「エル、つけられてる。」
ゲオルゴスがヴェガアールの高速言語でつぶやいた。
エルノクも尾行者には気付いていた。エリドゥの宇宙港以来、その背の低いマントの人物はつかず離れず彼らの後を追ってきていた。ビオスへ向かう船のなかの一週間はさすがに近くに見かけることはなかったが、下船したとたん再び視界のはずれに姿を表わしていた。
その人物は巧妙に彼らの後をつけてきていたが、二人は早々に尾行を見破っていた。
エルノクはちらっとガラスに映り込んだ尾行者の影に目をやった。
「ま、つけられても、別にやましいことはやってないんだ。堂々としてようや。」
「やましいことねぇ。」
尾行者は二人がロンギウスクルスへのゲートに入ったところで姿を消した。
個人用の宇宙船につづくゲートは地下深くに設けられていて、地下通路を通ってそれぞれの宇宙船の真下まで行き、そこからエレベーターで上がるようになっている。ロンギウスクルスのドッキングポートと、港の連絡シャフトは接続されたままになっていたので、このエレベーターはロンギウスクルスの船内まで直通で行けた。
エルノクとゲオルゴスは気密境界の内側に入った。ゲオルゴスが操作盤にコマンドを打ち込むと、気密境界は閉じられ、連絡シャフトは降下していった。
ブリッジでは留守番の、パイロットであるツェンが出迎えた。
「ボス、出航準備は整っています。いつでも飛べます。」
「ありがとう。二週間の留守中ご苦労さん。問題はなかったか?」
「ボスが港の外にでることを禁止しましたからね。みんなぼやいてますよ。」
エルノクやゲオルゴスのパスと異なり、一般船員のパスは入出国がそれほど簡単にはすまない。船員に招集をかけるときの時間を短縮するために、エルノクは時々このような処置をとった。
「その代わり補給はすぐすんだだろ。その他には?」
ツェンはポケットからメッセージチップをとりだした。
「これが、ついさっき、組合本部から送られてきたんですが。」
エルノクはため息をついてチップを指でひねくり回した。
「しつこいな。どうせ、またいつものだろ。」
ブリッジの一番後で一段高くなったところにあるキャプテンシートの、モニターのわきのコネクタにチップを押し込んで、エルノクは席に腰を落ち着けた。
「映せ。」
コマンドを受容して再生装置が作動し、モニター画面に二次元映像が投影された。
『やあ、エルノク。久しぶりだね。』
画面の年配の男がしゃべりだした。
『三日後にパーティーがあることは知っていると思うのだが、どうかね、そろそろきみも組合のパーティーで顔を売るべきではないかと思うのだが。
今回のパーティーはきみも興味を持つのではないかと思う。私の古い仲間たちが今回はみんな集まってくれると返事をしてくれたのだよ。エーファ女史を除いた十六人、私を入れて十七人が全員集まるのだ。
私の記憶がまちがっていなかったら、きみの次の仕事までに一週間ばかり暇があったはずだ。このチップが招待状の代わりだ。きみとゲオルゴス君を招待するよ。是非来てくれたまえ。』
エルノクは画像を停止させた。
「ゲオルゴス。このバックの部屋見たことあるか? この部屋、ヤレーが行きそうなところに見えないんだ。」
「記憶にないな。」
「ま、いいさ。ちょっと気になっただけだ。」
エルノクはチップを引き抜いてポケットに収め、少し考えてみた。
「大長老か……。少しは楽しめるかな。
ツェン、予定変更だ。クルーに伝えてやれ。ビオスで羽をのばせなかった分、ヤーヴェイで少し休ませてやるってな。」
ブリッジの反対側のシートについたツェンは、立ち上がってにやりとした。
「うほっ、するってぇと、俺たちもパーティーに?」
「馬鹿言え。正式なパーティーなんだぞ。それに招待状は俺とゲオルゴスの分しかないんだ。だが、ヤーヴェイだったらビオスよりは開けてるから、な。」
ツェンは嬉々として船内にヤーヴェイ滞在を伝えた。
「ほら、ぼやっとしてんじゃないぞ。とっとと出航するんだ!」
「エル。ビオスからずっと、妙な船がつけてくるんだが。」
エルノクがキャプテンシートに戻ってくると同時に、ゲオルゴスが声をかけてきた。
「妙? スクリーンにだせ。」
エルノクが特別に設計させたロンギウスクルスは、細い胴体の割に全長が七百十パッスースもあって、まるで空飛ぶ針か鉛筆のようにも見えたが、スクリーンに映しだされた船は、このロンギウスクルスと比べてさえ確かに妙だった。
「俺が知る限りでは、両文明圏にあんなデザインの船を造る星はなかったはずだ。」
「データバンクにも登録されてないな。」
「もしかしたら未発見の生命体かも知れませんね。」
むこう側からツェンが意見を言った。たしかに、大体幅が二百パッスースぐらいの、大型船並みの大きさを持つそれは、かたい岩石の殻をもった巨大な二枚貝のように見えた。
「相対距離七A・U、第二種無干渉距離よりも離れています。相対速度は、毎秒マイナス〇・〇五ディジット。ほとんど本船に対して静止しています。」
「ほっとけ、どうせもうすぐ最初のウォープだ。ウォープ最適宙域に接近しているから軌道が重なっただけだろ。そろそろウォープ準備に入れ。」
ヴェガアール語でウォープ、イプシロン語でヴァーフ、もしくはソラリスのラテン語ではフレクススという。
人類が初めて光年単位の宇宙空間を征してから何千年もたつが、基本的な航法システムはその当時からほとんど変わっていない。いまだに宇宙航行システムに関して、ロケット推進からウォープシステムの転換のようなパラダイムシフトは起こっていなかった。
ロンギウスクルスでなら、ビオスからソル星系まで一回のウォープ距離だったが、今度の目的地までは、そのロンギウスクルスでも数回のウォープを必要とした。もっとも距離的にはこっちの方が遠いのに、時間的には一般航路でソルへ行くより短くすむというのは皮肉なものだが。旅客用の宇宙船のウォープ到達距離は、安全係数を多く見積もっているのでかなり短いのだ。ロンギウスクルスのウォープシステム自体が、常識を無視した桁外れな出力をもっているのも事実だが。
パイロットや機関士が慣習通りに数字を読みあげはじめた。
「ローリー=トヨーク計量安定点まで、あと三十四秒。」
「進路上に障害なし。跳躍距離八十に設定。コース固定よし。」
「重力転換機出力安定。」
「平衡点まであと、五秒、四、三、二、一、……」
「ウォープ回路接続。」
エルノクの掛け声とともに、ロンギウスクルスは時空の位相を局所的に変換し、何千年もの大昔にケイト・ローリーとヨーク・トヨークの発見した位相空間にそって通常空間より姿を消した。船は何十光年もの距離を一挙に飛びこえ、主観時間で数秒後に通常空間に復帰した。
「通常空間に正常移行。ウォープ終了。」
「計器、システムすべて正常。あっと、後方七・六A・Uに異常曲率。ボス、例の二枚貝ですぜ。」
モニターには先程と同じく、巨大な二枚貝が映しだされていた。
「ふうむ。この船についてこられるとはたいしたもんだが、銀河条約で定められた距離を守ってるんだ。気にするな。」
しかし、二枚貝型宇宙船(?)は、その後もロンギウスクルスのウォープアウト地点のすぐ後に現われ続けた。大体において、船のクラスが違えば重力転換機構の出力も変わってくるから、ウォープ到達距離にはかなりの差が生じるものなのだが、現代の技術で最高水準のウォープ機構をもっているロンギウスクルスにここまでついてくるというのは、いくら何でも異常である。
あと一回のウォープで目的地というところで、エルノクはそろそろ我慢の限界に達しようとしていた。
「エル、もしかしてあれは例のマントの男と関係あるんじゃないか?」
「まったく! 俺もいまそれを考えはじめてたとこだ。」
ツェンがそれに茶々を入れた。
「ボス、なにかやましいことでもしたんじゃないですか?」
「期待に添えなくて申し訳ないのだが、心当たりはないな。」
ツェンはエルノクににらめ付けられて、しゅんとしてしまった。こんな時にエルノクに口答えできるのはゲオルゴスぐらいしかいなかった。当の本人は眉を顰めてスクリーンに見入っていただけだったが。
ウォープ・ユニットは連続したウォープでかなりの熱をもっていたが、あともう一回ぐらいのウォープには問題はなかった。エルノクはイライラしながらも、すぐに最後のウォープを命じた。
ロンギウスクルスは目的の恒星系の黄道面よりやや斜め上にウォープアウトし、目的地からウォープによる誤差を含む第一種通常接近距離内にあった。正面の窓には小さな光点がふたつ、恒星ヴェーダと、銀河でもっとも美しい星のひとつと言われる褐色矮星ヴェギアが映しだされている。この距離からも、その赤い光はヴェーダを除く他の恒星を圧していた。
しかしブリッジの沈黙は、ゲオルゴスの報告によって唐突に破られた。
「右舷一A・Uに異常曲率!」
例の二枚貝だ。
S波によるパッシブセンサの表示を簡単に目測していたツェンが、驚いた声で付け加えた。
「なんてこった。あいつ秒速一万ミーリアぐらいでヴェーダにつっこんでいきますよ。」
「故障か?」
エルノクは内心ざまを見ろと思った。
「いえ、……いまのところ救難信号も出ていませんし、おそらく違うでしょう。」
そもそも、天体というものは互いにばらばらの運動をしているから、ウォープで結ばれる前後の空間はそれぞれの固有速度をもっている。ローリー=トヨークの超空間におけるグローバルな運動量とエネルギーの保存のため、ウォープアウトしてきた宇宙船は見掛け上出発点の固有速度を保存する。そのため、ある星系から別の星系に到着した宇宙船は、通常の推力や重力転換を使って、目的地の固有速度に同調させなければならない。到着点には誤差がつきものだから、それによって相対速度のベクトルの向きはかなりの任意性を持ち、結果的に操作は複雑になる。つまり、たとえば出発点から見て目的地の手前に到達するか向こう側に到達するかによって、目的地に近づくか遠ざかるかは変わるから、ウォープアウト後にそれらを修正する操作をしなければならないのだ。第一種通常接近距離は、その誤差をも見込んで条約によって定められていた。
船乗りたちの常識からすれば、その二枚貝型の宇宙船の行動は自殺行為に映った。それは速度の調整を怠っているようにしか、否、気の狂った航宙士がでたらめな軌道を選んだようにしか見えなかった。
「ゲオルゴス、奴の目的地はわかるか?」
ゲオルゴスは計算器にちょっと込みいったコマンドを与えてから答えた。
「やはりヴェギアの方に向かっている。しかし、ロスが大きいから到着まではかなり時間がかかるだろう。それよりも、あの船の重力転換場を見てみてくれ。」
エルノクは送られてきたデータをみてうなり声をあげた。あの船は重力転換器のかたまりなのに違いない。
「まるで、なにかのデモンストレーションみたいだな。」
ツェンがつぶやいた。
「俺たち相手にか? 野郎め! 重力転換最大出力だ! ぎりぎりの加速でつっこめ。」
さすがに二枚貝にむしゃくしゃしていたエルノクは命じた。
「だめです、船体が保ちません!」
ツェンが航法用計算機の結果を見て悲鳴のような声を上た。
「データをスペック値から実力値に変更。重力転換装置を個別モードでコントロールするように設定。回転による応力を打ち消すんだ。」
「了解。」
滅多にその能力のすべてを解き放つような機会はないが、さすがにロンギウスクルスは超大型戦艦クラスの重力転換装置を載せているだけあって、かなり無理がきく。
重力転換!
この驚異的な理論が発見されていなかったら宇宙航行もかなり今と違った不経済的なものになっていただろう。準位二の重力転換場は慣性ベクトルの『回転』を記述する。といっても普通の意味の回転とは少し違う。鉛筆を持つとき、芯の先を支点として鉛筆は紙の面から斜めに立っている。真上から光を当てたときに紙の上にできる影が普通の慣性、つまりニュートンの運動方程式における比例乗数を与える。もちろん、厳密には運動はアインシュタイン方程式に従うから、質量は比例乗数のような単純なかたちにはならない。それはともかく、準位二の重力転換場によって、鉛筆は芯の先を支点として立てられたり寝かされたりされる。それによって影は伸び縮みする。つまり慣性質量が増えたり減ったりするのだ。(鉛筆には太さがあるから決してその影の長さはゼロにはならない!)慣性とは物体を押し出すときの抵抗のようなものだから、日常的なことばに翻訳すると、宇宙船を飛ばすのに必要な燃料が少なくてもすむということなのだ。
そんな馬鹿なことが起こるものかと思われるかもしれない。しかし、慣性がみかけ上増えるように見える現象は五十世紀も昔に発見された相対論でもみられるのだ。
船を亜光速にまで加速するための最大の障害がこの慣性であったから、重力転換が発明されてから人類が宇宙に広がるようになるまで、たいした時間は経たなかっただろうというのが現在の考古学上の定説となっている。
ロンギウスクルスのクルーたちは、重力転換器最大出力中の航行というデリケートな作業にしばらくかかりっきりになっていた。そのかいあってか、不自然なコースをとった先行する二枚貝との差は徐々に縮まってきた。
そのとき誰かが息を飲む音が聞こえた。エルノクはふと視線を正面のスクリーンに移した。
いつしか船首は目的地の方をむいていて、窓には白銀色の小さな円環が見えていた。いつのまにかちょうど恒星ヴェーダ、褐色矮星ヴェギアとロンギウスクルスが一直線上に並んだのだ。ヴェーダはソラリスから約二千光年離れたG型の恒星で絶対等級四・五、半径二・三ギガペースの主系列星である。第六惑星ヴェギアは半径〇・三ギガペースもの巨大さながら、質量がわずかながら足りなかったため恒星になりそこね、ヴェーダから五A・Uの距離を回る伴星に甘んじていた。それ自体弱い光を放っていて、その景観はイプシロン、ソラリスを通じて最高といわれる。
窓のうえの大スクリーンには、ヴェギアの衛星のうち最大のものであるヴェガアールが映しだされていた。ヴェーダを背にしていたので、ヴェガアールは暗い面しか見せていなかったが、ヴェギアの照り返しで、オレンジとも濃紺ともつかない色に染まった、暗い半月のように浮かび上がっていた。人類によって手を加えずしても生存可能な、数少ない星のひとつ、それがこの星だった。全表面の半分以上が海におおわれていたので、別名ヴェガ・マリーナとも呼ばれていた。この貴重な星は、宇宙史上、両文明のどちらかに属していたこともあったが、その大部分はいまと同じ独立した小国家であった。
ロンギウスクルスと二枚貝型宇宙船は次第に褐色矮星に近付き、その横をすりぬけてぐるりとまわりこんだ。
そして、赤く輝く星を一周して、ふたたびヴェガアールが視界に戻ってきたとき、この神秘の星系を訪れる船の乗員は、ここで三度目の衝撃に見舞われることになる。それは意外にも、スクリーンのうえのヴェガアールの上空に浮かぶ、ほんの小さな光点だった。
小惑星?
いや、たしかにそれだけの大きさをもっているが、もう少し良く目を凝らしてみてほしい。
宇宙船?
いやいや。いまだかつて、この世にこれほどの大きな宇宙船が建造されたり登録されたりしたことはない。
宇宙交易ステーションヤーヴェイは全長二十・二七ミーリア、超大型船ロンギウスクルスさえ、ヤーヴェイを目の前にしては一抱えもある岩の前の鉛筆程度にしか見えないほどの大きさだ。近付いてその形を良く見ると、小惑星とはひどくかけ離れていることがわかる。人工重力を発生させたり、軌道の修正のための推力に使われたりする、巨大な重力転換装置を収めた四角いメインブロックの前後中央には、六角錐の頭を切り取ったようなかたちのブロックが迫り出し、その左右には前後あわせて四本の円筒状のブロックが並んでいる。メインブロックの下部に腕がのびていて、その先端にはメインポートがある。そしてメインブロックの右側の膨らみにはサブポートがあった。これらの構造物全体がまた、ひとつひとつが中型船ほどの巨大な構造物におおわれていた。
部下たちの手前、エルノクはその驚きをかくし通していたが、何度ここを訪れようともこの光景には圧倒されっぱなしであった。この小惑星級のステーションは、もしかして本当に小惑星をベースにしたものなのでは、と思うことはあったが、ヤーヴェイが建造された当時を記憶するのはいまや大長老たちぐらいのものだったし、実際に内部をくまなく探険しようなどという物好きもいなかった。第一そんなことが可能だとはだれも信じていなかったから。いまや、ヤーヴェイは、かつてその名のもととなった太古の神に対して、その民が感じていたような畏怖をもって、自由商組合員たちの上に君臨していた。
「エル、そろそろ減速をはじめないと。」
エルノクたちをつけてきた二枚貝型の宇宙船の方は、通常の重力転換装置ではもはや減速不可能なほどの近距離でもって、急激な転身と減速をやってのけ、そのままヤーヴェイのメインポートに吸い込まれていった。
「極性反転、入港準備だ。」
急激な減速にきしんだ音をだしながら、ロンギウスクルスはあとに続いた。
吹き抜けになっているメインポートの内側に入ると、巨大なマッチ箱の筒の部分に入りこんだような印象を受ける。奥行や高さはロンギウスクルスをふたつ並べても余る程で、幅はその半分よりいくぶん狭かった。ロンギウスクルスのような巨大な船は、普通メインブロックの表面に十二基設置されている駐船スポットに入るのだが、ついつられて来てしまったとはいえ、規格外の船であるロンギウスクルスにとってはどちらでも同じだった。
メインポートのどこにもあの二枚貝は見あたらなかった。ポートの側面に並ぶプレートのどれかに隠れてしまったらしい。
突然の闖入者にがなりたてる航宙官制の誘導にしたがって近付いた壁の端の、一辺が百三十パッスースほどの長方形のプレートが五枚並んで開いた。プレートの大部分には船がすでにとまっていたが、プレートのふさがり具合によっては他のポートにむかわなければならないところだった。ロンギウスクルスはともかくかさばるのだ。
船体がプレートに接近すると、アームとダンパが抱きこむようにしてロンギウスクルスを固定した。
ふと上を見上げると、二、三ブロック離れたプレートにドッキングが完了したことを告げるランプが点るのが見えた。例の二枚貝に違いない。規格を大幅に逸脱した船体にドッキング用コンピュータが迷ったのだろう。いまならまだあの船のクルーに追い付ける! エルノクは船に気密通路が接続されるとすぐそこに飛び込み、入国ゲートにむかった。
ヤーヴェイは帝国にも王国にも、もしくはその他のいずれの小国にも属しておらず、自由商組合にのみ帰属している。定まった国を持たない自由商にとって、このヤーヴェイは唯一自分たちの領有権を主張できる場所であった。条約で特に定められているわけではなかったが、実質上ヤーヴェイは自由商たちの交易中継基地であるだけでなく、彼らの母港としても機能しているひとつの小国家といえた。(もちろん、自由商の中にはエルノクのようにヤーヴェイを母港としないものもたくさんいる。)当然、そこには入国審査が設けられている。
エルノクが入国審査にかけこんだとき、ちょうど、長いブロンドの髪の小柄な人物が一人チェックインするところだった。エルノクはその人物の肩をつかんで荒々しくひっぱった。が、その瞬間、彼は喉まででかかったばちあたりなことばを思わず飲み込んだ。
背中まである、細くてなめらかな金色の髪はふわりと肩にかかり、卵形の、まだ幼さの残る少し陽焼けした白い顔に、黒く鋭い瞳がコントラストをなしていた。手足はオレンジ色の分厚いジャケットに覆われているが、エルノクの手のなかの、服を通して触れるその肩はあまりにもかぼそい。顔つきや体格など所々にイプシロンとソラリスの両方の特徴がでているが、ただ混ぜ合わせられたのではなく、それは調和してひとつの別の個性を形づくっていた。
「初対面にしては随分だな。いつまで肩をつかんでいるつもりだ。」
高くてよく通る、流暢な、しかしどことなく奇妙な訛りのあるターガスの公用語であるラテン語で話し掛けてきたそのことばは、しかし、『少女』のものとしてはいささか荒っぽいものだった。少女はエルノクの手を押し退けようとし、はっと我に返ったエルノクはゆっくりと手を引いた。
「失礼、お嬢さん。君はその……あの、変わった船の人かい?」
「あの針金みたいののことだったら違う。エアのほうはオレの船だ。」
エルノクは他にここに着いたばかりの船がないことは確認していた。
「それでは、なぜ私の船を追い掛けたりしたのかわけを聞かせてもらえますかね、お嬢さん。」
少女はふんと鼻を鳴らした。
「あんた、あの『針金』の人か。ちょっと変わってるなと思って観察させてもらっただけだよ。たまたま、目的地もいっしょだったしな。条約で決められた距離の外からだ。文句はなかろ?」
そして、目をちょっと細めてエルノクを見上げた。
「あんたサキアを持ってるな。それも王家クラスの。」
彼女は二枚組の許可証を審査官に見せ、そのままエルノクに口を挟む隙を与えずにゲートを抜けた。
「それから一言いっとく。二度とオレのことを『お嬢さん』なんて呼ぶなよ!」
ようやっとその頃になって、ゲオルゴスがエルノクに追い付いてきた。
「エル、いまのは?」
エルノクは彼を無視して、係官の首を絞めあげた。
「誰だあれは。」
審査官は首を横に振りつづけたたが、エルノクがなおも首を絞めあげたので、ようやく一言ユウ・テルライ(もしくは、ユ・ウ・テッラエのようにも聞こえた)とだけ答えた。彼はすぐにゲオルゴスに船のデータバンクを探させた。そこには大したことはかかれていなかった。
YUH TERRAE(テラのユウ):
自由商人。
組合の長老の信頼厚く、長老会に対して絶大な発言力を持つといわれる。
出身は伝説のテラといわれるが真相は不明。
本名、不明。
生年月日、不明。
性別、不明。一説によると、人類ですらないという。
宇宙船、エア・ネータの船主。
「それで?」
「これでおしまいだ。」
ブロンドの少女の姿はもうすでに見えなくなっていた。その行く先を知らない以上は、この先ユウ・テルライを名乗るあの人物を再びみつけることは難しいだろう。ヤーヴェイは迷路のように複雑で、しかも広いのだ。
エルノクはポケットのなかのソル・オ・テラに触れ、肩をすくめた。
「テラなんて星自体、あったかどうかすらわからないというのに……」
首もとをさすりながらぶつぶついう審査官の声にようやっと気が付いた彼は、あとから追い付いてきたロンギウスクルスのクルーたちとともに入国審査をすませ、自由商組合の領土にはいった。
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