14歳の月乃は初めて恋をした。天女先生は決して物事の中心を示さなかったし、事柄を分類し分析して、確固たる未来も示さなかった。ただ、あるがままを抱擁し、意識の思うままに表現することを教えてくれた。それは、月乃にとって新鮮でとても居心地のいい場所だった。恋の相手が女性でも関係なかった。この不安が、少しでも安らぐならば身も心も捧げて惜しくは無かった。
 その天女先生がおかしくなり始めたのは去年の秋ぐらいからだった。

―おい君、いつまで待たせるんだ。クラフトはとっくに来ているよ。
 ジェスの声に、エジンバラの夜に引き戻された自分がいた。

―えっ、ああ。
 月乃はクラフトに回り込むと助手席に手をかざした。スーと上に開く扉の向こう側に人形のような小さな顔が一瞬浮かんで消えた。
―あれ?
 月乃が後ろを振り向くと、満月に照らされて小さな黒猫が鳴いていた。月乃の身体は自然に回転しクラフトから離れていく。
―おい!
 ジェスが慌てて伸ばす手の先を風がかすめ、月乃の身体は黒猫を追って消えていた。 
 ジェスはドライバーシートから飛び出すと月乃の消えた方角に走り出した。石畳の先は石の積み上げられた腰までの壁が左右暗闇の果て迄続いており、壁の向こう側は黒ずんだ屋敷と木々が折り重なるようにたたずみ、僅かに月明かりでその境が見え隠れしている。かすかに、水の流れる音が聞こえ下に水脈があるのが伺えた。

 ジェスが身を乗り出して下を伺うと、風に乗って猫の小さな鳴声と水面をかける足音が遠ざかっていく。

 ジェスはクラフトのシートに戻り、ライダーをクラフトから切り離して石の壁をジャンプすると一気に水面の上を滑空し月乃を追いかけ始めた。
―ジェスから、ヤードへ。少女に逃げられました。石畳の下の水道を追跡中です。
―OK。少女のIDを追尾する。
 ジェスのライダーはヤードの指令に従ってエジンバラの下水道を上下左右に疾走する。
―おい、信じられないスピードだぞ。おまえのライダーがどんどん引き離されていく!
―どういうことだ! 少女がサラブレッドとでも言うのか? 
―いい表現だ。ただし、ロケット付きのな。

 やがてジェスのライダーゴーグルにある画面から少女の存在を示す輝点が消えた。
―ゲームオーバーだな。よし戻って来い。後はアンダーテイカー達に任せよう。
 アンダーテイカーとは、エジンバラの地下世界に精通した特殊警察隊で、今まで多くの家出人やテロリスト、あるいは自称探検家達を探し出しては連れ戻し、時には人知れず消滅させていた。

 ジェスはライダーを止め、ゴーグルを外して正面の暗闇に吸い込まれている地下水道を凝視した。
 この先にあの子が消えたのは間違いないが、一体何でこうなったのかまったく訳が分からなかった。特に、自分が嫌がられているとも思えなかったし、そもそも家に帰りたがっていたのではなかったのか?
―猫?
 確かに彼女は『猫。』と言い走り出した。水道を見下ろしたときもかすかに猫の鳴声が聞こえた気がしたが・・・・・・、それにアンダーテイカー達にまかせるのも不満だった。やつらは完璧な仕事をするが、しばしば連れ戻された人々は心身ともに五体満足とは言えなかった。つまりやつらの仕事はデリケートではないのだ。まして、あの子は今にも崩れそうだったじゃないか。

 ジェスはプライベートラインを使って警部に連絡した。
―おやじ。今日はもう非番だよね。
―いや、ヤードに帰って報告書をタイプするまでは勤務時間だ。
―それじゃ、このライダーの発信機がチョット通信妨害にあったことにしてくれないか。
―うーむ。
 おいおい、ジェスはあの少女にいかれちまったのかも知れなかった。でも、ジェスに追跡を続行させれば、より詳しく行き先を確定出来るかも知れないではないか。警部は椅子に座りなおしてそう考えると、口に出さずに返信した。
―良いだろう。夜明けまで妨害されたことにしてやろう。ただし、このプライベートラインはずっと開きっぱなしにしておくんだぞ。
―了解。

 ジェスは再びゴーグルを付け、ライダーの推進を反重力モードに切り替えて、地下水道の世界を静かに走り出した。
後は、勘が勝負だった。

 ―2―

 月乃は何時の間にか気を失っていたが、何かに顔を舐められて目を覚ました。
外の月夜とは異なる生暖かい暗闇が辺りを支配し、かすかに昔教わった「こう」のような香りが漂っている。
 月乃の真正面に緑の瞳を供えた大きな黒い影がうずくまって今度は自分の身体を舐め始めた。前にいるのは、巨大なネコ、あるいは動物園で見た黒豹みたいだった。暗闇に目が慣れてくると辺りを見回した。
―気が付いたかい?  
 月乃は再び辺りを見回したが人の気配は無い。声がした方を見るとやはり大きな黒猫が右手を舐めていた。怖さより不思議さが先に立って独り言のように声が出た。
―この香りはあなたなの?
 黒猫は舐めるのを止めると、緑に輝く瞳で月乃を眺めミャウと一声鳴いた。
―あなたの香りはどうなの?
 何時の間にか、黒猫の後ろに更に黒い人影が立ち上がり、月乃を見下ろしていた。月乃は黒猫に話すより緊張し、近くの鞄を引き寄せた。
―ああ、あなたはここに来るような子じゃないね。迷ったのかしら?でも、このランドベルグ、ああ、この子猫よ、・・・が見えたんだから、地底探知の心得はあるのよね。
 人影は月乃に近づきさっとマントを払ってライトを翳した。抜けるように白い肌にあわい金髪が額にかかり、深い憂愁を湛えた眉と眼差しは盲目でありながら、しかしその整った素顔を損なってはいなかった。
―何かを忘れてきたような顔ね。 やり残した宿題でもあるの?
 あ、宿題! でももう誰に見てもらうのだろう。月乃は今まで暗記させられた詩篇のいくつかを呟いていた。
―へんな子ね。大概ここに逃げてくる子は何かから逃げ出そうとしているのに、あなたは何かを探しているみたいね。
 人影は黒猫の頭をなでながらしばらく考え込んでいたが、決心したように月乃の手を取って立ち上がるとついて来るようにと促した。
月乃は魅せられたように立ち上げると、すばやく脇を抜けて走り去った黒猫のあとに歩を進めた。闇は更に深くなりマントの女性のライトが無ければつまずいてたちまち迷子になる自分が容易に想像できた。
―わたしは、ソマラ。あなたは?
―・・・・・月乃。
―良かった、少しは話す気があるのね。
 それから2人はお互いのことを聞きながら迷路のような地下水道を奥へ奥へと進んで行った。
 そこは、月乃にはとても落ち着く世界だった。
 あちこちに道があり、それぞれが異なる世界への入り口だった。その中に先生への扉はあるのだろうか?どうしたら、それを見つけ出せるのだろう。
 ソマラと月乃はとうとうランドベルグが門番のように待っている大きな扉の前にやってきた。
―ここを潜るとあなたは、もとの月乃ではなくなるけど良いわね。ランドベルグが見える者は皆、覚悟が出来ていると思うけど、一度確かめるのが決まりなの。
 ソマラは大きなマントの奥から、盲目の眼差しでじっと月乃を見つめた。
 月乃は思い出そうとしてもあまり脈絡も魅力もない過去の記憶の断片を繋ぎながら、スカートのすそをはたいて直すと、今まで手放さなかった鞄を床において扉に手を当てた。
 ランドベルグが立ち上がり一声鳴くと、扉は後ろに後退し、落ち着いた月光のような光の当たるホールが現れた。
 月乃は眼を細めてホールを見渡した。今までの地下道は暗すぎて、ここでも昼間の世界のようだった。眼が慣れてくると、宮殿のような立柱の間に数段の階段があり、そのいくつかは更に上や下へと繋がっているのが判った。
 しかし月乃が眼を止めたのはその深遠さではなかった。階段を埋め尽くす異形の者達。ランドベルグよりも大きなネコがいるかと思えばその顔はふくよかな少女だった。ゴムまりのように階段を飛び跳ねながら笑う男の子の首が3つほど月乃の左を転がって行った。木立を横切る風のような浮遊体が柱の奥を掠めていく。
 月乃は影の一つに先生のような姿を認めて駆け出した。慌ててホールの中央に飛び出し、何かにつまずいて手を床についた。
―いった〜い!
 振り向くと白い人形のようなドレスを纏った少女がひざを抱いて蹲っていた。
―ごめんなさい。先生が・・・・・・
 だが、月乃の前からは白い木立の影は消えていた。あっ、と思いながら、あきらめて月乃は少女方を振り向いた。
 少女は人形のように整った奇麗な顔、月乃がよく知っている顔を上に上げ、驚いたように口をあけた。
 ことばは、月乃のほうが先だった。
―あなたはだれ?
―ふ、風那。あなたも、風那?
 青白い光の下で、双子のような2人の少女は時を忘れて見詰め合っていた。

 月乃はふと周りを見渡した。ソマラとランドベルグは柱の影になったのか、視界からは消えていた。気がつくと風那がすそをひっぱっている。月乃は風那に誘われて階段を下った。
―月乃よ。私の名前。
―月乃?じゃあ、わたしも月乃。
―さっき風那って言ったわ。確か。
―私、分からない。でも、月乃のほうが良いような気がする。
―そんなことないわ。風那の方が綺麗だわ。じゃあ取替えっ子しましょう。あなたが月乃で私が風那。
 風那はうれしそうに頷くと階段の端に座った。月乃も回り込んで座り込むと改めて少女を眺めた。今見ると体格も小さく、顔立ちも自分より人形っぽかった。
 しかし風那はもう月乃を忘れたかのように、傍にフワフワよって来た金魚とじゃれあい始めた。
―何時からここに居るの?
―えっ、良くわかんない。ずっと前からよ。
 風那は、指を金魚に銜えさせながら、キャ、キャと笑った。
 月乃は風那とのかみ合わない会話にますます安らぎを覚え

 どこか遠くで落雷のような響きが、ホールを揺るがした。
 ホールの異形たちは、一斉に不安そうな眼差しを音にしたほうに向け、じっと凍りついた。金魚は風那の胸元に潜り込んだ。
―さ、こっちよ。
 何時の間にか現れたソマラとランドベルグは、2人を右横の扉に誘った。
―ここは大丈夫だと思うけれど念のためにお婆さまの所に行きましょう。
 風那がおとなしく従うので、月乃もあわてて従った。
―お婆さまって?
 従いながら、月乃は風那に思わずたずねた。
―月乃はいろいろ尋ねるようになったのね。
 ソマラは灰色の眼差しを月乃に向けると微笑んだ。
―今に分かるわ。さ、皆乗って。
 見上げると巨大なアンモナイト船が漂っていた。その長い腕がするするとソマラの前に降りてくる。3人と1匹はその腕に絡みとられるとそっとたこの頭のような甲板に降ろされた。
 見る間に、船の周りから霧のような気泡が湧き出し、船のまわりの空気を濃密なコロイドで満たすと、船はゆるゆると動き出した。

 月乃には、上なのか下なのか、あるいはどっちに向かっているのか殆ど分からなかったが、アンモナイト船が滑らかに暗闇の中を進んでることは分かった。
 幾つか、先ほどのホールで見た風船ボールや七色に輝くフウチョウなどが月乃達の周りを舞いながらかざしたに回り込んで行く。
 やがて、前方に小さな明かりが見え、見る間に大きくなって、アンモナイト船は大きな赤い顔の口に吸い込まれた。
 アンモナイト船の周りに再び気泡が溢れ、輝き破れながら治まった。

 月乃が前方の柔らかな明かりを見下ろすと、人間達がいた。月乃はなぜか後退りしたい気持ちにかられ船から下りるのをためらっていたが、今度は、微笑む風那に手をとられ、人間達に向かっていった。

 ―3―

 ジェスは焦っていた。
 単独捜査を開始してもうだいぶ時が経っている。
 後1時間もするとアンダーテイカー達が作業を開始するだろう。
 かすかな月乃の痕跡をライダーにインプットして、大まかな地底マップを頼りに、あとは勘に任せてここまで来たが、そろそろ手持ちは尽きようとしていた。
 月乃が行ったと思われる地下水道は隈なく見回したはずだったがどこか見逃したところがあったのだろうか?もう一度、今までのいきさつや捜査の手順をぼんやりと反芻してみた。
 何時の間にか、張子の内側からくぐもったように光ってるテント群の集落に近づいていた。
 ジェスは地下の住人達が集まって「夜のバザール」を行っているこのような闇市場の存在をうわさで聞いていた。月乃がここに居るかどうかは分からなかった。しかし、もう探すところはそう多くはなかったし、迷子の場合、ここにつれてこられる可能性も高かった。とりあえずバザールで情報を集めることにした。そのためには、ライダーから降り、しばらく身分を隠して進まねばならなかったが・・・・・・

 ジェスはライダーを暗闇の地下水道の一つに止めると、衣服を着替えマントを羽織ってバザールの明かりに向かっていった。その時、チョットためらったが、警部とのプライベートラインはスイッチをオフにした。どうせ、ベットの上で高いびきだろう。

 テントの明かり照らされ様々な陳列品が所狭しと並べられていた。英国に伝わる銀食器や、祖先の由緒が込められたアンティーク。古書に時を止めた時計達。何処から来たのか分からないような出土品の類に、まだ真新しい飾り物。
 ジェスは、地上人も地底人も入り混じった喧騒の中、店員に家出人の集まりそうなところを尋ねながら、辺りを見回した上で見当を付けると、決心したようにバザールのはずれにある赤いテントを目指した。赤いテントに近づくにしたがって、店だしのテントや人影も疎らになり、辺りは特殊な香のかおりが漂う一角となっていく。
 ジェスはますます、核心を深くした。
 いきなりジェスは腕をとられ薄暗いテントの間に引きずりこまれた。10代の少女の媚を売る笑顔。ペイントなのかバイオアップによる装飾なのか、素肌には炎に焼かれる魔女の暗い顔と姿が浮き上がるように刻まれ、少女の裸体に明かりが当たるたびに照り返し、沈黙の叫びがうごめきだすかのようだった。
 ジェスはやんわりと少女を引き離すと、目的のあることを指で示して分かれた。少女は直ぐに無表情になり次の客を探してテントの闇に後退する。
 ジェスが赤テントにたどり着くまでに、10数人の少女と男娼、バイオアンドロイドの奇形達などがジェスの声をかけ、影に引きずり込もうとしたが、ジェスはそれを無表情に制して進んだ。一瞬、より強い香のかおりを感じ仰ぎ見ると、黒猫の大きな瞳がテントの上から見下ろしていたがそれも直ぐに消えた。

 赤いテントの前に立つと入り口がスルスルと左右に開き、黒い肌の屈強な青年が2人出てきてジェスを挟むようにして立つと中に誘った。
―済みませんが、お体を検査させていただきます。
 テントの入り口が閉まると、右手の青年が慇懃に、しかし有無を言わせずジェスのマントを脱がせ、探知機を全身に這わせた。
―地上のお方ですね。ここへは、どういうご用件で。
 左手の青年が、右目のレンズを調節しながらたずねる。
 ジェスは必死に、客を装いながら、そわそわした様子で答えた。
―に、日本人の少女を。
―香を付けますか? それと、レベルはどれになさいますか?
―ああ、とにかく初めてなんだ。それに、これは完全に秘密なんだろうね?
 ジェスは思いつくまま、自然な振りを押し通そうとした。
―勿論でございます。お客様の身分は保証されました。ご同業の方も大変多く・・・・・
 右手の青年はそれを遮り、相棒に一瞥すると「こちらに」とジェスを案内した。
 再び地下水道のような狭く、しかし明るい通路が続き、ドアが開くと小サロンのような瀟洒な広間があらわれた。

―マダム。お客様をお連れ致しました。
 2人の青年が音もなく後ろに下がると、見事なベイズリー模様のマントを羽織った中央の女性は、盲目の眼差しでジェスの方へ振り返った。
―あら、まだお若いのに、どうしてこちらに? 連合貴族院の方でもないですよね。たしか、警官だと報告を受けていますが。

 ジェスは直ぐに身分が割れたこともあり、また、相手が盲目であることでかえって客を装うことをあきらめた。
―あの、マダム、済みません。客ではないのです。実は、日本人の少女を探しています。
 マダムと呼ばれた女性は、眉間にしわをよせ怪訝な面持ちで中央からジェスに近づいてきた。
―それでどうしてここに? だれかから、ここにその少女がきたとでも?
―いえ、ただ・・・・・。
 ジェスは「私の勘です。」とは言い出せず、まごついて左右を見回した。
 驚いたことに、サロンの壁中びっしりと人形が敷き詰められていた。人間やバイオビースト、様々な奇形の生き物が無表情ではあるが生き生きと存在している。
―これは、サンプルの一例です。マニアックなご趣味の方はとても多いのです。
 何時の間にか、ジェスの傍らに立ったマダムは、一緒に見回しながら説明した。
―あなたが正直なのでつい口が滑ってしまいました。警官ですのにね。でも、ここの捜査ではなさそうですね。まるで、家族か恋人を単身で探しているような。
 さすがに核心をはぐらかす話し方で、尻尾を見つけることは出来ない。ジェスはもっと赤裸々に話すことに決めた。
―昨夜、この地下世界に姿を隠した日本人の少女を探しています。まるで人形のような少女です。家出人や行方不明の人間が、この地下で人身売買されているとの情報もあり、このような闇市場がほっておくはずかないと思うのですが。
 マダムは盲目の瞳を宙に漂わせ、YesともNoとも答えず、なぞめいた表情を壁の一部に向けた。
―人形のような少女が、少女のような人形の世界に迷い込んだら、普通の目ではもう見つけ出せないかもしれませんね。いえ、その子、ああ月乃さんは何かから逃げたかったのですか?
―それは分かりません。逃げたとも思われないのです。何かを探しに行ったような。
 マダムは得心したような笑顔をジェスに向けると、マントのすそをチョット持ち上げて、壁のサンプルの一つに近づいた。そこでは、少女の人形が、何かを期待するような瞳で上目遣いに天井を見上げていた。
―男の人は、こんな瞳に恋をするのですね。いつも、自分は眼中になく、自分から逃げていくのに。
 ジェスは少々いらだっていた。時間が余りにもなかった。
―良いでしょう、マダム。時間の無駄だったようです。次に来るときも警官でないよう祈っておきます。
 ジェスはマダムに背を向けて、入り口に戻ろうとしたとき鈍い衝撃音が聞こえ、サロンは揺さぶられた。
 シャンデリアが点滅し、掻き消えるまでの数秒間で、マダムが人形の一つに重なったように見え、辺りは暗闇に閉ざされた。

 ―4―

 闇市場周辺の半径数キロにわたり、同心円状にアンダーテーカーの捜査が始まっていた。今回の捜査は、重大な任務で、日本の高官の娘を無事保護しなければならなかった。無事にという点が気に喰わなかったが、とにかく、ある程度の座標が分かっているので、邪魔な住人達を無力化する手間は少なくて済む。
 アンダーテーカーの司令官ゴトーは、半分以上バイオメカニックに占領された顔面を痙攣したような笑いで包みながら、捜査の本当の意味を反芻していた。
 英国と友好な類縁国関係にある日本とはいえ、外国のそれもムーンブランチの領事館員の娘の生死など如何でもいいことだった。
 アンダーテーカーの真の目的は、いわば巣を蹴散らすこと。蟻の巣以上に張り巡らされた「新たな侵略者」達の集落を見つけ一つ一つ潰していくことだった。その過程で、たいていは売買目的に使われている家出人や迷子の地球人を少々助け出せば十分だった。それが、五体満足かどうかは斟酌しなかった。
 だから、彼らは恐れられたし、ある程度侵略の抑止にもなっていた。
 だが、そもそも「侵略者」とは一体何者なのだろうか? 類縁国首脳は決してその存在を認めなかったが、ゴトーは確かに彼らと戦い、彼らの血や肉の匂いを何度もかいだ。そして、「侵略者の巣窟を破壊せよ!」との命令は、いつもアンダーテーカーの頭脳中枢に電信されているではないか。

 今回の指示はヤードからの要請となっている。だいたい、いつもやつらは地上で解決できずに地下に助けを求めてくる。その割には、非難が多く、なんだかんだと言いがかりを付けてくるのは、ゴトーにとって犬の遠吠えに等しかった。
 まあいい、この地下世界を一蹴した日には、地上でも逆らう者は居なくなっているはずだ。地下を制圧するものは地上も制圧する。実は、数十年前からそうなっていることは政府軍事関係者での公然の秘密だった。
 それに今度は、宇宙のエースが関わっている。ひょっとすると、ここ一連の侵攻で一気に政治の表舞台に立てるかもしれないではないか。そうすれば、俺が、家出などとバカな考えをする暇を与えないほど青少年を鍛えなおしてやる。美しい国家は、地上を支える地下の歴史と柱があってこそ美しいのだ。

 ゴトーの100メートル前方を行く3台のモウルキャノンから鋭い閃光が走り、丈夫な石を積み上げて作られた水路の壁に大きな穴が開けられた。煙の立ち込める穴にサイボーグのスパイダーが突入し、小さな閃光が暗闇のあちこちで小競り合いがあることを示している。
 やがてゴトーの聴覚に直接いつもの快い響きが伝わってくる。
―GSM845不法居住区を制圧しました。生存者はゼロです。遺体の断片、およそ7500個を回収し分析にまわします。
 ゴトーが満足のうなり声を発すると同時に、前線司令官の次の目標が告げられる。
―方位221、深度マイナス2度、距離1500メートルに新たな蟻塚を発見。仮眠中の異形集団と思われる。攻撃の許可を。
 ゴトーはまたこの異形集団が大嫌いだった。地上の怠惰で節操のない文明が産み落とした理解不能の出来損ないとしか思われなかった。多くは、違法のバイオビーストをメカニカルなスチールセルと結合させたアンドロイドで、驚くべきことにそれらの80%以上が、地上人どもの性的快楽のために使われ捨てられたものだった。
 しかも、最近やつらは反撃さえしてくる。つまり、嫌いだが慎重に対処せねばならなかった。
―攻撃を許可する。ただし、3方向に展開し、左舷から第一波を与え、中央、右舷は援護せよ。
―了解!

 暗視ゴーグルとホログラムの輝点が3方向にわかれ、その一つが時速80キロのスピードで中央の漠然とした明かりに迫っていく。
 モウルキャノンの最初の一撃が強固な石壁に突き刺さった。しかしそれは動かなかった。キャノンが後退する間のなく、石壁のようだったスチールセルがキャノンの方に流れ出し、あっという間に全体を包むと再び石化し始めた。
―モウル7!脱出を!
 前線司令官の緊迫した声がアンダーテイカー中に響き渡る。
―モウルラット。こちらモウル7、脱出できません。周りを固められ少しずつ同化されていき・・・・爆破を・・・
 最後の悲鳴と同時に、2台のキャノンから一斉に獲物を呑み込んだスチールセルに向かって閃光が放たれたが、石化したスチールセルは閃光を跳ね返し、ゆっくりと床に沈みこんで消えた。

―くそ!
 今までにないタイプだった。やつらは、突然変異種でも殆ど生存可能である。刺激を与えると分化し、驚くべき多様性で迫ってくるときがある。しかも、今度はまるで待ち伏せしていたかの様だった。侵略者の見えざる手が動いているのだろうか? そんなことは、今まではなかったが、それとも・・・・・・
 ゴトーは背筋に冷たいものが走るのをこらえ、他の探索ルートを探すよう前線司令官に指示し、自らは、スチールセルがアンダーテイカーの精鋭15人をくわえ込んだまま忽然と消えた石畳の床に降り立った。

 ジェスは、暗闇の地下水道に隠したライダーのところに戻って警官の制服に着替え、赤いテントに再突入しようと、最適な出口を求めて地下水道を走り抜けている時だった。
 いきなり横からの爆風を受け、ライダーとともに横転し水道の溝に嵌って動けなくなった。
 アンダーテイカーのモウルキャノンが横壁に突っ込んでいた。
 ジェスは朦朧とした頭で、ゴーグル越しに閃光がひらめき、壁が溶けるようにモウルキャノンを包み始めたのを信じられない気持ちで眺めていた。
 ライダーごと挟まった溝の石まで流れ出したので、ジェスはすばやく離脱し、先にある退避坑に身を隠した。
 アンダーテーカー達がこんな戦いを強いられているのを、見るのも聞くのも初めてだった。これならば、まだ少し月乃を探す時間的余裕があるかもしれないではないか。
 ジェスは痛む肩口に麻酔薬を貼りながら、急いで全身のバイタルサインをスキャンした。OK、十分動ける身体だった。ただ、プライベートラインは壊れていた。ヤードは大騒ぎになって居るかもしれなかったが、いまから引き返すのは嫌だった。それに、このアンダーテイカーの戦いは、もう少し観察し報告する必要があるように感じられた。
 警部には気の毒だが、五体満足な月乃を発見できれば、1ヶ月ほどの重労働勤務など大したことではなかった。

 モウルキャノンが飲み込まれた辺りで人間の声がしたので、ジェスはそっと覗いてみた。
 何本も上からライトが当たり、埃が舞っているのでなかなか様子が伺えなかったが、じっと目を凝らしているとライトの中から戦闘服姿の大柄な人物が現れ、周りの人間にあれこれ指図し始めた。指図が一通り終わると、彼は床をあちこち踏むような動作を行い、何かの破片を拾い上げていた。
 白いユニホームの一隊が彼に近づくと、破片を受け取って、更に辺りを調べ始めた。
 最後に大柄な人物はもう一度辺りを眺め回したので、ジェスはしっかりとその半面が機械の装着物に覆われた緑色の顔面を見ることが出来た。その緑色の部分も、無数に浮き出た血管に覆われ、マダムのサロンで見たどの人形よりも怪異な面立ちだった。
 彼が、噂に聞くゴトー本人に間違いなかった。極めて人間離れした様相の通り冷酷ではあるが、頭脳は明晰で、アンダーテイカーの隊をここまで鍛え上げた鉄壁の人物であるとの評判もあった。
 ゴトーの目にすえられたら石化すると言われるほど、人の優柔さを剥ぎ取る鋭い眼光がセンサーのように辺りを伺い、ジェスは見咎められたかと首をすくめた。
 しかし、それ以上騒音が聞こえなくなったので、再び見ると、隊は既に撤収していた。
 ジェスは再び、月乃の捜索に取り掛かった。そうすれば、またどこかでアンダーテイカーたちと遭遇することも考えられた。

 ジェスが立ち上がろうと地下水道の奥を伺ったときそれは見えた。さっきの爆風で埃に汚れていたが、黒い学生鞄が左手の地下水道に浮かんでいた。ジェスは急いで傍らに行き、手を伸ばしてそれを引き寄せると、しっかりと手に握った。
 それは、あの時掴み損ねた月乃の鞄だった。

 ジェスは鞄の汚れ具合、流れてきた位置などからもともとこの近くにあったものと判断した。アンダーテイカーが急襲したのだからやはりこの近くなのだ。では、何処にあったのだろう? 
 ジェスはやはり赤いテント周辺が怪しいと睨んでいたが、それはもう跡形もなく消えていた。変わりに、そこは大きく陥没し、地下水が溜まる巨大な井戸のようになっていた。集落のほかの部分はパラパラと人が集まりだし、爆風で壊れたテントの一部などを取り外し始めていた。
 制服のジェスは目立つので急がねばならなかった。隠れるようにしてくぼみを回り込むと下の水面を覗き込んだ。しかし、薄明かりに水面の下の石床が透けて見えるばかりで、何体かの人形以外は沈んでいるものもなかった。
 ふわふわと浮かぶ丸いものが水面に映り、小さく遠ざかっていく。その先に小さく薄っすらと船影を認め、ジェスはライダーに駆け戻った。同時に、集落の人間が警官のジェスに気がつき、人を集めて追い駆けてきた。
 ジェスは、ライダーに飛び乗り、退路がないので全速力で群集を突破すると、陥没した水面へとジャンプした。そこで反重力モードにギアを入れ、一気に上昇した。その辺りは巨大なドームになっており、下を向くと点々としている灯りで集落や網の目のような水路が良く分かる。
 ジェスの周りを少年の首がころころ笑いながら飛び去っていく。マダムのサロンで見た翼のある少年も、金の尾っぽを棚引かせながら羽ばたいている。
 ジェスは船影に迫っていた。夜のような闇の中で、くらげのように僅かに輝く船の灯りに吸い寄せられるように、地底の異形たちが舞い集っていた。その中では、ジェスもまた異形の一員だった。特に、メカニックなバイオセルで出来た半機械人達は、ジェスとライダーを一体の仲間だと考えているのか、近づいてきてはスチールセルを伸ばして挨拶していった。
 突然、ライダーの後ろに何かが飛び乗り、ジェスの胸元に手が回ってきた。
 腕の刺青から、赤テントの少女だと分かった。

 ジェスは刺青の少女を乗せて薄暗い船の上空に出た。船は薄っすらと輝くベールに包まれてあまりよく中を見ることが出来ない。しばらく飛び回ったが、ゆらゆらとうごめくようなアンモナイト型の船体からは月乃の存在を伺うことは出来なかった。
 背中の少女が何か叫ぶので正面を見ると、赤く巨大な顔が迫っていた。
 ジェスは慌てて船尾に回りこむと、船と一緒に顔の口に吸い込まれていった。

 ―5―

 船の気泡に包まれて、ジェスと刺青の少女は船倉の柱の影に隠れた。そっと、半重力モードのエンジンを止め、ライダーを自由操縦にすると、少女の手を取って、船の出口が見える位置に移動した。
 船の下では、中央にやや小太りで銀髪の女性が陣取った数人の人間が出迎え、、船からイカの腕が降りてくるのを待っていた。

 はじめに豹のような身体の男女が滑り降りて、左右に走り去った後、マダムと2人の少女が現れた。ジェスは緊張すると共に驚いた。「もう一人の少女はだれだ?」
 顔立ちはとてもよく似ていたが、月乃よりも若いようだった。月乃はその子に手を引かれていたが、顔が青白くあまり気分が良くなさそうだった。
 黒い大きな猫が後から飛び出し、マダムの横に寄り添った。
 銀髪の女性は一歩前に出ると、3人を迎えた。
―お婆さま。赤テントの集落に「墓堀人」たちが現れました。予め、スチールセルの機械人たちで石壁を作っていたので直撃は免れましたが、集落を移さねばなりません。

 銀髪の女性は2人の少女に優しい笑顔を向けながら、しばらく眺めていたが、ため息をついて話し出した。
―GSM845が見つかって85人が殺されたわ。まったく、あいつらは根こそぎにしないと気がすまないのよ。その子を探しているのは良い口実だよ。
 そこで、月乃は反応した。傍らの少女の手を振り解くと、船の方に後退りし鋭く叫んだ。
―いや。私のせいでまた人が死ぬの!
―そうじゃないのよ。だれが地下に迷い込んでもやつらは入ってくるわ。あなたはたまたまランドベルグを見て追ってきただけ。そうでしょ?
 マダムはなだめる様に盲目の眼差しを向け、月乃を落ち着かせた。傍らの少女が月乃に寄り添い、2人はアンモナイト船の陰で座り込んだ。
―ところで、ソマラ。あの子を追いかけてきた若い警官がいたとか。
―大胆にも赤いテントに入り込んできましたわ。私の人形コレクションに加えたいぐらいの凛々しい子だけれど、短気で向こう見ずなタイプですね。あのまま未だ居たら、集落の住人達に袋叩きになっているでしょうね。あんな子を簡単に入れた2人は処分いたしました。
―そうじゃなくて、警官とアンダーテイカーの関係が出来上がっている事はないのかい。今までは、仲を悪くさせていたから力を殺ぐことが出来ていたんだよ。
―それは大丈夫です。私の方で、警察はコントロールしていますわ。客の10%が政治家や宗教家、5%が教師で、なんと15%が警官ですよ。総監なんて、獣にむかつくような醜い罵声を言われて、涙を流して喜んでいますわ。 
 そんなことより、お婆さま、アンダーテイカーの方の監視をしっかり進めて下さいね。GSM845には、プラチナアヘンの品種改良を進めていたグループの人間も居たはずじゃないですか。
 マダムは突然、盲目の目を細めて女性を見下ろすように言った。
―ま、この騒動をどう治めるか見ておくことね。
 銀髪の女性は少しむっとして言い放つと、ランドベルグを睨みつけただけできびすを返すと5人の護衛をつれて戻っていった。
 結局マダムもそれに従い、2人の少女を呼び戻すと船倉から奥のゲートから出て行った。

 ジェスと刺青の少女は辺りに誰も居なくなったのを確かめると荷物の影から立ち上がり、ジェスは船倉の構造を眺め回した。
 あの2人の会話にはまったく驚くべき事実が含まれていた。腹が立って、殴り込みに行きたかったが、少女の救出が先のためこらえていただけだった。
―くそ! 一体どのぐらいの警官が客なんだ? おまえ、知っているか?
―客はみんな客よ。第一そんな制服で来るやつなんかいないし。
 冷静に考えると刺青の少女の言うとおりだった。
 ジェスは怒りを納めると、穀物の荷の間に上り、少し仮眠することにした。刺青の少女はうれしそうに寄り添ってきたが、ジェスは背中を抱きとめるだけで直ぐに眠りに落ちた。

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